歴史の裏読み考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.3.11日

Re:れんだいこのカンテラ時評その123 れんだいこ 2005/11/08
 【歴史の裏読み考】

 
我々の私生活でも意を尽くしては伝えられないように、歴史にも真相が伝わらない面があるのではなかろうか。それを思えば、教科書的知識や通説は当たり障りのないものでしかなく、これを真に受けて口角泡を飛ばす者がいるとしたらむしろ滑稽というべきではなかろうか。政府発表や商業新聞程度の観測球を請け売りして知識ブルなど同然であろう。

 れんだいこは、歴史の裏史実の格好例としての推測を持っている。それを本邦初公開するが、それは、桶狭間の戦いで、信長軍は今川軍に奇跡の奇襲勝利を得たが、真相は先鋒隊を務めていた徳川軍と織田軍が内通呼応していたのではないか、との仮説である。信長はあの手この手で義元を油断せしめ、義元は巧妙に昼盛りの宴会に誘われたのではなかろうか。

 この観点に立った時にこそ、信長ー家康の終生変わらぬ絆の意味が見えてくる。そんな気がしてならない。これを証明する手立てはないが、れんだいこにゆとりがあれば、この観点からの桶狭間論を書いてみたい。

 なぜかようなことを云うのか。それは、靖国神社論に関連して皇室祭神として祀られている北白川宮能久(よしひさ)親王と北白川宮永久(ながひさ)王の数奇な運命と不審死に思いが馳せられたからである。この二人が何故に靖国神社の皇室祭神として祀られているのか。皇室方の戦死者としてこの二人のみが稀有な例である故なのだろうか。れんだいこは異説を感じ始めている。これについてはサイトアップする前にもう少し検証してみたい。

 この北白川宮能久親王は、何と明治天皇の歴史的登場に深く絡んでいるようである。これについては、太田龍・氏と竹下義朗氏が「明治天皇すり替え出自論」に言及している。れんだいこは見解を保留しているが「歴史の裏読み」には違いない。

 れんだいこは、これらの論考に付加すべき北白川宮能久親王の履歴を知った。何と、北白川宮能久親王は当時「輪王寺の宮」と云われており、幕末内戦期に彰義隊が上野の寛永寺に立てこもった時、東武天皇として擁立されていた方である。幕府方の奥羽同盟は会津決戦で敗北し、「輪王寺の宮」は還俗させられ北白川宮能久親王となる云々。

 こういう史実は重要であるのに伏せられている。れんだいこは一応の歴史好きであるから大概の事変にはさわりぐらいは精通している。しかし、「明治天皇すり替え出自論」と「北白川宮能久親王数奇運命論」の絡みまでは知らなかった。靖国神社祭神論から見えてきた史実であるが、こういう重要なことは得てして記述されない。つまり、好奇心を以て自力で学ぶ以外にない。

 ここまで述べれば、もう一つの重要な裏史実にも言及せねばならないであろう。れんだいこは、角栄論と宮顕論から醸成されたのだが、角栄追討のロッキード事件、宮顕の戦後釈放過程のいかがわしさに裏権力の意図を見てとっている。このことを踏まえれば、近現代史はネオシオニズム勢力にリードされているのではなかろうかという推論が成り立つ。不思議なことに、この観点で歴史を見直せば、いろんなことがつじつま合って見えてくる。

 思えば、「シオン長老の議定書」もかなり重要な文献であるように思われる。れんだいこは憚ることなくサイトアップしているが、反響はない。それは良いのだが、「シオン長老の議定書」を偽書扱いする者は偽書を指弾することに忙しく、決して本書の中身に立ち入ろうとしないという共通点を持っている。れんだいこは、よきにせよ悪しきにせよ「シオン長老の議定書」は知っておくべき且つ学ぶべき歴史的文書ではないかと思っている。

 興味深いことに、「シオン長老の議定書」偽書派は程度の差はあるが、ヒトラーナチスのホローコースト糾弾に連衡しており、ホローコースト糾弾派は南京大虐殺糾弾派に連衡しており、南京大虐殺糾弾派は百人斬り糾弾派に連衡しており、彼らは概ね靖国神社を嫌悪しており、天皇制にも嫌悪しており、著作権主張に殊のほか執着している、という一連の繋がりが見えてくる。

 れんだいこは、「歴史の裏読みに長けないと本当の歴史が分からない」という風に考えている。日共不破の「私の戦後60年」が得々と語った「第二次世界大戦は、民主主義とファシズムとの戦いであった」論では、歴史の真相がさっぱり見えてこないと思っている。

 ちなみに、その不破は、北方領土問題では、四島返還論なぞはペテンの論で、実際には南千島でもなく全千島返還論に立つべきだなどと述べており、右翼もたじろぐ顔負けのバリバリの国家主義者の素顔を見せている。その拠って立つ論拠は、日露共々が帝政時代に合意した協約に拠るべきだ論でしかない。この御仁の変調理論を論えばキリがないので、れんだいこの「不破哲三論」に譲る(miyamotoron/miyamotoron_hosoku17.htm)。

 もとへ。北朝鮮論も、拉致事件も、日朝共同声明も、道路公団民営化も、郵政民営化も、小ネズミのやる事為す事は特に「裏読み」が欠かせないのではなかろうか。一体、誰が仕掛けているのか。仕掛けた側にどういう利得があるのか、その結果、我が日本はどういう方向に誘導されつつあるのか等々、自前で考えてみなければならないのではなかろうか。

 これは、意識的に学ばないと得られない。何も考えないと情報洪水に流されてしまう。立花隆はつい最近は「脳の入れ替えコントロール最新研究」に妙な関心を見せている。それはどうみても悪魔学でしかないが、入れ込んでいる様が見えている。思えば、こういう手合いに言論が牛耳られてきたことになる。立花の非常に癖のある政治主義を叩かねば為らない頃になってきたように思う。話しはここまで来てしまった。既に長くなったことと云い足りたので以下割愛する。

 2005.11.8日 れんだいこ拝




(私論.私見)