読売サイコパス論-社説の反動的言論大砲を如何にせんかー

 (最新見直し2006.1.9日)

 読売サイコパス論-社説の反動的言論大砲を撃てー れんだいこ 2004/10/24
 読売新聞は戦後憲法の急進主義的改正派である。その言に耳を傾けると、戦前的絶対主義天皇制秩序への復古調というより現代史最大権力体米英ユ連合のエージェント的水先案内人の役目を果たしている。

 その読売が、2004.10.23日付・読売社説(1)で、「 [極東条項]“神学論争”の愚を繰り返すな」なる噴飯ものの記事を掲げている。ご丁寧にも末尾で、「2004/10/23/01:43 読売新聞 無断転載禁止」と記しており、よほど姑息に根回しすることを好む手合いであることが分かる。以下、「無断転載禁止」記事を転載する。

 付言。れんだいこは、政党ないし言論人が「無断転載禁止」とするのは憲法違反と考えているので、意に介さない。むしろ、彼らが言説に信を置いているのならその言説のプロパガンダを引き受けているので却ってお褒めにあずかっても良いぐらいだと考えている。

 (転載はじめ)
 確固とした二十一世紀の安全保障政策の構築という課題を前に、“閣内不一致”を露呈しているのはどうしたことか。

 米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転と日米安全保障条約第六条の、いわゆる「極東条項」をめぐって、細田官房長官と大野防衛長官の発言が食い違い、統一見解を出した問題である。

 大野防衛長官が、二十日の参院予算委員会で、「極東」外での在日米軍の活動に触れながら司令部移転を容認した。この発言から、司令部移転の受け入れに伴って、極東条項の変更もあり得る、という見方もされた。

 政府は慌てて、統一見解をまとめた。在日米軍再編が安保条約や日米の関連取り決めの枠内で行われるのは当然とし、「極東条項の見直しは考えていない」とするものだ。

 日本の安保戦略にかかわる在日米軍再編問題の協議が、これから本格化するという時、政府一体で取り組む体制をしっかりと作る必要がある。

 避けるべきは、条文などの解釈をめぐる“神学論争”に陥ることだ。

 極東条項が問題にされるのは、米軍が朝鮮半島から中東までの「不安定の弧」における活動に対する司令部機能を日本に置こうとしているからだろう。

 司令部が中東や南アジアでの米軍の活動を指揮統制することは、「極東」の範囲を超えるため、日本への司令部の移転は許されない、という主張がある。

 逆に、だから極東条項の見直しが必要だ、という指摘もある。

 こうした観点から、今後、野党が、神学論争を仕掛ける可能性がある。政府統一見解で当面は落ち着いても、司令部移転問題が進展すれば、極東条項論議が再燃するだろう。

 だが、在日米軍は、湾岸戦争やアフガニスタン戦争、イラク戦争など、極東外でも活動してきた。同盟関係に立った国際平和協力活動として、日本もインド洋への自衛隊艦船の派遣や、陸上自衛隊のイラク派遣を行っている。

 「不安定の弧」は、テロや大量破壊兵器の拡散などの脅威の温床だ。在日米軍の基地機能強化の目的は、その脅威の抑止にある。脅威が現実になれば日本を含め、アジア・太平洋地域の不安定につながる。弧に沿った、中東から日本に至る海上輸送ルートは、原油の九割近くを中東に依存する日本経済の生命線だ。

 だからこそ、神学論争ではなく、現実的な論議が必要になる。日本や国際社会の平和と安定という、最も重要な問題を二の次にしてはならない。(転載以上)

 読売社説のどこが変調なのか以下考察する。読売社説は堂々と、日米安全保障条約第六条のいわゆる「極東条項」議論に対して、「避けるべきは、条文などの解釈をめぐる“神学論争”に陥ることだ」と述べている。

 その論拠として、「『不安定の弧』は、テロや大量破壊兵器の拡散などの脅威の温床だ。在日米軍の基地機能強化の目的は、その脅威の抑止にある。脅威が現実になれば日本を含め、アジア・太平洋地域の不安定につながる。弧に沿った、中東から日本に至る海上輸送ルートは、原油の九割近くを中東に依存する日本経済の生命線だ。

 だからこそ、神学論争ではなく、現実的な論議が必要になる。日本や国際社会の平和と安定という、最も重要な問題を二の次にしてはならない」としている。

 しかし、これは変調論法だ。「中東から日本に至る海上輸送ルートは、原油の九割近くを中東に依存する日本経済の生命線」ならば、その石油産出国に対してこれを恩顧し協調主義を採るのがまともな考えであろう。その限りで、米国に対しても日本の立場を訴え、自主路線を敷くというのが日本外交の真っ当な姿であろう。

 現に、1973年の第一次オイル・ショックに見舞われた際の時の政府・田中政権は次のように対応している。11.14日、キッシンジャー国務長官が、中国訪問の帰途日本に立ち寄って、田中首相と会談し、「今アメリカは中東和平工作を進めているので、日本がアラブ寄りに外交方針を変えることは控えて欲しい。無理をすると日米関係にもヒビガ入る」と強調した。これに対し、田中首相は、「日本の中東に対する石油依存度が極めて高く、アメリカが石油の代替供給をしてくれない限り、日本はアラブ寄りにならざるを得ない」と訴えた。

 11.22日、田中政権は、アラブ支持を明確にした次のような新中東政策を発表している。①・イスラエルの武力による領土の獲得及び占領反対。②・1967年戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退。③・同域内の全ての国の安全保障措置。④・パレスチナ人の正当な権利の承認と尊重。

 「原油の九割近くを中東に依存する日本経済の生命線」であるならば、何も米英ユ連合と一蓮托生するばかりが唯一の政策という訳にはならない。れっきとして1973年時点での我が国の石油政策は「供給元恩顧協調主義」を打ち出している。

 むしろ、この方が自然な発想であろう。従って、読売は、「石油=日本経済の生命線論」を説くなら、「アラブ支持政策の非、米英ユ一蓮托生政策の是」を論証せねばなるまい。

 ここが本来議論されるべきところである。その肝腎な議論を「神学論争」として排斥し、米英ユのポチ小泉政策の阿諛追従専一主義を奏でるところに胡散臭さがある。それは、言論人の失格ではないのか。

 時の政府のプロパガンダ、野党の批判はそれぞれが仕事だからそれは良い。言論人はそれを批評するのが仕事である。それを為さず、「神学論争論」を振り回し、政府広報紙に成り下がるのはサイコパスだろう。自覚症状はともかくも確信犯的であるだけに始末が悪い。

 2004.10.24日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その138 れんだいこ 2006/01/09
 【俵孝太郎氏の警鐘について】

 俵孝太郎氏は、著書「田中裁判ーもう一つの視点」(1984.11.25日初版、時評社)の中で、「操作される世論の危険」に言及している。れんだいこはこの言を認め、但し「操作される大衆」ではなく「操作されるマスコミと大衆」という視点で捉え直し、次のように発言しておくことにする。俵孝太郎氏の立論から離れ、れんだいこ節になったかも知れない。

 「世論は操作される。今日ではまずマスコミが操作される。その操作されたマスコミによって世論が操作される。この操作が始動するとバランスを失ったままひとりでに暴走し始める。こうした暴走は、えてして滑稽な反動を伴うものだと云っておきたい。

 操作されたマスコミによって世論が影響され、大衆が操作されるにしても、大衆の判断は一定の長期間で捉えてみれば概ね妥当なところに落ち着く。そこには不思議なほどの摂理が働く。大衆は刹那刹那で捉えてみれば往々にして、没理性的でまことに振幅が激しく、到底信ずるに足りない軽挙に陥るにしても。

 マスコミ操作とそれによる世論操作と、操作される側の関係を捉えて、人は、あるいはそれは操作する権力が悪いのであって、操作される側には罪は無いと云うかも知れない。しかし私は、必ずしもそうは思わない。権力がマスコミを、世論を、大衆を操作しようとするのは権力の常套手法であって、立場からすればいわば当然であるとみなすべきだろう。そういうことをしない権力なぞ無いと云うべきだろう。

 だからといって、マスコミ、世論、大衆なりが操作されるのは仕方が無いと云ってしまっては何も解決しない、と思う。換言すれば、詐欺師は当然人を騙そうとするに決まっているが、だからといって騙されるのは止むを得ないとは云えない。

 操作されたり、騙されたりするのは、いわゆる被害者の側にも応分の責任があると、ひとたびはみなすべきではなかろうか。無知とか、未熟とか、欲とか、打算とかがあるからであって、その辺りを安易に無視して、ただ、被害者に罪は無いと糖衣錠理論で宥(なだ)めるだけでは、事象から教訓を生み出すことにはならない。権力側に操作される仕掛けの解明に向い、それを防ぐ手立てを講ずることが肝要である。流布されている糖衣錠理論の危険性がここにある。

 『大衆は常に神の如きものだ。大衆から学べ』と云う言葉も安易に真に受けてはいけない。私は、世論、大衆の判断は常に正しいものだという風には理解しない。大衆はしばしば操作されるし、容易く間違う。日本人のように、熱しやすく冷めやすい民族、集団としての思考や行動に馴染み、東洋的専制主義の政治の下にあったことが久しい国民では、尚更のことだろう。

 しかし、世論や大衆を弄ぶものは、いつか必ず痛烈なしっぺ返しを受け、返り血にまみれる。その作用を通じて、大衆は『神の如きもの』になりうるのだ、それが東西古今の歴史なのだと、私は思う」。

 2006.1.9日 れんだいこ拝




(私論.私見)