別章【オリンピック論】

 (最新見直し2008.8.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに、オリンピック感想記を記しておこうと思う。

 2008.8.17日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評456 れんだいこ 2008/08/25
 【れんだいこの2008北京オリンピック論その1】

 記憶の余韻覚めやらぬうちに2008北京オリンピックの感想を記しておこうと思う。全てを見聞きした訳ではないので、れんだいこ的受け止めになるのは仕方ない。こたびは、オリンピック開催がお盆休暇と重なったことと、長期休暇には恒例の小旅行為すところ、ガソリン値上げに抗議して慎むのが国民的総意だろうと合点して中止した為、その分オリンピックを観戦する機会が与えられた。

 2008北京オリンピックは、1964東京、1988ソウルに続くアジアで3回目の開催となった。開会式の模様は、中国ならではの趣向が凝らされていた。日本人的には多少凝り過ぎの感無きにしもあらずであったが、世界に中国の国威と能力を見せつけアッピールした。石原都知事がこれに難癖コメントしていたが、ロンドン大会の次に東京大会を誘致しようとする立場の都知事に相応しい言動であったであろうか。徒に開催国の自負を傷つける無礼極まる妙な技を披瀝したように思う。

 そもそも石原は、「ノーと云える日本」を著作し嘯いているが、この御仁が、現代世界を牛耳る国際金融資本ネオ・シオニズム帝国主義に対しノーと云ったことは無い。もし云った事があるとしても口先だけであり、その見返りにいつも、アジアに対しては常に揉め事が起こるように口舌し、威張る芸当を得意にしている。これが傲慢不遜皮肉屋石原の正体であろう。この観点から石原を評すれば万事解ける。中曽根−ナベツネ−石原−小泉ラインに共通する度し難い売国エージェントぶりである。

 もとへ。続く各国選手団の入場行進は歴代一位の204参加国、選手約1万1200名になった為、ほんと長かった。とはいえ、それぞれがお国柄を表現し祭典を演出していた。中国漢字による画数順登場となったが、良し悪し両面あるように思えた。

 れんだいこ的には、まずオリンピック発祥の地ギリシャを登場させた後は、先のオリンピックの金メダルもしくはメダル総数の多い順に5ケ国を出場させ盛り上げ、後は地域ブロック順に登場するのが良かろうと思う。その時、テレビの場合には、世界地図上の当該国の位置を示した方がより親しみを持つのではないかと思った。例えばアフリカなど、どこにある国なのかオリンピックを通して知らせる事で為になる。そういう効果もあろうから、今後はそうして欲しいと思う。
 
 さていよいよ28競技、302種目のメダル争いが開始される。競技日程は開催国が決めるのかどうかは分からないが、日本から見ると柔道と水泳、体操で開幕した。そう云えば、女子サッカーは開幕前から競技が行われていた。8.9日、女子48キロ級の谷(田村)が銅メダルで口火を切った。金狙いであったが、重圧の為か慎重になり過ぎていたと思われた。日本国内は「ママの銅メダル」に沸いた。60キロ級の平岡は初戦負けを喫した。

 8.10日、柔道男子66キロ級の内柴が、谷の慎重負けを反面教師としてか終始積極果敢に挑み、2004アテネに続く金メダルを獲得した。これが日本勢初の金メダルとなった。「オヤジなんで、オヤジの仕事をきっちりやりました」とコメントし微笑ませた。この一番手柄は大きかったが、翌日の北島騒動の波で消される。柔道女子52キロ級の中村(19歳)が銅。アテネに意欲を繋いだ。コメントは「次は一番高いところに」。サッカー男子はナイジェリアに敗れ、メダルの道を閉ざされた。

 8.11日、競泳の北島が100m平泳ぎで金。日本列島中が沸きに沸き興奮した。表彰後のコメントは声にならずタオルで涙をぬぐった後「済みません。何もいえない」。一呼吸おいて感無量の声を絞り出し胸を打った。最後に北島らしく「超気持ちいい」。柔道男子73キロ級の金丸は初戦で一本負け。柔道女子57キロ級の佐藤は敗者復活最終戦で敗れた。女子バトミントンダブルスで、人気の高かった小椋・潮田「オグシオ」組の敗退を尻目に、末綱・前田「スエマエ」組が同種目1位第1シードの中国ペアを降すという快挙で4強まで進んだ。

 8.12日、体操の男子団体総合で日本チームが銅。柔道男子81キロ級の小野は初戦で敗れた。柔道女子63キロ級で谷本が鮮やかな背負い投げ一本勝ちで金。コメントは「自分は一本を取る柔道を教えてもらった。自分には、これしかない」。谷本は、国内予選で上野(妹)に負けていたが選考出場していた。本人はこれを苦にしていたが立派に責任を果たした。古賀との師弟愛が報ぜられた。

 8.13日、柔道男子90キロ級のアテネ五輪銀メダリストの泉が2回戦で敗れた。柔道女子70キロ級で上野(姉)が試合開始からわずか46秒後の押さえ込みで連続金。出場できなかった妹の思いも叶えた。上野姉妹には末妹が居り、これまた頼もしいと云う。太田が、フェンシングの男子フルーレで銀。フェンシング人気を高めた模様。競泳の松田が男子200mバタフライで銅。「母代わり」コーチとの二人三脚振りが報ぜられた。女子バトミントンダブルスの「スエマエ」組は、準決勝で韓国ペアに敗れた。

 8.14日、北島が競泳200m平泳ぎでも世界新で金。二大会連続、今大会二つの金となり、「無敵」を印象づけた。体操の内村が男子個人総合で銀。柔道はその後振るわず、柔道女子78キロ級の初出場の中沢は、初戦の2回戦で敗れた。男子100キロg級の選手団長を務めた鈴木が初戦で負けると云う落とし穴に嵌った。鈴木は敗者復活戦でも早々と負け生彩を欠いた。見ていて、少し体が軽いというか浮ついていた。そこを狙われた。体操の男子個人総合で、内村が銀。あん馬で二度の失敗を取り返しての追撃で掴んだ。

 8.15日、柔道最終日のこの日、塚田が、柔道女子78キロ超級で銀。終盤間際まで優勢だったのを背負い投げで決められ逃した。柔道最後を飾る男子100キロ超級の石井が登場し、オール一本勝ちで決勝まで進み、目前で起った塚田の二の舞いを警戒しつつ危なげなく金。女子と男子の試合振りが微妙に影響しあっているのが分かり興味深い。石井のコメントは、「しばらく遊びたい」。慌てて訂正するかのように「練習したい」。

 柔道総評として、伝統的な日本柔道に対して国際柔道が次第にレスリング化しつつあり、両者がますますかけ離れつつあるように思えた。これにどう対処すべきか。れんだいこは、国際柔道が、あらかじめの腰引き構えに対して減点システムを採用すべきと思う。日本武道はいずれも腰を正して正面から向かい合うことを良しとしている。これが遵守されるべきであり、相手の攻撃に対して防御の必要から腰を引くのは止むを得ないとしても、防御の為だけの腰引きは柔道にはならないので構え時点での10秒以上の腰引きは減点対象とすべきと考える。これで解決するのではなかろうか。

 女子バトミントンダブルスのスエマエ組は、3位決定戦で一度は降した中国組に雪辱されメダルを逸した。

 8.16日、中村が、競泳女子200m背泳ぎで連続銅。水泳女子初メダルとなる。女子レスリングが登場し、伊調千春(姉)がフリースタイル48キロ級で連続銀。吉田がフリースタイル55キロ級で連続金。吉田は圧倒的強さで金をもぎ取った。今大会、北島に継ぐ功労者と称えたい。コメントは「勝って泣いたのはいつ以来かなぁ。でも今回が一番泣けた」。長井が自転車 男子ケイリンで銅。

 この日、陸上100m決勝で、ジャマイカのウサイン・ボルト(21歳)が、9秒69の世界新記録で優勝した。しかも後半は流して走るという余裕ぶりを見せた。最後まで全力疾走していたら、どういう記録になっていたかと惜しまれる。会場の北京国家体育場(愛称・鳥の巣)は一瞬静まった後、大歓声に包まれた。ボルトは、ジャマイカ発祥のレゲエ音楽のリズムに乗りフィールドを飛び跳ね、喜びを表現した。 

 8.17日、女子マラソンが行われ、野口の欠場を受け日本選手2名で参戦した。結果はルーマニアのトメスク(38歳)が2時間26分44秒で金、ケニアのヌデレバが銀、ゴ−ル前の激しい接戦に敗れた中国の周が銅。日本の土佐は25キロ過ぎにリタイア(途中棄権)した。土佐選手の夫が「礼子、もうやめろ」と叫びリタイアを決めたと云う。

 事前に分かっていたならなぜ欠場できなかったのか、事前のパフォーマンスは何だったのか、なぜ補欠候補が出走しなかったのか、いろいろ疑問が残ることになった。中村は、マラソン大会歴2回目ながら13位に食い込んだ。これにより高橋、野口と続いてきた二大会連続金メダルの栄光の日本女子マラソン史が途絶え、1988年五輪以来のメダル獲得史も消滅した。

 柔道然り、マラソン然り。どうも指導者上層部間のコミュニケーションがうまくいっていない気がする。選手が磨り潰される悪しき体質はそろそろ見直さないと、日本丸沈没の影絵となってしまう。それに比べて、競泳、女子レスリング、女子サッカー、ソフト辺りは指導部が健全な気がする。これは外から見た感想でしかないけれども。

 競泳の男子400mメドレーリレーで、米国が3分29秒34の世界新で優勝し、フェルプスが8冠を達成し、金メダルの通算最多獲得記録を14に伸ばした。日本勢(宮下、北島、藤井、佐藤)が銅。ここでも北島が活躍した。ハンマー投げの室伏は振るわず5位に終わった。

 女子レスリングの快進撃が続いた。伊調馨(妹)が、フリースタイル63キロ級で連続金。今大会の日本勢金メダルの8個目を飾った。浜口が、フリースタイル72キロ級で連続銅。女子レスリングは予想通りの強さで全員がメダルに輝き、珍しい事に2004アテネと同じ顔ぶれの同じメダル獲得となった。

 浜口父の雄たけびがとどろき、プロボクシングの亀田親子とは叉一味違う親子鷹振りを見せ、むしろ爽やかだった。あのオヤジは笑わせてくれるくれるし、なかなか味のある良いことを云う。女子板飛び込み決勝で、中国の郭がシンクロ板飛び込みと合わせて連続金を達成した。女子ソフトボールがベネズエラに勝ち、5勝1敗となり決勝トーナメント入りが確定した。

 卓球は振るわず。福原愛の神通力は無かった。バレーボールは男女とも日本勢振るわず。他方、サッカー女子が奮戦する。野球の男子は痛い黒星からスタートし、韓国戦でも負けた。ここまでを前半戦、これからを後半戦する。残念ながら、れんだいこは観戦できない。

 書き忘れたこともあろうが、これが2008北京オリンピックのれんだいこ式総まとめとなる。

 2008.8.18日、2008.8.25日再編集 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評457 れんだいこ 2008/08/25
 【れんだいこの2008北京オリンピック論その2】

 前半戦だけでは完結しないので後半戦も論評しておく事にする。

 8.19日、レスリングの男子フリースタイル55キロ級で、松永が準決勝でロシア選手に完勝し銀。男子レスリングが銀以上を取るのは2大会ぶり。60キロ級の湯元は、準決勝でウクライナ選手に敗れて3位決定戦に回り銅。男子レスリングも意地を見せた格好。男子板飛び込み準決勝で、4大会連続出場の寺内が決勝進出。

 8.20日、陸上男子200m決勝で、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が19秒30の世界記録を樹立し、100mと共に2冠を達成、まさに「百万ボルト」の勢い。この種目の2種目制覇は、84年ロサンゼルス五輪のカール・ルイス(米国)以来24年ぶり9人目で、ジャマイカ選手では初めて。従来の世界記録は、96年アトランタ五輪でマイケル・ジョンソン(米国)がマークした「不滅の記録19秒32」で、この記録を塗り替えたことになる。女子400m障害もウォーカー(同)が制し、ジャマイカ勢は短距離系種目で4個目の金メダル獲得となった。

 シンクロナイズドスイミングのデュエット決勝で、原田・早穂組が中国との伯仲戦を制し銅。日本勢は84年ロサンゼルスでシンクロが採用されて以来、全種目でメダルを獲得しており、この記録を更新させた。

 ソフトボールで、準決勝で延長タイブレーカーの末に米国に敗れた日本は、3位決定戦でオーストラリアと対戦。再び延長タイブレーカーにもつれこみ、2番・西山が1死満塁で内角のライズボール(浮き上がるように見える球種)を右中間にはじき返しサヨナラ勝ちし、2大会ぶりの決勝進出を果たした。連投となった上野の318球の力投が光った。

 ソフトとは対照的に星野監督率いる野球は惨敗する。日本は米国との1次リーグ最終戦に延長タイブレークの末2−4で敗れた。4勝3敗となり同リーグ4位が決定。1位通過した韓国と準決勝で対戦することが決まった。もう一つの準決勝はキューバ(同2位)と米国(同3位)が対戦する。

 8.21日、卓球で男女のシングルスがあり、女子シングルスの福原が4回戦進出。福岡と平野は共に3回戦で姿を消した。男子は水谷がフランス選手に競り勝ち3回戦に進んだ。福原は、4回戦で世界ランキング1位の張怡寧(中国)と対戦し1−4で敗れた。

 女子のサッカーとソフトも明暗が分かれた。サッカー女子の3位決定戦が行われ、沢が束ねる「なでしこジャパン」は昨年の女子ワールドカップ(W杯)で2連覇を果たした強豪ドイツに0−2で敗れた。メダルは逃したが、日本女子では過去最高となる4位と健闘した。アテネ五輪と同じ顔合わせとなった決勝は、米国が延長戦の末、ブラジルを1−0で降し、2大会連続3度目の優勝を果たした。

 ソフトボールの決勝が行われ、日本が米国を3−1で降し初の金メダルを獲得した。上野が先発。3回2死3塁から狩野の内野安打で先制すると、4回には山田が中越えにソロ本塁打を放って追加点を挙げた。7回にも1点を加え、上野がリードを守り切った。上野は、この日の95球を含め2日間で3完投413球を投げ抜いた。日本の金メダルは今大会9個目。球技では64年東京五輪のバレーボール女子、72年ミュンヘン五輪の同男子、76年モントリオール五輪の同女子以来で32年ぶり4回目の快挙となった。

 陸上男子400mリレーで日本が決勝進出を決めた。カヌー・フラットウオーターの女子カヤックペア500mの北本・竹屋組が決勝進出を果たした。

 8.22日、陸上男子400mリレー決勝が行われ、日本チーム(塚原、末続、高平、朝原)は38秒15で銅。日本は、アテネのメダルチーム米英仏がバトンの受け渡しに失敗し姿を消したのに対しアンダーハンドパスが奏功し僥倖に恵まれてのメダルとなった。この間、日本短距離走を牽引してきた朝原(36歳)は「念願のメダル」を手にした。

 日本勢が五輪の短距離種目でメダルを獲得したのは史上初の快挙。トラック種目全体では、1928年アムステルダム大会の女子800mで2位になった人見絹枝以来の80年ぶり2度目。優勝は37秒10の世界新でジャマイカ。ボルトは、1984年ロサンゼルス大会のカール・ルイス以来の24年ぶりの100m、200m、400mリレーの三冠を達成した。

 シンクロナイズドスイミングで、日本チームは、前半のテクニカルルーティン(TR)で中国に負け4位に甘んじた。23日の決勝でフリールーティン(FR)で中国を抜きデュエットに続くメダルの獲得を目指す。

 野球で、星野仙一監督率いる日本代表は準決勝・韓国戦となり、前半2−1で折り返すも7回に同点とされ、8回に李(巨人)に2点本塁打などで4点を奪われ2−6で敗れた。8.23日に米国と3位決定戦することになった。

 ここまでの日本勢のメダル獲得は、金9、銀6、銅10の計25個。後二日残すのみとなったが、この後の競技で金の取れる望みは薄い。

 8.23日、陸上男子5000mで、世界記録保持者ケネニサ・ベケレ(エチオピア)が12分57秒82の五輪新記録で優勝。五輪では1980年以来となる長距離種目2冠を達成した。ベケレは8.17日、1万メートル決勝で五輪連覇を果たしている。エリウド・キプチョゲ(ケニア)が2位。エドウィン・チェルヨト・ソイ(ケニア)が3位だった。

 シンクロナイズドスイミングで後半のフリールーティン(FR)が行なわれ、日本チームは、土台となった選手の足がプールの底に着くという減点もあって5位に終わった。ロシアが金、3大会連続でデュエットとの2種目制覇を果たした。スペインが銀、中国が銅。中国はシンクロで初のメダルを獲得した。日本チームは、シンクロが採用された84年ロサンゼルス大会から銅メダルに輝いた今大会のデュエットま7大会連続、延べ12種目すべてメダルを獲得してきたが、初めてメダルを逸した。演技後、小林選手が呼吸不全となり気を失うという事故が起った。 

 男子サッカーで、アルゼンチンがナイジェリアを1−0で降し連覇の金。ナイジェリアは96年アトランタ大会以来の金メダル獲得はならなかった。野球の決勝戦が行われ、韓国がキューバを降し金。

 8.24日、男子マラソンが8時過ぎ天安門広場をスタートした。日本選手は、先に大崎選手が股関節の故障で欠場を明らかにしており、尾方、佐藤の2選手が挑んだ。女子マラソンと違って早めのペース展開となり、10キロ地点で先頭集団は8人に絞られ、日本勢はついて行けなかった。15キロを過ぎ、サムエル・ワンジル(ケニア)がペースアップし、5人の集団、3人の集団となり抜け出した。

 ワンジル(21歳)が2時間6分32秒の五輪新記録で金、ケニア勢としてマラソン初優勝を飾った。ワンジルはケニアから日本に留学し、仙台育英高を経て日本の実業団でも活躍している「日本育ちのケニア人」で「都大路からの世界の頂点」に立つ快挙を演じた。コメントは、「日本で学んだのは我慢すること」。2位にはガリブ(モロッコ)、3位には後半追い上げたケベデ(エチオピア)が入った。尾方は2時間13分26秒で13位。佐藤は2時間41分8秒で最下位の76位。

 新体操でロシアが団体3連場、中国が2位の初メダル獲得。バスケットボール男子決勝が行われ、米国がスペインを破り金、「王座奪回」した。バレーで、米国男子が3−1でブラジルを破り、88年ソウル大会以来の5大会ぶり3回目の金。女子決勝は、ブラジルが3−1で米国に勝ち、初の金メダルを獲得した。ブラジルは、世界選手権、ワールドカップ(W杯)を含めた3大大会を通じて初優勝。

 午後8時、国家体育場(愛称・鳥の巣)で、17日間にわたって行われた北京オリンピックの閉会式が行われた。演技の後、選手が続々と入場し、IOC委員長のジャック・ロゲ会長は、「五輪を通じて、世界は中国を学び、中国も世界から学んだ。このことは長期的に見て望ましい影響をもたらす」と意義を称えた。心配されたテロも起きず、「百年の夢」を果たした中国は、ロンドンのジョンソン市長に五輪旗を引き継ぎ、「2012ロンドン」へバトンタッチした。

 2008.8.25日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評458 れんだいこ 2008/08/25
 【れんだいこの2008北京オリンピック論その3】

 金メダルのトップテンは次の通り。
国名 総数
中国 (32→)51 21 28 100
アメリカ 36 38 36 110
ロシア 23 21 28 72
イギリス (9→)19 13 15 (30→)47
ドイツ 16 10 15 41
オーストラリア 14 15 17 46
韓国 13 10 31
日本 (16→)9 10 (37→)25
イタリア 10 10 28
10 フランス 16 17 40
モンゴル
台湾

 総メダルのトップテンは次の通り。
国名 総メダル数
アメリカ 110
中国 100
ロシア 72
イギリス 47
オーストラリア 46
ドイツ 41
フランス 40
韓国 31
イタリア 28
10 ウクライナ 27
11 日本 25
12 キューバ 24

 北京オリンピックの総評をしておきたい。日本は、大会前抱負の「金2ケタ、総数30個以上」に及ばず、前回アテネの記録より大きく後退させた。個別的には次に期待が繋がる競技が生まれたものの、全体的に深刻な陰りが出ていることになる。これをどう認識し対処するのかが問われているが、「たまたまの不振」と見なしている気配がある。

 その代わりに中国の大躍進は別格として韓国の台頭が目覚しい。韓国は、ここ十年ほど前から囲碁でも中国と世界を争っており、それまで指導的立場にあった日本はこのところ後塵を拝し続けている。この傾向がオリンピックでも裏付けられた事になる。今後、日本は、アジアの中でも中国、韓国の後追いを余儀なくされることが予感されよう。北朝鮮が僅かの競技ながら登竜しつつあり、日本は将来、北朝鮮とのメダル争いを演じるようになるのかも知れない。これがメタボ日本の行く末だろうか。

 印象に強く残ったのは、水泳北島の二つの金。柔道谷本の鮮やかな背負い投げ金。石井の重圧を跳ね返しての金。女子レスリング吉田の圧倒的強さを示した金。女子ソフトのみんなで取った金と云ったところか。不甲斐なかったのは−−−−と責めるのは酷なので控える。

 気になる事は、日本選手の早々の帰国である。どういう事情が有るのかは分からないが、めったに無いオリンピックに参加できた以上、最後まで余韻を楽しみ、肉眼に焼付ければ良かろうに何を慌てて帰るのだろうか。最後まで見届けて味わうのが次の滋養強壮になるのではなかろうかと思うのだが。

 もう一つ気になるのは、マラソンと野球にのみ与えられた選手村に入らずホテルで過ごすと云う特別待遇である。やはり、入場式に参加し、選手村入りするのが自然なのではなかろうか。大会ムードを共感せず、勝つ為だけの方策を練って試合に臨んだ結果がいずれも惨敗とは皮肉な結果である。

 以上から感慨するのは、日本は政治、経済同様に「集団統制、潔癖ヒステリー症」型のタコツボに入ったまま自力救済の能力を獲得せぬまま流されているのではなかろうかとの危惧である。これを象徴するのが、柔道、体操、卓球、マラソン、シンクロであった。かってのお家芸がかくなる低迷を余儀なくされているのは、監督、コーチ等の指導が選手に対する過剰関与になり過ぎているからではなかろうか。その他方で、商業主義を深めつつある。前評判の割には実力が伴わないサッカー、バレー、野球等がその例となった。

 これを打開するのは、第一の方策として、国家的及び民間的草の根式の長期的財政援助であろう。次に、指導者が徒に伝統的な「選手に対する集団統制、潔癖ヒステリー型管理」に向かわず、「選手自身の考案による自由、自主、自律的なトレーニング」の尊重ではなかろうか。

 日本はここまで各競技人口を育てることに成功している。人員はいるが人材が居ない。仮に現われても過干渉により潰されているのではなかろうか。こたびのマラソンが良い例だと思われる。日本は金メダル数では韓国に継ぐ8位だが、総メダル数では11位である。中国、アメリカ、ロシアは別格として欧米各国と比較してみて判明する事は、西欧列強は強い種目で取っているのに対し、日本が取り損ねている気配があることである。大選手団を派遣しているにも拘らず情けない結果なのは、これによると思われる。

 スポーツの世界に垣間見られるものが引き写しとなって日本社会全体を合わせ鏡している。オリンピックに関心が注がれる所以がここにある。その意味で、オリンピック対策も政治、経済対策も根は同じようなところにあると思われる。

 これを逆に云えば、政治、経済対策に有効な処方箋を為しえない国は、スポーツにも然りということになる。その点で、韓国の進出がまばゆい。恐らく、ここまでの政治、経済の舵取りがまずまずの出来映えだったのではなかろうか。今後は分からないにしても。

 中国の開催快挙と金メダル獲得数bP壮挙は驚きを通り越している。この国の前途の舵取りが今後難しいと云われつつあるが、かっての中国がここまで漕ぎ着けたこと自体が21世紀の痛快事ではなかろうか。それに比べて日本はこの先どうなるのだろうか。かっての東京オリンピックは、れんだいこ史観によればハト派が支配する時代の壮挙であった。あの時代の日本は、経済成長著しく、国債を発行せず、医療も年金も世界一の整備を誇っていた。

 これらの善政をことごとく否定する上に成り立つ今日我が政界を支配するタカ派に諸事処理能力が有るように思えない。石原都知事の劣性資質では誘致もおぼつくまい。

 2008.8.25日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評459 れんだいこ 2008/08/26
 【れんだいこの2008北京オリンピック論その4】

 ここでオリンピックの基礎知識を概括しておく。オリンピックは、古代ギリシャのアテネにて始まる。いつの頃からかは定かではないが、約7万人を収容したと云われる競技場は紀元前4世紀に建設されていたとされているので、少なくとも紀元前4世紀頃にはギリシャ神話に基くアテナイの守護女神アテナ(叉はゼウス)を讃える祭典として、オリンポス山で「オリンピア祭」を発祥させていたことになる。祭りの開催される間は戦争を中断し、古代ギリシャを取り巻く各ポリスから優秀な戦士をオリンパス山に招き、芸を競い合った。

 近代オリンピックは、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱より始まる。クーベルタンは、古代ギリシャで行われていた「オリンピア祭」を復活せんと意欲し、1892.11.25日、「ルネッサンス・オリンピック」と題した演説のなかで近代オリンピックを提唱した。国際オリンピック委員会(International OlYmpic Committee=IOC)を設立し、国際オリンピック委員会事務局長となりオリンピック復活へと漕ぎ着けた。

 1896年、第1回オリンピックアテネ大会が開催された。クーベルタン男爵は第二代国際オリンピック委員会会長などをつとめ、近代オリンピックのシンボルである五輪のマークも考案した。概要「オリンピックで重要なことは勝つことではなく、参加することである。参加する事に意義がある。人生で大切なことは成功することではなく、努力することである」の名句を残している。

 古代オリンピックには女性競技はなかった。初めて女性が参加したのは第2回パリ大会からであり、男性の13競技に対して女性は1競技にすぎなかった。オリンピック(夏季)で女性の競技数がようやく男性の半分に達するのは1976年のモントリオール大会からである。女子マラソンが設けられたのは1984年のロサンゼルス大会からであり、男女の競技数がほぼ同じになったのはごく最近である。してみれば、オリンピック祭典は未だ形成途上と云う事になる。

 以下、れんだいこのオリンピック論。れんだいこがなぜオリンピックに着目するのか。それは、人間の様々な能力の可能性と限界に挑戦する心技体芸術であるとみなすからである。目標に向かいひたむきな努力した結果が問われ、人に感動を与える。問題は、選手が薬物に汚染されてまで勝つ事に意味を見出すのではなく、各々の競技の素晴らしさを伝え、堂々と戦うことにある。能うことなら競技寿命を延ばす事が理想であろう。これを前提として、スポーツ競技が、政治や文芸の世界に負けず劣らず人間的諸能力を発揮する素晴らしい世界である事を示してもらいたい。

 もう一つ、その競い合いが自ずと間接的に国威を示すように思われるからである。それは民族、国家の明日の在り姿を示唆していると窺うことができる。スポーツの盛んなることは文芸に負けず劣らず、民族、国家の人民大衆の生活能力と精神能力を反映していると窺うことができる。そういう意味で、社会の健全化のバロメーター足り得ている。その国際聖典がオリンピックであり、ここにオリンピックの意義を認める事ができよう。

 もう一つ、オリンピックが平和の祭典であるからである。古代ギリシャの「オリンピア祭」も祭典中は戦争を中止していたと云う。これがオリンピックの原点であるとするなら、現代世界もまたオリンピックを創出発展させるする事により、戦争にではなく平和創造に向かって欲しい。オリンピックにはそういう願いがある。

 もう一つ、スポーツ精神は、近代−現代に忍び寄った資本主義的金貨尺度に対する別の社会価値として称揚されるべきではないかと考える。れんだいこが窺うのに、スポーツは対等なルールの下で競う自由自主自律的且つフェアープレー価値を提起していると思われる。互いに寿命のある身の生命の燃焼のさせ方として、スポーツに打ち込むことは、今日盛んに喧伝されている拝金病に陥るよりよほど値打ちがある生き方ではないかと考えている。

 そしてこういうことが云える。現代の邪悪な政治家どもの司る政治を見よ。彼らが何もしない方が却って良い政治になるのではなかろうか。そういう政治家ばかりがはびこっているように思える。彼らを退け、スポーツで鍛えた精神の持主達が、スポーツ精神を政治に押し広げ、それを世界に押し広げ、諸民族協和の社会創造に向かってくれた方がどれだけ良い事か。

 れんだいこはその昔、或る女性と言い合いしたことがある。彼女曰く、肉体だけ鍛えているだけの脳内ピーマンなぞ大嫌い。れんだいこは問うた。ならば、どういう人が一番素敵なんだ。彼女曰く、大学の教授、その最優秀者としての学長、総長。

 れんだいこ曰く、あのなぁ、人の頭脳活動はどこに向かうかの差であって、頭脳活動のいらないものなんて無いんだよ。学長、総長が一番賢いなんて、あんたそれは余りにも実際を知らな過ぎる。案外、一番世間を知らない馬鹿かも知れんよ。以来れんだいこは、お話にならないので口をきかなくなった。

 若い頃に何事かに一所懸命に取り組み、一芸に秀でた者がその会得したものを他の分野、特に政治に攪拌してくれたら良いものになるだろうに、それができないできにくいところに問題があるのではなかろうか。宗教家が宗教に止まり、思想家が思想に止まり、スポーツ家がスポーツに止まり、経済人が経済に止まるから、科学者が科学に止まるから、能無し政治家がネオ・シオニストの御用聞きばかりするのではないのか。変な学者がこれを変な理論でお追従するのではないのか。

 そんなことを云って、れんだいこのオリンピック論の締めとする。

 れんだいこのオリンピック論
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/orinpicron/orinpicron.htm)

 2008.8.26日 れんだいこ




(私論.私見)