研究3 自民党の内部矛盾について

 (最新見直し2006.3.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 万年野党論者が根本的に見誤ったのは、本稿課題の「自民党の内部矛盾」に対する無知ではなかろうか。自民党の場合、いつの時代にでもある政権与党内主流派と反主流派との対決という内部の派閥抗争次元の問題ではなく、派閥という形であらわれたにせよその深層部における宥和しがたきイデオロギー的対立を見なければならないのではなかろうか。ここを見ない左派理論家は歴史を表面で撫でているだけの皮相屋ではなかろうか。

 これだけでは何のことか分からないだろうからはっきり云う。戦後のほぼ単独政権与党となってきた自民党内には、戦後型保守本流のハト派系吉田茂系譜と戦前型保守本流にして戦後はシオニスタン化された特異なタカ派系譜とがヤジロベエ的に調整しあってきたところに特質がある。その中でも、吉田茂系譜の池田隼人と田中角栄と大平正芳ラインの結びつきは、これは日本の土着型左派政治を確信的に目指していたのではなかろうか。否、正確には、左派の限界を止揚させていた日本的なすぐれて現実主義的且つ有効な党派運動足りえていたのではなかろうか。れんだいこはそういう仮説を持っている。この二潮流がどこまで偏狭左派以上的で有り得たのか、その有能さと限界と挫折のサマを政治史上にくっきりと記録しておくことは現代を生きる政治史家の義務ではなかろうか。

 興味深いことは、日本の「似非左派」政党がこの両派に対して徹底抗戦し、タカ派系に対しては是々非々路線を厭わない変調さであろう。ここに我が国の政治の貧困があり、お粗末さを通り越して肌寒いというのがれんだいこ史観である。この視点は今のところ皆無のように思われる。しかし、我々が失ってはならぬものに気付く時、否応無くれんだいこのこの指摘の重要性が浮き彫りになってくるだろう。

 2002.7.20日、2006.3.13日再編集 れんだいこ拝


「保守本流」について
 これは、「『自由・論争掲示板へのれんだいこの2000.12.23日付け投稿文である。
 2000.12.23日の毎日新聞「政界20世紀辞典2」に、「保守本流」について記事が書かれている。丁度私が考察して見ようと思っているテーマなので面白いと思った。
 
 先だってメイクドラマし損なった加藤紘一氏は、強烈な保守本流意識をもっており、「我々は離党を考えない。なぜならば我々が保守本流だから」と言い続けていると書かれている。野中前幹事長もこの見方をしているようである。先の騒動の際、「保守本流を歩んでこられた宏池会の代表がそんな軽率な---」と述べていることから窺える。後藤田元副総理は、「保守本流は大平さんの時代で終わっている」と述べ、昔説として肯定・現否定という観点を示している。これに対し、長老の松野頼三氏は、「とんでもない。保守支流もいいとこだ」と切り捨てている。常に玉虫色の宮沢氏は「宏池会にそんな伝統は無い」と言っている。
 
 記事スペースには限りがあるのでこれ以上のコメントは為されていないが、私には非常に興味深い。戦後左派は、自民党政治を保守反動規定で一括りして、利権がらみの派閥の違い程度にしか分析してこなかったが、私の人生50年の経験はその間違いを教えてくれつつある。今の私は、自民党こそが、市場経済体制を維持するという前提においてであるが、非常に日本的な混交政党として右派から左派まで包摂してきた民主集中制政党ではなかったか、という気がしてきている。しかも、自民党には保守対革新という構図ではとても包摂しきれない幅の広さがある。むしろ、野党の珍奇な政党のほうが保守的であることを証明する事例に事欠かない。この観点から、自民党が果たしてきた有能性を捉え返すことは必要な作業であるように思われる。
 
 私には、「保守本流」という用語は適切でないように思われる。正しくは、「政権本流」というべきではなかろうか。自民党にはこの「政権本流」意識が強烈にあって、なお且つこの「政権本流」意識は明らかに戦前と戦後で質が替わっている。戦後憲法が為さしめた技かも知れない。ここを弁証法的に捉えないと自民党の実態が見えてこない。

 なお、戦前と戦後では「政権本流」が入れ替わっており、戦前の「政権本流」は、戦後の岸・(佐藤)・三木・福田・中曽根・(宮沢)・森ラインが継承しているように思われる。つまり、現在は「戦前型の政権本流」時代ということになる。他方、吉田・池田・(佐藤)・田中・大平・鈴木・(宮沢)ラインが「戦後の政権本流」であり、この二系譜は元来が水と油の死闘戦の間柄であるように思われる。()付きの佐藤・宮沢は玉虫色である。ここに名の載らない首相はこうした観点の意識が無さ過ぎる又は短期間過ぎて評価し得ない理由による。
 
 加藤氏が「政権本流」を述べる場合、この「戦後の政権本流」意識をメッセージしていると考えることが出来、極めて的確であるように私には思われる。野中も又この認識を持っていることは幹事長だっただけのことはあるということになる。宮沢氏がそんなものはないと言うこと自体、氏の官僚思考を物語っており、池田の薫陶宜しきを得た門下生としては情けない極みであろう。後藤田が昔はあったが今は無いと云う時、ではどちらが良いのか聞いてみたい。松野が保守支流だと言うとき、戦前型の保守本流系譜に位置する氏から見れば、なるほどその通りであろう。

 この二つの「政権本流」派は、国家観から政策から政局運営の手法に至るまでことごとくが対立している。なお、この二つの「政権本流」間のそれぞれの内部も微妙に出自が違っており、細かく見れば差異がある。この違いに応じて派閥を生み出してきたのではなかろうか。この対立を協調に転化せしめるものが議会制民主主義のルール(民主集中制)と派閥間調整の掟とでも言うべき諸原則であり、ヘトヘトになりながらも今日まで辿り付いているのではなかろうか。
 
 現在こういう見方が機能していないのは、当の議員達の能力がこの水準に達しておらず、利権と単なる徒党集団に堕落していることによる。このたびの森改造内閣の両側に陣取っている人士はその色欲ボケの極みを晒しているように思われる。各派の境界がボーダレスになっているのは決して評価されることではなく、互いが己の拠って立つ基盤を知らずという、それだけ政権と政策に識見を持たない人士が単に糾合しているに過ぎないことによるのではなかろうか。政権与党がこれだけ低脳化しているのだから、野党の出番だとは思うが、驚くなかれ、野党のほうがもっと低脳というのだから憤懣やる方ない。この現象はなんなんだろう。
 
 私の見るところ、政権取り意識をもって党として機能しているのは自民党と自由党と公明党ぐらいだろう。社共はその任にあらず、ただありつこうとしているに過ぎないことはこの間ん十年も見飽きてきた。いつの間にか民主党という野合政党が勢力を為してきているが、鳩山・管・羽田・横路らの能力次第の正念場だろう。しかしいずれにせよ、自民党的本流路線のどちらの系譜につながろうとしているのか、新たな本流路線を創造できるのかという肝心の青写真なしには絵に描いただけの餅に終わるだろう。
 
 もう一つの選択肢として、ただありつこうとしているに過ぎないことはない本格的政権取りに向かう人民政権運動もあり得る。来る国家破産状況の廃墟を想定し、政治を利権集団のおもちゃにさせない識見豊かな党派が出てくることも望まれている。本音で議論を繰り広げ、見解の対立が暴力に発展せず、民主主義の諸原則と自己批判の作風を培養し、暴力を持ち込むものを許さず、ご都合主義のイデオロギーを振り回さずさせず、人的資源と政策能力を高め、国際時代に対応できる日本の舵取りを為し得る能力を持った政党が現れるなら、乾いた地中に水がしみ込むように浸透していくだろう。この勢力による原則と妥協の政治も見て見たい。21世紀初頭はこの方面からの動きをウオッチして見るのも面白いように思う。

【太田龍・氏の慧眼】
 太田龍・氏は、「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」の中で次のように述べている。
 「戦後の日本では、アメリカ(ユダヤ)の対日戦略を読むことのできる人材が、極めて微弱(というよりほとんど皆無)にならざるをえない。ただ、昭和10年(1935)前後から敗戦までの10年間は、我が国の歴史に於いて、真剣な日本民族の命運を懸けたユダヤ批判が行われた唯一の時代である。この時代に官僚生活に入った世代は、多数が戦死したが、一部は生き残って占領軍の公職追放にも引っかからず敗戦後の日本の行政を支えた。

 彼らの中から、かなりの人々が政界に入り、自民党政権に参画している。こうした官僚出身の政治家に、二つの流れが識別される。一つはユダヤ(アメリカ)支配者に限りなく接近し、そのエージェントになることによって政治力を強めたグループであり、もう一つは、多かれ少なかれ昭和10年代の時代の空気を身につけ、本能的な対欧米(ユダヤ)警戒感と日本民族自立の志向を持ち続けたグループである。

 前者の代表が、岸信介であることは余りにも明白だ。池田隼人や佐藤栄作はどうなのか? 彼らも前者のグループに近いということは云えそうだ。宮沢喜一もここに含まれる。むしろ池田、佐藤よりひとまわり若い世代の官僚の世代、この仲から後者のグループが出現している。そして角栄は、この後者の民族自立派官僚グループに依拠した、と云えるのではないか。

 この関係を象徴するものが、角栄と大平正芳(大蔵官僚出身)の堅い盟約関係ではなかったか。大平は、日本は、日本国中を角栄叩きが荒れ狂ったときにも、角栄との信頼、同盟関係の継続を公言している」。

(私論.私見)

 れんだいこは、太田龍・氏の史的は、池田隼人を「前者のグループに近い」とする点で見解が異なるが、概ね鋭い指摘のように思われる。

 2006.3.13日 れんだいこ拝





(私論.私見)