所有権の発生考

 全く思い付きであるが、所有権を発生させた発想には気候風土が関係していたのではなかろうか。これだけでは何のことやら分からないであろうから、少し解説する。

 例えば、インドの修行僧(ヒンズーのサドゥ-、仏法僧)の生態を見て思うことだが、自然に溶け込み「住めば都」とする「無一物無所有」の生活をしている。禁欲された極端に僅かなもののみが生活品であることを良しとする修行が今も続けられている。れんだいこが注目するところは、そういう修行の是非論ではなく、そういう暮らしが成り立つ当地の気候風土の方である。

 考えてみれば、温暖、亜熱帯地方の独特の思想として「無一物無所有」スタイルが受容されてきているのではなかろうか。日本の場合にも、山地紫明な瑞穂の国としての豊かさが神道を醸成し、その神道思想の中に「無一物無所有」スタイルが受容されているようにも思われる。

 これを逆に考えれば、寒冷地域においては、生活諸条件の厳しさが身の回り生活必需品を否応無く要請し、ここから私的所有権絶対性への配慮が生まれたのではなかろうか。しかして、「私的所有権絶対性」が私的所有権の範囲の拡大とこれを担保する権力の発生を容易にしたのではなかろうか。

 これを更に考えれば、極寒冷地域においては、生活諸条件の更なる厳しさが身の回り生活必需品をさえ共同体の中において確保するしか方法が無く、そこから私的所有権絶対性は生まれる余地が無かったのではなかろうか。

 以上は、所有権発生の端緒の思想的考察であるが、この指摘に意義があるであろうか。
(2002.2.18日れんだいこ)