黄川田徹の履歴

 (最新見直し2011.03.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 松木謙公の盟友に黄川田徹を据えてみたくなった。ここで黄川田氏の政治履歴を確認しておくことにする。

 2011.03.28日 れんだいこ拝


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【黄川田徹】
 1953年10月14日、 岩手県陸前高田市生まれ。
 1966年 陸前高田市立広田小学校を卒業。
 1969年 陸前高田市立広田中学校を卒業。
 1972年 岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。
 1977年 早稲田大学法学部を卒業。 
 1977年 陸前高田市職員となる。
 1995年 陸前高田市職員を退職。
 1995年 岩手県議会議員選挙(陸前高田市・新進党公認)当選(統一地方選挙)。
 1999年 岩手県議会議員選挙(陸前高田市・自由党公認)2期目当選(統一地方選挙)。
 2000年 県議2期目途中、第42回衆議院議員総選挙に当時の自由党から出馬。初当選 - 58,776票。当初、自由党は現職だった佐々木洋平を公認していたが、党県連の「選挙に勝てる候補を」という理由で佐々木の公認を取り消し、候補者を黄川田徹に差し替えた。佐々木は自由党を離党して保守党から出馬。結果は黄川田徹が勝利を収めた。以後、小選挙区で4期連続当選。岩手県は民主党代表を務めた小沢一郎の地盤であることから、民主党内でも小沢グループに属している。
 2003年民主党に合流。
       第43回衆議院議員総選挙にて2期目当選 - 93,862票。
 2005年 第44回衆議院議員総選挙にて3期目当選 - 102,477票。
 2009年 第45回衆議院議員総選挙にて4期目当選 - 122,746票。
 歴任
常任委員会 総務委員会理事、裁判官訴追委員、農林水産委員会委員。特別委員会 災害対策特別委員会委員。党務 民主党倫理委員、民主党岩手県総支部連合会副代表、民主党岩手県第3区総支部長、国会対策副委員長。

 家族

 2011年3月に発生した東日本大震災にて、陸前高田市の自宅および事務所が津波に流され、父親と妻が行方不明となり、母親、長男、公設第2秘書の男性が死亡した。。同じく被災地にいた娘は無事。また3月22日に政府の対応が遅いと批判を行い、首相の菅直人21日に予定していた被災地と福島第一原子力発電所への視察を悪天候を理由に中止したことについても批判している。

 黄川田徹公式ウェブサイト(公式サイト)







(私論.私見)