亀井静香論

 (最新見直し2009.9.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 思うところあって、亀井静香を考察する。

 2009.9.20日 れんだいこ拝


【亀井静香の履歴】
 1936.11.1日、広島県庄原市川北町(旧・比婆郡山内北村)で出生。農業を営んでいた亀井素一・静恵夫妻の次男として生まれる。父は終戦まで山内北村の助役を務め、終戦後は県の嘱託として開墾事業に携わった。

 広島市の修道中学校に入学。修道高等学校2年生時に、通学定期券の購入に必要な通学証明の発行を学校が有料化したことに対して批判ビラを配る。これが学校側の不興を買い学校を放逐される(自主退学)。自主退学後、実兄を頼りに上京し、都立日比谷高校や都立九段高校の編入試験を受けるが入学を許可されず、都立大泉高校に編入し、同校を卒業する。

 1956年、東京大学教養学部文科II類に入学。駒場寮に入りキャバレーのボーイ、家庭教師などのアルバイトをして学費、生活費を稼ぐ。学生時代は「マルクスの亀井」と呼ばれるほど、マルクス経済学に精通していた。また他校の合気道部の学生を糾合して「日本学生合気道連盟」を結成、その初代委員長を務めた。段位は学生時代に三段を取得した。またアメリカの水爆実験反対を訴えるストライキが原因で退学となった友人を救うため、ハンストを決行する。その後、1週間あまりでドクターストップとなったが、大学当局はその友人の退学を取り消した。

 1960年、東京大学経済学部経済学科卒業。住友精化に入社。この頃ガンの宣告を受けるが後に誤診と判明。

 1961年、同退社、猛勉強の結果国家公務員採用上級(甲種・行政)試験に3番の成績で合格、警察官採用上級試験に7番の成績で合格。

 1962年、学士入学していた同大学経済学部商業学科を卒業し、警察庁入庁。鹿児島県警察(徳之島警察署)を振り出しに鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査第二課長等を歴任。鳥取時代には鳥取県議であった日本社会党の野坂浩賢と親しくなる。

 1972年連合赤軍あさま山荘事件、成田空港事件テルアビブ空港事件の捜査に初代の警備局極左事件統括責任者として参加。

 警察官僚となり警察庁長官官房調査官を最後に退官した。警察官時代の階級は警視正である。階級は警視正(警察庁退官時)。警察庁長官官房調査官。

 1977年、警察庁警備局理事官、長官官房調査官を経て退官。政界を引退した永山忠則の地盤にて350万円の退職手当を元手に立候補準備を始める。

 1979.10月、第35回衆議院議員総選挙に初出馬、初当選。以後連続当選。

 1985.12月、運輸政務次官就任。

 1989.4月、 自民党中堅・若手議員による派閥横断グループ「自由革新連盟」を結成、リーダー格として活動。

 1989.6月、 自民党党総裁選で、海部俊樹支持の安倍晋太郎の意向に反して、同じく石原慎太郎を擁立したため清和研から除名処分を受ける。 その後派閥に復帰。三塚博会長時代は、同派の幹部森喜朗と張り合うまでに影響力を拡大した。
 1994.6月、 村山内閣のもとで運輸大臣(第69代)に就任。  

 1995年、塚原俊平、平沼赳夫、桜井新、中川昭一らを擁して派中派・亀井グループを形成し、派閥の意向としての小泉純一郎支持に反して、橋本龍太郎を担ぎ出す。  

 1996.10月、自民党組織広報本部長として臨んだ第41回衆議院議員総選挙、初めての小選挙区選挙で新進党新人佐藤公治を破る。

 翌月、  第2次橋本内閣のもとで建設大臣(第64代)を歴任した。政務次官は中曽根派佐藤静雄。臓器移植法採決を棄権(臓器移植法には各党党議拘束なし)。

 1998年、自民党総裁選で、所属派閥の清和研の意向としての小泉純一郎支持に反して、梶山静六を総裁選に担ぎ出す。

 1998.9月、 清和研を離脱し、中山太郎元外務大臣らと「中山・亀井グループ」を結成。同グループ代表に就任。

 1999.3月、亀井グループと中曽根派が合流し「志帥会」(村上・亀井派)旗揚げ。同派会長代行に就任。

 1999.10月、自民党政調会長就任。公共事業の見直しを表明し連日深夜に及ぶ議論の末、2兆7000億円削減。

 2001.4月、自民党総裁選挙に出馬するが、小泉純一郎と政策合意したため直前に辞退。

 2001.11月、死刑廃止を推進する議員連盟会長に就任。

 『死刑廃止論』 (花伝社 2002年)

 2003.9月、 自民党総裁選挙に再び出馬。「(小泉総裁の再選は)500%無い」とするも敗北。『月刊亀井静香』 (アスコム 2003年)

 2003.10月、志帥会(亀井派)会長就任。『繁栄のシナリオ』 (中経出版 2003年)ISBN 480611765X 教育学者・濤川栄太との対談。『ニッポン劇的大改造』 (扶桑社 2003年)。

 2005年、郵政民営化法案を巡る政局で、小泉政権の郵政民営化路線に反対。自民党総務会において郵政民営化法案が多数決採決された際、多数決の無効を主張する意味で採決を棄権した。法案審議等のような政局の緊迫時に、「(小泉首相は)独裁者、ヒトラーのようだ」等と訴えた。

 同8.1日、志帥会でありながら郵政民営化法案に賛成票を投じ、その後の贈収賄容疑を追及される渦中で、議員宿舎内で変死した永岡洋治衆議院議員の葬儀で葬儀委員長を務め、「私がふがいないばかりに、君を守ることができなかった。許してくれ」と弔辞を読んだ。8.13日、永岡議員の妻の永岡桂子が郵政法案賛成の遺志を継ぎ、自民党から立候補したため面目を失う。

 2005.8月、自民党に離党届を提出、志帥会会長を辞任。元衆院議長の綿貫民輔らと国民新党結党に参画。

 外国人記者クラブの会見で第44回衆議院議員総選挙での自民党執行部の刺客作戦について「政治的ガス室に入れられた」、「刺客を放って仲間を刺し殺す自民党では日本はおしまい」と発言。

 同9月、衆議院議員総選挙において無所属で出馬した堀江貴文に苦戦を強いられる。「大麻やら薬やらをやっている若者に支持を受けているようだから信用に値しない」とTVで発言した。結果、友人である俳優・菅原文太らの応援もあって26,546票差で当選。選挙後、国民新党の代表代行に就任。

 同10月、自民党から郵政民営化反対の責任と、新党結成を理由に離党届は受理されず、除名処分となる。この時、「ヒトラーでもやらない事をやった」と吐き捨てた。

 2006.4.18日、談合についての国会での質問で、「地方救済の為には必要。日本のよき助け合いの精神」などと一定の理解を見せた。

 2007.2.13日、衆議院予算委員会で6年ぶりに(国民新党結党後初めて)質問に立ち、「まさか自分が野党側で質疑応答するとは想定外でした」、「(安倍首相に対し)小泉総理時代の思想はやめて自分なりの思想でやってはどうだ」、「創価学会の名誉会長の池田大作との安倍総理の2者対談をしたのか?」など、安倍首相の姿勢や創価学会関連の質疑応答などと質問した。

 同4月、25年以上の親交があるという川内康範に打診し許可を得た川内作詞・作曲の「おかあさん」を、国民新党のテーマソングとすることを発表。この曲は亀井が北島三郎の「兄弟仁義」と並ぶレパートリーとしている。それに伴い川内も参加し、亀井の歌唱のよるレコーディングが行われた。人に聞かせる水準に至らないとして川内から19回ダメ出しされた。第21回参議院選挙でテレビCMとして実際に放送された。

 2007年、第21回参議院議員通常選挙で、国民新党代表代行として民主党との連携の中心的役割を果たし自公連立政権の過半数割れを実現。一方で、「国会や選挙での共闘といっても、(民主党という)泥舟に乗って戦いはやれない」と発言した。

 同11.21日、国民新党の会合でのあいさつで、自民、公明両党推薦の現職候補が敗北した大阪市長選に関連し、「創価学会の麻薬で生きてきた自民党だが、麻薬が効かなくなると大変だ。慢性依存症が強くなっていて、そこが手を引くと、全体ががたついた」と発言した。但し、自公連立時の自民党時代には公明党からの支援を得ており、政治理念の一貫性のなさが指摘されている。
 

 2008.3月、日銀総裁人事で自民党と民主党が対立し、日銀総裁が空席になったことに対し、「(民主党と自民党という)バカとアホの絡み合いで日本が沈んでいく」と発言した。

 2008.9月、民主党と国民新党との合併構想が浮上した際には、合併に前向きな発言も行っている。

 2009.8.30日、第45回衆議院議員総選挙で、広島県第6区から国民新党公認、民主党の推薦を受けて立候補し、自民公認候補に67,479票の大差をつけて11期目の当選を果たす。

 この選挙で、国民新党代表の綿貫民輔と幹事長の亀井久興がともに落選する事態となったため、選挙翌日に綿貫から代表の座を引き継いだ(国民新党第2代代表に就任)。

 同9.16日、第93代鳩山内閣で、内閣府特命の金融・郵政改革担当大臣に就任。

 現在、衆議院議員通算11期)。

 家族

 姉は俳人で俳誌「茜」を主宰していた出井知恵子(いずい ちえこ、1929年9月2日 - 1986年10月18日)、[10]。兄は参議院議員で国民新党副代表の亀井郁夫である。また息子と娘がいる。

 死刑廃止を推進する議員連盟会長(第4代)。血液型A型。


 尊敬する人物はアルゼンチン生まれの革命家チェ・ゲバラ大塩平八郎ビートたけしに狂言師和泉元彌の母・和泉節子に似ているとネタにされる。本人も自分の容姿を気にしているらしい。

 政治思想

 かつては自民党に所属していたが、学生時代にマルクス主義を勉強していた影響もあり社会民主主義傾向が強く、保守政党である自民党の理念に賛成しないときもあった。チェ・ゲバラの思想に心酔し、連合赤軍に対しても、取調べを通して向き合った経験から「“世のため人の為”と立ち上がった彼らの思想そのものに間違いはない」と一定の評価をしている。事務所にはポスターも飾られ、当時事務所に招かれたキューバの「敵国」であるアメリカハワード・H・ベーカー・ジュニア駐日大使がこれを見て目を剥いたという。

死刑制度廃止 [編集]

警察官僚としての経験から、誤認逮捕冤罪は必ずや起きてしまうものとして、「警察官に誤って無実の人を殺させるようなことがあってはならない」と死刑制度廃止に積極的に取り組み、死刑廃止を推進する議員連盟の会長をしている。アムネスティ・インターナショナル関係の集会にメッセージを寄せることもある。近年は共謀罪にも反対している。

防衛政策 [編集]

若い頃は自由革新同友会(旧中川派)に所属していて、国家基本問題同志会の座長を務めるなど、タカ派のイメージが強い政治家の一人であるが、親米保守ではなく、イラクへの自衛隊派遣に反対している。亀井自身は「タカ派か?ハト派か?」と訊かれたら「ハトを守るタカ」と答えている。


亀井静香一転郵政相内定 民営化揺り戻しどこまで?

2009/9/15      twitterでつぶやく このエントリーを含むはてなブックマーク はてなRSSに追加 この記事をBuzzurlにブックマークする この記事をクリップ! Yahoo!ブックマークに登録 newsing it!   コメント(38)   印刷

   前日に防衛相に内定と報じられた国民新党の亀井静香代表が、急きょ郵政問題・金融担当相のポストに変更された。亀井代表と言えば、小泉刺客のホリエモンと争った民営化反対の旗頭だ。大幅な揺り戻しは避けられないのか。

日本郵政社長に、早くも辞任促す

「『衆院を解散するかも』とどう喝され(郵政民営化法案を)成立させるようなことがあれば、国会議員は末代まで恥をさらすことになる」
「特定郵便局長会は裏切った議員を支持しない。(落選させて)葬り去る力だけはある」
「私が落選するなら仕方がない。その結果、郵便局が残るならば相打ちだ」

   これらは、亀井静香代表が2005年の郵政選挙前に、テレビ番組などで語った言葉だ。

   それほど民営化阻止に情熱を傾ける亀井代表が、2009年9月16日の内閣発足で郵政問題・金融担当相になることが内定。早くも、15日夕の会見で、民営化を進める日本郵政の西川善文社長に対し、「辞めてもらうのは当然の話。ご自身が判断したほうがいいだろう」などと辞任を促す発言をした。

   亀井代表は、当初は、郵政民営化を担当する総務相を希望していたが、14日夕に防衛相に内定したと報じられた。社民党と対立しがちなポストを国民新党に任せるのが狙いだったともいう。しかし、1日たって急転直下、総務相ではないがその一部の仕事を含んだポストに落ち着いた。

   その理由は、今ひとつはっきりしないが、民主党が地方分権を担当する総務相のポストにこだわっていたことから、郵政問題だけ切り離したのかもしれない。また、防衛相のポストを他党に渡すことは、海外から安全保障に対する姿勢を問われかねないとの指摘があっただけに、それに配慮したのだろうか。

改革姿勢の後退と受け止められ、日本株売りにつながる

   ただ、金融担当も含むキーポストだけに、景気や日本経済の行方に関心の強いマーケット関係者から戸惑いの声が上がっているようだ。

   ロイター通信の2009年9月15日付記事によると、ある国内証券ディーラーからは、「郵政改革は日本の構造改革の象徴であったため、後戻りするような政策になれば、海外勢からは改革姿勢の後退と受け止められ、日本株売りにつながりかねない」との指摘が出ているという。

   国際金融アナリストの枝川二郎さんは、警察官僚出身の亀井静香代表に、キーポストを任せることに疑問を呈する。

「亀井さんは、経済をあまり理解していない人ですね。素人には、その動きは難しくて、なかなか分からないのですよ」

   ある金融機関の役員からは、15日夕、「亀井さんでは、まったく困る」とのメールが来た。亀井代表がこの日の会見で、中小企業に対して3年ほど借金の元本返済を猶予するモラトリアムを導入するとしたが、この役員は、「すぐに中小企業に金を貸せと言い出すのでしょう。本当にそういうことが日本経済のためになるのか判断しているのでしょうか」と嘆いていた。

   枝川さんは、「まったく同感です」としたうえで、こう話す。

「(現金融担当相の)与謝野馨さんは、経済に理解があり、少なくとも愚かなことはやっていません。亀井さんが、郵政に対する理念を通そうと、目先の政治的なことばかり追い求めていると、世界の笑い者になるかもしれませんよ。民営化しない選択肢もありえますが、全体として経済をどう動かしていいか理解していない人がやると、本当に日本売りになるでしょうね」

 「新ベンチャー革命」の2009.9.16日付けブログ「亀井郵政・金融担当大臣:命がけの就任」を転載しておく。
 1.目に涙、亀井氏は命を賭けるはず

 2009年9月16日の報道によれば、亀井静香国民新党党首が、鳩山新政権にて郵政・金融担当大臣に内定しました。いったん防衛大臣とのうわさが流れ、その後、急きょ変更されました。この人事に関しネットの愛国日本人ブロガーの評価は極めて高いようです。なぜなら、亀井氏は政治生命(あるいは本物の命)を賭けて、日本の郵政事業の正常化に取り組むことが強く期待できるからです。亀井氏の目に涙が浮かんでいました。国民はこの涙を決して見過ごしません。

 2.国民をだました政官財・マスコミの小泉一派と小泉シンパに鉄槌を

 前回2007年の参議院選挙による民主党第一党化に次ぎ、今回8月30日の衆議院選挙における民主党圧勝の主因は、国民が2005年の郵政民営化衆院選挙において、小泉・竹中の似非改革路線にすっかりだまされたことに気付いた怒りの結果です。郵政民営化を国民のためと偽装しつつ、実は、米国寡頭勢力の強欲な私益を最優先して、自分たちもそのおこぼれにあずかろうとしていたことが国民にばれたのです。

 大手マスコミはことごとく、小泉・竹中改革の目玉、郵政民営化を支持していましたが、ネット情報の発達で、国民が小泉政権の欺瞞性に気付いてしまったのです。この改革の真の狙いは元々、日本の米国化を実現することであり、究極的に日本国民の国富を米国寡頭勢力に移転することを目指していたわけですから、当然の帰結として、日本国民の貧乏化が進みました(注1)。2009年、その兆候がさまざまな統計数字になって顕在化しています。

 3.最後は“正義が勝つ”ことが証明された

 2005年の郵政民営化選挙の際、亀井氏は郵政米営化に断固反対したため、小泉政権によって自民党籍をはく奪されました。しかも自身の選挙区に、当時の風雲児だった堀江貴文氏が刺客候補に立てられ、危うく落選させられるところだったのです。誰が聞いても、はらわたの煮えくり返るような仕打ちでした。このようなやり方は、とても日本人の発想ではないと思います。

 今回の亀井氏の郵政・金融担当大臣就任で、多くの国民は、やはり最後は“正義が勝つ”ことを再確認させられました。彼は元々、清和会所属であり、自民党の中でも小泉一派に近い存在でした。だから小泉政権の本性(戦争屋=CIAの傀儡政権)を知りぬいていたはずです。なお同氏は98年に清和会を離脱しています。

 4.亀井氏の罪:植草氏の国策逮捕を誘発したこと

 筆者は2003年4月に早稲田大学に実務家教員として嘱任しましたが、同期に植草一秀氏がいました。彼は1年後の2004年4月、神奈川県警管轄外の品川駅エスカレーター痴漢容疑で同県警に逮捕され、まもなく大学より懲戒解雇されています。この事件は今ではえん罪事件、悪質な国策逮捕事件として、ネット世界に広く知られています。当時、筆者は小泉政権の欺瞞性に気付き、メルマガで批判していましたので、とても他人事ではありませんでした(注2)。

 そこで、思い出すのが、植草氏逮捕の直前、2004年の3月ころだったか(?)、東京某所で行われた某集会(参加数百人)にて亀井氏の講演を聴く機会に恵まれました。そのときの同氏の発言は植草氏が当時、主張していた内容そのものでした。植草氏は亀井氏のブレーンとは聞いていましたが、そのとおりだと実感した記憶があります。亀井氏の講演が終わったころ、集会主催者がマイクで「ただいま、安倍自民党幹事長が会場に到着されましたが、都合により、受付であいさつして、帰られました!」と会場聴衆に伝えました。筆者にはすぐわかりました。なぜ、安倍氏はあわてて引き返したのか、それは壇上に亀井氏がいたからです。この当時、小泉氏に抜擢された安倍氏と亀井氏の折り合いはすでに悪かったのでした。ちなみに当時、竹中平蔵氏は小泉首相のブレーンとして、金融・経済・財政政策担当大臣に抜擢されていました。

 このハプニングのだいぶ後でわかったことですが、亀井氏や青木氏など、一部の自民党幹部は、当時、竹中氏をリコールして植草氏を金融・経済・財政政策担当大臣に抜擢する秘策を練っていたと聞いています。これはアンチ小泉=アンチ戦争屋=アンチCIAの動きであり、小泉氏に義理のある安倍氏が亀井氏と顔を合わせたくない気持ちはよくわかりました。しかし、亀井氏らのこの動きはすぐに戦争屋=CIAのジャパンハンドラーに嗅ぎつけられて、自民党内の植草擁立派は彼らに強く叱責されたそうです。一方、まもなく、植草氏は痴漢容疑で逮捕されてしまうのです。今となって振り返れば、亀井氏らが植草氏を竹中氏の対抗馬に擁立しようとした行動自体が、世にも醜い植草氏の国策逮捕事件を誘発したとみなせます。

 5.植草氏を救えなかった亀井氏

 植草氏が逮捕された2004年4月、警察官僚出身の亀井氏は、ブレーン植草氏の逮捕を警察がマスコミに公表するのを防げなかったのです。たかがエスカレーターでのうしろからの女高生のスカートのぞき、というもっともありふれた軽微痴漢容疑なのに・・・。しかもこの痴漢容疑事件は被害者に触っているのではないので、被害者に被害認識がないのです。とても逮捕するような話ではありません。駅のエスカレーターで、これと似たような経験をしたことのない通勤男性がいたらお目にかかりたいほどです(笑)。

 植草氏の著作で最近、知ったのですが、このとき講演依頼の名目で植草氏を横浜におびき出したのが、中田宏・元横浜市長一派のようです。彼は民主党の仮面をかぶる隠れ小泉一派として有名です。この時期、戦争屋=CIA得意の、攻略ターゲットの陥穽工作ノウハウが小泉一派に広く伝授されていたようです。

 いずれにしても2004年時点の亀井氏は、植草氏の軽微痴漢容疑事件すら握りつぶせなかった。それほど、亀井氏はCIAジャパンハンドラーに威圧されていたのです。そういえば、亀井氏は今年7月ころTV出演して、『亀井静香がCIAに暗殺でもされない限り、日本が米国に従属することはない!』とつい口走ったそうですが、この発言は冗談でもなんでもなく、彼にとってCIAの闇組織が、攻略ターゲットを事故死や病死とみせかけて暗殺することはリアルなシナリオなのです。警察官僚出身の亀井氏は、自分がその攻略ターゲットにされる可能性が高いことを肌身で知っているはずです。なぜなら、彼はその実例を身近でいくつも経験して知っているからです。

 いずれにしても亀井氏らの植草擁立活動がなければ、植草氏は現在、早稲田大学教授で居られたはずです。彼の人生をオシャカにした連中に鉄槌を下して欲しい。そのためにはまず、警察庁や東京地検特捜部からCIAエージェントを一掃することが必要です。そのことは亀井氏も、小沢氏も重々、承知しているでしょう。ところで東京地検の黒幕、漆間内閣官房副長官が9月14日、先手を取って、辞表を出したそうですが、辞表を出して免罪される問題ではありません。

 6.米国寡頭勢力にとって郵政民営化は単に“口実”だ、だまされるな!

 亀井新大臣が郵政民営化見直しの際、留意すべき点があります。それは抜け目のない米国戦争屋(軍産複合体)のボス、デビッド・ロックフェラーが売国小泉一派から親・戦争屋系郵政官僚あるいは民主党内小泉シンパ(トロイの木馬)へ鞍替え策動(注3)する可能性が予想される点です。十分、注意してもらいたい。その意味で読売ナベツネ(戦争屋エージェント)の今後の動きは特に要注意です。

 要するに、われわれの郵貯・簡保・厚生年金を狙うハゲタカにとって“郵政民営化は単に国民をだます口実”であって、日本郵政が公社に戻っても、今度は郵政官僚を抱き込めばよいのです。国民は刮目して監視する必要があります。




(私論.私見)