「小泉首相の愛人新橋芸者小はん変死事件考」

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).2.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 小泉のその後の原発即廃止論への良い方向への変節につき、「小泉の愛人新橋芸者小はん変死事件」その他の過半が、ひょっとして飯島一派の企画演出による小泉篭絡だったのではないかと思い直すようになった。今、当人がそのことに気づき、過去の己と、その己を利用し尽した飯島一派と暗闘しているのではなかろうか。この観点から書き直してみたいと思うが今はまだその時間がない。このことだけでもはっきりさせておく。

 2015.11.29日 れんだいこ拝


【小泉首相の愛人新橋芸者小はん変死事件概括】
 小泉首相(以下、「小ネズミ」と云う)にまつわる疑惑として「愛人小はん変死事件」がある。これも「慶応大学在学中の女子学生レイプ事件」同様に事実でない中傷告発であったとしたら、これを喧伝する者は愚かということになる。しかし、これが真相であったとしたら事は由々しき事態である。

 「愛人小はん変死事件」とは、「小ネズミが新橋芸者小はんをSMプレイ中に絞め殺したのではないか?という疑惑」である。既に「あの事件は、そうとれることが多い」と指摘されている。「小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相」の告発は、かなり具体的に記されているのが初見のように思われる。

 これが真相としたら、新橋芸者小はん死亡事件は再検証される必要がある。1992年5月12日(水曜日)午後3時頃、「新橋芸者小はん」こと奥貫浩美(31歳)が、東京都港区三田の彼女の豪華マンションで死体となって発見された。所轄は三田署。第一発見者は彼女の母親の奥貫和子。 小はんは、9日の土曜日には東おどりの練習に参加。ところが週明けの月曜日に出てこない。12日の火曜日、置屋が心配して、千葉にいる彼女の母親に連絡、合鍵で部屋にはいった母親が変死している彼女を発見し通報した。

 小はんは、着物の帯がドアの上の部分にかけてあったのでそれが首吊り用のものだと認定され、自殺として処理された。死体には抵抗の後が見られない為、他殺には推論されにくい。走り書きの遺書が残されていた。この状況をどう説明するのか。「それは偽造である可能性がある」と云う。彼女の死亡推定日は10日の日曜日。検死される事もなく翌日にすぐに荼毘に付されている。ところで、「新橋芸者小はん」と小泉衆議院議員は公然の愛人関係にあった。死亡推定日の日曜日は国会が休みの為、小泉が一緒にいた可能性がある。この時の国会は政治改革関連で揉めており、小泉議員は相当のストレス下にあった。その小泉は、小はんの死体発見時、広島にいた。何の用事で広島にいたのかが釈然としない。小泉の広島出張には必然性がない。即ち不自然である。その小泉は翌日の告別式に参列していない。これにつき、匿名氏は、飯島が激しく止めたらしいとコメントしている。

 概要以上のような告発である。真相が明らかでないのでこれ以上のコメントは控えるが、俄かには信じ難いほど強烈である。

 2005.10.20日再編集 れんだいこ拝

【小泉首相の愛人新橋芸者小はん変死事件の概要と推理】
 「★阿修羅♪ > 戦争71」の現代政治経済総合研究所氏の 2005 年 7 月 14 日日付投稿「小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相」。
 http://www.pressnet.tv/log/view/6172

 小泉純一郎の研究   現代政治経済総研 橋本

 ○小泉純一郎は、いかにして、自ら起こした学生時代の婦女暴行事件を隠蔽して裁判をごまかしたか
 http://www.pressnet.tv/log/view/4760
 小泉婦女暴行事件概要(学生時代)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html

 ○小泉純一郎は、婦女暴行事件を1967年4月に起こし、神奈川県警に逮捕歴あったが、それを提訴した木村書店店長を、「自ら売っている本に書かれていることで傷ついたと主張している」と捏造して、攻撃をしていた。 実は彼の婦女暴行事件は週刊現代編集長も、その他26誌の編集長に聞いたところ、 実に13誌の編集長がすでに、木村氏以前に知っていた有名な出来事である。 被害者もきちんと横須賀に在住でいる。

 <被害者の女性が、存在しているにもかかわらず、マスコミにでない理由>

 事実は、小泉純一郎による婦女暴行事件は、実際に被害者の女性が存在していて、さまざまマスコミ媒体から記事の掲載、出演が依頼されていた。 しかし、その女性はマスコミに出ることを断っている。 親告罪であるため、500万円を小泉から和解金としてもらって和解しているが、もし、その女性が、「婦女暴行されました」と証言したりしてしまえばその500万円は小泉側に、返金しなくてはならない。そのため、被害者である女性は、500万円のためになかなか証言をしない。しかし事件としては存在していたのだ。

 <郵政民営化の持論の背景>

 この事件の存在を知っていたために、当時の選挙区の郵便局長の全てが小泉の反対候補の田川誠一氏を応援した。小泉が最初に立候補した昭和44年(1969年)12月の選挙のことである。その結果、 小泉は僅少差で(約4400票差)で落選してしまった。この時に深く郵便局を恨んだといわれている。ここから郵政民営化という持論が始まる。

 <小泉純一郎の入院歴>

 ○婦女暴行事件を1967年4月に起こした直後に、小泉純一郎は、精神病院で有名な都立松沢病院に入院。(状況からして強制措置としての強制入院であったと思われる。)診断名は、精神分裂病であった。2ヶ月間入院。つまり1967年4月から6月まで入院して退院。その後、7月7日に羽田を出発。ロンドンに留学という名目で日本を離れている。慶応大学には休学扱いで届出を出している。
 ○公開プロフィールには、慶応大学卒業後留学と書いているが、彼は帰国後に卒業している。

 <個人情報保護する必要性があった理由>

 ○ 以上は個人情報である。そのため、小泉内閣になってから小泉純一郎および飯島勲は、個人情報保護法案をまとめた。

 <統合失調症に変更になった背景>

 ○ 小泉内閣になってから、精神分裂病という病名は、統合失調症というオブラートにつつんだような名称に変更になった。上記の、一国の総理大臣小泉純一郎が、精神病院の都立松沢病院に精神分裂病で1967年4月から6月まで入院歴があるという事実は、真実そのものであるため、名誉毀損罪には該当しない。

 なぜなら、刑法第230条の2「公共の利害に関する事実にかかり、かつその目的がもっぱら公益を図ることにあったと認めるときは、事実の真否を判断し、真実であればこれを罰しない」とある。つまり、虚偽、中傷および捏造したものではなく「真実」であるならば、それは名誉毀損罪には該当しないと、刑法に書いてあるからである。

 <投薬治療を受けた前、後の写真の変化>

 精神医薬による投薬治療を小泉純一郎は、精神病院で受けたため、彼の写真(慶応大学の在学中に撮ったサークル写真など)と、留学中に撮影した写真では、まるで違う。留学中に撮影した写真が、薬漬けの病人のような風貌であるのは、投薬治療のためである。

 <戦後初めての精神病院入院歴のある総理大臣>

 彼は、35年後に総理大臣の地位に就任する。おそらく、戦後初めて、精神病院に入院歴のある人物が、一国のトップに就任した例である。断っておくが、これは真実であるため、マスコミは裏をとって「小泉氏精神病院の都立松沢病院に2ヶ月間入院歴あり。病名は精神分裂病。戦後初の精神病院入院歴のある総理大臣」と報道するべく十分に周辺取材および、裏とりを行ってください。

 <マスコミ用の裏の取り方>
 この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。知っているのは、信子、正也他小泉家と、もう一人、小泉家でない人物である。この「小泉家でない」人物が過去につきあった女性をあたるとよい。なぜかというと普段は口が堅いが、酔っ払うと、つきあっている女性には、「俺は小泉の弱みを握っているから、小泉は俺を切れない」、「信子姉さんももうすぐ70になるから、早く死んでくれたらなあ。そうしたら、俺が、小泉家の金庫番になってやる」、「正也なんて絶対にあんなやつは東京には上げない」、「俺が小泉家をのっとろうとしていることが、ばれるとまずいから、俺は小泉が引退したら、俺も、郷里に帰るといって信子姉さんを信用させている」と言っていると話が聞けるだろう。
 <適当に選ばれる首相>
 なぜ、小泉は首相に選ばれたのか? 彼は「自民党を変える!自民党をぶっ壊す!」というスローガンで、自民党員の人気投票によって選出された。
 <歴代、ワースト1位>
 小泉純一郎が就任して以来、自殺者数は、歴代総理大臣中1位。自殺者数は過去最大で第1位。会社倒産件数歴代1位。百貨店のトップであったダイエーが倒産。銀行は軒並み倒産。倒産件数は激増。最悪の不況である。

 <死ぬ・殺せという言葉の多用される随筆>
 ○ 小泉純一郎は、慶応大学の時に「横須賀慶応学生会」の文集にこう書いている。発行は65年6月。短い随筆の中に20回以上も「死ぬ」、「殺せ」と類した言葉が出てくる。

 「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」

 「青春は人生にたった一度しかこない。しかもその人生もまたやり直すことのできないたった一度きりのものである。私は一生を考え、ふと空しさを覚えるときがある。虚無を感ずる時がある。胸の中を北風が通り過ぎるような思いがする。何もかも馬鹿らしくなってしまう。何のために生きているのか。(中略)死んでしまえば何も残らない。(中略)虚無感にふと襲われるときがくる。そんなとき、私は、人生50年 化転の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受けて滅せぬ者のあるべきか」をうたい、「死のうは 一定!」、「それ貝を吹け、具足をもてい!」と(中略)一挙に今川義元を打ちとったあの時の織田信長を思い出す。人生50年、どうせ一度は死ぬのだ。(中略)相手を倒さなければ自分が殺される厳しい戦国時代の武将に私は強く魅かれる。戦いに明け暮れ、死など考える暇がなく、しかも死が眼前にある。(中略) ときに襲ってくる虚無との戦いに負け死を考える時が無きにしもあらず。 だが、死んでしまったらそれこそおしまいである。自殺は敗北である。私は自殺くらい馬鹿なことはないと思う。人間死にたくなくとも必ず死ぬのだ。(中略)私は自分の志す仕事が達成された後ならすぐ死んでもいいと思っている。 われは金剛石。打て 打て 打て われを されど われは 死なじ。われは不死鳥のごとし 己の死よりふたたび命を得 殺せ 殺せ 殺せ われを されどわれは死なじ」とある。

 ○昭和52年の夏、青山学院大学4年だった宮本佳代子さんに東京赤坂のレストランで、見合いをした8月25日の翌日、小泉は、プロポーズする。あってわずかの2日目である。

 ○昭和52年8月26日早速二人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見た後、小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?」。彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と一言。小泉は、「それで決まりましたね」。

 <その4年後>

 4年後、結婚は破綻。佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追わず、来るものは拒まずだな」の一言だった。佳代子の親族は、「総理になった純一郎さんを見ていると、あの人は、表の顔と、裏の顔がかけ離れた二重人格じゃないかとおもわざるをえません」。小泉氏は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。

 新橋芸者

 ○小はん変死事件
 新橋芸者小はんは、小泉純一郎の愛人であった。彼女は突然、何の前触れもなく変死をしている。小はんの本名は奥貫浩美。31歳。死体となって発見されたのは、1992年5月12日(水曜日)午後3時頃。場所は、東京都港区三田の彼女の豪華マンション。所轄は三田署。

 ○第一発見者は、彼女の母親の奥貫和子。 9日の土曜日は、小はんは、東おどりの練習に参加。ところが、週明けの月曜日には出てこない。心配して、千葉にいる彼女の母親に12日火曜日になって、置屋のほうから連絡が行き、合鍵で部屋にはいった母親が、変死している彼女を発見。死亡推定時刻は、10日の日曜日。このときに誰かとあっていたのだろうか? 日曜日は国会が休みである。このときに、ちょうど、政治改革関連で、自民党はとてもすごいストレスにさらされていた。三田署によると、「洋服姿で部屋のドアのふちに、着物の細い帯がかけてあった」。

 <男も嫌いだし、結婚もしたくなかったのが真相>

 ○母親の奥貫和子さんによると、小はんこと浩美さんは、 いつも「男は嫌い。結婚もしたくないし、子供もいらない」と言っていたという。
 ○ 遺書は存在していない。
 ○ 当時、小はんは何も悩んでおらず、自殺する動機は存在していなかった。明るかった。
 ○ 写真を見ると屈託のない笑顔で、いわゆる自殺するタイプとはまるで違う。
 ○ 母親の奥貫和子さんは、「死因は自殺ではない」と明言している。
 ○ 走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙はあったが、 母親は「自殺ではありません」と明言している。ということは、母親は、その走り書きをみて、「娘の筆体ではない、偽造されている」とわかったのではないだろうか? 小はんの死因について母親にきいても、無言を通している。
 ○親しい知人には、「実は小泉さんとの付き合いが原因だった」と言っている。

 <小泉の愛人であった小はん>

 彼女の親戚の話によると、小はんが、三田のマンションを買ったときには、小泉からお金を出してもらい、月々のお手当ても小泉からもらっていた。夏や冬には、100万円をボーナスとしてもらっている。東おどりというおどりのときに、100万円。茶ダンスと食卓セットを小泉から購入してもらっている。ちなみに、この港区三田というのは、小泉の母校の慶応大学に近い場所である」。

 <検死のしにくい腐敗状態>

 死亡推定時刻の10日から、発見の12日までかなり日数がたっているため、死体は腐敗をしていたと考えられる。首の皮などは、腐敗して見分けがつきにくい状態であったはずである。そのため検死はしにくいはずである。

 <自殺と安易に推定される根拠>

 自殺を思わせる走り書きが存在しており、かつ、殺されたときに、抵抗したような傷や、首に思いっきりしめたような跡がついていなければ、これは、自殺と判断される。問題ない自殺であるとされる。検死によって死因を判定する。死因特定されると、死体検案書を発行する。これは病死の場合の死亡診断書に該当するものだ。これが発行されてはじめて葬儀ができることになる。

 <小はんは、検死で自殺と判断されているため、解剖をしていない>

 検死段階で死因がわからないときに死体を解剖にまわす。状況からは死因が自殺ではないかと思われる死体でも、傷がたくさんあったりすると、誰かと争ったためにできたものではないかと疑われ、解剖されることになる。ところが、盲点がある。愛し合いながら、首をしめられていれば、外の傷は生じないため、他殺とは思われないはずである。解剖には2種類ある。犯罪の疑いのない死体の死因を特定するための「行政解剖」と他殺などの事件性のある場合の「司法解剖」である。自殺の場合は、基本的には、行政解剖である。

 <自殺を装った殺人で東京23区内でも年間5体から6体は発生する。>

 しかし、元東京都監察医務院長の上野雅彦氏によると、「行政解剖」として運び込まれてきたにもかかわらず、解剖によって実は殺されていたと判明するものが東京23区内だけでも年間5体から6体あるという。

 <たったの3分で致命的な影響>

 なぜ、脳への血流がストップすると、3分から4分で大脳皮質が障害をうけて続いて7分で脳幹もダメージを受ける。つまり脳死状態になる。ほかの臓器の細胞と違い、脳細胞は、一度ダメージを受けたら、二度と再生しない。一般に首はしめられると、頚動脈を圧迫する。頚動脈は3キロから7キログラム、10秒間で気をうしなってしまう。

 <偽装自殺を見破る方法の必要性>

 絞め殺した後に、自殺を装う偽装自殺。この偽装自殺に関する報告は意外に多い。小はんは、死後48時間から60時間たっていたと思われる。それだけたてば、死体は腐敗しており、腐敗ガスのため、頭、首、肩、顔は、膨らんでいたように見えたはずである。腐敗ガスによる膨張は、身内が見てもわからないくらいに容貌が激しく変化する。

 再現フィルム

 小はんと、やせた男は愛の行為をしていた。やせた男は、小はんとは愛人関係であり、 SMが趣味であった。愛の行為をするときに相手の首をしめながらやるくせをもっていた。そのやせた男は、日ごろのストレスから、いつもより多めに彼女の首を絞めてしまった。すると小はんはあろうことか気を失い、そしてそのまま死んでしまった。仰天したやせた男は、まだ当時では珍しかった携帯電話を使い、太った男を呼び寄せた。太った男は、三田のマンションに午前3時ごろについた。そして驚いた。「まずい、いくらなんでも相手を殺してしまっては。これはいままでの例とはわけが違う」。目の前が真っ暗になった。しかし、気を取り直した太った男は、「何とかしなくてはならん」と思った。まず、これは、自殺にみせかける以外にはない。鉛筆で走り書きをした。走り書きなら、筆跡がばれにくい。 「つかれました。ごめんなさい」 と書いた。そして、自殺に見せかける首吊りようのひもを探したが、そういったひもは無かった。 そのまま外に買いにいっては怪しまれる。「しかたがない。着物用のほそいひもをかけておこう。不自然だがやむをえない」。しかし、また、ひもをかけるのに、ちょうどいい首吊り用の場所というのもその部屋には無かった。「仕方が無い。ドアのへりに、首吊り用のひもをかけておこう。不自然だが、仕方が無い」。それで偽装は完了した。

 夜、午前3時をすぎて、その部屋をそっと出て行こうとしていたときに、ふと、大変大事なことに気づいた太った男は、「まずい」と心臓が止まったように感じた。それは彼女のテーブルの上に、そのやせ男と一緒の写真が写真スタンドにあったからだ。「こんなものが見つかったら、マスコミに騒がれる」。早速、太った男は、そっと、そのやせ男の写っている写真を写真スタンドから取り外した。そして、あせった彼は、何でもいいと思い、彼女のアルバムの中から、彼女の水着の写真を取り出して、その写真スタンドにいれた。ところで、彼女は、ぽっちゃり系の美人である。その彼女が、水着姿の自分の姿を、写真スタンドにいれるわけがない。通常、女性というのは、どんなに自信があったとしても、自分の水着姿でいるところを写真スタンドには、いれない。そして、そっと、やせた男と、太った男はそっと、マンションを非常階段を使って誰にもあわないように降りた。エレベーターを使っては誰かにあう可能性があるからだった。 無事に、車まで戻り、そして、やせた男はいった。「いやあ、助かった。ありがとう」。太った男はいった。「いや これからですな。勝負は」。

 とにかく、月曜日、今日からなるべく遠くに行ってください。岡山あたりがいいです。なるべく、彼女とは連絡のとりにくい地域がいいです。なぜかというと、東京にいると、日ごろ、彼女と連絡をとっているのに、 なんで、いままで何日間も気づかなかったんだとかんぐられるからです。私から連絡がいくまで、 岡山にでもいてください」 。日ごろ、まったく人の世話を焼かず、一歩も外にでないとされるやせ男はめずらしくそのときだけ「出張で」岡山に行っている。

 12日の午後に彼女が母親によって死体発見されて、13日水曜日に、そのやせ男にも連絡がいった。「小はんが死んでいます」。するとそのやせ男は、週刊誌のインタビューにこういった。「夜の11時ごろかな。思わず、「えっうそだろう」ってびっくりした」。そして14日金曜日に行われた葬儀は、出席しなかった。やせた男は、彼女を愛していながら、首をしめすぎて偶然起こった事故死のように思っていた。太った男は、「14日の葬儀に出るな、ばれる。お線香もあげにいくな」と引き止め猛反対した。それでやせ男は出席を断念した。

 しかし、後で、「どうしても弔問に行く」と聞かなかった。 17日の日曜日に弔問をしている。そして、位牌を前にしてお線香をあげると、やせた男は、位牌の前で泣いた。 香典を50万円持ってきて、49日と一周忌の法要は、自分が全部持ってやります」といった。これについては、太った男が弁明した。 (マスコミ用に)「私が弔問に行ったほうがいいといったんです。こういうことがあると、名前を伏せていったり、秘書が行ったりする人もいるが、そういうのはよくない。誤解されるようなことは何もないから、堂々と行った。男女の関係がないから行けたんです」。つまり隠していることを、「変死の原因」ではなく、「男女の関係」を隠しているように見せかけている。しかもこのやせた男は、男女の関係などを本来隠す人間ではないのだ。そして、生前、小はんは、母親に、「まったく男なんて嫌い。結婚なんてしない」と明言していたにもかかわらず、なぜか、その後、「結婚したかったのだが、かなわぬ恋としって自殺した」というつくり話がひろがっていった。もっとも、最大のなぞは、死ぬまでは、小泉の写真がたてられていた写真たてに、 なぜか、彼女の水着姿の写真に死後入れ替えられているという事実である。いったい誰が、この写真をかえたのだろうか?

 (参考URL)
 ■記者倶楽部
 (前略)「ロンドン留学はある個人的スキャンダルから逃れるためだった」(地元記者) との指摘あり。(後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0403/040323-5.html
(前略)小泉首相の「慶応大学在学中のレイプ事件」がマスコミ界を駆け巡っている。 (後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0402/040224.html
 ■小泉首相が、慶応大学の学生だったころに、女子大生を強姦しようとして警察につかまり、そのときに、彼がなんと言ったかというと、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。( 後略) 以上、「第496号」(2003.11.19)より一部抜粋
 副島隆彦常葉学園大学助教授 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰
  http://www.soejima.to/
 http://soejima.to/boyakif/index.html
 ■(前略)国際問題コメンテーター 藤原肇氏vs元フランス三井物産総支配人 小串正三氏
<「小泉首相が30年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。>
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/ohsugi.html
 ■(前略)小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。小泉首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい。(後略) (ニューヨーク市立大教授霍見芳浩氏)
 http://gendai.net/contents.asp?c=022&id=135
 ■「『小泉レイプ事件』は地元横須賀の市会議員の間では周知の事実」(木村愛二著)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html
 ■仰天!小泉首相が「婦女暴行」で訴えられていた!(「FLASH」04.6.29)
 http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/flash.html
 小泉純一郎婦女暴行逮捕歴損害賠償請求事件(まとめ)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html
 ワールドフォーラム・レポート」の「小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相 【現代政治経済総合研究所】」が事件を分かり易く纏めている。広報の見地からこれを転載しておく。
 小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相 【現代政治経済総合研究所】  テーマ:救国の草莽の志士 ○小はん変死事件

 新橋芸者小はんは、小泉純一郎の愛人であった。 彼女は突然、何の前触れもなく変死をしている。 小はんの本名は奥貫浩美。31歳。 死体となって発見されたのは、1992年5月12日(水曜日)午後3時頃。場所は、東京都港区三田の彼女の豪華マンション。

 殺人に「時効」が廃止されれば、小泉純一郎が犯した、新橋芸者の殺人事件の時効も消えて、殺人事件としての再度の立件が可能になる。手鏡事件の植草事件の犯罪者に仕立てられた植草教授の犯罪の真相が明らかになるころ、本当の犯罪者の小泉の新橋芸者「こはん」こと奥貫浩美の殺害が明らかになる。

 http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/1213.html

 http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/177.html

 ○小はん変死事件

 新橋芸者小はんは、小泉純一郎の愛人であった。 彼女は突然、何の前触れもなく変死をしている。 小はんの本名は奥貫浩美。31歳。 死体となって発見されたのは、1992年5月12日(水曜日)午後3時頃。場所は、 東京都港区三田の彼女の豪華マンション。 所轄は三田署。第一発見者は、彼女の母親の奥貫和子。 9日の土曜日は、小はんは、東おどりの練習に参加。ところが、週明けの月曜日には出てこない。 心配して、千葉にいる彼女の母親に12日火曜日になって、置屋のほうから 連絡が行き、合鍵で部屋にはいった母親が、変死している彼女を発見。死亡推定時刻は、10日の日曜日。

 このときに誰かとあっていたのだろうか? 日曜日は国会が休みである。このときに、ちょうど、政治改革関連で、自民党は とてもすごいストレスにさらされていた。三田署によると、「洋服姿で部屋のドアのふちに、着物の細い帯がかけてあった」。

  <男も嫌いだし、結婚もしたくなかったのが真相>

 母親の奥貫和子さんによると、小はんこと浩美さんは、 いつも「男は嫌い。結婚もしたくないし、子供もいらない」と言っていたという。遺書は存在していない。当時、小はんは何も悩んでおらず、自殺する動機は存在していなかった。明るかった。写真を見ると屈託のない笑顔で、いわゆる自殺するタイプとはまるで違う。母親の奥貫和子さんは「死因は自殺ではない」と明言している。走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙はあったが、 母親は「自殺ではありません」と明言している。ということは、母親は、その走り書きをみて、「娘の筆体ではない、偽造されている」とわかったのではないだろうか? 小はんの死因について母親にきいても、無言を通している。親しい知人には、「実は小泉さんとの付き合いが原因だった」と言っている。

 <小泉の愛人であった小はん>

 彼女の親戚の話によると、小はんが、三田のマンションを買ったときには、小泉からお金を出してもらい、月々のお手当ても小泉からもらっていた。夏や冬には100万円をボーナスとしてもらっている。東おどりというおどりのときに、100万円。茶ダンスと食卓セットを小泉から購入してもらっている。 ちなみに、この港区三田というのは小泉の母校の慶応大学に近い場所である」。

 <検死のしにくい腐敗状態>
 死亡推定時刻の10日から、発見の12日までかなり日数がたっているため、死体は腐敗をしていたと考えられる。首の皮などは、腐敗して見分けがつきにくい状態であったはずである。そのため検死はしにくいはずである。
 <自殺と安易に推定される根拠>
 自殺を思わせる走り書きが存在しており、かつ、殺されたときに、抵抗したような傷や、首に思いっきりしめたような跡がついていなければ、これは自殺と判断される。問題ない自殺であるとされる。 検死によって死因を判定する。死因特定されると、死体検案書を発行する。これは病死の場合の死亡診断書に該当するものだ。これが発行されてはじめて葬儀ができることになる。
 <小はんは検死で自殺と判断されているため解剖をしていない>

 検死段階で死因がわからないときに死体を解剖にまわす。状況からは死因が自殺ではないかと思われる死体でも、傷がたくさんあったりすると、誰かと争ったためにできたものではないかと疑われ、解剖されることになる。
ところが、盲点がある。愛し合いながら、首をしめられていれば、外の傷は生じないため他殺とは思われないはずである。解剖には2種類ある。犯罪の疑いのない死体の死因を特定するための「行政解剖」と他殺などの事件性のある場合の「司法解剖」である。自殺の場合は基本的には行政解剖である。
 <自殺を装った殺人で東京23区内でも年間5体から6体は発生する>

 しかし、元東京都監察医務院長の上野雅彦氏によると、「行政解剖」として運び込まれてきたにもかかわらず、解剖によって実は殺されていたと判明するものが東京23区内だけでも年間5体から6体あるという。
 <たったの3分で致命的な影響>

 なぜ、脳への血流がストップすると、3分から4分で大脳皮質が障害をうけて続いて7分で脳幹もダメージを受ける。つまり脳死状態になる。ほかの臓器の細胞と違い、脳細胞は一度ダメージを受けたら二度と再生しない。一般に首はしめられると頚動脈を圧迫する。頚動脈は3キロから7キログラム、10秒間で気をうしなってしまう。
 <偽装自殺を見破る方法の必要性>

 絞め殺した後に、自殺を装う偽装自殺。この偽装自殺に関する報告は意外に多い。小はんは、死後48時間から60時間たっていたと思われる。それだけたてば、死体は腐敗しており、腐敗ガスのため、頭、首、肩、顔は、膨らんでいたように見えたはずである。腐敗ガスによる膨張は、身内が見てもわからないくらいに容貌が激しく変化する。

 再現フィルム

 小はんと、やせた男は愛の行為をしていた。やせた男は、小はんとは愛人関係であり、SMが趣味であった。愛の行為をするときに相手の首をしめながらやるくせをもっていた。そのやせた男は、日ごろのストレスから、いつもより多めに彼女の首を絞めてしまった。すると小はんはあろうことか気を失い、そしてそのまま死んでしまった。仰天したやせた男は、まだ当時では珍しかった携帯電話を使い、太った男を呼び寄せた。太った男は、三田のマンションに午前3時ごろについた。そして驚いた。「まずい、いくらなんでも相手を殺してしまっては。これはいままでの例とはわけが違う」。目の前が真っ暗になった。しかし、気を取り直した太った男は、「何とかしなくてはならん」と思った。まず、これは自殺にみせかける以外にはない。鉛筆で走り書きをした。走り書きなら筆跡がばれにくい。「つかれました。ごめんなさい」と書いた。そして自殺に見せかける首吊りようのひもを探したが、そういったひもはなかった。そのまま外に買いにいっては怪しまれる。「しかたがない。着物用のほそいひもをかけておこう。不自然だがやむをえない」。しかし、また、ひもをかけるのに、ちょうどいい首吊り用の場所というのもその部屋にはなかった。「仕方がない。ドアのへりに、首吊り用のひもをかけておこう。不自然だが、仕方がない」。それで偽装は完了した。

 夜、午前3時をすぎて、その部屋をそっと出て行こうとしていたときに、ふと大変大事なことに気づいた太った男は、「まずい」と心臓が止まったように感じた。それは彼女のテーブルの上に、そのやせ男と一緒の写真が写真スタンドにあったからだ。「こんなものが見つかったらマスコミに騒がれる」 。早速、太った男は、そっと、そのやせ男の写っている写真を写真スタンドから取り外した。そして、あせった彼は、何でもいいと思い、彼女のアルバムの中から、彼女の水着の写真を取り出して、その写真スタンドにいれた。ところで、彼女は、ぽっちゃり系の美人である。その彼女が、水着姿の自分の姿を、写真スタンドにいれるわけがない。通常、女性というのは、どんなに自信があったとしても、自分の水着姿でいるところを写真スタンドには、いれない。 そして、そっと、やせた男と、太った男はそっと、マンションを非常階段を使って誰にもあわないように降りた。エレベーターを使っては誰かにあう可能性があるからだった。無事に車まで戻り、そして、やせた男はいった。「いやあ、助かった。ありがとう」。太った男はいった。「いや、これからですな勝負は」とにかく、月曜日、今日からなるべく遠くに行ってください。岡山あたりがいいです。なるべく、彼女とは連絡のとりにくい地域がいいです。なぜかというと、東京にいると、日ごろ、彼女と連絡をとっているのに、なんで、いままで何日間も気づかなかったんだとかんぐられるからです。私から連絡がいくまで、岡山にでもいてください」 。日ごろ、まったく人の世話を焼かず、一歩も外にでないとされるやせ男はめずらしくそのときだけ「出張で」岡山に行っている。

 12日の午後に彼女が母親によって死体発見されて、13日水曜日に、そのやせ男にも連絡がいった。「小はんが死んでいます」。するとそのやせ男は、週刊誌のインタビューにこういった。「夜の11時ごろかな。思わず、『えっうそだろう』ってびっくりした」 。そして14日金曜日に行われた葬儀は出席しなかった。 やせた男は、彼女を愛していながら、首をしめすぎて偶然起こった事故死のように思っていた。太った男は、「14日の葬儀に出るな、ばれる。お線香もあげにいくな」と引き止め 猛反対した。それでやせ男は出席を断念した。しかし、後で、「どうしても弔問に行く」と聞かなかった。17日の日曜日に弔問をしている。そして、位牌を前にしてお線香をあげると、やせた男は位牌の前で泣いた。香典を50万円持ってきて、49日と一周忌の法要は自分が全部持ってやります」といった。これについては太った男が弁明した。

 (マスコミ用に)

 「私が弔問に行ったほうがいいといったんです。こういうことがあると、名前を伏せていったり、秘書が行ったりする人もいるが、そういうのはよくない。誤解されるようなことは何もないから、堂々と行った。男女の関係がないから行けたんです」。
つまり隠していることを、「変死の原因」ではなく、「男女の関係」を隠しているように見せかけている。しかもこのやせた男は、男女の関係などを本来隠す人間ではないのだ。 そして、生前、小はんは、母親に、「まったく男なんて嫌い。結婚なんてしない」 と明言していたにもかかわらず、なぜか、その後、「結婚したかったのだが、かなわぬ恋としって自殺した」というつくり話がひろがっていった。もっとも、最大のなぞは、死ぬまでは、小泉の写真がたてられていた写真たてに、なぜか彼女の水着姿の写真に死後入れ替えられているという事実である。いったい誰が、この写真をかえたのだろうか?

(私論.私見) れんだいこの事件観

 「再現フィルム」の推理に同調できない。はっきりしていることは秘書の飯島が取り仕切ったと云うだけであり、小泉は飯島の仕掛けたワナに嵌められた可能性がある。「再現フィルム」のように性行為中の首絞め行為により殺害したとは断定できないとすべきだろう。

 
れんだいこは、小泉の若かりし頃のレイプ事件、それに伴う松沢精神病院入院、追ってイギリス留学は実際のことと推理している。「小泉の愛人新橋芸者小はん変死事件」については、「小ネズミは、14日の金曜日に行われた葬儀には出席せず、17日の日曜日に弔問をしている。香典50万円持ってきており焼香後、位牌の前で泣いたと伝えられている。『49日と一周忌の法要は、自分が全部持ってやります』といったとも伝えられている」に真実を見ようとしている。小泉のその後の原発即廃止論への良い方向への変節が、この推理を後押ししている。これにより、「小泉の愛人新橋芸者小はん変死事件」その他の過半が、ひょっとして飯島一派の企画演出による小泉篭絡だったのではないかと思い直すようになっている。今、当人がそのことに気づき、過去の己と、その己を利用し尽した飯島一派と闘っているのではなかろうか。この観点から書き直してみたいと思うが今はまだその時間がない。このことだけでもはっきりさせておく。

 2015.11.29日 れんだいこ拝
 (参考URL)
 ■記  者  倶  楽  部
 (前略)「ロンドン留学はある個人的スキャンダルから逃れるためだった」(地元記者) との指摘あり。(後略)
 http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0403/040323-5.html
 (前略)小泉首相の「慶応大学在学中のレイプ事件」がマスコミ界を駆け巡っている。(後略)
 http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0402/040224.html
 ■小泉首相が、慶応大学の学生だったころに、 女子大生を強姦しようとして警察につかまり、 そのときに、彼がなんと言ったかというと、 「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。( 後略) 以上、「第496号」(2003.11.19)より一部抜粋
 副島隆彦常葉学園大学助教授 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰
http://www.soejima.to/
 http://soejima.to/boyakif/index.html
 ■(前略)国際問題コメンテーター 藤原肇氏vs元フランス三井物産総支配人 小串正 三氏 <「小泉首相が30年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。>
 http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/
ohsugi.html

 ■(前略)小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。小泉首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい。(後略) (ニューヨーク市立大教授霍見芳浩氏)
 http://gendai.net/contents.asp?c=022&id=135
 ■「『小泉レイプ事件』は地元横須賀の市会議員の間では周知の事実」(木村愛二著)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html
 ■仰天!小泉首相が「婦女暴行」で訴えられていた!(「FLASH」04.6.29)
 http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/flash.html
 小泉純一郎婦女暴行逮捕歴損害賠償請求事件(まとめ)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html

【「匿名による小ネズミの履歴告発」考】
 ネットサイト「阿修羅 政治版7」に2004.12.27日付けで スーパー珍米小泉純一郎氏より「小泉純一郎はレイプを犯し、芸者を殺したのか?」なる投稿が為されている。元ネタは「二階堂ドットコム」の「殺人隠しにネット世論規制がはじまる?」のようである。ここで「匿名」氏の投稿が紹介されている。これを読むのに、在学中のレイプ事件と芸者こはん事件に関して従来にない重大言及が為されているので取り込むことにする。匿名のため真偽のほどが分からず、事があまりにも重大すぎるが、後日の検証材料として記録しておくことにする。
 日本の内閣総理大臣小泉純一郎は、過去にレイプを犯し、芸者の首を絞めて殺害したのか? そのことに関して阿修羅で活躍中の木村愛二氏が小泉純一郎の【過去の犯罪】について裁判を起こしているが警察の資料が提供されない限り真相が明らかになる のは難しいだろう。(現職の総理大臣をレイプ事件で訴える事、じたい非常に勇気がいることだし普通の人間ならまずできないだろう。木村氏にはぜひともがんばってもらいたいものである)
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/#kiji
 さらに、木村氏が小泉純一郎をレイプ事件で訴えた後にインターネット上の世界で一時期出回った[このレイプ野郎!]というFLASHが出回り、ここ阿修羅でも注目を集めた。
 http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/221.html
 http://www.pressnet.tv/log/view/3758

 【二階堂.com】のHPを見ていたら小泉事件が掲載されていたので紹介いたします。(いやー、今年もいろいろありました。)
 ▲殺人隠しにネット世論規制がはじまる? 【12/26(日) 15:00】

 小泉は、精神病院に入院歴があるという話を聞いている。精神病院で有名な都立松沢病院に小泉は入院歴があり、その時の病名は精神分裂病。時期は、レイプ事件を引き起こした直後の時期に一ヶ月ほど。小泉氏が新橋芸者小はんをSMプレイ中に絞め殺したのではないか?という話があるが、あの事件は、そうとれることが多い。第一、発見されたときに、わざわざ広島の方にいた。近くでは疑われてしまうからである。飯島の指図とも考えられる。日ごろいつも家にいて、誰とも接触しない小泉がわざわざ広島に出張しているという不可解さ。つまり、小泉は、SMプレイ中絞め殺してしまった。そして、彼は驚いた。飯島が自殺に見せかけた。だから 走り書きの「もう疲れました」というものは筆跡が関係ないので、偽造できる。飯島がかいたのではないか? 小泉の小はんの事件では、当時の小はんの写真がフライデーなどに載っているが、自殺するようなタイプではないことがわかる女性である。よくある中森明菜や岡田有希子のようなどこかきゃしゃなところがまるでない、自殺とはまったく縁遠い女性の写真がそこにある。

 そして、仮に合意の上で首をしめてプレーしていれば、抵抗のあとが見られないだろう。抵抗のあとが見られないため他殺には推論されにくい。彼女は死亡推定の日が日曜日であり、ちょうど、国会が休みの日である。そしてその当時、国会は小沢一郎が、構造改革をしようとして、最大に自民党がストレスにさらされて、その後に野党転落する直前の時であった小泉にストレスがかかったいたことは想像できる。彼女が死亡したのが、日曜であったが、発見は水曜か木曜日である。死後、3日以上たってしまえば腐乱が激しいはずである。そして、その翌日にはすぐに荼毘に付しているため遺族は別に死亡鑑定を正式に頼んでいないのだ。小泉はわざとらしく広島に出張していて、帰ってきたときに初めて知ったことになっている。この人嫌いが広島に行くわけがない。そして知った翌日の告別式にはなぜか参列しない。飯島が激しく止めたらしい。告別式に行ったりして、彼女と何らかの関係があったことがばれたら、殺してしまったこともばれかねないとでも思ったのだろう。それに彼女は、首吊りのひもを買ってきていたわけではない。着物の帯がドアの上の部分にかけてあったので、それが首吊り用のものだとして認定されてしまっただけである。<匿名>

 ★「小泉や飯島は、ホームページおよび、メール配信する者に即座に刑事罰を与えるようにする法案を1月に可決しようとしている。これは表向きはスパム対策法案とされているが、実際には、2ちゃんねるつぶしおよび今の政府のやっている不正の数々を知られないようにするための言論統制が目的である」というご意見もいただいております。ですがそれは難しいでしょう。当サイトも逮捕者が出るでしょうか。楽しみですね。いっそそれくらいのほうがいいのかもしれないですね。ただ、当サイトはそんなものに負けるわけがありません。権力を振りかざすにも限度があるのはご承知の通り。暴力団を壊滅できないのが何よりの証拠です。権力をどう使おうと、別人が金属片を飛来させる可能性はあるわけですから(笑)。大体、腰抜け日本政府が、言論統制をそこまで徹底出来るとは思えません。やったとしてもスケープゴート的な、一時的なものでしょう。そういう部分はアメリカのほうが進歩しているといわざるを得ないですね。日本人もこれまた民度が低いのかもしれません。
 【nikaidou.com】 http://nikaidou.com/column02.html

【小泉首相の代議士時代の愛人小はん変死事件の真相考】
 2005.7.4日、「現代政治経済総研 橋本」氏による「小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相」がサイトアップされている。その中で、「新橋芸者小はん変死事件」が詳細に取り上げられている。れんだいこには真偽を確かめる術はないが、これを真相告発として取り込むことにする。どこまでが推定でどこからが脚色か分からないが、れんだいこ風に整理してみる。
 1992(平成4).5.12日(火曜日)午後3時頃、小ネズミが郵政大臣に就任する直前、小ネズミの愛人と噂されていた新橋芸者「小はん」(本名は奥貫浩美、当時31歳)が、東京都港区三田の豪華マンションで、何の前触れもなく変死体で発見された。「小はん」は、小ネズミが所属していた旧福田派のアイドルともいわれた花形芸者で、自殺として処理されたが、別に悩みもなく、人気もあり、死ぬ理由も動機などなかったという。 
 当時、この「小はん」の自殺を報じた複数のマスコミに対し、小ネズミは彼女との関係を否定した。しかし、「ヤジ将軍」ともいわれたハマコーは、小ネズミを公の席で「この芸者殺し野郎!」と罵倒したと伝えられている(参考文献「噂の真相」01.8、「週刊新潮」03.1.2―9)。真相は今も闇の中である。 

 第一発見者は、彼女の母親の奥貫和子である。母の証言に拠ると、小はんは5.9日の土曜日には東踊りの練習に参加している。ところが、「小はん」は週明けの月曜日に置屋に出てこなかった。置屋は心配して、5.12日の火曜日になって千葉にいる彼女の母親に連絡し、母親が合鍵で部屋にはいったところ変死している彼女を発見した。遺書は存在せず、走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙片が残されていた。

 母親は次のように述べている。
 概要「走り書きの文字は娘のそれではありません。自殺ではありません。小はんには特段の悩みがあったとは思われず、自殺する心当たりは有りません。小泉さんとの付き合いが原因だったと思われます」。
 彼女の親戚の話によると、「小はん」は小ネズミと愛人関係にあった。三田のマンションを買ったときには、小ネズミからお金を出してもらい、月々のお手当ても小ネズミからもらっていた。夏や冬には、100万円をボーナスとしてもらっている。東踊りという踊りのときに100万円、茶ダンスと食卓セットを小泉から購入してもらっている。ちなみに、この港区三田というのは、小ネズミの母校の慶応大学に近い場所である。

 所轄は三田署で、死亡推定時刻は10日の日曜日とされた。発見の12日まで死後48時間から60時間たっていたと思われる。 「洋服姿で部屋のドアのふちに、着物の細い帯がかけてあった」。 こういう場合通常は検死によって死因を判定し、死因特定後に死の場合の死亡診断書に該当する死体検案書を発行する。これが発行されてはじめて葬儀ができることになる。
 検死段階で死因がわからないときに死体を解剖にまわす。解剖には2種類あり、犯罪の疑いのない死体の死因を特定するための「行政解剖」と他殺などの事件性のある場合の「司法解剖」とがある。自殺の場合は、基本的には、行政解剖である。小はんは、検死で自殺と判断されているため、解剖をしていない。

 「新橋芸者小はん変死事件」と小ネズミの関係が次のように噂されている。この頃の小ネズミは、政治改革関連でストレスにさらされていた。日曜日は国会が休みである。この時に、小ネズミは「小はん」のマンションで愛の行為に及んでいた可能性が有る。小ネズミにはSM趣味による首締め癖がある。小ネズミはこの日、日ごろのストレスからいつもよりきつめに彼女の首を絞め、「小はん」は気を失いそのまま死んでしまったのではなかろうかと推測されている。

 小ネズミは、秘書官飯島に連絡し善後策を相談した。秘書は三田のマンションに午前3時ごろに着き、自殺にみせかける工作を施した。走り書きを代筆し、自殺に見せかける為の首吊りようのひもをドアのへりにをかけた。こうして偽装工作は完了した。二人は、マンションの非常階段を使って誰にもあわないように降りた。次に、秘書は、月曜日になるべく遠くに、岡山辺りまで逃げることを指示した。かくて、小ネズミは出張名目で岡山へ行った。

 12日の午後に彼女が母親によって死体発見され、13日の水曜日に小ネズミに連絡が入った。小ネズミは、週刊誌のインタビューに次のように応えている。
 「夜の11時ごろかな。思わず、『えっうそだろう』」ってびっくりした」。

 小ネズミは、14日の金曜日に行われた葬儀には出席せず、17日の日曜日に弔問をしている。香典50万円持ってきており焼香後、位牌の前で泣いたと伝えられている。「49日と一周忌の法要は、自分が全部持ってやります」といったとも伝えられている。

【「木村愛二氏の『小泉首相人格訴訟』」】
 この疑惑に対し、れんだいこが畏兄する木村愛二氏は、「小泉純一郎婦女暴行逮捕歴損害賠償請求事件  小泉訴訟」で真相を問おうとしている。れんだいこは、木村氏の捨身の小泉首相人格訴訟考で概説している。
(れんだいこ私論.私見) 「木村愛二氏の『小泉首相人格訴訟』」考
 「木村愛二氏の『小泉首相人格訴訟』」に対して、メディアは封殺している。僅かに週刊誌数種が採りあげたに過ぎない。自称良識派の市民運動も黙殺している。しかし、れんだいこが思うにそれらは、不作為に当るのではなかろうか。事は、一国の首相たる者の資質に纏わる論議である。検証せずんば済まされまいに。

 れんだいこは、「2005.89.11総選挙経緯」及びその後の政治局面から今に至るまでの事象に対し、小ネズミのレイプ性、首絞め性を見て取る。その格好例として野田聖子を見て取ればよい。れんだいこの目には、彼女はこはんにされかかっているように見える。もはや、「愛人小はん変死事件」の解明は、一刻の猶予のならない気がする。普通の感性が通用しない時代であることを憂国する。

 2005.10.20日 れんだいこ拝

【「小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点のテンプレート」考】
 木村氏の「小泉首相人格訴訟」に対して異論が提起された。小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点のテンプレートがそれである。奇妙なことにサイト元、執筆者名を記さない怪文書を手法を採っている。が、無視することも性に合わないのでこれを検討しておく。本文はリンク先で確認していただくとして、以下、れんだいこが適宜コメント付ける。
 まず、「状況」として、次のように書き付けている。
 要約概要「小泉総理によるレイプ事件は『存在していない』のに、インターネット上に一人歩きしている噂を『盲信した原告』が、訴訟にしている。『その訴訟そのものは棄却されている』」。
(れんだいこ私論.私見) 
 小ネズミによるレイプ事件は「存在していない」とか、「盲信した原告」とか、のっけから立場を明らかにしている。ところで、「訴訟そのものは棄却されている」とはどういう意味だろう、分からない。
 次に、「訴訟原告の主張」を述べ(割愛する)、「訴訟原告の目的」を次のように書き付けている。
 要約概要「損害賠償100万円の請求は主目的ではなく、小泉総理に風評被害を与えることが第一目的、原告自身の売名が第二目的。原告自身の出版物の売り上げを向上させるための宣伝行為の意図がある。『原告当人の年金受給額不足に端を発する生活費獲得手段としての売名行為』という説もある」。
(れんだいこ私論.私見) 
 「原告当人の年金受給額不足に端を発する生活費獲得手段としての売名行為」なる説に依拠しているようであるが、かなり思い切った発言をする御仁であることが判明する。
 次に、「狡猾な訴訟方法」に言及し、次のように書き付けている。
 要約概要「『刑事告訴ではなく、単なる慰謝料請求の民事訴訟』を採っているのが狡猾である。名誉毀損で逆告訴することもできるが、『訴訟が長引くこと、そこに注目が集まることで、結果的に木村愛二の目的を利することにしかならない』。『故に、棄却→無視が話題を風化させるもっとも効果的な戦略と言える』」。
(れんだいこ私論.私見) 
 「『刑事告訴ではなく、単なる慰謝料請求の民事訴訟』を採っているのが狡猾である」のかどうか分からないが、民事訴訟であろうと事実審理は為されるであろう。レイプ被害者ではない木村氏が裁判起こすには「小泉首相の人格訴訟」しかなかった、それは「慰謝料請求の民事訴訟」にならざるを得ない、そう理解すればよいのではなかろうか。とすれば、別に「狡猾」呼ばわりされることはあるまいに。
 次に、「マスコミのミスリードと目的」に触れ、次のように書き付けている。
 要約概要「小泉首相の人格を傷つけることによって、『参院選前に女性層の支持を引きはがし』、『自民党の苦戦、選挙の混戦、内閣の退陣』を狙っている、選挙作戦がある。もう一つの理由として、『掲示板への誹謗中傷の書き込みを根拠に、容易に掲示板運営者を訴えることが可能になるという前例を作る』ことにより、掲示板閉鎖を引き出そうとしている。これは、『マスコミによる2ちゃんねる潰し作戦』の可能性がある」。
(れんだいこ私論.私見) 
 選挙作戦的読みがあろうがなかろうが、合法的なら認められるべきでせう。問題は、「マスコミによる2ちゃんねる潰し作戦の可能性」指摘である。何と、この御仁は、木村氏の「小泉首相の人格訴訟」が「マスコミによる2ちゃんねる潰し」につながる、と云う。こういう心配するからには、この御仁は反政府、反マスコミ権力の側に位置しているのであろう。これまでの記述からすれば有り得ないが、ひょっとしてサヨ風の御仁かも知れない。それは考えられる線だ。
 次に、「平野議員の国会質問の経緯要約と解説」を紹介し、平野議員「小泉総理に完璧な人間になれと言ってる」、小泉首相「完璧な人間なんていない」、平野議員「それが小泉総理のダメな所なんですよ!!」のくだりの遣り取りを強調して紹介している。
(れんだいこ私論.私見) 
 れんだいこから見て、平野議員の質疑はかなり癖(裏)のある遣り取りであり、これを手放しで礼賛するのは愚かしい。さっそくこの御仁がそこを突いている。
 次に、「疑問点と検証」と題して、「検証1【強姦事件はあったかどうか?】」で次のように書き付けている。
 要約概要「レイプ被害者による告発が為されていない。被害者の存在が立証されておらず、証拠がない。『故に、強姦事件はなかった』と解するのが相当」。

 「検証2【訴訟の性格】」で、次のように書き付けている。
 要約概要「強姦事件があったとしても既に時効。この訴訟は『小泉総理の強姦罪を立証するための裁判ではない』。『被害者を被告にしている』」。
 
 「検証3【原告の引き合いに出した情報そのもの疑惑】」で、次のように書き付けている。
 要約概要「事件の真偽を究明する裁判ではなく、『原因の究明ではなく、不快感そのものの根元を排除することが原告の目的である』(れんだいこが解するところ、小泉首相の辞任を狙っての政治主義的な狙いを持った裁判でしかない、という意味であろう)」。
(れんだいこ私論.私見)
 この御仁は、「レイプ被害者による告発が為されていない」ことを論拠に「小泉首相被害者論」まで論を発展させているが、レイプ被害者の告発が出てきたら「ヤラセ」とでも云うのだろうか。印象として、かなり政治的な裏読みに長けている面があるように思える。サヨ一派の手になる執筆のように思われる。
 最後に、「附則 木村愛二という人について」で、次のように記している。
 「ホームページは、辻元清美、社民党、レイバーネット、電波系プロ市民などが御用達の極左系プロバイダにある。反シオニストで、ホロコーストはなかった裁判を起こしている(棄却敗訴)」。
(れんだいこ私論.私見)
 わざわざ「附則」を書き付けることにより馬脚を表わしている。この書き手の政治的位置が、反極左(れんだいこ解するところ、何を極左としているのか不明であるが、単に急進主義を極左と命名しているケースも多い。ならば、手前達は穏和主義で、結局何もしない口先族でしかないことを逆に証しているのだが)、親シオニズム、ホロコースト神話護持派であることを語っている。

【「『小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点のテンプレート』の怪」】
 「木村氏の捨身の小泉首相人格訴訟」を揶揄する小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点のテンプレートなるものが出回っている。匿名であり、サイト元不明記等々怪文書の要件を全て満たしている。これを論考する。以下、「T号怪文書」と云う。

 「T号怪文書」は、「状況」で次のような認識を披見させている。
 「小泉総理によるレイプ事件は存在していない。根拠を伴わない個人中傷の怪文書が噂としてネットを一人歩きしている。事件の事実の証明がないまま、一人歩きしている個人中傷の怪文書の内容を盲信した原告が、これを拾い上げて訴訟にしている。この訴訟そのものは棄却されている。(2004/7/15に棄却済み。その際、原告は裁判長から「事実無根の訴訟を繰り返すことも違法である」と厳重注意を受けている)
(れんだいこ私論.私見)
 れんだいこが思うに、「T号怪文書」の方こそ正真正銘の怪文書であろう。しかも、いきなり「小泉総理によるレイプ事件は存在していない」なる結論は何処から出てくるのだ。この断定こそ胡散臭いではないか。

 「T号怪文書」は、「訴訟原告の主張」で原告側の主張を次のように整理している。
 「小泉総理は慶応大学4年生のときにレイプ事件を起こした。その際、神奈川県警に逮捕された。身柄拘束後、当時防衛庁長官だった父・小泉純也の名前を出して『僕は大臣の息子だ、釈放しろ』と政治的圧力を掛けて釈放させた。そのことが学内に噂として広まり学内に居場所がなくなったので、ロンドン留学という名目で日本から逃げた。……という記事、噂を、原告は雑誌や掲示板で読んだ。『レイプ疑惑のある小泉純一郎を総理に頂くことは、日本国民として外国に対して恥辱を感じた。よって、その賠償として100万円を支払え』」。
(れんだいこ私論.私見)
 これはこれで良い。

 次に、「T号怪文書」は、「訴訟原告の目的」で原告側の訴訟目的を次のように「推理」している。
 「損害賠償100万円の請求は主目的ではない。小泉総理に風評被害を与えることが第一目的。原告自身の売名が第二目的。(2)は、原告による被告への個人的復讐。(3)は原告自身の出版物の売り上げを向上させるための宣伝行為。訴訟の根拠とされている「記事」「書籍」は、原告自身が執筆出版したもの。世間がこの問題に注目すれば、原告の著書が売れる、という売名が成立する。レイプの実在/不在や真偽の証明はこの際、原告の目的ではない。レイプなど、情緒的・道義的にマイナスイメージのある単語と、小泉総理の名前を結びつけて、マイナスイメージの印象に導こうとする印象操作。原告当人の年金受給額不足に端を発する生活費獲得手段としての売名行為というも」。
(れんだいこ私論.私見)
 この「推理」は甚だしく問題がある。「原告側の訴訟目的は単なる売名と営利行為論」を述べているが、それは下衆のかんぐりというべきだろう。自分がそうだからと云って、相手にもその動機を求めてはならない。れんだてこから見て、木村氏の訴訟は、歴史責任に基づくものであり、仮に売名と営利があったとしてもそれは従たる動機と云うべきだろう。主従を逆転させてはならない。こういう下手糞推理するから、匿名にならざるを得ないのだろう。

 「T号怪文書」は以下、くだらない議論を弄んでいるので考察を割愛する。末尾の「附則 訴訟原告・木村愛二という人について」の件が見過ごせないのでコメントしておく。「T号怪文書」は、木村愛二氏を次のように人物査定している。
 「ホームページは、辻元清美、社民党、レイバーネット、電波系プロ市民などが御用達の極左系プロバイダにある。反シオニストで、『ホロコーストはなかった』という裁判を起こしている(棄却敗訴) 。本人も売名極左プロ市民である」。
(れんだいこ私論.私見)
 この匿名者御仁は、末尾で思わず正体をさらけだしている。「反シオニストで、『ホロコーストはなかった』という裁判を起こしている」を批判的に書き付けていることからすれば、この匿名者御仁は反シオニズムが気に召さない側のものであることが判明する。且つ「売名極左プロ市民」とこれまた批判的に書き付けていることからすれば、極左が気に召さないようである。

 となると、これをれんだいこが逆推理すれば、この匿名氏はシオニズム迎合派で穏和主義左翼の側に位置していることになる。凡そ半分の確率であるが、そういう臭いがプンプンする。滑稽なことに、この御仁は、反シオニズムにして極左プロ市民を批判せんが為に、小泉首相の人格疑惑否定つまり小泉首相擁護丸出しという馬脚を見せている。見事に現代サヨ族の素体を露呈させていることになる。
 2005.4.24日 れんだいこ拝

【現代政治経済総合研究所氏の「怪文書」に対する反論】
 2005.9.1日、「阿修羅政治版13」に現代政治経済総合研究所氏が「小泉純一郎の婦女暴行事件が無かったと偽りの主張をするサイトの虚偽の証明」で、「小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点のテンプレート」に対する反論として次のような投稿をしている。興味深いので転載する(読み易くするため任意に段落替えした)。
 <参考> 小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相 http://www.pressnet.tv/log/view/6172

 <小泉純一郎に対してその婦女暴行事件を擁護する「小泉怪文書訴訟の要点」について (小泉側が作成したものと思われる)いわゆる小泉擁護サイト について    http://yasz.hp.infoseek.co.jp/log2/kaibunsyo.htm

 小泉怪文書訴訟(小泉レイプ疑惑訴訟) の要点 (小泉婦女暴行事件擁護サイト)

 このサイトは、小泉純一郎が、1967年に婦女暴行事件で逮捕された事件について、反論している。つまりその事件は「ねつぞうされている」と偽りの主張をしているわけだ。その中では、●状況として o 「小泉総理によるレイプ事件は存在していない 」と主張している。しかし、※ 実際には存在している事件であり、被害者の女性も特定済みである。この婦女暴行事件があったことを知る人間は、地元にはとても多い。

 <郵政民営化の動機>

 このレイプ事件を知っていた特定郵便局長が、小泉の初めての選挙のときに、全員で、寝返ってしまい、父親の弔い選挙にも拘らず、ライバルの田川誠一を応援した。その特定郵便局長が全員、小泉を応援しなかったために、4千票というわずかな差で小泉は落選することとなる。この時のことがきっかけになり、 彼は郵便局を敵対視し始める。

 また、この小泉婦女暴行事件擁護サイトでは、こうも言っている。o 「根拠を伴わない個人中傷の怪文書が噂としてネットを一人歩きしている 」と 主張している。しかし、※ 根拠は、婦女暴行事件を知っている人たちが多数存在することと、マスコミ間では雑誌編集長の26誌中半分の編集長が知る有名な事案であった。 ある大手通信部長も知っていたが、どこも明確には記事にしにくかった。実際にその当時小泉家に勤めていた人からも証言を得ている。他にも多数の証拠付けをしている。中傷とは事実を伴わないことで相手を傷つけることを言うので、婦女暴行事件は、事実存在した事件であるため、中傷ではない。被害者まで特定している事実である。

 また、この小泉擁護サイトではこういっている。o 「事件の事実の証明がないまま、一人歩きしている個人中傷の怪文書の内容を盲信した原告が、これを拾い上げて訴訟にしている。 と主張している。しかし、※ この場合、証明とは、小泉の犯歴カード等犯歴番号のことを言うが、「怪文書の内容を妄信した」のではなく、さまざまなルートで調べている。

 <参考となる記事>

 実話ナックルズ10月号には、宮城正樹氏の記事で 「独身総理 小泉純一郎」異常なる結束と最後のタブーの22ページに「しかし、本誌はここに来て新たな情報を入手した。警察関係者にあたったところ、驚くべき証言が得られた。

 「当時の(小泉の婦女暴行)事件の調書が消えているんです。強姦事件クラスだと、 学生で未成年でも所轄には全部書類があるはず。それが小泉の場合、消滅している。レイプ疑惑が報道されたとき、反対勢力がその書類を手に入れようとしたが、すでに無くなっていたといいます。小泉の息のかかった公安筋が証拠隠滅に動いたんでしょう。ということはやはり婦女暴行は間違いなくあったと。警察の上層部もそのような 認識であると聞いています」。

 この関係者によれば、小泉レイプ事件の証拠書類は当時防衛庁長官を歴任した父親の政治的圧力により隠蔽されたとされる。これが事実な ら、マスコミが血眼になっても、証拠がつかめないはずである」という記事がある。

 また、小泉婦女暴行事件擁護サイトでは、o 「この訴訟そのものは棄却されている。 と主張している。(2004/7/15に棄却済み。その際、原告は裁判長から「事実無根の訴訟を繰り返すこと も違法である」と厳重注意を受けている) )と主張している。

 ※これは、官邸から圧力がかかった疑いがあり、裁判では事実の検証をしていないにもかかわらず、偏向して報道がなされた。

 <まだ棄却されていないときから棄却されているとかき、実際そのとおりになった不可解さ>

 ※ネット上にこの反論文書が記載された時期には、まだ裁判が継続中であり、棄却とは言い渡されていない時期であった。にもかかわらず、この文書には「棄却されている」と明言され、実際に、そのあと2週間後に、様々な裁判上の必要な手続きを裁判官が、急に取りやめ、「棄却」となった。

 <官邸の強い意向の存在の示唆>

 これは、強い意向で「棄却」にするように官邸が動いたことを示唆している。

 <証拠認定はされていない>

 しかも裁判長が「事実無根」というコメントを発したと書いてあるが、これは、事実無根とは言っていない。「犯歴番号などが提出証拠とされてない」ということを言っているにすぎない。それは裁判所が本来、警察に命令して提出させればいいのだが、この裁判ではそういったことは行われなかった。

 <ここでいう証拠とは犯歴番号のこと>

 証拠とは犯歴番号などのことを言うが、犯歴番号そのものを入手していないだけで、当時の被害者まで特定されており、婦女暴行事件を知る人たちは多数いる。

 <小泉弁護団は避ける>

 この裁判では実際に、この婦女暴行事件が事実かどうかは何も審理されておらず、小泉方の弁護団は、「一切、婦女暴行事件はなかった」とは主張しておらず、それを避けている。

 小泉弁護団は、単に、「公務員(総理は公務員)のやっていることで被害が生じたと原告の木村氏は主張されているが、過去の判例からいって、損害賠償を払うような責任は生じない」という主張で押し切っていた。

 <官邸から裁判長にコメントを依頼か?>

 ただ、こういった裁判長のコメントは異例である。官邸の意向が働いた可能性も高いと思われる。裁判長のコメントではこのほかに、そういうことは「言論の場で世の中に訴えて行うのが筋である。」という趣旨のことを述べている。

 <ソース不明の意見といってねつぞうか?>

 この小泉擁護サイトの中の、文書の中には以下のような「ソース不明の意見」というものがある。

1. ※ソース不明の参考意見【政治】「ネットの"小泉首相、レイプ裁判"事実か」 民主が質問→首相は否定★5

 700 名前:告白 投稿日:04/06/17(木) 14:25 ID:PMaaeLlx

 民主の事情通の人に聞きました。信じたくない内容でした。やはり、民主側の方から、木村愛二さんへ接触したのだそうです。質問は、いかに、小泉のイメージを傷つけられるかという点のみで、何人かの人間で練り上げたそうです。どちらにころんでも民主は傷つかないが、小泉は傷つく。そういう作戦だったそうです。

 で、それは成功したということで、党をあげて、祝っているとのこと。・・・私としては決して信じたくありません。民主にも、この質問を恥じた良心的な 人はいるはずです。

 <2ちゃんねるには実際に該当する書き込みが存在していない不可解さ>

 ※ この上記の参考意見は2ちゃんねるの掲示板であると思われるが、実際に、政治「ネットの小泉首相、レイプ裁判事実か、民主が質問、首相は否定★5」 のスレッドの、700番を見ると、この内容は書いておらず、まったく別の内容が書いてある。つまり、この告白というのはあとで、何者かがこの文書用に作成したものであると思われる。

 <民主党はまったく接触していない>

 この文書では民主党が木村愛二に接触したと書いてあるが、事実は、民主党は一切、木村愛二に「依頼」などしておらず、接触はなかった。

 <ねつぞうされた告白>

 つまりこの「告白」というものはねつぞうである。
特徴は、「民主党」のことを「民主の」と言っているところ、つまり党員など業界の人間である特長をもつ言い方である。

 <小泉ファンを装っているのに、小泉と呼び捨ての不可解さ>

 木村愛二には、「木村愛二さん」とつけておきながら、小泉には、さんづけをせずに、「小泉の」と呼び捨てにしている点である。

 <素人をよそおって書いている>

 女性で、小泉氏のファンであれば「小泉の」と呼び捨てにはしないはずである。いかにも政治業界の人間が素人を装って書いているように見える。女性を装っているが、男性が書いたものであるように思われること。

 「信じたくない内容でした」「私としては決して信じたくありません」「民主にもこの質問を恥じた良心的な人はいるはずです」とあり、このようにカムフラージュされている。

 <民主党からの依頼というのはまったくなかった>

 実際には、この「民主党から 木村氏に依頼のあったこと」はまったく、存在しておらず、「悪質な ねつぞう」である。それに木村氏は、人からの依頼で動くような人物では全くなく、どの政党にも属していない。

 <彼はホロコーストの被害者数の大小を言っている>

 彼は 「ホロコースト(大量虐殺)はなかったという本を出しているが、彼は、「歴史上多 大に言われているほどに大量虐殺はなかった」ということを言っているのであって、 多く被害者国側が、多大な被害を実際の数倍に言っていると主張しているだけである。小泉擁護サイトに、彼は極左翼と書いてあるが、事実と異なる。

 <彼は極左翼ではない>

 そして彼は、極左翼ではない。彼は「マルクスの大罪」という本をかいており、共産主義を批判している。

 <訴訟の危険性>

 それに、こういった訴訟というものは、確固たる証拠がなければ相手に逆に名誉毀損で訴えられる可能性が高く、非常に危険である。そういうところから考えても、「単に小泉のイメージダウンをねらって人から頼まれた」だけで裁判など起こせるわけはない。

 木村氏はマスコミ界でも交流が広く、様々な証拠を積み上げ、「その事件は実際あった」と確信に至っているから裁判に訴えているのである。

 <よく「小泉が」と呼び捨てにする人物の存在>

 ちなみに、よく、「小泉が」と呼び捨てにする人間は、飯島秘書官である。彼が書いたのだろうか。

 (参考)http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/981.html

 『財界にっぽん』藤原肇vs小串正三対談 
 次は、前述の『財界にっぽん』記事に関するわが通信の抜粋である。
 『亜空間通信』670号(2003・9・28)
 【犯歴で著名のブッシュが最も好きな友人の小泉も森と早慶戦の仲で留学の裏に婦女暴行疑惑記事】
 旧知の藤原肇の記事の複写がアメリカから航空便で届いた。日本で発行されている雑誌、『財界にっぽん』(2001・6)の記事、「大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」の一部である。電網検索すると、すぐ出てきた。以下のごとく、すでに電網公開されていたのである。http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/ohsugi.html
(注:このURLは現存しない。別途、藤原肇著の単行本に収まっている)

 「大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」(文中敬称略、01年11月収録)
 国際問題コメンテーター 藤原肇 vs 元フランス三井物産総支配人 小串正三
 「わが社なら課長止まりの人材ですから、そんな人に首相をやらせるのはかわいそうです」
 「小泉首相が30年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。 

藤原   今回の訪日で昔の経歴を知ったせいで、30年あまり前の話で思い当たることがあり、読者の新聞記者に過去を調べてもらい、確証を得た実に興味深い話があるのです。パリで一緒に食事をした人の話の中に、閣僚の息子で婦女暴行で捕まった男が、留学という名目でロンドンに来ており、余り勉強もしていないと言うのです。防衛庁だか自治庁だか記憶にないのだが、大した役所ではなかったことは確かで、今回の訪日で小泉首相が30年前にロンドンに留学し、親父が防衛庁長官だったと知りました。この線は何か臭いと直観的に感じましたが、小泉も橋本龍太郎と同じ慶応ボーイだし、政治家の2世や3世だという点で、尻癖が悪くても不思議ではないです。
小串   婦女暴行罪で警察沙汰になったとすれば、そう簡単に済むことではありませんが、パリには男女問題で逃避している人は多かったし、オランダ人の女学生の肉を食べたために、国際問題を起こした留学生もいました。だから、婦女暴行や強姦程度の猟奇事件は、人の噂も75日という程度のことで済み、これはパリもロンドンも同じでしょうな。
藤原  でも、万が一にそれが小泉純一郎の過去だったら、フィーリングを売り物に女性の人気を集め、高い内閣支持率を集めている偽善は、糾弾されて然るべきだと思います。そこで親しい新聞記者に糾弾の可能性を聞いたら、ある新聞社が調査したという話ですが、警察のガードが予想以上に固いために、非常に難渋していると言うのです。(了)

【ブーメラン氏の「なぜだろう?どうしてだろう?」面白い指摘】
 2004.6.20日付け「阿修羅♪ 政治・選挙3のブーメラン氏の ※小泉暴行疑惑、なぜだろう?どうしてだろう?に短文の面白い次のような指摘があるので書き付けておく。

 「大量破壊兵器が存在しないことを証明しなかったフセインが悪い、と、国会で答弁した小泉の論理でいくと、レイプが存在しないことを証明しない小泉が悪い。小泉の論理でいくと、レイプが存在しないことを証明しない小泉は刑務所にぶち込まれるべき」。






(私論.私見)