れんだいこの国債問題責任論
ーこんな日本に誰がしたのか、れんだいこが責任を問うー |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).10.18日
(れんだいこのショートメッセージ) |
現在の日本が抱える累積国債債務について知識を得ようとしても巧妙にその実態が隠されている。ネット検索しても愚にも付かない利殖論であったり、発行の仕組みの解説であったりする。従って、我々には現下の国債問題を論ずる際の前提になる肝心要の知識がない。故に、見解も定まらない。その中で、れんだいこの気づいた仕掛けを以下サイトアップしておき、識者よりの指摘を待ちたい。 国債論の最初に為さねばならないのは、「こんな日本に誰がしたのか」と問うことである。つまり、今日のような累積国債債務の流れを創り出した者の責任を問わねばならないということである。ところが、様々な解説書が溢れているものの肝腎のこの指摘が恐らく故意に外されている。ここに国債論を覆うヴェールを見て取ることができよう。故に、れんだいこが剥ぎ取ってしんぜよう。なぜなら、この問い掛けなしには駄弁になってしまうから。 2005.1.15日、2005.5.14日再編集 れんだいこ拝 |
【角栄論と国債論は根が同じ】 | |
砂辺功・氏の「田中角栄怒涛の大構想」の冒頭の書き出しが参考になるので引用する。
この記述は、砂辺功・氏が、1983(昭和58)年時点に於いて、稀有の逸材・田中角栄がロッキード事件により十字架刑に処せられようとしていた当時のヤラセ騒動に対して、冷静に処するよう警鐘乱打乱打している言葉である。れんだいこは、国債論に対する指摘にも通ずると思い引用した。まさに、ずるずると国債を乱発していく現在のサマはぬかるみの大東亜戦争の道と右同じではなかろうか。この国の為政者は結局いつも同じコースを辿る癖を持っているということか。 もし、ここに、ある「仕掛け」が入っているとすれば、それに気づかぬ振りをして現状を糊塗する者の罪は多かろう。気づきながら逸早く我先にと敵権力の懐に飛び込み、出世権力を得たいがために積極的に旗を振り、栄耀栄華を極めようとするお調子者の罪は極まれり、というべきだろう。我々は彼らを必ず歴史法廷へ引きずり出し、その悪事を暴露せねばならぬ。これを歴史責任と云う。それも彼らが生きているうちが良かろう。 2005.1.25日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その10 | れんだいこ | 2005/01/21 |
「国債を廻る国会質疑史」をサイトアップした。 (cokusaico/kokkaishitugishico.htm ) 国債を廻るれんだいこの知識が乏しいので疑問を附すのみにしたが、この疑問が正しいとしたら由々しきことになる。 国会で質疑するのは、事態を解明し対策を練るためかと思っていたが、史実を歪め詐術するプロパガンダの機関として活用されていることになる。 一体、国債発行に罪あるのは、最初の赤字国債、建設国債発行の責を負う福田であり、赤字国債を常態化させた三木であり、鈴木政権時の抑制化の営為をご破算にした中曽根であり、そのはちゃめちゃな国債大量発行政策を受けぎ垂れ流し続けた竹下であり、村山が又その道へ突き進み始め、橋本、小渕、森、小泉と今に至っているという構図で見るべきではないのか。その流れから福田の責任を咎めず、中曽根となると逆に描き出し財政再建貢献者として褒めそやしつつ質疑応答をするとはこれ如何に。 小泉は、総裁選当初はこの財政危機を解決すると大見得を切っていたが、「国債発行30兆円以下」の公約が破られていることを指摘されるや、「こんな公約が破られても大したことではない」と居直る始末。政策に信をおく御仁ではないことが分かる。海外へ向けて大盤振る舞いすることと軍事防衛費好きは中曽根と双璧で、これに演習好きの石原が加われば三羽烏と云えようか。 この三羽烏は憲法改正も好きみたいである。専守防衛論なぞもうはるか昔の議論となり今や、自衛隊の日米合同演習から実践武闘路線への転換が促されつつある。それにしても急ピッチ、ドラスチックに変化しつつある。それが良いほうへならともかく、ブッシュー小泉の薬物中毒同盟による幻覚幻聴ムチワールドへの誘いだとは。 それでも、この裸の王様同盟によってたかって追従しまくり、利益おこぼれに与ろうとしている者が未だに後を絶たないというのだからあきれる。そう云えば、小泉政治を好評価する細木数子、田原総一朗、猪瀬らの口調が何時変わるだろうか、それを占ってみるのも面白い。 不思議なことに今年は丁度奇しくも戦後60年。中国では辛酉の年には革命が起こるという説がある。辛酉は60年ごとにやって来る。何かが起こりそうな節目に当たっている。こんな馬鹿な世の中が続くことはなかろう。 2005・1・21日 れんだいこ 拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その12 | れんだいこ | 2005/01/24 |
【断末魔に喘ぐ日本、汝可哀そう】 我が国の国債問題は、「初めちょろちょろ中ぱっぱ、追ってぶくぶく」の道筋を辿ってきた。ご飯炊きならそれで一段落するが、国債問題はそうはいかぬ。今では「うなぎ上り」でうねっている。この情況認識が共有できないと以下の話しが噛みあわない。 小泉首相は、政権発足当初は「国債30兆円枠縛り」を約束していた。が、その後の経過で、政権取りの為の口舌ゼスチャーに過ぎなかったことが判明した。小泉は、そのことを指摘されるや、「こんな公約破りなどたいしたことではない」と居直り、引き続き放漫財政に耽っている。 しかし、国家財政の硬直化の現実の前に何らかの対処をせねばならない。そこで造りだしたのが「三位一体」なる造語である。要するに、国家財政が窮迫化してきたので従来のように地方へ廻す金がないことから補助金削減しようとしているのだが、何らかの合理性のある新政策体系を生み出して処しようとしている訳ではない。思いつきの行き当たりばったりをアドバルーンしながら政局運営しているに過ぎない。 不快なことは次のことである。国内的な最重要課題としての財政再建問題に何らの有効な対処を為さぬまま、ブッシュの自由イデオロギー聖戦論をそのまま真似て郵貯の民営化論を打ち出し、無理矢理抵抗勢力を拵えて不退転の闘争決意を語る。しかして、郵貯の民営化論に何の合理性があるのか皆目はっきりしない。ただ単に遣り抜くという決意表明だけである。弁明為しえぬままとにかく遣り抜くというその姿勢は、背後勢力に教唆されている故であろう。 不快なことは次のことである。小泉首相は、中曽根の向こうを張るかのように国外向けに大盤振る舞いし続けている。軍事関連費の打ち出の小槌が際限なく振り下ろされ続けている。れんだいこには、その費用がどこから出てくるのか分からない。国会決議なしに何故許されるのかが分からない。 ブッシュの第一ポチとして愛想を振りまく痴態が次第に世界に知られつつある。世界に例のない異常な累積国家債務の過重重圧問題を抱えているのに、それに何らの有効策を呈示しないままに、ブッシュの指図するままにスポンサー役を引き受けており、小泉にとってどうやらその際のエエ格好のみが生き甲斐らしく、その能天気さが密かに失笑されつつある。この馬鹿はいつまで演技し続けられるのだろう。 しかし、その小泉を名宰相として叱咤激励してきた我が国の政治的貧困を如何にせん。この間のマスコミの提灯痴愚ぶりをいかんせん。2005年1月の今日に於いて、「抵抗勢力に負けるな論」を説き続ける者が居るとするなら、これをいかんせん。れんだいこは断ずる。「漬ける薬がない。よって処置なし」。 今や日本は、国家破産の危機を迎えている。というよりも正確には、国家破産は手段であり、内実は日本が乗っ取られようとしていることにある。日本はなぜ乗っ取られるのか。それは日本に魅力があるからである。山紫水明の瑞穂の国という国土資源と相対的に有能な人的資源という環境資源が、世界史的に観て宝物であるのだろう。他にもありそうだがここでは記さない。そういう訳で、日本が狙われている。当の日本人はそのことに気づいていない。 その政策を音頭とりしているのが日本政治史上のタカ派であり、彼らは戦前にあっては軍部のお先棒を担いだ。戦後になると米英ユ同盟に売込みして、魂を売る代わりに出世権力を貰っている。タカ派というのは、イデオロギーというより何時の世でも最も強い権力になびく癖があるようである。 80年代初頭の中曽根政権の登場と共に、そういう輩が日本の支配上層部に巣食ってしまった。彼らの指導の下に、日本は史上初の国家的破産、国民的隷従を余儀なくされる道へ誘われつつある。 その経緯は、まさに絵に描いたような「シオンの議定書」のシナリオ通りであり、その成功の様はシオンの議定書派自身が驚くほどの見事さで進行しつつある。「国債発行謀略」とエージェントの送り込みがこれほど成功した例は世界史上の驚きであろう。 今や、小泉問題は、国家存亡の危急問題として突きつけられている。それを許すこと自体、許す側もまた自分で自分の首を絞めながら恍惚している痴呆であることを証しているであろう。 れんだいこが最近事情を読み解くのに次のように云える。バブル経済は崩壊した。民間レベルは否応なく新事態対応型の生活スタイルへ転換した。が、意識が引き続きバブルのままにある勢力がいる。その余韻が小泉政治を許していると評することができる。 政官業マスコミの四身一体勢力が未だその只中にある。最も遅れているこのバブル紳士達の意識はいつになったら真っ当なものに戻ることができるのだろうか。こういう連中に限って自称エリートを自認しているだけに始末が悪い。 今目前に於いて進行しつつあるこの痴態を撃つのに、改善改良策で間に合うのだろうか。れんだいこは絶望している。なぜなら、既存の利権構造に大鉈を振るわない限り、事態は解決しないと思うから。果たして、大鉈を改善改良策で導入することができるだろうか。れんだいこは歴史上その例を知らない。 いずれにせよ、この苦境を脱し新社会秩序を展望する為の青写真とロードマップが要る。それを生み出す力は既成の権力派にはなかろう。そういう訳で、世は革命を欲している。つまり革命主体の形成が一刻も早く望まれている。「革命は楽しからずや」、「見えてから説くのは世間並み、見えん先から見抜いて説くのや」、今ほどこの言葉を噛み締める必要があるときはなかろう。 2005.1.24日 れんだいこ拝 |
【国債発行に於ける福田蔵相の責任考】 |
戦後財政法は国債発行の原則禁止を明記しているのに、福田蔵相は何ゆえに火中の栗を拾うようなことをしたのだろうか。それまでの財政政策は、この規定を遵守して、直前の池田内閣、佐藤内閣時の田中蔵相時まで国債を発行しなかった。留意すべきは、この時代にあっては国債発行なぞに依存しなくとも世界史上稀なる高度経済成長を獲得していたことであろう。このことは、国債に依存しなくとも景気回復はできるし、産業は発展するということを例証しているだろう。 戦後財政法の原則であった国債発行禁止の禁を破ったのは、池田内閣から佐藤内閣を跨いで任にあった田中蔵相の後任の福田蔵相であった。1965(昭和40)年、福田蔵相は大見得を切り、「お任せあれご安心を」と胸を叩きながら戦後初の国債発行、しかも赤字国債発行に踏み切った。この時の胸たたきが何の根拠もナく単なる人気取り政策から発したものであったことは、今日火を見るより明らかであろう。 してみれば、今日の国債過重債務問題の原点をつくったのは、佐藤内閣時の福田蔵相であった。このことを端的に指摘する論者がいない。それは、現代日本を牛耳る政権がシオニスタン系タカ派であることにより、これに提灯する御用系識者がこの不都合な史実に触れることを忌避しているせいであろう。 こうして、戦後財政法の捻じ曲げにより国債が発行されるに至ったが、ひとたび道筋が付けられると「始めちょろちょろ中ぱっぱ」式の歩みを開始していくことになった。その様は、戦後憲法前文と9条の規定に反して自衛隊が創設され、その後様々な弁明を経つつ今日恐竜の如く肥大化している様とそっくりである。この両者は実に見事に歩調を合わせている。 れんだいこは、自民党をタカ派とハト派の混交政党と見ている。拠って、一律的な政府自民党批判に馴染まない。むしろ、国債政策にしてもそうだが、タカ派が一貫してこれを押し進め、ハト派が何とか財政再建しようと汲々としてきた歴史を見てとることができる。もっとも、タカ派ハト派の識別は、れんだいこ的なものであり、マスコミの描く像とは違う。 例えば、三木なぞ、れんだいこはハト派と見なさない。三木はタカ派系のだがしかし「議会の子」を演出した単なる機会主義者と見るべきであろう。例えば、竹下、宮沢なぞもハト派と見なさない。むしろ、池田、田中、大平、鈴木の真性ハト派ラインの陣営にありながらこれを裏切り背を向けた、敢えて云うなら「ねじれハト派」と見なす。この「ねじれハト派」とタカ派の合体によって、1980年以降の日本政治史が大いに貧困に陥った。こう観るべきであろう。 これをスケッチすれば、次のように云えるだろうか。 タカ派の福田蔵相は、佐藤内閣時代、国債発行の先鞭を切っただけではない。その常態化と大量発行の道筋化にも責任を負っている。次のハト派の総帥田中内閣は賢明にもこれを抑制する。しかし、建設国債は発行されている模様だ。しかし、弱タカ派の三木が福田政策に追随し、再び赤字国債の発行に手を染め、以降常態化する。そういう意味に於いて、福田同様に三木の責任も重いといわざるを得ない。 続く、福田内閣時、だらだらと建設国債と赤字国債が発行され続けていく。その福田に総裁選で勝利したハト派の大平とそれに続く鈴木が、促進されていく財政悪化に歯止めをかけようと工夫を凝らす。鈴木内閣時の土光臨調はその産物であった。この時、福田時代までの大量国債発行のツケに対して財政再建を目指すことになり、「1981(56)年度から毎年2兆円の国債減額を行い、1984(59)年度までに赤字公債の発行をゼロにする」、「1990(65)度までに赤字国債依存の脱却」計画を策定した。予算をゼロ(マイナス)・シーリングにし、公共事業を抑制し、昭和53年度以降58年度まで所得税減税を見送る等々財政再建に取り組んでいる。 しかし、裏事情は分からないが鈴木が突如政権を放棄し、代わって極右たる中曽根内閣が登場する。戦後日本のハト派政治は鈴木内閣をもって終焉する。中曽根政権は、大平ー鈴木内閣時の行革路線を流産させ、再度国債発行常態化と大量発行に道を戻し暴走し、いわゆるバブル経済へ向い始める。土光臨調の労苦は水泡に帰し、無惨にも使い捨てされたことになる。 その後を次いだタカ派宇野、ねじれハト派海部、同竹下、弱ハト派の宮沢内閣は、中曽根路線を踏襲し、いわば国債の垂れ流しを促進する。反自民の総結集として細川内閣が生まれ、羽田へと繋ぐ。この時期再度財政再建に取り組むが、はかばかしい成果を挙げれない。 自社政権の村山内閣が登場し、平成2年から平成5年度まで発行しなかった赤字公債に再々度手を染める。以降、各年度において赤字国債の発行を常態化していくことになる。平成6年以降今日まで赤字公債が止めどなく増えていく。続く橋本内閣もこの恐竜を制御できなかった。 1998.7.30日、橋本首相の後任として小渕政権が発足。蔵相に宮澤喜一が就任する。宮沢蔵相時代、効のある政策が何も為されていない。この無責任野郎はいつもこうだ。2000年、ねじれハト派の小渕が急死し、以降タカ派の森ー極右小泉へと繋がる。今や、財政再建をあきらめた感がある。むしろ暴走し始めており、先行き真っ暗な闇路を突っ走っている。 以上振り返れば、福田の音頭とり、中曽根の打ち上げ花火、小泉のマシンガンというシオニスタン系タカ派ラインの無責任政治によって、道中ねじれハト派によってその修正に向かうというシーソーゲームをしつつも共々で奈落の底へ向いつつあることが判明しよう。 2005.1.15日、2006.2.17日再編集 れんだいこ拝 |
【経団連の「わが国の基本問題を考える 〜 これからの日本を展望して」考】 | |
2005.1.18日、(社)日本経済団体連合会(以下、「経団連」称する)は、「わが国の基本問題を考える 〜 これからの日本を展望して」を発表したが、
「4.財政の持続可能性の確保 (1) 財政破綻の危機」の項で、 次のように述べている。
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「経団連」の単に危機を訴えるだけの煽りに立腹しない者がいたら、その者は何にも分かっていないことになる。所詮、己の企業だけが生き残ればよいという我利我利亡者の寄せ集め出しかない企業団体による、こういう事態に至った原因追求を何一つ為さずして、企業減税、大衆課税強化路線を訴求したとて却って事態はこじれるばかりであろうに。情けないこと限りない。 2005.1.21日 れんだいこ拝 国債の累積債務は深刻な問題であり、これから目をそらす諸々の論は矢を的から外してむやみやたらに射ているに過ぎない愚行でしかない。野田首相及びその一派によれば、故にとして消費増を始めとする各種公租公課の増税で切り抜けようとしているのだが、首を自ら締めて恍惚するサドイズムでしかないのも自明である。日本は今、真剣に1000兆円を超えた国債の累積債務問題に対処すべきである。だがしかしその前に国債の累積債務史を正確に理解しておくことが前提となるだろう。なぜなら、問題を解くには、問題を理解しなければできない相談であるからである。然るに、国債の累積債務史に言及した良い手引書がない。そこで、れんだいこが、更に、国債論を全体的に認識する為にを、国債の累積債務史に関してはと題して若干の考察をしている。今後漸次見直し充実させたいと思っている。 2012.1.16日、れんだいこ |
れんだいこのカンテラ時評bP016 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 1月17日 |
国債の累積債務は深刻な問題であり、これから目をそらす諸々の論は矢を的から外してむやみやたらに射ているに過ぎない愚行でしかない。野田首相及びその一派によれば、故にとして消費増を始めとする各種公租公課の増税で切り抜けようとしている。しかしこれも、首を自ら締めて恍惚するサドイズムでしかないのも自明であろう。 日本は今真剣に1000兆円を超えた国債の累積債務問題に対処すべきである。だがしかしその前に国債の累積債務史を正確に理解しておくことが前提となるべきだろう。なぜなら、問題を解くには、問題を理解しなければできない相談であるからである。然るに、国債の累積債務史に言及した良い手引書がない。そこで、れんだいこが、国債論を全体的に認識する為に「国債論」を、その中で国債の累積債務史に関して「戦後国債発行史その1」と題して若干の考察をしている。今後漸次見直し充実させたいと思っている。 2012.1.16日、れんだいこツイッターに、「国債発行も角栄さんの時から開始」なるツイートが舞い込んだ。これを愚考する。ツイート者にその根拠を問うと「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」がリンク紹介された。これによると、「5月末頃、田中角栄蔵相、山一證券経営危機、日銀特融を決断。7月末頃 国債発行を決定」と記載されているからして、田中蔵相時代に国債発行されたのではないかとのロジックになっている。「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」がこういう理解になるよう記しているとすれば、その記述がオカシイ。意図的故意か単なる省略し過ぎかにつき判定難いが恐らく前者であろう。 「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」はなぜ国債発行史を正しく記述しないのだろうか。敢えて田中角栄に責任を被せようとする意図は何なのか。れんだいこは、この辺りに興味を覚える。「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」が正しく記述するならば、「1965(昭和40).6.3日、山一證券事件処理後、第1次佐藤内閣第1次内閣改造が行われ、大蔵大臣が田中角栄から福田赳夫に代わって以降、佐藤首相―福田蔵相コンビで国債発行が遂行された」ことを明確にせねばならない。 執筆者が知らなかったでは済まされない重要事項だし、知っていながら田中蔵相から福田蔵相への交代を記述飛ばしすることも許されない。国債問題は、この史実を正確に確認するところから始まり、ここを曖昧にするようではろくな考察なぞできやしまい。 以下、「国債発行に於ける福田蔵相の責任」について愚考しておく。 戦後財政法は国債発行の原則禁止を明記し、戦後の焼け跡からの歴代の政府がこれを遵守して直前の池田内閣、佐藤内閣時の田中蔵相時までは国債を発行しなかった。その後の佐藤内閣下の福田蔵相時代になって何ゆえに火中の栗を拾うようなことをしたのだろうか。留意すべきは、この時代にあっては国債発行に依存しなくとも世界史上稀なる高度経済成長を獲得していた筈であり、国債に依存しない経済成長は大いに可能であったと云うことである。福田蔵相は何故に国債発行の禁を侵したのか。この闇を考察せねばならない。 福田は角栄からバトンタッチして蔵相になるや、大見得を切り、「お任せあれご安心を」と胸を叩きながら戦後初の国債発行、しかも赤字国債発行に踏み切った。その後の国債発行史を見れば、この時の胸たたきには何の根拠もなく、単なる人気取り政策から発したものであったことは、今日火を見るより明らかであろう。然るに、その責から逃げ回ったのが、その後の福田の政治履歴であった。 今日の国債過重債務問題の原点をつくったのは佐藤内閣時の福田蔵相であったのに、このことを端的に指摘する論者がいない。それは、現代日本を牛耳る政権がシオニスタン系タカ派であることにより、これに提灯する御用系識者がこの不都合な史実に触れることを忌避しているせいであろう。そうとしか考えられない。あろうことか角栄に濡れ衣を着させようとさえしている。断じて許し難い。 こうして、戦後財政法の捻じ曲げにより国債が発行されるに至ったが、ひとたび道筋が付けられると「始めちょろちょろ中ぱっぱ」式の歩みを開始していくことになった。その様は、戦後憲法前文と9条の規定に反して自衛隊が創設され、その後様々な弁明を経つつ今日恐竜の如く肥大化している様とそっくりである。この両者は実に見事に歩調を合わせている。原発開発史も良く似た歩みを見せている。そういう意味で、軍事防衛費史、原発開発費史、国債発行史、これに消費税史も加えた四つ子が連れ子のような気がしてならない。 れんだいこは、戦後日本政治を、政府与党を形成した自民党内のタカ派とハト派の抗争且つ混交による和合史と見ている。もっとも、タカ派ハト派の識別は、れんだいこ的な基準によるものであり、マスコミの描く像とは違う。マスコミによれば三木がハト派のチャンピオンに奉られるが、れんだいこの仕分けでは三木はタカ派系の政治家である。竹下、宮沢なぞもハト派と見なさない。むしろ、真性ハト派ラインの陣営にありながらこれを裏切り背を向けた、敢えて云うなら「ねじれハト派」と見なす。ここで云うハト派とは池田隼人―田中角栄―大平正芳―鈴木善幸系譜を云う。れんだいこは、この系譜の政治を絶賛している。拠って一律的な政府自民党批判論は受け入れない。これを論ずればキリがないので割愛する。 国債政策にしてもそうだが、タカ派が一貫してこれを押し進め、ハト派が何とか財政再建しようと汲々としてきた歴史を見てとることができる。これをスケッチすれば、次のように云えるだろうか。 タカ派の福田蔵相は、佐藤内閣時代、国債発行の先鞭を切っただけではない。その常態化と大量発行の道筋化にも責任を負っている。次のハト派の総帥田中内閣は賢明にもこれを抑制する。しかし、建設国債は発行されている模様だ。その田中政権が金権批判で退陣するや後継した本籍タカ派の三木が福田政策に追随し、再び赤字国債の発行に手を染め、以降常態化する。そういう意味に於いて、福田同様に三木の責任も重いといわざるを得ない。 三木退陣後登場した福田政権時、だらだらと建設国債と赤字国債が発行され続けていく。その福田に総裁選で勝利したハト派の大平とそれに続く鈴木が、促進されていく財政悪化に歯止めをかけようと工夫を凝らす。鈴木内閣時の土光臨調はその産物であった。この時、「1981(56)年度から毎年2兆円の国債減額を行い、1984(59)年度までに赤字公債の発行をゼロにする」、「1990(65)度までに赤字国債依存の脱却」計画を策定した。予算をゼロ(マイナス)・シーリングにし、公共事業を抑制し、昭和53年度以降58年度まで所得税減税を見送る等々して財政再建に取り組んでいる。 しかし、裏事情は分からないが鈴木が突如政権を放棄し、代わって極右たる中曽根内閣が登場する。戦後日本のハト派政治は鈴木内閣をもって終焉する。中曽根政権は、大平ー鈴木内閣時の行革路線を流産させ、再度国債発行常態化と大量発行に道を戻し暴走し、いわゆるバブル経済へ向い始める。土光臨調の労苦は水泡に帰し、無惨にも使い捨てされたことになる。 その後を次いだタカ派の宇野、ねじれハト派の海部、竹下、宮沢は中曽根路線を踏襲し、いわば国債の垂れ流しを促進する。反自民の総結集として細川内閣が生まれ羽田へと繋ぐ。この時期再度財政再建に取り組むが、はかばかしい成果を挙げられないまま瓦壊させられる。 自社政権の村山内閣が登場し、平成2年から平成5年度まで発行しなかった赤字公債に再々度手を染める。以降、各年度において赤字国債の発行を常態化していくことになる。平成6年以降今日まで赤字公債が止めどなく増えていく。続く橋本内閣もこの恐竜を制御できなかった。1998.7.30日、橋本首相の後任として小渕政権が発足。蔵相に宮澤喜一が就任する。宮沢蔵相時代、効のある政策が何も為されていない。この無責任野郎はいつもこうだ。 2000年、ねじれハト派の小渕が急死し、以降タカ派の森、極右小泉へと繋がる。この時点で財政再建をあきらめた感があり、むしろ暴走し始めている。その後の安倍、福田、麻生で自民党政権が終わり、2009年衆院選で民主党政権になり鳩山、菅、野田へと移行し今日に至っている。民主党政権時代になって、それ以前の自公政権よりも酷い野放図な財政政策が続いており、むしろブリがついて止まらない観がある。 以上振り返れば、福田の音頭とり、中曽根の打ち上げ花火、小泉のマシンガンというシオニスタン系タカ派ラインの無責任政治、民主党三代政権の垂れ流しによって、道中ねじれハト派によって若干の修正に向かうシーソーゲームを経つつも結局は奈落の底へ向いつつあることが判明しよう。 問題は次のことにある。以上はスケッチであり、為すべき必要なことは、この国債累積債務の膨張史が歴史的必然のものなりや否やと云う考察をせねばならないということである。れんだいこの解は、現代世界を牛耳る国際金融資本の日本コントロール政策によりもたらされたものであり、ブタの子戦略で太らされたものであると判じる。 この解析に対しては陰謀史観と云う名が伏せられる。大いに結構ではなかろうか。陰謀が存在する時にその陰謀を見ようとしない粗脳派とは永遠に交わらない知の溝がある。陰謀が存在するとして対処の処方箋を見出さんとする別の知があり、席を同じくしたいと考えている。 2012.1.17日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)