亀井政治の思想と所作考

 (最新見直し2010.08.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここでは、亀井政治の思想と所作を確認する。

 2009.9.20日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評633 れんだいこ 2009/12/13
 【亀井政治考】

 いずれ小沢一郎も書き上げたいが、こたびは亀井静香論とする。亀井政治の特質が見えてきた。伝えられるところによると、2009.9.30日、亀井金融相は、フジテレビの番組で、亀井氏の主張する「モラトリアム(支払い猶予)法案」に関する鳩山首相との連携について質問され、「齟齬(そご)なんか起きようがない。私はハト(鳩山首相)を守るタカだ」と強調した。これを見出しで表現すれば、「私はハトを守るタカ、モラトリアム法案成立に自信」と云うことになろう。

 れんだいこは、その見出しのうちの「私はハト(鳩山首相)を守るタカだ」表現にいたく感心する。これを大きく広げ鳩山首相のハトに限らず、もっと一般化させて「ハトを守るタカ」と表記替えしたいと思う。こうすれば、「ハトを守るタカ」概念がかなりな政治眼力であることが判明すると思っている。この視点で政治家としての亀井静香を評してみると、「ハトを守るタカ」ぶりが浮き上がってくる。亀井が、いつの頃より自らをそう位置づけ始めたのかは定かでない。亀井の政治家履歴を見ると元々は福田系であるが、同じ派閥の小泉に対して、一貫して反小泉の姿勢で身を所作させてきていることが判明する。「亀井の反小泉」が何を原因として、どのようにして形成されているのかは分からない。いつの時点でか、「こいつだけは許せない」とするスタンスを確立したものと思われる。

 その小泉が首相になるに及び、経緯からして亀井が徹頭徹尾干されたことは想像に難くない。その亀井は、小泉―竹中ラインが「郵政民営化」に大ナタを振るい始めた時点より不退転の決意で確信犯的に反小泉・竹中の急先鋒として再登場し、以降自らをそのように積極的に位置付け活動し始めているように見えてくる。れんだいこは、亀井政治のこの眼力、思想、所作を称賛したい。これが云いたい為に以下立論することにする。

 れんだいこ史観によれば、戦後政治は実は、へなちょこマルクス主義派の云うがごとくな階級闘争、反アメ帝闘争に重心がある訳ではない。へなちょこマルクス主義派が、そのような見立てで戦後日本を解析し、運動を組織してきたのは大いなる不毛の闘いであったとみなしている。日本左派運動の今日的惨状は、この見立ての不如意により然るべくしてもたらされていると見立てている。にも拘わらず未だに切れない包丁を振り回しているのは時代錯誤であり、ドンキホーテの愚の誹りを免れないとみなしている。

 れんだいこは何を云いたいのか。それは、れんだいこ史観によれば、戦後日本はプレ社会主義的な始発をしており、決して資本主義対社会主義論による体制論で、戦後日本を資本主義体制と見立てて体制打倒を図るようなものではなかった。むしろ逆にプレ社会主義的戦後日本を如何に擁護受肉化せしめて行くかが問われていた。然るに戦後日本左派運動は解禁されたマルクス主義系諸本を字面的に鵜呑みにし、体制打倒一本槍でもって進撃するのを最も左派的とする愚を犯してきた。この誤りは、戦前では、天皇制打倒こそ真性左派の証として一本槍して来た愚行にハーモニーしている。つまり、思想構造がなんら変わっていないことに気づかされる。

 れんだいこが観るところ、戦前左派運動に望まれていたのは、定向進化させられ続けている軍拡政治との闘いであった。戦後左派運動に望まれていたのは、世界史上稀なるプレ社会主義的戦後日本の体制補強、建設であった。そういう意味で、何としてでも政権党に辿り着き、与党責任的政治を御すべきであった。残念ながら、その灯は、1947年初頭の2.1ゼネスト、1949年の9月革命呼号、1950年代初頭の武装闘争の破産で潰えた。もっとも、この当時の理論的レベルでは、潰えて正解であったように思える。

 そういう目で見れば、戦後日本の政権を掌握し、戦後復興から高度経済成長期まで采配を振るってきた政府自民党内の戦後保守本流派即ち吉田茂派閥即ち吉田学校の吉田―池田―(佐藤)―田中―大平―鈴木政権に於けるハト派治世の方こそ、「曲がりなりにもプレ社会主義的戦後日本の体制建設者」であったのではなかろうかという気がする。そういう眼で見れば、池田、田中を支持してきた影の軍団に戦前来の左派軍師が見え隠れしているのが偶然ではないということになる。かの時期、官僚でも財界でも学者でも、かなりの元マルキストがブレーンとして補佐している。そういう史実がある。もとより政府自民党内はハト派とタカ派の混成であり、そういう事情だからしてこの時期の政府自民党政治を「プレ社会主義的戦後日本の体制建設者」視する訳にはいかない。しかし、実相は、自民党系ハト派政治が、タカ派との調整に揉まれながらも政権を維持し続け御していた有利さは認められねばならないと思う。十分なものではなかったとはいえ、自民党系ハト派政治がタカ派を籠絡する形で支配権を有していたことの値打ちを認めるべきではなかろうか。

 こういう時勢下に於いては、戦後日本左派運動が戦後革命を流産させ、政権党化する可能性を失っている以上、それならそれで政権与党内のハト派政治の左バネとして有無通じて補完して行くのが戦後日本左派運動の責務となっていたのではなかろうか。こういう動きは通常は右派のそれとみなせられるが、戦後日本≒プレ社会主義という観点を生みだせば、当時の右派系潮流の中にも奥深いものがあったと評価替えされるべきではなかろうか。もっとも玉石混交ではあるが。後述するように、国際金融資本に飼い慣らされた右派系潮流もあったし、いつまでも反対運動ではなしに政権与党内のハト派政治と呼応しようとする右派系潮流もあった。その中間的な潮流もあった。これらを今一度解析し直す必要があろう。

 ところが、史実は、戦後日本左派運動は、60年安保闘争時の極右の岸政権打倒闘争を除いて、ハト派政権時代に最も逞しく反政府反体制闘争を繰り広げ、その後の三木―福田―中曽根政権以降のタカ派政権時代になるや鳴りを潜めると云う犯罪的な愚を犯してきた。その筆頭は、宮顕―不破指導下の日共であり、黒寛―松崎指導下の革マル派であった。社会党は、万年野党の呑気なアリバイ闘争にしけ込み、いつでも裏取引するテイタラクぶりを演じ続けた。社会党左派に位置し続けた村山富一が、細川政変で下野させられた自民党を助け起こしたことでも、社会党のエエカゲンさが知れよう。これらの愚行の跳梁跋扈を許した度合いに応じて戦後日本左派運動は逼塞させられ、今日的惨状まで迎えている。それまでの歴史を踏まえれば、我々は、ハト派政権時代に最も鋭く闘い、タカ派政権時代に鳴りを潜め、否それ以上に裏協力する自称左派なる存在を許してよいものだろうか、かく問わねばならない。

 これを、もう少し大きなスケールで俯瞰すれば次のように云える。おざなりの教科書、教本では知ることができないことなのでしかと聞け。今は亡き太田龍・氏ならかく論ずるのではなかろうか。第二次世界大戦後の世界は、近現代史上次第に勢力を増してきた国際金融資本の独壇場支配として立ち現われた。米ソの冷戦構造は、表面的にはそうであっても、真実はいつでも裏で通じていた国際金融資本のシナリオ下のそれでしかなかった。第二次世界大戦後の世界は、各国政府要人は彼らのエージェントでなければ登用されないという奇態に陥った。これをリードした秘密結社がフリーメーソンでありイルミナティであり、その配下の各種委員会であった。国際金融資本は、この人脈を拡大再生産する形で各国の政治に容喙し、更に、この人的支配を通じて法制支配、産業支配、情報支配、軍事支配、その他その他あらゆるジャンルにわたって網目上のコントロール支配体制を確立した。この支配の集中による悲劇はパレスチナで見受けられる。パレスチナの惨状を見れば、彼らの支配が如何なる酷いものであるのか瞭然としよう。

 戦後日本も当然ながらその例に漏れなかった。しかしながら、戦後日本の特殊な質として、彼らの想定を超える動きが生まれた。それは、政権党内に彼らのコントロールの効きにくい前述した吉田学校出自の池田―(佐藤)―田中―大平グループが生まれ、このハト派系政治の操舵の下で戦後日本は奇跡的な復興、続いて世界に冠たる高度経済成長をうなりをあげて遂げて行った。世界の称賛羨望の的となる戦後日本の湧出であった。折り悪しく、この頃の国際金融資本の本家たるアメリカはベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれ、国力を大いに疲弊させて行った。かくて、戦後世界bPたるアメリカの対日ジェラシーが生まれ、国際金融資本の断固たる決意の下で戦後日本解体戦略、ハト派人脈の一掃指令が発動された。このシナリオに組みしたのが三木―福田―中曽根政権以降の歴代自民党政権である。国債が刷り抜かれ、公共事業が抑止され、国家枢要機関の民営化が始まり、消費税なる悪税が導入され、軍事防衛費の突出が始まった。ハゲタカファンドの来襲もこの流れに即応している。教育が破壊され、植民地特有の文化、精神が注入され始めた。

 お陰で、現代日本は惨憺たる状況に陥ってしまった。大企業は統合され、中小零細企業は切り捨てられ、つるつるてんのタコ足のような危険なガリバー型企業群のみが生き残ろうとしている。やがてそれらの企業も、目下の日航のように順次召し取られてて行くことになるだろう。銀行、生保、損保、証券の金融企業、軍事産業はいち早く傘下に収められてしまっている。自動車産業その他その他も順次首縄付けられることになるだろう。この売国奴政治に表協力したのが政財官学報司の六者機関であり、裏協力したのが、これも前述した日共、革マル、社会党であった。かく構図を据えることができよう。

 さて、本題に戻る。亀井の「ハトを守るタカ」とは、どういう位置づけになるのか。1980年初頭の中曽根政権登場以降、急速に始まった戦後日本解体戦略に呼応するタカ派、抵抗するハト派と云う構図に於ける、タカ派のハト派支援ということになろう。つまり、タカ派も、国際金融資本にべったり寄り添う極右派から、一定の距離を持つ中間派、相対的に民族主義の立場を保つ土着系タカ派という三派に分かれる。亀井は、このうちの土着系タカ派とみなせるのではなかろうか。このことは、ハト派も、国際金融資本に籠絡された迎合ハト派、迎合ハト派までは靡かない中間派、相対的に民族主義の立場を保つ土着系ハト派派という三派に分かれる。亀井の「ハトを守るタカ」なる政治姿勢は、中間系タカ派、土着系タカ派と親疎することを意味しよう。つまり、タカ派内の逆流、ハト派内の逆流が始まっており、複雑な政界絵巻を呈し始めていることになる。

 ご多分にもれず、鳩山政権も、この複雑な政界絵図の中で政権を御している。前原、岡田、北沢らの典型的なシオニスタン、中間的な仙谷、平野、長妻、川端、直嶋ら。非シオニスタン系の原口、藤井、小沢、管、亀井。一応左派系の輿石、福島らが複雑に絡み合って鳩山政権を支えている。これに、鳩山政権を早急に空中分解させようとする動きと求心力を高めようとする動きが重なっている。ここに、「ハトを助けるタカならぬカメ」の亀井が鎮座していることになる。してみれば、「亀井式タカ派」は現代日本政治史上、貴重な立場に位置していることになる。「亀井式タカ派」が今後、どのように勢力化するのか、弾圧されるのか、どの勢力と結び、どの勢力と闘うのかが見ものとなっている。つまり政治は常に生きている。予断許しがたい刻々の政治ドラマが続いている。船体本丸に浸水しつつある日本丸の救命が託されているが、眼を離せない興味ある流れではなかろうか。

 2009.12.13日 れんだいこ拝

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK89」の行雲流水氏の2010.6.27日付け投稿「《特集日本よ、自立せよ!》 『自主防衛路線で対米自立を!』 金融・郵政改革担当大臣 亀井静香 『月刊日本』6月号」を転載しておく。

 自主防衛路線で対米自立を!金融・郵政改革担当大臣 亀井静香

 アメリカの走狗になり下った外務省

 ──四月三十日に郵政改革法案が閣議決定された。

亀井 小泉改革の弱肉強食、市場原理主義に基づいた政策を大胆に変更するのが、鳩山政権の基本方針だ。小泉純一郎元首相が完膚なきまで破壊しつくしてしまった日本を再建するということだ。私の担当分野では、第一弾がいわゆるモラトリアム法案(中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律案)、第二弾が、金融商品の例の法案(金融商品取引法等の一部を改正する法律案)だ。そして、郵政改革法案は第三弾だ。ゆうちょ銀行の預け入れ限度額を現行の千万円から二千万円、かんぽ生命の加入限度額を千三百万円から二千五百万円に引き上げる。「民業圧迫になる」という批判があるが、ゆうちょ銀行とかんぽ生命が行う金融業務については、有識者によって構成される第三者委員会を設け、その内容をチェックし、政府に意見具申を行うことにするなど、極めて丁寧な手続きで進めようとしている。

 ところが、郵政改革法案を覆そうという猛烈なプレッシャーがかかった。アメリカ政府の意向を受けてアメリカ大使館が批判してくるのは、自国の利益を守るためということで理解できる。ガン保険をはじめとするアメリカの利益を守りたいからだ。

 ところが、日本の外務省がアメリカに追従して「このままでは民業圧迫になり、大変なことになる」などと言う。外務省の条約局長や経済局長が、我々に圧力をかけてきた。それは閣議決定の日まで続けられた。

 今回の外務省の行動によって、彼らがアメリカ国務省の分局、アメリカの走狗であることがはっきりした。「正体見たり」だ。あの大人しい大塚耕平副大臣でさえ怒ったほどだ。 「民業圧迫だ」などと批判するが、まず「民」自身がしっかりしなければいけない。そんな批判をしていては「民」そのものが弱くなってしまう。「商売相手が強くなるから困る」と言って、「商売相手の競争力を弱くしてくれ」などと言っていたら、日本の産業全体が弱くなってしまう。みんなが強くなることを考えていかなければいけない。

 まず、民間の金融機関は、預かった預金を地域経済、日本経済全体のために正しく運用しているかどうか、自ら反省すべきだ。

 ──日米対等をスローガンとして出発した鳩山政権の外交をどう見ているか。

亀井 日米対等という鳩山首相の出発点は正しかった。重要な点は、「日米関係のあるべき姿」という観点から、大局的な対米交渉をすることである。私は、鳩山総理にも「普天間の移設問題は、事務レベルの純技術的、純軍事的な議論に陥ってはいけない」と言っている。基地問題はこれからの日米関係の在り方という枠組みの中で考える必要があるのだ。海兵隊の運用上、都合が良いか悪いかといった次元だけで協議をやったって、それは日米協議の本質とは言えない。それは、日本の防衛省とペンタゴン(米国防総省)の協議に過ぎない。日米協議というのは、もっと高度なものでないといけない。

 対米自立は神の声だ!

亀井 以前に私は「対米自立は神の声だ」と言った。新政権は対米自立に踏み出したのだ。私は鳩山政権発足前の昨年五月に訪米し、「日本は自立する」と宣言してきた。国家安全保障会議(NSC)のセイモア調整官やNSCアジア上級部長のジェフリー・ベーダー氏ら米政府高官に会って、「従来のようにアメリカが勝手に方針を決定して、日本はそれに協力しなさい、と言われても新政権下ではそうはいかない」「在日米軍を使って新政権を倒すことなどできない。亀井静香をCIAが暗殺しない限り新政権の動きを阻止することなどできない」と言ってきた。オバマ政権は、日本の変化をちゃんとわかっている。ところが、「とにかくアメリカの言う事を聞くべきだ」という対米追従派は、未だに自立意識を持たずに、鳩山政権を批判するばかりだ。

 ●「アメリカの気に入るようにしなければ日米関係がおかしくなる」などと言っている。彼らは昨年には、十二月までに普天間問題を決着しないと日米関係が破局すると主張していた。それから五カ月経ったが、日米間係は破局を迎えたのか。

 そんなことはない。「アメリカの意向に従わないと酷い日に遭う」と言ってきた政治家もいる。日本がアメリカの意向に沿わないからといって、彼らが日本を制裁することなどできないはずだ。

 ──外務省や一部有識者だけではなく、政治家までもアメリカ追従になってしまっている。

亀井 アメリカ従属の考え方が政治家に染みついてしまっている。戦後六十五年経ってもなお、日本は自立していない。まるで占領下にあるような有様だ。いまこそ、日本は対米自立の意思を固めなければいけない。特に、岸信介首相の時代から、日本の対米従属が顕著になった。岸首相は安保改定をしたから偉いと言われるが、彼はアメリカから資金をもらい、対米追従路線を強めていった。 アメリカの言いなりになることは、在るべき保守の立場ではない。保守とは長い歴史の中で培われた日本人の生活の仕方、文化を守ることだ。そして、日本は主体的に独自の立場で内政、外交の在り方を考えなければいけない。

 米軍依存から脱し自主防衛に舵を切れ

亀井 アメリカは、好き勝手に日本に基地を持つことはできないのだ。我々の国土に人が住み、そこで生活している。地域住民の合意を踏まえて、我々はアメリカに対して基地を提供している。アメリカの希望を一〇〇%満足するような形で基地が提供できるわけはない。沖縄の基地も、そういう観点からアメリカと折り合えば良い話だ。そもそも、普天間の移設は安全と騒音の問題だ。この間題を解決する一つの手段として、基地移転という問題がある。だから本来、アメリカも自分達の努力で騒音と安全の問題を解決するという義務が当然ある。また、日本側にも義務がある。そういう前提に立って、沖縄県民の負担を軽減していくという中で解決すべきだ。

 ──鳩山総理は今頃になって、勉強を重ねた結果、海兵隊の抑止力を再認識したと語った。

亀井 抑止力についても、もっと大局的に考えるべきだ。我々は、海兵隊の抑止力に頼るだけではなくて、まず自らの防衛力充実によって抑止力を強化しなければいけない。仮に他国が攻めてきたら、日本自身の力で撃退するという自主防衛の考え方を基本にすべきだ。「攻めてこられた場合には海兵隊に頼る」などと言っている人に、「抑止力」を語る資格などない。

 ──国民新党は真の本格保守政党の役割を担うという姿勢で、防衛予算の増額を念頭に、「先進国として国際水準に合致した防衛力整備を行う」と明言している。

亀井 わが国が、専守防衛の立場に立って、日本の防衛体制をきちんと整備することが大切だ。自分の国を守るという魂のなくなった国が他国から攻められないはずがないのだ。他国の抑止力を借りてきたところで、抑止力にはならない。

 まず、自衛隊の抑止力を強化すべきだ。わが国は軍事大国になる必要もないし、核武装する必要もないが、軍事技術を発展させることを躊躇してはいけない。同時に、技術力、経済力を含め、わが国が持つ力をフルに活用して、自ら安全保障体制を強化する必要がある。

 我々が弱肉強食の市場原理主義を是正する

 ──郵政改革をはじめとする一連の小泉改革によって、日本社会は急速に変質した。

亀井 この十年でわが国の伝統的共同体は徹底的に破壊されてしまった。わが国は、こんな国ではなかったはずだ。小泉・竹中の売国政策によって、日本社会はアメリカ型の社会になってしまった。アメリカの猿まねをし、ブッシュの言う通りに日本の経済システムを変革した。

 その結果、互いに助け合って生きていくというわが国の美風は失われ、「自分さえ良ければ他人のことなど知ったことではない」という利己主義が蔓延した。個人の欲望が肥大化し、人間としての心が失われてしまったのだ。

 所得格差も急速に拡大した。まさにアメリカ型の社会になってしまったのだ。生活に困る人が増えている一方で、一都の人間に富が集まっている。一億円以上の給料を貰っている役員もたくさんいる。一億円以上の給料を貰っている役員は氏名と金額を明らかにせよと金融庁が情報開示と規制強化を求めると、彼らはそれに抵抗する。

 雇用の悪化も探刻だ。市場原理主義に沿った雇用システムの改悪が進んでしまった。「正社員になりたい」と思って頑張っている方々を、正規社員の三分の一の給料で、しかも福利厚生をはじめ、様々な面で不利な状況で働いてもらっている状況はおかしい。企業が人間を道具扱いしているのだ。できるだけ安く使って、コストを下げれば良いと。そんなことが許されていいはずはない。

 いまこそ、伝統的な日本的雇用、人間を大事にする雇用を回復しなければならない。私は、経団連会長の御手洗富士夫氏のところにも行き、持論を説いた。しかし、民間企業は日本的経営に戻ろうとはしない。そこで、私は日本郵政で率先してそれをやろうと提案し、斎藤次郎社長も、同意してくれた。こうして、非正規社員のほぼ半数に当たる約十万人を正社員に登用する計画を立てた。

 ところが、四月十六日の『産経新聞』を見て、本当に驚いた。この正社員化に反対というアンケート回答が八〇%以上超えていると報じた。どういう調査方法をしたのか分からないが、まともな調査でそういう数字が出ているとすれば、もう日本はおしまいだと思う。「人が幸せになることは嫌だ」という話だ。国民の心はここまでおかしくなってしまったのかと、嘆かざるを得ない。親族間の殺人事件も増えている。もはや共同体の崩壊どころではない。 だからこそ、我々は少数派であっても、さらに強い決意でこの問題に取り組む必要があるのだ。

 市場原理主義と決別しないなら、連立を解消する

 ──マスコミの報道もおかしい。

亀井 本来、非正規雇用の問題を追及し、あるべき雇用について語るべきはずのマスコミは、未だに新自由主義を信奉して的外れな批判を繰り返している。一昔前の利権にしがみついているような経済学者、そういう人たちが未練たらしく、我々の進めようとしている郵政改革を批判している。まるで、化石のような頭だと言わねばならない。アメリカでもヨーロッパでも新自由主義を見直す方向に進んでいるにもかかわらず、未だに彼らは新自由主義の立場で凝り固まっている。今のマスコミは二周遅れだ。また、マスコミは、「国民目線で政治をやれ」と主張しながら、常に金融機関のサイドで議論している。金融機関に預け入れる人も、金融機関から借りる人も国民だ。だから、マスコミはそういう国民の立場に立った議論をすべきだ。

 ──保険業法改正案も閣議決定された。

亀井 共済事業は、互助という立場から大変重要な役割を果たしている。ところが、零細な共済事業を営むところが事業継続できなくなっている。二〇〇五年の保険業法改正によって、任意団体の無認可共済は二〇〇七年度末までに、保険会社や一千万円以下の保険を扱う「少額短期保険業者」などに移行しなければ新規募集ができなくなったからだ。これも弱者切り捨て政策の一環として自公政権でなされてきたことの一つと言える。この状況を打開するために、一定の純資産額の保有などの条件を満たせば「特定保険業者」として認可され、今後も事業を続けられるようにしようとしている。

 ──市場原理主義に反対するという民主党の姿勢に変化はないのか。

亀井 もともと民主党は、小泉亜流ともいうべき市場原理主義勢力を抱えていた。小泉郵政改革に賛成するだけではなく、我々とは逆に「改革が不徹底だ」として批判していた。我々は、鳩山首相が市場原理主義、弱肉強食の経済と手を切ると言ったから、連立政権を組むことにしたのだ。もし、民主党がその路線を放棄したら、我々は決別する。

 革命に生命を賭したチエ・ゲバラに学びたい

 ──残念ながら、国民新党に対する国民支持は上がっていない。

亀井 議場の隅っこに座っていると言われるが、私が座っている議席は、三木武吉、鳩山一郎、中野正剛という、東條英機に抗った人々が座った、誇り高い議席だ。
 国民の八割が正社員化に反対するような状況では、もはやそうした国民に阿って票をもらっても意味はない。我々には勝敗など関係ない。支持率など上がらなくてもいい。零下でもかまわない。わが国を立て直すために、正しい旗をあげ続けるしかない。
 
 大塩平八郎が決起したとき、幕府を倒せると思っていただろうか。吉田松陰が船を漕ぎ出したとき、アメリカに渡れると思っていただろうか。西郷南洲が決起したとき、維新政府を倒せると思っていただろうか。違うでしょ。彼らは成算があるとは思っていなかったが、それでも立ち上がった。この三人が立ち上がらなかったから、いまの日本はなかったと思う。

 ──亀井さんは、チエ・ゲバラを尊敬している。

亀井 私は、とてもゲバラのようにはなれないが、彼の爪の垢でも煎じて、その生き方を見習いたいと思っている。ゲバラは裕福な家庭に生まれて、本来ならば安定した生活を送ることができたが、苦しんでいる人のために一生を捧げた。キューバ革命が成功した後、彼は日本でいう日銀総裁のようなポストに就いて活躍していたが、そうした権力に決して甘んじることなく、「世界にはまだ苦しんでいる人がいる」と言って国を飛び出した。そして、最後はボリビアで殺されてしまった。

 ──亀井さんはなぜ政治家になったのか。

亀井 一生懸命やれば、誰もが幸せに生きられるような社会を作らなければいけないと強く思ったからだ。私は十五年間警察にいたが、一九七二年の浅間山荘事件の際、私の目の前で警視庁の高見繁光警部と内田尚孝警視が撃ち殺されてしまった。撃ち殺したのは坂東国男だ。彼ら極左の連中は、残虐非道なことをやった。ただ、彼らを礼賛するつもりなどないが、彼らには、自分のためではなく、他人のため、世の中のためにという心情があった。 当時すでに、日本人が生きとし生けるものへの共感を失いつつあると感じていた。そこで、社会のゴミ掃除をする警察ではなく、政治家としてゴミを出さないような社会を作りたいと思ったのだ。先生と呼ばれたいからなったわけでも、大臣と呼ばれたいからなったわけでもない。残念ながら、私が政治家を志したときよりも、事態はさらに悪化してしまった。人間を人間扱いしないような社会になってしまった。我々は歯を食いしばってでも、この流れを食いとめなければいけないと考え、国民新党を設立した。我々の戦いは、まだ緒についたばかりだ。p-23

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 月刊日本編集部ブログ
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 ※鈴木宗男氏、植草一秀氏、佐藤優氏…等が執筆されています。

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◆発行人 南丘喜八郎◆編集人 坪内隆彦◆発行所 株式会社K&Kプレス
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 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK92」の「私は対米従属派と断固戦う!」 衆議院議員・国民新党代表 亀井静香 『月刊日本』 9月号」を転載する。

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 月刊日本編集部ブログ 平成22年8月23日発行(転載了承済)

 日本国民は滅びの道を選択した

 ─ 7月11日の参議院選挙で与党は大敗を喫し、「ねじれ国会」となった。その中、民主党政権は政権担当能力を疑問視され、七月末からの臨時国会でも防戦に追われる一方だった。また、「みんなの党」の躍進をはじめ、新自由主義路線を掲げる勢力も息を吹き返し、郵政改正法案の成立も危ぶまれている。

 亀井 いよいよ、日本は滅びの道に入ったのだと思う。昨年末の衆議院選挙による政権交代は、長らくの戦後政治の大転換として、対米自立に踏み出す契機となるはずのものだった。私はそれを「対米自立は神の声だ」、「CIAが亀井静香を暗殺しないかぎり、民主新政権はアメリカの言うなりにはならない」と、アメリカにも直接言ったし、『月刊日本』誌でもたびたび表明してきた。だからこそ、我々国民新党は民主党と手を握り、連立を組んだのだ。私が郵政改革法案にこだわるのを、マスコミは「郵政票が欲しいからだ」、「小泉純一郎への個人的恨みだ」などと矮小化して報道しているが、マスコミは日本が対米自立に踏み切ることを恐れ、邪魔したいからこのような歪んだ報道を行うのだ。私は広島六区という選挙区から選出されており、前回の選挙まで一度も応援してもらっていないし、献金などしてもらったこともない。また、小泉純一郎元首相には個人的恨みなど何もない。小泉元首相の推進した対米追従・新自由主義政策が日本を徹底的に破壊してしまうから、それを正しい方向に直さなければならないと言っているだけだ。だが、今回の「ねじれ国会」によって、再び対米追従路線に政権が引きずり込まれていくのならば、日本はもはや自主自立など望むことはできないのではないか、このまま滅びて消えてなくなるのではないかと考えている。7月11日の参議院選挙を、私は「湊川の決戦だ」と言った。かつて楠木正成は正統なる皇統のため、日本のために、負けると分かりきっていながらも少数を率いて逆賊・足利尊氏の大軍に挑み、敗死した。7月11日の敵は誰か。それは愚かな国民だ。自分さえよければいい、自分が金儲けをできればいい、他人が飢えて死のうと自分には関係がない、という悪しき個人主義に身も心も染め上げられ、助け合い、いたわりあうという日本人らしさそのものを見失った愚かな国民を相手に戦ったのだ。
日本人は日清・日露の勝利から愚かになった

 ─ なぜ日本人は愚かになってしまったのか。

 亀井 これは一朝一夕の問題ではない。今から100年以上前、日清・日露戦争に勝ったあたりから、国家としても、国民としてもおかしくなり始めたのだ。それまで、日本は朝鮮半島、中国大陸から文明を享受する側だった。もちろん、大陸との間には文化的交流だけではなく、覇権争い、属国化への抵抗という外交的緊張もあった。だが、我々は大陸を侮るということはなかった。だが、日清・日露、そして韓国併合を経て、われわれ日本人は中国人をチャンコロ、韓国人をチョン、ロシア人を露助と公然と侮蔑するようになった。人間として、謙譲の美徳を失い、傲岸不遜になってしまった。自意識が肥大化し、自分たちはアジアの一員だということを忘れ、西洋列強の一員と自らを認識し、西洋帝国主義の真似をし始めた。政治的にはこの国家としてのひずみは太平洋戦争での敗戦という形で訪れた。この敗戦の衝撃で、日本人は魂まで抜かれてしまった。GHQの占領政策の老獪さを指摘する論もあるが、私は、この敗戦を日本人として再生する契機として捉えることをできなかった我々そのものに、根本的な原因はあると考える。GHQによって我々が洗脳されたというよりも、日清・日露以来の騎り高ぶりの倣慢な心がそのまま続いていたのだ。それが、バブル経済、小泉改革による弱者切捨ての新自由主義の跳梁跋扈をもたらしたのだ。

 戦前の日本の政策について、過酷な世界政治・経済状況下にあって、日本としてはやむをえないことだったとする論もある。なるほど、当時の政治指導者たちにとって、それらは苦渋の決断であったかもしれない。しかし、それは政策への弁護になりうることはあっても、日本国民の質的劣化への弁護にはまったくならない。小泉改革とは、まさに第二の敗戦だった。金融の力で敗戦したのではない。我々日本人の心が根絶やしにされてしまったのだ。日本人の心とは何か。家族を大事にし、お互いに助け合うという精神ではないか。今、それがどこにあるか。111歳の方がすでに30年以上前に亡くなっていながら、その間、年金を受領していたという問題が発覚し、次々に同様の事例が指摘されてきている。自分の親を埋葬し弔うことよりも、黙って年金を受け取るほうが「経済効率がいい」と考えるような畜生道に日本人は堕ちてしまったことの象徴ではないか。大相撲の世界でも問題が起きているし、畏れ多くも皇室にまつわる報道でも色々なことが取りざたされている。これらを一つ一つの現象として個別的に考えるのではなく、日本という国家、日本人という国民そのものが、何かおかしくなってしまったのではないか、取り返しがつかないほど魂が腐ってしまったことの表象として現れてきたのではないかと考えなければならない。

 新しい世界秩序の中で日米安保を考えよ

 ─ 小泉改革の象徴「郵政改革」を改革することこそ、対米自立、日本再生の一丁目一番地と位置づけていた。

 亀井 経済効率だけで政治を行ってはいけないのだ。もちろん、優秀で能力のある人問が自らの能力を発揮して金儲けをすることは否定しない。だが、政治はそのような発想に立ってはならない。郵政ネットワークは、過疎地域で最寄の銀行もないご老人たちも利用できる、政府が保証する金融ネットワークでもあり、どんな山奥でも郵便物が届くインフラであり、郵便局員が一人暮らしの方とも交流をできる社会ネットワークだった。それを、郵貯のカネをアメリカに差し出すために「非効率だ」「赤字運営だ」と経済効率だけを掲げて日本社会をずたずたにしたのが小泉改革だった。竹中平蔵に至っては、「いい生活をしたいのならば東京に出てくればいい」とまで言い放った。先祖の墓があり、生まれ育った土地で死にたいという人間の気持ちがわからないのか。そんなことを言わねばならないほど、日本人はおかしくなってしまったのか。私は泣きたい気持ちになる。いまだに小泉改革を支持し、「郵政改革」改革に反対しているマスコミも悪いが、それ以上に、今本当に僻地、過疎地で辛い生活を送っている人々のことに思いが至らない国民そのものの性悪さは、救いがたい。

─ 普天間問題は、対米自立の一里塚となるどころか、鳩山政権が崩壊し、いよいよ対米従属路線に傾く結果をもたらした。菅内閣もこの事態を打開できずに迷走している。

 亀井 鳩山前首相には文句を言った。対米対等、対米自立と言いながら、5月末の解決などというできもしない約束をしてしまった。要するに、事務レベルでの動きにズルズルとひきずられ、文字通りの意味で「政治主導」などできず、外務官僚、アメリカ側では国防総省の官僚たちとの既定路線を追認するだけだったのだ。真の政治主導であるのならば、対米交渉は国防総省ではなく、ホワイトハウスそのものと行わなければならない。アメリカは今後、アジア政策、極東の安全保障政策をどのように構築していくのか。そして、その中で日本の果たすべき役割とは何かを総論として議論し、提案し、交渉し、その結果として各論としての普天間問題などを考えるべきだった。

 官僚というのは保守的なもので、その発想は旧態依然たるものだ。それは秩序が安定している時代には大きく力を発揮するだろう。ところが、世界が大きく変化している中、旧来の発想しかできない官僚に主導権を与えては物事はうまく進まないのだ。日米安保が持つ意義も、9・11事件以後、大きく変化しつつある。新しい世界秩序の中で日本がどのような役割を果たすべきかを提示していくことこそが日本の政治家の使命だ。惰性で日米安保さえ維持しさえすれば日本の安全は大丈夫などという考え方はもはや通用しない。

 ところが鳩山政権はそうした大きな構想もないまま、普天間に移設しない、県外だ、国外だと最初から見通しもない約束を掲げて、結果として事務方にひきずられ、沖縄県民のみならず国民全体に不信と失望を与えた。私は何とか政権への打撃を最小限に食い止めるべく、「普天間から出て行くことになったはずのトリ(米軍)が戻ってきてしまった。ならばせめてトリカゴ (キャンプ・シュワプ)に閉じ込めておくべきだ」と説得した。そして、そもそも騒音・安全などは米軍が解決すべき問題なのだから、米側に騒音・安全対策をとるよう要求すべきだ。

 ─公約違反として、社民党は政権離脱した。

 亀井 私はなんとしてもこの民主党政権下で対米自立を果たすべきだと考えるし、そのために、社民党の福島瑞穂党首も政権離脱しないよう説得した。5月末までの県外・国外移設決定などという実現できないことが分かりきっていることを掲げて、政権離脱すべきではない、政権にとどまることによって、少しずつでもじわじわと現実を動かすことを考えるべきだと説いた。県外・国外移設を主体としつつ、日米安保という大きな枠組みの議論を提示していくべきだと言ったのだが。要するに、普天間だ、いや、県外・国外だという議論には、軍事力とは何か、軍事力の行使とは何かという根本的な認識が欠けているのだ。この10年で世界政治構造は大きく変わっている。もはや、軍事力そのものが国家間の関係を決定する最後の、最大の力ではなくなっている。

 日本の抑止力という問題にしても、あそこに移せば海兵隊の輸送に30分かかる、などという議論ではダメだ。抑止力とは何か、アメリカと日本は極東の安全保障をどのように構築していくのか、その中で基地はどこにあることが一番望ましいのか、それは本当に沖縄でなければならないのか、こういう議論がなされるべきだし、それが結局、アメリカの新世界戦略にとっても有益なこととなる。そして、それによって何よりも日本の自立があるのだ。抑止力をアメリカに頼るという発想自体が、自立からは程遠い。抑止力とは、自国は自分の力で守るということだ。ところが、そういう議論は国民は嫌がるのだ。必ず、沖縄ではなく、他の県に米軍移設という議論も出てきてしまうからだ。沖縄県民さえ苦しみに耐えれば安全保障が担保されるというのなら、沖縄には苦しんでもらいましょうという、他人のこと、まして国家そのもののことなどまったくない。今や、日本人には日本国民としての連帯意識もない。こんなありさまでは、とても日本に将来はない。

 これからは対米従属派と自立派の職烈な戦いだ

 ─ 政治家は国民の将来に絶望してはならないのではないか。

 亀井 絶望などしていない。私は戦いを決してやめない。私が滅び、国民新党が滅び去ったとしても、日本国民はこうあるべきだ、日本人の精神とはこうだ、と訴えたことは必ず後世に残る。それが残るかぎり、いつか、日本国民は必ず再生する。さきほど、私は「湊川の決戦」と言った。足利尊氏は勝利し、室町幕府=北朝はつかの間の栄華を誇ったが、その魂が現代にまで残っているのは尊氏ではなく、滅びたはずの楠木正成だ。正成の忠誠とは何だ。真の日本のために、咲くをいとわず散るをいとわず、ねぼり強く、しかも何も実ることを期待しないで力を尽くしていくことだ。私の戦いはそういうものになっていく。私は与えられた状況の中で、最善を尽くし、力の限りを尽くしていく。

 ─ 今後、政権与党の一員としてどのように「ねじれ国会」を乗り切っていくのか。

 亀井 国民新党は真の日本に戻ろうと国民に呼びかけたが、国民は耳を傾けず、議席を与えてくれなかった。国民に呼びかけても無駄ならば、政権の内部で革命を起こすしかない。今、与党に問われているのは、国家のために党派を乗り越えることができるか、党利党略に堕さずに、真の日本のあり方を考えることができるかだ。政権与党は今後、法案について柔軟に議論していくことも必要になる。だが、真に日本のためになるものについては、「伝家の宝刀」を抜く覚悟も必要だ。私は衆議院で社民党を説得して政策合意を取り付けた。これによって、民主党と社民党、そして国民新党をあわせれば再可決が可能な三分の二議席を確保できる。「伝家の宝刀」はすでに用意した。あとは、民主党が返り血を浴びる覚悟でこれを抜くことができるか、まさに政治家としての力量が問われることになる。昨年の衆議院選挙で、民主党は「国民の生活が第二と訴えた。それは、相互に思いやり、相互にいたわりあう日本人らしさの回復だ。小泉改革は「伝家の宝刀」でもって、国民を斬り殺した。だが「伝家の宝刀」は国家を裏切り、国民を侮蔑する逆賊を斬るためにこそある。それが政治家の覚悟というものだ。

 ─ 秋の臨時国会では民主党と国民新党との間に、郵政改革法案を成立させることが合意されている。

 亀井 何度も言うように、郵政改革は対米自立の一丁目一番地だ。これに対して、アメリカは陰に陽に、ありとあらゆる手段で抵抗してくるだろう。だが、何としてもこの法案は実現する。そのときこそ、日本人が「アメリカよ、思い通りにはならないぞ。日本には同じ日本人を大事に思う連帯の精神があるんだ」と、百年の魂の眠りから目覚めるときなのだ。そのためには、まず、政治が手本を示す必要がある。日本の自立と自尊の姿を満天下に示す必要がある。これから始まるのは、対米従属一派と対米自立派との凄絶な権力闘争なのだ。

(私論.私見)

 亀井のこの観点は凄い。歴史を良く学び眼力を持っている。れんだいこは絶賛したい。

 2010.8.24日 れんだいこ拝




(私論.私見)