竹中の国家戦略特区構想考

 (最新見直し2014.05.12日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 ここで、竹中平蔵の国家戦略特区構想を確認しておく。

 2014.05.12日 れんだいこ拝


 23. 中川隆 2014年3月31日 20:10:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

 国家戦略特区の発案者は竹中平蔵氏であり、東京圏に関していえばそれは「アジア東京ヘッドクォーター特区(AHQ特区)」である。 経済構造的に国家戦略特区は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)と同じである。なぜそれが言えるのかと言えば、両者の考え方、設計思想がミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」の実践展開そのものだからだ。TPPの徹底秘密主義は全容が明らかになっていないが、それでもこの構想には反人類的でアンフェアーな仕掛けが随所に埋め込まれていることが分かっている。 有名な二つは、多国間における投資家が、投資利益を阻害したかどで対象政府に賠償を求めることができるISD条項(Investor-State Dispute Settlement)がある。もう一つは、条約内容などが一旦合意したら、後でどのようなことが発生してもその条件は変更できないラチェット条項(Ratchet provision?)がある。 『これがTPPの毒素条項だ!!!』を参照するとTPPにはこの他に、NVC条項(Non-Violation Complaint条項)、スナップバック(Snap-back)条項、未来の最恵国待遇(Future most-favored-nation treatment)、ネガティブリスト方式、規制必要性の立証責任と開放の追加措置などの滅茶苦茶、理不尽過ぎる圧政条件が散りばめられていて、これらは一般に“毒素条項”と呼ばれる。 (参照URL)http://www.kananet.com/tpp-1.htm

 バルジ・ブラケットの傀儡日本人である竹中平蔵氏が設計した国家戦略特区構想は、前述したように、大枠ではフリードマンの「資本主義と自由」に共振するが、具体的には年次改革要望者や日米経済調和対話の指針に基づいている。小泉構造改革路線の最終進化形として国家戦略特区法がプランニングされている。要はソフィスケートされた新自由主義政策なのである。この事実を知ってか知らずか、特区を肯定的に目指す馬鹿な都道府県知事らは『強力な成長エンジンとなる』などと、住民をたぶらかす大袈裟な言い方をする。 多国籍企業の走狗となっているアメリカ政府が、安倍首相と竹中平蔵氏のコラボで推し進めている国家戦略特区に、何らかの圧力でISD条項やラチェット規定を課してくれば、実際はその可能性が非常に高いのだが、国家戦略特区法は実質的なTPPになるのだ。 外資勢(多国籍企業群)が日本政府の投資奨励で、ウンカのように集まり投資とM&Aに走った時、彼らが、現状の規制緩和ではまだまだ手ぬるいと感じれば、強大な圧力をかけてきて、投資紛争を国際裁判にかけられる内政干渉を施すことは目に見えている。加えてラチェット規定の有効な発動を求めてくるだろう。 だから国家戦略特区法の施行は実質TPPに準ずるものなのである。

 舛添氏が「東京発グローバルイノベーション特区」と、「医療創薬イノベーション」を強調しているが、この“イノベーション”なる用語は、国家戦略特区の発案者・竹中平蔵氏の自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の物(言葉)なのである。以前の記事「グローバリストたちの詐術に騙されてはならない!」で述べたが、竹中氏が慣用的に駆使する「イノベーション」なる言葉は、刷新的な変革ではなく新自由主義による構造改革を象徴的に意味しているのだ。

↓「グローバリストたちの詐術に騙されてはならない!」
 http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/03/post-04ce.html

 彼はアメリカ型構造改革(ワシントンコンセンサス・スキーム)に反対する連中をまとめて抵抗勢力と呼び捨て、旧社会主義体制を復古する悪い連中だと決めつける。修正資本主義を志向するまっとうな人たちに対して強引にネガティブイメージを植え付けているのだ。竹中氏は、「イノベーションか、それとも遅滞と既得権益だらけの旧復古体制か?」という二値論理を好んで提起するが、これ自体が経済の鬼畜外道が行うペテンの極みなのである。この線対称的な2分法には、最も肝心なセーフティネットの概念が欠落しているのである。したがって、竹中平蔵氏がイノベーションと言うときは、あらゆるセーフティネットを外資様のために取り外せと言っていることと同義なのである。 これが国家戦略特区の重要スキームのひとつである「規制緩和」の正体である。神州の泉は舛添要一氏が竹中平蔵氏と意を合わせていると指摘していた。それを裏付けるとおり、舛添知事は、東京圏の国家戦戦略特区について、これみよがしに竹中氏の「イノベーション」なるワードをおうむ返しに語っている。http://www.asyura2.com/14/senkyo163/msg/578.html

 現在の日本においては、新古典派経済学者たちが続々と「みんなの維新の会」側に集結しつつあり、「竹中氏が書いたんじゃないの?」という疑問を持っていたら、どうやら本当にそうだったらしい維新八策がオープンになりました。「民営化、規制緩和、自由貿易、地方主権的道州制、TPP、グローバリズム」。中央政府のあらゆる規制を排除し、政府機能を極小化せよ。グローバリズムに基づき、モノの関税をゼロにし、サービスの輸出入を妨げる各国の社会制度、文化、伝統は「非関税障壁」として排除せよ。当然、牛肉や遺伝子組み換え作物の輸出入を妨げている規制は撤廃し、「遺伝子組み換え作物」だからと言って、ビジネスに支障が出ないようにせよ(パッケージの表示を禁止せよ)。国境を越えて、モノ、カネ、ヒトが自由自在に動き回るようにせよ。公的サービスを民間に開放し、株式会社化せよ。教育も株式会社化し、「株主利益」のための教育を可能にせよ。電力も自由化せよ。社会保障は大きな政府の典型なので、負の所得税法式のベーシック・インカムにせよ。混合診療を認め、いずれは全てを自由診療にせよ。公的保険サービスは「ムダ」の極致なので縮小し、代わりに民間の医療保険サービスが自由にビジネスができるようにせよ。法人税と富裕層の所得税を減税せよ。結果的に預金が増え、金利が下がり、企業の投資が増えることで国民全体が潤う「はず」だ(トリクルダウン理論)。

 公共事業や国債発行は可能な限り減らせ。国債発行をすると金利が上がり、民間が金を借りられなくなり、投資が減る(クラウディングアウト)。しかも、国債発行による金利上昇は通貨高をもたらし、輸出が減るので財政出動分の需要はキャンセルされる。どうしても公共事業をやりたいならば、民間の投資会社主体でやらせ、政府は「利用料」を支払う形にせよ。失業者は自発的失業者か、職種のミスマッチがあるだけだ。自由貿易や規制緩和で失業者が出ても、彼らは「瞬時に」別の職に就けるから問題ない。つけないとしたら、失業者の能力が足りないというわけで、まさに自己責任だ。

 上記を全て実現すれば、グローバルに株主利益を最大化できるじゃないか。何か問題あるか? ものすご~くグロテスクに書くと、新古典派の政策は上記のイメージになります。現実には、「デフレで物価が下落して困っているときに、規制緩和や自由貿易で競争を激化させ、さらに物価を押し下げてどうするの?」、「スペインやギリシャの失業率は25%超えているけど、これもやっぱり自発的失業か、職種のミスマッチとやらなの?」、「法人税引き下げても、企業は銀行預金を増やすだけじゃないの? 法人税引き下げていない状況でも、日本では企業の銀行預金がひたすら増えているけど?」、「日本は95年以降、政府の負債(国債など)が二倍以上になっているけど、金利は三分の一未満に落ち込んだよ。クラウディングアウトはどこにいったの?」、「デフレだと国債発行や財政出動と関係なく円高になり、どっちにしても輸出減らない?」、「政策金利がゼロで、長期金利が0.8%未満でも企業は投資しないよ。富裕層に減税して、法人税引き下げて、なぜ投資が増えると断言できるの? それ以前に、日本はすでにして銀行が過剰貯蓄状態だよ。だから金利が低いわけだけど、投資増えていないじゃん」、「エネルギーとか教育とか、国家の根幹にかかわる部分を『株式会社』化して、本当にいいの? 政府って曲がりなりにも『主権者』である国民の投票により成立しているけど、株式会社化すると国民主権が歪められない?」。


 などなど、「絶対それ、違うだろ~っ!!!」 と言いたくなる政策のオンパレードです。無論、インフレ期にはクラウディングアウトやトリクルダウンも成立する「かも」知れませんが、デフレ期にはどちらにせよ不成立です。 すなわち、新古典派経済学者や新自由主義者たちは、現実の日本を見ていません。彼らが見ているのは、机上の「経済の教科書」だけなのです。机上の教科書に沿った「間違った政策」が行われているのは、別に日本に限らず、世界の主要国の多くがこの罠にはまっています。結果、フランスでは明確な対立軸で選挙が行われ、日本もこのままいけば、どうやら「新古典派」対「実践主義」の戦いになりそうです。現在の与党は、両者の間で埋没して消滅してしまうでしょう(というか、そうしなければなりません)
 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

24. 中川隆 2014年4月10日 20:29:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

 アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争

 アメリカでは大学でも、何が正義かではなく、儲かるが捕まらないかいか?という行動規範で教育をしている。騙し通せるならば、不道徳でもやっても良いという考え方。確かに、「ディベート」と言う理屈の訓練は、騙しの練習だ。欧米人との折衝とは、騙しあいの議論なのだ。未だに、日本人は「本当は○○が正しいのに、なぜ分かってくれないのだろう?」と、考えてします。それを教えてくれる、図書紹介を見つけました。

 ■「犬猫との生活」~いい本の紹介~
 http://blogs.yahoo.co.jp/koganemusida/folder/1764098.html





(私論.私見)