その7-4 査問考

 (最新見直し2007.2.8日)

 左派運動に在って「内部粛清的査問」は付き物と考えている風潮がある。しかし、れんだいこは、それは意図的に創り出された悪しき体質であると考えている。確かに組織内へ潜入してくるスパイとの闘争には有効且つ必要な手法と思える。が、よく考えてみるとその根拠も怪しい。もう一つ、党内反対派の弾圧に「内部粛清的査問」が多用されている。しかし、これは使用してはならない手法だから、断固として排撃するに限る。

 問題は、左派運動の開花に相応しからざる「内部粛清的査問」がどのような経路で持ち込まれ、その後体質化したのか対自化させる検証にこそある。日本左派運動史に於いては、れんだいこ見解に拠れば、それは宮顕の党中央への潜入と同時に始まった。嘘と思えば、検証して見れば良い。案外このことが理解されず、左派運動に付き物と考えている風潮がある。その見方は、断じてオカシイ。以下、このことを論証してみようと思う。

 もっとも、「内部粛清」と云えばスターリニズムの代名詞のようなものであるからして、宮顕原罪説はオカシイと考えることが可能ではある。「Z」で有名なコスタ・ガブラス監督の映画「告白」(主演・イブ・モンタン)という作品には、1950年代のチェコ共産党における査問・粛正が描かれている。党の幹部であった者がある日捕らえられ、トロツキスト・チトー主義者・アメリカのスパイ・裏切り者の汚名を着せられ粛正される。処刑、投獄と、その激しさは新日和見主義事件とは異なれど、昨日までの同志が裏切り者に仕立て上げられていく。してみれば、マルクス主義の出向くところ「内部粛清的査問」は付き物との考えが湧くのは致し方無い面もある。

 しかし、れんだいこの見解はやはり異なる。世界各国に現われた「内部粛清的査問」の背景には、スターリンも含めてひょっとして連中は、旧体制側のスパイでは無かったかという嫌疑が為されるべきではなかろうか。あるいは、こちらの方の嫌疑の方が濃いのだが、「シオンの議定書」で暴露されたロスチャイルド派ネオ・シオニストのエージェントでは無かったか。実際、この観点からのスターリン疑惑が根強く存在し一部研究が進められている。彼らは、革命政権の中に入り込み権力を掌握した果てに赤色派弾圧を開始し、本質的にネオ・シオニスト派の秩序へ向かわしめようとしていったのではなかろうか。

 宮顕犯罪の異なるところは、革命政権樹立後のそれではなく、それ以前において革命闘争そのものに敵対し、巧妙に赤色派を弾圧していったところに一層破廉恥な悪質さがあると認められる。このことが、我が国の「内部粛清的査問」の特殊性として踏まえられるべきでは無かろうか。そして、この汚染が日共のみならず新左翼諸派の組織論、運動論にまで広がったことを思えば、いやはや大変な人物であったことになる。

 れんだいこがこのことを確信したのは、例の「戦前日共中央委員小畑リンチ致死事件」を廻って、戦後直後の指導者徳球が次のようにその非を咎めていたことを知ってからである。1946(昭和21).2月の第5回党大会の前後の頃、徳球書記長と宮顕・袴田里見との間で戦前の「査問事件」について次のようなやりとりが為された。徳球は、小畑達夫を死亡せしめた査問の仕方を激しく非難し、次のように指弾している。
 「不測の事態が起こり得るわけだから、あんな査問などやるべきでなかった。第一あの二人がスパイだったかどうかもわからんし、たとえスパイだったとしても、連絡を断てばそれですむことではないか。ああいう形の査問は、良くない。実にけしからんよ」。

 宮顕と袴田は、このとき徳球に食い下がり、「連絡を断ったくらいですむことか、事情も知らないで何を言うか」と掴み合わんばかりの激論をやったことが袴田里見氏の「私の戦後史」で明らかにされている。この遣り取りは、神山茂夫の「日本共産党重要文献集」でも、徳球が、宮顕に対して、「あそこまでやってはいかん」と詰問した様子を明らかにしているので、史実と思われる。

 つまり、ここに日共の指導者間でも査問に対する見解の相違が存在していることが判明する。してみれば、今日まで我々が付き物と考えてきた「内部粛清的査問」は、日本の場合あくまで宮顕式のそれに過ぎないのではないのか、という疑惑を生じさせるべきではないか。この観点からの考察はまだ始まったばかりであるが。

 2003.1.12日 れんだいこ拝


 高橋和巳氏は。「内ゲバの論理はこえられるか」の中で次のように述べている。

 「語るべくして語りえない舌のもつれ。それをなお自らの肉を斬りながら語ろうとせず、革命党派内部の問題、他者とりわけ官憲の介入を避けるという大義名分によって隠蔽し、そこに被害者をも含む隠微な<共犯関係>を結んでしまうことに原因の大半はある。事をことさらに秘密めかし、しかもこそこそと、実は内緒のことだが、と洩らす、あの卑しい姿勢。腐敗はその姿勢の許に忍びよる。一つの集団を名分によって支えきれなくなった時、あるいは骨肉の関係のような運命的なものに持ち込もうとする時、人がとる最も悪しき手段は、そこに秘密な共犯関係を持ち込むことである。あるいはまた、個々人にとっては耐ええない事態を、全体の責任に還元し、しかも秘密の漏洩をふせぐための、最もてっとり早く、しかも悪しき手段は、そこに一蓮托生の関係をかたち造ることである」。
 「査問問題」とは、党中央が党内反対派ないし潜入スパイ摘発の際にどのような対応が許されるのか、という問題に収斂する。残念ながら、この問題に関してかくあるべきだの理論的獲得が未だ為されていない。史実的には、随分乱暴な党中央の一方的プロパガンダと専権抑圧ばかりが一人歩きしている。そして多くの党員・指示者はそれを疑う能力を持たない。そこで、以下この課題に対してれんだいこ的にアプローチしてみたい。

 まず、党中央による党内反対派に対する「査問」が許されるべきか、許されるとしたらどのような手順ないし限定で行われるべきか、について考察してみたい。次に、党内潜入スパイに対する「査問」の要領、それを為すとしたらどのような手順ないし限定で行われるべきか、について考察してみたい。この初歩的な取り決めさえ獲得されていないのが左派運動の水準である。




(私論.私見)