「晩秋の政治的民主主義論」考察の意義 |
(最新見直し2010.10.12日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「民主主義論」考察の意義は次のところに求められる。中野徹三氏は「社会主義像の転回」の中で、「マルクスとエンゲルスの民主主義ないし社会民主主義の概念が内包するこの二重性」と指摘しているが、問題をかく明確に認識することで卓見であるように思われる。れんだいこもこの観点に賛成である。但し、少々規定の仕方が違うように思われるので意見を添えておこうと思う。れんだいこは、「民主主義概念を廻っての両義的規定による分裂的二重性」と云い直したい。 中野説は「マルクス・エンゲルスには二つの民主主義概念があった」と着目し、次のように述べている。概要「一つは暴力革命論によってでも社会主義革命を強行し、プロレタリア独裁の下で花開くとされていた。その成果としてブルジョア民主主義よりももっともっと実質的なプロレタリア民主主義の獲得を目指すという流れでの、やや『危険思想』的な民主主義論の系譜。後の一つは、やや『社会的民主主義』に通底する『普通選挙権にもとづく代表民主主義(コミューン方式を含む)の形態で存在し始めた政治制度としての民主主義』に注目し、その発展がプロレタリアートへの政権の平和的移行をもたらす可能性を展望するという民主主義論の流れ」。 「こうして、一方での武力革命としての労働者革命とその継続としてのプロレタリアートの階級独裁の思想と、他方での普通選挙権を手段としての平和的・合法的な社会革命の思想――マルクスとエンゲルスの民主主義ないし社会民主主義の概念が内包するこの二重性は、彼らの種々の時期の言説の間にも多くの矛盾と両義性をはらみながら、未解決のまま彼らの弟子たちに引き継がれたのである。二〇世紀を迎え、ロシアと西欧という全く異なった歴史的風土の上に立って、帝国主義の新たな状況にそれぞれ対応せねばならなかったロシアと西欧の社会民主主義たちは表向きは共に第二インタナショナルに結集して統一に努めながらもしだいにこの問題に対する異なった解答を結晶させていった。二〇世紀初頭におこったマルクス主義の最初の大分裂は、この問題を軸に展開する」とある。 この問題意識をれんだいこ風に云い直せば次のようになる。「マルクス主義における民主主義概念は分裂しているように見え、これを如何に整合的に理解すべきが問われている。あるいは整合しないのかも知れない。どのように分裂しているのかというと、一つは、『ブルジョア民主主義をひとまず擁護し、更にこれをより徹底させ実質化させる方向で、闘い取る概念としての民主主義論』(以下、これを仮に『革命的民主主義論』と云う)と、『ブルジョア民主主義をまずもって否定し、その欺瞞性を暴き、代替的にコミューン型の民主主義を対置させる民主主義論』(以下、これを仮に『コミューン型民主主義論』と云う)と云う風に、マルクス主義では民主主義が両義的二方向で指針されており、果たしてマルクス主義の真意はこのどちらにあるのか、我々はこれをどう整合的に理解すべきか、につき未だ充分には解明されていない」ということになる。 留意すべきは、れんだいこ規定に拠れば、前者の場合でもいわゆる社民型の民主主義論では無い。あくまで革命的民主主義論という性格で指針させられているという風に認識したい。なぜなら、革命的民主主義論と社民型民主主義論とは似て非なるものと思われるからである。もっとも、史実的には革命的民主主義論が埋もれ、民主主義概念が専ら社民型民主主義論に転化し唱えられてきた経過がある。そういう意味では、革命的民主主義論の意義を見直す必要があるように思われる。 で、一体、マルクス主義は既成のブルジョア民主主義制度と如何様に向き合おうとしているのかが精査されねばならない。果たして、整合的に理解し得るのか、やはり分裂しているのかが解析されねばならない、ということになる。残念ながら、この方面の研究が本格的に為されたことがあるのかどうかれんだいこは知らない。戦後左派運動は明らかにこの問題に対して背を向け過ぎて来た。特に、世界史上特筆に価する『より民主主義的な戦後日本の民主主義』を目の当たりにしているにも関わらず、これを歴史評価で対自化させることなく駄弁的批判を貪ってきた。その負の遺産が今日的左派運動の逼塞に繋がっている、、と見るのがれんだいこ史観である。 以上のことを前提としつつ、以下の呼びかけに耳を傾けたい。「今、真の民主主義論を確立・発展させることが必要となっている。レーニンのプロレタリア民主主義を乗り越える民主主義論を再構築しなければならない。そしてそれは、マルクスの民主主義論=共産主義論の再検討・再構築でもある」(「検証内ゲバ」) 。あるいは次のような観点からの必要が云われている。「結社の自由の要求は本来、個人の自由を踏まえるものでもあったのだが、歴史的な事実は、それを裏切り、左翼権力による個人の言論の自由の抑圧が、20世紀の幾多の悲劇の原因をなした。『真理も極端に至れば誤りとなる』とも言うが、その『真理』そのものが、いわゆる教条であり、不十分だったのであろう」(木村愛二氏の論考「カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判(その1)」 という訳で、論の基礎としてマルクス主義における政治的民主主義論の再考察をしてみたい。あるいは、マルクス主義をも相対化させてその考察をさせ、試論を提供してみようと思う。マルクス、エンゲルス、レーニンが示した見解は次の通りである。 |
【「二方向で分裂規定されている民主主義論」】 | |||||||||||||||||||||||
まず、『革命的民主主義論』及び『コミューン型民主主義論』という風に両義的に規定されている民主主義論を検証してみる。合わせて、民主主義の眼目がどこにあるのかについても見ておきたい。 『革命的民主主義論』を廻っては、次のように述べられている。
次に、『コミューン型民主主義論』について見てみる。この場合、いわゆるブルジョア民主主義の批判を通じて為されているので、そのセンテンスで確認してみたい。
|
【民主主義の眼目とは何か。】 |
以上を踏まえつつ、マルクス主義から見る民主主義とは要するにどういうものなのか、その眼目をレリーフ(浮き彫り)させてみたい。とはいってみたものの、要約することは非常に困難である。が、れんだいこには次のような構造になっているように思われる。 まず、民主主義とは政治概念であり、国家概念と非常に密接な関係にあるとしている。このことを踏まえて、レーニンは「国家と革命」の中で次のように言説している。「国家についての普通の議論では、エンゲルスがここで警告している誤り、そしてわれわれがこれまでの説明でついでに注意してきた誤りを、いつもおかしている。すなわち、国家の廃絶は同時にまた民主主義の廃絶でもあり、国家の死滅は民主主義の死滅であるということが、いつも忘れられている」。「民主主義とは、国家形態であり、国家の一変種である。したがってまた、それは、あらゆる国家と同じように、人間にたいして暴力を組織的・系統的にもちいることである。これは一面である。しかし他面、民主主義とは、市民間の平等の形式的承認を意味し、国家制度を決定し国家を統治する万人の平等な権利の形式的承認を意味する」。「『もはや本来の意味の国家ではない国家』が民主主義的になればなるほど、あらゆる国家はますます急速に死滅しはじめる」。 これを補足して、レーニン「国家論ノート」で次のように述べている。「ところで、民主主義については次のような理解が要求されている。概要「通常、『自由』という概念と『民主主義』という概念とは同一のものとみなされており、混同されることもしばしばである。俗流マルクス主義者(カウッキー、プレハーノフ派を先頭とする)は、極めてしばしばそういう風に論じている。実際には民主主義は自由を排除する」。つまり、民主主義という概念は、自由という概念と絡むのではなく、国家という概念と一蓮托生している。つまり、統治概念であると捉えている。 以上のように俯瞰して、民主主義の徹底的実質化がプロレタリア運動の精髄であるとしている。このことを踏まえて、レーニンは「国家と革命」の中で次のように言説している。「プロレタリアートの独裁は民主主義を驚くほど拡張し、この民主主義ははじめて、富者のための民主主義ではなしに、貧者の為の民主主義、人民の為の民主主義となる」。「労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級に転化させること(文字どおりには、支配階級の地位に高めること)、民主主義を闘い取ることである」(「共産党宣言」)という。この過程は、「ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ転化」の過程でもある。これを裏付ける次のような指摘がある。「民主主義は、それが一般に考えられる限りでもっとも完全に、もっとも徹底的に実行されるとブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ転化し、国家から、もはや国家ではないあるものへ転化する」。 次に、では、ブルジョア民主主義とはどういうものか、なぜ止揚されねばならないのか、について次のように論及している。「とるに足らぬ少数者の為の民主主義、富者のための民主主義――これが資本主義社会の民主主義である。資本主義的民主主義の仕組みをよく調べてみると、いたるところ、どこにも、選挙法の『小さな』――言うところの小さな細目(居住資格、婦人の除外等々)においても、代議機関の運営技術においても、集会の権利の事実上の妨害(公共の建物は『こじき』につかわせるためにあるのではない!)においても、日刊新聞の純資本主義的な組織、その他等々においても、民主主義が制限につぐ制限をうけているのを見るであろう。貧乏人にたいするこれらの制限、例外、除外、妨害は、小さいことのように思われる。とくに、自分ではかつて窮乏を経験したことがなく、被抑圧階級の大衆生活に接触したことのない者(ブルジョア政論家やブルジョア政治家の100人中99人ではないとしても、10人中9人まではこうした連中である)の目にはそうである。――しかし、これらの制限が総合されると、それは、貧乏人を政治から、民主主義への積極的な参加から除外し、おしのける」(「国家と革命」)。 「マルクスが、コンミューンの経験を分析して、被抑圧者は、数年にいちど、抑圧階級のどの代表者が議会で彼らを代表し、ふみにじるべきかを決定することをゆるされる!と言ったのは、資本主義的民主主義のこの本質をみごとにつかんだものである」(「国家と革命」)。 次に、こうした限界を持つブルジョア民主主義をどう止揚させるのか、改変か解体か、について次のように論及している。「しかし、自由主義的教授や小ブルジョア日和見主義者が考えているように、この資本主義的民主主義――不可避的にせまく、貧乏人をこっそりとおしのけている民主主義、したがって徹頭徹尾偽善的で、いつわりの民主主義――から、『ますます完全な民主主義へ』と、単純に、まっすぐに、すらすらと発展がおこなわれるわけではない。そうではない。前向きの発展、すなわち共産主義への発展は、プロレタリアートの独裁をつうじておこなわれるのであって、それ以外の進み方はありえない。なぜなら、資本家的搾取者の反抗を打ち砕くことは、他のだれにも、他のどんな方法でもできないからである」(「国家と革命」)。 次に、こうしたブルジョア民主主義の改良的改変の限界を次のように指摘している。「 しかし、エンゲルスは、たとえばあるマルクス主義者たちが民族自決権の問題についておかしている誤り、すなわち、資本主義のもとでは民族自決は不可能であり、社会主義のもとではよけいである、といった誤りは、おかしていない。こうした、利口そうに見えるが実際には誤った議論は、どの民主主義的制度についても――官吏のつつましい俸給についての議論をもふくめて――くりかえすことができよう。なぜなら、最後まで徹底した民主主義は資本主義のもとでは不可能であり、社会主義のもとではあらゆる民主主義が死滅するからである」、 「これは、もし髪の毛がもう一本少なくなれば、その人ははげ頭になるかどうかという、古い冗談に類する詭弁である。民主主義を徹底的に発展させること、そうした発展の諸形態をさがしだすこと、それらの形態を実践によって試験すること等々、すべてこうしたことは、社会革命のための闘争を構成する任務の一つである。個別的には、どのような民主主義も社会主義をもたらすものではない。だが、実生活では、民主主義は、けっして「個別的にある」ものではなく、他のものと「一体をなす」、それは経済にたいしてもその影響をおよぼし、経済の改革を促し、経済的発展の影響をうける、等々。これが生きた歴史の弁証法である(「国家と革命」)。変 次に、プロレタリア民主主義の推進がプロレタリア独裁を通じて前進していくという観点が次のように披瀝されている。「しかし、プロレタリアートの独裁、すなわち抑圧者を抑圧するために被抑圧者の前衛を支配階級に組織することは、民主主義の拡大をもたらすだけではない。プロレタリアートの独裁は民主主義を大幅に拡大し、民主主義ははじめて富者のための民主主義ではなしに、貧者のための民主主義、人民のための民主主義になるが、これと同時に、プロレタリアートの独裁は、抑圧者、搾取者、資本家にたいして、一連の自由の除外例をもうける。人類を賃金奴隷制から解放するためには、われわれは彼らを抑圧しなければならないし、彼らの反抗を力をもって打ち砕かなければならない。――抑圧のあるところ、暴力のあるところに、自由はなく、民主主義はないことは、明らかである」(「国家と革命」)。 レーニン曰く、「エンゲルスは、ベーベルにあてた手紙のなかで、このことをみごとに表現して、読者も思い出されるであろうが、こう言っている。「プロレタリアートがまだ国家を必要とするあいだには、自由のためにではなく、その敵を抑圧するためにそれを必要とするのであって、自由を語ることができるようになるやいなや、国家は存在しなくなります」。つまり、「人民の多数者のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力的抑圧、すなわち民主主義からのその排除――これが資本主義から共産主義への移行にさいして民主主義のこうむる形態変化である。(「国家と革命」)。 「そうではない。民主主義は、多数者への少数者の服従と同じものではない。民主主義は、多数者への少数者の服従を認める国家、すなわち一階級が他の階級にたいして、住民の一部が他の一部住民にたいして系統的に暴力を行使する組織である」(「国家と革命」)。 「われわれは、国家の廃絶、すなわち、組織された系統的なあらゆる暴力の廃絶、一般に人間にたいするあらゆる暴力の廃絶を、終局目標としている。われわれは、多数者に少数者が服従するという原則がまもられない社会秩序の到来を期待しているのではない。しかし、われわれは、社会主義をめざしながらも、社会主義は共産主義へ成長転化すること、また、それにともなって、人間にたいする暴力一般の、ある人間の他の人間にたいする服従の、一部の住民の他の一部住民にたいする服従の必要はすべて消滅することを、確信している。なぜなら、人間は、暴力無しに服従なしに社会生活の基礎的諸条件をまもる習慣がつくだろうからである」(「国家と革命」)。 こうなると、史上の民主的共和制をどう評するかが問われてくる。エンゲルスは次のように云う。「もしこの世のなにか確かなことがあるとすれば、それは、わが党と労働者階級とが支配権をにぎることができるのは、ただ民主的共和制の形態のもとでだけだ、ということである。この民主的共和制は、すでにフランス大革命が示したように、プロレタリアートの独裁に特有な形態ですらある」〔選集第17巻、385―387P〕。 次に、民主主義の究極が何を目指すのか、次のように述べている。「民主主義は、資本主義にたいする労働者階級の解放闘争に非常に大きな意義をもっている。しかし、民主主義は、こえることのできない限界ではけっしてなく、封建制度から資本主義にいたり、資本主義から共産主義にいたる途上の一段階にすぎない」(「国家と革命」)。 「民主主義は、平等を意味する。平等のためのプロレタリアートのたたかいと平等のスローガンとが大きな意義をもっていることは、平等ということを階級の廃絶という意味に正しく理解するならば、明らかである。しかし、民主主義は形式的な平等を意味するにすぎない。そして、生活手段の所有にかんする社会の全成員の平等、すなわち労働の平等、賃金の平等が実現されるやいなや、ただちに人類のまえには、形式的な平等から実質的な平等にむかって、すなわち「各人はその能力に応じて、各人にはその欲望に応じて」という準則の実現にむかって前進する問題が不可避的に現われる」(「国家と革命」)。 「人類がどんな段階をとおって、またどんな実際措置によって、このより高い目標へすすむか、われわれは知らないし、知ることもできない。しかし、社会主義をなにかある死んだ、硬化した、一度与えられたらそれきりのものと考えるありきたりのブルジョア的観念は、際限もなく誤っていることを、理解することがたいせつである。実際には、社会主義のもとではじめて、社会生活と個人生活のすべての分野で、住民の大多数が参加し、ついで全住民が参加しておこなわれる、急速な、ほんとうの、真に大衆的な運動が始まるのである」(「国家と革命」)。 これを踏まえてレーニンは次のように云う。「エンゲルスは、ここで、マルクスのすべての著作を赤い糸のようにつらぬいている根本思想、すなわち民主的共和制はプロレタリアートの独裁にまぢかに接近することであるということを、とくにはっきりしたかたちでくりかえしている。なぜなら、民主的共和制は、――資本の支配を、したがって大衆の抑圧と階級闘争とをすこしもとりのぞくものではないが――不可避的に階級闘争のいちじるしい拡大、展開、露出、激化をもたらすので、いったん被抑圧大衆の根本的利益を満足させる可能性が生じるやいなや、この可能性は、かならずまたもっぱら、プロレタリアートの独裁によって、プロレタリアートによる被抑圧大衆の指導によって、実現されるからである。第二インタナショナル全体にとって、これもまたマルクス主義の「忘れられた言葉」であって、この忘却は、1917年のロシア革命の最初の半年間に、メンシェヴィキ党の歴史によって、きわめて明瞭にさらけ出された」(「国家と革命」)。 |
(私論.私見)