|
森永 卓郎 経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 プロフィール
|
|
今年1月28日、経済アナリストの森永卓郎氏が死去した。原発不明がんと闘いながらも、亡くなる直前までメディアに出演し続け、世界経済の行方に多くの警鐘を鳴らしてきた。「AIバブルは崩壊する…」、「日経平均はこれから大暴落する…」。彼がこう語った背景には一体何があるのか。そして残された私たちは、この先行き不透明な社会をどう乗り越えていくべきなのか。激動の時代を生き抜くための戦略と覚悟とは。森永卓郎氏と、息子の康平氏がいまの日本のさまざまな病巣についてガチンコで語り合った『この国でそれでも生きていく人たちへ』より一部抜粋・再編集してお届けする。 |
2025.02.10、森永卓郎さんが最期に提唱した日本経済大復活のための“2つのシナリオ”…日本政府は「最低賃金2000円」と「富裕層への課税」を今すぐにすべきだ!
|
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第1回 |
金持ちは働いていない
勘違いしている人もいるかもしれないが、私はたくさん働いた人がたくさんお金をもらうのは正しいことだと思っている。ただ、働いていない金持ちが、さらに儲けられるいまの仕組みは問題だと思っている。金持ちの大部分は働いていない。資産運用、つまりお金を右から左に転がしているだけで、億単位の稼ぎを得ている。税金や社会保険料の負担を逃れている人も多い。まっとうに働いている人ほど報われていないのは、極めて不公正な状況だ。そもそも、いまの日本では同じ仕事をしても、正社員と非正規雇用で賃金が違う。日本には「同一労働同一賃金」を定めた法律があるが、実際には守られていないと言える。大企業の本社から出向してくるボンクラ社員より、プロパーの契約社員のほうが実務をわかっている、という状況はよく目にする。それなのに正社員だという理由で、契約社員の2倍以上も給与をもらっていたりする。
|
格差是正に不可欠なもの
こういう状況を是正するために、最低賃金の引き上げが必要だ。たとえば韓国は10年以上かけて最低賃金を約2倍に引き上げたが、日本も同じことをやれるはずだ。実際、石破政権は、そうした方向性を打ち出している。つい最近、私のゼミの学生がオーストラリアへの短期留学から帰ってきて、現地では土曜と祝日の時給が3,000円を超えていると教えてくれた。つまり、日本の最低賃金は安すぎるということだ。せめて2,000円程度に引き上げないと、経済は良くならないだろう。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第2回 |
日本社会に蔓延る“差別”
いわゆる「派遣社員」の仕組みというのは、単なる「差別」に他ならない。同じ会社で働いていても、正社員と派遣社員では、待遇が天と地ほど違うという。正社員は社員食堂で安く美味しいランチを取っているのに、給与の安い派遣社員は社員食堂を使えず、控え室で自分で作ったお弁当を食べている、というケースもあるという。仕事の内容に差があるなら理解できるが、まったく同じ仕事をしているどころか、むしろ派遣社員・契約社員が正社員に指示していたりする。この非正規雇用の問題は、公務員の世界にも存在する。中央官庁で働く非正規雇用の人は、エリート官僚の半分以下の給与で働いている。彼ら非正規の職員がいなければ、中央官庁の業務は回らないのだ。もう少し待遇を改善すべきではないだろうか。テレビ局にもこうした「身分制度」がある。コネ入社の局員でも40歳で1500万円くらいもらっているが、外注先の制作会社の人はその半分くらいしかもらえない。同じ番組を作っていても、「身分」が違うだけで給与に2倍以上もの差がある。 |
賃金格差が日本をダメにする
そもそも、同じ労働に同じ賃金を設定するのはグローバルスタンダードだ。「身分」により報酬が違うのは日本くらいなのだ。私はつねづね、日本の国力が落ちている最大の理由は、ボンクラのボンボンばかりがおいしい仕事に就いているからだと訴えている。名人や大企業役員の2世たちが、親の金でいい大学に通い、親のコネでよい企業に入っていく。もちろん実力を評価されたからではないし、何かを達成した経験もない。現場を這いずり回り苦労したことも、エリート層にいじめられて悔しい思いをしたこともない。だから、2世たちの判断は大抵間違いなのだが、いま日本で実権を握っているのは彼らだ。2世議員はその典型かもしれない。その一方で、コツコツ働いて現場を支えている非正規雇用の人がたくさんいる。こういう身分による差別が当たり前になってしまっているが、早急に是正すべきだ。能力のある人は取り立てるべきだし、同じ働きには同じ給料を払うようにすべき。そうしなければモラルハザードを招くだろう。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第3回 |
日本で金持ちに与えられる「特権」
「日本は身分社会」だと書いたが、なぜそうなっているかというと、身分の高い人間に「特権」が用意されているからだ。たとえば、日本の金持ち層は税制面で大きく優遇されている。俗に「1億円の壁」と呼ばれているが、年収1億円までは累進課税で税負担が重くなるのに対し、年収1億円を超えると、逆に税負担が軽くなる。年収1億円を超えるような高所得者の場合、所得の大半を占めるのは「株の売却益」や配当金などの金融収益だ。ただ、株で得た利益は「分離課税」の対象となるため、税率は約20パーセントとなり、所得税・法人税より税率が安くなるわけだ。
明らかにおかしい話だが、これを変えようという気運は盛り上がらない。こうした不平等な制度を改め、富裕層の税負担をもっと重くすべきだ。そのためには、金融所得への課税を強化することも必要だろう。どうせ庶民の金融所得はNISAの枠内で収まるので、課税が強化されても痛くないのだから、どんどんやるべきだ。この話をすると、「金融所得には累進課税できない」と言って反対する人がいるのだが、実はアメリカでは、連邦税は三段階の税率が設定されており、州・地方政府税については総合課税になっている。アメリカでやっているのに、日本でできない理由はないはずだ。 |
富裕層は消費税も払っていない
消費税には還付金という仕組みがある。簡単に言うと、預かった消費税より、仕入れ時に支払った消費税のほうが大きい場合、差額を還付する制度だ。つまり、会計上のテクニックを駆使して、多くの出費を経費にしていくと、消費税を支払うどころか、還付を受けられる場合も出てくるわけだ。もちろん、サラリーマンの場合、確定申告していないので、消費税の節税は不可能だ。一方、富裕層の多くは自分の会社を持っているので、さまざまなテクニックを使って消費税の負担を逃れている。彼らがよく使う節税方法の一つに、高級ホテルの活用がある。都心部には外資系などの高級ホテルがたくさんあるが、そうしたホテルを利用しているのは、旅行で1泊、2泊と利用する人よりも、長期契約している富裕層が多いという。無論、ホテルの宿泊費を会社の経費にして節税するために使っているのだ。hoto by gettyimagesこのように、会社の経費かプライベートかを曖昧にする方法は、多くの富裕層が使っている基本テクニックだ。
ちなみに元日産会長のカルロス・ゴーン氏は、2016年10月に妻との結婚披露パーティーをベルサイユ宮殿で開き、その費用5万ユーロをルノーに支払わせていた。ゴーン氏は2014年3月に日産・ルノーのアライアンス15周年を記念するパーティーをやはりベルサイユ宮殿で開いているが、この費用60万ユーロも、日産とルノーに払わせている。このパーティーも、日付がゴーン氏自身の誕生日であったので、事実上「ゴーン氏の誕生日パーティー」だった疑惑が報じられた。このように、富裕層はあの手この手で税負担を逃れている。「富裕層はたくさん税金を払い、寄付をしているので、社会に貢献している」は間違いということだ。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第4回 |
親の所得で学歴が決まる
いまの日本社会では、学歴があるかどうかで、職業選択の自由度が大きく変わる。ただ、学歴というものは、所詮は肩書、ブランディングの問題に過ぎない。ITビジネスアナリストの深田萌絵さんは、もともといわゆる「Fラン大学」の学生だったが、大学を卒業してもまったく就職できなかったので、一念発起して早稲田大学に入り直したところ、卒業の時点で就職先は選び放題だったという。もちろん深田さんの何かが変わったわけではない。同じ人間なのに、最終学歴という「ラベル」が変わっただけで、就職活動の結果はまるで違うということだ。深田さんは「学歴差別があることは理解していたが、こんなにひどいものとは思わなかった」と語っていた(深田萌絵・森永卓郎『身分社会』〔かや書房〕で詳述している)。いまの日本では親の所得が子どもの最終学歴を決めると言われている。富裕層の子どもでなければ、よい大学に行けなくなっているということだ。
|
東大もお金持ちしか入れない
たとえば、東京大学の学生の親の平均年収は高いことが知られている。東大学生委員会が2021年3月に実施した調査によると、世帯年収が1050万円以上と答えた学生は42.5パーセントにも上っている。要するに、親が金持ちでなければ東大に行けなくなっているのだ。ちなみに私が東大に入ったのは1976年だが、当時の授業料はいまよりも断然安く、年間9万6,000円だった。いまは年53万円程度も必要だが、東大はさらに上げると宣言しており、学生の間には反対運動も起きているという。また、かつてはお金のない学生向けの環境がいまより整っていた。たとえば、かつての学生は下宿や学生寮で暮らすのが当たり前だった。東大にも駒場寮というボロボロの学生寮があって、ほとんどタダに近い家賃で入居できた。昔は、能力と意欲があればお金がなくても東大に行けたということ。元明石市長の泉房穂氏はその好例で、苦労して東大を卒業し、今日の活躍に繋がっているという。ただ、東大の駒場寮も2001年に廃寮になってしまった。いまは親がお金持ちでなければ、いい大学に通えなくなってしまった。これはグローバルスタンダードではない。ヨーロッパの場合、国立大学の学費は基本的にタダという国がほとんど。日本も当然そうすべきだ。日本の全国立大学の授業料をタダにするのに必要なお金は数千億円程度だ。もちろんそれなりの予算規模ではあるが、日本の国家予算の規模から考えれば微々たる金額だ。できないはずがない。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第5回 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第6回 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第7回 |
『学歴がなくても社会で勝ち抜いていける「シンプルなスキル」…森永卓郎さんの最期の言葉』より続く。 |
投資銀行の素顔 |
息子の康平は外資系の投資銀行(金儲けのためなら何でもする金融機関)で働いた経験を持っているが、私は投資銀行の人とはこれまであまり接点をもってこなかった。最近になって投資銀行の人との付き合いもできたのだが、話を聞いているといろいろと考えさせられた。投資銀行と聞くと、ものすごく優秀な人材が集まっている、というイメージを持つ人もいるかもしれない。理系の大学、大学院を優秀な成績で出ていて、数学に精通し、金融工学を駆使して高度な金融商品を開発したり、顧客に高付加価値の商品を提案している、といったイメージだ。ただ、実際に投資銀行の人に会ってみると、良くも悪くも普通の人で拍子抜けした。高度な数学知識を持つ人などほとんどいないのだ。そもそも、話を聞く限り、彼らのビジネスモデルは非常にシンプルで理解しやすいものだった。 |
外資系銀行の“ろくでもないビジネス” |
要は、彼らは次の3つをやっているに過ぎない。1つ目は「相場操縦」だ。マーケットに介入し、自分たちが儲かるような相場を作っている。2つ目は「M&A」。会社を買収し、転売して利益を出す。3番目は、いろいろなデリバティブ取引を活用して、「低リスク高利回り」をうたうインチキ金融商品を販売すること。
1についてはもちろん法律に触れない範囲でやっているわけだが、誰が見てもグレーな仕事だろう。2についても、M&Aが本当に経済の役に立っているかどうか疑わしいと私は考えている。もちろん、経営が悪化した会社を買収し、そこに資本やノウハウを注入して再建することはあり得る。ただ、いわゆる「外資系のハゲタカ」は、そんな面倒くさいことはやらない。バラバラに解体して転売するだけだ。3つ目についても、「低リスク高利回り」は名ばかりで、実際には「ハイリスクハイリターン」商品だ。リーマン・ショックはこうしたデリバティブ商品の暴落がきっかけになったので、こうした商品を売ること自体、経済を不安定にする行為だろう。するに、3つともろくなビジネスではないということだ。いわゆる「ハゲタカ」の仕事は、ひと言で言えば詐欺そのものだ。「非常に優秀なエリート集団」というのも嘘だし、ビジネスモデルも詐欺。結局、「ハゲタカ」だけが儲かるようになっているわけだ。 |
2025年2.15日、森永卓郎さんが最期まで猛批判していた“日本をダメにした”竹中平蔵の「大罪」と「インチキ」 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第8回 |
『故・森永卓郎さんが「ろくでもないビジネス」と喝破していた「エリート集団の「職業の名前」…そのヒドすぎる「嘘」と「詐欺」』より続く。 |
くだらない人々
「ハゲタカ」はとにかく高収入だ。30代で億単位の報酬を得る場合もある。その億単位の報酬を何に使っているかというと、実のところ大したことに使っていない。高級レストランで高級ワインを飲むとか、愛人を作る、高級外車に乗る、クルーズ旅行に出かけるとか、そんなところだ。日本ではあまりないが、海外の投資銀行では、ドラッグに手を出す人間もいると聞く。するに、くだらない人間ばかりだということだ。そういう人間として微塵も尊敬できない、教養のかけらもない人間たちが、高い報酬を得ているのみならず、政府に接近して政策決定に影響を及ぼしているのだ。 |
ハゲタカと金融庁の出来レース
これがいまの日本の偽らざる姿なのだが、こうした実態はまだまだ知られていない。秘密保持契約を結んでいるため、見聞きしたことを喋ってくれる人がいないせいだろう。私は小泉政権下で竹中平蔵氏が断行した不良債権処理の一部始終を知っているが、当時、外資系の投資銀行、いわゆる「ハゲタカ」はインチキばかりやっていた。金融庁と手を組み、日本の銀行業界を追い詰めるほうに加担していたのだ。栃木県の足利銀行は2003年に破綻している。私はその時、たまたま所用があって足利銀行を訪ねていたが、行員に聞くと、金融庁がいきなり乗り込んできて、片端から不良債権認定していったそうだ。融資先のゴルフ場をゴールドマン・サックスに売却する計画も周到に準備されていたという。金融庁は「ハゲタカ」とグルだった。金融庁が不良債権だと認定した資産は、二束三文で猛烈なスピードで売却されていった。要するに「出来レース」だったわけだ。外資系投資銀行が「ハゲタカ」と呼ばれるようになったのは、こうした経緯によるものだ。
竹中平蔵氏が進めた「不良債権処理」とは、マグロの解体ショーのようなものだった。「不良債権を大量に抱える、倒産寸前の会社を整理した」というよりは、「健全に経営している会社まで潰してハゲタカに売り渡した」と言うほうが正しい。腐ったマグロを処理したというより、美味しいマグロを切り売りしたので、「ハゲタカ」とそのお友達だけが美味しい思いをしたわけだ。とくに狙われたのは、資産をたっぷり持っていた建設、流通、不動産業だった。 |
ハゲタカと政府は癒着している
私が大学を卒業したのは1980年だが、そのころの日本は世界でもっとも外資系企業が少ない国だった。だが、いまや日本でも外資系企業ばかりになってきている。都心のビルを見ても入居しているのは外国企業ばかり。政府も外資を規制するどころか、積極的に誘致している。最近、政府が「政策保有株はダメだ」と言い出したが、また日本企業を外資に売り渡すのではないかと懸念している。政策保有株とは、大企業が付き合いで持っている株のこと。日本には関係の深い会社同士で株を保有しあう慣習があったが、これは投資ではなく、経営の安定が目的だった。ハゲタカに株を買い占められないように、日本企業同士で株を持ち合っていたのだ。ただ、いまになって、「不効率な慣習だから政策保有株は売りなさい」と言い始めた。要するに、ハゲタカが日本企業を買いやすくなるということだ。結局のところ、日本でハゲタカが跋扈しているのは、政治と癒着しているからだ。
|
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第9回 |
農家をバカにする政治家
日本の政治家は、急に馬鹿なことを言い出すことがある。政治家たちの感覚が、
一般庶民の問題意識とずれてしまっているのだ。そのことを象徴するのが、静岡県の川勝平太元知事の暴言事件だった。2024年4月、川勝元知事が県庁職員に「毎日野菜を売ったり、牛の世話をする仕事とは違い皆さんは知性が高い」などと発言して辞任に追い込まれたが、そうした発言が出てくるのは、富裕層やエリート層とばかり付き合っていて、現場を知らないことが原因だろう。私は農家の仕事も、県庁職員の仕事も、どちらもやったことがあるが、農家のほうがはるかに知的な作業をしている。農業が相手にするのは大自然だ。だから、農業ではいつ何が起きるかまったく予想がつかない。
|
県職員は知らない農業の過酷さ
私の畑はそんなに広くはないが、それでも毎日が「自然との戦い」だ。風や大雨は日常茶飯事だし、虫や病気も襲ってくる。カラスやタヌキ、アライグマといった害獣もやってきて、作物を食べていく。農業とは、ありとあらゆる敵との知恵比べにほかならない。とくにカラスは頭がいいので、スイカにカラスよけのネットをかけていても、地面に頭を突っ込んでネットを持ち上げ、隙間から侵入して食べていく。しかも、スイカが一番おいしいときを狙ってやってくるのだ。日本の法律では、勝手にカラスを殺してはいけないことになっている。だからカラス対策としては追いかけ回して追い払うしかない。私の場合、農業1年目にできたスイカは、ほとんどカラスに食われてしまった。2年目はかなり追い払ったが、3年目はカラスがリベンジする番だった。どんどん知恵をつけていくので、追い払うだけでもひと苦労なのだ。対する県庁職員の仕事といえば、先を予想できる単純作業が中心だ。上司の顔色を窺い、ルーチンワークをこなしているだけの職員も多いだろう。そんな県庁の人間に、農家を馬鹿にする権利があるとは思えない。そもそも県庁職員が食べていけるのは、農家が食料を作ってくれるおかげだ。自分は誰のおかげで食べていけるのか、一度考え直したほうがいいのではないだろうか。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第10回 |
贅沢すぎる政治家の暮らし
政治家が現場を知らない理由は、結局彼らが東京に住んでいることから来ている。地方の選挙区で選出された国会議員でも、普段は東京に住んでいる。赤坂に豪華な議員宿舎があるが、あれはまさに「港区のタワマン」そのもの。しかしながら、入居している政治家たちは月12万円程度の家賃しか払っていないという。そこに住んで、飲み食いするのは銀座や神楽坂の高級店ばかり。そういう都会ならではの贅沢な生活を送っているので、地方の利益の代弁者どころか、金銭感覚も庶民とはかけ離れてしまっている。私は以前、ある企業にお願いして、岸田元首相が愛用しているという料亭に連れていってもらった。お座敷の前に池があって、1メートルもあろうかという錦鯉がたくさん泳いでいた。もちろん料理は着物を着た女将さんが取り分けてくれる。正直言って、呆れてしまった。こんな贅沢な暮らしをしていたら、庶民が政治に何を求めているかわからなくなって当然だろう。日本の政治を一手に動かしているのは、こういう人の集まりなのだ。この構造が日本の問題を深刻化させている。
|
都市型経済の問題点
現代の日本社会の根本的な病理とは、「大都市依存症」に冒されている点にある、ということだ。日本の人口の約6割はいわゆる「太平洋ベルト地帯」、とくに東京・大阪・名古屋の3都市に集中して住んでいる。付加価値で見れば日本経済の約8割がこうした大都市圏に集中している。だが、大都市にばかり人口が集中すると、家賃が上がり、生活コストが非常に高くなる。そのため、その高いコストを賄えるくらいの高収入を得なければ、大都市に住むことはできない。つまり、大都市圏の住人は、所得を必死に増やしていかなければならない宿命にあるということ。そのため、人間の尊厳を売り渡して意に染まない仕事をしなければならないし、他人を騙して稼ぐことも必要になってくる。とにかくみんなそうやって必死に稼ぐので、大都市圏の経済の「規模」だけはどんどん発展していく。しかし、どれだけ技術が発展しようとも、大都市に住める人口には限りがある。いずれどこかのタイミングで「東京の人口はこれ以上増やせない」という限界に直面してしまう。そこが発展のピークであり、その瞬間から東京の衰退が始まる。東京をはじめ大都市圏が衰退を始めたなら、日本経済全体も衰退していくだろう。「経済はずっと発展していく。株価は右肩上がり」だから「投資すべき」という考え方には、こういう落とし穴があるということだ。 |
豊かな暮らしは地方にこそある
そもそも、「高い生活コストを払うために、もっと稼ぐ必要がある」という考え方自体が根本的に間違っている。稼げないなら、生活コストを下げるという方法があるからだ。つまり、「地方に住んで生活コストを下げる」ことで生活は豊かになる。コロナ禍以降の3年間、私は「一人社会実験」を続けた。それまでは東京で過ごすことがほとんどで、埼玉・所沢の自宅に帰るのは週末に限られていたが、コロナ禍を境に、所沢での暮らしがメインになり、東京にはほとんど行かなくなった。また、できるだけ自給自足する生活をはじめた。農業を始め、電気は太陽光パネルで発電している。水も自給するため井戸を掘ろうとしたが、水源が深すぎて無理だった。ただ電気と食料の自給だけでも、生活費は各段に安くなった。すると、カネのために無理して働く必要がなくなるので、もっと自分のやりたいことに時間を使うことができる。ギャンブル性の高い投資を無理にやる必要もない。私はこうした生き方が、近いうちにスタンダードになると考えている。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第11回 |
「大都市中心」の経済構造は今後変わっていく
コロナ禍以降、リモートワークが普及したことで、「地方に住んで生活コストを下げる」という生き方のハードルが下がっている。かつてはリモートでの仕事など考えられなかったので、無理をしてでも東京に住むしかなかった。だが、いまでは私もリモートでの仕事がメインになり、むしろ「都内に出て対面で仕事」という場合は、追加のギャラを要求している。そうすると対面での仕事は減るが、10人に1人ぐらい「それでも対面で」という場合もある。ちなみにリモートの仕事は以前よりも格安で請けているので、一方的に高いギャラを吹っかけているわけではない。 ちなみに、今後AIが普及すると言われているが、人間の知的労働のうち、単純な労働はAIが代替するようになるかもしれない。そうなると人間は「AIにはできない仕事」だけをやることになる。そうした仕事の代表といえるのがクリエイティブな仕事だ。AIに仕事を奪われたくなければ、みんなアーティストになるしかないのである。アーティストとして仕事をする場合、都心に住む必要がない。だから、AIが普及すれば、アーティストが増え、東京より地方に住むようになる。つまり「大都市中心」の経済構造は今後変わっていく可能性が高い。
|
田舎暮らしは最高のエンタメ
都会に住んでいるととにかくお金がかかる。家賃や物価の高さもあるが、休日にテーマパークに行ったり、記念日に一流レストランに行ったりしているとお金がどんどん減っていく。お金がたくさん必要だから、意に染まない仕事でもやらざるを得ないし、それでも足りないから、投資がギャンブルに過ぎないと知りつつも、投資にのめり込んでしまったりする。 一方、田舎に住めばお金がかからない。私が住んでいる埼玉・所沢のあたりには一流レストランはないし、エンタメといえば公共ホールでやっているコンサートとか、西武園ゆうえんちくらいだ。 でも田舎暮らしは楽しくないでしょうとよく聞かれるが、そんなことはまったくない。むしろ逆で、田舎暮らしはとても楽しい。 空には雲が流れていて、いつでも最高の景色を楽しむことができる。畑に出れば鳥や動物がやってくるし、いろんな昆虫や植物を見ているだけでも飽きない。都会の生活よりこっちのほうが断然いい。田舎暮らしを楽しむにはコツがいるのも事実だ。ある程度教養を身につけ、文化に親しんだ経験がないと、田舎に飽きてしまう。逆に、教養があり、文化に親しんでいる人にとっては、田舎は天国だ。お金をかけなくても、毎日楽しく暮らせるのだから。 |
都会の娯楽は化学調味料のようなもの
ある意味、テーマパークや一流レストランといった都会の娯楽は、化学調味料のようなものだ。都会の娯楽にも魅力はあるが、ほぼ例外なくお金がかかる。楽しめるようにあらかじめコストをかけて準備しているから、楽しくて当然なのだ。逆に、化学調味料を使わないなら、ちゃんとだしを取るとか、技術や手間をかけることが必要になってくる。それが教養であり、文化だということだ。 はいま寓話の執筆を続けていて、1日1話のペースで書き進めている。寓話集の第1巻は、すでに発刊された。 寓話とは、教訓を得られるような短いお話のことだ。代表例としてイソップ寓話がある。寓話を書くという作業は、とてもクリエイティブで面白い。人間の本質、あるいは倫理観、死生観、社会観を描く作業だからだ。しかもお金はかからない。ギャンブル性の高い投資にのめり込んだり、詐欺師のように人のお金を奪うことばかり考えるのはやめたほうがいい。それより、イソップを超える寓話を書こうとか、そういうクリエイティブなことを人生の目的に据えるほうが楽しいわけだ。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第12回 |
効率化を進めるほど赤字に
農業は大変だが、その分、やりがいも大きい。頭を使うし、身体も動かす。誰かの命令に従う必要がないので、人間的な働き方でやれるところも魅力だ。実は農業を始めるまで、私は野菜があまり好きではなかったのだが、自分で作った野菜の味は格別だ。スーパーで売っている野菜はあまり味がしないが、自分で作った野菜は、「大地の味」がするというか、風味が強い。日本はもっと手作りの野菜を増やしたほうがよいと思うが、政府は自給自足を中心に据えようとはまったく考えていない政府が興味を持っているのは「スマート農業」、要するにAIやドローンで、デジタル化した効率的な農業を普及させたいのだ。効率化と機械化によって、農業の担い手不足を解決したいわけだ。ただ、機械化の費用を出すのは農家だ。自動制御のトラクターは1台1000万円以上もするので、農家の負担ははかり知れない。新しい機械を入れるために、農家は借金を重ねることになる。政府が「スマート農業」を推進すればするほど、農家の借金は増えていくわけだ。 |
コメ農家の時給は「10円」!?
政府が補助金で負担を軽減する、という議論もあるが、政府が負担の全額を補助することは考えられない。補助金をつければつけるほど、かえって農家の借金が増えていく。ちなみに、民主党政権時には農家の戸別所得補償制度を導入している。欧米では当たり前の制度だが、その後の自民党政権は、「補助金漬けの農家はけしからん」と主張して全廃してしまった。「農家は補助金漬け」というのはイメージの刷り込みであり、いまの農家は補助金なんてほとんどもらっていないので、全然儲かっていない。
とくに悲惨なのがコメ農家だ。農水省が公表する「営農類型別経営統計」によると、コロナ禍の2021年、22年のコメ農家の平均年収はたった1万円だった。時給に換算するとなんと「10円」だ。農家はこれほど厳しい状況に追い詰められている。それも結局、都会のことしかわからない政治家と官僚がすべてを決めていることが原因だ。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第13回 |
「農業の自由化」は「命の軽視」につながる
世の中には「自由化してはいけない職業」がある。医療と農業は、株式会社化して利益を追求してはダメな分野だ。どちらも人間の命に関わるものだから、企業化によって安全性より利益を優先されては困るのだ。しかしながら、近年こうした分野の自由化がどんどん進められてきた。農業はできるだけ企業化して効率的に利益を上げよう、という方向が強かったのだ。それは要するに「農業の軽視」であり、ひるがえって「命の軽視」につながる。2024年夏に日本全国でコメ不足が発生したのは、まさにそうした政治のツケだったと言える。
|
日本政府の農業政策に綻び
猛暑だったとはいえ、戦争が起きたわけでもないのに、コメが急に不足して買えなくなったのは、コメの生産と供給、流通がうまくいっていないからだ。要するに、政府の農業政策に綻びが生じていることの証左だった。近年、日本の就農人口は激減している。農業が主な収入源という人を「基幹的農業従事者」と言うが、2023年の基幹的農業従事者数は116.4万人だった。2015年には175.7万人だったので、ここ10年近くの間に約60万人も減少しているわけだ。一方、大都市の人口は増え続けている。東京都の人口は2024年1月時点で1410.5万人と、1960年の約1.5倍近くにまで増加している。大都市住民が増え、就農人口が激減する中で、農業・農家とつながりを持つ人が減っているため、農家の実態を理解してくれる人が減ってしまい、「食料はカネで輸入すればいい」という資本主義的な考え方が蔓延してしまった。だが、大災害や戦争により輸入が止まる可能性もある。そうなると日本人は飢え死にを心配しなければならない。日本の食料自給率はカロリーベースで約38パーセントにしかならないが、それすら実は見せかけに過ぎないという。日本の場合、種も肥料も燃料も輸入に頼っているので、それも加味すると真の自給率はもっと低くなる。東京大学大学院の鈴木宣弘先生の試算では10パーセント以下だという。 |
都会は真っ先に飢え死にする
真の自給率が10パーセント以下ということは、もし有事などで食料輸入が止まれば、日本はあっという間に飢えるということだ。その際、真っ先に飢え死にするのは、東京や大阪、名古屋といった大都会の人たちだ。食料危機になると、農家はそう簡単に食料を売ってはくれない。私は普段、畑のサツマイモを配ったりしているが、いざ食料危機となれば、私だって自分の食料確保を最優先にするだろう。かつて、戦中、戦後期には日本全体が食料難になったので、都会の人はみな大切な着物などをリュックに詰め、地方に出かけてコメや野菜と物々交換してもらったのだ。今回のコメ不足騒動でも、真っ先にコメがなくなったのは、大都市のスーパーだった。外食・中食など長期契約を結んでいるところや、農家とのつながりの深い地方のスーパーにはコメがあった。「コメなんてできるだけ買いたたけばいい」と、市場原理で仕入れていたところほど、真っ先にコメ不足になったわけだ。ウクライナ紛争以降、世界情勢は不安定化している。戦争勃発による食料危機の発生は、決して絵空事ではない。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第14回 |
政治家は「東京病」に侵されている
1990年に国会で「国会等の移転に関する決議」が採択され、1992年には「国会等の移転に関する法律」も成立している。首都機能の移転先として「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」「三重・畿央地域」と、具体的な候補地も提示されていた。本来、首都はとっくに移転していてもおかしくなかった。
なぜ首都機能の移転が進まなかったかといえば、「東京から移動したくない官僚と政治家がタッグを組んで抵抗した」からだ。そもそもアメリカでも政治と経済の中心は異なる。それが世界の主流だ。それなのになぜ日本は首都機能を移転しないのかと、かつて政府の人に聞いたことがある。その時の答えは、「わざわざ田舎に行きたい奴はいない。子どもの教育だって困る」というものだった。私はその時、「みなが“東京病”にかかっている」と痛感した。 |
東京しか知らない政治家たち
エリート官僚の子どもの教育のために、首都を移転しないというのは本末転倒だ。首都機能の移転先には、日本のエリート層が丸ごと移転してくるので、仮に現時点で学校がなかったとしても、いくらでも名門校を作れるはずだ。そもそも、問題にすべきなのは国益であり、エリート官僚の子弟の教育のことなどどうでもよいはずだ。 結局、東京のことしか知らない人間が、国の政策を決めているのが、日本の最大の問題なのだ。 もし首都機能移転の気運が高まった時に、首都を福島に移転していたら、東日本大震災後に原発再稼働&原発増設なんて怖くてできなかったはずだ。 地方のことを知らない東京の人間が、政策を決めている。地方交付税を真っ先に削っているのもむべなるかななのだ。 『「首都直下地震はいつ起きてもおかしくない」「東京一極集中は絶対にやめるべき」…日本の将来を憂えた森永卓郎さんの深刻すぎる遺言』へ続く。 |
この国でそれでも生きていく人たちへ連載第15回 |
南海トラフだけ気を付けてもダメ
台湾有事が話題だが、日本の安全保障を本気で考えるなら、東京一極集中の是正は最重要課題となる。日本を攻撃する場合、東京と大阪、名古屋を爆撃すればいい。それで日本は終わりだ。そうならないように、重要拠点はあらかじめ分散しておく必要がある。そもそも東京は「地震リスク」が高い場所だ。一定周期で「首都直下地震」が起きると言われており、そのリスクを避ける意味でも、東京一極集中は避けないといけない。最近、複数の地震学者に話を聞く機会があったが、いつどこで巨大地震が起きても不思議はないという。南海トラフだけ気を付けてもダメなのだ。現に、近年の地震被害は南海トラフ以外で起きている。2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震、そして2024年の能登半島地震と、いずれも想定外の地域だった。 |
首都直下地震はいつ起きてもおかしくない
首都直下地震については、前回の「関東大震災」から100年ほど経っており、もういつ起きてもおかしくない。東京のインフラは強固だから、大地震が起きても大したことにはならない、と思う人もいるかもしれないが、それは間違いだ。大地震が起こると、必ずと言っていいほど停電が起きる。東日本大震災の時、私の弟は仙台のタワーマンションに住んでいたが、20階くらいの高層階だったので、かなり悲惨な目にあったと聞いている。タワマンは水を電気で汲み上げているので、停電すると水道が止まる。だから弟はそのつど階段で20階下まで下り、バケツに水を汲んでは再び登ることになった。
弟はそれを数回やって耐えられなくなり、結局、友人の家に避難することになった。大地震が起きると、食料もなくなってしまう。東日本大震災で被災した人の話では、わずかな食料をめぐって暴動寸前という状況もあったらしい。ただ、暴動にならなかったのは、東北自動車道の地震対策が終わった直後で、大地震にもかかわらず物流の全面ストップを回避できたことと、東北の皆さんが節度ある行動を取ったことが大きい。 |
大都市は真っ先に飢える
東北は食料の入手は比較的容易な地域だが、大都市では食料不足の懸念がより深刻になる。以前、首都直下地震を取り上げたNHKの番組に出たことがある。その際にテリー伊藤さんが東京大空襲を体験した老婆から聞いた話をされていた。空襲で被災し食料がなくなったので、とにかく北へ歩いて、結局、埼玉県に入ったところでようやく食事にありついたという。有事には大都市が真っ先に飢えるのだ。東京が抱えるリスクはほかにもある。
一般に「東京は災害に強い」というイメージがあるかもしれないが、実は水害リスクはけっこう高い。東京の北部で線状降水帯が発生すると、「荒川決壊」の可能性がある。その場合、東京23区の3分の1が浸水するのだ。
水害に備えるため、「首都圏外郭放水路」という施設も埼玉県内に用意されている。水害になりそうな時に一時的に水を貯めて、被害を抑えるものだ。非常に壮大な施設であり、一部で「地下神殿」と言われているが、それでも水害リスクをゼロにはできない。
こうしたリスクを避けるためにも、東京一極集中はやめるべきだ。 |