ナベツネの大東亜戦争観、靖国神社観考

 更新日/2016.03.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、ナベツネの大東亜戦争観、靖国神社観考を検証しておく。

 2007.11.11日 れんだいこ拝


【ナベツネの戦前軍部批判考】
 奇っ怪ニッポン」より、長野県知事・田中康夫氏の傾聴に値する渡邉恒雄氏の発言」(2005.7.28日掲載)を転載する。
 東西統一後の初代ドイツ連邦共和国大統領として知られるリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、「荒れ野の40年」と題する演説を、ドイツ敗戦40周年の1985年に行っています。 過去を克服し得る営為など存在し得ず。然(しか)れど過去に目を瞑(つむ)る者は現在にも盲目となる。心に刻み続ける事こそは重要で、自由を尊重し、公正を拠り所とすべき。

 斯(か)くなる政治家の科白を冷笑する事は簡単です。成る程、相方として首相を務めたヘルムート・コールは汎ゲルマン主義を掲げ、その台頭や暴走を制御する意味でもEUは必要である、と英仏は考えたのですから。 とは言え、ユダヤ人に留まらず、同性愛者や障害者、トルコ人や黒人、更にはアメリカ人や保守主義者に対しても、敵意や憎悪の念が生まれぬ様、真実を直視し続けねば、と語ったヴァイツゼッカーは、以下の興味深い指摘も行っています。

 何故(なぜ)、10年、25年、50年でなく、敗戦40年に式典を執り行うのか。それは、10年を1世代とする人類にとって40年とは、当時の情況や体験を語り尽くせる人々が数少なくなるに“充分”な程に長い歳月であるからだ。であればこそ40年目の今、私達は心に刻み続けねば、と。翻って、創立10周年、25周年、50周年の語呂合わせ的“節目”を好み、過去のみならず現在をも隠蔽し勝ちな日本では、その40年から更に20年が経過した戦後60年の国会決議の文面から、「植民地支配」や「侵略的行為」の文言が削除されようとしています。

 では、以下は、何処(どこ)の平和主義者が行った発言でありましょうか?
 「安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題が有る。靖国参拝がそれだ』と。みんな軍隊の事を知らないからさ。それに勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」
 「僕は軍隊に入ってから、毎朝毎晩ぶん殴られ、蹴飛ばされ。理由なんて何も無くて、皮のスリッパでダーン、バーンと頬をひっぱたいた。連隊長が連隊全員を集めて立たせて、そこで、私的制裁は軍は禁止しておる。しかし、公的制裁はいいのだ、どんどん公的制裁をしろ、と演説する。公的制裁の名の下にボコボコやる」
 「この間、僕は政治家達に話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。戦時中、よくこんな録音を放送出来たと思う。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけれど、殆(ほとん)どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無いと考えている。犠牲になった兵士は別だ。これは社の会議でも絶えず言ってます。君達は判らんかも知れんが、オレはそういう体験をしたので許せないんだ」

 これらは驚く勿(なか)れ、改憲を掲げる讀賣新聞社の渡邉恒雄氏が、田原総一朗氏責任編集の雑誌「オフレコ!」創刊号で発言した内容です。歴史を実体験した者の科白は、立場を超えて傾聴に値するのだとの感懐を僕は抱きました。【田中康夫】
(私論.私見) ナベツネの戦前軍部批判について

 上述のようなナベツネの戦前軍部批判について、「奇怪」とか「騙されたと思って最後まで読んでみて!」とか、「ホント、後半、信じられないくらい興味深いよぉ。まぁ〜読んでみて!!」の評が為されている。しかし、れんだいこは、ちっとも好評するに値しない。なぜ、こういう評価の違いがでるのだろうか。

 思うに、戦後タカ派つまり現代ネオシオニズム系タカ派の実態を正確に把握していないところから、「ナベツネの戦前軍部批判」を好評価する痴愚ぶりが生まれるのではなかろうか。現代ネオシオニズム系タカ派は、戦前の軍部系タカ派とは断絶しており、戦後のシオニズム系反戦平和論にシフトしている。故に、西欧シオニストがナチス批判する視線に合わせて、アジアシオニストは戦前の日本軍部批判する。ここには何ら不思議はない。

 つまり、「ナベツネの戦前軍部批判」を好評価する手合いは、現代日本の支配層が戦前の支配層と同系譜に有るものと誤解しているのではなかろうか。そういう観点では、大東亜戦争反戦の重みも、マルキシズム的反戦平和論とシオニズムのそれとの差異さえ分からず、左翼風シオニズム反戦平和論で丸め込まれていることに気付いていないということになる。実際、こういう手合いが多くて困る。南京大虐殺事件、ホロコーストを声高に叫べば叫ぶほど左派だと勘違いしている者が後を絶たない。これでは現代史の位相が少しも見えてこないだろう。

 2005.8.30日 れんだいこ拝


【ナベツネの靖国神社に対する見解考】
 「ウィキペディア/靖国神社に対する見解」参照。

 ナベツネは日本の首相の靖国神社参拝に反対していることで知られている。次のように発言している。「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである」、「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の読売新聞の力でそれを倒す」( “日本人に戦争の真相と戦犯犯罪をはっきりと知らせるようにしなければならない─渡辺恒雄氏に対する特別取材 (2007年8月10日)”. 北京週報日本語版人民網anese.beijingreview.com.cn/yzds/txt/2007-08/10/content_72081_5.htm)。

 ナベツネは靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者追悼施設を建設すべきと主張している。また「内務班で受けた暴力をいまでも許せない、だから首相の靖国参拝には反対だ」と本音を語っている。他方、極東国際軍事裁判の判決が絶対的正義でないと述べている。

 2001年から2006年に靖国神社を参拝した当時の首相・小泉純一郎が自身の靖国参拝は「心」の問題だと語っていた事に対しては、日本遺族会が選挙における票田になっていることを挙げた上で、小泉が自由民主党総裁選挙の際、遺族会に向けて、自身が首相に就任すれば靖国神社を参拝することを約束していたとして、「私はそれは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている。」と主張している。

 旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、陸海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては「今でも許せない軍の非人間的作戦」、アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては「前線の将兵に対する鬼畜の行為」と激しい怒りを露わにし、石原慎太郎同様に戦陣訓を作成したとされる当時の陸軍大臣の東條英機を批判している。渡邊曰く「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」、「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」。

 靖国神社の遊就館に対しては、真珠湾攻撃などの日本が勝利を勝ち取った写真が展示されているため、「非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない」と閉鎖する事を主張している。また、自民党幹事長だった加藤紘一が遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語ったとも述べている。

 2005年、読売新聞社は渡邊の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された。渡邊は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している。また北朝鮮の金正日総書記にも読んでほしいと述べている。

 社会民 党は2006年9月7日午後、都内で「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を開き、渡邊と意見交換し、渡邊は「世界各国に無名戦士の墓があり、国賓が来た時に訪問する国も多い。日本でこれに該当するのは千鳥ケ淵墓苑だ」と主張し、同墓苑に隣接する公務員宿舎などを廃止して墓苑を拡充、無宗教の追悼施設にする事を提案した。党首(当時)の福島瑞穂は「社民党の考え方と共通点が大変多く、とても参考になった」と応じた。

 尊敬している中国人政治家はケ小平と述べ、渡邊がケ小平に日本の対中侵略戦争の責任問題についてどう見ているのかと尋ねたところ、ケ小平は侵略戦争を起こしたのは大日本帝国政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明し、渡邊はこの言葉を聞いた後「親中派」となったと言う。ただし、2005年の中国における反日活動では「中国の反日暴動は、中国政府の統治能力と国民の文明開化度が日本より半世紀遅れていることを示すもので、いたずらに興奮するのは無益だが、あの暴挙については、日本国政府は厳しく抗議して、損害賠償を求め、国の威信を保たねばならない」と中国側を批判していた。

 2013年末に首相の安倍晋三が靖国神社を参拝した事に対して、幹部たちとの会合で、「あれにはオレも失望した」と漏らしている。2007年には「安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね」と述べている。

(私論.私見)

 要するに国際ユダ邪論が全くない。と云うことは国際ユダ邪の腰巾着として随伴し権勢を振るっていることになる。その限りでの反国際ユダ邪的であった戦前日本批判、軍部批判に終始している。ここのところが分からず、戦前日本批判、軍部批判に感激しているサヨの粗脳が嘆かわしい。

 2016.3.10日 れんだいこ拝




(私論.私見)