石原慎太郎論

 (最新見直し2012.10.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、石原慎太郎を考察する。

 2012.10.29日 れんだいこ拝


【石原慎太郎履歴その1】
 ウィキペディア石原慎太郎」その他を参照する。
西暦 和暦 摘要  出来事の内容
1932 昭和7 出生  9.30日、兵庫県神戸市須磨区に、海運会社山下汽船に勤める石原潔・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県の長浜町に生まれ、旧制宇和島中学 (現在の宇和島東高校) を中退し山下汽船に入社した。店童 (てんどう) あがりだったにもかかわらず、最後は関連会社の重役にまで出世した。母・光子は広島県厳島の出身。なお石原自身は神奈川県を出身地としている。
1934 昭和9  12.28日 、弟・裕次郎が生まれる。
1936 昭和11 小樽市に転居  6月、 父が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。小樽藤幼稚園卒園し稲穂国民学校に進学する。
1943 昭和18 逗子市に転居  2月、 父が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
1945 昭和20 湘南中学  4月、神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。サッカー部に所属する。
1949 昭和24 校風に反発  立身出世主義的な校風に反発し、胃腸の病を口実に1年間休学(不良少年)。休学中は文学・美術・演劇・音楽・映画に耽溺し、フランス語を学習。
1951 昭和26 父の急死  10月、 父が脳溢血で急死。山下近海汽船社長二神範蔵から一橋大への進学と、当時できたばかりの公認会計士の取得を強くすすめられる。
1952 昭和27 一橋大学法学部入学  4月、一橋大学法学部に入学。柔道部、サッカー部に入部する。簿記や会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いていないと悟り公認会計士になることを断念する。一橋大学では社会心理学の南博ゼミに所属する。
1955 昭和30 結婚  12月、 当時18歳だった石田由美子 (後に典子と改名) と結婚。
1956 昭和31 「太陽の季節」  1月、 大学在学中に文壇デビュー作である「太陽の季節」(新潮社)により第34回芥川賞を当時史上最年少の23歳3カ月で受賞、ベストセラーとなる。その後、「太陽の季節」が日活で映画化され、弟・裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たし、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行する。映画「太陽の季節」が公開された際、登場人物が強姦・不純異性交遊等を行う反社会的内容から映画を見た青少年への影響が取りざたされ、映画倫理委員会 (通称、映倫) が作られる契機となった。
一橋大学法学部卒業  一橋大学法学部を卒業。
1957 昭和32 長男・伸晃誕生  4.19日、 長男・伸晃が誕生。
1958 昭和33 「若い獣」  東宝で映画「若い獣」の監督を務める。
「若い日本の会」  大江健三郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
「狂った果実」  この年、弟の裕次郎を世に送り出すことになった自作の映画化「狂った果実」で脚本を担当する。東宝映画「若い獣」で初監督を務める。
1960 昭和35 南米横断  隊長として、南米横断1万キロ・ラリーにラビットスクーターで参加。
1962 昭和37 次男・良純誕生  1.15日、次男・良純が誕生。
1963 昭和38 「狼生きろ豚は死ね・幻影の城」  3月、「狼生きろ豚は死ね・幻影の城」を新潮社より出版。
1964 昭和39 三男・宏高誕生  6.19日、 三男・宏高が誕生。
1966 昭和41 四男・延啓誕生  四男・延啓が誕生。
1967 昭和42 ベトナム戦争取材  読売新聞社の依頼でベトナム戦争を取材。

【石原慎太郎履歴その2】
 ウィキペディア石原慎太郎」その他を参照する。
西暦 和暦 摘要  出来事の内容
1968 昭和43 参議院選に初当選  7月 、ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、第8回参議院議員通常選挙に自民党から全国区に出馬し、史上初の300万票得票でトップ初当選。2位青島幸男、3位上田哲。政治家への転身以降、発表する作品数は減ったものの現在に至るまで一貫して創作活動を行っている。
田中幹事長室乗り込み  参院全国区トップ当選した石原が新調の議員バッジをつけ初登院し田中幹事長室に乗り込み、威勢良くこうブチ上げた。「自民党の広報活動はなっていない」、「自由新報の編集はなっていない」、「自民党本部の職員は削減すべし」。黙って聞いていた田中は、一言次のように言った。「君の話は分かった。しかし、人間は木の股から生まれてくるのではない。人には歴史がある」。
1969 昭和44 「スパルタ教育」  11月 、「スパルタ教育」を光文社より出版。70万部売りあげる。
1970 昭和45 「化石の森」  長篇「化石の森」(新潮社)を書下ろし芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
1972 昭和47 参議院議員辞職  11.25日、参議院議員を辞職。
衆議院選に当選  12.10日、衆議院に鞍替え出馬し旧東京2区から無所属で出馬して衆議院選挙に当選。後に自民党に復党。以後当選8回。
1973 昭和48 「青嵐会」結成  7月、 渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成する。
1975 昭和50 衆議院議員辞職  3.18日、 衆議院議員を辞職。
東京都知事選挙落選  4.13日、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。
美濃部亮吉 2,688,566 無所属、(推薦)社会・共産・公明
石原慎太郎 2,336,359 無所属、(推薦)自民
松下正寿 273,574 無所属、(推薦)民社
赤尾敏 12,037 大日本愛国党
秋山祐徳 3,101 無所属
1976 昭和51 衆院選に当選  12..5日、 衆院選に出馬し当選、国政に復帰する。(同区で民社党新人大内啓伍も当選)。
環境庁長官就任  12.24日、福田赳夫内閣 (改造)が発足し環境庁長官に就任する。
1981 昭和56 海上自衛隊飛行艇利用  弟の裕次郎が倒れた際に小笠原諸島から海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京し、公私混同として問題になる。燃料代は160万円かかっていた。
1983 昭和58 自由革新同友会代表就任  自由民主党の派閥、自由革新同友会を継いで代表就任、後に清和会へ合流。黒シール事件によって野村秋介より抗議を受ける。
1987 昭和62 弟・裕次郎が死亡  7.17日、弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去 (52歳) 。
運輸大臣就任  11.6日、竹下内閣で運輸大臣に就任。
1988 昭和63 「漁業施設がヨットに危険」  4.8日 、「漁業施設がヨットに危険」と発言し、海上保安庁に漁業施設を総点検させる。
「生還」  「生還」(新潮社)で平林たい子文学賞を受賞する。
1989 平成元 「NOと言える日本」  1月、「NOと言える日本」を盛田昭夫と共著で出版(光文社)。125万部を売りあげる。
自民党総裁選落選  8.8日、 亀井静香・平沼赳夫・園田博之らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す河本派の海部俊樹に敗れる。
「宗教法人オウム真理教」後援  8月、オウム真理教が東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。東京都は頑なに認定を拒否し続けていたが、運輸大臣・石原慎太郎の根回しがあったと云われている。
1990 平成2 長男の伸晃が衆院選に初当選  2.18日、 第39回衆議院議員総選挙が旧東京4区で長男の伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
1992 平成4 三島由紀夫賞選考委員  三島由紀夫賞選考委員を務める。1999年まで。
1995 平成7 地下鉄サリン事件  3.20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
衆議院議員辞職  4.14日、 国会議員在職25年表彰の場で、国会演説で突然の衆議院議員辞職を表明(最初の地盤継承者は栗本慎一郎)。
「ハマコーの非常事態宣言」  7月、「ハマコーの非常事態宣言」(主婦と生活社)の中で、石原が山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判されている、とある。
芥川賞の選考委員  この年から芥川賞の選考委員を務める。2012年まで務める。
1996 平成8 「弟」  弟の石原裕次郎をテーマに「弟」(幻冬社)を発表。約120万部を売り上げ、毎日出版文化賞特別賞を受賞する。
隠し子問題  この年、週刊誌「FRIDAY」で隠し子問題がスクープされている。
1998 平成10 「法華経を生きる」  「法華経を生きる」(幻冬舎)を出版し33万部売りあげる。
1999 平成11 「国家なる幻影」  1月、「国家なる幻影」(文芸春秋社)を出版する。
東京都知事選に当選  4.11日、 1999年東京都知事選挙に「東京から日本を変える」をスローガンに掲げて出馬する。立候補表明の記者会見での第一声の、「石原裕次郎の兄でございます」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、鳩山邦夫、舛添要一、明石康、柿澤弘治ら有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。舛添と喧嘩別れした栗本や、栗本が同年末に復党する政党自由連合代表徳田虎雄の支援受けた。
石原慎太郎 1,664,558 無所属、(支持)自民都連の一部、等
鳩山邦夫 851,130 無所属、(推薦)民主(支持)生活者ネット・改革クラブ
舛添要一 836,104 無所属、(支持)自民都連の一部、等
明石康 690,308 無所属、(支持)自民都連の一部、等
三上満 661,881 無所属、(推薦)共産
柿澤弘治 632,054 無所属、(支持)自民都連の一部、等
中松義郎 100,123 無所属
石原都政の課題  石原都政は、前知事青島幸男が残した1068億円(98年)、翌年度以降4千億円以上の財源不足が見込まれるという財政再建団体転落寸前の過去最大の財政赤字処理から始まった。これを処する施策としてまず財政再建に向かった。徹底した人員削減によって就任後7年間で1万1526人を削減、職員給与4%削減を断行。一般歳出を7年間で7110億円(歳出額の一割以上)の削減に成功している。都税徴収率を95年の90・2%から05年の97・3%に上げ歳入増を図っている。この結果、1年目は881億円の赤字だったが、2003年には財政再建目標の8割を達成し都政の黒字化に成功している。
銀行税導入

 銀行税の導入。地方自治体の起債発行の許可権は国にあり地方自治体には認められなかったところ、歳出増の為に銀行税を導入した。銀行は不良債権処理を理由に政府の保護下で納税を免れており、それに対して所得ではなく会社の従業員数や面積などで課税する外形標準課税を銀行業に対してのみ導入することで1000億円前後の税収を見込む施策だった。しかし、これを不服とした銀行が訴訟を起こし、最終的に「銀行への課税自体は合法と認めたものの、税率負担の水準が不公平で高すぎ、地方税法に違反」とのことで、三年間で徴収した3173億円のうち標準税率分829億円を除いた額に年率4・1~4・5%を乗せて合計2344億円を銀行に還付することになり座礁させられた。但し、後に国の税制改正で法人事業税の外形標準課税制度導入の端緒ともなった。

公会計制度改革  公会計制度改革。従来の単式簿記で行われていた官公庁会計を複式簿記、発生主義会計に改めた。複式簿記による仕訳を行うことで、単式簿記ではわからなかった負債の細かな内容や社会資本のストックなどが見えるようになり、多様な財務諸表が作成でき、行政運営に「経営」の視点を確立する基盤となった。石原都政の功績の一つに数えられている。
2000 平成12 ディーゼル車規制  国の自動車排出ガス規制での対応では不足となっていた東京都の自動車排ガス公害の深刻さに対応するため、ディーゼル車への粒子状物質排出規制を首都圏の他の自治体と共同して行い、都民の健康と安全を確保する環境に関する条例 (通称: 環境確保条例) を制定し、粒子状物質排出基準を超えるディーゼル車の新車登録7年経過後の走行を禁止した (条例第37条、第38条) 。トラック業界は規制強化に異を唱えたが、すすの入ったペットボトルを手に大気汚染の改善を訴え押し切った。
陸上自衛隊の記念式典発言  4.9日、陸上自衛隊の記念式典において「不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害が起きた時には騒擾 (そうじょう) すら想定される」、「そういうときに、みなさんに出動を願って、都民の災害の救急だけでなく、治安維持も遂行していただきたい。九月三日には陸海空の三軍が参加する防災訓練で、軍隊の意味を国民、都民に示してほしい」と発言し物議を醸した。石原は自身のウェブサイトでこの発言について、単に外国人犯罪について言及した発言であり朝日新聞や特定組織に三国人という語の差別性だけを拡大解釈された、との考えを示している。また「謝罪の必要はない」とも述べた。
原発推進  4.26日、東京国際フォーラムで開かれた日本原子力産業会議の第33回年次大会の場において、石原は「完璧な管理技術を前提とすれば、東京湾に原子力発電所 (原発) を造っても良いと思っている」などと発言していた。ただし石原の構想は、東京都の電力依存を軽減するために、 (津波や巨大地震をやり過ごせる) フローティングシステムの上に、東芝製の4S炉のような5万キロワットクラスの超小型原発を必要数東京湾に浮かばせるという具体的なものであった。
浜渦武生氏を副知事に任命  7月、鴻池祥肇衆院議員の元公設秘書にして石原の政策担当秘書を勤めていた浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )氏を副知事に任命。
防災訓練に自衛隊大出動

 9.3日、石原都知事が防災の日に合わせて都内各地で大規模防災訓練の災害対策本部長を務め、率先して陣頭指揮を執った。防災訓練と云うよりは軍事演習色の強いものとなった。例えば、航空機による被災地調査は自衛隊ヘリが主役で、消防や警察のヘリはわき役。銀座上空を編隊飛行したヘリコプターの中には地上の敵を攻撃するための対戦車ヘリも加わった。都庁では災害対策とはまったく関係のない装甲車に都民を体験乗車させた。足立区舎人会場では、救助訓練を自衛隊だけで実施。災害発生時の被害状況調査は自衛隊中心で、映像は現時点では東京都や消防庁には送られない。炊き出し、給水、入浴などの「生活支援訓練」も自治体関係者や住民ではなく、すべて陸上自衛隊が行った。訓練後、「想定されるかもしれない外国からの侵犯に対しても、まず自らの力で自分を守るという気概を持たなければだれも本気で手を貸してくれない」などと発言している。

ニューヨーク・タイムズの批評  9.4日付の米紙ニューヨーク・タイムズは次のように報道している。「日本人の大多数にとっては第2次大戦終結以後、最大の軍事演習になった」、「軍隊(自衛隊)を全国民が注目する舞台に上げることで、石原慎太郎都知事は国家主義者としての夢を実現した」、「(訓練は)防災目的というより自衛隊のための宣伝作戦と映った」 。以降毎年、防災の日に軍事演習的な都庁方式が行われ、石原の軍事パラノイア性が示されることになる。
2001 平成13 原発「安全神話」論  5.28日、「石原知事と議論する会」で「東京湾に原子力発電所をつくってもいいというぐらい原子力発電所は安全だ」と盛んに原発「安全神話」ふりまく。(福島原発事故後は「僕はあんまりよく知らないんですよ、原発のこと」〔2011年4月1日〕と発言)
築地市場移転問題  築地市場移転問題。1986年、築地市場施設の老朽化から再整備が決定したもののコスト等の問題から長く棚上げになっていた。2001年、東京都の中央卸売市場審議会が江東区豊洲の東京瓦斯工場跡地への移転を提案、石原都知事も豊洲移転を決定し予算を計上した。
2002 平成14 「老いてこそ人生」  「老いてこそ人生」を出版し82万部を売りあげる。
トーキョーワンダーサイト設立  東京都の若手芸術家支援事業トーキョーワンダーサイトを設立。石原都政下では既成の都文化施設に対する予算の減額とは対照的に、ワンダーサイトのみが別格として増額されているが、芸術家としては無名の四男・石原延啓を重用したり、家族や知人を運営に参画させるなど、事業計画・予算決算の不透明な点について公私混同の疑いを指摘されている。
2003 平成15 東京都知事選挙に2期目当選  4.13日、2003年東京都知事選挙に出馬。「都知事は最低二期勤めなければ満足した仕事はできない」と出馬表明で語る。308万票(得票率史上最高の70.21%を記録する)を獲得し、樋口恵子、若林義春らを破り再選。石原の圧勝が事前に予想されていたためか、珍しく候補者の少ない都知事選であった。
石原 慎太郎 3,087,190 無所属、(実質支援)自民・公明
樋口 恵子 817,146 無所属、(支持)民主・社民・ネット・みどりの会議
若林 義春 364,007 日本共産党公認
中松義郎 109,091 無所属
池田一朝 19,860 無所属
現職警察官僚を副知事に登用  6.24日、竹花豊・氏(前広島県警本部長)を治安担当の副知事に就任 現職警察官僚が副知事に登用されるのは全国初。
ディーゼル車規制を実施  10.1日、ディーゼル車規制を実施(2000年12月「都民の健康と安全を確保する条例」を都議会が可決)
国旗掲揚国歌斉唱の強制通達発令  10.23日、都教委が「10.23通達」を発令(教職員への卒入学式での国旗掲揚国歌斉唱の強制)
新銀行東京設立構想  東京都が石原の発案で「東京発金融改革」と銘打ち、「資金調達に悩む中小企業を救済すること」を理念として新銀行東京設立構想を打ち出す。
1年間で214日出勤せず  2003年の1年間で214日出勤せず(祝休日含む)、実質週2~3日しか出勤していなかったことが日本共産党都議団の調査で判明。「出勤」扱いでも都庁が日程を把握していない「庁外」が67日も。
2004 平成16 新銀行東京設立  4.1日、株式会社新銀行東京が設立された。東京都知事石原慎太郎の旗振りの下、中小企業に対する無担保融資などを行い資金繰りに悩む中小企業を支援し、その事が日本経済再生の原動力になるとして東京都が1000億円を出資、民間企業数社も出資し(当初目標額は500億円)、資本金・資本準備金計1187億円で発足している。株式の84,22%を東京都が保有する。
「弟」がテレビドラマ化  11.17―21日、 「弟」がテレビドラマ化される。
2005 平成17 新銀行東京開業

 4.1日、資金繰りに悩む中小企業の経営支援のため、東京都が全株式の八割以上を保有する無担保・無保証融資を特徴とした銀行「株式会社新銀行東京」が開業。但し、杜撰な経営と審査の甘さで設立からわずか3年で1000億円近い累積赤字を抱え膨大な不良債権を抱え事実上の破綻に至ることとなる。

浜渦副知事辞任  7.22日、浜渦副知事が6.2日の都議会で問責決議が可決され辞任(9月から東京交通会館・副社長に就任)。
東京オリンピック招致に意欲  10.27日、東京オリンピック基本構想懇談会設置。
2006 平成18 超豪勢な海外視察費

 6月、五輪招致を目的としたロンドン視察に出向き18人で3570万円使っている。「飛行機はチャーター機やファーストクラス、宿は超一流ホテル」の贅沢ぶりだつたと云われる。以降、2008年夏の北京五輪開会式、2009.6月のスイス、7月のシンガポール、8月のベルリンの世界陸上見学でも数千万円を計上している。

オリンピック招致活動  8.30日、2016年夏季オリンピックの東京都での開催を目指し、招致活動を進め、国内候補地選定委員会において福岡市を破った。招致経費は55億円とされている。東京都は開催に向けて2006年度すでにオリンピック基金1000億円を積み立てており、その後3年間でさらに3000億円積み立てると表明した。「五輪が決まれば国が動かざるをえない。東京の欠点は交通渋滞。五輪を引き金に東京の暮らしがよくなる」とオリンピック招致の理由の一つとして道路渋滞の解消を挙げた。
2007 平成19 公明党と協力  3.21日、公明党に協力を要請しており、公明党側も実質的な支援を決定した。しかしかつては公明党及びその支持母体である創価学会を痛烈に批判していたこともあった。2007年参院選では公明党による都知事選支援の見返りとして、東京選挙区から出馬する公明党公認の山口那津男の応援で街頭演説するなどしている。
東京都知事選挙に3期目当選  4.8日 、東京都知事選挙に出馬。投票の過半数にあたる281万票を獲得し、浅野史郎、吉田万三、黒川紀章らを破り3選される。
石原 慎太郎 2,811,486 無所属、自民、公明支援
浅野史郎 1,693,323 無所属、民主、社民支援
吉田万三 629,549 無所属、(推薦)共産
黒川紀章 159,126 共生新党公認
ドクター・中松 85,946 無所属
「俺は、君のためにこそ死ににいく」  5月、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を発表。制作・指揮・脚本を手がけた。
猪瀬直樹氏を副知事に任命

 6月、石原都知事が、4人目の副知事として作家の猪瀬直樹氏に副知事に任命した。猪瀬氏は作家活動の傍ら、小泉内閣時に道路関係4公団民営化推進委員として民営化に取り組んだ履歴を持つ。

築地市場移転先問題  移転予定地の土壌から高濃度の汚染物質が検出、用地買収が中断し、専門家会議による調査が行われた。その結果、浄化可能として汚染対策費が計上されたが、食品を扱う築地のイメージから反対が続出した。
2008 平成20 新銀行東京の経営破綻表面化  新銀行東京が、2005年4月から2008年1月までに出資した2300社が経営破綻し285億円が不良債権化し、3月までに1016億円の累積赤字であることが判明した。東京都の出資分が1000億円を超過しており、石原都知事は同銀行の再建について「経営者に責任がある」、「不退転の決意で必ず再建する」として400億円の東京都による追加出資を行う方針を示した。しかし与党自民党も含め都議会の一部も増資に反対した。
新銀行東京に追加融資  1.11日、都議会で「トップダウンで銀行設立を決めた知事の責任が大きい」との追及に対し、「私が社長ならもっと大きな銀行にしていた」、「都民から預かった大事な税金を失いきる前に、私には銀行を再建する責任がある」と反論し、責任を否定すると共に存続を主張した。結局、都議会は400億円の税金投入による銀行再建を自民、公明両党の賛成多数により可決した。追加出資の400億円は都民1人当たり約31000円に相当し、すでに都が出資した855億円を合わせて都民の負担は約11000円に達する。
2009 平成21 新銀行東京の決算評価  5月、新銀行東京の2009年3月期決算において、同行の赤字が再建計画より少ない金額に留まったことについて「いい成り行きを見せており、とても嬉しい。早く単黒 (単年度黒字) を出すようになってもらいたい」と述べている。
新銀行東京融資問題で提訴  6月、NPO法人情報公開クリアリングハウスが、東京都が新銀行東京に出資金した金額のうち計1255億円が回収が見込めないとして石原都知事と旧経営陣への賠償請求を都に求める住民訴訟を起こした。
政権交代で民主党政権が誕生

 8.30日、第45回衆議院総選挙で民主党が選挙区・比例代表区を含めた全定数480のうち3088議席を確保し、政権交代が実現することとなった。9.16日、鳩山民主党代表が国会で首班指名を受け、同日、鳩山内閣が発足した。1993年の非自民党8党派による細川内閣の発足以来で、自民・公明の連立政権は10年の歴史に終止符が打たれた。

オリンピック招致活動落選  10.2日、IOC総会で開催都市が決定され東京が選ばれなかった。オリンピック招致計画策定や宣伝、ロビー活動などに投じた招致費用は都税100億円と、民間からの協賛金や寄付など50億円の総額150億円とされる。当初55億円とされていた招致経費が、あれよあれよと膨らんだ。随意契約で電通との委託契約が為されており、「招致活動費は公表している150億円どころじゃない。招致本部以外の局にも関連イベントをやらせている。総額いくらになるのか。200億円に上る」とも指摘されている。石原都知事は「責任を取らなきゃいかんでしょうね」と発言している。
オリンピック再招致活動  11.9日、2020年夏季オリンピックにも東京都を再度立候補させる意向を表明した。
オリンピック招致活動費居直り  12.8日、都議会代表質問での酒井議員(民主)らの「かゆさは感じなくても、納税者の痛みは感じてもらいたい」に対して、「他の都政サービスに影響がないから、痛くもかゆくもない」と発言しているとのことである。石原都知事が何の痛痒も感じていないことが判明する。
築地市場移転先問題  都議会が与野党逆転し、築地市場移転反対、築地再整備を主張する民主党が最大多数派となったことで見直し機運が高まり、築地再整備案が提出される中で、早期に市場整備を進めたい業者の陳情を受けた石原都知事は独断で豊洲移転を決定、それに対して都議会が対立色を深め、問題が膠着状態に陥っている。
財政悪化問題  財政悪化問題。財政再建に取り組んでいた筈の石原都政の2009年度都政会計は、歳入全体の約74%を占める都税が4兆2561億円で、前年の5兆2933億円に対して約1兆円の減となり歳入全体でも4191億円減。歳出を大幅に減少させたことで実質収支はぎりぎり6億円の黒字に収まったものの一気に財政悪化が進行した。これに対する無策がその後の流れとなる。
2010 平成20 「たちあがれ日本」応援団長に就任  4.10日、平沼赳夫氏が率いる「たちあがれ日本」の命名者として連ね応援団長に就任する。
真の指導者とは  7月、「真の指導者とは」(幻冬舎)を出版する。
羽田空港のハブ化  10月、羽田空港に四本目の滑走路と国際ターミナルが完成、32年ぶりに国際定期便が就航し競争力をつけている韓国の仁川空港、シンガポールのチャンギ空港に対抗した羽田空港のハブ化の第一歩となった。羽田の二十四時間空港化で周辺地域への騒音問題や事故の危険性が高まったが、羽田空港拡張事業に熱心に取り組み実現させた。
築地市場移転先問題

 10.22日、石原都知事が、定例記者会見で、.「(築地市場問題について)移転を決断しました」と言明した。翌日、都の幹部が東卸を訪れて、知事の署名が入った「築地市場事業者の皆様」と題する文書を持ち込み、組合を通じて各事業者に配布された。反対派組合員が次のように批判している。

 「老朽化しているから建て替えるというのですが、そんなことは10年も20年も前からわかっています。問題は、なぜ観光資源となり、業者だけでなく都民の愛着もある築地を離れ、高濃度の発がん物質などで汚染された豊洲に移転しなければならないのかということ。それには答えず、議会や反対事業者を無視して強行突破しよういうのですから許せません」。
2011 平成23 都議会で4選出馬表明  3.11日、都議会で4選出馬表明。三陸巨大震災(東日本大震災)が日本中を震撼(しんかん)させる30分ほど前の出来事だった。
三陸巨大震災発生  3.11日、三陸巨大震災(東日本大震災)発生。
震災天罰論  3.14日、三陸巨大震災(東日本大震災)について、「(日本人の)我欲をうまく洗い流す必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」と発言。その後の会見でも「日本に対する天罰ですよ」、「受け止め方の問題だ」と開き直り発言撤回拒否する。
原発擁護論
 3.23日、「私は基本的に原発の推進論者」、「今までも訳の分からない連中が原発反対というので、福島に押しかけていってデモなんかをやったらしい」と原発擁護論をぶち上げる。
原発推進論主張  3.25日、福島第一原子力発電所が爆発事故を起こし、大規模な放射能汚染が福島県のみならず東京都民の生活にも深刻な悪影響を及ぼしている状況の中で福島県災害対策本部を訪問した際、報道陣の前で「私は原発推進論者です、今でも。日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」などと発言した。
東京都知事選挙に4期目当選  4.10日、一時は3期目での退任を考慮した中で、東京都知事選挙に出馬を決断して立候補する。東国原英夫、小池晃らを破り、2615120票を獲得して4選を果たした (得票率は43,4%) 。2011年東京都知事選挙において他の立候補者が原発の危険性を強く指摘し、原発の廃止や見直しを訴えていた中、原発の増設・推進に賛成の意を表していた立候補者は石原だけである。
石原 慎太郎 2,615,120 無所属(推薦)自民都連・公明
東国原英夫 1,690,669 無所属
渡邉美樹 1,013,132 無所属(推薦)民主都連
小池晃 623,913 無所属(推薦)共産
中松義郎 48,672 無所属
2012 平成24 芥川賞選考委員を辞任  1.18日、第146回芥川賞の選考会の前に候補作のほぼ全てを中傷したが、選考会後に受賞者の田中慎弥に批判を受けると「田中君の作品は評価していた」と発言をし、その直後に95年から務めてきた芥川賞(日本文学振興会主催)の選考委員を「今回をもってやめる。全然刺激にならないから」と述べ辞任した。「いつか若い連中が出てきて足すくわれる、そういう戦慄(せんりつ)を期待したけど全然刺激にならない。自分の人生にとっての意味合いの問題だ」と理由を説明。さらに最近の文学作品について「物書きとしての緊張感を覚えさせてくれる作品がない」と批判した。
核武装国家論開陳  2.4日、「たちあがれ日本」の会議で、核保有を含め強力な武装国家になることを「真剣に考えなければいけない」、「アメリカは新しい核のシミュレーションを始めた。日本もやったらいい」と核武装を主張する。
尖閣諸島買い上げ構想

 4.16日、訪米中の石原東京都知事が、米政策研究機関「ヘリテージ財団」(ブッシュ政権の政策を支えたシンクタンク)主催のシンポジウムで講演し、沖縄県石垣市の尖閣諸島で最大の魚釣島と北小島、南小島の3島を都が買い取る意向を示した。既に民間の地権者の同意を得ているという。「東京が尖閣諸島を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守るために島を取得するのに何か文句がありますか」と述べた。

東京都尖閣諸島寄附金募集  4月、東京都が尖閣諸島を地権者より購入する計画について記者会見し、4.27日より東京都によって東京都尖閣諸島寄附金が募られている。9月現在、寄付金は14億7千万円。
野田政権政府が尖閣諸島国有化  9.11日、野田政権政府が、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島など3島を20億5千万円で購入する売買契約を地権者と交わし、3島を国有化した。これに先立ち、閣議で2012年度予算の予備費から購入費を拠出すると決定した。日本政府の買い取り対象は、5島と3つの岩礁からなる尖閣諸島のうち、魚釣島、北小島、南小島。購入後は海上保安庁が管理する。外務省は11日、尖閣諸島の国有化を中国政府に説明するため、杉山晋輔アジア大洋州局長を北京に派遣した。
自民党の総裁選で息子が落選
 9.26日、自民党の総裁選が行われ安倍元首相が選出された。2位は石破前政調会長、石原都知事の長男の石原幹事長は予想外に振るわず3位。直前の谷垣総裁の出馬を取り止めさせての出馬にしては痛い目に遭ったことになる。
東京都知事選辞任  10.25日、都庁で緊急記者会見を行い「本日をもって(東京都知事)辞任し、新党を結成する」と表明。会見後に都議会議長に辞表を提出した。10.31日に予定される臨時都議会本会議で承認されれば正式に辞職となる。10.29日、都知事選の日程が「告示11月29日、投開票12月16日」と決まった。全国最大の有権者を抱える都知事選挙の費用総額は約50億円と云われる。前回選挙からわずか1年8か月余りで再び計上されることになる。  

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK166」の笑坊氏の2014 年 6 月 08 日付投稿「「新保守」を掲げる日本維新の会の石原慎太郎代表が、「天皇制否定のマルキストか」と疑われている(板垣 英憲)」。
 http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/5320725a556a23cf5243e24bc5f66b90
 2014年06月08日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆「石原慎太郎は湘南高校時代からトロツキストですね。昭和10年の第7回コミンテルン大会以来、共産主義者は潜伏活動をするようになったが、石原慎太郎もこの系譜でしょう。東京裁判の傍聴を2度してますね。終戦直後は『天皇を処刑して日本で革命を起こして共産化する』側に加担していたと思われます。いまでも彼は、天皇処刑に賛成なんじゃないですか?」というコメントがこのサイトの読者から寄せられた。このサイトでは、「石原慎太郎代表は、天皇陛下を侮る発言をしているが、自主憲法制定でも天皇陛下の存在を否定するのか?」(6月6日午前4時20分51秒配信)というタイトルの記事を掲載した。

 日本維新の会を分党した石原慎太郎代表が、「石原慎太郎派」に23人(衆院議員20人、参院議員3人)で、「自主・新保守・次世代」の3要素にした新党を結党する準備を始めている折、「新保守」とは、「天皇処刑に賛成」を意味しているのか、否かは、直接聞いて確かめてみないと分からない。けれども国民有権者の多くが、違和感を抱いているものと思われる。保守勢力が、天皇陛下を侮ることは考えられないからである。石原新党が、もしかしたら「新保守」の仮面を被った「マルキスト集団」と受け取られかねないのだ。

◆石原慎太郎代表が、湘南高校時代に共産主義に感化されていたのは、確かである。「石原慎太郎の日本を救う決断」(板垣英憲著、青春出版刊、2003年10月10日)の「第4章 カリスマ的リーダーシップを支える哲学」―「マルクス主義に傾倒した高校時代」で以下のように書いているので、参考までに紹介しておこう。

 慎太郎も高校生のころに一時、唯物史観に感化されている。要するにマルクス主義にかぶれていたのである。

 湘南高校の一年下級の江藤淳の紹介で江口朴郎・第一高等学校教授を訪問し、マルクスの唯物史観の話を聞き、大きな刺激と感化を受け、学校内で民学同を組織する。

 江口朴郎教授は、明治四十四(一九一一)年佐賀県に生まれ、東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業して・外務省嘱託となり、後に、姫路高等学校教授、東京大学教養学部助教授、法政大学教授・津田塾大学学芸学部教授などを歴任している。この間に、歴史学研究会代表、原水禁代表委員(社会党・総評系)、日本ラオス友好協会会長を務めた。著書に『帝国主義と民族』『帝国主義の時代』などがある。

 後輩の江藤淳は・本名を江頭淳夫いう。昭和八(一九三三)年に東京で生まれた。祖父は海軍中将・父は銀行家だった。高校時代からマルクス主義に傾倒、江口朴郎教授に私淑した。

 慶応大学文学部英文科在学中、「三田文学」に「夏目漱石」を連載し、評論で出発した。昭和三十三(一九五八)年、石原慎太郎や大江健三郎らと「若い日本の会」を結成し、「六〇年安保」の際には、「反安保」の立場で行動した。

 だが・進歩派に幻滅・右旋回し、「『戦後』知識人の破産」を発表し、「小林秀雄」(新潮文学賞)で評論家の地位を確立した。戦後史を民主化の歴史でなく、「喪失と崩壊の歴史」ととらえ、明治憲法下の世界観の崩壊が戦後史であり、民主化を異質にものとした近代日本の再認識を求めて論陣を張っている。この過程で、新憲法はポツダム宣言やハーグ陸戦規則に違反するとして見直しを提唱したり、自民党の「押しつけ憲法論」を擁護したりした。

 石原慎太郎も、江藤淳と同様に「右旋回」して作家活動を活発に進め、いわゆる「右派文化人」の系譜に連なることになった。

 右派文化人の系譜のなかで、文学活動をした先人の一人に、宮沢賢治がいたことを忘れるべきではない。宮沢賢治は、明治二十九(一八九六)年、岩手県に生まれ、中学時代から「法華経」に傾倒、田中智学の右翼団体「国柱会」に参加した。国柱会は、日蓮の「我国の柱とならむ」という言葉を会の名前にした団体で、日蓮の「立正安国論」を高唱していた。宮沢賢治はこの思想の影響を強く受けて、大乗仏教典の大衆化を目指した童話作家活動を行っている。

 林房雄は左翼から右派に転向した作家だった。明治三十六(一九〇三)年大分市で生まれ、東京帝国大学法学部政治学科を中退して新人会に入り、プロレタリア文学運動に参加した。学連事件に連座して検挙されたのをはじめ、数回下獄している。後にプロレタリア作家を廃業して転向、「中央公論」に「大東亜戦争肯定論」を連載するなど、日本主義的傾向の作品を発表した。

 清水幾太郎は、明治四十(一九〇七)年、東京で生まれ、東京帝国大学文学部社会学科を卒業した。東大時代から岩波の雑誌「思想」の編集に参加、朝日新聞社社外嘱託、読売新聞論説委員、学習院大学教授などを歴任している。サンフランシスコ講糺条約締結時、「全面講和」の立場で活躍、反基地闘争の先頭に立つが、「六〇年安保」で敗北後、マルキシズムを批判して「右旋回」し論壇を驚かせた。また「戦後を疑う」などの時評で戦後民主主義を批判し続け、天皇制維持、教育勅語賛成、君が代、日の丸肯定、新国家主義者となる。著書に『愛国心』などがある。

 三島由紀夫は大正十四(一九二五)年、東京で生まれた。本名を平岡公威という。東京帝国大学法学部を卒業して大蔵省に入省、すぐ退職して作家活動に入る。

 六〇年安保以後、作品にイデオロギー色が強くなる。天皇制護持を主張し、「文化防論」を唱えた。天皇制否定勢力を激しく批判し、私兵「楯の会」を結成して、「自衛隊クーデター」を待望し東京・市ヶ谷台の陸上自衛隊東部方面総監部に押し入り、割腹自殺した。三島由紀夫は、親しくしていた石原慎太郎が、体制を批判していたにもかかわらず、突然のように自民党から公認されて参議院議員選挙に全国区から立侯補して当選したのに驚き、刺激されて、過激な行動に走ったのではないかと憶測された。石原慎太郎は、斬首されて床にころがっている三島由紀夫の遺体をみるに忍びなく、部屋に入れなかったという。

 黛敏郎は、昭和四(一九二九)年、神奈川県で生まれ、東京音楽学校研究科を卒業し、パリ国立音楽院を中退した。團伊玖磨、芥川也寸志とともに「三人の会」を結成し、二十世紀音楽研究所を創設した。「日本を守る国民会議」(右翼文化人ら約八百人が参加)を結成し、運営委員長となる。「建国記念の日奉祝式典」の運営委員長も務めた。

 村松剛は、昭和四(一九二九)年、東京で生まれ、東京大学文学部仏文科を卒業。東大大学院在学中、吉行淳之介らの「世代」に小林秀雄論、三島由紀夫論などを発表し、新進の批評家として認められる。立教大学教授、京都産業大学教授、筑波大学教授を歴任した。著書に『醒めた炎―木戸孝允』(菊池寛賞)『三島由紀夫の世界』などがある。

 これらの右派文化人のなかで、石原慎太郎は、体制内革新、反社会主義、・国家道義の高揚、国防と治安確保、憲法の二部の改修補損を提唱してきた。著書『法華経を生きる』において、日蓮主義の系譜上にあることを鮮明にしている。


【石原慎太郎を知る為のその他事項】
 都知事就任以降、毎年8.15日に靖国参拝する。新しい歴史教科書をつくる会に賛同している。日本会議代表委員、戸塚ヨットスクールを支援する会会長を務める。江藤淳の後を引き継ぎ、産経新聞にエッセイ「日本よ」を連載している。

 石原の08年11月~09年10月の「知事日程表」が驚きの勤務の実態を浮かび上がらせている。それによると、石原が都庁に姿を見せるのは1週間のうち「2~3日」だけ。1日の平均執務時間は「59分」。都政問題に詳しいジャーナリストの田中稔、野田峯雄の両氏が2年前に分析した結果で、石原が登庁していたのは月に多くて15日程度。つまり、1カ月の平均執務時間は約15時間しかない。「知事報酬は、ボーナスも含めて年間約2400万円だから、月給約200万円にならすと時給換算は13万円余りになります」(都政担当記者)。次のように評されている。(「2012.10.30日付け日刊ゲンダイの「フザケるな!石原 都知事時代は勤務平均59分 時給13万円」より)
 「この男がブチ上げた政策が都民のためになったためしはない。1400億円を投じた新銀行東京や、4000億円をつぎ込んでも進展ゼロの築地市場移転、失敗した16年の五輪招致にも100億円を使ったりと、結局は巨額の都民のカネをドブに捨ててきたようなものだ」。
 参議院議員(1期) 、衆議院議員(8期)、環境庁長官 (第8代) 、運輸大臣 (第59代)、東京都知事 (第14代・第15代・第16代・第17代)を歴任した。趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。身長181cm、体重77kg。血液型:AB型。顔面チック症。俳優の石原裕次郎は弟。家族は妻 (石原典子) と4男。自由民主党幹事長の石原伸晃は長男、俳優・タレントの石原良純は次男、前衆議院議員の石原宏高は三男、画家の石原延啓は四男。

【石原慎太郎とオウム・統一教会の関係】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK137」のちゃむちゃん氏の2012.10.29日付け投稿「ほんとだろうか? 石原慎太郎の四男はオウムの幹部 橋下維新 「石原と地獄に堕ちそう」 石原スキャンダルがスゴすぎる」を転載しておく。
 ちょと、ネットからひろってみました!ほんとだろうか?

 橋下維新 「石原と地獄に堕ちそう」 石原スキャンダルがスゴすぎる。

 石原慎太郎の四男はオウム真理教の幹部。石原四男坊こそ、石原慎太郎の”アキレス腱”である。

 【石原慎太郎とオウム・統一教会の関係】

1.石原慎太郎は、浜田幸一『ハマコーの非常事態宣言』の中で、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと批判された。

2.石原慎太郎は、統一教会系の霊友会に支持され、オウムは統一教会信者の早川により武装化された(実質乗っ取られた)。

3.石原慎太郎の弟裕次郎の手術の執刀医がオウムの林郁夫。

4.石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。

5.オウムの麻原は、「石原慎太郎が日本のリーダにふさわしい」と言っていた。

6.オウム元幹部は、クーデター成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたと証言

7.石原4男、延啓氏はオウムの準幹部(官房長官副秘書官)だったが、第7サティアンで"救出"され、保護、その後暫くの間、高尾病院に強制入院させられていた。

8.麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は画家である四男延啓の作である。

9.石原慎太郎は、検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職。不問に付したのが当時の野中国家公安委員長

10.石原慎太郎が尖閣買うと発表したヘリテージ財団は統一協会の文鮮明から資金提供

 また出た韓国のカルト宗教、統一教会。

 コレが報道されたら、石原と維新の会は全滅。

 ですか( ̄(工) ̄)y
 補足
 http://wind.ap.teacup.com/people/6887.html  

 転載元
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296387137

03. 2012年10月29日 08:16:22 : pUnCMCeCqw
 石原慎太郎いわく、小学館「文藝ポスト」2000年秋号で「三島さんには今度はもうちょっと綿密なクーデター計画を立てて、本気でやりましょうって言うわね(笑)。」 「今の日本は軍事政権でも擁立しない限りどうにも変わらないよ、本当に」
 http://www.geocities.jp/inkyo_at_the_corner/3-7coupdetat.html

 1~10まで、ぜーんぶ事実だよ。こいつは、オウムを使って自作自演テロを起こして、トップに成りあがろうとしたのだ。「SP」という映画で国会を占拠する自作自演テロを扱っているが、これと同じ構図だ。
 http://sp-movie.com/kakumei/story.html

 こんなのが首相だと・・・ふざけるな。とっとと師ね!

04. 2012年10月29日 08:54:22 : pUnCMCeCqw
 まだ、こいつはトップになることを諦めてないと思う。特に11月は非常に危険だ。三島事件は11月25日、オウムのクーデターも11月に予定していた。こいつがはじめた東京マラソンで異常の数の警官を動員しているのもテロ対策の予行演習なのだ。最後の悪あがきで、自作自演テロを東京で起こす可能性は否定できない。尖閣募金がテロのために使われるのではないか危惧している。

 オウム真理教の国家転覆計画とは、オウム真理教が企てた国家転覆計画。「11月戦争」
 1995年3月の警察による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。「11月戦争」計画によると、1995年11月の国会開院式に乗じて、教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布、天皇・閣僚・国会議員を含む東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、米・露・朝の各軍隊による核戦争を誘発させる。その間、教団はサティアンに篭り、核戦争終結後に国家機能が消滅した日本を統治するというものであった。

05. 2012年10月29日 09:18:32 : ASoliZlDAM
 チン太郎は、オウムにかかわりサリン事件でで国政を引いたのだ。石原慎太郎、こいつの正体を国民に周知しないと国が亡びる。愛国者ブル奴ほど、売国奴である。騙されてはいけない。アメリカの片棒を担ぐ政治家に成り下がった。立ち上がれニッポンの平沼氏は、目が冷めて欲しい。
06. 2012年10月29日 09:56:44 : OWyk4nzirs
オウムと石原慎太郎の意外な関係
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/691.html
なぜ石原慎太郎親子はつかまらないの?
http://blogs.yahoo.co.jp/shion1082001/46123894.html
石原伸晃の「サティアン」発言について
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/730.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/290.html
 1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。頑なに宗教法人認定を拒否されていたオウム真理教としては、好き勝手なことをするためにはなんとしても宗教法人の認定を受けたかった。林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に、状況打開の依頼がいったことは想像に難くない。実際、石原慎太郎は運輸大臣の肩書きを背景に東京都にプレッシャーをかけ、オウム真理教はまんまと宗教法人に成りおおせている。

 石原慎太郎が議員辞職を表明した直前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きる。宗教法人を隠れ蓑にしなかったら、このようなとんでもないテロをオウム真理教は起こせたであろうか。当時、政権は村山富市首相であり、自民党は戦後もっとも弱体化していた不安定な時期であった。阪神淡路大震災の不手際で政府は批判を受け、そして地下鉄サリン事件である。その原因を作った人物が元閣僚経験者で衆議院の赤い絨毯の上で踏ん反り返っていることが衆人の知れるところとなったら、自民党はひっくり返ってしまう。表面的には強がりを言っていたが、詰め腹を切らされたことは、想像に難くない。
07. 2012年10月29日 10:33:53 : 9mOM3FEthM
 長男も顔が逝っているが、四男もかなりヤバそうだ。一応は画家ということになっているが、その絵には精神的な疾患を感じさせるところがある。
 http://nobuhiroishihara.com/works/

 また石原家によるトーキョーワンダーサイト私物化の疑惑も指摘したい。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%
AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88

 石原延啓氏がオウム真理教に入信していたこと、その関係もあってか石原慎太郎氏がオウム真理教の宗教法人化に尽力したり資金提供したりしていたというのは目新しい情報ではない。


【石原慎太郎政論「ある、とんでもない提案」考】
 石原慎太郎エッセイ「日本よ」のある、とんでもない提案」(2004年5月3日発売の産経新聞掲載)を転載しておく。
 「ある、とんでもない提案」

 文明が進み人間や情報の行き来がより簡単になって、今日、世界では予期せぬ出来事、予期できぬ出来事が頻発しているが、しかしその根底に理由無き理由などありはしない。そのすべてに人間たちの歴史がさまざまに介在している。そして世界はいまだかつてない危機に繋がる不安定に晒されている。

 識者にいわせれば今日の世界の不安定要因の七〇%はパレスチナ問題にあるともいう。確かに戦後からこのかた、かの地ではすでに四度の戦争が行われ、さらに今なお血で血を洗うテロと弾圧がくり返されている。ユダヤ教、イスラム教という絶対神を仰いだ一神教同士の憎しみの激しさと戦いの凄まじさは、日本人のように鷹揚(おうよう)な汎神論的価値観の保有者には理解に遠い観があるが、しかし現実には悲劇に継ぐ悲劇が進行してい、それが増幅しさらに他の地においても新しい危険を醸し出している。

 パレスチナ問題はもともと、イギリスの第一次、第二次戦争後の外交野心にきざした無責任な二枚舌、いや三枚舌外交のもたらしたものだが、戦後世界でのユダヤ人の復権台頭に伴って、彼等がその致命的中枢を支配する、今日世界唯一の超大国になりおおせたアメリカの動向をも規定している。それは世界のアメリカ化への兆候への反発とあいまって世界中で、ハンチントンが懸念した文明の衝突の態様を示すにいたってしまった。

 パレスチナを巡るパレスチナ、ユダヤ両民族の過去の歴史を眺めれば、気の遠くなるような長い長い経緯を背景にしてもなお、周囲の大国に一方的に振り回されつづけた両民族は気の毒というよりない。そして彼等が共にそれぞれの強い信仰を踏まえた民族と文化の沽券(こけん)にこだわりつづける限り解決の道は遠く、その火種はとどまることなく世界中に蔓延(まんえん)しつづけるだろう。

 私はかつて、当時ごく親しかったエジプトの大使にパレスチナの人々に安住の地を与えるべく、一度はイスラエルに占領された、あのほとんど瓦礫(がれき)の連なりのシナイ半島の一部をパレスチナ人に提供したらどうだといったことがある。答えは、とんでもない、あなたは日本の政治家として日本の領土の一部をそうする決心が出来ますかということだった。

 そこでの、敢えてとんでもない提案だが、第二次世界大戦のどさくさにソヴィエトにかすめ取られたきりこの半世紀余未だに還ってこない北方領土の国後なり択捉の一島を、世界の安定のために割譲しパレスチナ人に入植させ新しい国家の建設をさせるというのは、はたして能天気な話だろうか。そのためにはロシアもまた同意する必要がある。北方四島だけではなくシベリアのような広大な国土をもてあましたままでいるロシアにとって、その領有にいかなる正当性も有り得ぬ島の一つを、持て余したきりで国家の沽券のためいたずらに抱えつづけることなく、世界の安定のために返還ではなしに、彼等にしても割譲ということになるのかも知れないが、新しいパレスチナ建設のために提供する決心をしたら世界の歴史は大きく変わっていくに違いない。

 国後や択捉はそれぞれ面積からいっても、沖縄本島を上回る十分な大きさを持ち、気温はパレスチナの地に比べれば寒くはあっても、豊かな緑や水に恵まれた豊穣(ほうじょう)の地である。ちなみに沖縄本島の総面積は一二〇〇平方キロメートル。国後は一五〇〇平方キロメートル。択捉は三二〇〇平方キロメートル。パレスチナ自治区の面積は六〇〇〇平方キロメートル。入植地ガザは三六〇平方キロメートルでしかない。

 アラブの諸民族の中でも極めて優秀とされるパレスチナ人ならば、短期間にして充実した新国家の建設は可能に違いない。日本もまた至近な友国として多角的な協力が可能だし、そうした協力は水爆を保有し日本向けのミサイルを配備し、尖閣諸島を侵犯してはばからぬ中国へのODAの提供なんぞよりもはるかに世界中の納得を得られるに違いない。

 そうした至近な隣国との交流は新しい混血混交をもたらしさらに、文明の衝突の代わりに、新しい文明文化の造成にも繋がっていくに違いない。これはこの現代にして初めて可能な、人類として未曾有の実験ともいえるだろう。戦後このかたパレスチナの独立のために辛苦してきたアラファト議長も、かつて囚われのユダヤ人たちを率いてエジプトを出た「出エジプト記」のモーゼのように決心して、国家民族のための新しい実験に乗り出したらどうかと想うのだが。過去にも民族の大移動が歴史を変えた事例もある。

 と、こんな夢想?を提言としてものすれば、かつてソヴィエトから被った非道を忘れ得ぬ人々から(私もまたその一人だが)非難の声が返るかも知れないが、今日の日露関係の態様からすれば私たちの目の黒い内にあれらの島々が全て戻ってくるとはとても思えない。あの豊穣な土地を人間の財産として人間たちのために今最も有効に役立てる術は、あの島のどれかに新しいパレスチナを、世界の意志として作り上げることではないかと思うが、これははたして戯(たわ)けた夢想に過ぎないだろうか。それを実現することは、強い信仰を持つパレスチナの人々にとっても決して屈辱ではあり得ないと思うのだが。

 余り世の役にたっているとは思えぬ国連あたりで、こんな提案を持ち出してみたらと思うのだが。

(私論.私見)

 この論文ほど石原らしさを示すものはあるまい。前段はまずまずの見識を見せている。これによれば問題意識は良いと云うことになる。後段から途端に論が崩れ本人が認めるトンデモ論になる。具体的には、パレスチナ紛争による難民を北方領土へ送り込めなる論を提案している。誰が見ても、石原自身が認めるように、「パレスチナ問題はもともと、イギリスの第一次、第二次戦争後の外交野心にきざした無責任な二枚舌、いや三枚舌外交のもたらしたものだ」と云っておきながら、「戦後世界でのユダヤ人の復権台頭に伴って、彼等がその致命的中枢を支配する、今日世界唯一の超大国になりおおせたアメリカの動向をも規定している」からしてこれに事大主義的に従うべしとして、パレスチナ難民の方を北方領土へ送り込めなどと云う。暴論と云うより無茶苦茶と云うしかない。ここから云えることは、「問題意識まずまず、時に鋭く辛辣、権威に事大主義、処方箋が無茶苦茶、放言癖あり。話題を呼びそうなネタを探して衝撃発言しドラマ化させるのを生き甲斐としている軍事、原発パラノイア」と云うのが石原慎太郎の人となりと云えそうである。

 2012.10.29日 れんだいこ拝

【東京都知事の権限考】
 都知事の権限を考える上で役に立つサイト「『都知事―権力と都政』より、石原都政三期十二年を振り返る」(佐々木 信夫「都知事―権力と都政 (中公新書)」)にヒットしたので、これより学ぶ。

 都知事は、全国有権者の一割に及ぶ1000万有権者(平成23年3月時点で10,679,880人)の直接投票によって選ばれ、強い権力と影響力を持ち、首都の顔として国政にも影響を与えるのが都知事である。この都政を自在にして来たのが石原である。主としてこれを確認したい。都の予算規模は韓国の国家予算並みの十二兆円、職員数十七万人と飛びぬけて大きく、トップに立つ都知事は裁量権も大きい。東京都の経済規模はGDPベースではカナダを抜いて世界第九位にあたり、世界上位五〇〇社の本社数も五一社と二位パリに二倍近く差をつけて一位、ニューヨーク、ロンドンと並ぶ金融市場を擁するなど国際社会に対する影響力が強い。国内に対しても、政治、行政、経済、情報、文化の中枢機能が集中し、GDPの約二割、国税収入の四割、株式売上高の約九割、本社・本店、外国企業の五割、情報サービス業(売上)の五割、銀行貸出残高の四割、商業販売高の三割を占有し、大学生の四割近くが東京で学んでいる、など影響力が非常に強い。東京には主要テレビキー局、全国紙の新聞、出版社の本社機能が集まり、全国向けの情報発信力が強い。

 都知事は副知事四、教育長一、特別秘書二、若干名の参与の任用権限を持つ。都道府県知事を「執行機関」、それを支える官僚機構を「補助機関」と呼び、知事を直接補佐するのは以下の者たちになる。
 1)副知事
 副知事は知事と同様に任期四年、3または4人で担当部門を分担し、補助機関を管掌する。ほぼ都庁出身者で占められ、まれに外部出身者(石原都政での浜渦副知事、猪瀬副知事など)が登用される。鈴木都知事までは知事も実務に関っていたが、青島・石原都知事以降は実務は副知事が行い、都知事は政策決定や政治活動に力点が置かれている。副知事には財務局長からのコース、総務局長ないし企画系局長からのコース、事業系局長からのコースがあり、財務局長コースが最多である。技術系局長は副知事にはまだなっていない。任命に都議会の同意が必要なため、都議会と都知事が対立する場合に議会の抵抗で副知事が任命できないことが起こったり、辞任に追い込まれることなどがある。

 2)特別秘書
 都庁職員から任命される一般の秘書と別に、都知事が自由に任命する特別秘書は、都知事の政治的補佐を行う。参与とともに政策ブレーンとして機能する。

 3)その他の役職者
 都道府県・区市町村の教育委員会を統括する教育長、各部門を統括する局長・部長、顧問、専門委員、審議委員などの役職者が知事を直接補佐する。




(私論.私見)