民主党史(自由党史を含む)

 (最新見直し2010.08.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 以下、民主党史(自由党史を含む)をれんだいこ風に要点整理しておく。「ウィキペディア民主党」、民主党の歩み民主党略年表民主党 (1996-)」その他を参照した。ちなみに、党の歩みを極力正確に記録しているのが自民党であり、続いて公明党、民主党である。もっともお粗末なのが共産党である。

 民主党史をそれ自身整理するのは他に譲って、ここでは、細川政変劇前後の流れも並行して綴っていくことにする。この方が、民主党を歴史ベースに乗せてみることができ、現下の流れがより掴み易くなると思うからである。

 2004.5.14日 れんだいこ拝


【民主党結党前の政界事情】
 1993年、政治改革を巡る政界再編を発端として新党ブームが起こる。

 1993.6月、小沢一郎グループが自民党を離党し、新生党結成。小沢氏が代表幹事に就任。

 1993.8月、小沢グループの牽引で非自民大連立で細川連立政権誕生。1994.4月、細川首相退陣、羽田内閣発足。しかし、僅か2ヶ月で総辞職する。

 1994.6月、野党に陥落した自民党は、日本社会党と新党さきがけを取り込み、自・社・さ連立の社会党の村山氏を押し立てる。新生党は、海部元首相を擁立するが首相指名で敗北。こうして村山連立政権が誕生した。自民党の底力を見せ付けた与党復帰劇であった。

 1994.12月、下野した新生党(小沢一郎)、民社党、公明党、日本新党は、合流して「新進党」(海部党首、小沢幹事長)を結党し対抗する。

 1995.12月、新進党党首選で、小沢氏が羽田氏を破り第二代党首に就任。しかし、新進党は既に求心力を失っており難航する。


1996年
9.11  第三極の流れとして、さきがけの鳩山由紀夫、菅直人両氏らと社民党の一部が「民主党設立委員会」結成を呼びかける。
09.17  「民主党設立委員会」が現職国会議員37名の参加で結成される。
09.28 【(旧)民主党結党】
 「民主党」(後の「民主党」と識別する意味で、「旧民主党」と称される)が、「官僚依存の利権政治との決別」、「地域主権社会の実現」を標榜して、衆議院議員52名、参議院議員5名の57名で結党され、菅、鳩山を共同代表とする2人代表制でスタートする(「管・鳩山2人代表制」)。 この時の「民主党」は、日本新党、さきがけ、社会党の流れを汲んで誕生した。社会党からは、元委員長の山花貞夫氏、元書記長の赤松広隆氏、前北海道知事の横路孝弘氏、鳩山邦夫らが参加している。

 結成当時の「民主党」は、市民政治型の「小さいながらもキラリと光る草の根的市民政党」を目指していた。
10.20  初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院選挙で改選前と同じ52名が当選。衆院52名、参院5名で野党第2党になる。

1997年
3.22  民主党定期大会。
09.18  共同代表制を廃止し、「菅代表−鳩山幹事長」の新体制が発足する(「管・鳩山新体制」)。   
12.31 【新進党解党】
 12.27日、新進党の両院議員総会が開かれ、小沢党首が参院公明党の分党を契機として新進党をいったん解散する、と宣言した。冬柴鉄三、中田宏や岡田克也が猛烈に反論したが不可逆的な流れであった。12.31日、新進党が解党する。結党より三年、新進党はあっけなく消えたことになる。

 結集していた議員、グループが政界を遊泳し始め、公明党グループ、小沢一郎グループは独立化し始め、その他のグループは「民主党」に流れていくことになる。民政党(保守系)、自由党(小沢一郎)、公明党、新党友愛(旧民社党)、国民の声に分岐していくことになる。

1998年
1.08  民主党、新党友愛、国民の声、太陽党、フロムファイブ、民主改革連合の野党6党が統一会派「民主友愛太陽国民連合(略称「民友連」)を結成する(結成宣言)。新進党解党余波の流れと見ることができる。 結成当初より「行政改革」、「地方分権」、「政権交代」を掲げ、自民党に伍す政権政党となり、二大政党時代を作り上げることを目指した。
1月 【自由党結党】
 小沢一郎氏らが自由党を結党。小沢氏が党首に就任。中西啓介、藤井裕久を腹心として、二階俊博、平野貞夫、野田毅、西岡武夫らが結集した。
01.19  民主党第2回定期大会。菅代表再選、鳩山幹事長再任(「管・鳩山体制続投」)。
2.06  「政権戦略会議」(議長:細川護煕元首相)が発足する。
03.12  民主党・民政党(太陽党・国民の声・フロムファイブが合同し結党された新党)・新党友愛・民主改革連合の「民友連」4党が統一して新「民主党」結成を合意。
03.16  4党代表者会議で「統一準備会」(鹿野道彦座長)設置し、「理念・基本政策」、 「組織・規約・財政」、「選挙対策」の3作業委員会、「女性参画委員会」の 設置を併せて確認。
04.08  第1回(新)民主党(統一準備会)常任幹事会を開催。
04.13  衆議院議員97名で衆議院に「民主党」の会派届出。参議院議員41名で 参議院に「民主党・新緑風会」の会派届出。総勢138名。
04.26  臨時党大会で統一承認。
4.27 【(新)民主党結党】
 院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合の4党が合流し、「新・民主党」を結成する。衆議院議員93名、参議院議員38名(会派は41名)の総勢131名の参加で、 「新・民主党」は野党第一党になった。民主党統一大会開催(第1回大会)が開かれ、話し合いで「菅代表・羽田幹事長」の新体制が発足する(「管・羽田新体制」)。この時、自民党を倒し、政権を奪取する使命を負った。現在の民主党の原型はここで作られた。
7.12  第18回参議院議員選挙で、橋本内閣が消費税問題で世論の厳しい批判にあった事も手伝い、改選前18名に対し10議席増の27名が当選。非改選含め47名になる。参議院での与野党逆転果たす。
7.16  奥田敬和衆議院議員・両院議員総会長逝去。
07.30  臨時国会の参議院本会議で菅氏を首相に指名。衆議院は小渕恵三自民党総裁を指名。両院協議会の結果、小渕氏が首相指名される。
08.10  政党助成法に基づき衆議院議員92名、参議院議員49名(届出外―新緑風会の6名)の計141名届出(菅野議員は参院副議長就任に伴い無所属)。

1999年
01.18  第1回定期大会開催(通産第2回大会)、初の代表選挙(立候補者2名。菅、松沢)で、菅直人代表が松沢成文氏を破り再選された(管180票、松沢51票)。羽田孜幹事長再任(「菅・羽田体制続投」)。 
1月  参院で過半数割れの自民党と自由党が連立し、小渕内閣発足。
04.11  東京都知事選挙に前副代表の鳩山邦夫氏を擁立するも敗北。
4.27  統一1周年。衆議院議員93名、参議院議員51名の総勢144名。
08.04  故山花貞夫選挙対策委員長党葬(7月14日逝去)
09.11  代表選挙告示。
09.25  代表選出大会(臨時大会―通算第3回大会。鳩山、菅、横路)で鳩山が菅、横路を破り、代表に就任した。鳩山154票、管109票、横路57票。決選投票で、鳩山182票、管130票。初代党首の菅は政調会長に就任。代表選挙および党機構に関して規約改正。
10.01  両院議員総会で新役員体制承認、羽田幹事長再任(「鳩山・羽田新体制」)。
10.08  政権交代に向け、「次の内閣(ネクスト・キャビネット)」を党内に設置することを申し合わせる。
10.14  第1次ネクスト・キャビネット(NC)発足。

2000年
01.16  神戸市にて2000年度定期大会(第2回定期大会―通算第4回大会)開催、新代表選挙規則承認(県別ポイント式。
03.07  第99回常任幹事会で「民主党倫理規則」制定。
4月  自由党が自民党との連立を解消し下野する。
 自由党は自由、保守両党に分裂。
04.27  結党2周年。
06.25  第42回衆議院議員総選挙施行。民主党は、定数削減があったにも関わらず改選前を32議席上回る127議席(小選挙区80、比例区47、改選前95)を獲得した。会派は、「民主党・無所属クラブ」130名で届出、参議院の会派は「民主党・新緑風会」58名で届出。二大政党時代の到来を宣言する。とは言え、議席数こそ減らしたものの自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。
08.21  民主党代表選挙告示。
09.09  代表選出大会(臨時大会―通算第5回大会)開催。鳩山代表が無投票で再選される。羽田孜特別代表、菅直人幹事長を選任(「鳩山・管新体制」)。引き続き、全国研修会を開催。
 第2次ネクスト・キャビネット発足。

2001年
01.20  第3回定期大会(通算第6回大会)を開催。
4.27  結党3周年。
07.29  第19回参議院議員選挙施行。民主党は、いわゆる小泉旋風の前に改選前を3議席上回る26議席(選挙区18名、比例代表8名、改選前23)の獲得にとどまり、非改選含め59名になる。(参院会派は「民主党・新緑風会」は60名)。タレントの大橋巨泉氏が比例代表区で412,087票を獲得しトップ当選。
09.19  第3次ネクスト・キャビネット発足。
12.11  第187回常任幹事会で、「当面する党務改革について(2002年度から実施する改革事項)」決定。
12.18  第188回常任幹事会で、代表選挙規則改正(地方自治体議員の投票、他)。

2002年
01.19  第4回定期大会開催(通算第7回大会)、小泉政権との対決姿勢を鮮明に。党規約改正(党員・サポーターの本部登録制、他)。
01.29  大橋巨泉氏が議員辞職を表明。(次点のツルネンマルティ氏が繰り上げ当選)。
2月  同党副代表その他「政治改革推進本部長」の要職にあった衆議院・鹿野道彦氏の「二重勤務問題」が発覚し、「政治改革推進本部長」を辞任する。「二重勤務問題」とは、鹿野氏が国会議員後も同氏の親族企業に籍を置き、社員を装って給与支給、健保・年金保険料を肩代わり支払いして貰っていた事件のことを云う。
04.27  結党4周年。
9.01  今井澄参議院議員・元NC厚生労働大臣逝去。
09.09  民主党代表選挙告示。初立候補表明したのは、鳩山由紀夫、菅直人、横路孝弘、中野寛成、前原、野田佳彦の5名。但し、前原・野田両氏が若手一本化を進め、野田に一本化する。但し、若手陣営の水面下では管支持に回る者も出る。他方、旧民社党の中野は鳩山支持に回る。
09.23  代表選挙集会(臨時大会―通算第8回大会)開催(初の党員・サポーターの投票参加)。代表選挙は、鳩山1位294ポイント、菅2位221ポイント、野田182ポイント、横路119ポイントで鳩山、菅両氏の決戦投票になる。決選投票では、国会議員票では菅が辛うじて優位に立ったが、党員・サポーター票で鳩山が上回り、鳩山由紀夫氏が代表を続投することになった(三選、鳩山254票、管242票)。こうして、鳩山代表が菅、野田、横路を破り三選。
09.24

 中野幹事長を選任(「鳩山・中野新体制」)。政調会長に海江田万里氏,羽田孜特別代表は留任。中野氏の幹事長就任に対し、代表戦で裏約束があったのではないかとして批判が強まり、鳩山代表の座が揺らぎ始める。

10.01  両院議員総会を開催し、羽田孜特別代表の再任など骨格人事を決定。
10.03  両院議員総会を開催し、第4次ネクスト・キャビネット発足。
10.25  石井紘基衆議院議員・衆議院災害対策委員長が、自宅前で刺殺される。
10、27  衆参統一補欠選挙で1勝6敗と惨敗。
11月  鳩山氏が自由党との合流を提唱。但し、この頃より鳩山代表批判が強まる。
12.03  自由党との合流、新党構想を廻る党内の混乱、中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招くなどを受け、両院議員総会を開催し、鳩山由紀夫代表の辞任表明を承認。
12.10  両院議員総会を開催し、国会議員による代表選挙で菅直人が岡田克也を破り、代表に返り咲く(管104票、岡田79票)。
12.13  両院議員総会を開催し、鳩山由紀夫代表が辞任。菅直人が代表、岡田克也が幹事長に就任する(「管・岡田新体制」)。政調会長に枝野幸男氏,国会対策委員長に野田佳彦氏を起用。羽田孜特別代表は最高顧問に就任。
12.17  第5次ネクスト・キャビネット(民主党「次の内閣」)発足。
 かねてより菅との対立を指摘されていた熊谷弘ら保守系の議員5名が保守新党を結成して民主党を離党(後に除名)する。その後も、党結成以来の重鎮であった松沢成文、上田清司が民主党を離党し、地方自治体の首長に転身するなど、小泉旋風の前に苦難の時代が続く。

2003年
01.18  第5回定期大会開催(通算第9回大会)。政権獲得へ全力を尽くす事を強調する。
1月  管・小沢会談。「当面は選挙協力優先」で合意。
04.13  統一地方選挙前半戦施行。神奈川県知事に松沢成文・前衆院議員が当選。
04.27  結党5周年。統一地方選挙後半戦(大分市長に釘宮磐・前衆院議員が当選)、統一補欠選挙施行。故石井紘基氏の弔い合戦となる衆議院東京6区補欠選挙で,前参議院議員の小宮山洋子氏が初当選を果たす。
5月  菅・小沢会談で合流がいったん白紙に
07.18  所属国会議員の公設秘書名(2003年7月1日現在)を公表。
07.23  菅直人代表と小沢一郎自由党党首との会談で「9月末までの合併」に合意。自由党が解党し、民主党に合流する事が決定。
07.24  第255回臨時常任幹事会で、「民主、自由両党の合併に関する合意書」を承認。
9.19  両院議員総会で、自由党との合併を承認。
09.23  岡田克也幹事長が離党中の鹿野道彦元副代表に復党を要請し,鹿野氏もこれを受諾。「新・民主党」への合流が決定する。
09.24 【(新・新)民主党結党】
 来る総選挙を前に民主・自由両党の合併調印式が行われ,自由党が民主党に合流し「新・民主党」が誕生。枝野幸男らをはじめ強硬に反対を唱える声もあったものの、役員、要綱、党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で一応の決着を見せた。
09.25  自由党解散。国会に統一会派を届出(衆院138名、うち無所属11名。参院69名、うち無所属3名)。(新たに合流した無所属の大渕絹子氏を含む)の計204名に。自由党と共同で両院総会開催。
10.05  民主党と自由党の合併大会が開催され(通算10回大会)、「新・民主党」が新たにスタート。旧自由党の議員は執行部入りせず、民主党執行部により党運営が行われることに決定。
11.09  第43回衆議院議員選挙で、民主党は、改選前を40議席上回る177名(小選挙区105名、比例代表72名)が当選。(改選数137)。比例区では2200万票,72議席を獲得し、自民党を抜いて第一党に躍進する。
12.11  両院議員総会で、新役員を選任(羽田最高顧問、小沢代表代行、岡田幹事長などの新常任幹事。中井洽氏、江田五月氏が副代表次の内閣大臣)。

2004年
1.13  第6回定期大会開催(通算第11回大会)。代表選挙規則を改正(地方議員ポイント増加=47→100、党員サポーター票配分変更=全国小選挙区300に)。党員費・サポーター費改訂(一般党員=6000円、サポーター=2000円)。
1月  古賀潤一郎衆議院議員が学歴詐称問題で、除籍される。
3月  佐藤観樹元自治相が元公設秘書の給与詐欺で議員辞職、逮捕される。
04.27  結党6周年。
05.10  年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」がスタートすると政治家の年金未納問題が次々と明らかになり、法案の審議以上に世論の大きな関心事へと発展する。民主党は小泉政権の閣僚にも年金未納の議員が居ることを好機とし追求するが、やがて代表の菅直人の納付記録に未納期間があることが判明。菅は行政側の過失で自身の納付歴に問題はないと説明するも、マスコミ世論の追及の前に辞任へと追い込まれた(菅直人代表が国民年金保険料未払いの責任を取り代表を辞任)。但し、後に菅の主張通り社会保険庁職員の怠慢による手続きミスであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪している。
5月  小沢氏が菅直人代表を後継して代表就任を受諾。
05.18  菅の後継にいったんは小沢一郎が内定するが、小沢にも年金の未納が発覚し、代表辞退に追い込まれた。両院議員総会で、岡田克也幹事長が無投票で代表に就任する(「岡田体制」)。
07.11  第20回参院選挙で、民主党が改選前を12議席上回る50(←38、非改選含め82)議席を獲得し、49議席の自民党を上回った。この改選で第一党となった。この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。
7月  岡田代表が訪米時に「憲法改正による海外での武力行使容認発言」。
7月  小沢前代表代行が、岡田発言に対し「理解に苦しむ」と批判。
8.30  岡田氏が無投票で代表に再選される。
09.13  岡田代表が、臨時党大会で無投票再選される。新幹事長に川端達夫前国対委員長を起用(「岡田・川端体制」)。政調会長・仙谷由人、国会対策委員長・鉢呂吉雄、最高顧問・羽田孜、代表代行・藤井裕久、副代表・石井一、中井洽、米沢隆、岡崎トミ子。常任幹事会議長・鹿野道彦。
11.16  執行部入りを固辞していた小沢氏が副代表に就任。
12.19  福岡市で定期党大会開催。

2005年
1.24  衆院本会議での岡田氏の代表質問の際に、小泉首相が再答弁を拒否したとして、民主、社民両党が議場から一時退席。
03.11  自民、民主、公明3党が社会保障制度見直しの協議機関設置で合意。
04.24  福岡2区、宮城2区の衆院補選で、民主党が自民・公明連合候補に敗北。
7.3  東京都議会選挙で現有19議席から35議席へ躍進。
8月

 小泉首相が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。岡田は「政権交代が実現できなかった場合は代表の座に留まるつもりはない」と宣言。この選挙での民主党のキャッチフレーズは「日本をあきらめない」であった。「漁夫の利」などとして当初は民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。しかし「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で、民主党は小泉劇場の前に次第に埋没していく。

09.11  第44回衆議院選挙で、民主党は、改選前を64議席下回る113名(小選挙区52、比例代表61、女性7)が当選。改選数177から64議席減、比例区では2101(←2,200)万票、得票率31.03(←37.39)、結党以来の大敗北を喫した。
同日  岡田代表が辞任声明。
 小沢氏が代表選への立候補を見送る。
09.17  東京・芝公園の東京プリンスホテルで両院議員総会による代表選挙(前原、菅)を行い、前原誠司氏(43)を5代目の代表に選出した(「前原体制」)。党所属国会議員(194人)のうち192人が無記名で投票。有効投票数190票のうち、前原氏が半数の96票を獲得し、菅直人氏(58)94票を2票差で破る接戦だった。任期は、岡田氏の残り任期である来年9月までの1年。

 前原氏は代表就任後の記者会見で、「日本の民主主義を機能させ、より良い政策競争を根付かせ、国民の生活向上、安定につながるよう努力したい」、「(憲法改正について、戦力の不保持などを定めた)憲法9条2項を削除して自衛権を明記する」との持論を示したうえで、「党内の議論をスピードアップして、受け身にならない、しっかりした案を持って対応できるよう進めていきたい」と述べた。前原氏が憲法改正に否定的な意見がある党内の考えをどう集約し、与党との距離をどう考えていくかが、憲法論議の進み方のかぎを握りそうだ。

2006年
02月

 防衛庁の汚職、ライブドア事件、アメリカ産牛肉輸入再開問題、耐震偽装問題などのいわゆる「4点セット問題」が発生した。民主党は自民党を追求できる立場にあったが、堀江メール問題が起きる。

03.31  偽メール事件を受け、前原代表が辞任表明。
04.07

 「送金指示メール問題」で前原執行部の退陣を受けた民主代表選(小沢、菅)で、小沢一郎前副代表(63)が菅直人元代表(59)を119対72で破り、新代表に決定した。任期は前原代表の残り任期の今年9月まで。小沢氏は投票前の立会演説会で、イタリアの名画「山猫」のせりふを引用し、「まず何よりもわたし自身が変わらなければならない」と訴え、これが党内に好評され代表に初選出された。

04.08
 小沢一郎新代表は、「選挙で2番になった方が幹事長」(渡部恒三国会対策委員長)と注目されていた代表選を戦った菅・氏の処遇について、管元代表、鳩山幹事長と党本部で会談、三氏は菅氏を代表代行に起用し、鳩山氏を続投させることで合意した。「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた(「小沢・鳩山体制」)。渡部恒三国対委員長、松本剛明政調会長ら前執行部メンバーを再任させることも決めた。小沢執行部は11日の両院議員総会での承認を経て正式に発足する。3月に渡部氏と同時に就任した仙谷由人幹事長代理、川端達夫、平野博文両国対委員長代理は再任しなかった。
 千葉7区補欠選挙を勝利し、メール問題以後混乱状態にあった党をの建て直しに成功した。小沢は、「対立軸路線」への復帰や05年総選挙で掲げた年金目的消費税の凍結などいくつかの政策転換を図った。且つ地方組織が磐石ではない民主党にあって、各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど地盤の強化にも力を注いだ。
09.25  臨時党大会で、小沢氏が無投票で代表再選される。

2007年
04月  統一地方選挙を勝利する。
07.29  第21回参議院議員通常選挙。民主党は、改選前を28議席上回る過去最高の60議席を獲得。ついに参議院で与野党の逆転を果たした。
08.04

 江田五月氏が参院議長に就任。

10.23
 参院で、国民新党と統一会派を結成する。
09.25  臨時党大会で、小沢氏が無投票で代表再選される。
11月

 ねじれ国会の運営に行き詰った福田首相と、政策の実現を図りたい小沢の間で大連立構想が協議される。しかし民主党役員会が紛糾し、小沢は混乱を起こした責任を取って辞意を表明する。結局、周囲の説得により翻意、引き続き代表に留まった。


2008年
04.27  結党10周年。
09.21

 臨時党大会で、小沢氏が無投票で代表3選される。


2009年
03月  西松献金問題で小沢代表の公設第一秘書が逮捕・起訴されるという事件がぼっ発する。小沢代表は事実関係については裁判で争うことを表明するが、党内が動揺する。
05.11  西松建設の献金事件を受け、小沢氏が代表辞任を表明。
05.16

 両院議員総会で、鳩山氏が代表に選出される。鳩山由紀夫124票、岡田克也95票。

07月  東京都議会議員選挙で第1党に躍り出る。島部を除く全ての選挙区で1位当選を確保するなど、地滑り的大勝を飾った。
08.30

 第45回衆議院議員総選挙では「政権交代」を訴え、絶対安定多数を超える308議席を確保して、衆参ともに第1党となった。

09.16  第172回国会で民主党が中心の鳩山政権が発足。
11.11  事業仕分け開始。
11.13  来日したオバマ米国大統領との会談で、鳩山首相が、米軍普天間基地移設問題で「トラスト.ミー」と発言する。
12.04  日本郵政株式売却凍結法などが成立する。
12.21  鳩山首相が、公約に反しガソリン税暫定税率水準維持を決定する。
12.24  鳩山首相が、偽装献金事件を廻る元公設秘書の起訴で陳謝する。
12.25  2010年度予算案を決定する。一般会計総額は92兆2992億円と過去最大になる。

2010年
01.6  藤井裕久財務相が辞任する。
01.15  北沢俊美防衛相が、インド洋で給油活動に従事する海上自衛隊艦船に撤退命令。
01.15  小沢一郎幹事長の元秘書の石川知裕・民主党衆院議員らが政治資金規正法違反事件で逮捕される。
01.18  通常国会召集。
02.04  東京地検が、小沢幹事長を不起訴処分。小沢幹事長は幹事長続投を宣言。
02.10  枝野幸男氏が行政刷新担当相に就任する。
03.09  日米「密約」有識者委員会が報告書を提出する。
04.27  検察審査会が、小沢幹事長に「起訴相当」を議決する。
05.04  鳩山首相が、沖縄で、普天間基地の県外移設断念を表明する。
05.21  東京地検が、小沢幹事長を再び不起訴処分にする。
05.28  普天間基地の辺野古移設を明記した日米共同声明が発表される。政府方針の閣議署名を拒否した福島瑞穂消費者・少子化担当相を罷免する。
05.30  社民党が連立離脱を決定する。
06.02  鳩山首相が退陣表明。
06.04

 民主党代表選が行われ、菅直人・副総理兼財務相が選出される(菅直人291票、樽床伸二129票)。菅新代表が新首相に選出される。

06.08  菅内閣発足。
06.11  国民新党代表の亀井静香・金融・郵政担当相が閣僚辞任する。
06.17  菅首相が、消費税率引き上げ方針を表明し、「自民党提案の10%を参考としたい」と発言する。
06.25  ―27日。菅首相が、カナダで主要8カ国首脳会議、20カ国地域首脳会議に出席する。
06.27  菅趣旨うが、オバマ大統領と初会談。
07.11  第22回参院選で民主党は44議席となり大敗する。与党過半数割れ。菅首相は続投宣言。
07.16  ソマリア沖の海上自衛隊の海賊対処活動の1年間延長を決定。
07.30  臨時国会召集
08.10  日韓併合100年に際しての菅首相談話を閣議決定する。
08.30  急激な円高や株安に対応する経済政策の基本方針を決定する。
08.31  普天間基地移設に関する日米専門家の報告書公表。
09.01  民主党代表選告示。
09.14  菅首相が民主党代表選に再選される。

2011年
08.29  党代表戦(野田、海江田、前原、鹿野、馬淵)が行われ、野田選出。野田氏が「泥くさく国民のために汗をかき、ドジョウの政治をとことんやり抜く」と演説した。この代表選では、最初の投票で過半数に届く候補がおらず、上位二人による決選投票を実施。一回目は海江田万里氏が一位、野田氏が二位だったが、決選投票に進めなかった前原氏や鹿野道彦氏を支持する議員が野田氏に投票し、逆転した。決選投票直前、鹿野氏が上着を脱いで、自らの陣営のメンバーに野田氏に投票するようサインを送ったことが話題になった。

2012年
09  (野田、原口、赤松、鹿野)。野田選出。

2013年

2014年

2015年
01.18  党代表戦(岡田、細野、長妻)が行われ、岡田選出。

2016年
02.22  民主党の岡田克也と維新の党の松野頼久の両代表が、民主党を存続させて維新の党を吸収する形で両党が合流したうえで、新党を結成することで合意。
02.26  岡田・松野の代表会談が再び国会内で行われ、民主・維新の両党が3月中をめどに合流することで正式に合意。
03.03  両党が記者会見で、合流に伴う新たな党名案を同月4日から6日にかけて、両党のホームページとファックスを使って、国民から一般募集すると発表。
03.10  民主党側は「立憲民主党」、維新の党側は「民進党」の2つの新党名称案を提示。
03.14  民主党と維新の党は記者会見で、合流に伴う新しい党名を「民進党」とすることが決定したことを発表。
03.22  改革結集の会の所属議員5人のうち、おおさか維新の会に合流する小沢鋭仁を除く4人が合流することを表明。
03.25  改革結集の会が衆議院事務局に会派の解散届を提出し受理。「改革結集の会」は正式に解散。松野・岡田の代表会談が国会内で開かれ、両者が合併協議書に調印。両党の合併手続きが完了。
03.27

 維新の党の臨時党大会において、解散を決議。維新の党は正式に解散。民主党に維新の党が合流し、改革結集の会の一部や無所属の議員なども参加して、衆議院と参議院で自由民主党に次ぐ第2会派を形成する最大野党として民進党(みんしんとう、英: The Democratic Party)が結成され、結党大会が品川プリンスホテルにおいて開催された。新党結成という形をとってはいるが、総務省に届出をしている法人(政治団体)としては、1996年結成の民主党が解散せずにそのまま同一団体として存続していることになる。

04.04  党のロゴマーク案の公募を開始(4月12日まで)。
04.24  合併後初の国政選挙となる前期補欠選挙実施(北海道第5区・京都府第3区)。 北海道第5区は民進がバックアップした民主党元職員で野党統一候補の池田真紀が自民党候補に挑むも惜敗。京都府第3区は民進党公認の前職泉健太(社民党推薦)が当選。民主・維新合併後としては、国政選挙初勝利。
05.10  公募した党のロゴマークについて、3676通の応募の中から選ばれた最終候補の4作品を発表。なお、この日より民進党公式サイトにおいて、国民からの意見を募集。その上で、民進党の地方組織や所属国会議員などが投票を行い、得票数がトップだった作品が新しいロゴマークとなる。
05.19  民進党の新ロゴマークが、最終候補4作品のうち、A案に決定。
05.31  民進・共産・社民・生活の野党4党が安倍内閣に対し内閣不信任決議案を共同提出。即日、衆議院本会議において採決され、自民・公明の与党、おおさか維新などの反対多数で否決。
07.10  第24回参議院議員通常選挙実施。その結果、選挙区で21、比例で11、合わせて32議席を獲得した。
07.30  岡田克也代表が9月の代表選への不出馬を表明。
07.31  2016年東京都知事選挙実施。野党統一候補の鳥越俊太郎が小池百合子に大差で敗れ、落選。
08.02  両院議員総会において、結党後初の代表選を9月2日告示、9月15日投開票の日程で行うことを決定。
08.05  10.23日実施の後期補欠選挙の公認候補として、東京都第10区に元NHK記者の鈴木庸介、福岡県第6区に元在インド・チェンナイ日本総領事館職員の新井富美子をそれぞれ擁立することを常任幹事会で決定。
09.02  民進党代表選挙告示。蓮舫、前原誠司、玉木雄一郎の3人が立候補を届け出る。
09.15  民進党代表選が投開票され、蓮舫代表代行(48)が1回目の投票で503ポイントと過半数を獲得し新代表に選出された。女性の代表就任は初めて。前原誠司元外相(54)は230ポイント、玉木雄一郎国対副委員長(47)は116ポイントだった。

2017年






(私論.私見)