その16 代議員・党中央委員の選出選挙制度の考察

【支部の地区党大会の代議員選出の様子について】

 元日本テレビ放送網株式会社の社員だった木村愛二氏の貴重なレポートが発信されている(「元共産党『二重秘密党員』の遺言」)。木村氏は大手メディアの非公然党員として、地域別の地区委員会ではなくて東京都委員会の直属組織に所属していた。日本テレビ相手に16年半の不当解雇撤回闘争をした経験も持っている。そうした経歴を持つ木村氏が、「真実を語り、論ずる」として、すぐる日の地区党大会の代議員選出の出来事を記している。氏の文章を意訳すると次のようになる。

 ある時のこと、いつも選出されていた支部長に用事ができて木村氏に代わってくれというので、公然化は嫌だなと思いながらも立候補した。出席できない党員からは委任状を集め、過半数を越える人数が集まり大会は有効に成立した。2名が定員で、丁度2名が立候補したので信任投票になった。ところが、この時立候補していたもう一人はその支部に所属していない、今まで一度も会ったことのない男で、「地区委員のだれそれ」と紹介されていただけの人物であった。氏は、労働組合の役員をやっていた経験から「それはおかしい」と反対した。支部の代表として代議員を選ぶのだから、支部所属の党員しか代議員になる資格は無く被選挙権もない筈だと主張した。これは開闢以来の事件のようであった。しかし、その時には他に立候補者もなかったので、氏は意見を保留して自分一人の名前を投票用紙に記入した。ところが、選挙管理に選ばれた党員は、「二人とも満票で当選」と発表した。こうしてシャンシャン大会に終わった。このことを地区党大会で異議を唱えることにした。地区委員会の説明では、日本共産党が朝鮮戦争の時期の分裂を解消した歴史的な「六全協」の際、「選ばれて出てこい」としたのが、この選出方法の始まりだと言うが、真偽も含めておかしな話である。もしこのような選出過程が許容されるなら、スパイの潜入はいともた易いことになる。

 次に、日本共産党の「代議員選出方法」の変調さを検証する。仮に地区党大会の代議員を100名とする。そのうち専従と呼ばれる地区委員(余程の事態で無い限り当然党中央派であり、それ故に専従的地位にある)が半数の50名とする。つまり、大会代議員の過半数が、あらかじめ党中央派によって占められていたらどうなるかという問題である。党中央の意向を汲んだ地区委員会執行部の提案に、地区委員が反対するわけがない。なぜなら、専従地区委員は「胃袋を機関に預けている人」だからである。こうして、地区委員プラス平党員の代議員がわずかでも賛成すれば、シャンシャン大会となる。

 異議を無視された木村氏は、腹が収まらないので無理をして、この地区党大会のメイン・イヴェント、都党大会の代議員に立候補してみた。地区委員会が用意した定員通りの立候補者以外の立候補は、これまた開闢以来の事件のようであったが、木村氏には3分の1の票が集まった。落選したが、この3分の1を一般党員の代議員数で考えると、3分の2になる。つまり、過半数なのであるが、党中央派でかためられたリストに食い込むことは難しい。これが、日本共産党の、一番底辺の「民主主義」的代議員選出制度の実情なのである。このような卑劣な選挙制度を原則としている組織に、社会改革を語る資格があるのだろうか。



【地区党大会の「挙手採決」の様子について】

 第1の特徴は、議案の「挙手採決」を議長が提案すると、総会屋顔負けの熟練で間髪を入れず「異議なし!」の声が響き、即座に、そのように執り行なわれることである。これは、やはり「民主主義的」とは言い難い。

 第2の特徴は、その後の「挙手採決」の順序である。「反対」.「保留」.「棄権」.「賛成」の順で議長が挙手を求めて、最後の「賛成」の手が挙がった途端に、議長が大声で、「圧倒的多数により可決」と宣言し、ここぞとばかりの万雷の拍手となって終る。この手法は「国際共産主義的手法」かも知れないが、一般には見られない。世間常識的な挙手採決では、「賛成」.「反対」.「保留」.「棄権」の順で議長が挙手を求めて、その度毎に議事運営委員などが挙げた手の数を集計する。場合によっては全部の集計の記載が終わるまで休憩を取ったりして、再開後に議長が結果を報告する。議長が「ただ今から採決の結果を発表します」などと言い、静かに数字を読み上げ、最後に、「よって可決」とか、「よって否決」とか宣言する。すると、賛成か反対か、どちらでも、自分の意見が通った方が拍手したりするのである。それでも、「万雷の拍手」という光景は、あまり見掛けない。普通の世間では、負けた方への想いやりも必要だからである。

 木村氏は云う。「さて、私が、たったの一人で「保留」に手を挙げた時、会場は、シーンと静まり返った。それ以前の誰も手を挙げない「反対」挙手ゼロの時にも、普通の世間の会議よりは静かだったのだが、その静かさがさらに深くなって、皆が息を止めたような雰囲気になった。このような状況で本人が覚える圧迫感は、実際に経験してみなければ分からないだろう。実に恐ろしい孤立感なのである」。

 民放労連大会でも上記の「挙手採決」に関する「国際共産主義的手法」があったことがある。木村氏が現役で民放労連日本テレビ労働組合(これが正式名称)の執行委員だった頃、必ず代議員として民放労連の大会に出席していた。その時期に、たったの一度だけ、上記の「挙手採決」に関する「国際共産主義的手法」が採用されたことがある。その時にも、非常に異様な雰囲気になった。しかし、その後、民放労連の内部で、「あれはファッショ的」という評価になり、以後、一度も復活しなかった「はず」である。この「はず」の正確な検証はしていないが、まず間違いないと思う。 





(私論.私見)