宮崎学問題考

 宮崎兄ぃと敬意を評して来た現代無頼派作家宮崎学氏が、公調に情報を漏洩していたとは驚きであった。この間一連の著作であるいは「盗聴法を許すな」市民運動であるいはインターネット政党「電脳突破党」の立ち上げにあるいは国労闘争に「左」から支援する等々のリーダーとして我々に期待されてきていただけに、その事実の発覚は衝撃となった。

 そのドサクサの中で、兄ぃは参議院選に白川勝彦氏の主催する「自由と希望」党から立候補し、予期に反して惨敗した。これも何か唐突であった。元自民党代議士・国家公安委員長経歴を持つ白川氏と現代無頼派作家宮崎学氏との接点が整合しなかったが、白川氏自身が「政教分離」を掲げて創価学会−公明党と激しき闘う渦中の人士であることもあって、一応の了解をした。既成党派にあきたらない部分で宮崎氏の著作「突破者」・「不逞者」に共鳴する者達がこれを支援した。いわゆる勝手連が形成され、結果的に票には結びつかなかったものの今後に貴重な経験と教訓を残した。

 宮崎兄ぃの「公調への情報漏洩」という胡散臭さに付いては、これまでアングラ情報(今年4月頃、宝島社の
『公安アンダーワールド』に掲載)として指摘されてきていたが、この選挙戦の最中に俄かにクローズアップされた。但し、アングラ情報は漠然としたものであったため却って運動内に疑心暗鬼を増幅させていた。

 選挙後、地に落ちた兄ぃはその弁明を余儀なくされる事態となった。止む無く応じた兄ぃの弁明は火に油を注ぐことになった。タイムリーに社会批評社から「公安調査庁スパイ工作集」が発刊され、概要
あの有名作家(宮崎学)三島浩司・元都学連委員長にして現弁護士、元革共同政治局員・小野田兄弟(襄二・猛史)は公安調査庁の協力者(スパイ)だった」ことが資料に基づいて暴露され、兄ぃは一層窮地に陥った。

 特殊兄ぃの問題として、兄ぃがオーム真理教騒動にも関わっていたことが、元
東北公安調査局所属樋口憲一郎氏の工作日誌と会談時の全文(収録テープ約90分)が暴露されていた。「この公調工作文書の真正性については、公安調査庁の元職員である野田敬生氏によって裏付けられている」と注書きされている。

 兄ぃのその後の対応は、「電脳突破党」の解散と疑惑糾弾で待ち受けていた9.2集会からの逃亡であった。この時「糾察隊」と称する左派系市民運動派と革マル派が徹底追及を叫んでいたことが報告されている。こうした状況に合わせて、スパイされた側の中核派から宮崎問題に関する論文が機関紙・週刊『前進』(2019号4面1)紙上に掲載された。同じ頃、「宮崎学スパイ問題を糾察する会」のホームページが「電脳突破党」のそれに似せて立ち上げられた。

 以降、「宮崎学機密漏洩問題」は左派系、市民系インターネット空間を駆け回ることとなった。問答有用板で、「にゃにゃにゃにゃにゃ」氏がこの問題を投稿した。この時既に
「四トロ同窓会二次会」「焚火派」でも公開論争されていた。「サイバーアクション」でも関連資料が纏められた。

 議論の圧倒的流れは、宮崎学糾弾すべし・市民運動から追放せよ論であった。これまで「電脳突破党」に結集していた党員も弁明為し得ず、概ね宮崎親分を引き続き信頼するという仁義論で応戦することしかできなかった。このような状況の中、一風変わった人士として「おっちゃん」が登場してきた。問答有用板で「にゃにゃにゃにゃにゃ」氏と論争しつつ、「宮崎学機密漏洩問題」で主潮流の論陣を張る各掲示板に登場し、曰く、宮崎兄ぃをスパイとして糾弾するには根拠が弱い、針小棒大規定ではないのかという論を張った。これに対し、「四トロ同窓会二次会」管理人「まっぺん」氏と「富永さとる」氏より、先の資料を元にした十分な証拠がある論が応酬され、今も論争が続いている。

 この流れを受け、「焚火派」が新たに別掲示板「宮崎スパイ問題」掲示板を設け、ここに論争の舞台が移される事になった。早速、「おっちゃん」、「まっぺん」の議論が登場し、「富永さとる」も参戦を表明している。ここまでが、「宮崎学機密漏洩問題」の経過であるようである。

 この問題の特異性として次の指摘はふまえておかねばならないように思われる。社会批評社の「公安調査庁スパイ工作集」に書かれていることであるが、「だが、本来、公安調査庁や公安警察などの権力のスパイ・協力者については、そのもっとも実害を受けた当事者が公開すべきものである。実際に、かってはいずれの政党・党派といえども、これを機関紙上などで公開し、弾劾してきた。それは権力のスパイ・協力者というのは、もっとも恥ずべき人間、人としての最低のモラルを欠いているばかりではなく、これらの人物が二度と運動内部で同様の活動ができないように封じ込める意味があるからだ。そして、同時にその工作の手口を全面的に明らかにすることによって、権力のスパイ工作を封じ込め、運動内部に教訓を残すことになるからである。

 実際、新左翼の諸党派は、このようなスパイ問題を常に公開してきたし、日本共産党もかつては、その県委員長クラスのスパイをも摘発・公開してきた。(日本共産党は、戦後の再建以来の議長であった野坂参三が旧ソ連の「エージェント」であったことをも公表し、除名した)。ところが、今回の三島浩司氏や宮崎学氏のスパイ問題については、これについて大きな打撃を受けたであろう党派・団体・グループは、いずれもこれを公表していない。これらはなんとも残念な出来事である。公安調査庁のスパイ工作は、当社発行の『公安調査庁○秘文書集』でも明記しているように、その公調のリストラもあって、次第に工作対象が党派や団体の指導部に向けられているのである。同書でもそれらは明記されているし、実際にも少なからずこれを耳にする。

 これでは、運動内部で 『疑心暗鬼』が生じるだけではなく、そのスパイ・協力者の『暗躍』でさえ許容してしまうことになりかねない。言うまでもなく『権力と闘う』団体ならば、公安調査庁や公安警察のスパイ・協力者工作は避けられない。この工作はまた、非公然運動ならいざ知らず、大衆運動を原則的に行っている団体ならば、必ず摘発できる。だから、運動体がスパイ問題で疑心暗鬼にとりつかれる必要はないのだ。そして、そのためには、このスパイ問題の実際の摘発の教訓・経験をすべての運動体は公開・公表しなければならないのである」。

 つまり、事件の当の被害者が積極的に「宮崎学機密漏洩問題」を取り上げることなく経過してきた不可思議があり、叱責されていることになる。

 これに対し、当の宮崎学氏の弁明を見ておくことも肝心である。宮崎学氏は、当初はその主宰する「電脳突破党」サイトにおいて、事実無根を主張していた。が、「公安調査庁スパイ工作集」が公刊されるに及び公安調査庁との「接触」を認めざるを得なくなったという経過があるようである。電脳突破党」サイトから引用して、「宮崎学氏は、たとえばこうである」と次の発言が紹介されている。

 「公安のスパイ説についてHPにも書いたが、あの記事http://www.zorro-me.com/2001-5/010505.htmlは、『公安に会ったとされる日付』、『公安に渡した書類』、『新左翼系の党派に貸したとされるカネの金額』などすべて間違っており、信頼できない。が、あの記事は誤りでは終わらせたくない。公安に会ったのは事実。

 1995年は、オウムによる地下鉄サリン事件があった年で、何人かのオウムの元信者の身元保証人になったりしたので、ガサ入れもされたし、自分のところの“若い衆”が7人逮捕された。まだ服役中の者もいる。彼らを守るために裏取引をしようと、弁護士を介して公安に会った。結局3回会って、3回目に無茶な要求をしてきたので、ケンカ別れして、その後は会っていないし、会う気もない。

 自分は清く正しく美しく生きているつもりはまったくない。若い衆を守るために自己責任において裏取引をした。これは墓場までもっていく。……後は黙秘権を行使したい。ここで三上さんが『“取引”ったって、どこまでをいうのかねえ。ボス交渉なんてみんなやってるのに。やだなあ、そういうサヨクの“小さなイジワル”運動って。笑い飛ばしていいんじゃないの』」(2001年6月27日、東京・新宿のトーク・ライブハウス「ロフトプラスワン」での宮崎発言を支持者が要約したもの)
 これによれば、宮崎氏は、遂に3回ほど公安調査庁調査官と会ったことを認め(実際には3回ではなかったという問題に発展する)、概要「若い衆を守るために裏取引をした」、「墓場までもっていく」と居直っていたことになる。ところで、当然と言うべきか、公調に売られた側の中核派も調査問責を開始することになった。週刊『前進』(2019号4面1)に拠れば、当初居直っていたものの最終的に謝罪したとある。

 こうした経過から、社会批評社サイトでは次のようにコメントを添えている。

 
「それにしても、若い衆を守るため」とは、聞いてあきれる。こういえばスパイ行為が許されるとでも思っているのだろうか。カネのためであろうが、身の保全のためであろうが、なんであろうが、スパイ行為は人として許されない」と指摘した後、「スパイを擁護する宮崎支持者たち」の題名で次のように述べている。
  
 先の引用では、「サヨクの“小さなイジワル”運動」などという説も登場する。運動内部での反対意見などで「足の引っ張り合い」をすべきではない、という意味では大賛成だ。異論や反対論は絶対に尊重されるべきである。
 だがしかし、事はここまで明らかになった「権力のスパイ」問題である。これをあいまいにしていたのでは、運動は必ず崩壊することになるだろう。 宮崎氏の支持者の中には、宮崎氏の盗聴法反対運動などにおいて行ってきた位置・役割から擁護すべきだという意見も多々ある。なるほど、宮崎氏がこの数年の間、行ってきた大衆運動の役割は重要である。しかし、だからこそこの「マッチポンプ」ともいえる宮崎氏の役割は、許されてはならない。
 戦前日本共産党の時代に勇名をはせた「スパイM」は、「家屋資金部長」であり、実質上の「党責任者」であったが、この「スパイM」の時代こそ日本共産党はもっとも組織的・運動的発展を遂げたことは明らかだ。だが、この発展した運動も権力の最終的決断によって完全壊滅させられたことも、また歴史的事実である。
 宮崎氏は、スパイMほどの「大物」ではない。しかし、この宮崎氏のスパイ問題が「芽の内に」明るみに出たことは、重要な出来事といわなければならない。
 なお、市民団体をはじめとする公安調査庁のスパイ工作などの実態や公安調査庁そのものの活動実態については、当社発行の『公安調査庁○秘文書集』を参照されたい。補註 本書掲載の宮崎氏に関する文書の中で、宮崎氏から中核派へ金銭の貸借があり、その際、白井朗氏の「印鑑証明」が添えられていたと記されている。これについて、白井朗氏本人からは、「私にはまったく無断で為された事件であり、無関係」という手紙が寄せられている 2001年8月6日

 さて、この経過から何を読み取り、何を教訓とすべきだろうか。以下、れんだいこ見解を書きおくことにする。いきなり結論を出しても良いが、まずは宮崎兄ぃの「宮崎学機密漏洩問題」事件前までの左派的評価基準を明らかにしておこうと思う。既にうろ覚えになってしまったが、次のように概括できるであろう。

 兄ぃは、全共闘運動華やかなりし頃、その頂点として争われていた東大闘争に反全共闘側の民青同の早稲田班ゲバルト部隊「あかつき隊」隊長として手腕を振るった。全共闘運動終息と同時に兄ぃも左派現役運動の一線から退いた模様である。卒業後週刊誌記者となり、その後出身地京都に戻り稼業として不動産事業を構えたようである。バブル景気に向かう頃派手に儲け、遂には派手に倒産させている模様である。「宮崎学機密漏洩問題」事件で云われている中核派への下宿斡旋がこの頃のことであるのか、この頃のこととは別途なのか今ひとつ不明である。

 事業倒産後の兄ぃの様子は詳らかではない。事業負債をいくら抱え呻吟していたのかも不明である。当人の何気なく漏らしているところを察するに、かなりの重圧を引き取ったまま再出発しているようでもある。この頃、兄ぃの名を一挙に高める事件に巻き込まれている。いわゆるグリコ事件で「キツネ目の男」容疑者として取り調べを受けている。この容疑に付いては、複数の括弧とした証人と証言があったようで容疑は晴れ無罪放免となった。あるいはこの時何らかの不透明な手打ちがなされたのかも知れぬが真相は分からない。

 その後兄ぃは、「キツネ目の男」で注目された自身を逆宣伝利用し、自著「突破者」を発刊し好評の売れ行きとなった。ここに社会派無頼漢作家・宮崎学が誕生したことになる。「突破者」は、自身のおいたちからの半世紀を記す中で「反権力」で一貫した無頼漢的生き様を吐露をし、これが兄ぃのその後の人生軌跡をも形作った。次々と著作を著す他方で、インターネット界にも先駆け的に登場し、「電脳空間・突破党」を立ち上げた。「突破者」・「不逞者」の読者の共感者が組員として結集し、組員とならないまでも多くのシンパが誕生した。

 以降、「盗聴法を許すな」市民運動、よど号赤軍・田中義三の救出運動、国労闘争への左派的支援介入等々第一線で左派系市民運動の第一人者の地位に立った。この間、ホームページで時事評論も積極的にこなし、独特の浪花調語りによる鋭い社会分析で評価を高めていった。その勢い順風満帆止まるところを知らない日の出の勢いであった。

 「宮崎学機密漏洩問題」事件との絡みで注目すべきは、この間新左翼党派の一方の旗頭である中核派との誼を通じていることである。確か、中核派系議員の選挙応援に出向き応援演説をぶつなどしていたように記憶する。この頃、各地でリベラル系市民派議員への出張応援をしていたようでもある。

 れんだいこが注目するのは、兄ぃの中核派への接近はいかなる航路で為されたものであろうかという関心である。既述したように兄ぃの出発点は、共産党系青年運動団体民青同である。中核派とはヤクザ言葉でいう反目の関係である。衆知のように、この中核派と革マル派は正真正銘の血で血を争う不可逆的関係にある。これを前提認識として、兄ぃが中核派と誼を通じたことには如何なる理由があるのであろうか。 「宮崎学機密漏洩問題」事件との絡みで云えば、機密を盗む為に接近したものであろうか。それとも何らかの状況分析を共有することになり連帯していったものなのであろうか。この場合、当然のことながら革マル派との関係は反目になる。もっと分かりやすく、兄ぃはなぜ革マル派ではなく中核派に接近したのだろうか。この関係はかなり重要なことをメッセージしており、仲違いすることではないのではなかろうか。趣味系の者がしたり顔して論及するレベルを越えた地下水脈的結合があるのではなかろうか。れんだいこはこれ以上敢えて知ろうとは思わないが、この識別は「宮崎学機密漏洩問題」事件解明のかなり重要なキーワードとなるように思われる。

 この間、兄ぃはオーム真理教騒動にも関係しているようである。この場合、思想的接近があったのか、何らかの事由でのビジネスとして仲介的役割を果たしていたのだろうか。もし後者とするなら、兄ぃはかなり金銭的な拐帯状況下に置かれていることが判明する。自身の生き様を最低限維持しながら、ヤクザ稼業的に金目の臭いのするところに出没せざるを得ない立場にあることが分かる。真相は分からない。

 同様にこの間、公調との度重なる食事会を持っているようである。一つはオーム真理教騒動に関連して、一つは中核派非公然党員のアジト提供に関連して、公調監視の中で金銭の仲介をしているようである。兄ぃ曰く「墓場まで持っていく」暗闇がこの経過にあるようである。他の情報は今のところ開示されていないが、現在ここの部分で兄ぃがスパイの汚名を着せられつつあり、これを庇う論理は難しい。

 この経過で、れんだいこには未だ疑問がある。兄ぃと公調の裏ルートの通じ合いの深さ浅さの問題であるが、仮に金銭的重圧から止むを得ない何らかの状況に追い込まれていたとして、「電脳空間・突破党」党員の機密をも漏洩していたのであろうか。田中義三支援グループの情報をも漏洩していたのであろうか。その他様々兄ぃが関与した種々の運動の実態を定期的に報告していたのであろうか。別に非定期でも構わないが、いわゆる密告を常習としていたのだろうか。その際、決定的な最重要情報まで心置きなく伝達していたのであろうか。

 兄ぃをスパイ規定するのかどうかの瀬戸際として、この下りが問われなければならないと思われる。分かりやすく云えば、生粋のスパイであるのか情報漏洩段階なのか、その漏洩された情報の質たるやいかほどのものであったのであろうか。この差がなぜ重要なのかと言うと、兄ぃの真意は未だヴェールに包まれているからである。これ以上はれんだいこは踏み込まないことにする。少なくとも情報戦の最先端最深部の動きである可能性もあるから。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」はこの種の極意でもあると考えるから。

 なお、この「宮崎学機密漏洩問題」事件騒動の経過も少々興味深い。被害側の中核派の弾劾ぶりのトーンが低いように思われないだろうか。これを革マル派風に云えば、中核派が権力と密通している証拠としてこの事件があり為にこれまで事件を公に出来なかったということになるようである。しかしこの説明はやや苦しい。ならば、兄ぃはなぜ革マル派の情報取りに向かわなかったのだろうか。鉄壁防御で入り込む隙を与えなかったという自画自賛で答えるのだろうか。その説明もちと苦しい。入り込もうとすれば如何なる手立てをも使うのが我が公安の優秀なる所であり、戦前もそうであったし、戦後もそうである。革マル派のみ逃れ得ているというのはおこがましい。そういう必要も無いほど丸抱えされている組織と解釈することも逆に可能であろう。

 この種の問題が絡むかられんだいことしては首を突っ込むことは今しばらく様子見しておきたいところである。

 最後に、スパイ問題の一般的基準を考察しておくことにする。(以下、次回・略)




(私論.私見)