小泉政権史考

 (最新見直し2006.7.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 稀代のタワケ、フランケンシュタイン小泉政権がまだ徘徊している。れんだいこは、「真紀子外相罷免時の逆裁定」の際に最終的に見限った。それまでは、繰り出す文言にそれなりのコマーシャル効果があったからである。しかし、政権産みの親に当たる真紀子に対して示した足蹴りを見て、れんだいこはキレタ。かような御仁を首相職に据えて置く訳にはいかないと確信した。

 しかしながら、頓馬な者が多い。その後も小泉流コマーシャルを信じ続けている者がいる。それは自由だから敢えて批判はしないが、そういう連中とは会話が通じないのは致し方ない。ここら辺りで小泉政権の歩みを検証し、れんだいこ式総括をしておく。

 2005.4.23日 れんだいこ拝


 れんだいこは、2002.5.5日現在として次のように述べている。

 小泉政権の本質規定を為す必要を認めるが、恐らくもう末期であるからして歴史家に任せたい。実践的には内閣打倒へ向かう為に叡智を寄せるほうが効率的だろう。そこで、目下上程されている「目白押し案」の解析を急ぎ、小泉内閣の軽佻浮薄性を浮き彫りにすることにする。

 これを列挙すると次のようになる。(2002.5.5日現在)
有事関連三法案 「武力攻撃事態法案」 5.7日より衆院特別委員会で審議開始。
「自衛隊法改悪案」
「緊急安保会議法案」
メディア機制三法案 個人情報保護法案 藤井昭夫・内閣官房内閣審議官 4月25日に衆議院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、内閣委員会に付託された。
人権擁護法案 人権擁護法案は、今年3月に国会提出され、参議院先議となり、4月24日、参院本会議で趣旨説明と質疑が行われた。
青少年有害社会環境対策基本法案 自民党によってすでに条文化され、国会に提出されようとしている。
道路関係4公団の民営化推進委員会設置法案 既に参院で審議中
郵政関連法案 既に衆院委員会で審議中
あっせん利得処罰法改正案 与野党がそれぞれ提出済み

 今回の各種法案は、いわば「内堀埋め法案」である。これに先立つ「外堀埋め法案を見ておくことにする。今後予定されている各種法案は次の通りである。(以下、略)

(私論.私見) 小泉政権はいつまで続くのか考

 れんだいこは、2002.5.5日現在において「恐らくもう政権末期」として見立てている。この予想は外れ、小泉政権はまだ存続している。これをどう窺うべきだろうか。

 2005.4.23日 れんだいこ拝


れんだいこ節、年頭の辞 れんだいこ 2003/01/01
 謹賀新年お慶び申し上げます。本年も「左往来人生学院表・裏板」は紅い気炎を吐き続ける覚悟です。ご愛顧、ご利用の程切にお願い申し上げます。心なしか年末の紅白もマンネリのっぺら化しつつあり、我が社会を象徴しているかに思います。これに棹差す同人がここより出でて他所でも活躍されんことを。

 恒例にしたきれんだいこ節、年頭の辞を以下書き付けて見ます。
 
 今や我が国の社会全体が痴呆症を通リ越して寝たきり老大国化しつつある。欧米は、所詮イエローの成り上がりが自滅しただけさと嘯くであろうが。困ったことに我が政界にはカエルの面にションベンで、今や利権モルヒネのせいか無痛でさえある。党首討論の漫談ぶり、国会質疑の建前論議を見よ(というてもれんだいこも見てないか)。年末には熊谷グループの政界遊泳があったが、こんなのが相応しいのかな。

 今年の動向を読むのに、所詮自分の懐が痛む訳でもなし、万事新札刷って賄え論で歩を進めていくだろう。もはや真の意味での構造改革なぞ出来やしない。こうもオールドシティボイズとギャルズばかりが上層部に巣くった以上何もできやしない。エエこと云うのが精一杯で、責任もってやりなはれなどと云われたらリンダ困っちゃうてなところだろう。そのうち議事堂内へ新進駐軍を手招きし始めるだろう。

 大衆税金は各方面からジリジリ値上げされ、公共事業の抑制により次第にジリ貧傾向に陥り、その癖軍事費は野放し傾向で、今度はイラクまで遠征するみたいで、天下りは却って増える傾向、官庁改革に至っては今更何を云うかてなところだろう。

 そういう社会に相応しきかな、我らが小泉君がかように年頭の辞を述べている。経済政策について、「不良債権処理を加速させる」、「産業を再生させる」、「デフレを抑制させる」。「それらの政策強化を通じて、改革路線を確固たる軌道に乗せる」。北朝鮮との関係では、「拉致事件の被害者や家族の支援と真相解明に努める」。毎年同じセリフでほんまにエエことばかり云うなぁこの御仁は。

 他方、全ては小ブッシュさんのシナリオ通りにますますその道へ分け入る決意らしい。「米韓両国と連携した核開発問題の解決に向けた努力を粘り強く積み重ねていく」、「国際社会の一員として、世界の平和と安定に貢献する積極的な外交を展開していく」だと。中曽根ドクトリンを思い出すわな。

 タカ派の素性とはどうやら、戦前は天皇に戦後はアメリカに擦り寄り、御身安泰を図る機会主義者というところが当たりで、それでは味気ないのかとってつけたような靖国詣でで世間を誑かすのが芸らしい。

 「経済を再生し、自信と誇りに満ちた日本社会を築いていくために、本年も揺るぎない決意で改革を進める」、「日本には大きな潜在力がある。改革こそが潜在力を発揮させる」、「厳しい情勢が続くが、改革に全力を尽くし、国政に邁進(まいしん)する決意だ」と述べたともある。

 誰かに入れ知恵されているのだろうが、無内容なまさに中曽根式美文調であるわな。大角三福時代には「カンナクズ」的香具師口上として嫌われたが、今やみんな背丈が低くなったのでこういうセリフにうっとりするのかな。

 ジャーナル精神無きマスコミ人は、エエこと云うとるからもう二、三年やらしてみよう、などと阿諛追従を今年も続けるのだろうか。それとも石原はんに任せて見ようなどと云い始めるのかな。そう云えば当人はウォーミングアップしているらしい。早くもおべんちゃらの声さえ聞こえてくるが、もはや悲劇というより喜劇ですわな。

 話を戻す。小泉はんを評すれば、要するに何を為すべきか全く分からない御仁だから、日延べセリフを繰り返しているだけに過ぎないのだが。まっ我が社会がかような姿だからしてそのトップとしてお似合いなんだろう。既に字面で誤魔かさせられる手合ばかりになり、結構毛だらけ猫灰だらけのイエスマン社会になったとすれば、れんだいこも処世術上これに合わせておこうなんちゃって。

 稀代のタワケ小泉政権を倒閣せよ!
 稀代のタワケ小泉政権は、今や完全に書未期限切れで、唯一米英ユ同盟の後押しでのみ首が繋がっている。こたびの参院選は、日本人民の総意思としてこの売国奴の無様な姿を晒させねばならない。まもなく、それでも政権に固執しようとする一層惨めな姿が確認されることになるだろう。

 れんだいこは思う。小泉政権発足後の全ての法案を凍結し、総見直しで洗い直さねばならない。小泉政権の一挙手一投足を俎上に乗せ、犯罪が構成されるなら訴追せねばならない。なぜなら、このレイプ政権は尋常ではなく、許されざる一線を踏み越えてその先ではしゃぎまわったからである。我が国は法治国家である。故に、法治主義によって裁かれねばならない。

 れんだいこのこの感覚を異とする者は、小泉政権の悪行に対して鈍感過ぎる。れんだいこは、戦後史上、中曽根政権のそれに勝る一切合財がタワケ政治であったと確認している。この怒りは私的なものではなく公憤である。故に、政権から追われただけでは済まされない。政治責任というのはそういうものである。

 2004.6.27日 れんだいこ拝

【小泉政権の歩み】
 2001(平成13)年
4.24  自民党総裁選で小泉純一郎が3度目の挑戦で当選。この時、「改革には必ず抵抗勢力が出てくる。その戦いは今日から始まっている」の弁有り。
4.26  小泉自民党総裁が第87代内閣総理大臣に就任、小泉第1次内閣発足。外相に「政権産みの親」田中真紀子氏を起用。
5.23  ハンセン病訴訟で控訴見送り。
7.29  第19回参院選。自民党が9年ぶりに開戦過半数獲得の64議席確保で大勝。
8.13  小泉首相が就任後初の靖国神社参拝。この時、「口は一つだが、幸い耳は二つ持っている。虚心坦懐に熟慮に熟慮を重ねて判断した」の弁有り。
9.11  米国で同時多発テロ発生。
10.8  訪中。江沢民国家主席と首脳会談し、不戦の決意を表明。
10.21  上海でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれ、小泉首相と江沢民国家主席と首脳会談が再度首脳会談。
10.29  アメリカ同時多発テロの影響で、テロ対策特別措置法成立。
11月  テロ対策特別措置法を公布。
12.14  福田官房長官が、新たな追悼、平和祈念施設建設を検討する私的諮問機関の設置を発表。

 2002(平成14)年  

1.29  田中真紀子外相更迭。
4.8  加藤紘一元自民党幹事長が政治資金流用疑惑等の引責で議員辞職。
4.12  中国の海南島で、ポアオアジアフォーラムが開かれ、小泉首相が基調演説し、「中国の経済発展を脅威と見る向きも有るが、私はそうは考えない。むしろ日本にとって挑戦であり好機である」と述べ、歓迎される。朱よう基首相と会談。
4.21  小泉首相が春季例大祭に合わせて二度目の靖国神社参拝。中国側との事前調整せず。
4月  小泉首相実弟に口利き疑惑(コンステレーション疑惑)発覚。
6.19  斡旋収賄容疑で鈴木宗男議員が逮捕される。
7月  郵政公社化法成立。
7月  小泉首相の献金強要疑惑発覚(朝日新聞)。
9.17  小泉首相が北朝鮮を電撃訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談。「日朝平壌宣言」調印し、日朝共同声明発表。この時、「諸懸案の解決を確かなものにするためにも、正常化交渉の再開が適切と判断した」の弁有り。
9.30  小泉改造内閣発足。
10.15  北朝鮮の日本人拉致被害者5人の帰国に成功。

 2003(平成15)年
1.14  小泉首相が三度目の靖国神社参拝。
1.23  衆院予算委で、国債発行額30兆円枠の公約を守っていないではないかとの追求に対し、「この程度の約束を守れなくてもたいしたことではない」と発言し、物議をかもす。
1月  ブッシュ大統領が、一般教養演説で、「フセインは大量破壊兵器を製造維持している」と述べ、イラク戦争の大義としてトレーラー型生物兵器製造施設、アルカイダとの関係を挙げた。後に、いずれも「証拠はない」(米調査団04年10月)とし濡れ衣であったことが明らかになった。ブッシュ自身が08年12月に米テレビで「大統領在任時の最大の痛恨事は、イラク情報の誤り」と語る。
3.18  小泉首相がイラク戦争2日前のこの日、閣内議論を経ぬままに記者会見で「イラク戦争を支持する」と述べた。谷内官房副長官補の入れ知恵であつたことが後に判明する。
3.20  米国がイラク攻撃を開始する(イラク戦争開戦)。
4月  福井市のパナウェーブ研究所(上部組織は宗教団体「千乃正法会」の千乃裕子(本名・増山英美)会長)による白装束騒動発生。スカラー波攻撃から地球を守る云々。
5.23  個人情報保護法が可決、成立。
6月  有事関連3法を公布。
7月  イラク復興特措法成立。
8月  イラク特措法を公布。
8.20  自民党総裁選で、小泉首相が再選される。
9.22  小泉再改造内閣発足。党幹事長に安倍晋三氏を起用。
11.9  第43回総選挙。自民敗北、与党3党で安定多数維持。
11.19  第88代首相に選出される。第2次小泉内閣発足。
11.20  日本道路公団総裁に近藤剛参院議員を起用。
11.29  イラクで、二本人外交官2名が殺害される。
12.22  道路公団民営化推進委員会の主要委員が辞任。改革は中途半端に終わる。
12月  自衛隊のイラク派遣を決定する。

 2004(平成16)年
1.1  小泉首相が四度目の靖国神社参拝。
1.26  陸上自衛隊のイラク・サマワへの派遣命令を決定。
1月  「飯島首相秘書官が『息子のために』補助金一億円!」(「週刊文春」1.29号)。
3.31  ジャーナリストの木村愛二氏が小泉首相を被告とする「小泉レイプ疑惑訴訟」を提訴する。
4.8  イラクで、日本人3名の人質事件が発生する(「イラク日本人人質事件」)。謎の武装集団が「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも、「テロには屈しない」として断固拒否。小泉政権周辺が、「自己責任論」を打ち出す。その後、人質3人は無事に解放される。さらに2人が拉致されるが同様に解放される。
5.7  福田康夫官房長官が“年金未納”の責任を取って辞任。小泉内閣7閣僚に“年金未納”が発覚するものの、辞任せず。
5.14  5.17日発売の「週刊ポスト」が報じる前に飯島首相秘書官が会見を開き、小泉首相に約6年8箇月の年金未納期間があったことを明らかにした。同日、小泉首相は22日に訪朝することを発表した 。
5.22  再訪朝し平壌で金正日総書記と会談。北朝鮮に対する25万トンの食糧及び1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表。5人の拉致被害者の家族の帰国を実現。拉致被害者の家族が帰国(曽我ひとみさんの家族帰国は7月)。
5.28  朝鮮総聯第20回全体大会に対して歴代首相、自民党総裁として初めて祝辞を贈った。
6.2  衆院決算行政監視委員会で、勤務実態がない不動産会社の厚生年金に加入していた疑惑を追及され、「人生いろいろ、会社も色々、社員も色々だ」と開き直り、物議をかもす。
6.14  小泉首相、平野貞夫議員に「レイプ疑惑」を国会で追及される。
6月  道路公団民営化法成立。
7月  「小泉首相の選対本部長は元暴力団」(7.9日号FRIDAY)。
7.11  参院選で、自民党の獲得議席が49議席にとどまる。自民党が民主党に僅差で敗れるも政権維持を表明。
9.27  第2次小泉改造内閣発足。党幹事長に武部勤・氏を起用。
10.18  小泉首相に政治資金疑惑発覚(毎日新聞)。国会で追及され、答弁が二転三転。
11.10  中国の原子力潜水艦が日本領海を侵犯。海上警備隊に行動発令する。
11.10  党首討論で、「非戦闘地域」の定義を、「自衛隊が活動しているところが非戦闘地域だ」と答弁し、物議をかもす。
10月  再びイラク日本人人質事件。イラク聖戦アルカーイダが「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも、「テロには屈しない」として断固拒否。その後、人質は殺害される。
12.9  イラクへの自衛隊派遣の1年延長を閣議決定する。

 2005(平成17)年
1.21  通常国会召集。施政方針演説で、郵政民営化断行の決意表明。「改革断行は私の本懐とするところだ」の弁を残す。
3.27  フランスのジャック・シラク大統領と首脳会談。大統領は日本の常任理事国入りに賛成。
4.4  政府が郵政民営化関連法案の骨格を閣議決定する。
4.9  中国の北京で、反日デモ。日本大使館の窓ガラスが破損させられる。
4.23  中華人民共和国の胡錦涛国家主席と首脳会談。反日暴動については互いの意見が噛み合わずに終わる。
4.24  衆院統一補選で、山崎拓・氏ら自民党候補が民主党候補に競り勝つ。
4.26  政権5年目に入ると同時に、旧首相官邸を改築した新公邸に引っ越す。
4.27  郵政民営化関連法案を国会に提出。
7.5  郵政民営化関連法案が衆議院本会議で可決される。
8.8  郵政民営化関連法案が参議院本会議で否決。衆議院解散を閣議決定し、署名を拒否した島村宣伸農林水産大臣を罷免・自ら兼務する。同日、憲法7条に基づき衆議院を解散。小泉はこの解散を「郵政解散」と命名。
8.11  兼務していた農林水産大臣に後任を起用。
8.15  1995年に発表された戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話を踏襲した小泉首相談話を発表し、第二次世界大戦中に行われた日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配を謝罪した。戦争謝罪の談話を発表した首相は村山富市以来。
9.11  第44回衆議院議員総選挙において、自民党が296議席獲得。与党で327議席の歴史的大勝。
9.21  第89代内閣総理大臣に就任。第163回特別国会で、衆・参両議院の本会議の首相指名選挙が行われ、自民党の小泉純一郎総裁が第89代内閣総理大臣に指名された。その後、宮中での親任式において伊藤博文総理大臣以来89代目(56人目)の内閣総理大臣として任命された。小泉総理は、昨年9月に行った内閣改造の閣僚をすべて再任して第3次小泉内閣の組閣を行い、初閣議の後、記念撮影を行った。
10月  郵政民営化法成立。
10.31  第3次小泉改造内閣発足。

2006(平成18)年
8月

 終戦記念日に靖国参拝

9月  小泉内閣総辞職
 小ネズミは、清和会内部でも基盤が弱く、むしろ異端。首相辞職後、清和会に戻っても、派閥の長となれる可能性は現時点で低い。

Re:れんだいこのカンテラ時評195 れんだいこ 2006/07/31
 【成田教授の小泉政治高評価論を嘲笑する】

 2006.7.31日付け日経新聞「経済教室」の成田憲彦・駿河台学教授の「政策決定過程変えた経済諮問会議 次期政権も活用の道探れ」が、れんだいこには按配の良い格好の叩き台としての小泉政権論教本となっているので、これにコメントしておく。

 全体を素読してみて、マキャべりの「政治家(君主)には、ヴィルトゥー(技量や力量)とフォルトゥーナ(運)が必要だ」の言辞のみが、れんだいこの知の欲求に応えた。後は愚の骨頂見解を聞かされる羽目になった。現代知識人のレベルの位相が分かり暗澹とさせられた。成田教授は、小泉政権をどう評しているのか。見出しである程度知れるが、小泉政権の継承を呼びかけている。

 現代政治が少しはましなものであったなら小泉政権など有り得なかったし、有り得てならず早急に退陣に追い込むべきであったが、成田教授の如くなエピゴーネンがうろつくので今日まで5年有余の政権在任期間を記録させることになった。現代政治学が少しはましなものであったならかく認識すべきであろうが、残念なことである。

 成田教授はどういう脳の加減をしているのか、小泉首相の構造改革論や自民党変革論や諮問会議活用論がえらくお気に入りらしい。この場合、成田教授が言葉のみを評価して惚れているのか、小泉政権の内実まで含めて酔わされているのか分からない。いずれにせよ、成田教授の自民党論そのものが陳腐過ぎるので、そういう見立てになるのだろう。

 成田教授は次のように述べている。
 「従来自民党を支えた政治原理は二つある。一つは戦後世界の米ソの冷戦構造が国内政治に反映した保守対革新の対立図式に於いて、保守の側に立つ政党であるということ云々」。

 成田教授よ、実証的に見て、日共式の「保守対革新論」のウソを衝くのが政治学だろうに、何を証拠にそういう安易な見解に乗っかかっているのだ。れんだいこの見立てによれば、社共の方が保守で自民党内ハト派系の方が革新的というかプレ社会主義的な政治と政策を採ってきたように見えるが違うかな。

 成田教授は次のように述べている。
 「高度経済成長の恩恵は全国に行き渡り、これによって総中流化が実現した。自民党は戦後日本で豊かさと格差の縮小の同時達成という奇跡に近いことを成し遂げたのである。それが、自民党の歴史的功績である」。

 成田教授よ、お前のこの言辞は素直である。但し、「自民党の歴史的功績である」とするのではなく、「ハト派対タカ派の抗争と連立から成り立つ自民党に於けるハト派の歴史的功績である」と云いかえればなお良い。こう見立てずに、何故自民党を一色で見ようとするのか。左派がこういう安直な見立てをするが、そういう履歴でもあるのかお前は。事実は、ハト派対タカ派の競合政治こそ自民党のダイナミズムで、与党責任政治に与ってきた、そこに日本の幸せがあったのではないのか。

 成田教授は次のように述べている。

 「こういう状況下、80年代の世界各国の政策のモデルになったのは、英米の政策であった。英米では石油ショックによって戦後の経済成長が失われると共に、財政赤字の増大に直面してレーガノミックスやサッチャリズムなどの政策が実施された。日本でも中曽根改革が行われたが、英米に比べて微温的なものにとどまり、課題はその後の歴代政権に引き継がれたものの、十分には成し遂げられてこなかった」。

 成田教授よ、お前の見立てはここでウソをついている。76年のロッキード事件を境に、80年代初頭の中曽根政権の登場によって、戦後政府自民党のハト派が掣肘され、タカ派が横行していくにつれ、日本は変調の道を歩み始めた。中曽根がその先鞭水路をつけた。

 軍事費の国民総生産1%の枠を外し、土光臨調の行財政改革の苦労を水泡に帰せしめた。英米の財政赤字の増大路線を真似して、その後の財政赤字の道筋をつけた。「日本でも中曽根改革が行われたが、英米に比べて微温的なものにとどまり」などと述べるのは、ウソこくなと云われねばならない。

 こういう風に見立てるから、次のように延べることになる。
 「完璧とはいえないものの、歴代政権に比べ、これを大幅に実現したのが小泉政権である。なぜ小泉政権で可能だったかと言えば、一つは首相のパーソナリティー、今ひとつは首相が自民党の一匹おおかみで、その分配の政治に染まってこなかったからである。加えて小泉首相には、改革を可能にする二つのツールが用意されていた云々」。

 成田教授よ、小泉政権5年有余は一体何をしたのか。戦後ハト派政治が築き上げた世界に誇るプレ社会主義政治の遺産を破戒することに興じただけではないのか。議会政治手法も党内積み上げ議論方式も年金も医療も奨学金も公共事業も防衛の歯止めも悉く解体せしめた。

 代わりに、靖国神社への揉め事起こすように起こすような参拝、自衛隊の武装派兵、緊縮財政の割には米英ユ同盟いいなりの大盤振る舞い、イスラエル一辺倒外交、民営化と云う名のハゲタカファンドへのビジネスチャンスの大提供等々をもたらした。

 その要因として、「パーソナリティー、一匹おおかみ」を挙げるが、今となっては美談ではなく、逆に「変人パーソナリティーは駄目、一匹おおかみは駄目」と歴史的総括すべきではないのか。我々は今、小泉政治に、現代世界を牛耳る国際金融資本のエージェントとして送り込まれた政治の典型を認めるべきではないのか。れんだいこは、成田教授が褒め上げている当のものを批判している。見解が全く違うということだ。

 成田教授は、小泉首相を次のように激賞している。

 「マキャべりは、政治家(君主に)は、ヴィルトゥー(技量や力量)とフォルトゥーナ(運)が必要だと説いたが、近年の政治家では小泉首相が最もこの基準を満たしている」。

 成田教授よ、マキャべり大先生が居たら、小泉なんてそういう人材では違うわいと憤然として云うと思うぞ。お前の見解はここでも陳腐過ぎる。ちなみに、小泉の運のよさは、何でも云うことを聞く都合の良い首相であることに味をしめた背後のネオ・シオニズム勢力がマスコミ総動員で無茶苦茶報道しながら意図的に作り上げたものであろうが。マキャべりの云う運とは違う。お前は学者には致命的な「字面、掛け声に弱すぎる」。

 こういう按配だから、成田教授が継承を呼びかける経済財政諮問会議の評価も、れんだいことは真反対になる。成田教授は次のように云う。

 「諮問会議は、首相の諮問に応じ、経済、財政、予算編成の基本方針や経済財政政策の重要事項を審議し、答申・意見などを提出する機関で、首相を議長に、現在5閣僚、日銀総裁、そして4人の民間議員から構成されている。その特徴は、経済財政の重要事項、即ち国政のほとんどの事項が網羅可能な首相主宰の合議機関であること、相当数の民間議員を含むことなど多々あるが、最大の意義は同じく橋本行革の成果の重要政策の基本方針に関する首相の閣議への発議権とあいまって、国政運営に関する首相のリーダーシップを担保することにある云々」。

 これを甲論とする。

 「筆者は、議院内閣制のもとでの諮問会議は、制度論的にはある意味『異端』の政策機関だと思っている。経済財政政策の重要事項は、本来閣議で審議されるべきである。それを閣僚の一部の実と、国民から選ばれているわけではない民間議員が構成する諮問会議で審議するのは、正統性の点で問題が残るといえる云々」。

 これを乙論とする。

 成田教授よ、甲論は「官邸政治という政治の私物化」を説いたものであり、乙論はそれを批判したものである。お前は、上述の甲論乙論のどちらが望ましいと考えているのか。成田教授よ、「官邸政治という政治の私物化」は歴史の歯車の逆行ではないのか。なぜそれを賛美するのか。「諮問会議が日本の政策とその決定過程を変えた」のは事実だが、それを「功績は小さくない」と考えるか「国際金融資本におあえつらえの愚作」と考えるのかが問われている。

 成田教授よ、「その意味では諮問会議、特に民間議員の使い方は、新首相の政策志向を占う試金石にもなる」と結ぶが、日本をもっと国際金融資本の云うことを聞く方向に向かって努力せよ、ということか。売国亡国傀儡政治方向を煽るお前は何ものぞ。何の教授か知らんが気楽な稼業し過ぎてやいないか。それとも元々脳が足りんのか。

 2006.7.31日 れんだいこ拝

 ※週刊ポスト2019年5月17・24日号、聞き手/武冨薫・ジャーナリスト「小沢一郎氏が小泉政権を回顧 「公権力で政敵をやっつけた」」。
 2001年4月、総裁選で「自民党をぶっ壊す」と宣言、旋風を巻き起こして誕生した小泉(純一郎)内閣。2005年、自民党内の造反で郵政民営化法案が否決されると、小泉氏は衆院を解散、造反議員に刺客候補を立てる劇場型の選挙戦で圧勝する。自民党の体質を知り尽くす小沢一郎氏が、“異形”だった小泉政権の内情をインタビューで振り返った。(聞き手/武冨薫・ジャーナリスト)
武冨  党内の合意形成を重視する従来の自民党の政治手法は、小泉内閣からトップダウンに変わった。
小沢  権力を掌握すると、何が何でも権力を維持したいという権力欲が生まれるのはいつの時代も同じです。ただ、手法として、小泉さんは今までの自民党のリーダーと違った。ものすごく政治感覚はいい男だから、パフォーマンスが派手だった。うまいんですよ、党内の人心じゃなくて、大衆の心を掌握するのがね。
武冨  小泉政権は政敵の加藤紘一、鈴木宗男、橋本派が次々に検察に標的にされたことで党内基盤が固まった(*注)。
小沢  結果として、政敵をやっつけた。公権力を自分の権力の維持のために使ったということ。今の安倍晋三君なんて権力維持のために、プライベートであれ何であれ、全部公権力を使う。小泉さんは自分のプライベートに使ったわけではないけど、敵をやっつけるためには使ったね、容赦なしに。
武冨  そうした力の使い方は自民党的か。
小沢  自民党的ではない。自民党はどちらかと言うと、和を以て貴しとなす。その中で、(ロッキード事件の時の首相で田中角栄逮捕にゴーサインを出したとされる)三木武夫という人はちょっと違いました。だからバルカン政治家なんて呼ばれたわけです。
武冨  保守本流であれば、そういう権力の使い方はしない?
小沢  しない。田中角栄もしなかった。あれだけの勢力を持っていながら。結果的に小泉時代に自民党は変質しました。

【*注/2002年に加藤は金庫番だった秘書の脱税事件で議員辞職。同年、鈴木は製材会社やまりんをめぐるあっせん収賄容疑で逮捕。さらに2004年に発覚した日本歯科医師連盟による迂回献金事件では、不起訴となったものの橋本龍太郎は橋本派会長辞任、同派の幹部だった村岡兼造が有罪判決を受けた】






(私論.私見)