精神病者と家族の葛藤問題考

 更新日/2016.9.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで精神病者と家族の葛藤問題について考察することにする。

 2016.9.3日 れんだいこ拝


  みわよしこの2015年12月13日 ブログ「81歳の父親は、何があれば精神障害を持つ娘を殺さずに済んだのか?」を参照する。
 2015年2月、精神障害を持つ娘(当時41歳、以下「A子」とする)を父親(81歳)が殺害する事件が発生している。

 事件のアウトラインは次の通り。

 A子は3人きょうだいの末っ子の長女。「優しい子」だった。内気で反抗期もなかった。だが、高校卒業後に就いた就職した眼鏡会社を5カ月で退職。約2年で6、7社を転々とし長続きしなかった。20歳ごろからは家にひきこもった。突然暴力が始まった。思い通りにならないことがあると両親に暴力を振るい、食器や家具などを壊すようになった。 「小学から高校までいじめに遭い、職場でも人間関係で悩んでいたようだった。長い間ため込んだストレスのせいかもしれない」と村井さんは言うが、はっきりした原因はわからない。

 2001年12月。長女は買い物で帰りが遅くなった妻をとがめ、窓から皿10枚を隣の家に投げつけた。警察に保護され、精神鑑定の結果、「情緒不安定性人格障害」、自己中心的で暴言や暴力行為など他罰的症状を伴う「強迫的神経症」と診断された。「ショックだった。外見もしゃべり方も普通の子なのに」 。村井さんの相談を受けた警察が暴れる長女を保護し、保健所の職員が精神科に連れて行くことも度々あった。自己中心的、他罰的になり、暴言や暴力行為などの症状が見られるパーソナリティー障害などと診断され、入退院は11回を数えた。

 退院後はまた暴れだし、入退院を繰り返した。明確に精神病とされないケースがいちばん難しい。長女は自分の「異常性」を認識しており、病気を治そうと専門書を何冊も買い込んでいたという。(以下、家族が娘の暴力から逃げるために家を離れていた時期があったこと、娘に他罰だけではなく自殺企図が複数回あったこと、暴力のエスカレート、長女に一人暮らしさせてもアパートを壊して帰ってきたことなどの記述が続く)

 入院させられた娘は日記に、「生きている事がとても苦しい」、「病気は此の病院で本当に治るのでしょうか」、「誰も私の心をわかってくれない。弱い顔を見せる事ができるのは家族だけです。今ねとても心が疲れ切っています」と書いている。精神的に落ち着いている時の長女は「(暴力が)悪いのは分かっているのにしてしまう」と漏らしたりしている。

 暴力は毎日のように続いた。標的になったのは妻だった。肩と左手をハサミで刺す。家中のガラスを割る。パイプ椅子で壁をたたく。「物音がうるさい」と、隣の家に包丁を投げたこともある。耐えかねた妻は「行方不明ということにして」と言って家を出て、別の町で1年半、一人で暮らしたこともあった。

 近所の人や村井さん自身が110番通報した時もあった。その度に精神鑑定を受け、「統合失調症」「パーソナリティー障害」などとも診断された。入退院は11回に及んだ。保健所に相談したが、長女が訪問を拒んだ。「心中すれば楽になれると何度も思った」 。警察から「事件でない限り、これ以上の対応はできない」として刑事告訴の選択肢も示されたが、できなかった。保健所や精神障害者の家族会にも相談したが、長女が訪問などを拒んだ時点で関わりが断たれた。考えつく全ての機関に助けを求めたが状況は変わらなかった。

 2015年2月14日、父親による娘殺害。バレンタインデーの夜だった。(略)午後10時すぎには、自宅が気に入らないと大声をあげ始めた。「新しい部屋を借りろ」。長女はベッドに横たわる妻(75)を布団ごしに何度もたたいた。妻と長女との3人暮らし。妻は昨年5月から間質性肺炎を患い、足腰も弱っている。布団を頭までかぶり、おびえる妻の姿が目に入った。(略)電気コードで後ろから長女の首を絞めた。ぐったりした長女を見た妻が、別居の長男家族を通じて救急車を呼んだ。駆けつけた警察官に村井さんは現行犯逮捕された。

 裁判員裁判→求刑→執行猶予つき判決。(略)検察側は「強い殺意をもち、犯行態様は軽くない」として懲役6年を求刑し、結審した。(略)論告で検察側は「被告人に同情の余地は一定程度あるが、被害者と距離を置くなど殺害以外にも方法があった」と指摘。一方の弁護側は「重い精神障害のある娘の面倒を長年見るにあたり、肉体的にも精神的にも限界に達していた。犯行を後悔しており、高齢である」として執行猶予付きの判決を求めた。

 2015.7月、精神障害のある長女(41)を殺害したとして、和歌山市の村井健男さん(81)が7月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。父親のその後。「私の事件を最悪の事例としてほしい」。同じ境遇にある家族の助けになれば。講演会「求め続けた希望の光」で体験を語る。「どうすれば娘を救えたのか、参加者と話したい」。自宅を24時間開放し、同じ悩みを抱える人が駆け込む場所にしたいとも考えている。





(私論.私見)