別章【大宅壮一考】


 大宅壮一は大正末期の帝大新人会員であり、日本フェビアン協会の組織者を経て、昭和の始めプロ作家同盟(ナップ)の中央委員となって活躍。1932(昭和32).10.5日、検挙。独特の転向理論「如何なる主義主張にも同調せず、自己流で対処する」で転向。以降、「今日はどっちの方向に吹いているか、明日はどうなるか、どこにどのような低気圧が現れて、どの方向に進行しているか、ということを人よりも早く、正確に知らなくちゃならない。本職に精を出すのもいいが、本職+天候観測者でなければ成功しないということを誰もが知って、それを実行している。

 「今の日本では、新聞を読むということは、実は猟師が浜に出て空を見ると同じである。そこで雨蛙の声も馬鹿にならぬということになる訳だ。私が分泌業者として果たしてみたいと思うのは、この雨蛙の役割である」。

 「私に云わせると、日本人というのは、天孫民族でなくて、天候観測民族である。というのは、大昔から日本人の生活は、主に農業と漁業に依存していた。どっちも天候に左右されやすい。おまけに日本は、地震国であり、台風圏内でもある。台風は毎年ほとんど定期便のようにやってくるが、地震はいつくるか分からない。近頃は気象学が発達して、台風の予報や進路、本島への上陸などもかなり正確に予報できるようになったが、明治の初めに気象台が創設された頃には、年取った漁師をつれてきて、その意見を聞いた上、その日の天候を予報したということが、笑い話のようになって残っている。恐らく我々の先祖は、毎朝目を覚ますと、まず空を仰いで、その日の天候をよく見極めてから、仕事にとりかかったことであろう」、「昔は主に大陸から朝鮮半島を通ってきた文化的な台風が、明治以降はたいていヨーロッパからきた。最近はアメリカやソ連や新しい中国からやってくる。その台風の性格、進路、強度を人よりも早く、正確に知るということが、大多数の日本人にとって、最大の関心事となっているのだ。そこで、毎朝毎夕、空を仰ぎ、小手をかざして天候をうかがう代わりに新聞に目を通し、ラジオに耳を傾けているのだともいえる」(1957年、西日本新聞連載「どうなる・どうする」第1回)。





(私論.私見)