史書考、その値打ち考 |
(最新見直し2013.03.18日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「史書考、その値打ち考」を書き直そうとしてサイトを開けたところ無記入になつていた。元々書いていなかったのかリンク手違いかも知れない。いずれにしても書き直すしかない。そこで以下、言論しておく。 2013.03.18日 れんだいこ拝 |
ここで、「史書考、その値打ち考」をものしておく。その意味は、現代が過去の時代に比して頭脳がお粗末になっていることを確認する為である。それはどういうところで分かるのか。結論から申すと史書がないことで分かる。なぜこういうことになったのかと考えるのに、政治の亡国性、即ちその国が国家主体を失った政治がはびこるようになってからだと思われる。そういう意味で、国際金融資本帝国主義の魔手が忍び寄って以降の近代から、こういう傾向が顕著になったと見立てる。この謂いは、2013年現在のTPP騒動で明け暮れる日本に対する当てつけであることは云うまでもない。 TPPの問題性は、TPPなるものを通して各国が主権性を失い、国際金融資本帝国主義の交易基準に無理矢理合わされようとしているところにある。今や各国の政治家が、国際金融資本帝国主義お膳立ての国際基準(グローバルスタンダード)導入の為に画策している。それは、政治家が自身の国家の利益の為にではなく、国際金融資本帝国主義の雇われとして、雇い主の命ずるままに御用聞きしている生態を見せていることを物語っている。普通これを売国奴と云う。今やこういう売国奴が世界中のあちこちで政権を担っている。こういう馬鹿な時代が続くのも止めさせるのも各国人民の能力に関わっている。日本は必ずや世界に先駆けて国際金融資本帝国主義の雇われどもを一掃するであろう。 もとへ。史書は何故に重要なのか。その副次効果はどういうところにあるのか、これを確認しておく。格好の教材を中国に求めることができる。中国こそは歴代王朝の史書を遺し続けている。後漢書25巻から始まる「中国正史二十四史」、他にも正史に至らない史家の史書が多数著されている。注目すべきは、そうした史書が著されている時代こそ世界に冠たる中華の時代であったと云うことである。これを逆に云えば、史書を失う時、その国は亡国の時代に入っていることを示唆している。現代中国が如何なる史書を産もうとしているのかどうか分からないが、史書を産みだす能力があれば過去の中華の時代の伝統に添っており逆は逆であろう。 日本は、中国の歴代史書には劣るが古代史関連に於いては遜色のない史書を遺している。いわゆる古事記、日本書紀、風土記、万葉集がそれである。他にも外伝として古史古伝各書を遺している。それは、この時代の日本が世界に肩を並べていたことを証左している。古代史以降より幕末に至るまでの日本は正史を持たないものの史家の史書、家伝書を多数生み出している。これ為し得ている時、政治がまままともだったのではなかろうかと思っている。そういう意味において、史書のあるなしが、その国の国威のバロメーターになっていると云うことが可能である。 翻って見るに、戦後日本は史書を失った時代である。個々の事件史は無数と云えるほどあるが、戦後日本総体を記述する史書はない。政権を掌握していた自民党の政権史は遺されている。あるいは通産省の経済白書のようなものもある。但し、史家による評に堪え得る史書は産みだされていない。産みだそうとしている気配もない。このことは、国家の背骨がないことを意味していよう。そういう意味で、まさに敗戦国家の悲哀下にあると云えよう。 TPP騒動は、そういう時代に相応しい売国政治の見本のようなものであり、後で高い代価を支払わされることが火を見るより明らかである。2011.3.11日の福島原発事故対応がお手上げの最中、原発続投を宣言して原発再稼働に向かおうとしている狂気の時代の政策に似合っている。簡単ながら、「史書考、その値打ち考」と題してコメントしておく。 2013.03.18日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)