スパイ呼ばわり考



Re:れんだいこのカンテラ時評その55 れんだいこ 2005/06/09
【スパイ呼ばわり考】

 2005.6.9日、急遽「スパイ呼ばわり考」をサイトアップした。思いついたのは、「2ちゃんねる、ニュース議論の政治版 田中角栄パート2」のbW68投稿「名無しさん@3周年」氏による「日米同盟が日本の生命線だとまだ分からん香具師こそ、大 馬 鹿 w」を目にしてである。そうだ、云いたいことを云い忘れていたことを思い出した。以下、書き付けておく。  

 字面を読んで批判能力のない者は、学習はし得た証にはなっても、それだけでは海のものとも山のものとも分からないものでしかない。なのに、世の中では、学習したというそれだけで先生といわれる身分になりインテリ面する者が多い。

 昨今、シオニズムが威勢が良いが、こういう時代にはシオニズム追従学問がはびこり、それを如何に習熟しているかで識見を競う手合いが増えてくる。要するに「強い者に靡け巻かれろ」式の立身出世学でしかないのだが、それに群がる手合いが増えている。

 「日米同盟が日本の生命線だとまだ分からん香具師こそ、大 馬 鹿 w」なる論は、さしずめその典型的な学徒であろう。己こそ香具師なのに、その香具師が人を香具師呼ばわりして胸を張る。こういう手合いに漬ける薬が無いので永遠にはびこり続けるだろう。

 慧聴の人は既に閃いているであろうが、「スパイ呼ばわり」もこれに似ている。己がスパイなのに、そのスパイがよりによって人をスパイ呼ばわりして、世渡りし続けている。れんだいこに云わせれば構図が瓜二つである。

 字面を読んで批判能力のない者は、学習の結果、スパイ呼ばわりされている者をスパイであろうと推断し始める。この間、スパイ呼ばわりしている者へのスパイ疑惑には向わない。こうして「云い得云い勝ち」が横行する。

 れんだいこが、誰を念頭に於いてものを云っているのか、「左往来人生学院」を読んでいる者には自明だろう。しかし、何も宮顕や野坂や不破ばかりが対象ではない。日頃、相手を異常にスパイ呼ばわりししている者や党派が居れば、疑ってかかれば良い。「お前こそどうなんだ」と逆疑惑の眼を向ければよい。

 相互にスパイ呼ばわりしている場合には、昔から云う言葉を思い出せばよい、「云っていることよりやっている事を見て判断せよ」と。良い事を云う者は多い。しかし、良い事を云う者が良い事をしているとは限らない。むしろ、逆の場合が多い。昔から云う、この手合いの説教には「眉に唾して聞け」と。これこそ智恵と云うものだろう。

 しかしながら、批判精神抜きの字面追いが多い。書いてあることを直ぐに間に受け、人が二言三言言うのを三倍にも四倍にも云うことで正義の気分を満喫させる者が多い。賢者はそう単純にはならない、むしろ慎重である。相手が有る場合には「お互いの言い分を聞いて得心してからでなければ尻馬に乗らない」からである。これを経験智というのか批判精神というのか分からないが、賢者はこういう態度を採る。

 昨今、この精神が弱すぎる。良いこと云う者が居れば単純にその言葉を真に受けてしまう。誰かがスパイ呼ばわりしていれば、単純にその言葉を真に受けてしまう。マスコミが洪水の如く情報を垂れ流せば、いとも容易く世論誘導されてしまう。偏に経験智というのか批判精神の欠如が原因だろう。

 そりゃぁ確かにそういう共通認識を獲得せねばならないこともある。しかし、その場合には「確定された事実の根拠の積み重ね」によってそうするのであり、軽挙妄動によってスパイ呼ばわりするのではない。スパイを摘発したからといって直ぐに査問すれば良いというものでもない。戦線放逐もあろうし、逆利用もある。むしろ、冷静に逆観察する場合もある。スパイ問題は、最も高度な知能戦として対応せねばならない。これが正式の態度では無かろうか。

 それを、誰それ捕まえてはスパイ呼ばわりし、査問し、その結果相手が瀕死の重傷負ったり死亡したりすれば、「自損傷、予期せぬ死亡、教育的措置、急性自死により結果した」などと居直るなど許されることではない。

 本来の左派運動にはこういう陰気なものは無縁である。見解は分かれるのが普通であって次第に常に練り合わせていくものでしかない。党中央には指導権はあっても強制権は無い。そう分別すべきではなかろうか。絶対的云々なんて云いだしたり如意棒振るい出したらむしろ警戒すべきだろう。

 党派運動であるなら、むしろ下部段階では防ぎようが無いが、上部段階には潜入させぬ工夫こそに心血注ぐべきものであろう。これこそ歴史的教訓である。それを、いとも安易にスパイ呼ばわりしたり、規定したり、香具師呼ばわりする者こそ気をつけよ。

 結論として、カオス的ルネサンスの気風を理解しない相互に相手を認めようとしない唯我独善ロゴス派の輩、党派、党中央には気をつけよ。「あれもやりなはれそれもやりなはれ」で何ら構わない。世には相乗効果というものがある。これを掣肘する者こそ警戒せよ。これを云っておきたかった。

 2005.6.9日 れんだいこ拝




(私論.私見)