禁煙ファシズム論考

 (最新見直し2014.09.21日)

 (ほう吉のショートメッセージ)
 ここで、タバコの薬害について確認しておく。

 2014.05.18日 ほう吉拝


【禁煙ファシズム論考】
 禁煙者と喫煙者の二項対立で禁煙強制ファシズム論を唱える者がいる。「ウィキペディア・禁煙ファシズム」は次のように解説している。「禁煙ファシズムとは、喫煙を擁護する言論や表現が封殺されていると考える立場の者が、ナチス・ドイツが一時期行っていた反タバコ運動に絡めて、嫌煙権運動を過激であると非難して用いる言葉」。しかしこれはナンセンスだろうと思う。禁煙者と喫煙者を二項対立させるところにウソがある。喫煙者は中毒患者なのであり、禁煙者と同じ土俵で権利義務を言い合う関係にはない、と思う。

 これにつき、2007年頃、日本パイプクラブ連盟が喫煙を擁護する声明「禁煙ファシズムにもの申す」を出し、同年9.13日、日本禁煙学会理事長・作田学らが公開質問状を出す等の論議を呼んでいる。思うに、手法に万全を尽くしながらの中毒対策として議論されるべきではなかろうか。ここを勘違いして喫煙権を振り回すようでは議論が堂々廻りになってしまい、有効な対策を講ずべき機会を失い続けることになろう。

【禁煙ファシズム闘争考】
 「禁煙ファシズム闘争記」を確認する。
 四月の後半、私はTBSラジオの午後の番組に電話出演した。荒川強啓というパーソナリティが司会する番組で、ちょうどその日の朝日新聞と読売新聞の朝刊に、たばこを吸っている人の寿命がどうとか、厚生労働省が発表した数字に基づく記事が出たのである。私は毎日新聞をとっており(その理由は後で述べる)、知らなかったが、電話がかかってきて、これらの記事をファックスされた上で、何かご意見は、と言うから、この数字はインチキであると言った。そこで、四時半頃に番組で小谷野さんの意見を言ってもらいたいといい、肩書きを何にするかと訊かれたので、「東大非常勤講師、禁煙ファシズムと戦う会代表」にしてもらった。さて、四時半に再度ディレクターから電話があり、このままお待ちください、という。聴いていると番組内容が流れてきて、聴取者の、タバコをやめた、という話を聞いているようだった。それはまるっきり、タバコをやめて良かったという趣旨のもので、私はいらいらしてきた。むろん、やめたい人がやめるのは自由である。だがこういう風に、好きで吸っている者にまで圧力をかけるのはやめてほしいと思ったからだ。さて、私の番が来て、ちゃんと「禁煙ファシズムと戦う会代表」と、荒川が少し変な口調で紹介した。この肩書、いやそれどころか、そういう会の名前さえ、新聞、テレビ、ラヂオで報道されるのはめったにない。かろうじて、宮崎哲弥氏が司会を務めるラジオおよびテレビ番組で、私の言いたいことを言わせて貰ったことがあり、朝日新聞紙上で、禁煙ファシズムに反対する旨の、記者によるインタビュー記事が載った程度だ。さて、荒川は、「どうですか、ヘビースモーカーの小谷野さんとして、この禁煙ブームは」と言う。私は、実は自分をヘビースモーカーだとはあまり思っていない。私が吸うのは、日に紙巻四十本程度で、ヘビースモーカーといえば、日に百本くらい吸う人のことだと思っているからだが、まあ、それはいい。私はすぐ、「ブームではなく、ファシズムです」と返事し、朝日と読売の記事について、それがいかにインチキであり、厚生労働省が国民を欺き続けていると指弾した。荒川の口調にとまどいが見られた。そして、「でも小谷野さんでも、子供さんが生まれたら、その前でタバコは吸わないでしょう」と問う。「いいえ、吸いますよ」と私は答えた。「じゃあ、親がタバコを吸っていたために、子供がどうにかなったという話が、どの程度あるんですか。聞いたことありますか」。私はさらに、いまJR東日本を提訴中だと話したが、すると荒川は「は? タバコとJRと何の関係が?」と訊くので、JR東日本が新幹線、特急を全面禁煙にしたから、差し止め訴訟をしているのだと説明した。これも、新聞等は一切報道していない。荒川はダメ押しのように「でも、タバコの煙が嫌だという人の気持は理解しますよね」。私はあえて「いいえ」と答えた。「どうしてですかぁ」と荒川が、非難するような口調になった。私は答えた。「そもそも、タバコの煙が嫌だという人のために、分煙という措置がとられたわけでしょう。それなのに、敷地内全面禁煙とか、路上喫煙禁止とか、新幹線全面禁煙とか、どうしてそういう極端に話を持っていくんですか。そういうファシズムの中で、今さら嫌煙家の気持を考えろって、無理な話でしょう」。険悪な雰囲気になり、私の話は終わった。

 最後の質問について、私は思い巡らした。たとえばイスラエルの、パレスティナへの攻撃を非難する人に対して、「でも、ヒトラーによって大虐殺に遭ったユダヤ人の気持は分かるでしょう」と言ったり、さらに、そのヒトラーを非難する人に対して、「でも、ユダヤ人の高利貸によってヨーロッパの人々が長いこと苦しめられてきたのは分かるでしょう」と言ったり、それに「質」としては近い質問だ。確かに「量」は違う。たとえば私は、非常勤講師をしている東大教養学部で、座って喫煙できる場所がほとんどないに等しい。これほどの迫害を受けて、いちいち嫌煙家の気持など考えていられるか。 私が「禁煙ファシズムと戦う会」と言ったのは、年輩の方は知らないだろうが、ミクシィという、時々新聞ネタになるソーシャル・ネットワーキング・システムの中にあるコミュニティのことで、そう本格的な集団ではない。私がこれを作ったのは、二〇〇四年の秋のことだから、もう二年半の歴史があり、いま会員は七十数人いる。「禁煙ファシズム」という言葉を作ったのは、評論家の斎藤貴男氏で、一九九九年に、「禁煙ファシズムの狂気」という文章を雑誌に載せている(現在ちくま文庫『国家に隷従せず』に収められている)。そして私は一昨年、斎藤氏、栗原裕一郎氏との共著で『禁煙ファシズムと戦う』を、ベスト新書から出し、それなりに売れている。

 いま書いたとおりで、私は「分煙」には反対しない。二〇〇二年五月に健康増進法ができ、その第二十五条で、分煙の配慮義務が謳われた時から、おかしなことに各機関、行政府などは、これを「分煙」ではなく「全面禁煙」にしてしまうようになった。だいたい健康増進法にしても、「受動喫煙」の害というものが科学的に証明されているかのように書いているが、これはかねがね、疑わしいとされている。だが、その頃から、「国家総動員法」みたいな事態が広まり、新聞はタバコの害についての記事や投書ばかりを載せて、私たちの言い分を載せないようになった。私は、毎日毎日繰り返される禁煙ファシズム記事に怒りを発して、それがいちばん少ないとされる毎日新聞に変えたのである。まるで「いじめ」もいいところである。何かが、こうヒステリックに叩かれるというのは、スケープゴートである可能性が高い、と養老孟司先生が書いていたが、私は、おそらく「自動車」だろうと思っている。排気ガスで都会の空気を汚し、事故で多くの人を殺傷する自動車。しかし自動車産業は日本経済の基幹だし、新聞やテレビにとっては大切な広告主だ。そして禁煙団体には、自動車会社から資金が渡っているという噂もあり、私はこれを何度も書いているが、誰も、そんな事実はないと否定しないのだ。そして昨年はじめ、私は国を提訴した。これは完全敗訴したが、これまたマスコミは一切報道しなかった。実際には、今の喫煙者いじめは度が過ぎていると思っている人は少なくなく、「禁煙ファシズムと戦う会」にも、喫煙者ではないけれど、今の風潮は危険だと思うと言って入ってくる人もいる。異論があることさえ隠蔽する、これが本当に恐ろしいことなのだ。(つづく)
小谷野敦:東京大学非常勤講師 比較文学者 学術博士(東大) 評論家 禁煙ファシズムと戦う会代表
 川原遊酔(かわはらゆうすい)氏の「喫煙者は依存症か(その1)」、「喫煙者は依存症か(その2)」を確認しておく。
 最近、喫煙者は、ニコチン中毒であり、依存症患者のごとく吹聴される傾向があります。つまり、喫煙者は、アルコール依存症患者(アル中)と同じような依存症患者なのだという考え方です。2006年4月から、中央社会保険医療審議会の答申に基づいて、「ニコチン依存症管理料」なる名目で、禁煙指導の健康保険適用が開始され、益々、この考え方に拍車がかかった感じがします。果たして、「ニコチン依存症」は「アルコール依存症」と同様の医学的問題があるのでしょうか? たばこは止めたくても止められないとか、たばこ(ニコチン)は麻薬並みの強い依存性があるとか言われることがありますので、今回と次回は、たばこの依存性について主々の角度から考察したいと思っています。

 「ニコチン依存症」は、”nicotine dependence syndrome”なる専門用語を訳して使用されているようですが、「アルコール依存症」は、”alcoholism”ということで、それぞれ全く異なる専門用語から派生しています。つまり、「ニコチン依存症」は、「ニコチン依存症候群」と訳すべきであり、「アルコール依存症」は、古くから知られている「アルコール中毒(アル中)」そのもので、精神医学的に性格が全く異なっています。喫煙には、習慣性がありますので、確かに、たばこ又はニコチンには弱いながら依存性があります。

 一般に、薬物に対する摂取欲求の程度を「精神依存性」といい、禁断症状(退薬症候)の程度を「身体依存性」といいますが、「ニコチン依存症候群」に特徴的な症状は、中等度の精神依存性や微弱な身体依存性ぐらいです。一方、「アルコール依存症」は、強い精神依存性及び強い身体依存性に加え、摂取中の異常行動等の精神毒性も強いのです。ニコチンには、摂取中の異常行動等の精神毒性は全くありません(仕事中に喫煙しても問題ありませんが、仕事中や車の運転中の飲酒は禁物です)。このことは、喫煙中の人間に、社会的に問題となるような異常行動がみられないのに対して、「アルコール依存症」の人間は、飲酒中に異常行動(凶暴になったり、酒癖の悪さを出したり、ひどい場合は家庭を崩壊させるなど)を出現することを想起していただければ、わかりやすいと思います。また、常習喫煙者が、たまたま担当医から、ある疾病を理由として禁煙を強要されただけで、簡単に禁煙できるのに対して、「アルコール依存症」の人間は、専門の精神病院に入院しないと断酒できないことからも、おわかりいただけると思います。

 以上要するに、たばこ又はニコチンには弱いながら依存性がありますが、摂取中に社会的に問題となるような異常行動は、みられないことから、喫煙者が、「アルコール依存症」と同様の「依存症」であるとは到底言えないと考えられます。ちなみに、2003年10月の東京たばこ訴訟の東京地裁判決では、たばこの依存性について、「喫煙者自身の意思及び努力による禁煙ができないほどのものではない」と判示しています。嗜好品や依存性薬物についての詳細な比較は、次回に解説したいと考えています。

 喫煙者は依存症か(その2)
 前回述べたように、たばこ又はニコチンには弱いながら依存性がありますが、摂取中に社会的に問題となるような異常行動は、みられないことから、喫煙者が、「アルコール依存症」と同様の「依存症」であるとは到底言えないと考えられます。今回は、嗜好品や依存性薬物についての詳細な比較について、解説します。

 表に、嗜好品及び依存性薬物の依存特性を比較した結果を示します。すなわち、たばこ(ニコチン)、コーヒー(カフェイン)、酒(アルコール)という嗜好品及びヘロイン、コカインの麻薬並びにメタンアンフェタミンという覚醒剤の依存特性を比較しています。

 依存特性としては、摂取欲求の程度を示す精神依存性、禁断症状(退薬症候)の程度を示す身体依存性そして摂取中の異常行動等の程度を示す精神毒性について比較しています。ちなみに、この表をとりまとめたのは、東京慈恵医科大学客員教授の柳田知司先生(精神薬理学)です。(表略す)

 結果は、一目瞭然のとおり、たばこ(ニコチン)は、中程度の精神依存性がありますが、身体依存性は微弱であり、加えて精神毒性が全くないことから、習慣性は認められるものの、仕事中でもたばこを使用することが可能です。このようなたばこ(ニコチン)の依存特性は、コーヒー(カフェイン)に類似しており、精神依存性、身体依存性、精神毒性の強い酒(アルコール)とは、かなり異なる依存特性と言えるかと思います(仕事中や運転中の飲酒が厳禁なのは当然なのです)。ましてや、禁煙運動家が主張する「たばこの依存性が麻薬並みに強い」などとは到底言える状況ではありません。ちなみに、覚醒作用や興奮作用の強い麻薬のコカインと覚醒剤のメタンアンフェタミン(商品名ヒロポン)は、摂取中や摂取直後に反社会的な異常行動が出てきて人を殺傷したりするため、新聞の社会面に覚醒剤事件として掲載されることも多いのです。また、麻薬のヘロインは、末期がん患者の痛みを軽減するなどの麻酔剤としては重要な薬剤ですが、精神依存性も身体依存性も最強であり、身体依存が形成されると精神依存も増強されるという特徴があります。

 なお、英語の”addiction”を、「依存症」と訳して、我が国で使うことがあるようですが、「嗜癖」と訳すべきであり、”addiction”の条件には、耐性(連用中に量が多くなる現象)が入っており、たばこでは使用量がおおむね一定(1日当たり20本とか)であることなどから、たばこ(ニコチン)は「嗜癖」とは必ずしも言えないと考えます。二回にわたって、たばこの依存性について解説してきましたが、「喫煙者は依存症」とは到底言えません。

(私論.私見) 
 禁煙ファシズム闘争論は、論の中身よりも、禁煙ファシズムが米国史のインディアン狩りの如くに喫煙者を狩り立て追い払う手法に抗議している点で是認される。そういうものではないだろうか。本気で喫煙権を振り翳しているとしたら、エエ加減二センカイ、このド阿呆がと罵詈たくなる。

 2014.9.12日 ほう吉拝

【飯島勲のタバコの勧め】
 2015.10.23日、「世界のセレブはなぜ、タバコを吸うか - 飯島 勲 「リーダーの掟」」。
 吸わないのは中途半端なヤツら

 少し古い話になるが、たばこ特別税は旧国鉄が民営化されてJRになる際の負債28兆円を償還するために誕生した。税率は一般のタバコで1000本につき850円。つまり1本につき1円程度を喫煙者から徴収し、国鉄の借金は返済されている。今のJRは、喫煙者に対して感謝の気持ちを忘れていないだろうか。

 JR東海の新幹線では、昔はあった喫煙席を廃止。グリーン車3両につき喫煙ルームが2つ隣接している。普通車は10両に4つ。自由席は3両にたった1つだ。JR東日本に至っては、全車両禁煙である。最近では駅のホームの喫煙スペースも端に追いやられている気がする。この風潮に私は大きな違和感を抱く。

 喫煙率が年々ここまで下がっているのに肺がんが急増しているのを考えれば、タバコを肺がんの原因とするのは間違いだ。喫煙者の医療費と非喫煙者の医療費を比較しても明らかに喫煙者の医療費が少ない(本誌2012年4月2日号)。東京に住んでいるならクルマの排ガスのほうを問題にすべきだし、西日本では中国からのPM2.5の健康被害も甚大だ。

 どうせ何を言っても結論ありきの禁煙ファシストは放っておくとして、厚生労働省ももう少し冷静な議論を喚起する努力をすべきだ。

 世界の潮流はむしろ喫煙者を大事にする方向で進んでいる。例えば、タバコを吸うヤツは時代遅れと言われていたが、最近の海外映画では喫煙シーンが増えてきた。オバマ大統領をはじめとしてタバコを吸うセレブも多い。それは海外での超一流ホテルに泊まってみてもわかることだ。かなりの頻度で海外に出張する私の経験では、高級ホテルで喫煙フロアが禁煙フロアよりも高い階層にあるのが8~9割。禁煙フロアが上にあるのは米国のワシントンを中心とする一部地域だけだ。ニューヨークは国連もあるせいか“国際基準”で禁煙フロアは優遇されていない。

 ヨーロッパでもアラブでも中国でもアフリカでも、私が会ったセレブはみんなタバコを吸っていた。航空機も一般旅客機では喫煙不可能だが、プライベートジェットでは吸える。

 いまだに「禁煙、禁煙!」と騒いでいるのは、日本人と一部の中途半端なアメリカ人だけだ。世界は禁煙ファシズムの怪しさに気づき始めた。

 禁煙ファシストは、「タバコは百害あって一利なし」というが、心の健康やストレスを扱う免疫学の医療分野では、喫煙が健康にいい影響を与えていることが確認されている。

 サラリーマンにとってのメリットは、なんと言っても喫煙が出世の近道だということだ。1日中、机に座ってPCに向かっているタバコを吸わないサラリーマンがいる。よく仕事になるなと不思議に感じる。自分の会社の幹部の顔ぶれを思い出してほしい。営業成績が特によくなくても調整能力だけで取締役にまで上り詰めた人が必ずいるはずだ。逆に営業成績だけがいいヤツにはろくな人間がいないだろう。

 営業成績をどれほど残したところで、それだけで出世させていたら会社の経営は必ず傾く。企業のリーダーに求められるものは、営業成績と上司や部下とのコミュニケーション能力の2つなのだ。

 そこでコミュニケーション能力を高めるアイテムとしてタバコが登場する。タバコ部屋は、部署や階級の壁を越えた人間関係を築くことができる最高の環境だ。愛煙家同士という安心感もあり、初対面でも打ち解けることが可能。タバコ部屋で磨いた対話能力や、幅広い交流から得られる情報をうまく活用すれば、必ず出世できる。タバコは人間関係をつくるうえでの重要なツールである。

 最近、おかげさまで講演依頼などをいただくことも増えてきた。しかし、依頼者との打ち合わせに禁煙のレストランを指定されたら、相手が本気かどうか疑ってしまう。私がヘビースモーカーであることは周知の事実で、北朝鮮のナンバー2との会談の際も先方が私に灰皿を用意したほどだ。仕事を依頼する相手のことを調べるのは当たり前だろう。

 もし、打ち合わせに禁煙の部屋へ案内されたときは「次ありますから」と30分で切り上げることにしている。予定があるのは嘘ではない。タバコを吸うという最も大切な用件が入っているからだ。

 イエス・キリスト「裏切り者がいる」

 しかし、私がもっとも許せないのは、タバコを途中でやめた裏切り者たちのことだ。キリストの最後の晩餐におけるユダのようなものだ。裏切りは万死に値する。私の見立てでは、そういう輩には共通点がある。

 まず、タバコの銘柄をコロコロ変える人間だ。収入が増えたり、出世して立場が変わったりするにつれ、価格の安い「ゴールデンバット」「わかば」から「セブンスター」「ピース」になって、最後は葉巻を自慢げに吸うような連中は、コロッと禁煙してしまう。メンソールのタバコを好んで吸うヤツも怪しい。禁煙ファシストどもから、ちょっと強く言われたり、「こうしたら簡単にやめられるよぉ」「この禁煙本読んでみなぁー」という甘い誘いを受けたりすれば、すぐにタバコをやめるのだろうな。なんて意思の弱いヤツだ。君に信念はないのか。まったくないのだろう。

 タバコ部屋で、会うたびに銘柄が変わっていたり、メンソールを吸っていたりするヤツに会ったら「この中に裏切り者がいる」とイエス・キリストのようにボソッとつぶやいてみるのがいい。裏切り者はドキッとするだろう。いい牽制になる。

 私はずっとゴールデンバットだ。これからも裏切るようなことはしない。そんな私に対してJTはゴールデンバットを段階的に値上げするという卑劣な行動に出るという。

 JTと財務省は庶民をいじめることばかり考えていないで、もっとタバコの売り上げを伸ばす方法を考えてもらいたい。例えば、キューバ産の葉巻が世界的なブランドになっているように、タバコも100%日本産をつくって輸出したらどうか。どんなに高価格でも海外(特に中国)で大ヒット間違いなしだ。

 最後に私の家庭事情を告白したい。私が自宅で何度もタバコを吸いながら居眠りをしたせいで家を燃やしかけ、女房にカンカンに怒られ、室内での喫煙を禁じられてしまった。そのせいで喫煙をするにはベランダに出る必要がある。大雪や嵐の日には、70歳にならんとする私が命懸けでタバコを吸っている。ここまでしてタバコを愛する人間をJTは大切にすべきではないか。

ひみつの教養
 『ひみつの教養』(プレジデント社)

 [著] 飯島 勲  

 これくらいの教養は持ちなさい! 知らないと恥をかく「世界の大問題」。さあ、飯島勲が自ら出題する難問に挑戦して教養を磨こう!





(私論.私見)