勝共連合/統一原理協会の歴史考1

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).6.1日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、日本政界をコントロールする外国勢力について確認しておく。

 2012.12.31日 れんだいこ拝


【】
 「統一協会について」、「 統一教会の現状」その他を参照する。
 1920.1.6日、現在の北朝鮮にあたる平安北道定州郡で出生した(「聖地定州」)。本名は文龍明。後に文鮮明(ムン・ソンミョン)と名乗る。愛国心の強いキリスト教の家門で育った。 大叔父の文潤国は牧師、独立運動家で、3.1独立運動に参与した李昇薰と五山学校の設立を主導した。文潤国が家門の全財産を上海臨時政府に独立基金として送り、家門の事情が難しくなったりもしたが民族の苦難と自身の運命について祈り続けた。

 
13歳まで書堂で勉学。1933年雲龍学院へ通う。1934年4月、雲龍学院から私立五山普通学校3学年に編入。1年間修学。1935年4月五山普通学校から定州公立普通学校に(4学年)に転校。1938年3月、定州公立普通学校卒業。

 1935.4.17日、文鮮明15歳の復活祭の時にイエス・キリストが現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるとの啓示を受ける。以後、宇宙の創造と聖書の秘密を明らかにするため深い祈祷と真理の世界に入っていった。

 1938年3月25日、定州公立普通学校卒業。

 1941年、京城商業実務学校を卒業。


 1942年、日本に留学。早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に学ぶ。(この旧制
専門学校は戦後、早稲田大学理工学部に併合された。昔は早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだと自称していた)「留学中も抗日活動に励み地下活動もしていた。 抗日活動当事、中国にあった韓国の臨時政府のテロも厭わない独立運動家の金九とも連絡を取ってっており、毎月戸塚警察署に呼び出されるほど特高警察に常にマークされていたと本人は言う。韓国人留学生達と共に第二次大戦での徴兵に対する抗議集会を行ったりした。(「文鮮明の日本の早稲田高等工学校時代経済生活はどうしてたんだろ? 」参照)
1957年、離婚。子供は文聖進(1946年生、男)。

 1945年、半年間、金百文のイスラエル修道院で学ぶ。

 1946年、混淫派という新興宗教の熱心な信者となり、血わけ行為を頻繁に行うようになる。この頃より混淫による社会秩序混乱の容疑で3ヶ月拘留される履歴を持つ。後に設立した統一教会/統一協会の「救世主とのセックスによって肉体の原罪は清められる」という教義の核心部分はこの新興宗教からアイデアを得たものである。

 1948.2.22日午前10時、文鮮明の血わけ第一声事件が起る。信者の実業家の金夫人と血わけの最中、現場に警察に踏み込まれ現行犯逮捕となる。金夫人のご主人が告訴し訴訟になる。

 同年4.7日、社会秩序を乱した罪で55年の実刑を受ける。5.20日、興南刑務所に収監された。金夫人はこの事件で10ヶ月間の実刑を受けている。その他多くの血わけ事件が頻発するようになり私生児が生まれる。その私生児の一人が現在新たな血わけ教祖となり分派活動をしている。

 服役中、朝鮮戦争で進攻して来た米韓連合軍に「釈放」され、南朝鮮に逃亡した。

【】
 「統一協会について」、「 統一教会の現状」その他を参照する。
 1954年5.1日、文鮮明が韓国ソウルにて「世界基督教統一神霊協会」(以下、「統一協会」と記す)を創立。 統一協会では、聖書に預言された再臨のイエス・キリスト(メシア)、全人類の父の立場にあるとし「真のお父様」等と呼ばせている。統一協会は、キリスト原理主義と云われる宗教活動と反共活動の2足のわらじをはく事で時の政権、CIAと密接な関係を保つようになる。

 1954年、韓国の李承晩と台湾の蒋介石らの提唱によってAPACL(アジア諸国人民反共違盟)なる反共運動組織が結成される。第三代CIA長官、アレン・ウェルシュ・ダレスがこれを根まわしした。

 1954年、金明煕との間に子供(文喜進、男、列車事故で死亡)をもうけている。

 1955年、「72時間説教」と称して女性信者を監禁、「私は神の子だから、私と肉体関係を持てば、あなたは救世主を産むことができる」と貞操を奪った。これを梨花女子大事件と云う。この事件で、「統一協会」教祖が多くの女性と性関係を持つ怪しげな宗教であることが判明する。文鮮明がソウルで逮捕される。陸軍保安司令部と政治取引をし懲役を免れたと言われているなど当初よりスキャンダルにまみれていた。

 1958年、韓国で始まった統一協会が日本で布教を始める。以降、街頭募金活動や霊感商法で高価なつぼや印鑑を買わされたなどとする被害が続出、合同結婚式での結婚は無効だとする訴えが相次ぐなど、統一教会の活動が社会的に物議をかもしていくことになる。

 1959.10.2日、日本でも世界基督教統一神霊協会を設立。1964年、宗教法人の認証を受けている。

 1960.3.16日、文鮮明が当時高校生だった韓鶴子(1944年生れ)と公式には4度目の結婚をしている。韓鶴子がその後の正妻となる。韓鶴子との間には12人の子をもうける。その長男が文孝進。彼は信者の娘である洪蘭淑(ホンナンスク)と結婚したが、洪は孝進の虐待に耐えかねて逃げ離婚した。1998年秋、洪は In the Shadow of the Moons (日本では「わが父文鮮明」)という手記を書いている。
 1961年、朴政権が統一協会を反共活動の面で利用するようになる。

 1963年、統一協会が韓国で財団として認可される。

 同年、リトルエンゼルス舞踏団創設。

 同年、ソウル統一協会の宣教師崔翅翼が、文鮮明の指示で日本に密入国し、西川勝という日本名で統一協会を発足させ原理運動の「布教」を始めた。同年、呼応するように笹川良一は、密入国で逮捕された崔翔翼の身元引受人となり、統一協会顧問に就任、財界、政界、警察にわたりをつけて大々的なテコ入れをした。

 1964年、統一協会が東京都の認証をえて日本で宗教法人として認証される。以来、統一協会は、勝共連合の実質的母体として韓国や日本の反共政治組織に利用されるようになる。

 1965年12月21日 韓国宗教協議会 創設。

 1967.7月、笹川良一の肝入りで、韓国側文鮮明(統一協会教祖)、劉孝之、日本側笹川良一、児玉誉士夫代理の白井為雄、市倉徳三郎らが山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設に集まり、「第一回アジア反共連盟結成準備会」が開催された。ここで韓国流の反共運動を日本で受け入れることが決められた。日本の右翼暴力団の「二人の首領(ドン)」が、そのシマ(縄張り)の中で、韓国系ヤクザの活動を承認した手打式と言うことができる。

 会合の目的とされた日本における「アジア反共連盟」という名の団体の結成は、日本の旧右翼の中につよい反発があって実現しなかったが、その後の話し合いで、日韓両国の統一協会が、「国際勝共違合」という看板を掲げ、宗教と反共団体の二足のわらじをはくことが合意された。

 日本の反共団体として活動をはじめた国際勝共違合は、APACL(アジア諸国人民反共違盟)に参加する。東京でAPACL第八回大会がひらかれ、大会議長として岸信介、事務局長加瀬俊一(外務官僚)、以下谷正之(同東条内閣閣僚)、石井光次郎〈自民党顧問)中曽根康弘(自民党議員)、御手洗辰堆(評論家)、矢次一夫(国際研究会理事)、商杉普一(三菱電機会長)、堀越禎一(経団連事務局長)、椎名悦三郎(自民党議員)、松下正寿(立大教授) 、細川隆元(評論家)、小林中(経団連理事)ら三十五名が出席、アメリカ・マーフィ元駐日大使ら外国代表八十六名が集まった。 またこの準備委員会には、岸元首相のほか、吉田茂元首相、石坂泰三経団連会長、植村甲午郎経団連副会長、足立正日商会頭など日本の国家権力の最高首脳が名をつらねている。以上が結成までの背景だ。笹川や児玉そして岸元首相が船舶振興会(日本財団)や各総会屋からの資金を使ってまで、CIAのために働かなければならないのかという疑問が残る。しかし、答えを出すには東京裁判の真実まで言及しなければならないため割愛する。

 1968.4月、統一協会を母体とする下部組織として国際勝共連合を結成し、総裁に就任する。これにより国際的反共活動に乗り出す。

 1969.11.7日、超教派協議会創設。

 1971年、「神の直接の命令」を受けたと称してアメリカ合衆国に渡り、朴正煕政権の手先としてアメリカ合衆国の国会議員買収工作や、リチャード・ニクソン大統領支援キャンペーン等に携わった。
 1973.11.23日、岸信介と文鮮明が統一教会本部(渋谷区の岸の自宅)で撮ったとされる写真が遺されている。岸が差し出す右手を、文が身を乗り出すようにして受けているように見えるので、「岸の方が格上」ということになる。岸の自宅こそ後の日本の統一教会本部となっていたことが分かる。文鮮明は、国際奥の院(DS、カバール、悪魔崇拝者)の後押しを得て、日本の元首相に自分の創始したカルト宗教を売り込みに来た。岸信介は、かっての巣鴨プリズン戦犯囚の身から首相に昇進できたのはCIAのお陰だったから、文を歓迎しない筈はなかった。国際奥の院陣営は、表向きの政治だけは国民をコントロールしきれないと踏んで、日本を”サタン側の国”と教義に謳う統一教会の悪魔的思想を日本政界中枢に流し込もうとしていたことになる。この反日プロパガンダカルト教義は、戦後GHQによるWGIP(War Guilt Information Program)と正確に同じ方向を指している。NHKを始めとするメディアががこの旗振り役に転じていくことになる。
 1974年、文鮮明がニクソン大統領と会見。以来、米国でも様々な政治工作を展開し始める。

「統一教会(統一協会)」の教祖、文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月、日本で創設した。日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己。名誉会長は笹川良一であった。

通称は「'''勝共連合'''」または「'''勝共'''」。
機関紙として『思想新聞』、月刊誌『世界思想』を発行。
関連会社の「世界日報社」が日刊新聞、『世界日報』を発行。

==設立経緯 ==
'''国際勝共連合''' は統一教会の教祖、文鮮明が共産主義思想の誤りを啓蒙し、代案を示し、その打倒を目指すために創設した団体であるという。

'''国際勝共連合'''が創設された1970年代は東西冷戦の真っ只中であった。アメリカでは共産主義勢力の拡大を防ぐために、ベトナムの内戦に介入したが、国民のベトナム戦争に対する反戦運動が高まっていた。

朝鮮半島では1968年1月、北朝鮮が武装ゲリラをソウルに侵入させ、大統領官邸襲撃事件を引き起こしたり、アメリカの情報艦「プエブロ」を拿捕するなど、軍事的に緊迫していた。

日本でも安保闘争を初めとして、反政府・反米色の強い左翼勢力が主導する学生運動が過激化し、大学紛争が多発していた。

そのような情勢の中で、「勝共運動」は、韓国においては、「反共法」まで制定して共産主義に対抗していた朴正煕(パク・チョンヒ)政権の庇護を受けたと言われ、日本においても、日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけるアメリカの対日政策の転換により、←★★★

A級戦犯で不起訴となり、復権された岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らが勝共連合の設立に協力した。 ←★★★

==統一教会との関係 ==
「統一協会は'''国際勝共連合'''を対外的には“友好団体”と説明しているが、歴代会長の全員や役員の多くは、統一教会の幹部であり、活動する会員も多くは統一協会の信者であることから、'''国際勝共連合'''は統一教会の事実上の下部組織である。

1977年1月21日に、統一教会幹部らが、外為法違反容疑で起訴された神戸での裁判では「('''国際勝共連合'''は)その思想と活動方針の発祥地は韓国であること、従って、統一教会と'''国際勝共連合'''は、団体としては別個のものではあるが、

思想的には相連結するところがあって、統一教会の代表役員(会長)である久保木修己が、同時に'''勝共連合'''の会長の地位に就き、前記のように被告人石井が「統一教会」と「'''勝共連合'''」の渉外、財務の職責を兼ねて担当し、・・・」と判断されている。

==協力関係==
'''国際勝共連合''' は日本では自由民主党の有力な支持団体の一つで、会員を国会議員、秘書として送り込んでいると言われる。

1986年、1990年、1993年の衆議院選挙で旧大阪3区から出馬(1990年は自民党公認)し、落選した阿部令子は教会員で渡辺美智雄の元秘書だった事が確認されている。

1984年に「世界日報社」を追放された統一教会の元幹部、副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、久保木修己会長が「天皇陛下の身代わりとして文鮮明に拝礼する秘密儀式がある」と暴露したことで、反共主義、「愛国」的な姿勢を評価して協力的であった右翼や民族派が反発し、関係を絶った者が多数出た。

==活動 ==
'''国際勝共連合''' は共産党と共産主義の欺瞞と間違いを明らかにすると主張しており、創設直後から共産主義者同盟、共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派など共産主義系の組織に対抗した活動をして来た。

その主張から世界各国の反共・保守派要人と交流を持つ。

「憲法改正」や日本の核武装化を主張する。k2 第109回国会 文教委員会 第2号 昭和63年(1987年)8月25日国家秘密法(スパイ防止法)の制定推進に熱心であり、「スパイ防止法制定促進国民会議」を組織した。

冷戦終結により、国家体制としての共産主義は終焉したが、共産主義は家庭的次元において、過激な性教育や、ジェンダーフリーなどに姿を変えて、日本の伝統基盤を根底から崩壊させようとしているとして、これらに対する批判を展開している。

== 沿革 ==
*1967年 **7月 山梨県の本栖湖畔の「全国モーターボート競走会連合会」の施設に日韓両国の反共首脳が集まり、「第一回アジア反共連盟結成準備会」を開催。
統一教会からは教祖、文鮮明と劉孝之(ユ・ヒョウジ)、日本側は笹川良一、児玉誉士夫代理の白井為雄、市倉徳三郎らが集まり、反共団体設立に向けて会合を持つ。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/078/1110/07810211110004c.html
文鮮明の側近、朴普煕と親交のあったユナイテッド航空のロランドのフレーザー委員会での証言

*1968年 **1月13日 韓国で「'''国際勝共連合'''」を創設。全国勝共幹部50人が、韓国を訪問し、38度線を視察。 **7月7日 江利川安栄(後の統一教会7代目会長)が東京都小平市の朝鮮大学校正門前で勝共講義を始める。

*1968年 **4月1日 日本で、「'''国際勝共連合'''」を創設。統一教会の初代会長、久保木修己を会長に、笹川良一を名誉会長に。 *1969年 **朝鮮大学認可取り消し運動を展開。

*1970年 **WACL(世界反共連盟)世界大会を開催。

**7月13日 東京神宮前の東郷記念会館で開催された「赤色帝国主義に抗議する集会ー囚われたる欧州諸国民の週間・日本大会」に生長の家、「世界反共連盟」日本支部等の団体と共に参加。

*1971年 **2月13日 『読売新聞』に「でたらめ街頭募金追及。“本家”が厳重抗議、「北方領土」のでっち上げ団体、金の使い方も不明」との記事が出る。

'''国際勝共連合'''が母体となった「北方領土復帰推進連盟」という団体で募金運動を行ってることに対し、51団体が加盟している全国組織の「北方領土問題連絡協議会」が募金で集まった金の使途を明らかにせよと迫ったが、'''国際勝共連合''']側は明確な回答をせず。

**「中国承認反対」完全断食国民大会を開催。
*1972年 **「連合赤軍=日本共産党」一大キャンペーンを展開。
日本共産党への公開理論戦を要求。

**笹川良一が「反共運動から手を引く」と名誉会長を辞任。
共産圏とのスポーツ交流を優先したいことが理由とも言われるが、真意は不明。

**12月8日 神戸で統一協会の幹部3人{石井光治('''国際勝共連合'''渉外部長)、増田勝(教団の伝道師)、藤本三雄(教団の伝道師)}が外為法違反容疑で起訴されたが、「額面2億5千万円の小切手を不法に持ち出したとされる相当の嫌疑が有することは否定できないが、有罪とするのに十分な証拠を欠く」として無罪になる。
2001年6月29日札幌地裁判決抜粋

*1973年 **全国124カ所で久保木修己会長が「救国の予言」と題して講演。
『国際勝共新聞』を『思想新聞』に改題。

アメリカで国際指導者セミナーを開催。
**第3回アジア勝共大会を開催。
*1974年 **日本各地で自主憲法制定国民大会を開催。

*1975年 **朝総連本部に公開質問状を提出し、理論戦を展開。
松生丸事件(公海上で北朝鮮警備艇が日本の漁船「松生丸」の乗員2名を射殺). 糾弾県民大会を開催。

第21回APACL(アジア反共連盟)総会を開催
*1976年 **11月10日 「昭和天皇陛下ご在位50年記念奉祝行事」に参加。
**11月 機関紙 『世界思想』で「生活水準を三分の一に減らし、税金を四倍、五倍にしてでも、軍事力を増強してゆかなければなりません。それに、日本を守るということだけでなくて、韓国をも守らなければなりません。」と軍事力増強を訴える。

*1977年 **北方領土返還対ソ国民大会。第二次世界大戦の終結寸前のソ連の日本侵攻を描いた映画、『樺太1945年夏 氷雪の門』を全国で自主上映。
**北方領土奪還1千万人署名運動。

*1978年 ** 「スパイ防止法」制定3000万人署名国民運動を展開。
**4月8日発行の『思想新聞』の「号外」で、京都府知事選の候補者、杉村敏正に対し、「やっぱり杉村氏は極秘党員か」、「杉村敏正氏の華麗なる前歴」、「学者の仮面かぶる活動家」、「表面紳士 一皮むけば人殺し」などと批判。

選挙前日のこの日の夜、京都市内で、民主府政推進各界連絡会の街頭演説が終了直後、300名のほどの集団が押し寄せ、'''国際勝共連合'''の街宣車2台が 日本共産党の宮本顕治と知事候補の杉村敏正を「人殺し」などと批判し、双方が乱闘寸前になる。

警察官が'''国際勝共連合'''の6名を事情聴取。その後、告訴される。
k1 第084回国会 地方行政委員会 第24号 昭和53年(1978年)6月1日
**4月21日 『思想新聞』に「京都決戦勝利の記録」と題し、全戸ビラ配布体制にはいること、'''勝共連合'''会員が徹夜でビラを配布していることなどを掲載。

**京都府知事選において、引退を表明した蜷川虎三の後継者、日本共産党の杉村敏正(当時は京都大学教授)を勝共連合が支援した、地元出身の自民党参議院議員、林田悠紀夫候補が破り、京都で7期28年間にわたり続いた革新府政に幕を下ろさせる。

**6月1日 国会で、日本共産党の正森成二が'''国際勝共連合''' の京都府知事選における選挙妨害等について質問。
k1 第084回国会 地方行政委員会 第24号 昭和53年(1978年)6月1日
**日中平和友好条約反対キャンペーン
**「スパイ防止法」制定促進国民会議の設立に韓国参加。都道府県会議を全国で設置し、地方議会における同法案制定請願運動の先頭に立つ。

*1979年 **「スパイ防止法」制定促進国民会議を発足。
*1982年 **共産勢力と戦う組織として、地方の有力者の協力を得て、勝共支部を結成。

**中南米の勝共運動であるCAUSA(アメリカ社会統一教会連合)を通じて、共産主義国家ニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」を支援。 ←★★★

*1983年 **10月1日 『世界日報』事件。教会色を押さえ一般紙を志向した副島嘉和編集局長らの路線を乗っ取りと考えた梶栗玄太郎「'''国際勝共連合'''」理事長ら約百人が「世界日報社」に押しかけ、副島らを暴力的に追い出す。

記者達が殴られ、多数の負傷者が出た。警官80人が出動。以後、『世界日報』は教会色を強める。
**12月**日~23日 韓国の八大都市で、「勝共大会」を開催。
統一教会の教祖、文鮮明が講演。
日韓米の一体化によって国際共産主義勢力の浸透を防ぐことを訴える。

*1984年 **日韓安保セミナーを開催。両国の勝共支部が姉妹結縁を行う。勝共会員700万人を達成。

**6月10日 『世界日報』の路線の対立で、追放された副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、久保木修己会長が、天皇陛下の身代わりで、文鮮明に拝礼する秘密儀式があると暴露したことで、'''勝共連合''' を反共運動の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し、久保木会長に質問状を出す。

3ヶ月後に久保木は、副島手記の内容を否定する回答をした。「平和と安全を守る七大都市大会」の大阪大会では、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、大会を妨害。

**第1回日韓安全保障セミナーを開催。
**スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会を発足。
*1985年 **ソウルで第1回 国際勝共学術講義を開催。
**全国教授勝共講師団を結成.

*1986年 **衆参ダブル選挙で、「130人の“勝共推進議員”が当選」と←★★★
機関紙『思想新聞』(同年7月20日号)が報じる。

**韓国の八大都市で「世界勝共活動報告大会」を開催。
**11月13日 日本武道館においての天皇陛下ご在位60年奉祝行事「大奉祝まつり」に参加。

*1987年 **国家秘密法制定促進の為に北朝鮮のスパイ活動を描いた映画『暗号名_黒猫を追え!』を制作、全国各地で公開。
**自民覚の議員達が、霊感商法をやっている統一教会関連企業や勝共連合から政治献金を受けていたことを新聞が報じた。←★★★
(第109回国会 法務委員会 第11号 昭和62年(1987年)9月16日 )
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/109/0080/10909160080011c.html

**韓国で「南北統一運動国民連合」を発足し、共産主義打倒から、共産主義解放という主張を強調するようになる。
*1988年 **「日韓安保セミナー」参加者が1万人を突破。
*1989年  **東京で開かれた「勝共連合推進国会議員の集い」に、
自民・民社などの国会議員232名が参加。 ←★★★

**2月1日 韓国ソウルで日刊紙『世界日報』を創刊。
*1990年 **東京勝共教授講師団が海部俊樹首相に大嘗祭の国家行事化の要望書を提出。
**天皇陛下ご即位式奉祝パレードに'''国際勝共連合'''から2000人が参加。

*1991年 **日朝交渉中止を訴える『思想新聞』号外100万部を全国で配布。
*1992年 **中国視察ツアーを開催。

**統一協会の機関紙『中和新聞』平成4年(1992年)9月12日号は、共産党および社会党が'''国際勝共連合'''の推進する「スパイ防止法」制定運動の資金源が統一協会であると誤認し、教会攻撃のために引き起したのがいわゆる”霊感商法問題”」だと説明。

*1993年 **「皇太子殿下の御成婚をお祝いする国民の集い」に役員会員らが参加.
**『思想新聞』に「人間と性」研究協議会の山本直英への公開質問状を掲載。

*1994年 **'''国際勝共連合'''が日本社会党を名誉毀損で訴えていた「レフチェンコ事件裁判」で、日本社会党が'''国際勝共連合'''に解決金200万円を支払うことで和解。
*1995年 **8月 「世界平和連合」(FWP)を創設。
会長は統一教会の会長でもあった小山田秀夫。
創設大会にはアレクサンダー・ヘイグ元米国務長官らをはじめとする世界51ヶ国、約250名の元・現国家元首・政府高官、科学者、宗教家、ジャーナリストらが参加 。

*1996年 **3月 日本において「世界平和連合」(FWP)設立大会を開催。 **「世界平和連合」(FWP)会長に久保木修己が就任。

**「青少年問題セミナー」、「自衛隊演習視察ツアー」を開催。
*1997年 **全国で「世界平和連合」(FWP)都道府県連合会を設立。
**自主憲法制定国民大会に参加。

*1998年 **12月13日 久保木修己会長が他界。
*1999年 **大塚克己が'''国際勝共連合'''会長に就任。
**3月13日 「世界平和連合」(FWP)会長に、統一教会の大塚克己が就任し、本格的に運動を開始。

*2000年 **大塚克己会長が全国22カ所で講演。
**日本共産党批判ビラを全国で配布。
*2001年 **統一教会の会長の小山田秀生が新会長に就任。
**「救国救世全国躍進大会」を開催.

**「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。 
**6月 機関紙の『思想新聞』六月号外で、日本共産党を「小泉改革の最大の抵抗勢力」、「小泉首相に『構造改革』をさせず、日本経済を沈没させ、共産革命の機会をうかがっている」などと批判。

*2002年 **「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。 
*2003年 **「救国救世全国役員総決起大会」を開催.
**「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
**各地で映画『号名・黒猫を追え!』上映会を開催。 

*2006年 **8月 マスコミで、女性信者への性的暴行が問題となった宗教団体「摂理」の教祖、鄭明析が1970年代に韓国の統一教会に入信していた時代に、「'''国際勝共連合'''」の講師をしていたとの報道に対して、日本の統一教会は「講師をした事実はありません」と完全否定し、各社に抗議を行う。

== 賛同的な人たち==
*大蔵雄之助(元TBS記者・東洋大学教授、杉並区教育委員、「異文化研究所」代表)杉並区教育委員会で「新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の採択に中心的な役割を果たした。世界日報に主筆格でたびたび執筆。

*戸澤眞(明治神宮崇敬会理事長)「国際勝共連合」元顧問

*安藤豊禄(元小野田セメント社長、「日韓経済協会」初代福会長)「勝共運動」をよい運動と評価。

*井上順理(鳥取大学名誉教授、兵庫教育大学名誉教授) 「共産主義者に対して真正面から立ち向かい、反撃できる理論は、この勝共理論しかないだろう」と「勝共理論」を評価。


 1975.1月、メディアの影響力に早くから注目し、勝共連合機関紙「思想新聞」を改称発展させる形で一般日刊総合紙を装う形ながら統一協会と勝共連合の機関紙である「世界日報」を日本で発刊する。

 同年2月、通過査証で入国し武道館で布教公演を行った。通過目的で入国したのに宗教活動をしたためこれは出入国管理及び難民認定法違反である

 1975年、文鮮明が送金命令を出す。これにより、日本統一教会が韓国の文鮮明に、全経費の9割以上にあたる毎月20億円、年間約240億円を送金し始めることになる。この資金は文鮮明一族の私腹を肥やす他、一部は日本国内で国家機密法制定活動支援や中南米の反共右翼ゲリラ支援など反共謀略活動にも使われていた。

 1977.11.27日、世界宗教会議開催。

 1978年、世界言論人協会を発足させ、毎年世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いている。

 同年、埼玉県神川村(現神川町)で国際合同結婚式のため1,600組の指名婚約を行なった

 1979年、米国議会でコリアゲート事件が発生し、統一協会幹部の朴晋煕が議会で証言を求められる。

 1981年、当時、東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの講堂を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた。当時の法務大臣奥野誠亮が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった

 同年3.26日、国際クリスチャン教授議会創設。

 同年12.18日、国際平和財団創立。

 1982年、アメリカで、文鮮明が提唱して「ワシントン・タイムズ(WashingtonTimes )」(有名紙ワシントン・ポストとは別物)を設立。これにより言論界や政界に一定の影響力をもつようになる。その後も「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、ウルグアイで「ウルティマス・ノティシアス」、中東で「ミドル・イースト・タイムズ」を発刊する。

  1983.4.25日、国際宗教財団(IRF)創設。

 1984.7月、アメリカで、日本の統一教会/統一協会から送金された年間1億ドル(約240億円)に及ぶ莫大な献金にからむ事件で、文鮮明とその手下の神山威(元日本統一協会会長)の2人が脱税と文書偽造の罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受け、1984年7月から1年余り刑務所に入る。

【独自】安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07201200/
2022年07月20日 デイリー新潮

 文鮮明の釈放を嘆願する文書

 この書簡は、関連資料を保管する米カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館のファイルに収められているもの。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が5年前、本誌(「週刊新潮 」)の依頼で同所を訪れた際に発掘した、この貴重な文書に登場するのは、統一教会の開祖・文鮮明の名前だ。出された日付は84年11月26日。差出人は岸信介。文鮮明はその前に、アメリカで脱税容疑にて起訴され、84年4月には懲役1年6カ月の実刑判決を受けて連邦刑務所に収監されていた。つまりこの書簡は、日本の元総理がアメリカの現職大統領に宛てて、韓国人「脱税犯」の逮捕が不当だとして釈放を依頼するという、極めて異例の内容なのだ。

 〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉
 〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉
 〈彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります〉
 この時点で日本では、既に教会による若者への強引な勧誘などが社会問題化していた。その教団の首領を、「誠実で貴重」と評価していることになる。結局、釈放は難しいと判断され、文鮮明が出所できたのは翌85年の夏だった。嘆願書の3年後、岸氏は90歳で没するが。

 1984.9.23日、国際安保会議開催。

 1985.1月、国際平和高速道路構想及び推進。

 1985.8.18日、共産主義終焉宣布。

 1989年、韓国で「世界日報」を発刊した。

 1990.4.11日、ソビエト連邦(現ロシア)モスクワで開催された「第11回世界言論人会議」ではクレムリン宮殿でミハイル・ゴルバチョフ大統領と会談する。

 1991.8.15日、‘世界経典’発刊。

 同年8.22日、世界平和頂上会議 開催。8.28日、世界平和連合創設。

 1991.12月、北朝鮮を訪問し金日成主席と会談する。離散家族捜索事業の推進や統一教会グループによる北朝鮮での経済事業支援などで合意した。

 1992.3.16日、日本統一教会/日本統一協会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請し、「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出し、26日、当時の法務大臣田原隆が「国際情勢の変化」「実刑判決から時間が経っている」などを理由とし、出入国管理及び難民認定法第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったという

 3.29日、中曽根康弘元首相と会談、3.30日夜、には「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想」、「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。3.31日、金丸信と2時間半に渡り会談。うち1時間は2人だけの密室会見だった。4.1午前、大韓航空機で韓国に向かった。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社「ハッピーワールド」など統一教会/統一協会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった

 1996.6.16日、世界平和大陸国家・半島国家・島嶼国家連合創設。

 同年11.7日、超教派協議会創設。

 1999.2.6日、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP) 創設。

 2000.8.18日、全世界国境線撤廃宣布式。

 同年、アメリカ聖職者連合(ACLC) 創設。

 2000年、統一教会/統一協会系企業が経営危機となったアメリカのUPI通信社を買収した。これらの発行に必要な莫大な経費は、日本の統一教会/統一協会の信者による経済活動が支えている。

 2003.7.10日、超宗教スポーツフェスティバル開催。

 同年9-2004.5月、イスラエル平和大行進。

 2003年10月、超宗教平和大行進。10.3日、超宗教超国家平和議会(IIPC) 創設。

 2004.9.23日、蒙古斑同族世界平和連合創設。

 2005.9.12日、天宙平和連合 創設、ベーリング海峡プロジェクト 発表。

 2006.6.13日、世界185カ国平和使節団から「天宙平和の王」として推戴。

 2007.9.23日、アベルUN創設。

 2012.7.16日、アベル女性UN創設。

 2012.9.3日午前1時54分、入院先の韓国・京畿道加平郡の清心(チョンシム)国際病院で肺炎などの症状によって死去(享年92歳)。文氏は7月、統一教会グループが主催した韓国のサッカー大会で開会宣言をするなど活動を続けていたが、8月初めに健康状態が悪化しソウル市内の病院に一時入院。退院後の14日に再び症状が悪化して入院し、危篤状態となり、31日に同グループ系の加平郡の病院に移送されていた。





(私論.私見)