新聞各社の論説考

 (最新見直し2006.10.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 新聞に於ける社説の地位は高い。恐らく社説執筆氏はそれぞれ新聞社の顔となっているはずである。その社説内容の貧困さを問題にしてみたい。一体、どういうことになるのだろうか。

 2006.10.25日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評227 れんだいこ 2006/10/25
 【2006.10.25日付毎日新聞社説考】

 2006.10.25日付毎日新聞社説「造反組の復党 郵政解散の大義はどこへ」(http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061025k0000m070146000c.html)を批評する。この社説に違和感を覚えるのは、れんだいこだけだろうか。毎日新聞社は、記事に就いては記者名を付すことが多いが、社説には不要としているのだろうか記していないので誰の手になる論かは分からない。良し悪しあろうが、無署名に隠れた安逸論はいただけない。以下、執筆氏を仮に甲として論評する。

 新聞に於ける社説の地位は高い。恐らく甲はそれぞれ新聞社の顔となっているはずである。その社説内容の貧困さを問題にしてみたい。一体、どういうことになるのだろうか。

 甲は、郵政造反組の最近の復党の動きが気に召さないらしい。「有権者への背信行為だと言わざるを得ない」とまで云う。甲よ、昨年の衆院選の民意は、得票数では半数の者が反対している。「有権者の背信行為」なぞ軽々に使う勿れ。どうしてもそう云いたいのなら、「刺客候補に投票した有権者への背信行為」と限定的に的確に記すべきだろう。

 昨年の衆院選に対し、甲は次のように述べている。
 「当時、国民に争点をはっきりさせるという点で、私たちは『公認拒否は当然だ』と主張した。小泉首相は『古い自民党とは手を組まない』とも言い切り、仮に造反組が当選しても、それは復党や連携がないことを意味していた」。

 甲が、居酒屋政談でそのようにぶつのは勝手だが、社説で書くのはどうかな。昨年の衆院選は、ジャーナルが健全なら、いろんな意味で批判的に論評されねばならなかった。まず、参院での郵政民営化法案否決即衆議院解散が違憲ではないかということの検討をすべきだろう。れんだいこは悪弊を刻んだと思っている。次に、郵政民営化という一本立て争点で衆院解散に向うというのも問題だろう。それは政治を余りにも硬直化させ過ぎているだろう。

 更に、選挙突入になるや、小泉官邸が、民営化法案の反対者を公認せず、「刺客」候補をぶつけたことに対し、ジャーナルが健全なら、その手法のイカガワシサを衝くべきだろう。「私たちは『公認拒否は当然だ』と主張した」となると無茶だ。ジャーナリストの面汚しであろう。せめて、理解できると云うのが精一杯で、当然論となると暴走だろう。

 思い起こそう。あの時、地方県連がこの間の経緯を踏まえつつ協議に協議を重ねて選出した候補者を、官邸が拒否し、別の議員を俄か作りして公認立候補として選挙戦に突入した。しかも、それらの刺客は地元とは何の関係も無い落下傘候補であった。

 自民党員ないしはその支持者でない者にとってはよそ事の話ではあるが、党内民主主義の在り方問題として共通しており、その手法の妥当性が問われねばならなかった。その上で、官邸権限の能力と限界が議論されねばならなかった。そういう問題を一切不問にして、「公認拒否は当然だ」なる論をぶつのは、居酒屋政談以下の見識であろう。

 甲は、そうした小泉首相の采配を、「そのけれんみのない姿勢は有権者の心をとらえ」と称えている。「296議席という自民党大勝の要因になった」とも云う。それもオカシイ。自民党の大勝は、刺客騒動を面白おかしく報道し、プロパガンダし抜いたマスコミの協力あっての政・報同盟の賜物だったのではないのか。「小泉首相の采配」は本来はブーイングされるべきものでしかなかった。それを「けれんみのない」などと提灯報道したマスコミ合作あっての勝利ではなかったのか。甲にはそういう反省が微塵もないことが分かる。

 その甲は、「それからすれば、復党の動きは過去の経緯を無視し、来夏の参院選対策を優先したご都合主義である」として批判する。ここで初めて甲の批判が登場するが、何とまぁ最大権力者には阿諛追従し、その政敵には厳しい批判という構図でしかない。甲の本性が見て取れる。こういうジャーナルなら誰でも出来よう、第一頭が要らんがな。

 安倍首相は、郵政造反除名組の救済策を講ずるよう指示した。現在、郵政法案に反対した衆院の造反議員は17人いる。そのうち首相指名で安倍首相に投票した12人が復党の対象となっている。甲は、次のように解説している。
 「この時期に復党問題が浮上したのは、参院選に向けた参院側の要請という面がある。01年に『小泉ブーム』の中で自民党が圧勝した選挙の改選期にあたり、前回勝った分、苦戦は免れない。自民党には参院での与野党逆転という危機感がある」。

 安倍首相の郵政造反除名組救済策には確かにそういう面もある。しかし、もう一つ触れねばならないことがある。それがジャーナルというものだろう。つまり、時の小泉首相の刺客戦略がまさに暴挙であり、以来、自民党にはその後遺症を修復せねばならない党内事情が続いている。当事者の小泉首相は後始末しなかった。次の首相が為すのは自民党総裁としての義務である。これは至極真っ当なことである、という解説こそが必要なのではないのか。ところが、甲は、小泉阿諛追従が過ぎる余り批判しか出来ない、というただそれだけのことである。

 その甲は、未だに次のような考え方を示している。
 「自民党は衆院選で、造反組は古い党の象徴であり、抵抗勢力を改革派の刺客が打ち破るという構図を描き、選挙戦全体のイメージを作り上げた。それが今度は、その人たちに参院選での救世主を期待するというのか。あの郵政解散の大義は何だったのか。小泉劇場の木戸銭を返せと怒る有権者もいるだろう」。

 甲の愚昧さが見事に披瀝されているが、何と、「造反組は古い党の象徴であった」と云う。オイオイ、小泉権力にイエスマンしか出来なかったのがその他大勢で、「造反組の造反こそ政治家の矜持であり、義挙であった」とみなすべきではないのか。甲は更に、「あの郵政解散の大義」などと大げさに云う。オイオイ、郵政民営化法案の不義が次々と明るみになっているというのに、それを強行せしめたのが大義などとは、お前はよほどめでたい奴だな。

 「小泉劇場の木戸銭を返せと怒る有権者もいるだろう」とも云う。オイオイ、政治は修羅場ではあっても、劇場ではないぞ。お前が木戸銭感覚で眺めているのは勝手だが、社説執筆氏としては間抜けの極みだな。

 安倍首相の郵政造反除名組救済策に対して、小泉前首相は反対している。甲は、次のように云う。
 「それは組織選挙を志向する参院幹部への批判であり、造反組と対決した当時の責任者として当然の発言だろう」。

 オイオイ、甲よ、お前が小泉狂いなのは分かるが、小泉が狂っていたならお前も同類と云うことも分かっているだろうな。お前は、なしてそこまで肩入れするのか。通常は、小泉が狂人でなければ、後のことは後の者に任すものさ。

 甲は、最後にこう記して締め括っている。
 「滑り出しは好調だ。ただ一つのつまずきで、がらっと空気が変わることがある。世論を軽くみないでほしい」。

 甲よ、安倍政権がどうなろうが、お前が肩入れして心配するには及ばぬ。それとも何か、お前は、自民党機関紙の編集長のつもりか。ならば、毎日新聞の社説で書くより、自民党広報誌にでも寄稿しいや。

 れんだいこが締め括りなおす。小泉政権5年有余の傷は深い。「聖域なき構造改革」、「自民党をぶっ潰す」というコマーシャルで登場し大受けしたが、政権5年有余で判明したことは、ブッシュのヌ僕であり、云われるがままに大枚の金額をお供えした。「国債発行30兆円枠」の公約はいとも簡単に放り捨て、財政危機を更に天文学的に進行させた。「8.15日靖国神社公式参拝」公約だけは頑なに守り、政権晩年に果たした。

 この間アジア外交は機能停止し、他方で小泉家4代にわたる軍事防衛族のDNAは、この方面にのみ積極的に働き、専守防衛区域の歯止めを取り壊し、自衛隊のイラク武装派兵を実現した。財政危機の最中、これに要した費用の責任も重大である。この間内政不振の惨状覆い隠し、いざなぎ景気を抜く好景気などという大本営発表をし続け、後継安倍政権もこれを踏襲している。「郵政造反組復党問題」は小泉政治の大きなツケとなって、政治火山化しつつある。

 かような小泉政権史に今だ追従し続ける新聞マスコミの言論氏の腐敗が、こたびの社説で浮き彫りにされており、我慢ならずコメントしてみた。恐らく、連中の性根はもう直らない。我々の言論空間を一刻も早く創出すべきだろう。

 2006.10.25日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評228 れんだいこ 2006/10/26
 【毎日新聞余禄の放蕩息子論考】

 「2006.10.26日付け毎日新聞余禄」が、昨日の社説に続いて「郵政造反組の復党問題」を採りあげている。これにコメントしておく。執筆氏を仮に乙として論評する。

 乙は、いきなり聖書に於けるイエスの放蕩息子問題説教から入っている。それによると、家出した放蕩息子が戻った時、父がそれを許し歓迎の宴を開いた。地道に親孝行をしてきたもう一人の息子はこれを怒った。イエスは、父親の態度を称えたとか。そこから一転、「郵政造反組の復党問題」に入る。早期無条件復党容認派と批判派の対立に触れ、「来るものも、帰ってくるものも拒まないのは自民党の真骨頂だが、世論が放蕩息子の父ほど優しいかどうかは分からない」と結んでいる。

 れんだいこは、小泉政治を提灯していない分だけ昨日の社説の甲の論よりはよりましと判ずる。だがしかし、問題が無い訳ではない。第一、郵政造反組を、放蕩息子に例えていることがペテンである。昨日も批判したが、郵政造反組は、政治家の矜持を賭けた義士と看做すべきだろう。それを放蕩息子に例えるとは何を根拠にそったらこと云うのだろうか。

 第二に、この問題は、小泉政治批判抜きには解けない。そこを素通りするから、ろくな寸評にならない。そういう訳で、れんだいこが代わりに例えばなしを提供することにする。

 仮に江戸時代、徳川政権には実際には居なかったが狂人将軍が居たとする。その将軍が、生類憐みの令のような政策を強行採用させんとして物議をかもした。結果的に反対派の領国に新領主を送ったものだから、一国二領主地帯があちこちに発生することになった。当然、旧領主と新領主の折り合いが良かろう訳がない。そこへ、別権力による第三の領主が登場し、その第三領主と旧領主が提携の動きに出始めた。時を経て将軍様は代替わりし、新将軍は、旧領主と新領主の喧嘩をうまく纏めるよう指示した。こういう経緯であろう。

 問題は、一国二領主を現出した先の将軍の政治手法の拙さにある。それも、旧領主は概ね領国の臣民から支持を受けていた者ばかりで、故に臣民の困惑が激しい。とはいえ、新領主も将軍に任命され赴任してきた訳で、特段の咎が有る訳ではない。さて、どう解決するのか。普通は、どちらも被害者と認め、双方救済の道しか無かろう。但し、そうする為には、先の将軍の政治手法批判を媒介せねばならない。それが出来ぬから混迷を深めていると云う漫画的事態にある。

 それにしても、たまたま毎日新聞論説ばかりを批評したが、他社のそれはどう評しているのだろうか。恐らく、小泉政治を断罪する社は一つもなかろう。よって、ひねくれた、その上で穿った見方しか披瀝しないだろう。これが日本ジャーナリズムの生態である。お粗末というしかない。れんだいこが給与で算定すれば、年収五百万がせいぜいのところである。それを二千万以上も貰うからボケてしまうのだ。

 新聞各社の論説考

 2006.10.26日 れんだいこ拝




(私論.私見)