竹中の狂気の自由論

 (最新見直し2006.7.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 ここで、竹中平蔵式自由論の狂気性を確認しておく。

 2005.5.6日 れんだいこ拝


 25. 中川隆 2014年5月05日 19:16:46 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
 みなさんには貧しくなる自由がある、と言う男が政府にいる 2014年5月5日月曜日

 「みなさんには貧しくなる自由がある」。アメリカは医療制度すらも民営化したことによって、「より良い治療を行って欲しければ、もっと金を出せ」という弱肉強食の世界になっていった。その結果、自分が病気になったり家族が病気になったりして「破産」する国民が増えた。自分の痛みは我慢できても、自分の家族の痛みは何としてでも治して上げたい。金よりも家族の健康の方が重要なのだから、親には選択の余地などない。こういった国民の福祉や行政に関する部分には自由な競争を取り入れたらいけないというのが普通の考え方である。誰もがインフラにアクセスできて、誰もが安心して医療を受けられるようにするというのが政府の存在意義である。インフラを守るのが国民を守ることだからだ。しかし、日本は今、よりグローバル化を取り入れるために、水道事業の民営化を提言する人間もいる。「空港を売却せよ。高速道路を売却せよ。上下水道を売却せよ。郵便局を売却せよ」。そのように主張するのは、竹中平蔵という男だ。小泉政権時代、経済財政政策を担当していたこの男は、若者を非正規労働に追いやって貧困化させたが、自らは人材派遣会社のパソナグループの取締役会長に納まった。そして、今も「産業競争力会議」メンバーとして、アメリカの手先のようになって働いている。「解雇規制を緩和しろ」と言っているのもこの男である。

 この男の「自由」とはどんな自由なのか。この男は2012年11月30日にある雑誌のインタビューで次のように「自由」を語っている。「みなさんには貧しくなる自由がある」。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」。日本の貧困を加速させ続けている男、竹中平蔵。 http://www.bllackz.com/2014/05/blog-post_5.html


 22. 中川隆 2014年3月28日 00:10:02 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

 1998年から2010年まで毎年3万人を超える自殺者が出ているが、そのうちの1万人は経済苦の自死であった。これが何よりも日本社会の変容を物語っている。新自由主義者(グローバリスト)の言い分には基本パターンがある。それは我々が、構造改革という進歩へ向かうのか、あるいは遅れた旧社会主義体制に逆行するのかという、単純化した二項対立的な進歩史観へ持って行く説明である。これがいかに悪質であるか説明する。

 この説明パターンは竹中平蔵氏の真骨頂でもあり、そのキーワードは「抵抗勢力」である。竹中氏が好んで口にする言葉はイノベーションである。これは新しい発想、革新的な手段・方法論の創造、新機軸等を意味し、一見良い響きを持っているので聴いた人はごまかされる。イノベーションを行うためには旧来の考え方が抵抗となって進歩を阻害する。

 だから旧体制を刷新するために創造的破壊(シュンペンターの援用なのか?)を行う必要がある。年間3万人を超える自殺者を恒常的に出すような痛みが国民のための創造的破壊であるはずがなく、それはグローバル企業の収奪体制を構築するための破壊なのである。言わば、向こう側の都合でエマージング・マーケット(新興市場)を日本に創出するための破壊であるから、それまで国民を守っていた規制や法制度を変える必要があった。

 これが竹中氏に代表されるグローバリストたちの二項対立的な進歩史観である。要するにイノベーション(刷新的変革)か、旧社会主義のどっちを選ぶのかという命題を突きつけるのである。この提起自体が根本的に間違っていて、人々をあらぬ方向へ誘導するトリックとなっている。例えば、竹中氏が決して口にしないワードに新自由主義や修正資本主義(混合経済)がある。ミルトン・フリードマンの名前も彼は口にしないのではないだろうか。

 彼が決して口にしないこれらの言葉こそが彼の本性を物語っている。分かりやすく言えば、修正資本主義とは 貧困、失業、恐慌など資本主義経済に原則的に付随する弊害を国家の積極的な介入や資本相互間の自主的調整(規制)によって緩和し、資本主義体制を維持しようとする理論や政策である。

 砕けて言えば、なまの資本主義は弱肉強食の暴力性が跋扈する社会、すなわち「北斗の拳」の舞台背景のような世界になるから、国家がケインズ的に介入して、その暴力性を制御する体制である。ほどよく制御され(統御され)た資本主義体制こそ世界が平均的に望むあり方である。グローバリストたちはこの制御的な資本主義体制が「1%対99%」の支配構造を阻害し、傾斜配分から公平配分復古への動きになることを知っているので、絶対に自ら「修正資本主義」なる概念を口にしない。それを言ってしまえば、彼らが金科玉条とする単線的な進歩史観が成り立たないからだ。

 同時に自分たちがイノベーションなる言葉で志向しているものが、新自由主義体制であることも絶対に言わないのだ。だから、騙されてはならない。グローバリストたちが言う抵抗勢力との戦いや既得権益体制の打破とは、旧体制(実は修正資本主義)の悪いところを破壊すると言って、良いところまで破壊してしまうことである。

 それに加え、桁違いにあくどいところは、創造的破壊の後に待ち受けているものが、国民生活にとって有意義かつ建設的な経済体制ではなく、新自由主義体制の敷設なのであり、ここにはグローバル企業の日本収奪が待ち構えている。「政官業」トライアングルを既得権益というのであれば、修正資本主義体制を破壊した後に出てくる「米官業」トライアングルは桁違いに破壊的な性格を有している。これが小泉構造改革、安倍構造改革の本質なのである。

 ここから導き出さされることは、安倍首相や竹中平蔵氏の言う岩盤規制のドリル破砕が、どれほど危険な規制緩和かお分かりだと思う。岩盤規制とは国富収奪を目論むグローバル企業にとっての規制障壁であり、それが緩和されれば国民生活に回復不能な大打撃を与える。

 だから、竹中平蔵氏が繰り返している基本テーゼ、『イノベーション社会か、それとも旧社会主義体制か?』という二項対立は、言い換えれば『新自由主義か、それとも修正資本主義か?』という話に他ならない。答えはおのずと修正資本主義に決まっている。グローバリストたちの詐術に騙されてはならない。
 http://www.asyura2.com/14/senkyo163/msg/427.html


 13. 2012年10月19日 23:14:18 : HNPlrBDYLM

 『消費税増税「乱」は終わらない』を読んで 2012年10月13日 (土)


 ところで、今日、小泉・竹中時代の「新自由主義」が息を吹き返すような、許し難い勢いや状況がある。 ここで、植草氏の語る言葉は、ひじょうに含蓄がある。彼は言う。 「竹中さんは『頑張った人が報われる社会』といっていました。通常の日本語の意味で、頑張った人が報われるのであれば間違いではないと思うんです。 悪い話じゃない。ところが、竹中さんが言う『頑張った人が報われる』というのは、例えば、金融の分野で大儲けをする。で、会社を上場させて、株式を分割して、株価を吊り上げて錬金術のように巨大な不労所得を得る。これを竹中さんは『頑張った人』と呼んだわけです。 これは、『頑張った』のではなく、『うまいことをやった』にすぎません。『うまいこと』をやるために、法律の抜け穴をくぐってきているかも知れません」と。まったく、その通りだと思う。 ここには、竹中の欺瞞と悪辣さを見事に看破した植草氏の正しさと限りない明晰さが、遺憾なく発揮されている。 とりわけ、植草氏が強調するのは、次の点だ。同氏は、こう力説する。 「新自由主義の流れを民間部門で放置すると、格差はさらに拡大します。 企業が労働者を消耗品として扱うことを許してはならないのです。 現在の時代環境を踏まえると、分配および再分配における政府の役割は飛躍的に大きくなっていることを強調しなければなりません。 成長論が分配の格差容認論とセットになってしまっていることが、現代日本の一番の問題じゃないかと思います」と。(*直ぐ上の写真は、少し自信無さそうな竹中氏。でも、案外、 これが、彼の本質かも?)

 ひじょうに明快な主張だ。特に、植草氏の最後の言葉に注目したい。 益々深刻化する国内の格差問題、かつて、それを助長・増幅させた小泉・竹中政治は、もっと厳密に告発されなければならないであろう。 その点に関する植草氏の明晰な分析は、実に心地よい。 事実、先ほどの「頑張った人が報われる」という言葉に関して、同氏は、次のように述べる。 「『頑張った人が報われる』という話ですが、世の中で本当に頑張っている人はいくらでもいます。 ラーメン屋を経営して、汗にまみれて朝から晩まで働いて、年収がいくらになるのかという話です。 大企業は正社員を一握りしか採用せず、大多数の若者がフリーターになって年収が二○○万に届かない。この人たちが一千万人いる。 懸命に働いているのにそこから抜け出すことができない。 これを『頑張った人が報われない社会』と言うんです。 『頑張った人が報われていない』現実を放置して、きわどいことをやって億万長者が生まれることを『頑張った人が報われる社会』だと絶賛した竹中さんの感覚が、いかれてしまっていたのだと思います」と。そう 、確かに、竹中の感覚は、”いかれてしまっていた”のだと思う。 むしろ、彼は、まったくの”確信犯”だったと思うのだ。 この言葉に続く、深く、かつ鋭い植草氏の分析に対して、斎藤氏は、「なるほど、僕はずいぶん甘かった」と、正直な思いを吐露する。 この両者の正直さ、真摯さが、読む者に好印象を与える。 事実、両者に、この真の謙虚さがあるゆえに、この対談は、まことに実り豊かで、魅力的なものになっている。 そして、この両氏が合意することは、「消費税に頼るのは最後にすべきだ」ということである。

 第三日目は、両者による忌憚の無い対談の形となる。 そのテーマは、「恐るべし、増税後の世界」である。また、その副題は、「まだあるチャンス」となる。この言葉こそ、両氏が、読者に最も伝えたいことだと思う。さらに、対話は、「消費税なし」にしたときの財源調達の途は、という問題に発展する。この点に関して、斎藤氏は、次のように論じる。 「富裕税はぜひ導入すべきでしょう。・・・・ とにかく富裕税の新設や所得税の累進強化が最優先です。・・・・ 消費税に頼らない財源の基本的な問題は、応能負担でいくべきだということです。応能負担の原則で、仮に財源が本当に足りないんであれば、消費税以外の増税税目というのが決まってくる。 それは所得税の累進の強化であり、法人税の適正化であり、例のメガバンクみたいなところからとる。 年金生活者がもとはと言えば自分のお金なのに年金にも課税されているのと比べれば、どれほど理不尽なのかがわかります。 彼ら(メガバンク)は公的資金を注入されながら税金は取られないみたいなアホなことになっている。彼らは無茶苦茶儲けまくったわけですから、そういうところからしっかり取ること。それと宗教法人課税を適切に行う。大雑把にいうとこんなメニューが考えられると思います。 消費税は、まさにその応能負担とは正反対であり、応不能負担原則みたいになっちゃっている。新自由主義イデオロギーの下で消費税を基幹税にするということは、弱いものいじめを社会の規範にするということです。・・・ まさに強盗そのものの税制なのが現状だと思いますね。それの反対を行くべきだと思います」と。

 また、「サラリーマン税制は人々から『思考』することを奪った」と考える斎藤氏にとって、同氏の立場とか考えの基本にあるのは、「個人一人ひとりの尊厳を守りたい」ということである。 さらに、この両者が主権者であるわれわれに必要なことと考えるのは、「思慮深さと積極的な行動」である。両者は、消費増税後の世界が、まことに恐るべきものであることを提示する。斎藤氏は、警鐘を鳴らして、次のように訴える。「僕はね、やっぱり一人ひとりの生活を考えたときに、とんでもない歪んだ社会になるのを怖れるんです。何度も言いましたが、消費税増税で転嫁ができない中小零細が全部潰れる。・・・・第一次産業は全部派遣。自営業とか零細企業でやっていた人たちも、もはやそういう業態そのものが成立しなくさせられるのですから、派遣以外の働き方はまず見つからないでしょう。 だったら世の中全体でどういう働き方が残るか。エリートサラリーマンか、派遣か失業者か、そのいずれかしかない。これしかない社会というのが僕は怖くてならないんですよ」と。

 日本経済の第一線で果敢に取材活動をしてきた斎藤氏の言葉だけに、ひじょうに重いと感じる。 また、「支配者はエネルギーと食糧と武器の独占を狙う」というテーマの中で、植草氏は、自らの危機意識を、次のように吐露する。 「私もいま、将来に向けた支配者たちの意図というのを感じています。それは、本格的な植民地化の始動ということじゃないかと思うんです。 その支配者とは誰なのか、アメリカなのかどうなのか、いろんな見方がありますが、それはともかく、ごく少数の巨大資本がいろんな意味で圧倒的な力を持っているときに、彼らが人々を従属させたり隷属させたりする手法というのは、人々が生きていく上で必要不可欠なものを握ってしまうということでもあります。 それは、エネルギー、食料、そして武器です。この部分を握られてしまうと、人は隷属せざるを得なくなります。 だからこの勢力からすれば、日本が、そして世界が再生可能エネルギーの方向に走るのを命がけでとめなきゃならないということになりますね。鉱物資源とかウランなどに依存する状況を残さなきゃいけないのですから。 人間の叡知を考えると、太陽光、風力、水力、地熱などから永続的に活用できるエネルギーを採取する技術は、進化する可能性が大いにあると思います。 また、食糧は一番根源的なものだと思いますが、最近は農作物の種子の管理で、種子の出来ない作物を遺伝子組換えで作ってそれを管理する・・・」と。
 http://yoshiaki-watanabe.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-5df3.html





(私論.私見)