その5 新社会創造に向けての理論と理念の再構築

 1917年のロシア十月革命は世界史を変えた。左派的観点からすれば、「20世紀とは、この激震に揺れ続けた世紀であった」と云える。ところで1991年末のソ連の崩壊は何を我々に告げているのだろうか。これに正面から取り組んだ論考を知らない。もっともれんだいこが知らないだけのことだろう。だがしかし、れんだいこが知らないということは、大衆的レベルで行われていないことを意味する。つまり論考されていないということになるのではなかろうか。

 れんだいこが思うに、20世紀初頭は「革命的云々」にはそれだけで建設的な意味と響きがあった。ところが20世紀末の「社会主義」諸国の崩壊以来、上述の検討が為されない以上今や、「革命的云々」は何らの意味を持たない、云えば空疎に響く代物に変化させられてしまった。にも関わらず新旧問わずの左派が相変わらず一席ぶち続けているとしたら、不義以外の何ものでもない。不破理論のように「青写真不要論」方向に教訓化させるなどは反動的であろう。

 我々は、人民大衆的運動がマルクス主義を受容して以来鍛えられた面と何がしか損なった面との両面から、検証し直さねばならない。これが目下の左派戦線に横たわる時代的課題である。この課題はワンセットで、検証を通じての「新青写真」の創造を責務としている。検証だけなら学者に任せれば足りる。運動圏の者には後者の「青写真」の方が重要であり、その為に検証を急がねばならない。

 ロシア革命の成功と失敗は、却って世界の知識人の背丈を低くしたように思える。その感激を縫って米帝ブッシュ親子が一風変わった教義で世界を再編しつつあるように見える。この双方が補完し有っているように見える。そうであるが故に、米帝ブッシュ親子の戦略を打ち砕くためにも、左派運動の検証に向かわねばならない。れんだいこはそう思う。新しい皮袋に新酒を入れねばならない。2002年の一年間の世界史はそのことを伝えているように見える。

 2002.10.31日れんだいこ拝




(私論.私見)