小沢パッシング考

 (最新見直し2010.01.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、シオニスタンによる執拗な小沢パッシングを確認しておくことにする。

 2009.9.12日 れんだいこ拝



Re::れんだいこのカンテラ時評635 れんだいこ 2009/12/19
 【小沢パッシング考、歴史の醍醐味に生きよ】

 鳩山政変により民主党政権誕生以降今日まで3か月を経過したが、この政変の立役者であった小沢幹事長に対する坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりの執拗なパッシングが続いている。この背景に何があるのだろうか、これを解析しておく。

 2009.12.16日、小沢幹事長は、小沢パッシング情勢下で、田中角栄元首相の17回忌の法要の為、新潟県柏崎市に出向いた。法要には出席せず、同党の田中直紀参院議員、妻の真紀子・元外相に案内され、元首相の墓に手を合わせた。法要や墓参りには、元首相の後援会の元幹部や、一般の支持者ら数十人も参加した。小沢はその後、記者団に、「政界で活動できるのも、田中角栄先生のご指導のおかげだといつも思っている。先生に負けないような政治家になるように、今後も一生懸命、できる限り頑張りたい」と抱負を語った。

 これこそ小沢の真骨頂ではなかろうか。れんだいこは喝采を贈りたい。れんだいこが小沢抱負を解釈すれば、小沢は、戦後政治の対抗軸が角栄的なるものと中曽根的なるものに由来していることを熟知した上で、俺は角栄的なるもの路線に乗るとの決意を公然と宣言したことになる。現在の政治家で、かく座標軸を据え、かく旗幟鮮明にし得る政治家は小沢以外にいないのではなかろうか。身の危険を顧みずの士道精神を感じるのは、れんだいこだけだろうか。

 この小沢政治を酷評するのがへなちょこ評論士である。それは、現代の権力機関である政財官学報司の六者機関に巣くうシオニスタンどもの代理人エージェントに過ぎないことを自己暴露している。世が世なれば売国奴として指弾され、決して表舞台には出られない連中である。今は彼らの天下だからして、堂々と好き放題のわが世の春を謳歌し続け、ろくでもない評論を吹聴しまくっている。

 残念なことに、この政治抗争軸に対して、日本左派運動が全く無見識の対応を見せていることを指摘しておかねばならない。日本左派運動のかくもみじめな生態は、いわゆるシオニスタン系サヨ運動と呼ばれるのが相応しい。シオニスタン系サヨ運動が久しく左派運動を壟断している。いずれ早急に本来の左派運動に戻さねばならない。彼らは、ロッキード事件以来、角栄的なるものに対する徹底糾弾、その後に立ち現われた中曽根的なるものに対しては是々非々のアリバイ的反対運動でお茶を濁し、間接的に裏から支援するという役割を果たしてきた。日本左派運動の逼塞は、この傾向強化と共に深まり、払拭と共に再生するという加減にある。誰か、この認識を共にせんか。

 その小沢が今、「公設第一秘書・大久保隆規被告の公判」で又もイジメられようとしている。容疑は、西松建設のダミーとされる政治団体による献金に伴う政治資金規正法違反なるものであるが、れんだいこは到底納得し難い。その内容を確認するのに、小沢幹事長の資金管理団体収支報告書が「新政治問題研究会」、「未来産業研究会」なる団体からの寄付金合計3500万円を記載していたところ、東京地検がこれを西松建設からの迂回献金であり政治資金規正法違反であるとして政策秘書の大久保氏をいきなり逮捕し、筋書き通りの供述を強制し長期拘留に至るも思う通りの自白が取れず、今日の裁判を迎えているという経緯を見せている。

 2009.12.18日、初公判が開かれ、大久保被告は当然ながら起訴内容を否認した。「あくまで政治団体からの献金としか思いませんでした」と述べ、起訴内容を否認、無罪を主張した。次の法廷は1月13日に開かれ、早ければ3月にも判決を迎える見通し、ある。

 あきれることに東京地検は、「天の声」なるイカガワシイ法概念まで持ち出している。どうやら本気で「天」を裁くらしい。どうやら、雨が降るも振らぬもお天とう様のせいにして罰したいらしい。しかし、この式の法理論を振り回すのは狂人と云うべきだろう。なりふり構わぬ小沢パッシングの意図だけ見えてくる話である。「疑わしきは罰せず」なる抑制的法理論はとうの昔に捨て去ったらしい。れんだいこが指摘しておく。お前たちが「天の声裁き」に耽ればふけるほど、「シオニスタンの声」が聞こえてくるぞ。「シオニスタンの声」に忠勤することで出世街道切符を手にせんとしている性根の悪そうな生態が見えてきてイヤラシイぞな。

 れんだいこ史観によれば、かような東京地検の国策捜査はロッキード事件から始まる。かの時から、東京地検の正義が大きく捩れた。この捩れを捩れと思わぬ程度の頭脳の主が出世し権力を得てから、検察の正義は地に堕ち、数々の「上からの法破り」事件を引き起こしつつ今日まで至っている。この腐敗がいつまで続くか分からないが、破綻するところまで定向進化することは疑いない。それはともかく、この東京地検の国策捜査にエールする形でシオニスタン傭兵たちが口先を尖がらせて小沢パッシングし続けている。

 こうなると、れんだいこがしゃしゃり出ねばなるまい。こら!シオニスタンめ、どこの世界に貰った金を届け出たことにより制裁を受けるような理不尽があろうぞ。「貰った先がイカガワシイ、よって罰せられるべし」などとする法理が許されようぞ。そったらことなら、貰った金を届けぬことが良くなるではないか。中曽根みたいに届けぬ者が見逃され、届け出た者が罰せられるのをマジで良しとする連中はよほどオツムが狂っていよう。

 罰せられるべきは、「貰っているのに届け出していない罪」であろうに。最近は「貰っていないのに貰っているとして届け出ている」不思議な例もあるが、不届罪が重罪であり、その逆ではない。「貰ったと届け出た方が罰せられる」なんてことが罷り通れば、これを世の末と云う。これを良しとせんとする法曹界は狂っている。その狂人どもが小沢パッシングを続けている。全くもって脳味噌が腐っているしか言いようがなかろう。

 この腐れウヨが今、小沢テロを呼号し始めている。当然これを始動せしめているのがシオニスタン奥の院であり、国際金融資本帝国主義ネオシオニストである。最近、中国要人と天皇陛下の会見を廻る騒動が勃発したが、ブッシュの№2・チェイニー副大統領の場合には咎められず、中国の№2・習近平国家副主席の場合には大騒ぎするとはこれ如何に。たまたま右翼の論客と自称する知り合いにかく問うたところ、アメリカは何をしても良いのだ、中国は許されないと堂々と述べ給うた。戦後右派運動がシオニスタン系ウヨ運動に堕していることの生々しい証言であろう。ウヨもサヨも金と地位に弱い。甘言で言論を売る手合いでしかないことが分かろう。それか元々オツムのデキが悪過ぎるのかも知れない。

 今、小沢は恐らくヒシヒシと身の危険を感じつつ最後のお国奉公に精出している筈である。日本が国際金融資本帝国主義ネオシオニストに捕捉され解体溶解される動きに座して見やることは堪えられず、原日本の培ってきた悠久の歴史を守るため奮闘努力している筈である。師を角栄に置くという宣言が、これを語っている。これ以外の小沢論を奏でる必要はない。これ以外の小沢論ばかりであるが、れんだいこが許さない。

 もとより小沢は角栄ほどには実力者ではない。しかしながら磁石が鉄粉を寄せるように、小沢政治に期待を寄せる向きも強い。世界の動向は次第に小沢の背に角栄を観て、これを支えんとしているようにも見える。なぜなら、この動きをもってせずんば国際金融資本帝国主義ネオシオニストとの対決ができないからである。彼らの悪どい支配を終わらせる為には、闘う主体が確立されねば前に進めないからである。この力関係がどう動くのかは分からない。しかし、歴史に生きる為にはこの程度の不退転の決意が要る。これがそもそもの政治の醍醐味である。我々もまた醍醐味に生きようではないか。以上、一言しておく。

 2009.12.19日 れんだいこ拝
 事件の概要

 東京地検特捜部は2009(平成21)年3月3日、民主党の小沢一郎代表の政治資金管理団体「陸山会」が、西松建設OBが代表を務める政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」からうけた献金が「西松建設」からの企業献金だとして小沢代表の公設秘書で「陸山会」の会計責任者ら3人を政治資金規正法違反の疑いで逮捕した。

【大久保隆規氏初公判が示した検察捜査の不当性】
 「植草一秀の『知られざる真実』 」の2009.12.20日付けブログ「大久保隆規氏初公判が示した検察捜査の不当性」を転載しておく。

 2009年12月20日 (日) 大久保隆規氏初公判が示した検察捜査の不当性

 小沢一郎民主党幹事長の公設第一秘書大久保隆規氏が政治資金規正法違反を問われている事件の初公判が12月18日に東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれた。大久保氏が準大手ゼネコン「西松建設」(東京都港区)からの政治献金をダミーの政治団体からの献金として政治資金収支報告書に虚偽記載したとの疑いがかけられている。検察側は大久保氏が西松建設からの企業献金であることを知りながら、ダミー団体からの献金であると虚偽の記載をしたと主張するが、大久保氏は政治団体には実体があり、政治団体名を収支報告書に記載したことは虚偽記載にはあたらないと主張している。初公判を報道するメディアの大半は、検察側の冒頭陳述をベースに伝えているが、検察側と大久保氏側の主張は真っ向から対立しており、報道のあり方としては双方を同等に扱うことが必要である。

 日本の裁判報道では、被告が全面否認している事件でも、検察側の主張に大きく偏った報道が展開されることが圧倒的に多い。裁判員裁判が開始され、各報道機関は裁判員制度の下での事件報道について、被告を犯人視しない中立な報道を心がける方針を示してはいるが、現実には従来同様の検察サイドに過度に依拠した報道が継続されている。

 この事件は本年3月3日に突然、任意の事情聴取もなく大久保氏が逮捕・勾留されたところから始まった。総選挙を目前にした時期に、民主党代表を務める小沢一郎氏の公設第一秘書が極めて不透明な事由で逮捕・起訴されたことは、重大な政治謀略であったとの批判を免れない。事案の不透明性、不自然さについて、大久保氏側が冒頭陳述で指摘した。この指摘こそ、この事件の本質を衝くものである。検察サイドは「天の声」なる陳腐な表現を用いて、小沢氏サイドが企業献金を受けて公共事業を配分してきたかのような印象を生みだすことに懸命である。しかし、本年7月に示された西松建設元社長元社長に対する東京地裁判決では、「献金は特定工事の受注の見返りではなかった」と認定された。多くのマスメディア報道は検察が用いた陳腐な「天の声」の表現を強調し、また、大久保氏が政治団体からの献金を西松建設からの建設であったことを認識していたのかどうかが焦点であるかのように伝えている。

 しかし、問題はそれほど単純ではない。政治資金規正法は寄付行為者を収支報告書に記載することを求めているのであって、寄付行為の裏側にある資金拠出者を収支報告書に記載することを求めていないからである。「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」という二つの政治団体に実体があるのなら、収支報告書にこの二つの団体名を寄付行為者として記載することは虚偽記載にはあたらないとの解釈が有力である。つまり、仮に大久保氏が二つの政治団体から提供される資金の拠出者が西松建設であるとの感触を有していたとしても、二つの政治団体に実体があるのなら、収支報告書に二つの政治団体名を記載することは法律違反には該当しない可能性が高いのである。問題とされている政治資金が「賄賂」に該当するのなら「悪質性」は高いということになるだろう。しかし、もし「賄賂」であることが立証されるのなら、事件は政治資金規正法違反だけでの立件に終わっていないはずである。ところが、現実の事件処理は虚偽記載だけとされており、このこと自体が問題の「悪質性」を否定する何よりの根拠となる。仮に「虚偽記載」だけが問題とされるとするなら、今回の「事件化」はあまりにも異常と言わざるをえない。この点についての指摘が、弁護側の冒頭陳述に明瞭に示されている。以下にその概要を読売新聞報道から転載する。

 「◆弁護側の冒頭陳述◆

 (大久保被告の弁護側の冒頭陳述の要旨)

 ◆二つの政治団体の献金額

 (西松建設のOBが代表だった)新政治問題研究会と未来産業研究会はそれぞれ設立から解散までに4億2670万円、5153万円の寄付などを行っているが、その多くが小沢氏以外の政党や政治団体向けのものだ。2003~06年に両団体が陸山会などに行った寄付は3500万円。同じ期間に他の政治団体などが受け取った寄付などは約7860万円で、陸山会などへの寄付が突出しているとは言えない。

 ◆公訴権の乱用

 過去に政治資金規正法違反のみで起訴された事件は、弁護人の知る限り、すべて寄付を受領したのに収支報告書に記載しなかったという裏献金やヤミ献金のたぐいであり、ほとんどが1億円を超えている。本件は、寄付自体は収支報告書に事実の通り記載しているにもかかわらず、寄付者の記載が正しくないとして刑事責任を問われているという点で、裏献金とは性質を異にする。金額という点でも、従前の起訴例と比較して異例だ。

 大久保被告は今年3月3日の出頭直後に逮捕、拘置され、任意の事情聴取が行われず、強制捜査で証拠保全が図られた。一方、2団体から寄付を受けている他の(政治家の)政治団体などはそもそも捜査対象にされず、現在も不問に付されたままだ。

 ◆ダミー団体ではない

 新政治問題研究会と未来産業研究会は、それぞれ政治資金規正法に基づいて設立届を提出し、受理された。事務所の賃借料も支出し、西松の資金とは区別される資金を保有。会員の加入は西松従業員の任意であり、会費も、上乗せされる賞与支給の前に支払いをしていた者が多数いた。両団体の資金が西松の資金と評価することはできない。

 ◆談合関与の事実なし

 検察官は小沢氏の元秘書が2000年6月まで東北地方の公共工事受注の決定権限を有しており、それ以降は大久保被告が引き継いだと主張するが、元秘書は同月に衆議院議員に選出されてから小沢氏の事務所と一線を画しており、実際の引き継ぎもなく、大久保被告が元秘書の地位を引き継ぐことはなかった。

 大久保被告は、03年6月以降にようやく建設会社などからの陳情の窓口として認識されるようになったものの、受注への力添えを依頼されても、実際に何かできるわけではなかった。

 ◆ダミー性の認識なし

 小沢氏の事務所は、毎年、前年度実績に基づいて寄付を依頼しており、(西松建設側と)寄付金額を取り決めた事実はない。寄付先も、西松側の意向で変更しており、小沢氏の関係者が依頼したことはない。

 大久保被告は、2団体は西松が紹介してくれた団体だと認識し、03年暮れ頃、寄付の依頼を初めてした時、西松幹部から「ちゃんと届け出もされている」と説明を受けた。2団体の資金の管理や帳簿の作成を行っていたのが西松の元従業員であったことや、原資の調達などの内部事情は全く認識していなかったし、知りうる立場になかった。」

 (12月18日読売新聞)

 弁護側が指摘するように、新政治問題研究会と未来産業研究会は、それぞれ政治資金規正法に基づいて設立届を提出し、受理されている。事務所の賃借料も支出し、西松の資金とは区別される資金を保有している。政治資金収支報告書に二つの政治団体名を記載して報告したことは「虚偽記載」にあたらないとの弁護側の主張は強い説得力を持っている。

 本年3月25日午前零時のNHKニュースは大久保氏が、「献金が西松建設からの献金であることを知っていた」との供述を始めた模様と報道した。しかし、初公判では、「献金が西松建設からの献金と認識していた」との私設秘書の供述調書の存在が示されたものの、大久保氏が同様の供述を示したとの事実は示されなかった。NHK報道問題も全容を解明し、問題があるなら関係者の責任が問われなければならない。

 裁判が公正に行われることを期待したいが、初公判で明らかにされた事実は、大久保氏の無罪主張の正当性を改めて裏付けるものであったと判断できる。公正な裁判を確保することに力が注がれるべきであるが、同時に並行して、このような政治謀略がどのようなプロセスを経て実行されたのかも明らかにされる必要がある。政権交代に伴い実現しなければならない最重要の課題のひとつが、日本の警察・検察・裁判所制度の近代化である。この問題解決なくして、日本の暗黒社会を解消することはできない。


Re::れんだいこのカンテラ時評639 れんだいこ 2010/01/10
 【「小沢対検察の攻防戦」考】

 2010年早々、東京地検特捜部による執拗な小沢パッシングが始まっている。これに対するれんだいこの不快を吐露しておく。検察司法の本来的役目は「法の番人」としての正義を護持するところにあると思わるのだが、東京地検特捜部はそのような役割を果たしているのだろうか。あまりにも露骨な「上からの法破り」により法秩序そのものを毀損せしめている張本人なのではなかろうか。だとすれば、政治の力で、こういう法匪を成敗せねばならないのではなかろうか。

 小沢パッシングの何がやり過ぎなのかというと、法というものは万人に等しく適用される法理で裁かれねばならぬところ、小沢パッシングの為の特殊な法論理によって小沢裁きに興じているように見えてならない。ここがやり過ぎと云わざるを得ない所以である。こたび喧騒されている「陸山会の4億円収支報告書問題」では、収支報告書への記載がなかったことによる咎めを受けようとしているのではない。小沢氏側は、これを記載報告しているところ、その支出経緯の疑惑問題へと発展せしめられようとしている。

 この際、使途目的が問題なのではない。使途目的は秘書団の寮建設であることが判明しており、これが咎められる筋はない。東京地検特捜部が問題にしようとしているのは、寮建設の為の土地取得に絡む資金捻出疑惑である。しかし、果たしてそのような疑惑を生みだすべきであろうか。通常は事件化されるとしたら、政治利用による不当払下げであろうが、本件の場合にはそのような疑惑は見当たらない。市場の中から任意の物件を見つけて相場で取引しているからである。取引過程での詐欺とか恐喝とかの事件が発生している訳でもない。そこで検察は無理矢理にも資金捻出疑惑を仕立てようとしている。

 しかし、それなら、資金捻出疑惑は小沢一人の問題としてではなく等しく適用されねばならない。しかしながら、東京地検特捜部はそのような訴追の仕方をしているのだろうか。というより、そういう訴追の仕方が許されるのだろうか。これを論理的に云うと、資金捻出の金種と金主責任論と云うことになろうが、こういう法概念が有り得て良いことだろうか。人がある取引行為を為す場合、今後はそこに支出する金銭の透明性、正当性を証明せねばならないことになるが、こういう法概念を弄び始めると際限のないことになりはすまいか。

 東京地検特捜部は、今後こういう法概念を使って取り締まり始めようとしていることになる。こうなると、これは立派すぎる予防取締法である。最近はこういう事前取締まり予防法がめたらやたらに増えつつある。しかし、これは、危険極まりない権力万能に道を開く「上からの法破り」ではなかろうか。かく問わねばなるまい。ケッタイナことに、「社会の木鐸」を任ずるマスコミが、検察の後押しをして検察の正義を吹聴している。とんだ「社会の木鐸」ではなかろうか。どいつもこいつも狂っていよう。れんだいこの子供時代の記憶によれば、新聞は冤罪事件史を好んで取り上げていた。それが今や、検察エールで旗振りすることを得手としている。いつからこんな世の中になってしまったのだろう。れんだいこには分かる。ナベツネが台頭し始めてからのことである。

 れんだいこは、東京地検特捜部の動きは職権乱用罪に抵触すると見立てている。東京地検特捜部の動きがハト派に厳しくタカ派を見逃し、国際金融資本の御用聞きによる政治主義的立ち回りをしていることを思えば、なおさら断じて許し難い。日本国憲法はオオトリの第99条で「憲法尊重擁護の義務」を課し、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と記している。検察庁は、これを監視する役目を持つ司法官庁である。その検察が、好んで法破りしている痛ましい現象を思わねばなるまい。

 こういう検察の露骨な法破りは、ロッキード事件から始まった。かりそめにも直近の前首相であった田中角栄を外為法違反容疑で別件逮捕した。ちなみに、外為法なるものは為替自由化の波に洗われて死文法でしかなかった。そういう法の違反容疑で前首相という要職にあった者を、しかも別件逮捕するようなことが果たして許されるであろうか。三権分立に対する弁えの喪失というべきではなかろうか。その角栄に対して検察は、外為法違反と受託収賄罪で起訴した。「5億円は全日空のトライスター機導入に絡む賄賂である」として受託収賄罪が適用された。角栄は、これにより「総理大臣より一転して刑事被告人」の立場に追いやられることになった。マスコミと日共が、判決前から容疑クロ一色で包囲網を敷いたのは衆知の通りである。

 その角栄の受託収賄罪容疑の証拠固めが無茶苦茶なものであった。伊藤調書と桧山調書がこれに手を貸したが、桧山氏は後に「検察ストーリーでしかない絵空事」として自身が調書内容を否定している。鳴り物入りで「コーチャン証言」なるものを引き出したが、コ―チャンに免責特権を与えての、反対尋問を許さない一方的な供述でしかなく、そのようなものに証拠価値を認める訳には行かないとすべきだろう。その後コ―チャンは姿をくらまし、ロッキード事件の取材を拒否し続けるというオマケ付きである。日本の刑事訴訟法には「免責特権付き供述」なるものは認められていない。それを最高検察庁と最高裁判所が「不起訴宣明」までだして証拠採用した。問題は、「コーチャン証言」が正しい供述ならばまだしも、角栄を貶める為の意図的悪意な供述であったとするなら、どういうことになるのか。これについての司法決着はまだついていない。というかつけようともしないで今日まで経緯している。

 角栄は、「5億円収賄」につき徹底否認し最後まで法廷闘争を繰り広げた。この間、マスコミと日共、社会党は、角栄の政界追放を掲げて検察裁きに呼応し続けた。さて、裁判の決着はどうなったか。1993(平成5)年12.16日、角栄は、別件逮捕劇から17年、有罪か無罪かロッキード最高裁判決の日を見ることなく上告審に係属中のまま逝去した。最高裁は、本人死亡により「控訴棄却」を決定し、裁判終結。つまり、確定判決はないまま公訴棄却となった。つまり、事件の真実は何ら明らかにされないまま終結させられている。

 1995(平成7)年2.22日、最高裁は、榎本と桧山に上告棄却を言い渡す。この時の論法が凄い。判決は、事件当時のロッキード社コーチャン社長に対する嘱託尋問に関して、証拠能力を否定していた。ということは、「嘱託尋問問題」は角栄を葬るために援用された特殊法理論であったということを、角栄死去後初めて最高裁が認めたということになる。最高裁が一度認めたものを否定するということは重大な事態であり、本来であれば、このことだけで角栄有罪判決は破棄されるに値する。ところが、角栄に対しては「嘱託尋問手法が否定されてもなお有罪」という果実だけ残されることとなった。法とは、かくも政治主義的なものであることがここに判明する。これまで「嘱託尋問問題」に問題なしとしてきた学会・マスコミがこれに口を閉ざすことが許されないにもかかわらず、この検討が為された形跡がない。

 参考までに、刑事裁判での「毒樹の果実」理論について触れておく。これを角栄のロッキード裁判に当てはめると、「嘱託尋問調書という違法な手続きについて捜査が進められて、榎本や伊藤の調書が取られている。それは毒樹になった果実のようなもので、全て汚染されているから、証拠としては排除しなければならない筈である」ということになる。

 この時の判決は、こうして「嘱託尋問」の有効性を否認したことから、「嘱託尋問」から発生する受託収賄罪によって角栄を裁くことができず、かわりに援用されたのが「内閣総理大臣の(過剰)職務権限」論であった。ところが、この論も又杜撰な様が露呈している。判決文には、判決書に名を連ねた12名の判事全員が、単独あるいは連名の補足意見をつけているという異例になっている。つまり、職務権限論での統一的な考えが為されないままの「為にする法理論」を又もや駆使していることが明らかにされていることになる。これがわが国の最高の法規判断機関の実体であることを銘記しておく必要があろう。

 「小沢対検察の攻防戦」は次第にミニロッキード事件化しつつあるように見える。検察が何らの反省なく、昔取った杵柄で小沢を掣肘せんとしているように見える。日本人民大衆はまたもや、これにだまくらされるのであろうか。あの時と違って、我々にはインターネットいう武器がある。このウェブ上では何らの利益誘導も効かない。これが見ものの言論戦世界である。このことを深く肝に銘じたいと思う。

 2010.01.10日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評641 れんだいこ 2010/01/13
 【「小沢対検察、いよいよロッキード事件化し始める」】

 2010.01.13日、東京地検特捜部が、小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」(東京都港区)の捜索に入った。容疑は、「陸山会」が2004年に取得した土地の購入原資4億円が政治資金収支報告書に記載されていないとする問題で、陸山会の事務所やゼネコン大手「鹿島」本社など関係先の家宅捜索を始めた。

 また同日、事務担当者だった元秘書・石川知裕衆院議員(36、同党北海道11区)に対し、2回目となる任意の事情聴取をした。原資について解明するため小沢氏本人の聴取が不可欠と判断して年明けに任意の聴取を要請したが1週間たっても応じていない、と伝えられている。

 東京地検特捜部は、昨年の2009..3月にも小沢氏周辺を強制捜査し、西松建設による違法献金事件の捜査に着手した。小沢氏はこれにより民主党代表の座を降りることを余儀なくされた。以来10カ月ぶりの再捜査であるが、執拗に小沢追い落としを画策していることが判明する。こたびの捜査により、いよいよミニロッキード事件化し始めた感がある。

 さて、我々は、この事件をどう受け止めるべきであろうか。東京地検特捜部の過度の政治主義的な立ち回りを目にしているが、これを掣肘できる術はないのだろうか。そろそろこれを叡慮せねばなるまい。東京地検特捜部の政治案件の捜査が、戦後政治構図上のハト派系政治家に集中し、タカ派系政治家はお目こぼしにあずかっているのは、既に指摘されているところである。ハト派系が公共事業を利権化し、タカ派系が軍需、原子力事業を利権化している棲み分けからすれば、東京地検特捜部の公共事業利権摘発、軍需、原子力事業利権免責の実態が浮き彫りになる。

 問題は、東京地検特捜部のこういう性格はどこから由来するのかにある。既に次のように告発されている。「東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する。この教育を受けた者でなければ、東京地検特捜部、そして日本の警察機構の中で、上層部に出世する事はできない」。

 しかしながら、こういう実態があるとしても何ら咎められていない。なぜなら、この間の政府自民党、続く自公政治の期間中、同じ穴のムジナが権力者であったからに他ならない。これらを指揮する黒幕は誰か。れんだいこは、国際金融資本帝国主義ネオシオニストと断じている。その胞友はハゲタカファンド一族であり、小泉―竹中政権時代、わが世の春を謳歌して日本の国富を食い荒らし、今も画策し続けているのは衆知の通りである。既に、銀行、証券、生保、損保の金融は彼らの軍門に下り、その他工業、商業、情報も傘下に収められつつある。

 この動きを強めようとする連中にとって、一番目障りなのが小沢であり、そのグループである。そういう訳で、かってその師角栄を葬った如く牙を剥き始めている。例によって東京地検特捜部―マスコミ―日共―御用評論家の四者連合がはしゃぎ始めている。今のところ立花が出ていないが、そのうちしゃしゃり出てくることになろう。当分、これを観劇するしかなかろう。

 しかしながら、我々は徒に傍観する訳にはいくまい。その前に知識教養としてこの種事件の元祖ロッキード事件を再検証せねばなるまい。ここより教訓を引き出し、有効な対応策を考えねばなるまい。これに関しては、れんだいこの以下のサイトが必読であろう。手前みそながら記しておく。こうやって整理しておくと、役に立つ日が来るとしたもんだ。

 ロッキード事件
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokkidozikenco/rokkidozikenco.htm)

 ロッキード事件についてはまだ未解明なところが多い。とはいえ、構図として、本来は児玉―中曽根ルートの20数億円こそが摘発されねばならぬところ、こちらは免責され、恐らく受け取っていないであろう角栄の5億円授受が執拗に摘発され、遂に刑事被告人、政界追放の糾弾の嵐へと誘われることになった。ロッキード事件の不正はここに極まる。免責された中曽根は、その後のグラマン事件、リクルート事件でも取りざたされたが、今日に至るまでオール免責と云う不思議な遊泳術を見せている。これななぜなのか、ここに闇がある。検察の正義などといっても、こういう仕掛けの中のものであることを確認すれば良い。

 検察が、真に正義を詠うのであれば、郵貯簡保の不正払下げ事件を摘発すれば良かろうに。こちらはダンマリである。なぜか、ハゲタカファンドが絡んでいる。単にそれだけのことである。そういう構図における小沢パッシングであることを確認すれば、論がずれることはない。

 2010.01.13日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評642 れんだいこ 2010/01/14
 【小沢騒動勃発、日共の蠢動を注視せよ】

 2010年早々、東京地検特捜部はどうやら座して死を待つよりはということからであろう、不退転の決意で小沢征伐に向かっている感がある。このころの検察による小沢叩きは、はますますロッキード事件化しつつある。よって、これをもじって仮に「小沢キード事件」と命名する。以下、その兆候の見逃せない動きを指摘しておく。

 ロッキード事件の勃発は、今を去る34年前の1976(昭和51).2.4日の米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会でのチャーチ委員長による爆弾発言によってであった。それから7カ月後の7.27日、田中角栄が逮捕された。この間、日米合同捜査と国会における角栄追い詰めの為のみのロッキード質疑が並行した。その中でも奇妙且つ顕著な動きとして日共のそれがあった。れんだいこならではの嗅覚アンテナであるが、これを試論として提供しておく。

 当時、日共は、同年秋に予定していた定期党大会を異例中の異例なことに翌52年に延期することとして急きょ、角栄逮捕の翌日の7.28日、第13回臨時党大会を開いている。大会の冒頭、ロッキード事件の勃発直前まで、戦前の小畑中央委員リンチ致死事件の蒸し返しによる疑惑渦中の人であった最高指導者の宮顕が登壇し、シャカリキになって「角栄訴追、対角栄闘争の徹底推進」を呼号した。党内がこの呼び掛けに意志一致させたのは云うまでもない。

 そういう史実がある。さほど注目されていないが、れんだいこは、日共党大会の期日が余りにもタイミング良過ぎることを疑惑している。「角栄逮捕翌日の臨時党大会」とは、あたかも角栄逮捕の期日まで予知していたかの如くではないか。もちろん真相は定かではない。そういう疑惑が残るということである。

 それはそれとして、日共は、「小沢キード事件」に於ける東京地検特捜部の小沢事務所捜査の同日、2010.1.13日、第25回党大会を開催している。これは果たして偶然だろうか。偶然かも知れない。しかしながら、次のような奇妙な兆候が既に見えている。同党のインターネットホームページの本日1.14日付けトップを見れば分かる。
 (ttp://www.jcp.or.jp/)
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   2010年1月14日付 記事一覧へ

 「国民とともに新しい政治を探求/激動の情勢 日本共産党25回大会始まる」と「第25回党大会での志位委員長の開会あいさつ」タイトルの間に「小沢氏関係先を一斉捜索/東京地検」と「陸山会の土地購入 強制捜査/原資 ゼネコン裏献金か」、「主張/土地資金疑惑/小沢氏は国民に説明すべきだ」を差し挟んでいる。普通には、「国民とともに新しい政治を探求/激動の情勢 日本共産党25回大会始まる」と「第25回党大会での志位委員長の開会あいさつ」が対であり、この順に並べるところ、敢えて党大会記事の間に「小沢キード事件」3本立て記事を挿入している。こういうことは、意図的故意にしていると読みとるべきではなかろうか。

 つまり、日共が如何に「小沢キード事件」を重視しているかが透けて見えてくる。ロッキード事件同様に「小沢キード事件」を仕立て上げ、今後徹底追及する意志を表明していると窺うべきではなかろうか。では、誰に決意表明しているのか。それが肝要である。れんだいこは、「小沢キード事件」を指令している黒幕奥の院に対して「徹底的にやります宣言」であると読む。なぜ分かるのか。

 それは、日共のイカガワシサを追求し続けているれんだいこならではの嗅覚によってである。この党は、戦前の共産党運動を最終的に解体せしめた戦前来の宮顕―野坂コンビが1955年の六全協宮廷革命により党中央を簒奪して以来、共産党とは名ばかりの実は現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の裏御用聞き的立ち回りを使命として存続し得ているケタクソの悪い変態共産党に他ならぬ。平素は戦前来の共産党らしき言辞を弄ぶ。しかし一朝事ある時には、国際金融資本帝国主義の要請通りの反革命にシフトする。これにより、二枚舌ならぬマルチ舌を余儀なくされ又は得意とすることになる。不破の呂律なぞその典型であろう。

 さて、日共の決意は分かった。問題は、我々の戦略的対峙の仕方こそにある。ロッキード事件の二の舞を避け、日共反革命のペテン性を満天下に知らしめる好機とせねばならない。敵もこちらも問題は絞られている。所詮は土地購入資金の調達利権騒動でしかない小目的を操って、小沢の政界追放、小沢逮捕、これによるこのところの民主党主導による日本再生運動総体を解体せしめようとする国際金融資本帝国主義の大目的が課題である。我々に問われているのは、日共のエージェント活動に対して、これに加担唱和するのか、これを覆すのかである。

 敵はケタ違いの権力を行使している。たがしかし、彼らにも弱みがある。一つは、土地資金調達疑惑程度の問題により果たして小沢を葬れるのかと云う目的の正義性の脆弱さである。もう一つは、国際金融資本帝国主義の思惑による日本溶解解体計画の野蛮性であり、ここまで生活苦を悪化させている日本人民大衆がこれ以上、連中の思惑をすんなりを受け入れることはよほど困難であるという見通しである。連中には、悪あがきをせねばならない苦しさがある。

 つまり、こたびの「小沢キード事件」の基盤は弱いと云うことである。もし、彼らが敗北すると、国際金融資本帝国主義の御用聞き派は壊滅的打撃を見舞われることになる。なぜなら、この事件の捏造過程の解明を通して相応の責任を取らされるからである。その勢いは、簡保施設の不当払下げ疑惑の徹底究明へと接続する。「小沢キード事件」は、これをさせぬ為のかく乱的動きと読むこともできる。

 そういう意味での闘いの火ぶたが切って落とされたと受け止めるべきであろう。この勝敗は国際情勢にもよる。国際金融資本帝国主義の復元力に応じて彼らは勝利し、国際金融資本帝国主義の勢威衰えに応じて、彼らの野望は破綻する。我々は、どちらを見てとるべきだろうか。れんだいこは、国際金融資本帝国主義のシナリオ総崩れ必至と見立てる。なぜなら、案外彼らのシナリオは、その思想と同じく児戯的狂的であるからである。動けば作用を生むが倍する反作用なしには進めない。

 以上、気づいたことを発信しておく。早く日本版アルジャジーラ放送局を創ろう。そうすれば、手もなくひねり潰すことができように。くだらない論説委員の顔色論なぞ聞かなくて済むだろうに。

 2010.01.14日 れんだいこ拝

【石川知裕議員逮捕は違法逮捕だった!】
 「トニー四角の穴を掘って叫ブログ」の2010.01.26日付けブログ「石川知裕議員逮捕は違法逮捕だった!」を転載しておく。

 非公式情報だけれど先週最も売り上げのあった週刊誌は週刊朝日だったらしい。

 どの週刊誌もトップ記事は「小沢一郎対東京地検特捜部」関連だったのだが、週刊朝日を除く他の全てが検察側から記事を書いているのに対し、週刊朝日だけが検察の捜査手法や検察べったりの報道のあり方に疑問を呈していたのが特徴だった。特にジャーナリストの上杉隆氏の「検察の狂気」と題された記事は特集のトップに置かれ、厳しく東京地検特捜部の捜査のあり方と記者クラブメディアの報道を批判していて、twitter等ではフリーランスのジャーナリスト達の多くがこれを読むように勧めていた。

 そして今週になると週刊ポストやサンデー毎日などが視点を検察一辺倒から中立或いは小沢一郎側へとシフトし始めた。週刊朝日の売れ行きを見て気が変わったのか、或いは本当に検察に対する疑問が一週間で湧き上がったのかはよくわからないけれど、兎に角週刊誌ジャーナリズムが少しづつ動き始めたようである。

 小沢一郎は確かに権力者でありジャーナリズムはその権力を監視しなければならない。しかし一方の検察も権力である。それなのに今のジャーナリズムは検察の持つ国家権力を放置し、一方の小沢一郎を叩くことだけに懸命になっている。これを好意的に言うと片手落ちといい、正直に言うと権力の走狗という。

 さてその週刊朝日を買ってきた。今回の特集もやはり「小沢一郎対東京地検特捜部」の特集なのだが、ここでの注目記事はジャーナリスト上杉隆氏の取材で明らかになった新事実である。タイトルは勇ましくも「検察の卑劣」である。重要な部分を一部抜粋する。

 1月13日午後4時45分、突如、議員会館の石川事務所に見知らぬ人物が押しかけた。衆議院事務局議員会館課の女性職員に案内されてきたのは東京地検特捜部の事務官ら7人である。

 石川の部屋の前の廊下には記者たちが取材機会を求めて待機していた。その目の前での出来事だった。

 操作は極めて強引であったようだ。まずドアをノックすることもせず、会館の職員が東京地検の事務官を部屋に引き入れると、捜索令状も見せずに、内側から勝手に鍵を閉めたのだ。

 その間、捜査事務官たちは、部屋のモノには手を触れないように秘書たちの行動を制限している。約30分後、石川本人が検事と共に部屋に戻ってくるまで無断で占拠し続けたのだ。

 つまり、少なくとも30分近くの間、令状もなく国会議員の部屋が無断で東京地検に“差し押さえ”られたのだ。これは違法行為ではないのか。(P25)

 上杉氏が特捜部関係者のひとりに確かめると「令状なしの家宅捜査は聞いたことがない」との答えが返ってきた。また土本武志元最高検検事は明確に「それは脱法行為である」と断定した。つまり石川議員逮捕は手続きに不備がある違法逮捕だった可能性が高い。

 さらには翌朝石川議員の秘書がその部屋に出勤すると、押収されているはずの石川氏の携帯電話が机の上に忘れられていて、弁護士を通じて検察に電話すると「じゃあ、持って来てもらえますか?」などとのんきに曰ったというのである。勿論この携帯電話は押収物リストに記載されていたのである。

 この上杉氏の記事の前半部では検察が体調を理由に聴取日程を日曜日の党大会の日に延期して欲しいという石川氏に対して、検察が恐喝した行為も明らかにされている。

 それは石川市の女性秘書が赤ちゃんを連れて出勤しており、石川氏の部屋にベビーベッドを置いていることによりそのことを知った検察が言った言葉である。

「あの女の秘書、小さな子供がいるんだろう。(事情聴取に)呼ばれたら、困るんじゃないか?」(P24)

 このような人の弱みにつけ込むのは検察の常套手段のようで、鈴木宗男議員も証言している。

「私にもね、経験がありますよ。検察はこうも言いましたよ。『捜査に協力しないと事務所の女性秘書を逮捕するぞ』って。でもね、彼女は、当時、重い病気だったんですよ。それを、結局、私がいっさい調書に応じないからって、本当に逮捕したんです。許せんですよ、本当に。結局、彼女は亡くなってしまったんです」(P24-25)

 記事にはないが付け加えると、この鈴木宗男議員の女性秘書は重度の癌を患っていて、頻繁に病院での治療が必要な状態だった。そして逮捕されるとその治療さえも制限されたという。また公職選挙法違反で(事後買収)で失職した出口晴三元葛飾区長も証言する。

出口が(調書にサインを)拒んでいると「じゃあ、女房を呼ぶぞ」という例の脅しが始まった。

「それでも応じないでいると、許せないことに、当時中学3年生の長男を呼んだんです。未成年ですよ、まだ14歳の。そこで検事はこう聞いたそうです。『おまえも父親のような政治家になりたいのか』って」(P25)

 そして上杉氏は続ける。

 小沢事件でも同様だ。新聞はこう書いている。

<小沢の妻も事情聴取へ>

 そして、小沢自身が任意の事情聴取に応じるとした途端、次のような記事が出た。

<妻の聴取、見送りへ>

 上記は上杉氏の記事からの一部抜粋であり、興味ある方は是非週刊朝日をご自分で手に取ることをお勧めしたい。新聞やテレビなどの記者クラブ依存型ジャーナリズムとは違った視点をみることが出来るだろう。そしてこの「小沢一郎対東京地検特捜部」の最も焦臭い部分、つまり、検察側の一方的な情報だけが報道されることの恐ろしさを皆が共有するべきだと思う。

 検察も権力であり、その暴走に報道が荷担していることは、戦前の軍部に当時の報道が追従した結果、戦禍を広げ莫大な犠牲者を出した歴史から何も学んでいない証拠である。


【植草一秀の支配者が最大の警戒を払った人物考】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK296 」「 赤かぶ 日時 2025 年 4 月 07 日」「支配者が最大の警戒を払った人物(植草一秀の『知られざる真実』)」。
 支配者が最大の警戒を払った人物
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-682f0b.html
 2025年4月 5日 植草一秀の『知られざる真実』
 日本政治にはいくつかの分岐点があった。それらの分岐点の決着が異なるものであったなら、その後の歴史は異なるものになった。歴史のIfは意味がないと言われるが過去の検証は重要だ。

 2006年4月に小沢一郎氏が民主党代表に就任した。
前原誠司氏が「偽メール問題」の処理を誤り、民主党が信認を失った局面。「火中の栗」を拾うかたちで小沢一郎氏が民主党代表に就任した。ここから民主党が大躍進した。結果として2009年8月総選挙で民主党政権が樹立された。
樹立されたのは鳩山由紀夫内閣で小沢一郎内閣ではなかった。しかし、民主党を基軸とする新政権が総選挙での主権者の選択によって誕生したことは間違いない。本来は小沢一郎内閣が誕生した局面だったが、小沢氏と鳩山氏は連携して政権を樹立したから意味は同じだ。

小沢氏が民主党代表に就任した2006年から2011年までに多くの重要な事象があった。このすべてが歴史の転換点を創出した。そして、そのすべてが、ある一つの「大きな意思」によって規定されてきた事実がある。その洞察が重要だ。全体を貫く「大きな意思」をは、小沢-鳩山ラインによる政権を妨害するというもの。この点を洞察することが重要。

 2006年4月に小沢一郎氏が民主党代表に就任した直後、千葉7区で衆院補選が実施された。民主党候補太田和美氏が奇跡的な勝利を収めた。ここから小沢民主党の大躍進が始動。2007年参院選で民主党が大勝。参院での第一党に民主党が躍り出た。このことによって衆参ねじれが生じ、政治に良い意味での緊張感がもたらされた。そして、決戦の総選挙が2009年8月30日に実施され、鳩山民主党が歴史的大勝を得て民主党を基軸とする連立政権を樹立した。しかし、振り返ると小沢氏が民主党代表に就任してから、直ちに小沢氏の影響力を排除しようとする「工作」活動が本格化した。2007年の参院選で民主党が大勝。参議院で民主党が第一党に躍り出た。

 このなかで福田康夫首相は民主党との大連立を模索する。小沢氏による日本変革断行よりも小沢民主党を政権に取り込んだ方が、ダメージが少ないとの判断だったと考えられる。大連立は民主党内の反対多数によって消滅した。

 2008年春の日銀幹部人事。私は財務省天下りを阻止するために民主党の全国会議員に書簡を送付した。このことも大きく影響したと思う。日銀幹部人事で財務省天下りを排除する動きが拡大。この結果として武藤敏郎氏の日銀総裁就任が消えた。このなかで、財務省財務官経験の渡邊博史氏の副総裁就任案が浮上。しかし、小沢氏は財務省天下り排除の方針を貫徹した。この過程で仙谷由人氏を中心に渡邊博史氏の副総裁就任を容認する動きが本格化した。その狙いは民主党内での小沢一郎氏の求心力を低下させることにあったと思われる。小沢氏の影響力排除に最も熱心だった一人が仙谷由人氏である。私は当時、仙谷氏からメール等で直接の連絡を受けていた。結果として渡邊氏の副総裁就任は排除された。小沢氏は影響力低下の危機を乗り越えた。

 この年の秋に民主党代表選があり、メディアが複数候補による代表選実施の大合唱を演じた。小沢氏を代表から引きずり下ろす工作だった。この攻撃もかわして総選挙が行われる決戦の2009年を迎えたところで小沢氏攻撃は頂点を迎えた。3月3日に「西松事件」が創作されたのである。

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