派閥について

 (最新見直し2006.6.19日)

 山本七平氏の著書「派閥」の観点を受け売りすれば、派閥とは次のように定義できる。「派」とは、教派、宗派、学派、党派と云われるように、宗教・思想・学問・政治思想や政策の世界に於いて、ある種の主義主張を共にして結成される集まりを云う。「閥」とは、「出身を共にする者が団結して結成する排他的な集まり」(広辞苑)ということになるであろう。この派と閥という二つの言葉を結びつけて派閥という。してみれば、れんだいこ定義によれば、「集団的な何らかの存立利益と主義主張を結合させた上に成り立つ同志的排他的組織」ということになろう。

 マスコミは、派閥政治を常に批判しつづけてきた。社共運動もこれを格好の攻撃材料として利用してきた。それは、批判する側にはあたかも派閥が存在しないかのように得手勝手な批判であった。れんだいこに云わせれば、派閥そのものの発生は不可避であり、それはもっと公然と認められるべきであり、その上に立った公正な合理的な組織論こそ追及されるべきであろう。そういう意味では、派閥を認めない日共運動よりもそれを公然と認めてきた自民党運動の方が組織論的に進んでいるとさえみなすことが可能であろう。

 三木政権以来、度重なる派閥解消宣言が為され、決議もされてきた。しかし、看板が代わっただけのことで新たに政策研究集団が生まれ、何の事は無い実態的に見て旧派閥そのままであった。北門政二・氏は、「田中角栄代軍団101人」の中で次のように述べている。
 「それはまるで、アメリカの禁酒時代の密造酒や梅雨時のカビと同じようにどんなに解消しようが追放しようが名称を替え生き返り生まれ変わってきたのが偽装派閥解消だ。自民党のセンセイたちにとっては、派閥の弊害よりも効用のほうが強かったのである。その効用の最も大きく強い派閥に多くの人が群がるのは、何も政治の世界だけでなはく、財界、官界や象牙の塔のシンボル・大学、学術の世界もまた同じである」。

 山本七平氏は、「派閥」の中で次のように述べている。
 「新聞は長い間『派閥』を『諸悪の根元』とし、まて『派閥解消』はしばしば政党人も口にし、それを公約したかの如き総理も出現した。だが派閥は消えなかったし、今後も消えないだろう。ただその性格が『派』の要素が強くなるか『閥』の要素が強くなるかで相当に性格の変わったものにはなり得るであろう」。

 我々は、「派閥の弊害よりも効用のほうが強かった」、「派閥に多くの人が群がるのは、何も政治の世界だけでなはく、財界、官界や象牙の塔のシンボル・大学、学術の世界もまた同じである」をそれとして踏まえる見識を持つべきではなかろうか。

 2006.6.19日再編集 れんだいこ拝


【派閥の効用】
 派閥は、ひと頃のジャーナリズムの云うが如く否定されるべきものではない。むしろ反対に、政治のダイナミズムを引き出す点に於いて必要であり、派閥の効用の方がより大と看做されるべきではなかろうか。元総理鈴木善幸氏は、著書「元総理鈴木善幸 激動の日本政治を語る」の中で次のように述べている。実際にその任に有った者の言であるからして重いと云うべきだろう。
 「お互いに自分達の考え方を主張する。時には衝突もする。あるいは争う、又は政権を目指して行動をする(略)。それがやはり、保守党政治に大きな活気を与え、大きな前進を促してきた」。

 れんだいこは、功利的な面からの派閥の効用のみならず根源的な面からも是認したい。即ち、派閥というものは、人間種族の社会的有り方として極く自然で、それを否定するよりも是認する上に成り立つ利害調整的社会構築こそ目指すべしで、その出来具合が社会的健全度の目安となると思料する。




(私論.私見)

自民党派閥の歴史

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