小泉首相の資質考

 (最新見直し2005.12.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、小泉首相(以下、「小ネズミ」と云う)の個人的資質を検討する。れんだいこの小ネズミ観は亢進し、2004.6.25日より自今「スーフリ首相」と命名する。まことに云いえて妙であるからである。

 れんだいこは、人の下半身問題を滅多に問わないが、小ネズミの場合「下半身気質」と政策に色濃い相関性が認められる故に取り上げざるを得ない。果たして、一国の運命をこの御仁に委ねて良いものかどうか、論議の素材にしてみたい。

 小ネズミの「下半身気質」を問う論拠は、「1・下半身の暴力性と政治における暴君性との相関、2・異常苛虐性と政治における軍事マニア性との相関、3・事件揉み消しと政治における治安警察性との相関」に見られる因果関係を解析せんが為である。

 ブッシュもかなり変態人士であるが、それは小ネズミの変態性とハーモニーしているように思える。ブッシュのそれは他の人に任すとして、ここでは小ネズミの首相としてあるまじき軽薄頭脳性ヒステリー症状、異常性癖気質を詮議してみたい。思えば、山拓との親密ぶりも又「下半身気質」の同調性つまり「俗に云う、ウマが合う」からきていたものと思われる。

 マスコミがはたまた与野党問わず一部の政治家が、今尚「小泉の政治姿勢は正しい。それが中途半端であることにより掛け声倒れになって居る。抵抗勢力と頑として闘うべきである」的観点からのエールが相変わらず聞こえてくる。果たして、この謂いに正当性があるのだろうか。あまりにもお粗末な「ミソとクソとの識別のできない」ジャーナル性を示しているのではないのか、この辺りを切開して見たい。

 2003.10.14日 れんだいこ拝


 (最新見直し2005.6.21日)

 関連サイトは、小泉首相の履歴考

小ネズミの慶応大学時の一文「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」考】
 2005.7.4日、「現代政治経済総研・橋本」氏による「小泉純一郎愛人小はん変死事件の真相」がサイトアップされている。これまでにない克明情報が記されている。れんだいこには真偽を確かめる術は無いが、これを真相告発として取り込むことにした。

 それによると、小ネズミの慶応大学時の一文「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」が「横須賀慶応学生会文集」(1965.6月発行)に掲載されており、次のように書かれている。(赤字はれんだいこ有責)
 「青春は人生にたった一度しかこない。しかもその人生もまたやり直すことのできないたった一度きりのものである。私は一生を考え、ふと空しさを覚えるときがある。虚無を感ずる時がある。胸の中を北風が通り過ぎるような思いがする。何もかも馬鹿らしくなってしまう。何のために生きているのか。(中略)死んでしまえば何も残らない。(中略)虚無感にふと襲われるときがくる

 そんなとき、私は、「人生50年化転の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受けて滅せぬ者のあるべきか」をうたい、「死のうは 一定!」「それ貝を吹け、具足をもてい!」と(中略)一挙に今川義元を打ちとったあの時の織田信長を思い出す。人生50年、どうせ一度は死ぬのだ。 (中略)

 
相手を倒さなければ自分が殺される厳しい戦国時代の武将に私は強く魅かれる。戦いに明け暮れ、死など考える暇がなく、しかも死が眼前にある。(中略)ときに襲ってくる虚無との戦いに負け死を考える時が無きにしもあらず。だが、死んでしまったらそれこそおしまいである。自殺は敗北である。私は自殺くらい馬鹿なことはないと思う。

 人間死にたくなくとも必ず死ぬのだ。(中略)
私は自分の志す仕事が達成された後ならすぐ死んでもいいと思っている。われは金剛石。打て 打て 打て われを されど われは 死なじ。 われは不死鳥のごとし 己の死よりふたたび命を得 殺せ 殺せ 殺せ われを されどわれは死なじ」 。
(私論.私見) 「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」考
 慶応学生時代のこの作文は、小ネズミの人となりを知る上で極めて貴重と思われる。「現代政治経済総研・橋本」氏は、「短い随筆の中に20回以上も『死ぬ』、『殺せ』と類した言葉が出てくる」と小泉文の異様さを指摘している。れんだいこは、この指摘を踏まえて更に言及しておく。

 文面から窺えることは、人生問答的にはれんだいこ時代なら高校生レベルのものである。そこに胚芽している思想は、「ニヒリズムその裏返しのバイオレンス志向」である。加えて、支離滅裂志向も見て取れる。こういう思想に染まった青年がその後どう変遷していくのか、そこに興味が移る。青年期のこと故思想はその後変わり得る。しかれども変わらずこのままの心情で思想形成していったらどうなるか。政治家であれば、権力闘争そのものに感極まる極端な暴力主義に傾斜するであろう。

 2005.7.6日 れんだいこ拝

小ネズミの慶応大学時の様子考】

 栗本慎一郎氏が、2005.12.24号週刊現代『パンツをはいた純一郎』文中で、小ネズミの慶応学生時代の様子を証言している。これを引用しておく。

 「入学してクラス分け発表の日に、とんがった細い顔をして、妙に似合わない慶応帽を被ったやつがいた。当時すでに、慶応帽は流行遅れで、ほとんどの学生が被っていなかったのですが、ぺちゃんこの帽子をかぶったキツネ顔の男が、小泉でした。当時の慶応はいまより入試がやさしくて、東大志望からの『落ち武者組』と、『やっと慶応合格組』とが明確に分かれていましたが、小泉は『やっとこさ組』だったのでしょう」。
 「私たちが慶応に入学したのが'60年安保の翌年ですから、高校時代に反対闘争に加わって浪人した連中も多かったのですが、彼は社会運動には何の興味も持っていなかった。一方、慶応では石原裕次郎型の、料亭に住み込んで、芸者と遊びながら大学に来るという無頼のパターンもあった。でも、彼にはもちろんそんな根性もない。小泉は横須賀の自宅からしょぼしょぼ通ってきていました」。

 「彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、そのままロンドンに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです」。

  「学生時代の小泉は、簡単に言うと影が薄かった。これは、私だけじゃなく、他のクラスメイトに聞いても同じことを話します。彼が総理大臣になったとき、何となく同窓会を開いてみんなで集まったことがあります。ところが、彼のことを思い出そうとしても、ほとんど思い出せない。

 '91年に月刊誌『文藝春秋』の『同級生交歓』というページに、小泉と私と、当時エム・シー・ファイナンス代表取締役だった入山利彦と3人が、大学時代のクラスメイトということで出たことがある。私が文章を書くことになったわけですが、何を書けばいいのか、困ってしまった。小泉について書くべきことがないのです。あまり大学にも来なかったし、社会性がなくて友達もいない。一緒に麻雀をちょっとやったことがあるという程度の同級生が、よく付き合った部類に入るぐらいですから」。
 「彼の秘書は、『うちの議員は、中立を守るために親友をつくらないんです』なんて言っていますが、とんでもない。要するに、彼は誰とも付き合えなかったのです。しかも、みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います」。
 「彼は一対一では誰とも話ができない。『コミュニケーション不能症』です。人間と普通に話すことができないのです。彼が人と付き合うには、立場が必要なんです。言葉を知らないから、友人としての話というのは成立しない。だから「立場」しかない。
 「オレが会長だ」「オレは何かを代表している」という立場なら演じることができる。ですから、彼は自分の性格上、権力は絶対に欲しい。権力欲がないようなことを言っていますが、それは大間違いです。」
(私論.私見) 栗本証言「小ネズミの慶応大学時の様子」考
 小ネズミの学生時代の様子が証言されている。当時の過ごし方はいろいろあっても良いとは思われるが、頭の悪過ぎるのと性格が暗過ぎるのは本来の首相には不適正ではなかろうか。小ネズミはその両方を兼ね備えている。してみれば、こういう御仁が首相に在位し、歴代3位の長期政権を目指しつつありこれが許されている不思議さの方が不思議かもしれない。この国はサバの目状態で死んでいるのだろう。

 2005.12.22日 れんだいこ拝

小ネズミの酷すぎる頭の悪さ考】
 栗本慎一郎氏は、2005.12.24号週刊現代『パンツをはいた純一郎』文中で、小ネズミの酷すぎる頭の悪さについて証言している。これを引用しておく。
 小泉は通常の意味で、とにかく頭が悪かった。本当は頭がいいんだけど、成績が悪いといったパターンがありますが、彼の場合、ただわかんないだけ。理解カゼロなんです。

 彼がいかに頭が悪いか。私が'95年に衆議院議員として自民党に入党したときに、一時期彼の『押し掛け家庭教師』をやったことがあります『金融市場をどうするのか』、『戦後の日本経済のなかで、現在はどういう位置にあるのか』、そういったことについて、すでに名の知れた若手リーダーなのにあまりにとんちんかんなので、教えてやろうということになったわけです。

 それで、最初は私がやったのですが、あまりにダメなので、懇意にしている別の有名教授に応援を頼んだ。先生と生徒があまり親しいとうまくいかないことがある。それを心配したのです。それで某教授を呼んで、『ひょっとしたら総理になるかもしれない男なのに、こんなんじゃ困るから』と依頼したのです。某教授も小泉がそんなバカとは知らないので、日本のためにと、やってきた。でも、講義は、まったく前に進まない。しかたがないから、私が司会のように横についた。『これは○○のことを話しているんだよ』と、解説した。家庭教師に司会が必要だったわけです。ところが、それでも話が進まない。私がそばにいるせいで格好つけているのかと思って、行きたくもないトイレに立って席を外してみました。しかし、戻ってきても進んでいない。結局、3時間ほどやって諦めました。

 後で某教授に『どうですか』と聞いたら、『ダメだねえ』と言って困ってました。そして彼がこう断じたのです。『これがわからないとか、あれがわからないということじゃなくて、問題がわかっていない』 小泉は採点のしようがないぐらいバカだというのが正しい評価です。前首相の森喜朗さんも頭が悪そうですが、彼は、自分がわかっていないことがわかるようだ。だからぅ森のほうが少し上です」。

 「私は、一、二度、彼と二人だけで新幹線に乗りました。東京から京都まで、あるいは大阪まで、隣に坐ったわけですが、あれほど退屈な時間はなかった。彼はとにかく普通の話ができない。議員同士の世間話をしても、前日の国会の話をしても10分で終わってしまう。 だからしょうがない。 二人とも寝るしかない。小泉の発言は明確だと言われますが、真相は長いことを喋れないから、話が短くて明確そうに聞こえるだけです。話がもたないから、すぐ結論を言ってしまうわけです」。


小ネズミの酷すぎる人情欠損症考】
 栗本慎一郎氏は、2005.12.24号週刊現代『パンツをはいた純一郎』文中で、小ネズミの酷すぎる人情欠損症について証言している。これを引用しておく。

 「小泉は前妻と離婚していますが、あれは離婚じゃなくて離縁という表現が正しい。すでに子供が二人いて、3人目がお腹のなかにいるのに離縁した(長男がタレントの孝太郎、次男は去年まで学生だった進次郎)。その三男と一度も会っていない。頑なに会おうとしないのです。自分の母(芳江さん・'01年に享年93歳で死去)の葬式に来ても会わない。奥さんはともかく、三男にとっては血のつながった祖母です。でも入れない。普通そんなことはやらない。それが人間というものです。

 離縁の理由は、彼の弟が代弁して言うには、前妻の一家が創価学会の会員で、それがいやだった、と。小泉が創価学会が大嫌いであることは間違いないでしょう。或るとき、彼と話していて、私が、『私はガッカイから政界に来た』と言ったら、彼が、『栗本、そんなことは言うな』と血相を変えて怒るのです。何のことかと思ったら、『政界ではガッカイといえば創価学会のことだ。誤解されるぞ』と言い出す。もちろん私は、学問の世界の『学会』のことを言ったのですが、彼はそんな言葉に反応するくらい創価学会に対するアレルギーを持っているのです。ところが、小泉は政権を維持するためにその創価学会と手を組んだ。それは、権力欲、地位欲が強いからです。逆に言えば地位のためなら何でもできるのが小泉という男なのです」。

 「小泉は頭も悪いが性格も悪い。でも、一般的に言う性格の悪さとはちょっと違います。普通、性格が悪いというのは、相手が嫌がることをわかって意地悪するやつのことをいうわけですが、彼の場合は、理由がわからないでやるんです。だから、結果として、性格が悪い。彼はよく「非情だ」と言われますが、それは正確じゃない。彼は自分がやっていることの社会的意味がわかっていない。

 それを、周囲から『非情だ』なんて言われて、むしろそれを売り物にしてしまう。本当は情そのものがわからないという『欠情』です。ひとに『非情だ』と言われて、『そうか、オレは非情なんだ』と喜んでいる。他者から位置づけられたことがうれしいのです。

 今年の衆院解散・総選挙の焦点になった郵政民営化の問題でも、彼の社会性の欠如、コミュニケーション欠損症が出ています。なぜ郵政事業をこれほどまで犠牲を出しつつ民営化しなければならないか、何度小泉の演説を聴いても単純すぎてさっぱり理解できない。民間のできることは全部民間でと言うのなら、道路公団についてなぜあんなに適当にやるのかわからない。彼は郵政民営化について、中身はせいぜい5分しか話すことができないのです。何十年とそればっかり考えてきて、5分しか話せないんですよ。これは問題でしょう。ところが、テレビに出るときは5分で十分なんです。発言が放映される時間は、せいぜい5分ですから。しかし、議論はまったくできない。だから、突然の断行強行になってしまうのです」。


小ネズミの「下半身気質」考】
 インターネット上に次のような情報が流れている。議員・選挙@2ch掲示板「小泉首相にサディスト疑惑発覚か?/変態性欲者か」を参照した。この情報の真偽が定かでないままに引用するのは好みではないが、小ネズミの政治手法との共通性が認められるので、敢えて「下半身気質」を列挙させてみたい。

 この疑惑に対し、木村愛二氏が訴訟の挙に出た(
「小泉訴訟」「木村氏の捨身の小泉首相人格訴訟」考参照の事)その成り行きが注目されている。
【逆ギレ興奮性】
 議論せねばならない事柄に対してそれを徹底できず、いわゆる逆ギレでヒステリー症状を催し、その後は恫喝と居直りで事を処理せんとする「ある種の坊ちゃん的小児性我がまま」気質が色濃く温存されている。この性分は三つ子の魂で治癒し難し、とれんだいこは認める。

 イラク特措法の審議中、「神学論争には興味ない」などの言辞を弄した「神学論争批判発言事件」もこの系譜にあると考えられる。
【婦女暴行常習性】
 「ロンドン留学の真相」がそれを物語っている。小ネズミの履歴として「ロンドン留学」が云われているが、その背景事情として国内での婦女暴行事件があるという。真偽判明していないが、小ネズミは若かりし頃の慶応大学在学中に同学の女子大生を強姦するという事件を引き起こし、その件で神奈川県警で調書を取られているという。これが表ざたになるのを恐れて、当時防衛庁長官だった父親がほとぼりがさめるまで英国に逃亡させたものらしいという噂が流れている。

 これにつき、木村愛二氏の「小泉レイプ事件は地元横須賀の市会議員の間では周知その他満載頁」を参照しつつ。以下、れんだいこが要約する。

 小ネズミは、一浪して1961.4月に慶応大学に入学。本来であれば1965年3月に卒業であったが、入学後二留し、1967年の3月にも卒業できなかったため、三留年が決定していた。この直後、婦女暴行事件を起こして神奈川県警に逮捕されている。場所は、湘南であり、相手は慶応大学の女学生であった。警察の取調べの際に、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。連絡してくれ」と不貞腐れていたことが漏洩している。「この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ」と云う。

 但し、小ネズミの父・小泉純也が「当時防衛庁長官であった」との記載が為されているリークものがあるが正しくない。元防衛庁長官であったとすべきだろう。小泉純也は、第3次池田内閣、第1次佐藤内閣の防衛庁長官を務めているが、この当時は搏c甲子七氏が防衛庁長官であると思われる。

 いずれにせよ、父親の小泉純也氏が政治的圧力を使い、この事件をもみ消した。が、学内でうわさの広まるのを恐れ、小ネズミを急遽1967年の5月にロンドンに留学という口実で日本から脱出させた。慶応大学は休学扱いしている。最新情報では、この間、精神病院である東京の松沢病院に入院させられていたと云う。この真偽は定かでない。これが実際とすると、日本国は際どい経歴の人物を首相の座に据え、歴代三位の長命政権を許しつつあるというケッタイなことになる。

 小ネズミは5月頃ロンドンに高飛びしたものの、英語ができなさ過ぎて、9月から通常始まるロンドンの大学の入学試験に合格できず入学できなかった。そのため聴講生として一般に開放されている大学の講座をとり留学の体裁を採った。その後2年間ロンドンにいて、とった単位はゼロであった。「こういう経緯があるため、小泉は地元には滅多に帰らない。 昔のことをあれこれ詮索されるのがいやだから、帰りたくないのである」とある。


 霍見芳浩氏の次のような指摘もある。
 「閣僚の息子で婦女暴行で捕まった男が、留学という名目でロンドンに来ており、余り勉強もしていないとの情報が入手されており、これが小泉を指しているのではないのかと云う。この事件を確認しようとすると、『警察のガードが予想以上に固いために、非常に難渋している』とも云う。前首相・森の学生時代の破廉恥罪はスクープされたが小泉調査の壁は厚いということか」(参考サイト、ニューヨーク市立大教授・霍見芳浩氏の「歪んだ日本の情報公開」)。

 「女子高校生強姦事件」も噂されている。「代議士2年目になっても女子高校生の強姦事件を起こし、このときも逮捕されている。結局示談で処理をした」との情報も出回っている。こちらも神奈川県警所轄の事件である。
【家庭内暴力(D・V)】 
 小ネズミは、1978(昭和53).1月、宮本佳代子と結婚(媒酌、福田赳夫夫妻)。1983(昭和58)年に離婚しているが、「離婚の真相」として「離婚の直接の原因は、妻への家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)だったとの噂」(「アサヒ芸能」02.2.23)、「3人子供を生ませて、離婚をしているが、その離婚の動機も、妻が、小泉の殴る蹴る のドメステイックバイオレンス・家庭内暴力に耐えられずに離婚をした」と云われている。
【本格SM趣味】
 小ネズミのSM趣味を廻る次のような証言がなされている。
 「小泉という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である。なんでも、『小泉部屋』なるSMルームを作らせ、日夜励んでいるとか。このハードSの小泉という男は、女の子のクビを絞めながらプレイするのが好きなんだそうだ。なんでも『締りがよくなるから』らしいのだが、全くもって噂どおりの変人、変態である」(「噂の真相」、ジャーナリストの二階堂豹介氏の公開日記、2003.10.3)。
 「都内の有名SMクラブ『M』に、郵政大臣時代の小泉が足繁く通っていたとの情報がある。首相に就任した後も総理公邸にSM嬢が“出張”していたともいわれる。(中略) 本誌はこのSM嬢を特定、その女性と親しい人物と接触することに成功したのだ。このSM嬢と親しい人物が語る。『彼女から小泉のことを聞いたことがあります。彼女は女王サマではなく、小泉の方がSだと聞いた』。そこで彼女にも連絡を取ってもらったが、『まだ仕事をしているし、しゃべることはできない』との返事。(後略)」(「噂の真相」2004.4別冊)。
【SM事件もみ消し疑惑】
 小ネズミのSM事件もみ消しを廻る次のような証言がなされている。
 「その小泉がいつものように女の子の首を絞めてハードSプレイをしていたある日、興奮して女の子のクビを絞めすぎてしまったらしく、女の子があと一歩で死にそうになったことがある。一命は取り止めたが、その女の子は深いトラウマに襲われて大変なことになった。どうしたかといえば、小泉という男の部下に飯島という男がいるのだが、その飯島が即刻、現金500万円を持ってその女の子のところに謝罪に行ってとりあえずは収まったとか」。
 「小泉氏は、サドの趣味があり、よく相手の首をしめてプレイするという。それで一度 死にそうに相手がなり、半死の状態になってしまった。驚いた 飯島秘書官が500万円を支払い、示談にしたことがあるという」。
【女性関係トラブル事件】
 「鈴木宗男が官房副長官だった頃、小泉に起きた女性関係のトラブルを鈴木宗男がカネで解決したとの噂、そして、そのカネの出所が官房機密費だったとの噂」(「アサヒ芸能」02.5.23)。
【芸者「小はん」変死事件】
 「小泉の愛人」と言われていた新橋芸者「小はん」が謎の自殺。かって、小泉が郵政大臣に就任する直前、彼の愛人と噂された新橋芸者(源氏名「小はん」、当時31歳で、小泉が所属した旧福田派のアイドルともいわれた花形芸者)が自宅のマンションで不可解な自殺を遂げた。自殺として処理されたが、別に悩みもなく、人気もあ り、死ぬ理由も動機などなかったという。 
 当時、この「小はん」の自殺を報じた複数のマスコミに対し、小泉は彼女との関係を否定した。しかし、「ヤジ将軍」ともいわれたハマコーは、小泉を公の席で「この芸者殺し野郎!」と罵倒したと伝えられている。真相は闇の中だが、小泉の不気味な素顔を垣間みた気にさせるエピソードだ。参考文献「噂の真相」01.8、「週刊新潮」03.1.2―9)。これについては、「小泉首相の愛人小はん変死事件考」で更に言及する。
【その他顰蹙(ひんしゅく)系噂】
●「小泉の恥ずかしい写真が出回っている」との怪情報も。(「論談:記者クラブ」02.4.22)
●小泉と親交のあった飲食店関係者との「ただならぬ関係」についての情報。(「アサヒ芸能」02.5.23)
●「小泉には愛人と隠し子がいる」との噂。(「週刊新潮」03.9.11)

【噂が真相なら国家の一大事】
 阿修羅政治10」2005.6.21日付け投稿、木村愛二氏の「追撃!『噂の真相』が断念したスクープネタ"最後の公開"!」を転載しておく。

 追撃!「噂の真相」が断念したスクープネタ"最後の公開"!!

 ファイナルワイド特集 「噂の真相」が断念したスクープネタ"最後の公開"!!

 『噂の真相』の歴史は、まさにタブーとの闘いでもあった。先に刊行した『日本のタブー』は6万5千部を完売したが、これは、マスメディアの怠慢によって『日本のタブー』が如何に深く醸成され、そのことに読者が如何に不満を感じていたかの証明でもあるだろう。

 そして、休刊にあたり、本誌はこれまで追跡取材を試みてきたものの、断念せざるを得なかったスクープネタの舞台裏事情を一挙に公開したい。これらは本誌にとってはタブーではなかったが、時間切で法廷闘争に堪えうる決定的証拠の入手に至らなかったものだ。心あるマスコミは是非、本誌の遺志をついでこれらの疑惑を検証してもらいたいとの思いで、最後の大サービスである。〈編集部〉

 小泉総理のツメ切れなかったスキャンダル 英国留学・レイプ疑惑とSM嬢との交際説

 『噂の真相』休刊にあたって心残りがあるとすれば、それは最悪の政権と化した小泉純一郎首相の数多くのスキャンダルを放置したまま、去らねばならないということだろう。戦乱の地・イラクヘの戦後初の自衛隊派兵、個人情報保護法成立、有事法制、そして肝心の構造改革の放棄――小泉首相のデタラメぶりは目を覆うばかりだからである。

 本誌は休刊号の締切り期日ギリギリまで、小泉に関するいくつもの疑惑やスキャンダルの取材を続けてきたが、遂に詰めきれることなくタイムアウトとなってしまった。

 そのひとつが小泉と右翼団体との関係だった。小泉の地元・神奈川県の産業廃棄物処理場に絡むトラブルでは、右翼団体幹部と小泉が手打ちしているといわれるツーショット写真が存在した。その問題の写真を入手すべく関係者とここ数カ月交渉してきたのだが、遂に休刊号までには間に合わなかったのだ。

 だが、こうした疑惑以上に本誌が本腰を入れ追及取材を続けていたのが、ズバリ小泉の女性問題である。

 最近になって小泉の「ロンドン大学政経学部留学」が虚偽だったとの報道が一部週刊誌で報じられているが、本誌が掴んだ小泉の女性問題とは、このロンドン留学と大きなかかわりがあった。

 情報誌などで報じられたものの、全く表面化していないといっていい小泉のスキャンダル――それが若き小泉青年によるレイプ事件だったというのである。

 ある情報提供者からもたらされたこの情報は、日本でレイプまがいの事件を起こした小泉青年が、それが表沙汰になることを恐れた当時防衛庁長官だった父・純也の意向でロンドン留学させられた、というものだった。これがもし事実だとすれば、まさに政権が吹っ飛びかねない大スキャンダルである。

 しかも、取材を進めるうちに、現在ニューヨーク市立大学教授であり、かつてハーバード大学で米国ブッシュ大統領を教え、「しょうもない学生。非常にずるがしこく相手を徹底的に利用するだけ」などとブッシュを辛辣に批判したことでも知られる霍見芳浩教授が、小泉の女性スキャンダルに触れた文章を発表していたことも判明。いわく――、

 「(小泉の)『ロンドン遊学』の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい」。

 これは本誌が得た情報ともほぼ一致する内容なのだ。

 そこで本誌は真相究明のために本格的に取材を開始した。すると小泉のハレンチ事件の舞台は日本という説の他に、ロンドンだったという情報まで浮上。しかも、その事実を英国情報機関MI6に握られ、ブレア首相まで承知しているという、国際諜報スパイ小説もどきの話まで飛び出したのだ。

 だが、本誌の追及もここまでだった。実際に日本においては警察沙汰や裁判になるなどの事件化された形跡がない上、さすがにロンドンまでは月刊誌の取材能力では及ばなかったのである。

 もっとも、小泉の女性スキャンダルについてはもうひとつ情報があった。某作家も通うという都内の有名SMクラブ「M」に、郵政大臣時代の小泉が足繁く通っていたというSM性癖説がそれで、そのうえ小泉が首相に就任した後も総理公邸にSM嬢が“出張”していたともいわれる。そしてある時、本誌はこのSM嬢(源氏名S)を特定、その女性とかなり親しい人物と接触することに成功したのだ。

 このSM嬢と親しい人物が語る。

 「(問題のSM嬢から)小泉のことを聞いたことがあります。しかも彼女は女王サマではなく、小泉のほうがSだと聞いた。彼女は小泉だけでなく、多くの大物政財界人を相手にしているから、小泉が特別な訳ではないと思います」

 そこで、当時このSMクラブを辞め、別の店にいたS嬢にも連絡を取ってもらったが、「まだ仕事をしているし、しゃべることはできない」との返事。その後も休刊号まで何度も説得を続けたが、残念ながら最後まで拒否の姿勢は変わらなかった――。

(私論.私見) 「『噂の真相』の置き土産的暴露」考

 「こうした胡散臭さを持つ小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている、という噂も流れている」とある。真偽を確かめようが無いが、もしこれが事実とすると、こういう人物を国家のトップに据えていることは一大不祥事であり、国家主権問題からも早急な対応が為されねばならないということになろう。

 2005.6.21日再編集 れんだいこ拝

【小泉首相の猥談考】
 小ネズミの猥談がネットで流布されている。真偽は不明であるが、実際の発言だとしたらあきれるしかない。
 「小泉総理のレイプ疑惑」の中から拾い出してみた。れんだいこ風に整理しなおす。(97 :無党派さん :2005/04/10)
 「疲れマラよろしくで、ビンビンだよ、ビンビン!」
 「いいなぁ、彼は。あんな美人の嫁さんと毎日マンコやれるのか。オレも精力は負けないんだけどな。若いっていいな」。 (某代議士と女優との結婚式の場での発言)
 「オレ最近、夢精しちゃうんだよね。しかも、それが相当濃いんだよな」
 「しばらくは右手が恋人」。
 「私はかつてイギリス人女性とお付きあいをしたことがあるが、(セックスの)相性はバッチリだった。実に良かった!素晴らしかった!」。(英国要人との会談の場で)
 「最近どうだ、あっちの方は。良いマンコには良い精子が宿るっていうからな。ハッハッハッ」。
 「日本の家庭では、夫婦が別々に布団を敷く。(行為が)終わったら、自分の布団に戻って寝る。それが日本の文化なんです」。(カナダサミットで。シラク首相(フ)やブッシュ大統領を前に)
 「トロというのは、太った女性のことなんだよ。太った女性のことを『マグロが寝ている』って言うだろ」(テレビの料理番組で)。

 次のようなコメントが附されている。
 こんな恥かしい品性下劣な言葉を公言する、卑しい総理大臣がかつて日本にいたことがあるでしょうか?頭が悪いのに見栄坊、スーフリまがいの元レイプ常習チンピラ学生、首絞めセックス嗜好の芸者誤殺犯人、ラブホテル経営会社の元幽霊社員で年金未納隠蔽者、女子高生コンクリート詰めレイプ拷問殺人犯たちと愛唱歌が同じ「なんてったってアイドル」を口ずさむ、頭カラッポのエロヒヒときては、 もう国民は救われません。公約を守れないことを恥じもせずに大したことではないと開き直り、いたずらっ子のような薄ら笑いを浮かべながらその場しのぎの空疎な答弁とはぐらかし絶叫しかしない姿には、質問議員が代表している背後の国民に対する姿勢などは微塵も感じられません。500万人もの北朝鮮への経済制裁発動を求める署名とそれに十数倍する国民の声なき怒りの声を前にしても、まだ空とぼけるマツタケ売国奴な汚泉不純一郎の軽薄で臆面もない破廉恥さが、子供の教育や国民の倫理観に深刻な悪影響を与えているのは間違いありません。




(私論.私見)

【週刊現代 2005/12/24号 巻頭記事】 栗本慎一郎 : 「パンツをはいた純一郎」(全文)

[ 側近として目撃した総裁選 ]

 '98年7月、小泉首相は2回目の自民党総裁選に立候補する。このときの候補者は、故・小渕恵三元首相と故・梶山静六元官房長官と小泉氏の3人。田中真紀子元外相が、「凡人、軍人、変人の戦い」と表現して流行語になった。当時、日本経済の最大の懸案が、銀行が抱える膨大な不良債権の処理だった。

「私はこの頃、周囲からは小泉側近と見られていたと思います。実際はそんなことないんですが、メディアの対応を任されていて、彼にメモを渡して、小泉がそれを棒読みしていたくらいですから。側近ということなのでしょう。
 いまから振り返っても、'98年の夏が、日本経済が自分たちの手で不良債権を処理して、曲がりなりにも経済の独立を守る最後のチャンスだったと思うんです。すでに手遅れだったかもしれないけど、少なくとも、それより後ではダメであることは間違いなかった。私は小泉に不良債権の処理について何度もメモを渡しました。ところが、他のことなら何でも私の言う通りに発言する小泉が、この問題に限っては、『栗本、それはいいから』と言って絶対にイエスと言わなかったのです。
 その頃から『おかしいな』と思っていたのですが、いまはっきりしているのは、小泉は誰かから『不良債権早期処理だけはダメだ』とクギを剌されていたんだと思います。
 結果として、不良債権処理を先送りしたことによって、長銀破綻のために公的資金が8兆円も注入され、回収された債権などを差し引くと日本国民の負担は4兆〜5兆円となりました。その長銀を買収しておよそ1000億円もの利益をあげたのが米国企業のリップルウッドです。
 当時、不良債権の断固たる処理を主張していたのは、梶山静六だけでした。ところがアメリカサイドにしてみれば、当時の段階では甘い汁を吸う準備ができていない。だから、梶山に総理になってもらっては困る。アメリカというか、国際資金資本サイドは、自分たちの都合のいいタイミングまで、不良債権処理を延ばそうとした。そのシナリオのなかで、小泉のもらった役割があったのです。
 これは鮮明に記憶していますが、総裁選投票日直前、小泉陣営が総決起集会を開いたのです。ところが、このとき集まった国会議員が94人。ずいぶん少ないなと思いました。しかし、第1回投票で小渕が1位になるのは仕方ないとしても小渕が過半数に届かず決戦投票に持ち込めば、2位・3位連合で勝てるという計算はあったのです。
 私は、不良債権処理の考え方などから、梶山に勝たせればいいと思っていたのですが、それを小泉と森が拒否したんです。拒否どころか、小泉は小渕に票を回したとしか考えられない。なぜなら、第1回投票で大差で小渕が勝ってしまったからです。小泉の得票は、決起集会の人数より少ない84票だったのです。」

[ 靖国参拝を拒否した「過去」 ]

「前ページの写真(下記URL参照─引用者)は、総裁選のさなかに私が撮影した小泉と梶山のツーショットです。このとき、私は討論番組に出演する小泉に同行してテレビ局を回っていました。梶山は小泉にさかんに話しかけるのです。『ねぇ、小泉さん、小泉さん』と。しかし、小泉はずっとうつむいて梶山と話そうとしない。梶山は小泉に不良債権処理の重要性を説きたかったんですね。しかし、小泉はまったく聞かない。その反応が変だから、梶山はなおさら話しかけるんだけど、小泉は応じない。その様子が変だから、写真には写っていないけど小渕が二人の様子を横で見ているという構図です。きっと小泉は後ろめたかったのです。
 なぜなら、総裁選で小泉は梶山を裏切り、その後梶山は政治的な影響力を失って寂しく死んでいくわけですから。
 梶山は小泉に潰されたんです。しかも、当時梶山が主張していた内容は、『いま不良債権の処理をやらなければ日本はダメになるよ。改革しなければ前に進めませんよ』というものです。
 後で小泉が総理になって言っていることを、小泉はこのとき断固、拒否したんです。
 結果的に不良債権処理を先延ばしして一番得をしたのがアメリカだった。これで小泉のご主人様が誰なのかはっきりするでしょう。
 その後、竹中平蔵(現総務相)が小泉のブレーンになって不良債権処理の旗振り役になりましたが、竹中のご主人様もアメリカですよ。つまり、アメリカがゴーサインを出したから、不良債権処理を進めただけの話です。
 靖国神社参拝問題で、小泉は中国、韓国の怒りを買っていますが、靖国神社に対して、彼は何も考えていないですよ。私はかつて国会議員として『靖国神社に参拝する会』に入っていた。そこで、小泉に『一緒に行こうぜ』と誘ったのですが、彼は来ない。もちろん、靖国参拝に反対というわけでもない。ではなぜ行かないのかといえば『面倒くさいから』だったのです。
 ところが、総理になったら突然参拝した。きっと誰かが、『靖国に行って、個人の資格で行ったと言い張ればウケるぞ』と吹き込んだのでしょう。で、ウケた。少なくとも彼はそう思った。
 それに対して、中国、韓国が激しく抗議するものだから、彼は単純に意地になった。批判されるとますます意地になる人がいますが、彼はまさにそのタイプです。だから、中国や韓国がこの問題を放っておけば、小泉も靖国参拝をやめますよ。もし私が中国、韓国の首脳なら、靖国のことなんか忘れたふりをして、「いい背広ですね」とか、関係ない話をする。そうしたら、次の年には行かなくなりますよ。小泉は、その程度の男なのです。こうして彼は自意識の劇場を演じているのです。
 こんな男がこの国の総理です。注意すべきではないでしょうか。」 インタビュー・宮崎学