自民党の規約(党則)、組織論について

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).9.4日

【自民党の党則考】
 自民党は、党則の冒頭に次のように記している。
 「我が党は、真の民主主義を基調とする議会政治の本義に徹し、厳に容共的破戒勢力を排除し、庶政一新、福祉国家を建設し、世界の平和に貢献せんとする進歩的国民政党である。この立党の精神を実現するため、本党則を定め、党内の規律を正し、組織と活動の強化を図り、もって党運営の模範とする」。
(私論.私見)
 上記自民党党則は、もっと素直に読み直されねばならないのではなかろうか。1・真の民主主義を基調とする、2・議会政治の本義に徹する、3・容共的破戒勢力を排除する、4・庶政一新、5・福祉国家建設、6・世界の平和に貢献、7・進歩的国民政党を目指すという7つの指標を掲げているが、ハト派タカ派混交する自民党全体としてはともかくもハト派は建前に止まらない護持精神を有していたのではなかろうか。

 とするならば、この7指標は、他の政党の護持指標に比べて何ら遜色のないむしろ戦後憲法秩序に則った進んだ諸規定であるということになる。戦後憲法秩序がプレ社会主義的なるものであったとすれば、それに合わせた自民党はプレ社会主義的党規約に則った政党であったということになる。その政府自民党を保守反動呼ばわりし、万年野党体制をシフトし、「我こそが真に正しく潔癖な野党」なる標語で庶民大衆を欺きつつ党内を特高治安維持法体制下で運営している日共こそ何者かと疑惑されねばならないことになる。

 2006.6.20日 れんだいこ拝

【自民党の組織論考】
 宮崎学氏は「民主主義の原価」で次のように述べている。
 「戦後の媒介装置は、非権威主義的で、利益集団に即したものにならなければならなかった。そして、そういう役割を果たせるのは、諸利益集団の利害を調整するという機能を本来的に持っている政治組織である。ここに、一方で利益集団の利害に立脚しながら、しかも国家目的を内面化して、その目的にとって必要な官僚統制を積極的に受け入れ、この両者の媒介で自己の存在理由を確立していく政党が必要とされてくる。その必要を満たしたのが自民党であった。この自民党の事実上の一党支配が確立されることによって、『政』(政治組織)、『官』(官僚組織)、『民』(社会組織)の間の、相互に対抗しつつ依存する、いわゆる『鉄の三角形構造』が形成された」。

 宮崎氏の自民党感は、戦後保守奔流を形成したハト派の観察に於いて的を射ているように思われる。れんだいこは、更に次のことに注目したい。何と、民主党の組織論こそは、左派運動が久しく渇望して止まない「民主主義的権限原則、略して民主権限制」を組織論の精髄に取り込んでいる点でスバ抜けた良さを見せている。

 このことに気づかないまま政府自民党批判をしているが、批判する側の党の組織論を見ると全く稚拙で大人のそれになっていない。タカ派系の組織論はいざ知らずハト派系の組織論は、民主主義の手続きを重視し、代議制民主主義と議会制民主主義と三権分立制を弁え、党内に異論、異端を許容し、執行部権限を認め、派閥の効用を認め、一旦危急ありせば馳せ参じるという理想的な組織論になっている。

 それゆえ、自民党は、入り口が広く奥行きの有る政党となっている。多数決政治での運営を心がけ、敗者側への非情な政治を極力排し、後継者育成に配慮し、実力者を育て、党内人事はバランスを重視し云々という仕組みになっている。この誉れの全てが小泉政治によって破壊されつつあるが、長年培われた自民党の伝統はそうは容易くは壊れないだろう。

 今日日の小泉政治阿諛追従派は、そういうことも弁えず、「排除の論理万展開」を絶賛し、織田信長の再来とまで持ち上げている。漬ける薬がないとしたもんだ。誰がどう提灯したか、しっかりノートしておかねばなるまい。

 2005.9.24日 れんだいこ拝

【自民党の総裁選規定考】
 自民党の総裁選規定は、日本国憲法第67条第1項「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」を受けて合法的に党の代表を決め、その代表を総裁として、国会での内閣総理大臣席を争う仕組みにしている。

 自民党の総裁は、自民党則というもので決められている。 総裁選の投票権は、通常は、党所属の国会議員(394名)と党員・党友(同数の394票)(394+394=合計788票)が票を投じる。臨時に、通常の党員・党友投票は行われず、代わって両院議員総会で選出され、国会議員(394名)と各都道府県連代表3票ずつ(合計141票)で、(394+141=合計535票)で行う。過半数を取った人が総裁になる。総裁選挙においては、議員は、自分の所属する派閥が推薦する候補に投票することを求められる。そうなると「自民党所属の国会議員の派閥の力学で選出された総裁」が「日本国の総理」となる。

 これにより『勝ち馬に乗る』現象、立候補取り止め現象が生まれる。

 一国のリーダーを選出する方法というのは国によって様々であり、どれが良いシステムであるか、というのは、かなり難しい問題である。




(私論.私見)