菅政権史2

 (最新見直し2010.08.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、菅政権史2を確認しておくことにする。

 2010.06.04日 れんだいこ拝



Re::れんだいこのカンテラ時評776 れんだいこ 2010/08/03
 【菅政権第二ラウンド考】

 2010.7.29日、民主党の両院議員総会。これより菅政権は第2ラウンドへ入ったと思われる。7.30日、第175臨時国会が召集された。会期は8月6日までの8日間。参院本会議は30日午前、議長に民主党の西岡武夫・元文相、副議長に自民党の尾辻秀久・元厚生労働相を選出した。自民党とたちあがれ日本、新党改革は議長選で白票を投じ、みんなの党は同党の江口克彦氏に投票した。公明党、共産党、社民党は西岡氏に投票した。衆院予算委員会は8月2、3日開かれた。参院予算委員会は4、5日に菅首相が出席して質疑を行う。

 この間の8.2日、民主党の常任幹事会が開かれ、菅首相の党代表任期満了に伴う代表選について「9月1日告示―14日投開票」の日程で行うことが決まった。菅代表に挑むのは誰か、これが注目されるが本格化するのは盆明けからだろう。小沢か原口か、はたまた第三の人か。れんだいこは、戦後の西南の役と見立てている。あの時は西郷は端から勝つ気がなかったが、こたびは勝つ気で行かなければならない。勝って政権取って政治を執り行うことこそ政治の醍醐味ではなかろうか。

 この間の政局は論評に値しない。国会質疑も同様で、論戦そのものが政界遊び人達の漫談でしかない。よって論評に値しない。そこで、れんだいこは考えている。日本政治は何故にかくも劣化したのだろうか。こういう事象には偶然はない。必ず原因がある筈だ。そう云えば、「チェンジ」を掲げて魅惑的に登場した米国大統領オバマも今では何をしているのか分からない。褪せてしまっている。大衆受けは良いのだけれども中身がない。所詮オバマは口先御仁だったんだ。と云う風に思い始めたら、日本政界の昨年の政権交代、華々しい数々の公約、その公約不履行の鳩山政権、それを後継した菅政権の色褪せぶりも何となくオバマの色褪せと似ている気がしないでもない。これは。裏が一緒だからの共通現象ではなかろうか。

 こういう時には思い切って、政治の原点論議即ち政治の見直し即ち政治の再検証こそ必要なのではなかろうか。今や、そういう時機に立ち至っている気がしてならない。日本政治は明らかに行き詰っており、レールの敷き替え即ち軌道修正が必要な時に至っているように思われる。全てが根本解決を要求しているのに、目下の対応は小手先細工で糊塗しようとしている。その程度の頭脳では何も解決しない。全て一時凌ぎのものにしかならないのではなかろうか。どうでも良いことばかりに関心を逸(そ)らせマジメぶっている気がしてならない。角栄先生が居たら、どう処方しようとされるのだろうか。

 我々の家計も、会社の遣り繰りも、国家のそれも急速に行き詰りつつある。それでいてのほほんとし過ぎていやしないだろうか。この現象は何なのだろう。恐らく、脳活動が脳死させられているのであり、仕事がおざなりになっているのであり、中毒患者のような朦朧とした対応で一日一日が過ぎているのではなかろうか。いやこれは、自戒を込めてれんだいこのことを云っているのであるが、他の人にも当てはまるのではなかろうか。日本政治のありようたるや、もっと酷く、年収ン千万円のぬくぬく手当てで籠絡されており、危機意識に於いて漫然度が過ぎているのではなかろうか。

 れんだいこの菅政権に対する倦怠は、ここに起因しているように思われる。一体、彼は、社民連から上り詰め首相にまでなったが、その政治頭脳のお粗末さは卒倒すべき貧層ぶりを晒している。菅はそもそも首相になって日本をどこへ誘導しようとしているのだろうか。日本再生の為に必要な手当てとしてのオリジナリティーはない。やっているのは人気取りの芸能政治まがいのことばかりである。仮に有効なものがあったとして継続しそうなものは何もない。透けて見えてくるのは、国際金融資本の対日施策要請アジェンダのシナリオ通りのものでしかない。それを自公政権的にやるのか民主党政権的にやるのかの手法の違いでしかなく、やろうとしているのは同じことのように思える。つまり自公政権は男的、民主党政権は女形でやろうとしてるだけの違いではないのか。という気がしてならない。

 それは滅びの道である。取り返しのつかないヤブ医者処方箋ばかりである。その滅びの道を確信犯的にやろうとしている民主党内鳩山一派、菅一派とは何者なのだろうか。そういう問いかけと疑惑の眼差しなしには、日本政治の貧相ぶりの原因が解けない気がする。今は亡き太田龍・氏が居れば、海外の最新の文献資料を紹介しつつ、こうした民主党内シオニスタンの歴史的由来背景、国際金融資本帝国主義のエージェントとしての忠勤ぶりを説き明かしてくれるような気がするが、この役目を負う者は居ない。その点が寂しい。

 代わりに、れんだいこが至らないままにコメントしておく。批評を請う。れんだいこには、民主党内シオニスタンが秘密結社洗脳及びマインドコントロール特有の表情と仕草をしているのが気になってしようがない。共通して痴呆顔している。鳩山政権、菅政権内の重役たちは、小沢系の者を除いて殆ど総員が「とある秘密クラブ上がり」なのではなかろうか。それも幾つもあるのだろう。彼らの狙いは、日本経済を再浮揚させないこと、その芽が出てきたら冷や水を浴びせ潰すこと。財政を更に放漫にさせ悪化させること、国債累積債務を早く1000兆円にさせ更に累積させること。国際貢献と云う名の自衛隊派兵を常態化させ、海外支援金と云う名の尻拭い金をみつぎ続けること。国内優良企業をハゲタカファンドにお供えすること、中小零細企業をもっと淘汰させること。公共事業を止めさせ、明日の活力に繋がるような社会基盤を整備させないこと。戦後憲法を改正させ、国家総動員体制用の憲法に切り替えさせること。日本人の精神を荒廃させ、絆や紐帯を断ちバラバラにさせること。日本人の能力を低下させ衝動的人間にさせること。その犯罪を面白おかしく報道し連鎖させること。日本語を止めさせ英語に切り替えること。所得格差を広げ、リッチマンパフォーマンスを喧伝すること等々。

 あぁこんなことを書いていたら嫌になる。数えきれない。こういうアジェンダに向けて、国民をこの方向に如何に納得させて向かわしめるのか、それが政治技術であり能力であるとするような政治家を育成し続け、今日その政治学校卒業生が政界を牛耳っているのではなかろうか。彼らには、権力と身分とカネと女がふんだんにあてがわれる。これがエージェント取引の見返りである。こういう政治家が、民主であろうが自公であろうが、その他諸党であろうが生み出されているのではなかろうか。元は一緒で、この連中は裏の秘密クラブでは、やぁやぁコンニチワなどと云って仲良く食事でもしているのではなかろうか。そういう政治商売しているのではなかろうか。この予測が当たらないことを祈るが当たりそうでもある。

 この風紀を一掃させる闘いこそが本来の政権交代であった。政財官学報司警の七者機関にいつの間にか巣くっている売国奴ノ―タリンどもを引きずりおろし、本来の日本的伝統的な「寿命の中でのパフォーマンスと助け合い、棲み分け」を互いが了解する上等な生き方を基盤とする豊芦原の瑞穂社会の再構築へ向かうことこそ21世紀日本の在るべき姿なのではなかろうか。この理念と実践こそが今や恋しい。

 2010.8.3日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評777 れんだいこ 2010/08/05
 【国技大相撲が危うい日本が危ない】

 2010.8.4日、日本相撲協会は東京・両国国技館で臨時理事会を開催し、武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)が文部科学省の強権指導により辞意を決断させられた模様である。北の海に続いて後釜の武蔵川までもがかくなった。一体誰が裏で糸引いているのか。さほどでもない事件を大袈裟に仕立て上げ横綱・朝青竜、大関・琴光喜の強制引退まで持ち込んだ経緯も含めて、きな臭いと云うより怪しいと勘繰るべきだろう。

 れんだいこは、部外者による強権介入の方こそ問題としたい。これは口蹄疫騒動でも構図が同じだ。目的が正しければ強権介入良しとする風潮の方こそ危ぶみたい。為すべきことはまず業界の自主的対応である。ここで議論を喧しくしないといけない。権力介入はそれからの話である。それを逆にして、強権介入により業界を屈服させる式の方が許し難い。如何に事は急ぐとしても、この順序を逆にしてはいけない。

 そういう意味では、理事会に部外者の外人部隊が入り込むのにも反対である。日本相撲協会の場合には検察上がりが乗り込んでいる。検察上がりだけが悪いとは云えないが、よりによってなぜ検察上がりが乗り込むのかを疑問としたい。部外者参入ははせいぜい評議員会、諮問委員会止まりで良いのだ。これを原則としたい。

 ところがマスコミが日本相撲協会の不祥事を煽りたて、外人部隊参入を後押しする。こたびの武蔵川理事長退任に於ける文部省権力の介入を正義仕立てで報じる。れんだいこには、これらがみんなウソっぽい。評論家の杉山某だとかヤクだとか女流のチンクシャミの顔が浮かぶがエエ加減二センカイと思う。この三人が出ると吐き気を覚える。

 大相撲を愛するのなら、日本相撲協会の自由自主自律的な内部改革を期待すれば良い。強権介入の正義を後押しするなどはもっての他である。今、白鵬が一人横綱を張って懸命に頑張っているが、本来は朝青竜との両横綱体制こそ大相撲ファンが願っていることであった。白鵬の安定相撲も鏡である。朝青竜の切れ味相撲も鏡であった。朝青竜相撲を排斥した罪は大きい。北の海理事長が朝青竜を庇い失脚させられ、斬り捨て派の武蔵川理事長が辞任の憂き目に遭っている。どうしても大相撲を解体させようとしている邪悪な勢力の意思を感じるのはれんだいこだけだろうか。誰を引っ張り出そうとしているのか。どうせエージェント取引しているのだろう。

 政界もオカシイ。大相撲もオカシイ。これを正すのは、元に戻って権力の抑制理論を生み出すしかない。これを逆対応報道し続ける率先部隊のマスコミを正すしかない。言論機関を正しくせねば、日本はとんでもないところに連れて行かれてしまう。消費税問題も然りだ。今こそ悪政データばかりが出ている消費税を廃止し、ならば財源をどう調達するのかで真剣な議論をせねばならぬところ、消費税増税こそ命派が中毒税を煽り続けようとしている。

 日本は素晴らしい国である。追ってこのことを明らかにしようと思うが、ここでは省く。この素晴らしき国を土足で踏みにじろうとしている野卑な勢力が正義の美名で無茶苦茶なことを仕掛けている。時局のこの認識こそ第一歩すべきではなかろうか。連中のすることは何でも正義で咎められることがない。角栄追討の頃からこの不正が大手を振って始まったと思ううが、ここでは省く。明日はどうせ武蔵川理事長退任騒動で明け暮れるだろうが、誰がお調子に乗っているのか再確認しようと思う。

 2010.8.5日 れんだいこ拝

 杉並からの情報発信です」の2010.8.4日付けブログ「9月に小沢一郎氏を首班とする強力な民主党新政権を誕生させ「日本革命」を押し進めよう!」が小沢政権下での組閣名簿を策定している。これを仮に「杉並案」と命名する。れんだいこは、「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK91」の「9月に小沢一郎氏を首班とする強力な民主党新政権を誕生させ「日本革命」を押し進めよう!(杉並からの情報発信です)」で知った。「杉並案」にコメントしておく。

 「杉並案」は、内閣総理大臣・小沢一郎(民主党代表)の 内閣官房長官に鈴木宗男(新党大地)を登用している。面白い。国家戦略担当内閣府特命担当大臣に菊池英博(経済学者,日本は財政危機ではない、特別会計には103兆円の埋蔵金が隠されていると主張)

▼ 小沢新政権の閣僚名簿(案)

1)

2)

3)

4)財務大臣 植草一秀(経済学者) 日銀総裁 浜田宏一(イェール大学教授、教え子の白川現総裁の金融政策を批判)

5)副総理兼金融担当・郵政改革担当  亀井静香(国民新党)

6)外務大臣 天木直人 (元レバノン大使)

7) 法務大臣  三井環(元大阪地検公安部長) 検事総長 郷原信郎(元検事、弁護士、 名城大学教授・コンプライアンス研究センター長) 

8) 文部科学大臣  保坂のぶと(社民党)

9)国交大臣  田中康雄 (新党日本)

10) 農林水産大臣  斎藤勁(民主党)

11) 経済産業大臣  海江田万里(民主党)

12)総務大臣  原口一博(民主党)

13)平和防衛大臣  岡田俊次(軍事ジャーナリスト)

14)国民生活大臣 湯浅 誠(自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長)

15)医療・国民福祉大臣  長妻昭 (民主党)


 ツイッタ―で、次の案が提案されている。
▼ 小沢新政権の閣僚名簿(案)

1) 内閣総理大臣  小沢一郎 (民主党代表)

2) 内閣官房長官 細野剛志(ちょっと荷が重いか?)

3) 国家戦略担当内閣府特命担当大臣 寺島実郎 

4)財務大臣 海江田万里 

5)副総理兼金融担当・郵政改革担当  亀井静香(国民新党)

6)外務大臣 鳩山由紀夫

7) 法務大臣  鈴木宗男 検事総長 郷原信郎(元検事、弁護士、 名城大学教授・コンプライアンス研究センター長) 

8) 文部科学大臣  保坂のぶと(社民党)

9)国交大臣  田中康雄 (新党日本)

10) 農林水産大臣  高橋千秋(民主党)・・フフ・選挙区なの

11) 経済産業大臣  小沢鋭仁(民主党)

12)総務大臣  原口一博(民主党)

13)平和防衛大臣 辻 恵 

14)国民生活大臣 江端貴子

15)医療・国民福祉大臣  長妻昭 (民主党)

あと、北川正恭(現早稲田大学教授・マニュフェスト提唱者)をどこかで使いたい。

 森ゆうこ

Re::れんだいこのカンテラ時評783 れんだいこ 2010/08/22
 【2010.9.14民主党党首選考】

 2010年の盆明けと同時に民主党党首選の火蓋が切って落とされた。「9月1日告示―14日投開票」の日程で行うことが決まっている。既に菅首相が続投の意思表示しており、対抗馬は誰かと云うことになりつつある。衆目の推すところ小沢前幹事長であろう。他の候補では菅政権の続投を許すことになり、小沢が出ざるを得ない。原口一博総務相はその後を窺うと云うことになろう。この次第はあと数日ではっきりしよう。

 マスコミが例によって、日本の為にならない方向で論陣を張っている。各社ともなべて「首相が一年に三人も替わる痴態をしてはならない」などとの愚見で菅続投をエールしている。首相が一年に三人も替わらざるを得ないような政治そのものが痴態なのであり、首相が替わるのはその結果に過ぎないと説かず、上述見解をぶつと云う事は、マスコミを支配している国際金融資本ネオシオニズムの指令が菅続投を欲していることを示している。これを思えば、日本の為にならない論陣を張り続ける御用聞きマスコミの政権交代を目指さねばならないと云うことになる。出でよ和製アルジャジーラ放送局よ新聞よと云うことになる。れんだいこは既に何度も指摘しているのだが、その気配が伝わらない。

 さて、小沢が出るとして、小沢派は何を闘おうとしているかの解析をしておかねばならない。れんだいこの見るところ、最も分かり易く云えば「大人の政治」に戻そうとしていると云うことになる。れんだいこの見るところ、日本政治はロッキード事件で田中角栄-大平正芳の鉄のブロック政治同盟が掣肘されて以来、三木―福田―中曽根系シオニスタン政治に転換することにより大人の政治から子供の政治へ堕してしまった。これに応じて日本の国際的地位が地盤沈下し始め、今では極東アジアにおいてさえ中国には無論のこと韓国にも追い抜かれ後塵を拝する始末になっている。小沢派は、この通史的危機感を持って日本政治の大転換を求めている。こう捉えるべきであろう。

 このままでは日本は融解させられてしまう。否、既に九分がたワシ掴みされているのだけれども、残る一分の望みに希望を繋いで日本政治の打開から始めて経済再生、文化、精神の振興へと向かおうとしているように思える。ロッキード事件以降が反動型文化大革命であったとしたなら、反反動型文化大革命即ち否定の否定により日本のあるべき姿を再構築せんとしているように思える。これは小沢派だけにできるのではない。日本人民大衆が改心して本来の能力を取り戻す意思と能力が有りや否やが問われている。この結節点が来る2010.9.14民主党党首選の意義である。ここは小沢が出張るしかあるまい。

 これを阻止せんとする売国派即ち国際金融資本ネオシオニズムのエージェント派の云い分は、「政治とカネ問題」で刑事被告人にされる恐れのある小沢を首相にするのは如何なものかと云う論法である。これで鬼の首を掴まえた気分になっている。こういうシオニスタンに告げておこう。その昔、イエスは云った。イエスがエルサレムに乗り込んだ時、律法学者やパリサイ派の面々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」とイエスを試そうとした。

 この時のイエスの御言葉である。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。律法学者たちやパリサイ派の面々がしつこく問い続けた。イエスは身を起こして宣べられた。「あなたたちの中で、心の中でさえ姦通の罪を犯したことのない者が居れば、その人たちがまず、この女に石を投げなさい」。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと真ん中にいた女が残った。

 新約聖書では「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと真ん中にいた女が残った」となっているが、我が日本の政界では通用しないらしい。それならばと女に石を投げ始めた構図になる。しかしながら、聖書の記述の方に味わいが有る。なぜなら「心の中でさえ姦通の罪を犯したことのない者」は居ないだろうからである。してみれば、無作法にも石を投げ始めた連中とは何者か。要するに、カネで買われた雇われであると云うことになろう。彼らはそれがお仕事なので、正しいとか正しくないのはどうでも良い。しかし、こうなると、幾ら紳士ぶっていても、心の中は鬼畜そのものと云うことになろう。聖書は、そういう者の為には書かれていないので、「恥じて一人一人去った」とある。

 日本のマスコミ人がこの程度のことを知らない訳がなかろうに、小沢前幹事長に対し相変わらず石を投げ続けている。ところが世の中面白い。野中元幹事長が「機密費バラマキによるマスコミ人の言論買収」を証言した。いわゆる「言論とカネ問題」が発生した訳であるが、滑稽なことに日本マスコミ界はこぞって未だにダンマリしている。これにより、「言論とカネ問題」で弁明できない者が「政治とカネ問題」で説教し続けると云う痴態が罷り通っている。恥知らずも程度が深まればバチ当たりになろうぞ。

 普通の者なら、れんだいこのこの諭しで改心する筈なのだが、今日びのマスコミ人士は国際金融資本ネオシオニズムに飼われたシオニスタンばかりなので、カエルのツラにションペンで一時キョトンとするものの直ぐに元に戻る。カネと地位と権力と女をあてがわれたうま味がよほど忘れられないらしい。故に説法は無駄と云うことになる。故に、政界の政権交代の次には言論界の政権交代を目指さねばならないと云うことになる。これは人を替える以外にない。新しい人材を登用して、新風で旧弊を一掃せねばなるまい。これを回天運動と云う。そう今こそ、この回天事業に向かうべきである。

 では、何を目指すのか。これを確認しておく。れんだいこの見るところ、戦後政治史の深層は戦後ハト派とタカ派の抗争になっている。前者は土着型日本政治派であり、戦後憲法を評価し、この基本線で自由経済市場を守り、日本民族百年の計を図るという政治を良しとする。内治を重視する傾向にある。この政治の粋は池田隼人―田中角栄に見られる。後者は、戦後憲法改正を目指し、国際金融資本型世界体制に殉じることで日本民族百年の計を図るという政治を良しとする。外治を重視する傾向にある。この政治の粋は岸信介―中曽根康弘―小泉純一郎に見られる。色を出さない政治家は、ハト対タカの対決構図の適当なところを遊泳しているということになる。

 小沢の有能さは、日本政治の底流がここで暗闘していることをキャッチしているところにある。その上で自らを戦後ハト派の系列に位置づけたうえで、自分の色を出そうとしているように見える。この小沢政治を、日共を代表とする日本サヨ運動派は自民党政治より悪質として目の敵にして政界追放を叫ぶことで知られつつある。しかし、それが通用するのは、れんだいこ以前までである。れんだいこ以降は、れんだいこが一人でも応戦する。小沢政治の方が、手前たちのニセ左派よりは随分マシな左派的要素を持っていると弁じて聞かせよう。角栄-小沢政治を糾弾する側こそが偽装左派であることを証して弁じよう。この眼で見ると、日共は政治上の重要な対決場面では決まって国際金融資本の意を挺して一定の役割を果たしていることが分かる。ここを突かない日共論はツマラナイ。

 さて、そういう訳で、小沢が代表選に出るとしたなら、大人の政治に戻して日本政治を再出発させると宣言せねばならない。子供の政治は、菅政権の如く要職を自派の連中で固め、党内反対派を干し冷や飯を食わせる。大人の政治は人事バランスを心がけ、自派であろうが他派であろうが明日の日本を担う人材を見定め要職を経験させる。これを挙党一致体制と云う。日本政治はこのところ、これができぬ子供首相が相次いでおり、これが真の原因で首相交代を余儀なくされている。小泉首相以来はこれに加えて「政治の遊び人」ぶりが目立つ。これは、本質的に国際金融資本に飼われている人間に特徴的な軽率頭脳を示している。この点では、政権政権交代したものの鳩山、菅にも「政治の遊び人」ぶりが見て取れる。但し、人事の点では鳩山の方がまだしも公正であり、菅となると聞かん坊性を増幅しており、とても日本丸を運転する資質はない。

 先の参院選では、菅首相は八百長選挙を仕組んだ。党の代表にして首相たる者が上から反党活動して選挙で惨敗し、これに対する責任を微塵も取らない。そのまま続投宣言している。消費税増税10%案を出したり引っ込めたりしているが、その政治論から見えてくるのは一事万事の軽薄さである。それは、去る日の市民運動のなれの果てであり、この程度のものでしかなかったことを証している。

 民主党右派政治が、かくも国際金融資本に籠絡されているのかと愕然とさせられるばかりである。今や民主党の歴代代表鳩山、菅、岡田、前原のお粗末さは満天下に知られた。民主党の能力は次の世代にバトンタッチされねばならない。その繋ぎをするのが小沢であり、小沢を措いてはない。このことを確認すべきだろう。ことは首相問題にとどまらない、もっと大きな日本の将来に関わる話である。

 であるが故に、国際金融資本側のあの手この手の妨害が鳴りやまないだろう。政財官学報司警の七者機関のシオニスタンどもが束になって第二のロッキード事件を仕掛けるだろう。しかし、これを撥ね退けて、押して進むのが政治闘争だろう。怯んでどうするぞ。幸い今はネットが有る。かの時のようには行かない。正義の為にはいつ死んでも惜しくない命知らずの者が居る。共に情況をこじ開けよう。

 2010.8.22日 れんだいこ拝

2010年8月22日(日)「しんぶん赤旗」

民主党代表選 小沢氏出馬が焦点の異常


 9月の民主党代表選をめぐり、小沢一郎前幹事長が参加した鳩山由紀夫前首相の軽井沢での会合に約130人が集まるなど、小沢氏の出馬が焦点となっています。ゼネコンからのヤミ献金疑惑をかかえる小沢氏の出馬が一番の注目点というのは、異常事態です。

 小沢氏の疑惑は、資金管理団体「陸山会」の土地購入にからむ政治資金規正法違反の疑いです。その土地購入資金の出所として、公共事業を受注したゼネコンからのヤミ献金が指摘されているのです。検察審査会が「起訴相当」の再議決をすれば、強制的に起訴される事態もありえます。

疑惑隠し

 そうした疑惑を抱える小沢氏の出馬がとりざたされるのは、民主党が、党ぐるみで疑惑隠しをはかってきたからにほかなりません。小沢氏の資金管理団体をめぐる事件では元秘書3人が起訴されていますが、本人の国会での証人喚問は拒否をしたまま。党として小沢氏の疑惑にかんして真相究明をおこなう姿勢もなければ、国民への説明責任も果たそうとしてきませんでした。

 とりわけ、菅直人首相は所信表明演説や臨時国会の予算委員会等で、鳩山由紀夫前首相の「故人」献金疑惑とともに小沢氏の「政治とカネ」の問題に対し「責任を率直に認め、辞任という形で自らけじめをつけられた」と居直ってきました。その結果、小沢氏の党内への影響力も維持されてきたのです。

共同責任

 ところが、ここにきて菅内閣の閣僚から「政治とカネ」で小沢氏をけん制する発言が相次いでいます。岡田克也外相は「起訴される可能性のある方が代表、あるいは総理になるということについて、私自身は違和感を感じております」(20日)と発言。蓮舫行政刷新担当相も小沢氏の出馬をめぐる記者会見の質疑の中で、「(有権者が)民主党に求めたのはクリーンな政治。もうこれ以上『政治とカネ』の問題でさまざまなことを起こしてもらいたくないという国民の声は無視できない」などとのべました。千葉景子法相は小沢氏の「政治とカネ」の問題で「懸念」を表明しました。

 まるで「政治とカネ」の真相究明に背を向けてきた共同責任を忘れたような状況です。

 8月10日に、各紙が報じた世論調査では、小沢氏が要職に就いたり、影響力を強めたりすることに対して、「反対」や「好ましくない」が8割前後に達しています。

 疑惑にかんして、国民への説明を果たさないまま、代表選出馬を模索する小沢氏周辺も異常なら、疑惑隠しに終始してきておきながら、政局的思惑から小沢氏へのけん制に「政治とカネ」を持ち出す側も異常です。いま政治がなすべきことは「政治とカネ」をめぐる疑惑の真相を明らかにすることです。


Re::れんだいこのカンテラ時評784 れんだいこ 2010/08/24
 【2010.9.14民主党党首選考その2】

 9.14民主党代表選に向け再選を目指す菅派連合が動き出した。菅派は、「脱小沢」を旗印に合同選挙対策本部を週内に発足させる。一方、小沢派は26日にも出馬を正式要請する。樽床伸二国対委員長や海江田万里衆院議員の名前も取りざたされていたが「菅対小沢」に収斂されつつある。代表選はいよいよ激闘モードに突入してきた。小沢の出馬確認を経てコメントしたかったが待てない。れんだいこは出馬宣言に安堵したい。労働意欲に関わるから頼むぞ。何とか経済を立て直してくれ。小沢―亀井派による政治にしか期待できない。

 小沢出馬を前提とすると、9.14民主党代表選は民主党分裂を覚悟した壮絶な権力闘争が予想される。久方の政界版「仁義なき戦い」が始まりそうな気配である。小沢首相誕生となれば党内シオニスタンの一斉離党による政界再編が目論(もくろ)まれている。但し、シナリオ通りに運ぶかどうかは分からない。案外引きとり手がなく往生することもあろう。つまり踊らされている。とはいえ、「仕組まれた民主党分裂」は仕組まれている故に止めることができない。

 云えることは、菅派連合には目下の日本閉塞情況をこじ開ける力はないということである。現代世界を牛耳る国際金融資本に御用聞きするしか能がない連中なので、自力再生の際には使いものにならない。改心を期待するのも無理と云うものだ。政界から足を洗い、一介の労働者として勤務し始めることを望む。そうすれば、日本労働大衆の辛吟が初めて骨身にしみようぞ。以下、各種情報を参考にしながらここまでの動きを確認しておく。

 8.20日、党内シオニスタン筆頭の前原派が、港区赤坂のホテルで50人規模の会合を開き、菅続投を申し合わせた。他方同日、親小沢派の樽床国対委員長、三井弁雄国対委員長代理ら「七人の侍」も会合も開いた。幕末の志士・坂本龍馬を意識したと思われる土佐料理店に集結し、「小沢一郎さんじゃないと、ここは乗り切れない。最終的には輿石会長に一任しましょう」と確認している。

 8.22日、菅首相は、地元の東京都府中市の大国魂神社を参拝、玉ぐしを奉納。参拝後、記者団に「首相になった報告に参りました」と説明するだけで、「代表選の必勝祈願か」との問いかけにはダンマリを貫いた。「参拝で戦闘モードにスイッチが入った」と評されている。

 8.23日午前、菅首相は、衆院議員会館事務所で新人議員18名と懇談し、「1年間では、自分たちのやっていることがすべてできない。3年間はしっかりやらせてもらいたい。3年後に(参院選との)ダブル選挙でやればいい」と述べ、首相の衆院解散権をちらつかせながら、他方で早期の衆院解散に脅える新人議員の不安感を払拭する甘言を弄した。

 「支持基盤のない新人議員を萎縮させるようなやり方は卑怯」(鳩山由紀夫前首相側近の中山義活前首相補佐官)との批判にも馬耳東風のようで、新人議員囲い込みに露骨に乗り出した。新人議員懇談は、23日を皮切りに6回にわけて25日まで開催する予定で、招待した計157人のうち3日間で計100人程度の参加を見込んでいる。菅首相の求心力が試されているが、どうせこれもシナリオ通りの振り付けだろう。
 
 菅首相支持陣営の動きは次の通りである。8.23日午後、菅グループ「国のかたち研究会」(座長・江田五月前参院議長)は、東京・永田町の憲政記念館で国会議員33人による事実上の決起集会を開いた。首相自身は姿を見せなかった。江田前参院議長は、「国民は(政権獲得から)3人目の代表を選ぶどんちゃん騒ぎの代表選を望んでいない」と述べた。集会後、記者団に対し「首相は今週末か来週に正式に出馬表明するだろう。それを受けて来週、首相を支持する(菅、前原、野田の3グループの)合同選対を設ける」と語った。菅の出自の岡山グループが支えているが、そういう地縁結合は政治の遊びでしかなかろう。

 菅再選に向けて党内シオニスタン衆が蠢いている。民主党内シオニスタンを確認する絶好機会であり、これを確認すると、主なところで仙谷由人官房長官、枝野幸男幹事長、岡田克也外相、前原誠司国土交通相、野田佳彦財務相、玄葉光一郎内閣府特命担当相、蓮舫行政刷新担当相、鉢呂吉雄元国対委員長、小宮山洋子財務委員長、最高顧問の渡部恒三等である。どういう媚薬を嗅がされたのか、ここにきて系譜的には小沢派の藤井裕久、石井一が官続投派に転じている。菅、前原、野田の3派連合で約100人規模となる。

 菅派は、検察による小沢前幹事長ハガイ締めを助っ人にしている。政治資金規正法違反容疑について検察の暴走を咎めるのではなしに、露骨に“口撃”を開始している。岡田外相は、「起訴される可能性のある方が、代表・総理大臣になるということに違和感を覚えている」、7.29日のTBS番組収録でも「まだ1カ月の政権を代えることがどういう意味を持つか考えた方がいい」、「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない」と発言している。

 野田財務相も7.30日の記者会見で、「トップがころころ代わることは不安定につながる」と発言している。8.18日、自派の会合で、「わたしはもう、すでに菅総理続投支持をお話をしてますんで、ほかに誰が出てくるかわかりませんから、対立軸を設けるとするなら、そのあえて戦う人の側が、まず第一義的に、その説明をすべきだろうと思います」と発言している。

 蓮舫が出席発言し、「民主党に求めていただいたのは、クリーンな政治、その国民の声をわたしは無視できないと思ってます」、「代表選があること自体は歓迎したいと思うが、もしここで仮にまた代表・首相が代わるとなると、個人的には(解散)総選挙が筋だと思っている」、「総選挙になった場合は10月末に予定されている特別会計の事業仕分けにも大きな影響が出る。その影響を最小限に抑えるためにも、菅首相を支持したい」と発言している。衆院解散をチラつかせながら菅続投を支持せよなる論を展開している。れんだいこは、この発言により、最終的にこ奴を見限る。さしづめ小泉政権時代の小池の如き役割をしているが、行き過ぎた迎合は、潮がが変われば後でその分人より多めに恥を掻くことを覚悟しておかねばなるまい。

 「ニセ黄門」で知られつつある渡部元衆院副議長も、露骨に反小沢攻撃に加担している。これを確認しておく。この御仁は手前が数多くの疑惑履歴を持っているにも拘わらず、それには口をつむったままこう述べている。「小沢氏が首相になれば、指揮権発動よりもっとひどい疑惑隠しになる。しばらく休んでいろというのが国民の声だ」。8.21日、テレビ東京番組に出演し、「(小沢が)首相になると検察は小沢氏を起訴できなくなる。彼が今、首相になるというのは悪いことをした人間を政治がかばうことになる」、「55年体制の政治家はだんだん引退していい。小沢氏は最高顧問にでもなってもらえばいい」。子供騙しの弁で弁じているが、これが早大雄弁会で鍛えた舌のなれの果てである。

 鳩山前首相が長野県軽井沢町で開いた懇親会に小沢が出席し共に「気合い」を入れたのに対しても、「(同党議員約160人が集まったことにについて、小沢氏への)ごますりで恥ずかしい。大邸宅の別荘で『国民生活』なんて言っても滑稽だ。昔の自民党の悪いことばっかりまねしている」と批判した。小沢一郎前幹事長に対して、「たった1人が諸悪の元凶だから、この人がいなくなればすぐ挙党一致できる。党を分裂させている元凶が『挙党一致』なんて(言うのは)こっけいな話だ」と語っている。代表選に小沢氏が出馬した場合については、「国民世論を無視した結果は出ないと私は確信している」と述べ、菅直人首相の再選は動かないと強調している。

 この渡部恒三について一言しておく。渡部恒三は、1969(唱和44)年の第32回衆院総選挙で、羽田孜、小沢一郎、梶山静六、奥田敬和、高島修、佐藤恵、石井一、斎藤滋与史、小坂徳三郎、綿貫民輔、中山利生、佐藤守義、林義郎、稲村利幸、野中英二、有馬元治らと共に初当選している。これを角栄チルドレン「44年組」と云う。他派系同期に浜田幸一、森喜郎らがいる。この時、渡部恒三は公認漏れし無所属で立候補し、「会津のケネディ」(「ワタスは東北のケネデイダす」)を自称して初当選した。

 その後自民党入りし田中派に所属することになるが、時の田中幹事長は、公認しなかった不明を詫びたと伝えられている。しかし今になって思うに、渡部を公認しなかった田中角栄はやはり慧眼だったのではなかろうか。はるか昔に渡部恒三のニセ黄門化を見抜いていたのではなかろうか。他方、小沢を愛でた。次のように評している。「小沢一郎はいい。黙々として、人の為に汗を流している。愚痴は言わない。こういう奴が伸びる。陰で人の為に黙々と汗を掻いている。弁解をしない。地位、肩書きにも拘泥しない。『カミソリ』ではなく、『大ナタ』の魅力がある。こういうのが総理になる器なんだ」。この言は、渡部恒三への当てこすりかもしれない。そう思うと可笑しい。

 8.23日、西岡参院議長がイナゲな発言をしている。政党会派を離脱中の議長が政党の党首選に言及するのは極めて異例だ。こういう時には注意を要する。国会内で臨時の記者会見を開き、9月の民主党代表選に関し次のように述べている。「(首相に)対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。首相を蹴(け)落とそうとするのだから、敗れた場合、敗れた場合の立場は惨めでなければ理屈に合わない。党を去ることも選択肢に入る」、「敗者に党の要職や閣僚ポストが与えられる仕掛けは茶番劇だ。政権政党が甘っちょろい党内の陳腐な就職運動劇をしている余裕は断じてない」。

 この発言に対し、「政府・民主党役員人事での処遇を期待した候補擁立の動きをけん制したものと見られる」などとピンボケ評論されているが、小沢擁立の動きに対する露骨な牽制発言であろう。これを逆読みすれば「心して掛かれと云う裏からの厳しい激励」と読めなくもないが、普通にはドウカツであろう。発言する必要のない立場の者が敢えて発言しているところが臭い。

 これに対し、小沢派の動向は次の通り。あまり伝えられていないが透けて見えてくるのはこうである。

 8.14日、民主党の小沢前幹事長側近として仕えた高嶋良充前参院幹事長、佐藤泰介前参院総務委員長らを慰労する会が、小沢氏の主催で京都市内の料亭旅館で開かれた。「今、勝負しなくても、菅政権は来年春には行き詰まる。その時に小沢さんが出ればもっと支持は集まる」発言に対し、小沢はこう言い切った。「正々堂々と戦うのなら、9月の代表選しかない」。小沢は、8.19日、長野県軽井沢町での鳩山グループのバーベキューパーティーに参加し、小沢―鳩山連合による挙党一致体制の確立を確認した。但し、例によって鳩山前首相は両マタ戦術に出ている。当人は一旦は次期衆院選に立候補しない旨声明しているので気楽であろうが、残された鳩山派の面々はそうは行くまい。党内情勢のメを読み取るのに懸命になっていると窺うべきだろう。

 この間、山岡賢次副代表が小沢出馬に向けて精力的に根回ししている。8.24日、小沢は、都内の個人事務所で党所属議員らと面会し、桜井充政調会長代理に対し次のように述べている。「せっかく政権交代したのに、このままでは国民の信頼を裏切る」。永久革命論をぶったことになる。但し、代表選への対応については言及しなかった。8.25日、小沢前幹事長が「小沢一郎政治塾」で講演する。小沢待望論がある中で、どのような発言をするかが焦点となっている。「一新会」のほか衆院当選1回の「一新会倶楽部」のメンバーも参加する予定。山岡副代表は26日にも、同氏に出馬要請するとしている。

 他の閣僚の発言を確認しておく。原口総務相は、8.22日、佐賀市内での民主党佐賀県連の会合で、「民主主義の原点を踏み外した発言をすべきではない。推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と語った。検察審査会の議決を控えた小沢一郎前幹事長の立候補に問題はないとの考えを示したことになる。岡田外相の「起訴される可能性がある方が代表、首相になることには違和感を感じている」発言に対する反論になっている。8.24日、CS番組収録で、「自分が出る資格もないし、闘うタイミングでもない。総理(の職務)はもっと上の世代にしっかりとやってもらいたい」と述べ、自らの出馬には慎重な姿勢を示した。菅直人首相を支持するかどうかについては「まだ代表選の構図がない」として明言しなかった。

 総務相はまた「地域主権などの改革の道筋を示しており、僕はこれを実行しなくてはいけない」と述べ続投に意欲を示した。「誰か特定を排除したりしていれば、自民党さんのときの政権がまさに派閥抗争で崩れていったのと同じ運命をたどる。誰かを排除して、何かをやれるような、まだ体力はない」とも発言している。原口の対応にいつも感じることだが良識的である。松下政経塾上がりとしては異色の大器の気がする。今後、ネオシオニズムの甘言に捕まらないことを祈る。

 山田農水相は、「『政治とカネ』の問題で出馬できないことはないと思っております」と述べている。れんだいこは、山田農水相の先だっての防疫対応には釈然としていないが、仕組まれた「政治とカネ問題」故に、この見解は至極真っ当なものである。

 2010.8.24日 れんだいこ拝

【8.24日の動き】

 8.24日夜、民主党の小沢前幹事長と鳩山前首相が都内のホテルで会談し、9月の代表選への対応を協議した。鳩山氏は菅直人首相の再選を支持する考えを伝えた。小沢氏は「この国の先行きのために自分がどうすればいいのか、党内世論も気にしているが、それ以上にこの国がどうあるべきかを考えている」、「一両日中に代表選に出るかどうかを判断する。その際には改めて鳩山さんに相談したい」と語ったと云う。鳩山氏は、小沢氏の代表選出馬による党内対立の激化回避に向け仲裁に乗り出したとみられる。両氏の会談には平野博文前官房長官と小沢氏側近の樋高剛元副幹事長も同席。別の関係者によると、鳩山氏が、小沢氏に出馬見送りを要請し、首相側に求める条件について真意を確かめたという。

 8.24日、菅グループ幹部は、菅首相の「9月の民主党代表選で再選された場合の内閣改造・党役員人事について挙党態勢の構築に配慮した人事を行う」意向を受け、鳩山グループや輿石東参院議員会長ら旧社会党系グループの幹部に挙党態勢を築くと伝え、再選への支持を求めた。首相と側近議員らは先週末から代表選の対応を協議し、「挙党態勢を構築する」と明言し始めている。1年生議員との懇談会では「代表選が終われば一致団結していかないといけない」と強調した。

 8.24日、予定されていた山岡副代表による新人議員らの勉強会は中止。小沢前幹事長本人は、事務所で達増(たっそ)岩手県知事や、桜井議員らと面会した。達増拓也岩手県知事は、「すでに総理大臣になっているかのような、そういうオーラを感じました」と述べた。民主・桜井 充政調会長代理は「(党内の権力闘争については?)一応その点も(話を)してまいりました。『困ったなあ』とおっしゃってましたけど」と述べた。

 8.24日、川内博史・衆院国土交通委員長(衆院鹿児島1区選出、当選5回、鳩山グループ、超党派の沖縄等米軍基地問題議員懇談会の会長)は、代表選に対して次のように発言した。

 「代表選に小沢一郎前幹事長は出るべきです。今の日本の政治状況、経済状況を良くするには、小沢さんの力を使わざるを得ない。そういう局面です。小沢さんは人気もないし、支持率も低いかもしれませんよ。けれども、小沢さんの良さは約束を守り守れなかったときは責任をとるところ。そこは、国民の皆さんに「信頼してください」と言いたい。国民の前で、小沢さんと菅さんが、政策論争を正々堂々とやることが民主党の立て直し、政権の立て直しにつながる。鳩山由紀夫前首相は、2人の仲介役になることを示唆していますが、代表選前の仲介はしない方がいい。戦いが終わってノーサイドになった後に、挙党一致の態勢をつくるために行動されるべきだと思う。菅さんが首相に就任した直後の6月11日ですが、小沢さんと会ったときの話を思いだします。小沢さんから「普天間(飛行場の移設問題)は代表選の争点になると思うか」と聞かれました。「大きな争点になると思います」と答えると「そうだよなあ」と。小沢さんは「(移設先として)辺野古(へのこ)も徳之島も無理だよなあ。まず米国にきちんと話をしなきゃいかんよなあ」とも話してました。一国のリーダーとして、普天間問題は解決すべき大きな課題です。避けて通ることはできません」。


【8.25日の動き】
 8.25日午前、鳩山グループ幹部の中山義活前首相補佐官は、小沢氏に出馬要請をする考えを示している山岡賢次副代表と国会内で会い、「要請には乗れない」との考えを伝えた。中山氏は記者団に「小沢氏が出馬の意思を固めていないのに、要請に行くのは筋が違う。グループとしての対応は白紙だ」と述べた。一方、先の参院選大敗の責任をとって枝野氏らが交代すべきだとの声が出ていることについて、首相再選を支持する仙谷官房長官ら前原国土交通相グループからは「交代の理由はない。小沢氏に配慮すれば世論の批判は避けられず、菅政権に協力できなくなる」(中堅)との意見が出ている。首相は25日午前、国会内で当選1回の衆院議員らとの懇談会を引き続き行い、「リーダーシップと挙党一致は非常に難しいバランスにあり、ジレンマがあるかもしれないが、これから(衆院議員任期満了までの)3年間で党として結果を示すことが大事だ。政府などのポストは適材適所でやっていきたい」と訴えた。

 8.25日午前、小沢前幹事長は、東京・新宿の日本青年館で開かれている「小沢一郎政治塾」で約1時間30分講演した。塾生約60人に加え、小沢グループの国会議員約50人が集まった。円高や政治理念などについての見解を披露した。「当分は円高が続き、外需に頼りきりの経済は大きな打撃を受けるだろう。政治、経済は不透明、不安定になりつつある」などと語った。注目されている代表選出馬については「下世話な政局話をする場ではない」として触れなかった。講演は報道陣にも公開されたが、その後、塾生らとの質疑応答は非公開となった。

 8.25日午後、小沢氏側近の山岡賢次副代表(67)ら昨年衆院選マニフェストへの「原点回帰」を求める議員たちが国会内で勉強会を開いた。山岡副代表は、約80人の参加議員に対し、「小沢氏しか、今の難局を乗り切れる政治家はいない」と訴えた。これを受け、山岡氏や松木謙公衆院議員(51)、樋高剛衆院議員(44)ら、約30人が国会内で小沢氏と会い、出馬を求めた。さらに、小沢氏を支持する当選1回の「小沢チルドレン」約20人も小沢氏に面会して、出馬要請を行った。小沢氏は「政治家冥利に尽きる。できる限り期待に応えるようにしたいが、もろもろの事情もある。早急に結論を出す。もう少し時間をいただきたい」と答えた。主戦論こそ日本再生の道。

 一方、旧社会党グループは25日午後、旧民社党グループは26日に会合を開くが、今のところ、党内情勢を見極める構えだ。

 8.25日、小沢前幹事長の代表選出馬見送りの為の甘言が出回り始めている。菅首相は俄かに挙党態勢論に転じ、ポストの冷遇をしないと空約束をし始めている。


【小沢前幹事長の「小沢一郎政治塾」での講演内容】
 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK93」の 読書中氏の2010.8.26日付け投稿文「小沢一郎講演「小沢一郎政治塾」 2010/8/25(日々坦々さんによる全文書き起こし)」を転載する。
 またまた針小棒大・揚げ足取り・マッチポンプの報道を繰り返されていますが、日々坦々さんが全文書き起しをしてくださってます。(省略URLは元URLにしました)日々坦々さん、どうもありがとうございます。

 2010⁄08⁄26(木) 09:00
 小沢一郎講演「小沢一郎政治塾」 2010/8/25
 http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-604.html
 《以下全文転載》

 MP3 : http://data.tezj.jp/2010-0825ozawa.MP3   
 動画:
http://www.ustream.tv/recorded/9137716#utm_campaigne=synclickback&source=http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/08/post_623.html&medium=9137716

 みなさん、おはようございます

 3泊4日の夏の講座。いよいよ最後になったわけであるますけれども、この短い時間ではあったと思いますけれども、いろんな分野で活動しているみなさんがこうして一堂に会して勉強し、あるいは友情を広める深める、そういう意味で皆さんの人生におきまして、いい思い出といい機会になったと思いますし、そうであればこの政治塾の意義もさらに大きくなるだろうと思います。もう9期生の皆さんは、集中講義は今日でもって終わりになり卒業するということになるわけでございますが、10期生の皆さんはまた来年も、次の仲間を迎えての講義が勉強が続きますので、せっかく皆さん自分の休みを費やして自分で参加していただいているこの政治塾ですので、是非、有意義に使っていただきたいと、そのように思っております。

 え、昨日、懇親の席もあったようですが、僕も参加しようと思ってたんですけれども、なんかもう、今日、皆さん、もうお分かりのようにマスコミ諸君がもう、ホントにこの勉強に興味あってきていただいたんならいいんですけども、大変、皆さんに、せっかくのところ迷惑をかけちゃいかんと思いまして、昨日は遠慮させていただきました。今日も大勢マスコミ諸君がきてますけれども、皆さんもご承知のとおり、この政治塾は下世話な政局話をする場ではありませんで、お互いに知識を深め、お互いに意見を交換しあい、自らを研鑽、研く場でございますので、ご承知の事と思いますけれども、そういう主旨で今日も話をさせていただきたいと思っております。

 今朝の報道で円が83円台に突入したという話がありました。当面、円高傾向は上下ありながら続くんだろうと思っておりますけれども、今日は為替の話をしようとしているのではありませんで、今日、日本社会がもっている最大の問題点はなんだろうと、いうことを皆さんと共に考えてみたいと、そう思っているわけであります。資料は後から見ていただければいいんですけれども、日本は戦後、戦争の荒廃の中から奇跡の復興と呼ばれる経済の復興を成し遂げ、今、バブルの崩壊から景気が悪い悪いということでいわれてますけれども、まあ、まだ、この国においては、ほかの国のように食べれない人が出てきているわけでもありませんし、街中に、失業者は増えてはおりますし潜在的失業者の数をかぞえるとかなり多いんですけれども、それでも欧米にくれべても失業率もまだ半分くらいのところですから、そういう意味で日本の社会はまだ平穏を保っているわけですけれども、今後のことを考えてみますと、今申し上げました為替も当分は円高にふれていくでしょうから・・・。

 そうしますと外需、ようするにアメリカと中国がメインですが、ま、最近は東南アジアも増えてますけども、外需に頼りっきりの日本経済というのは、非常に大きな打撃を受けることになりますし、また、為替だけではなくしてアメリカ経済の行方、そして特に中国の経済の行方、中国の経済のバブルの崩壊がもう始まっているという人もいますけれども、経済的な崩壊は中国の場合には政治的な動乱に繋がる恐れが十分にあると。そういうような政治・経済いろんな意味で非常に不透明な不安定な状況に、どんどんなりつつあるということは間違いのない現実だと思います。

 私から言わせれば、本来の日本人の精神と知恵と力をもってさえすれば、このくらいの困難を克服するのは、私は容易に可能なことだと思っていますけども、今日の日本社会を見ますと、非常にあらゆる分野で、最近、「劣化」という言葉が使われておりますけれども、勿論、私ども政界においても、官界においても財界においても、一般社会においても、そういう精神の荒廃といいますか、日本人の劣化というのは急速に進んでいるように思えて、その点が心配でなりません。最近、あの報道ダネになっておりました、高齢者のね、あの全然住所録のとおり行ってもいなかったと、どこに行ったかわかんないと、子供でさえ、じいちゃん、ばあちゃんどこにいるんだかわからない、というようなのは現実だとあわてて今、各市町村であっちゃこっちゃ調べているようですけれども、家族でさえわからなくなっている、という状況。

 それから、また前からも言ってますけれども、親殺し、子殺し、もう毎日毎日報道されております。特に、こともが親を殺すっちゅうのは、儒教的道徳でいいますと、最も悪いちゅうことで、いわゆる親族殺人?という、重い刑になりますけれども、なんといいますか、その人間の情とかなんかの側面からいいますと、親が、特に女性の場合は自分の腹を痛めて産むわけですすけれども、その子供を平然と殺す、あるいは虐待する、あるいは捨ててしまう、というようなことが日常茶飯事のように毎日毎日おきていて、だんだん、聞いてるほうも何も感じなくなってきて、ああ、またか、というような状況になりつつある、のが今日の日本社会なのではないだろうかなというふうに思っておりまして、その意味では非常に日本人自身が、私は、自立した日本人を、そして自立した日本人の集合体である自立した日本国をということをいっておりますけれども、それは、自立してるかしてないかというのは、心の持ち方の問題でありますから、ある意味で、今言ったことと同義語であります。まあ、そういう状況が急速に日本社会にはびこりつつある、このことを我々は真剣に考えなくてはならないだろう、とそう思っております。

 私は9年以上前の皆さん覚えているかどうかわかりませんが、新進党のときもまた、自由党のときにもこのことを公約の第一に挙げたんです。人づくり。それが一番大事だと。みんな反対した仲間は。そんなの公約の一番目に挙げたって選挙の足しにならんと。マスコミやいろんな人が聞けば教育が一番大事だと全員こたえますよね、たいがいの人は。教育は大事だ大事だと、タテマエでは言ってますけど、それを強調して選挙でそれで訴えても票にならないということはどういうことだと。口先では、教育大事だね大事だねと言うけれども、本当に真剣にそのことを考えている人は少ないということでございます。ですから票にならない。

 まあ、しかし私はそのことは十分、選挙を長年やってきた身としてわかってはいるけれども、我々は新しい政権(制度?)で新しい日本をつくろうとしてるんだから、選挙にはあまり効果がなくても、人づくりということは第一の公約に掲げようと。この点だけは私は強行に言い張って公約の一番目に掲げてきた経過がありますが、それがこんにち本当にもう一度、国会議員は勿論ですけれども、日本人全員がやはり自分の胸に問いかけてみなきゃいけないんじゃないか、というふうに私は思っております。教育と言わずに「人づくり」といいましたのは、教育というと学校教育というイメージだけが先行しがちですので、教育には一番には家庭教育、それから学校教育、社会教育とあらゆる分野での人づくり子育てがあるわけですので、そういう意味で人づくりという言葉を使ったわけであります。

 こういうテーマでですね、実は5・6年前に瀬戸内寂静さんとテレビで対談したことがありました。私はこの精神の崩壊を立て直すにはワンジェネレーション、30年はかかるだろうというふうに申し上げたところ、瀬戸内さんは「いや、30年どころじゃとても直らない、100年はかかる」と、そういう話をなさいましたけれども、それだけ私は非常に本質的な問題であり、深刻な現状だというふうに思っております。

 まあ、昔話を自分の活動でもって感じた話をちょっと、思い出話になりますけど、しますけどね。ぼくが最初に選挙に出た頃、ですから40年以上前ですけども、そのころね、まあ田舎のせいでもありますが、宣伝カーで「小沢一郎でございます」と言って、まあ他の人も同じですけれども、通っていきますとね、小学生や中学生のみんながね、パッと道端へ、横へによけてね、帽子とってね、おじぎしたもんですよ。今ね、選挙区にほとんど帰ってないからわかんないですけれども、それは強制されたわけじゃあないんですね、学校の先生から、そうしろ、と言われたわけじゃないんですよね。それは大人もやはり田舎で農作業しててね、あたまにてぬぐいまいてたり傘かぶっている人もきちっと会釈したもんです。そういうような、今から考えると信じられないような状況、時代でした。今なんかね、たまにどっかの遊説カーに乗って「よろしく」っていってこっちはニコニコしてるんだけど、あの「バーカ」(笑)なんていってね、いうやつが非常に増えてますけど、当時はそうでしたね。ですから、それは一つの象徴的な自分の体験の例として話すんですけれども・・。

 そういう具合にあらゆる面であらゆる分野で、良くも悪くも規律というかモラルというか、そういうものがまだまだ日本人のそして日本社会の美徳として残っておった時代だと思っております。それが良い悪いかは別としまして、そういうたぐいのことは、かけれもみられなくなったきた昨今じゃないかなと考えております。

 日本は、特に明治の頃は、よく皆さんもお聞きと思いますが、文明というのと文化という言葉を分けて使ってたんですよね。物質文明というでしょ、物質文化とはいわないよね、物質文明、精神文化でしょ。それから、西洋文明、東洋文化、そういうように半分、あれなんですけどね、自分たちが遅れていたコンプレックスの裏返しではあるんですけれども、そう言えるくらいの精神的な豊かさと、大きなそして強い心をもっておった。だからこそ、侍の支配する封建制からいっきに、西欧でいうと、ヨーロッパで言えば近代革命と市民革命を一緒に成し遂げたような明治維新が出来上がった、まあいうことだろうと私は思っています。そういうように非常に日本人のそれなりの美徳といいますか、高いモラル、文化をもっておったと。

 ぼくは、あの前にちょっとこの9期10期の皆さんの前でいったかわからないけれども、織田信長を私は歴史上の人物として尊敬している人ですけれども、あの頃にキリスト教が戦国の終わり頃ですが、日本に入ってきましたね、イエスズ会だのローマカソリックですけどね。それらの伝道し神父の本国への報告にも、この東洋の一番端っこのこの島国で、これだけの文化と、これだけ礼儀正しい民族、そして非常に綺麗な清潔な国が存在しているのは驚きであると。当時のヨーロッパよりはるかに素晴らしいと、いう主旨のことを本国に送ってるんですね。これはもう、本当に彼らはびっくりしたんだろうと思います。そして特に経済的にもね、信長の時代は中世のくびきを断ち切りましたから、ヨーロッパ以上に銀の流通量は世界一だったといわれておりますが、、商業・経済が大発展した時代ですけれども、まあ、それは別として、そういうことがその時代に、既に、外国人から見ても言われているような、そういう日本人の社会を形成していたということは非常に驚くべきことであると同時に、我らも誇らしいとこだろうと思っております。ま、そんなことで、かつては、日本人は礼儀正しいし、最も秩序ある社会だし、平和な社会だしと言って、えばってて、アメリカなんか金持ちで大きな国だけど、その世の中むちゃくちゃ乱れてると、いうたぐいの考え方を持っていた人が大部分だったと思いますけどね。

 これも、5・6年前の話でアメリカに一度行った時にね、ものすごく驚いたことがあるんですよ。というのは私の車があの、スクールバスのね、後ろを走ってたんですけども、そのバスがあるところで止まったですね。子供達が当然降りてきますよね、そうすると勿論後ろの車も追い越したりなんだりしませんし、止まってますけども、対向車もね、ピタッと止まってるんですね。これは別に警察がいて止めてるわけじゃないですよ。スクールバスが動きだすまでピタッと、誰に言われたんじゃなくて、キチンと止まって子供達が乗り降りするのを、終わるのを待って走り出す。まあ、そういう光景に出くわしましてね、本当にアメリカ社会ちゅうのは、俗にメチャメチャで乱れて、いい加減なとこだというような見方を、お金持ちだけどそうだと、いう見方をしてる人が多いんですけれども、やはりそういったモラルはきちんと守ろうと、守らなくてはいけないんだ、という意識を彼ら自身がきちんと持っている、ということに大変、私は驚き、感銘をいたしました。

 これはねえ、あの、政治的な点でもそうですよね、僕はアメリカ民主主義ちゅうのは、なんだかんだいうけれども健全だなあと思ったのは、最近ではね、あのブッシュとの選挙のときにフロリダでしたかな、最後の時に、あの計算間違えて、もう一回やり直しだ、なんだなんていって、日本では計算間違えるというのは絶対ないですよね。まあ、ずっと田舎のほうではね、相手の票を食っちゃったという例はあるけれども、計算を、事務的な計算を間違えるちゅうことは、まず、まず少ない。ところが簡単なそういう計算を間違えたっちゅうことはね、世界中におおっぴらに、別に宣伝したわけじゃないけど、オープンなかたちで議論、いいとか悪いとか、有効だとか無効だとかちゅうことを、いわば恥っさらしみたいなことであってもオープンにやる、というそのアメリカの民主主義。

 ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえない、と思ってたアメリカ社会、黒人の大統領が誕生した。しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。リンカーンもそうですし、だから、黒人が候補者に出たら、必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ、事前にはずっとあったんですね。だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて、歴史上はじめて彼らは選択した。私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と、そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されている、ということについて非常に高く評価をいたしておるところでございます。

 まあ、そういうことで、本当に私は日本がこれから益々政治・経済共に困難な時にあたって、日本人自身がきちんとした自立した人間、きちんとした自分で判断し自分で行動し責任を持つ。そしてきちんとしたモラルを身に着ける、ということが、将来に困難が予想されればされるほど、大事なことではないかなというふうに思っております。

 そういう中でね、この前、安部政権でしたか、ちょっと資料ありますけれども、教育基本法の改正というのが自民党政権下で出されました。まあ、結局、妥協の産物でヘンチクリンな文言を入れるにとどまったんですけれども、そこに、あの三つのね、旧教育基本法と、自民党が修正したもの、いわゆる、態度を養うとわが国と郷土を愛する、態度を養うみたいなことを入れただけにとどまったんですけれども、しかし、このね、俗に愛国心、愛国心と言いますけども、これは、お上から、これを上から親から押し付けられて、あるいは観念的に教えられ強制され強要されて、生まれるもんじゃないですよね。心の問題ですから。それぞれの各人の心に宿るものですから。家族愛、郷土愛、祖国愛。これはそれぞれの各人の心に宿るものでありますから、教育基本法に書いてあるとか書いて無いとか、学校の先生が教えるとか教えないとかっていう、本来、そういう性格のものではありません。自然とそれぞれの国民の一人ひとりの心に宿るものだと私は思っております。

 ですからね、これも例を挙げますと、戦前ね、明治の時代ではなくして、昭和の初めの戦前の時代を例に取りますと、たとえば、皇軍、日本軍、「こうぐん」ちゅうのはのはみんなわかんなかな? 皇軍は、世界にその軍規の厳正さを誇った、そのくらい規律正しくて統制がとれた軍隊は、わが大日本帝国の陸海軍のみと、いうくらいに吹聴しておったんですけれども、この太平洋戦争の最中にね、これ本に書いてありますから興味ある人は見ていただきたいんですけれども、捕虜になった人達ね、その実態を書いた本があるんです。特に陸軍がそういう傾向が強かったんですけどもね。捕虜になったとたんに、まあ当時は捕虜になっちゃいけない、あの、生きて虜囚の辱めを受けてはならん、死して悠久の大義に生きん。

 ※「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」(『戦陣訓』「本訓 其の二」, 「第八 名を惜しむ」)

 と、こういう軍国の教えがあったわけだけれども、その時に捕虜になった人もいっぱいいるわけだ。そうしますとね、アメリカ人がものすごい驚いたちゅうのが、捕虜になったとたんに、全部軍事機密でもなんでも将校も兵隊もペラペラペラペラ聞かないことまで全部しゃべる。それがホントの事実だっちゅうことが本にちゃんと全部書いてある。それから、軍隊組織であったその捕虜も、軍隊のその制約がとれて捕虜になったとたんに、上下の区別も将校もへちまもない。まったく無秩序の烏合の衆に化してしまった。まあ、そういう記述がきちーんと本に載っております。それが実態だったわけ。なぜだ。なぜそうなんだ。

 その一方でね、みんな、あの、映画覚えてるかな、「戦場に架ける橋」というのを。覚えている人いる? この中で。もう古いからいないか?いる?おお、タイとビルマのね、戦争中に国境に鉄道を通すということで、日本軍が昼夜建工で、工期4年か5年かかるのを1年でちょっとで作っちゃった、話なんだけれども、その映画、早川雪洲とね、誰だっけもう一人英国の俳優でもってあったんですがね、そこにアメリカ兵やオーストラリアの兵やそして特にあそこイギリスの植民地でしたから、イギリス兵の捕虜を使役に使ったわけですね。ある日、イギリスの捕虜が送られてくる、ということになって、その現地に。まあ、たぶんねヨロヨロして、ふて腐れてモタモタ歩いてくるんだろうと、誰もが想像しておった。ところが、イギリスのその捕虜は、将校を先頭にして隊列を組んで、いわゆる映画では「クワイ河マーチ」と言われる口笛で行進曲を吹きながら、みんな隊を組んできちっと収容所?に入ってきた。アメリカ兵もオーストラリア兵もおったまげて、日本はもっとおったまげたわけですけれども、そういう捕虜になってもキチンと組織のあれが守られている。それから、鉄道をつくる作業にその兵を使うわけだけれども、ジュネーブ条約で将校は使役に使ってはいかんちゅうことになってんですね。それでその将校の、捕虜部隊の一番偉い人がたまたまキャップ、長になったんでしょうけれども、日本軍はその人も強制労働せよと命じたんだけれども、これはジュネーブ条約で将校は、そういうことはさせられない、する必要ない、させてはいけない、いうことになっている。断固拒否したんですね。その将校が。

 独房に、まあ南洋ですからね、熱いトタンぶきのうだる様なグダグダの独房に一週間くらい閉じ込められて。しかし、それでも絶対負けない。それでフラフラになって出てきた。その将校を、賞賛しようとして言ってんじゃないですよ。その出てきた、絶対に将校はその作業につかなくていいんだ、という筋道をきちっと守って、独房からフラフラになって出てきた将校を、その他の兵士が拍手で迎えた。よーやった、と。非常にわたしはびっくりしたと同時に感動した場面でしたね。

 たぶん、今、言ったように日本の兵隊が捕虜になったら、「何言ってんだ、お前だけサボっててふざけんな」というような類(たぐい)の話になってたんだろうと、その本を読むと想像できますが。その「戦場に架ける橋」「クワイ河マーチ」というのは、そういう、まあ日本を軽蔑した映画だというような、つまらん論評は別にして、私はそこに非常に感動した。なぜ、この違いが出てくるんだ、と。それは、いわゆる帝国陸海軍、この規律・空気、これは結局、天皇陛下の名を借りてですけれども、上から与えられ、押さえつけられた結果で、それを守ってきた。だが、イギリスのほうはそういじゃない。自分達でつくった国であり、自分達の意志でもってつくった軍隊であり、また、組織、階級であった。自分たち自身のものなんですね。

 だから、祖国愛も、その祖国のために戦う軍隊も組織も、みんな自分たち作りあげてやっているもんなんだから、それは、守らなくてはいけない。たとえ捕虜になっても、というのが、私は彼らの意識ではないかな、というふうに思いましてね。非常にその映画に、その部分ですよ、その面において感動したことを今もって忘れてはおりません。ですから、私はそういう意味で、家族愛で始まる郷土愛、祖国愛、愛国心というものは、そういう本当に自分たち自身の心の中にうまれるものでありますし、また、社会、国は自分たち自身の社会であり国であると。それが自立心であるという民主主義の基本の意識が徹底していると、ということを私は学ばなくてはならないと、いうふうに思っております。

 私はイギリス人は、まあ好きじゃないんですけども、ええ、散々悪いことしといて、なんかあの紳士ヅラして済ましてますから、好きではないんですけれどもその知恵とね、やはり自分たちの自立心と、そういうものがね、やっぱりその知恵と自立心は、七つの海を支配しただけの民族だと思ってますね。あのアメリカの連中と話した時もね、時々話すとね、なんで、そう君らはそう単純なんだと、本家のイギリス人に少し学んで来いって言うんですけれども、僕はアメリカ人は好きですけれども、どうもね、単細胞なところがありまして、ダメなんですが、我々は、いわゆる他山の石、やっぱり、いいところはキチンと学ぶという面が、自分自身の研鑽につとめ、また、自分自身を作り上げていかなくてはならない。その基本が私は人づくりと、広い意味での教育でありますから、今こそ、急がば回れ、本当に今後のことを考えた時に、この人づくりということに、もう一度、思いをはせなければならないじゃないかと思っております。

 日本のね、家庭教育の崩壊もそのとおりですけれども、戦後の学校教育のあり方も、その資料にもありますけれどね。(教育勅語は入っているな)地方自治体の教育行政に関するうんぬんという法律があるんですがね、そこには、市町村が全部責任を負うということが書いてあるんです。ところが次の章の48条かな、23条に市町村の役割ということが書いてあって、次の章の48条には今度は文部省の権限等ということが書いてある。ほとんど同じ内容で、文部省はこれについて、指導、監督、援助することができるということになってる。これ、金もってますから、金は中央でもってるわけですから、結局、文部省の言うとおりの、まあ、言うとおりっちゅうか、いちいちつまんないことまで全部口を出すという今の官僚組織のしくみ、そのものになっている。ところがこれ歪んでるんですよね。何か起きた時は、責任は市町村だと法律に書いてあるじゃないかと、何か起きれば文部省は逃げる。で、市町村も、そんなこと言われたって、文部省の言うとおりやってるだけじゃないかと、どちらも責任とらない、とれないという、法律から始まって教育のしくみなんですね。

 これは、あらゆる行政省庁でも皆そうですね。法律だけじゃなくして各行政、省庁は、省令は勿論出しますし、通達とか、なんとかかんとかっていって、いろんなかたちで自治体はじめ、各社会、産業分野の隅々にまでコントロールをするようにしてあるのは、今日の仕組みなんですけれども、特に、この教育の全くおかしな歪んだ仕組みは、ずっと戦後そのままになっている。ということが私は一つの学校教育で言えば、一つの大問題ではないかというふうに思っております。この教育につきましても、民主党は民主党なりの考え方を日本教育基本法の中にも入れておりますし、私ども、さっき言った自由党の時代にも「人づくり法案」として提案しておりますけれども、いずれにしてもこのことを、今日は特に9期生の皆さんは、これでおしまいですので、このことをお話したいと、そう思って申し上げたところでございます。

 まあ、私も子供もいう事を聞かないし、もう勝手にやってますが、親の資格はないですけども、人様に迷惑かけなけりゃ、もう勝手にやれと、言っております。どこに就職して何してんのか、よくわかりませんが、今のところどこからも苦情がきてませんので、自分自身で生きてるんだろうと、そう思って私は、その点では安心をいたしております。本当にこの政治塾で、ずっと前に申し上げたことはあるんですけれども、今日はこの機会にと思って、教育、人づくりのことについて申し上げました。皆さんもだいたい人の親の、大部分そうであろうと思いますけれども、まあ、今、子育てがどうのとか、いろいろありますけれどもね、まあ、当たり前に自然に自分自身がちゃんとしてればね、子供は育つ、子は親の背を見て育つ、とまあよく言いますけども、一所懸命、真剣に真面目に生きる、ちゅうことが教育、子育ての根本ではないかと、いうふうに思っております。もうちょっと政治制度、政治学的な、あるいは世界政治の話でもしようかなと思ったんですが、それはまた、質問の時にでも・・・まあ、あの厳しいまマスコミの皆さんのいないとこで、皆さんの時間のある限り議論したいと思いますので、この場はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。


【8.25日夕刻の鳩山―菅会談】
 8.25日夕、鳩山氏が「菅vs小沢」のガチンコ対決が引き起こす党分裂危機を避けるため、首相官邸を訪れた。鳩山氏は「小沢氏は参院選敗北後の責任のあり方や『脱小沢』路線を快く思っていない。小沢氏に協力を求めたいなら、真剣に協力を求める姿勢を示すべきだ」と、路線の修正を申し入れた。しかし、菅首相は拒否した。さらに「小沢さんの了解がなくては何も決められないのは良くない」と脱小沢を強調した。「参院選後、謝罪を含めて面会を申し入れたが、なかなかお会いすることができなかった」と恨み節をもらし、「どういう協力を求めるか、なかなか難しい」と渋った。結局、鳩山氏のロシア帰国後、改めて相談することにしたが、「事実上の決裂」(首相周辺)だった。こうして、菅首相はあえて全面対決の道を選んだ。

【8.26日の動き】

 8.26日朝、民主党の小沢一郎前幹事長は、東京都内で鳩山由紀夫前首相と会談した。席上、鳩ヤマ前首相は、25日夕に菅直人首相と面会した際のやりとりなどを小沢氏に伝えた。これを受けて小沢氏は、「同志として協力が得られるならば出馬したい」と述べ、9月1日告示、14日投開票の党代表選に立候補する意向を表明した。記者団に語った内容は以下の通り。

 「今、鳩山総理と、前総理とお話をして参りました。鳩山総理からは、前総理からは『お前が代表選に出馬を決断をするならば、自分としては全面的に協力し、支援していきたい』というお話をいただきましたので、今日ただいま、鳩山前総理の前で、不肖の身でありますけれども、代表選に出馬する決意をいたしました。今後ともよろしくお願い致します。後で、今日は、ちょっと……」。
 これにより、民主党代表選は菅首相対小沢前幹事長の対決構図が確定した。党を二分する激しい選挙戦となるのが必至だ。これまで菅首相支持を表明してきた鳩山氏は記者団に次のように語った。
 「03年の民由合併の時からの同士としての協力が得られるなら出馬したいと仰られた。私の一存で小沢先生には民主党に入っていただいた。その経緯からして、私としては応援をする。それが大義だ。(首相が頻繁に交代する事)より良い国になれば当然評価は変わると思います。(政治と金の問題)小沢先生がそのようなことを背負いながら、しかしそれでもこの国のために行動しなきゃならないと決断をされたという事でしょう」。

 かく小沢氏支持を明言した。鳩山氏はこれまで、菅首相の続投支持を公言してきたが、「首相を民主党の一議員として応援するのは当然だという意味で言った」と事実上撤回した。また、「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏が立候補する是非については、「自分自身の問題がありながら、国のために命を賭けたいと決断した。ご自身がそのことはしっかりとなさる」と述べた。さらに、小沢氏が勝った場合に政権交代から約1年間で首相が2回交代することについては、「よりよい国になれば、(国民の)評価は変わる」と強調した。

 小沢氏は会談後、鈴木克昌、松木謙公の両衆院議員ら小沢氏直系の議員グループ「一新会」の幹部を都内の個人事務所に集め、「挙党態勢ということで菅さん側に話をしてきたが、全く受け入れられなかった。国の危機を打開するためにも、立候補することにした」と語った。会長の鈴木克昌衆院議員は「一丸となって支援していく」と述べた。 「政治とカネ」の問題などを抱える小沢氏の立候補について、側近の松木謙公衆院議員は記者団に「小沢政権ができたら支持率は低いかもしれないが、政権公約を実現することによって国民が幸せを享受できる」。別の若手衆院議員も「小沢氏は『挙党一致』を主張するだろう。党内の支持はある程度広げられる」と自信をみせた。小沢氏は横路孝弘衆院議長、西岡武夫参院議長ら党内の主な実力者に電話で協力を要請。羽田孜元首相とも会談し、支持を取り付けた。今後、鳩山、旧社会、旧民社、羽田の各グループへの協力要請を行い、今週中にも記者会見して正式表明する見通しだ。小沢氏は、代表選では消費税と普天間飛行場移設問題を争点に掲げる構えだ。

 一方、菅首相は、首相官邸で開かれた当選1回の衆院議員らとの会合で、小沢一郎前幹事長について「小沢さんが出馬の意向を固めたとの報道を受け、次のように語った。

 「 小沢先生が立候補の意思を固めたとの報道があり、私は本当に大変いいことだと思ってます。民主党は何回も代表選を繰り返したが、それで分裂したことは一度もありません。小沢先生にも大いに発言していただき、私も改めて決意を国民、党の皆さんに明らかにしたい。正々堂々と戦った中で決まったリーダーが、大きなリーダーシップを発揮していくことができる。私自身、代表選でどういう日本をつくりたいか、全国民の皆さんに訴えてまいりたい。再選していただいた時は、本当に命をかける覚悟で、総理として代表としてすべての時間をそれに費やす覚悟で臨みたい。薬害エイズの時、厚生省の役人が役所を守るために大勢の国民の命を失うことを放置した。こういう霞が関、日本の構造を根本的にまず壊す。壊す中から新たな建設を皆さんとつくり出したい。この覚悟で皆さんの激励に応えたい」。

 民主党の小沢一郎前幹事長の党代表選への立候補表明に、菅直人首相の再選を支持する議員らの間に26日、驚きと衝撃が広がった。仙谷官房長官は首相官邸で記者団に「全然聞いていない」。首相側近の荒井国家戦略相はうつむき加減で「びっくりしている」と語った。玄葉政策調査会長は「代表選より予算の方が大事だ」と平静さを装うが、ある省の政務三役の一人は「ガチンコ勝負になった。仕事にならない」と嘆いた。首相側近は「首相は完全にファイティングポーズだ。『この代表選は、民主党が本当の民主党になれるかの分水嶺(ぶんすいれい)だ』と思っている」と対決姿勢。菅首相を支える議員グループの若手衆院議員も「望むところだ。堂々と戦う。小沢氏と手を握った瞬間に菅氏は終わりだ」と息巻いた。別の側近議員は「3カ月前に責任をとって(幹事長を)辞めた人が立候補するというのはいかがなものか」と小沢氏を牽制(けんせい)した。ただ、小沢氏は党内最大勢力を率いるだけに、グループ内からは「最悪の事態だ。民主党崩壊の始まりだ」(ベテラン)と党分裂への懸念も出ている。首相周辺も「首相は負けないと思うが、心配なのはその後。小沢氏をどう処遇するか」と漏らした。

 前原誠司国土交通相、野田佳彦財務相のグループが支持を表明。30日にも各グループ幹部らで構成する選対本部を設置する予定。ただ、鳩山氏が小沢氏支持を表明したことで、鳩山グループの動向が焦点になってきた。独自候補を模索する旧民社党系や旧社会党系は態度を決めていない。各グループ内で支持が分かれることも予想され、党員・サポーター投票も実施される代表選の勝敗は予断を許さない状況だ。


Re::れんだいこのカンテラ時評785 れんだいこ 2010/08/26
 【「小沢遂に起つ」考】

 2010.8.26日、小沢が遂に「起った」。最後まで優柔不断ぶりを見せていたが、この日午前の鳩山事務所での小沢-鳩山会談で、「前日の鳩山―菅会談」の報告を受けた直後、意を決したようである。菅首相サイドの高飛車な態度が、伝書鳩交渉の任に就いた鳩山前首相の態度まで硬化させ、小沢の決意を誘引した模様である。読みの甘い菅首相は今のところカラ元気を見せているが追って総スカンを喰らうであろう。これを予言しておく。伸子夫人よ、早く菅を官邸から連れて帰れ。

 さて、「小沢起つ考」に入る。小沢は遂に民主党代表取り、首相取り決選に向かった。これを史上に例えると西南の役に於ける「西郷起つ」に匹敵しようか。かの場合には、西郷ドンは幕末維新の如く知略尽した獅子奮迅の働きをせず、単に神輿に乗り戦地に向かった。そして勇戦の挙句散った。敢えて負け戦にした気がする。それは、日本の植民地化を虎視眈々と狙う国際金融資本帝国主義の策謀を見抜き、内乱の危機を回避した為と思われる。故に、全国の志士を糾合し死闘戦に持ち込めば勝てる戦を勝たずに「滅びの美学」に殉じた。れんだいこは、そう解釈している。しかし、やはり西郷ドンの「滅びの美学」は間違いだった。

 その後の日本を見よ。西南の役後の日本は国際金融資本帝国主義にワシ掴みにされた。早速に好戦政策に向かわされ、幕末維新が指針させていたアジア圏の平和共存構想を粉々にした。朝鮮人、シナ人に対する蔑視はこれより増幅された。日本は養豚的に日本帝国主義化させられた。これに呼応する売国奴勢力が生まれ、地位と権力が与えられた。そして使い捨てにさせられる。

 日本帝国主義は台湾、朝鮮を併合し、義和団事件鎮圧、シベリア出兵、中国大陸への軍靴の乗り入れ、満州建国、更なる中国大陸各所への侵略に向かう。次第に国家予算の過半を軍事に使うようになり、これを補うための軍事国債が刷られ、これをスポンサーするのが国際金融資本帝国主義と云う構図になった。その挙句に権益紛争となり第二次世界大戦に引き込まれ、日独伊三国同盟で対国際金融資本帝国主義戦争に向かうことになる。日本帝国主義は、遅咲きの大東亜共栄圏を吹聴してみたものの歴史的形勢利あらずで次第に戦局不利となり、敗戦を余儀なくされた。

 この戦争をどう読みとるべきか未だ議論が尽くされていないが、はっきりしていることは、戦後、殊のほか日本軍の残虐非道ぶりが指弾され、逆に戦勝国側の非道ぶりは免責されると云う国際金融資本帝国主義サイドの「勝てば官軍式反戦平和論」ばかりが奏でられることになったことであろう。日本左派運動の反戦平和論もこの域を出ていない。それが証拠に日共の不破式第二次世界大戦論を聞いてみれば良い。民主主義対ファシズムの闘いであったと臆面もなく吹き続けている。この無茶苦茶な歴史観が訝られずに通用している。

 だがしかし、全国各地の主要都市が空襲され、広島長崎には原子爆弾による市街地全面廃墟と云う状態から始発した戦後日本は奇跡的な復興を遂げた。それは世界の羨む日本民族の能力を証した。日本は続いて高度経済成長を迎えた。戦後日本の総路線である軍事にカネを使わず内治に励むと云う申し合わせに則り、公共事業による社会基盤整備を押し進めた結果の発展であり有能政治の賜物だった。この善政が、1970年代の田中角栄―大平正芳―鈴木善幸政権を最期に潰えさせられ今日に至っている。戦後善政の終焉は、国際金融資本帝国主義の策謀による。決して偶然だとか文明の爛熟によるものではない。

 1980年代初頭に中曽根政権が登場し、「戦後の総決算」なる名目の下に反動が始まり今日まで至っている。この間の日本は、国際金融資本帝国主義にレイプされ続けていると看做すべきであろう。戦後日本が営々と蓄えた国富が順次むしり取られつつ今日に至っている。これに群がる売国奴こそ真の利権屋であろうが、検察のメスはここには向かわない。この手の真の利権屋が拡声器で利権批判をするものだから始末が悪い。女、子供には分からない政治の仕組みである。

 既に国際金融資本帝国主義のエージェントと化している検察は、経済活動の派生的利権に対して殊のほかメスを入れる。マスコミがこぞってこれをエールする。この捜査はエージェント派には向かわない。土着型の戦後ハト派系政治家をターゲットにする。これにより内治主義の鏡であった官民共同式経済政策が大きく支障され奇形化されることになった。今日、過度の建前社会、規制強化管理社会が到来しているが、この奇形化の定向進化と看做すべきであろう。こうして、現代日本は、何をするにも息苦しい不自然な高度自殺社会になってしまった。役人が、期待されている本当の仕事をせずにお茶濁しの仕事に屋上屋を重ねる消耗な仕事に専念させられることになった。この悪弊が今日本全土を覆っている。

 もとへ。かの時、西郷ドンが「滅びの美学」に殉ずることなく回天事業に向かい、あるべき日本を起ちあげていたなら、タラの話ではあるが、その後の日本は一味違っていたのではなかろうか。今日のような日本にはならなかったのではなかろうか。とはいえ、こういう夢想は何の意味もないので、実際に成ったところから発想しよう。よって、西郷ドンの話はお仕舞い。小沢ドンの話をする。小沢ドンは、「勝ちの美学」に向けて全力を尽くさねばならない。そして日本を再興せねばならない。これが、小沢ドンに与えられた歴史的使命である。仮に途上で暗殺されても政治家の本懐とすべきだろう。

 小沢は、師たる角栄政治を乗り越えよ。かの時とは幾分か情況が違っている。しかし、角栄政治路線を継承するのが良かろう。まもなくマニュフェストが打ち出されるであろうが、内治重視を掲げ、公共事業を振興せねばならない。但し、要不要の精査を厳しくせねばなるまい。所要投資金額を適正化せねばなるまい。かの時と決定的に違うのは赤字国債の累積債務である。これに何とか英明に対処せねばならない。社会の冗費節減、民間活力の向上、地球環境整備に向かわねばならない。要するに健康な社会にせねばならない。在りし良き日の助け合い社会を再創造せねばならない。子供の政治を断ち切り大人の政治に再転換させねばならない。

 ここまで書いて思った。「小沢が遂に起った」。それは良いのだが、いわゆる反動派がどういう汚い手を使って潰しにかかるのかである。既に御用マスコミの生態は満天下にしれるところとなっている。これがネット効果であろう。これにより、彼らの言論が狡猾になるのかと思いきや、バカ丸出しの御用弁論を余計にぶつと云う痴態を見せている。れんだいこの見るところ、野球やバレーや歌手上がりの政治が分からん者に発言の機会を与え、シナリオ通りの弁論をさせると云う芸風に転換しつつある。いずれテレビ局に猛抗議が始まるだろう。危機の時にこそ牙が剥かれる。つまり牙が見えてくる。事象、事件で見るのも良いし、誰がどの党がどう動き立ち回るのか見守るのも良い。友が友でなく、友でないものが友であったと云う逆様相も見えてくる。これらを興味深くウォッチしよう。

 小沢が起ったことで、久しぶりに政治に活況が戻った。これが小沢効果であろう。日本政治に起こることは、政治のカタとしてアジアに波及する。当然逆もある。この注視の中で、小沢の王手が始まった。いや小沢は囲碁六段なので、ここ一番の絶妙のキリを入れたと云うところだろうか。麻雀で云えば役満をテンパッタと云うことになろうか。面白いではないか。固唾をのんで見守ろう。いやこの政局流動に参加しよう。時代と共に生きる、これほど生きている証はあるまい。

 2010.8.26日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評786 れんだいこ 2010/08/27
 【「燕雀の鴻鵠論を嗤う」】

 「小沢起つ」の報を受け、志ある日本人民大衆は安堵し決意を固めたが、我らがマスコミ諸氏は頑迷が過ぎる。相も変わらず売文売弁呪文を繰り返している。8.26日付け朝刊では「起てない小沢」を揶揄し、小沢が起ったとなるやカエルのツラにションペンで、翌8.27日付け朝刊では何食わぬ顔して「刑事被告人容疑者小沢論」を振りまき叱責している。これを確認すると、27日付主要6紙は、小沢の出馬表明について、次の社説を掲げている。▽小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない(朝日)、▽民主党代表選 大義欠く小沢氏の出馬(毎日)、▽小沢氏出馬表明 日本の針路を競う代表選に(読売)、 ▽国の指導者に不適格だ(産経)、▽主導権争いだけの党代表選なら不毛だ(日経)、▽「国のかたち」こそ争点だ(東京)。平素云うところの「報道の公正」をかなぐり捨て、燕雀( えんじゃく)式正義論を振りかざしている。これはペンの暴力ではなかろうか、許されることだろうか。確認すべきは、しかも各社各紙がなべて均一の反小沢論を唱えていることである。これは果たして偶然だろうか。

 れんだいこにはすぐ解ける。一つは、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義派の筋書き通りにプロパガンダしているに過ぎないと云うことである。つまり、マスコミ上層部は国際金融資本帝国主義派のエージェントで占められており、まともな評論をする意思も能力も持ち合わせていないということである。もう一つは、燕雀故の矮小正義論を奏でるしか能がない連中であるということである。この二要素が混ざってピンボケ評論、反動評論を垂れ流しし続けている。この習性は既に治癒し難しであり、我々が和製アルジャジーラ放送局、新聞を創り出さない限り処置できまい。

 こういう連中が年収ン千万円を手にしながら駄弁を貪っている。これを逆に云えば、売文売弁の見返りとして高額報酬にありついている。この生態こそ不正義ではなかろうか。官僚の不正を批判するのも良いが、同じメジャーで手前らも計られねば不公平と云うものだろうに。マスコミ問題は、政権交代永続革命の或る段階で俎上に乗せねばなるまい。

 それは何も政権交代革命を支持するとかしないのかを尺度にはしない。右であろうが左であろうが擁護派であろうが批判派であろうが構わない。肝要なことは、言論が真に言論足り得ているのかである。これを精査せねばならない。低レベルの言論にはそれに相応しい待遇でなければオカシイ。売文売弁で高給与待遇している不正を撃たねばならない。問われているのはまさしく「言論とカネ問題」であり、重みは「政治とカネ問題」と等価である。手前たちを自省せぬまま云いたい放題する精神はサモシイと云わねばなるまい。

 そういう手あいの燕雀頭脳が、小沢代表選出馬の背景事情として、検察の訴追を免れる為に小沢が出馬したなる珍論を振りまいている。確認するだにバカらしいが、小沢は憲法75条の「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない」の適用を求めて、御身保全の為に民主党代表になり首相になろうとしているなどと講釈している。

 子供騙し論に過ぎないが、と云うより頭がオカシイのではなかろうかと思われるがシラフで説いているから可笑しい。これが日本ジャーナルの水準だと云うことになる。悪いことは云わん、今からでも遅くない、高給部分を返上するなり、れんだいこの推奨するカンパ先へ救援せよ。貧相評論―高給待遇は犯罪である。国際金融資本の言論買収政策である。

 鴻鵠(こうこく)の志を知るには、その言、立ち居振る舞いをそのままに見るべきである。下手に己の甲羅に合わせて理解せぬが良い。同じ鴻鵠の士であれば自然に意が通じるものだ。そういう訳で、れんだいこが小沢の心情を確認しておくことにする。小沢は遂に西郷どんの心境に立ち至ったことについては既に述べたので繰り返さない。もう一つは、どうやら殉教の旅に出た感があるので、これを確認しておく。

 小沢は、立候補声明前日の8.25日午前、東京・新宿の日本青年館で開かれた「小沢一郎政治塾」で約1時間30分講演した。塾生約60人、小沢グループの国会議員約50人を前に次のように弁じている。(日々坦々さんが全文書き起しが阿修羅で転載されており、読ませて貰った謝謝)

 小沢は、恐らく訥々(とつとつ)と語りかけている。いきなり日本精神を掲揚している。右翼的な日本精神論に於いてではなく土着縄文的な日本精神論を語っている。現在の日本人の精神の荒廃、日本人の劣化を嘆じ、「自立した日本」の再確立の必要を説いている。これに関連して教育を重視、人づくりによるモラル、美徳の涵養を語っている。日本にはかって素晴らしい文化、社会があったことを指摘し、その毀損を憂いている。それは何も日本だけではなく、かってのアメリカ民主主義にもそのようなものがあったとも指摘している。

 ここから話を次のように繋げている。「ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえないと思ってたアメリカ社会、黒人の大統領が誕生した。しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。リンカーンもそうですし、だから、黒人が候補者に出たら必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ事前にはずっとあったんですね。だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて歴史上はじめて彼らは選択した。私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と、そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されているということについて非常に高く評価をいたしておるところでございます」。

 この発言は異例ではなかろうか。小沢は敢えて、アメリカ史に於ける大統領の暗殺に言及している。小沢にそう云わせた背景を忖度(そんたく)すべきではなかろうか。この弁は、小沢が暗殺される可能性、危険性を承知していることを示唆している。小沢は、それでも起った。

 その他、第二次世界大戦時の捕虜の行動パターンに於ける日米英の兵士の差についてわざわざ論じ、映画「戦場に架ける橋」のイギリスの捕虜の毅然とした態度に言及し、「感動した場面でしたね」と述べている。イギリスとアメリカを採り上げお国柄を際どい表現を使いながら論じている。

 小沢は、この講話で何を語っているのか。あるいは語ろうとしているのか。れんだいこには、今後の日本の在るべき指針を示唆したと理解する。それは「小沢一郎政治塾」参加者に対してだけでなく、小沢を注視している国際金融資本帝国主義の知恵袋と裏対話していると看做す。文明論を語ることで間接的に大人の付き合いをしようと呼びかけていると窺う。彼らは、尻尾を振って付いて来る者には上手にアメとムチを使うだけで敬意を払わない。尻尾を振らない者に対しては却って丁重に取り扱う習性がある。但し、容赦ならずとした場合には始末する癖がある。小沢は、このことを百も承知で、歴史に身を預けた感がある。小沢が起つまでの優柔不断は、この決意の確認の為に要した時間であろう。

 こう窺うのが鴻鵠論である。それをよりによって、御身保全の為に首相になろうとしている論を得々と説くとは。穴が有れば入りたいでは済まないだろうに。仮に今後小沢が暗殺されたとしたらどうなるのか。燕雀は、御身保全を求めて首相になろうとして殺されたと揶揄するのだろうか。れんだいこは、「御身保全式代表選立候補論」を説く者に対して即刻辞職を命ずる。菅御一行様として最低三カ月のお遍路廻りを命ずる。頑迷にも治癒しない者には所払いを命ずる。

 最後に確認しておく。小沢的有能にして初めて現代政治が執り行えるのであって、このところの首相のお歴々の頭脳ではとても立ち向かえないと云うことであろう。小沢は、1980年代以降久方の日本政治が生み出した頭脳である。現代政治家の囲碁棋力№1としての六段は伊達酔狂のものではない。三段程度の菅の頭脳の及ぶところではない。「暫く蟄居しておけ」なる言は無礼にもほどがあろうぞ。政治を弄ぶ者は政界から去らねばならない。日本にはそういう余裕がなくなっている。小沢と菅では格が違う。まずはこの確認から始めなければならない。

 2010.8.27日 れんだいこ拝

【菅派の消費税増税同盟の動き考

 「代表選で負けた場合、脱党して自民党と消費増税で手を組むことを考えているのではないか。首相指名選挙で選ばれて逆転というシナリオだ」。首相は参院選のマニフェストで自民党案に乗り、消費税10%への増税を表明。自民党はもちろん、公明党も消費税を含む税制抜本改革を掲げており、衆院で消費税増税を掲げる会派の議員数は計約150人。首相指名での逆転には90人強の人数が必要だが、首相再選を支持する菅、野田、前原の各グループで計約120人。グループに属さない議員や1回生議員も囲い込んでいる。


Re::れんだいこのカンテラ時評787 れんだいこ 2010/08/28
 【小沢再登場の合理性考】

 2010民主党代表選が「菅対小沢の一騎打ち」になるや、マスコミの小沢パッシングが又一段と激しくなった。この連中は、「政治とカネ問題」を執拗に論(あげつら)うが、「言論とカネ問題」で買収供応されている国際金融資本エージェントであることが次第に周知されつつある。そう云う訳で「為にする批判」を繰り返しているのだからしてまともに付き合う必要はないのだが、これに誤魔化され一定の影響を受ける者も見受けられるからして、適宜な批判をしておかねばならない。

 「御身保全式代表選立候補論」のナンセンスについては先のブログで言及したので、ここでは「蟄居した筈なのになぜ再登場したのか叱責論」について検討しておく。結論は、小沢は好き好んで再登場したのではなく、歴史的要請に応えて再登場したのだと回答しておこう。以下、簡略にこの流れを確認しておく。

 鳩山首相は、政権末期に於いて各所に無能を呈示し、これでは参院選が戦えないとする党内ブーイングが強まった。それまで党務専念で政務に口ばしを入れないことを旨として来た小沢幹事長は、その圧力に押されて官邸に談判に向かった。その結果、ツ―トップ同時辞任となった。この流れを見れば参院選対策が主因であったことが分かる。後継した菅政権は「小沢的なるもの排除」を露骨化させ、それが支持率をアップさせるという形で出航した。この勢いで参院選を迎えたが、これに見事に勝利しておればツ―トップが再登場することもなかった筈である。

 ところが、参院選に突入して菅政権が為したことは、何ら持ちだす必要のない消費税10%値上げ論であった。それは党内議論を経ぬままの官邸独裁の形で発表されプロパガンダされて行った。候補者は面喰い防戦一方を余儀なくされた。菅政権は党内ブーイングを受け底辺生活者救済に言及し始めた。が、あちこちで年収制限を云い換え、やれ300万円、350万円、400万円ボーダーライン説を飛び交わした。同じ口からのデマカセ発言であったが、果たして健忘症によりこういうチグハグ発言になったのだろうか。意図的故意のデタラメ発言と捉えるべきではなかろうか。これが有権者の怒りを誘った。昨年の衆院選では自公政権にお灸を据えるとした有権者は一気に民主党にお灸を据えることに転じた。これにより参院選挙は惨敗した。

 この惨敗は、明らかに仕組まれたものであった。つまり、先の参院選は八百長選挙であった。なぜなら、消費税10%値上げ論の突如の持ち出し、年収ボーダーラインの次から次への云い換えが不自然過ぎるからである。民主党が負けるようにシナリオされ、菅首相がこれに乗ったと見るべきであろう。そういう目て見ると、鳩山は坊ちゃん政治であったが、菅はピエロ政治のように映る。鼻に大きな赤い玉を乗せ三角帽子を被れば似合いそうである。

 しかも、菅政権は、選挙結果に対して何一つ責任を取らなかった。仮に首相引責にまでは及ばないとしても、せめて幹事長は責任を取るべきだった。仮に幹事長引責にまでは及ばないとしても、せめて選対責任者は責任を取るべきだった。仮に選対責任者引責にまでは及ばないとしても、せめて落選閣僚は交代させるべきだった。驚くことに菅政権は何一つ対応せず、あろうことにその舌で9月の代表選出馬を宣言した。菅の政治履歴にこういう醜態が刻印されたことになる。普通はオワである。

 菅政権は、鳩山政権の命取りになった普天間基地移転案としての辺野古案に対してもあっさりと受け入れを表明した。2009衆院選公約のマニュフェストに対しても一たびは実現させ、後に軌道修正するのならともかくも、やらぬ前から早々と見直しを公然化させ始めた。こうなると一事万事であるからして、菅の約束は全てが空約束と受け止めざるを得まい。政治の不信極まれりではなかろうか。

 この菅政治を見て、先に辞任したツ―トップが動き始めた。参院選対策として辞任した結果が参院選に敗北し、鳩山政権時には配慮されていた挙党態勢が壊されて片肺飛行化し、マニュフェストの改竄が公然化し始め、消費税10%値上げ論が出したり引っ込められたりする。菅政権登場以来3カ月を超すが、景気浮揚上の有効な政策の何一つが打ち出されず、官邸内で熱い議論がされている風もない。これを見て、党内が菅政権不信任の動きを強めたとして、それは健全であっても逆ではなかろう。故に、ツ―トップの再登場は致し方ないと受け止めるべきであろう。

 この党内ブーイングの與望を担って小沢が遂に起った。かって一度は首相を掌中にしていたのを断った小沢が、こたびは迷いをふっきって政権取りに向かったことを意味する。これが今日までの経緯である。どこに叱責されねばならない謂われがあろう。政治をマジメに考える者なら等しくエールを送る話ではないか。これを逆に説き、我らを説教するマスコミの御仁とは何者ぞ。

 マスコミは執拗に「政治とカネ問題」を持ち出し、小沢の失格性を論う。しかしながら、云われているところの秘書寮建設問題では検察が起訴できなかった。つまり、相当無理のあるコジツケ捜査であったことになる。ならばと得体の知れない勢力か告発し、検察審査会がこれを受け、マトモな議論を経ぬまま政局の節目ごとに起訴相当だの不起訴不当だのを出し続けている。つまり政治利用されている。マスコミ諸君は、この間の攻防書面を読解する能力がないのか、為にする批判であるから目を通す必要もないのか、相変わらず十年一日の如くの破れ太鼓式「政治とカネ問題」を吹き続けている。

 検察以上に検察的に小沢疑惑を奏で続けているが、これは決してマトモではない。冤罪の可能性ある者を弁護するのではなく、冤罪承知で犯人扱いしようとしている。これが昨今のマスコミのペンの正義である。後世の史家がブゼンと判ずることになろう。これに関わった者はペンの責任を取れ、これがれんだいこの申し渡しである。この変態は、ロッキード事件以来の悪しき伝統であるというのが、れんだいこ史観である。以上、「小沢起つ」の歴史的合理性を説いたつもりである。

 もう一つ、云いたいことを添えておく。れんだいこは、民主党の政権交代前の小沢、鳩山、菅の立ち位置について、漠然とながら左から見て菅> 鳩山> 小沢と見ていた。しかしながら、今はっきりしたことは、小沢> 鳩山> 菅だと云うことである。何の事はない、保守系の権化のようにみなされている小沢の方が左派的で、菅が一番右寄りと云うことが判明した。菅は鳩山よりも右ということになる。してみれば、1970年代の市民運動のベ平連運動とも違う形で発足した社民連運動は本質的に右派系市民運動であったということになる。今我々は、そのなれの果ての菅を首相として見ていることになる。どうでもよい御仁ではなかろうか。その菅が格別に登用している仙石、枝野にしても、仮に履歴上は左派系だとしても同じムジナのペテン連中と云うことになろう。

 2010.8.28日 れんだいこ拝

 阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK93」の亀ちゃんファン氏の2010.8.28日付け投稿「小沢一郎の「一誠」 (Aobadai Life)」を転載する。
 http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10632180099.html
 2010年08月28日(土) 07時23分25秒

 小沢一郎の「一誠」

 「百術は一誠に如かず」。小沢一郎の座右の銘である。どれほどの権謀術数をはりめぐらしたところで、結局は、ひとつの誠意を貫くことに、かなうものはない。裏切り、孤独、恐怖、誘惑、夢、理想。それこそ、人間社会のあらゆる場面が凝縮された政界で、40年に渡って生き抜いてきた小沢一郎にとって、本当に大切にしているものは、そこなのだろう。

 マスコミはプロパガンダで、小沢には政策がなく政局ばかりだ(元はナベツネ発言)とか、権謀術数だけに生きているドス黒い政治家だとか、もともと本人も、口ベタなうえ、けして、華やかな顔つきではない。そこにレッテルを貼ることで、小沢はマスコミとって、都合のいい、いじめの対象になっていた。いや、そもそも「既得権益の破壊者」であることが、公共の電波を寡占し、再販制度に守られて、暴利をむさぼってきた。マスコミからすると、恐怖の対象なのだろう。

 さて、私も含めて、熱心に小沢一郎を支持する人間にとっては、いったい彼のどこに、惹きつけられるかというと、「剛腕」と称される手腕でもなく、老獪な権謀術数での頼もしさでもなく、結局は、「百術は一誠に如かず」という彼の生き方に対してなんだろうと思う。

 小沢一郎は、ぶれずに、大局観をもって、戦後、アメリカの属国として、自立できなくなった日本の国を、なんとか「普通の国」に戻そうとして、一貫して、政治活動を行ってきた。そのぶれない姿勢に対して、熱心な小沢支持者は共感するのである。とくに日本の政治では、平気で公約が裏切られる。自民党の政治家はいうにおよばず、平和と福祉が党是であったはずの公明党も、小泉政権において、イラク戦争における自衛隊の派遣、各種社会保障の切捨てに加担をした。もともと市民運動家で、社民連から政治家人生をスタートさせたはずの菅直人も、野党時代は、あれだけ既得権益層を舌鋒鋭く批判してきたのに、当の本人が、アメリカ、財務官僚、マスコミにとりこまれ、既得権益層の守護神となってしまった。

 対して、小沢一郎という政治家は、大局観に立って視点で、ずっとひとつのことを追い求め、マスコミに叩かれ、罠に嵌められながらも、ここまでやってきたのである。「小沢は裏切らない」という信頼感が、彼を熱く支持する人たちの中にあり、その輪が次第に、次第に広がってきたのだろうと思う。小沢一郎が政治家人生を通して、成し遂げたかったものは何か。それは、日本という国に、既得権益層から、「国民のために」政治を取り戻し、アメリカの属国構造を破壊し、「普通の国」として自立をさせ、国民が自分の頭で考え、自分で参加する民主主義を定着させる

 今の日本が、根本的に抱える課題について、対処療法でなく、彼は根本治療として挑み続けているのだ。そこに、原理主義者であるとかいう批判が生まれることもあるが。彼が行っている政治活動は、まず、ここに集約される。

 小沢は「右派」から「左派」に変質したなどという批判は当たらない。単に、国民政治家として、コイズミ改革で、破壊された国民生活を、政治の使命として、そこに救いの手をさしのべるべく、

政治課題だと認識して活動しているだけの話であって、私は、田中角栄が生きていたとしても、やはり、コイズミ改革の逆コースの政策をやっただろうと思う。「右派」でも、「左派」でもなく、単に彼は国民政治家なのだ。

  小沢一郎が、「国連中心主義」から、「中国重視」に政策転換したという批判もある。これもおそらくは、アメリカという超大国に属国支配された日本にあって、どのようにして、自立を求めていくかというときに、当然、アメリカに対しての牽制材料が必要となる。それが、1990年代は、国連に権威がまだあったので、国連中心主義だし、2000年代にはいって、地域ごとの国家連携が盛んになって、また中国の躍進が目覚しくなってきたところで、アメリカへの牽制材料として、中国を活用しようとしていることなのだろうと思う。

 マスコミは小沢一郎は政局好きで、20年間に渡り、日本の政治を混乱させてきたと批判をする。しかし、今一度、私たち国民は、なぜ47才で、自民党の幹事長に就任し、権力の絶頂にあった小沢が、本来であれば、自民党にとどまることで、いろんな利権も手にすることができただろうが、彼が、同志と新生党をつくり、政界再編に動いてきたかを思い出したい。

 まず、あの時代は、ベルリンの壁が崩壊し、世界中で、冷戦構造が終わり、韓国や台湾などの軍事政権も民主化に向かい、日本と同じようにアメリカに内政干渉を受け続けていた西ドイツは、この千載一遇のチャンスをとらえて、ドイツ統一を果たし、フランス、ロシアと接近することで、アメリカの影響下から抜け出していく。

 当然、日本も55年体制と呼ばれた、アメリカの冷戦構造支配下での属国統治の仕組み。つまり、中選挙区において、社会党は、自民党を超えないように候補者数を低く調整をして、自民党が常時、与党であるように枠組みを設計し、一方でウラでは、自民党から社会党に工作資金が渡り(国対政治) 社会党はパフォーマンスで、国会質問をおおげさにやるという茶番政治。
当時の日本は、民主主義国家であるように見せかけて、
実態は、自民党以外に政権交代ができないように、そもそもの枠組みが設計されていた。

 当時、リクルート事件が起こったこともあって、日本の政界そのものを、再設計するべきだという機運と、もちろん中選挙区制で、既得権を維持しようという勢力があって、小沢一郎は、海部政権の時代から、中選挙区制度を止めて、政権交代が可能な小選挙区制度を導入し、日本の政治構造そのものを変えようと動いてきたわけだ。

 それが海部内閣が倒れ、宮沢内閣も、結局、政治改革法案をしぶったので、倒閣という流れになって、新生党や、さきがけが自民党から飛び出し、細川内閣が誕生して、55年体制に終止符をうつことになる今の政治改革法案が成立して、中選挙区制度が終わる。このことが、自民党の長老たちの怒りをかい、とくに、竹下登の怒りは大きく、マスコミ側を組織して、「三宝会」という、マスコミと自民党政治家、財界の癒着したウラ組織が生まれる。ここから、徹底的に、小沢一郎のバッシングが開始されることになる。

 その後の小沢一郎はさまよい、公明党をつかって、新進党を結成してはうまくいかずつぶしてしまったり、また、小渕恵三との話しあいによって、やはり与党に入ることが、国政改革ができるのではないかと、自自連立を組むが、そこで結局、野中の謀略にはめられてしまって、連立解消どころか、自由党は、保守党の分派活動で、分裂に追い込まれる。

 そして、その後の、民由合併、代表就任、国策捜査、政権交代、幹事長就任、一兵卒へときて、ついに、今回の代表戦で立ち上がって、首相になる望みが生まれたのだが、結局、小沢一郎が果たそうとしてきた夢は、私たち有権者が、20年前に冷戦が崩壊して、これから日本はやっと「普通の国」になれるだろうとそう思いながらも、逆にアメリカがクリントン政権以来、年次改革要望書を通じて、属国統治を強化したことで、かけはなれていたいった皮肉もあって、小沢一郎の政治人生そのものに、次第に、日本を「普通の国」にしてほしい、という夢を感情移入して私たちは祈るような思いで見てしまうのだろう。

 一方で、既得権益層は、小沢がいったい何のために、野党に身をおいてまで、その政治人生を貫こうとしているか分かるから、怖いのである。だから、このところのバッシングにおいても、個人攻撃のように、激しさを増してくる。官僚も、検察を使ってでも、なんとしても、逮捕させて、政治人生を終わらせなければいけない事情があるのである。彼らからすると、菅は、実に都合のいい政治家だ。結局、理念なんてものはなく、「首相」という肩書きがほしいだけというのがわかったから、うまく取り込んでおけば、自分たちの既得権も自民党時代と同様に担保される。それで、参院選であのような結果が出ても、菅続投を必死に煽るのである。

 いずれにしても、日本の国は、方向性を見失い、猛烈な円高にあってさえ、財務大臣は狼狽し、目が泳ぐだけで、なんのメッセージも、マーケットにおくることができないそれぐらい今の菅政権はダメさを露呈している状況だ。この状況におよんでは、白かろうが黒かろうが、日本で一番実力のある政治家に出てもらって、しっかりとこの国を立て直してもらうしかない。やはり、それは小沢一郎をおいて、他に見当たらない。

 さて、このところのマスコミ報道をみていても、マスコミは民主党議員に心理的プレッシャーを与えようと、また党員・サポーター票を世論操作で誘導できるようにと、驚くほどの一方的な、小沢一郎への個人攻撃をはじめている。そこに報道の公平性も、中立性もあったものではない。いよいよマスコミも、断末魔の叫びをあげはじめて、暴走しているといったところだ。しかし、これは小沢一郎の既得権益に対する戦いであると同時に、私たち有権者にとっても戦いである。

 その敵とはマスコミである。既得権益層がマスコミを使って、一方的に間違った情報を垂れ流すのであれば、われわれ既得権益の打破を目指す一般国民が、ブログやツイッターを通じて、真実の情報を発信しつづけるしかない。これは、「既得権益層のための政治か、国民のための政治か」を問う戦いでもある。けっして、民主党の中の、コップの中の嵐などという矮小化されたものではない。もっというと、亀井静香が月刊日本のインタビューでいったように、「これから始まるのは、対米従属一派と対米自立派との、凄絶な権力闘争なのだ」ということだ。私たちにできることは、既得権益そのものであるマスコミのプロパガンダに対して、インターネットから抵抗をしていくことである。


Re::れんだいこのカンテラ時評788 れんだいこ 2010/08/29
 【今度は「党内分裂必死論」にすがる菅派の狂態考】

 2010民主党代表選に「小沢起つ」や、マスコミ蝿が批判のボルテージを一段と高くして今日に至っている。れんだいこは、彼らの論理を一つずつ解析し、その鉄条網をペンチで取り外している。一つは、「御身保全式代表選立候補論」である。彼らの弁に従うと、何と小沢は逮捕を免れたい為に民主党代表に挑み、一国の首相になろうとしていると云うことになる。れんだいこは、誰が好き好んで身の危険も構わず成りたがるかバカ者、ヨタ話もエエ加減二センカイと怒鳴り返した。「御身保全式代表選立候補論」は、小人は小人の関心でしか理解できない典型勘繰りであり、記念物にしておこうと思う。

 次に、「蟄居した筈なのになぜ再登場したのか叱責論」に反論した。それは、菅政権が先の参院選で勝利し、その後の政局運営でもまずまずの合格点がつく場合の理屈であり、鳩山政権より酷い政治能力でしかないことが判明し、選挙敗北責任を何一つ取らず居直り、なお且つ政権にしがみ続け、政権交代時のマニュフェストを着手する前から反故にして痛痒を感じず、財政再建と云う名の日本経済破綻の道へ誘いこもうとしている時局がら、小沢が出ざるを得なかった合理性があると述べ擁護した。この見地を否定するなら誰か、参院選での消費税10%増税案の持ち出しの是非、選挙の敗北責任取らずの是非、政局運営能力の是非を論じて見よ。その論理を記念物にして展示しておこう。

 次に、今頻りと囁かれている「党内分裂必死論」に棹さしておく。なるほど党内分裂は仕組まれているからして確かに予想される。但し、問題は、菅派が離脱するのか小沢派が離脱するのかの詮議にある。まず小沢系の下野が有るかどうかを推理して見よう。れんだいこが思うに、よほどのことがない限り小沢系の離脱はない。これを、あたかもあるように説くのがマスコミである。だがしかし、党内分裂が有り得るとしたなら菅系即ち党内シオニスタンの方である。既にそれらしきシナリオが漏洩されている。

 しかし、この論法のオカシサはすぐ分かる。彼らは、2010民主党代表選に際し小沢出馬を挑発した。出れるものなら出てみよ、「政治とカネ問題」でハガイジメされている小沢は出られまい、仮に出てきたら容赦なく徹底的にいたぶってやると尊大に構えていた。ところが小沢が起つことになった。この報に接するや菅はカラ元気を口にしたものの、周りが途端に慌てだした。アングラ情報にしていた「離党対抗」の脅しを現実化せねばならない恐れが出てきたからである。頼りは検察―マスコミであったが役に立たなかった。小沢が起った以上もう振り子は戻せない。それでも「党内分裂必死論」が頻りに流されているのは最後のお願い、悲鳴でしかない。

 しかし、どう考えても、公正堂々と勝負して負けたら離党するなる論は卑怯な駄々っ子論以外の何ものでもない。手前らの思い通りにならなかったなら捨て鉢になる、何でもアリと云うのは、みっともない話である。これは悪質な独裁者特有の我がまま論理であり、民主主義の敵である。そういうレベルの御仁が日本政治を預かっていると云うことになる。こうなると、そういう子供政治を打倒する為にも「小沢起つ」の正義が際立つことになろう。

 仮に、菅派に結集したシオニスタン同盟が一斉に離党したとしてシナリオ通りには進まない。彼らの行き先が自民党へ行くのか、みんなの党へ行くのか、どこへ行くのか分からないが、こういう厄介者を受け入れる訳がなかろう。そこで政界再編成論が仕組まれる訳だが、それはそれで難事であり、梯子を外されることはよくあることである。ナベツネが得手としてきた手法であるが面倒見が悪いことでも知られている。かれこれ思えば、彼らには政権党を離脱してまでリスクを選ぶ胆力、能力はない。つまり、菅派は「党内分裂必死論」で「小沢起つ」を牽制し脅しているに過ぎないことになる。いわゆるキタナイ手を使っていることになる。云えば云うだけ男を下げ女を下げることになるが、そういうことさえ分からないほど操られている政界遊び人でしかないということになろう。

 次に、「レンボウ式衆院解散論」を指摘しておく。この怪女は今頻りに菅政権擁護の詭弁を振りまいている。しかし、これも云うだけ品を落とすだけの話である。政局安定論を唱えて菅政権を擁護しているかと思いきや、代表選で菅首相が落選するや衆院解散当然論をぶって政局不安定論を説いていることになるが、こういうのを二枚舌と云う。レンボウ式政局安定論が見え見えのマヌーバーでしかないことを晒しているだけである。

 この怪女は、鳩山政権時の事業仕訳で名を売ったが、やったことはやらなくても良かった仕事館とアニメ館を廃止し、その他将来有益な事業を狙い撃ちするかのように予算カットしただけのことである。一体、お前は誰の為に何の為に働いているのだと憤然とするのは、れんだいこだけだろうか。何を勘違いしてか既に大物ぶろうとしているが、お前の政治生命は終わった。これを託宣しておく。お前程度の口先女に政治を任せる訳には行かないのだ。小泉の小池に匹敵する菅のレンボウと位置づけ銘記しておこう。

 さて、次に何があったかな。「政治とカネ問題」では、檀公善氏の「小沢真っ白、100%冤罪、検察審査会に大打撃。石川・大久保・池田各氏も完全無罪-収支報告書を徹底検証」が名解析している。(ttp://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/316.html) 
 それによれば、「陸山会の報告書には不記載も期ずれも虚偽も無い。形式犯でも微罪でもなく、白より白い真っ白なの」とある。メディアマスコミの自称インテリは、この解析を読解できないのだろうか。その程度の頭脳が延々と小沢叩きに興じているとしたら、そのサマは狂人変質者のそれであろう。というかミジメな雇われ売文売弁しているに過ぎないことを示している。ペンを折れと申し渡しておく。

 さて、これで一応鉄条網を外した。後は正々堂々と2010民主党代表選が演ぜられることを願う。菅に残された道は急遽汚い裏取引を申し出る可能性だけである。しかし、その機会は失った。だから云わんことではない、人を追い詰めるにもほどほどにしておかねば。権力の尻馬に乗って党内の同志を叩くのはエエ加減にしておかねば。余りにもゲスな振る舞いであり品が悪過ぎる。

 いずれにせよ菅よ君では無理だ。政治ができず政局のみで遊泳する政治屋として自己形成してきたことを晒しているに過ぎない。悪いことは云わん、念願の首相になれたことを褒美として得心し、早く官邸から抜け出せ。お前の政治能力は僅か三ヶ月で食傷された。何事も引き際が肝心で跡立ちを良くせよ。濁してはならん。今度は長期のお遍路参りに汗を流せ。伸子夫人よ、連れて帰れ。それが良妻賢母の仕事だ。

 2010.8.28日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評789訂正文 れんだいこ 2010/08/29
 【新聞社説士のペンの責任を問う】

 「小沢起つ」の報を受け、雇われ言論大砲ぶりを発揮しているペンの責任を問うことにする。「小沢起つ」前日の8.26日付け朝刊の見出しと比較してみたいが、その暇がないのではしょることにする。「小沢起つ」翌日の8.27日付け朝刊の見出しは次のようになっている。朝日は「小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない」、毎日は「民主党代表選 大義欠く小沢氏の出馬」、読売は「小沢氏出馬表明 日本の針路を競う代表選に」、産経は「小沢氏出馬 国の指導者に不適格だ 『政治とカネ』で信頼失った」、日経は「主導権争いだけの党代表選なら不毛だ」、東京は「国のかたちこそ争点だ 菅・小沢氏一騎打ちへ」。その論説内容も酷似しており、衆院解散で民意を問えを基調にしている。これを論評する。

 見出しだけで判断すると、読売の「小沢氏出馬表明 日本の針路を競う代表選に」と東京の「国のかたち」こそ争点だ 菅・小沢氏一騎打ちへ」が一番マトモだ。なぜなら小沢氏出馬表明の事実を伝え、「日本の針路を競う代表選に」(読売)、「国のかたち」こそ争点だ」(東京)で意見を加えると云う最も基本に忠実だからである。中身は別にして見出しから云えばこう云える。昔はこういう伝え方だったのではなかろうか。

 朝日、毎日、産経のそれは全くナンセンスである。特に朝日の「小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない」が最もヒドイ。朝日論説士よ、一体君は何さまのつもりなのだ。政党の最高行事である党首選に出る出ないは政治家が判断する政治行為であり、マスコミに出よ出るなを意見する権限はない。読売の如く、こういう代表選にしてくれと意見を具申することは望まれているが、党首選に立候補することの是非まで意見するのはヤリスギだろう。そういう権限は誰も持ち合わせていない。戦後民主主義ではそういうことになっている。

 してみれば朝日よ、君は何の権限で、何様のつもりで偉そうな口を叩けるのだ。越権甚だしい社説と云うべきではなかろうか。政策に口ばし入れるのは構わない。政治家の行動まで縛ろうとするなら、その言論の自由の大義について弁明して見よ。できぬなら筆を折れ。政治の世界は三権分立の上に成り立っている。四権目のマスコミだけがノ―チェックの云いたい放題と云うのは制度的欠陥ではなかろうか。どうチェックするのかは難しいが、こうお粗末だと何らかの規律基準が必要とされることになろう。

 朝日は、「8.27日社説」の異常性に気付いたようである。翌日の「8.28日主説」の「菅VS.小沢―政策を競うのでなければ」で次のように訂正している。「しかしながら、小沢氏が人事で裏取引して立候補を見送ったり、傀儡(かいらい)の候補者を立てたりすることに比べれば、表舞台で正面から戦う方がまだしも、ましかも知れない」。そう、この観点ならまだしも許される。似たり寄ったりの見出しを掲げた毎日、産経には未だ問題の在りかが分からないらしい。なしのつぶてになっている。

 繰り返すが、小沢氏が党首選に出る出ない自体について新聞社にとやかく云う権限はない。それが許され権限を持つとしたら天皇か検察だろうが、戦後民主主義では両者にも弁えを持たせており、そういう無作法はしない。してみれば、新聞の絶対権力者然ぶりが際立つ。弁えがないみたいである。これはかなり本質的なところで阿呆人種と云うことになる。

 この手合いには云わねば分からぬようなので説いておく。新聞社説に望まれるのは、「菅対小沢の一騎打ち」となった民主党代表選について、まず報じ、次に各社が各社らしい論調で赤勝て白勝てを論じたり、お粗末さ、画期性、注文を云々することである。その点では、日本の新聞はもう少し特徴があった方がよいほどに平凡な均一論調になっている。反省すべきはこのことであり、あれほど攻撃したのに意に反して出馬したとして腹いせ紛れに小沢に罵声を浴びせることではない。

 もし許されるとしたら、小沢氏に何らかの資格喪失事由がある場合であろう。いわゆる「小沢氏に纏わる言論とカネ問題」がこれに該当するとは思われない。なぜなら、法は等しく適用されねばならないからである。衆知のように小沢氏の場合には政治活動の入出金については政治資金収支報告書に正確に記載している。他の政治家のそれと比較しても手本のように書き分けていると云う。この言に疑問があるなら比較して見れば良かろう。

 小沢氏の政治資金収支報告書が槍玉に挙げられるなら、収支報告書に記載していない政治家の場合にはどうなるのだ。鳩山の場合にはこれに該当した。しかし早々と免責された。こういう例は探せば五万とあるだろう。不記載が咎められず、記載した方が「天の声」まで詮索されて容疑者扱いされては法秩序が保たれない。検事の真っ当な部分が、これに頭を悩ましているのが実際である。専門家の検事が辛吟しているというのに、トウシロ―のペン屋が執拗に小沢攻撃をしているのは滑稽と云うより人間的な資質問題に関わっていると云うべきではなかろうか。

 出馬批判が許されるとしたら、小泉の場合ではなかろうか。彼は、その履歴において学生時代に女子大生レイプ事件を引き起こしていると云われている。政治家になっても神楽坂芸者殺しが囁かれている。首相時代にプレスリー邸でプレスリーの真似をした後、イスラエルへ向かいユダヤ教徒の正装で嘆きの丘で宗教行為をしている。この重大案件のどれもが問題にされていない。小沢には執拗な癖に。森元首相の学生時代の買春事件は公にされたと云うのに。

 小泉のような場合には資質資格の観点から彼の政治行為の一挙手一投足が論ぜられても良いかもしれない。しかしながら、そういう胡散臭い小泉に対して、その任期中、名宰相として持て囃したのが言論界である。これはどういうことか。その御仁が小沢となると途端に執拗にパッシングし続けている。狂っているのかカネと地位保全で売文売弁しているのかのどちらかであろう。

 もとへ。ことほどさように言論界の醜悪さが満天下に知れ渡りつつある。これをどうすべきか、そろそろ問わねばなるまい。戦前、新聞社に勤めていた或る者はブンヤにだけはなるなと云い残して死んだ。それは、そういう汚い裏の世界を知り過ぎたからであると思われる。れんだいこの見立ては、昨今のブンヤは、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムに雇われたエージェントの陰謀的売国活動の引き受け手ではないかと疑惑している。

 多くの者はそういう見地には立てないだろう。それは良い。れんだいこも、れんだいこの見地にまで至れとは申さない。必要なことは、言論界の歪みを正すことである。こたびのように民主党代表選への出馬そのものに対してイチャモンつけるような説教社説を許してはならない。分別がないこと激し過ぎるのではなかろうか。これは子供水準の言論ではなかろうか。政治の世界で子供政治が流行っており、それに釣り合うように言論界も子供言論が横行しているということであろうか。

 昨年の政権交代はそもそも、こういう国の形を変えることを発意していたのではなかろうか。僥倖なことに絶対多数と云うべき300議席を越す大台が民主党に与えられた。これを何とかして突き崩したい、云うことを聞かない勢力としての小沢派が邪魔でしようがない。この意を挺して小沢パッシング、衆院解散を吹いているのが政界シオニスタンゴロである。これに呼応しているのがマスコミ界シオニスタンゴロである。

 しかし、ネット社会においては動きが刻々と伝わる。お前たちの思う通りには事は運ばない。民族と国を売った者は追って身を蝕まれる。なぜなら、身体が不正を知っているからである。社説士よ、このところ胸の動機が異常ではないかな。

 2010.8.29日 れんだいこ拝




(私論.私見)