日本社会主義論の一定の根拠考 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その48 | れんだいこ | 2005/05/19 | ||
【ハト派の時代を慈しめー日本社会主義論の一定の根拠考】
今から思えば、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系の本質は、日本的土着型社会主義とも言える世にも珍しい蓮華国家形成に資するものであったのではなかろうか。今日、そのハト派系が完全窒息し、タカ派系の全盛時代となった。それ故に見えてくる世界である。 そのタカ派系は、「戦後日本は社会主義だった」として、「ハト派系が扶植した社会主義的諸要素を日本から払拭し、米国型という名のシオニズム的自由社会に純化させることを政治使命とする」としているように見える。小泉的構造改革論の本質は、この類のものであり、その限りにおいてイデオロギッシュであるのではなかろうか。 森田実氏は、「日本は社会主義だ論」を屁理屈と見なして、「今までの日本が社会主義だったとする議論は間違いである。『中央官僚主導の国家資本主義』と見るべきだろう」と云い為している。 森田氏の云わんとする眼目は次のことに有るようである。
れんだいこは、この見識にとやかく言うつもりは無い。問題にしたいのは前半部分の認識である。森田氏は、戦後日本の再建過程を「中央官僚主導の国家資本主義」と見なしているが、果たしてそうだろうか。「中央官僚主導の国家資本主義」なる規定は、確かにそうだが、今ひとつピントが合っていない気がする。 その原因を尋ねるのに階級的視点が無いということになるのだろう。れんだいこは思う。この件に関しては、タカ派系の「戦後日本は社会主義だった論」の方こそ案外と核心を射ているのではなかろうか。現代タカ派族は、ハト派が本質的に戦後日本の社会主義性を護持せんとしていることを見抜き、それ故にこれを憎むというイデオロギーに染まっている。ここに、ハト派とタカ派が徹底対決せざるを得ない要因があるのでは無かろうか。 「戦後日本は瓦解させられつつある」故に見えて来たものがある。想起して見よう。十分とはいえないが、教育、医療、年金、最低限生活の保障、失業手当等々に見られる社会保障制度、重要産業の公営企業化、公共事業への精力的取り組み等々は、「世界に誇れる質」のものでは無かったか。 れんだいこは、「共産主義者の宣言」を訳してみて改めて知った。末尾の「当面の青写真」で提起されている社会秩序は、戦後日本がその通りだったのではなかろうか。詳しくは、「本文2 プロレタリアと共産主義者(proletarians and Communists)」( marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen_ikkatubun.htm)末尾に記している。 田中角栄の政治的業績に一貫して社会基盤整備が認められる。これを土建国家論として悪し様に云う者が幅を利かせているが、れんだいこ史観に拠れば、社会基盤整備こそマルクス主義的唯物弁証法的実践の賜物である。巨万の大言壮語、空理空論よりは確実に日本社会主義の下地を整備していくものである。 このことを知る故に、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系の支持勢力は彼らを支持してきていたのでは無かろうか。してみれば、真に賢かったのはこちら側の大衆たちではなかったか。金権力により大衆も官僚も丸め込み、支持を獲得したなどという論で安住できる者は、自身の論の安普請性を知る必要があろう。 今日、崩壊した社会主義圏のその後の動向、居残った社会主義諸国のそれを見るに、いわゆる市場主義社会主義へと転換しつつある。これをよくよく思案すれば、戦後日本は当たり前の如く市場主義に立脚しており、加えて官業と民業のバランスも良く運営してきていた。何の事は無い、「戦後日本」こそがそのモデル足りえているのではなかろうか。となると、戦後日本は、今日的社会主義運動の「先取り社会」であったのではないのか。 「戦後日本」は、新憲法秩序の下で主権在民、議会制民主主義、基本的人権の尊重、社会的生存権の確保、非軍事平和愛好、国際協調主義等々の上に立脚した市場主義社会主義を逸早く実践してきた稀有なる実験蓮華国家であった、のではなかろうか。 この観点からの種々の考察はこれからである。しかし、こうみなすことにより新たな視野と展望が切り開かれるのではなかろうか。今のところ、この史観はれんだいこの独眼流かも知れない。しかし、この観点が受け入れられる下地は十分にあると自負している。これが、「宮顕論」、「角栄論」、「戦後日共運動論」を経由し辿り着いたれんだいこの結論である。 こうなると、日本左派運動の不毛と消耗性は、ここのところで認識違いをし、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系のそれをも保守反動視して、いたずらな敵対を繰り返してきたことに有るのでは無かろうか、ということになる。それは、「共産主義者の宣言」の読み損ないでもあろう。 中でも、宮顕―不破系日共党中央の自民党ハト派系と徹底対決し、タカ派糸とは是々非々路線で親和するという趣向こそ、宮顕―不破系日共党中央のとんでも性を物語っている。性悪い奴は悪い奴と組むという法理が見えてくる。れんだいこには、かように漸く見えて来た構図が有る。 してみれば、既成の歴史観、諸理論は一切あてにならない。今や、日本左派運動が歩むべきレールを一から敷設し直さねばならない。これを分かりやすく説き明かすことがれんだいこの評論的使命かも知れない、そう考えている。 加藤寛・氏は、次のように述べている。
加藤寛・氏はかく述べ、戦後日本の社会主義性を覆すためのイデオローグとしてその後随所で活躍していくのであるが、敵ながら否敵故に事態を的確に捉えているというべきではなかろうか。 2003.12.5日、2005.5.19日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)