「中曽根首相による島桂次NHK会長政治圧力事件」(「シマゲジおろし」)考 |
2005.1月、NHK番組「女性国際戦犯法廷」を廻る「2005NHK対朝日の面子泥試合」が勃発し、政府与党系議員による「政治介入があったなかった論争」が繰り広げられている。しかし、それなら、遠の昔の「島NHK会長政治圧力事件」を問うのが本星ではないのか。これは、一番組みに対してではなくNHKの会長自身に対して為された政治圧力事件だったのだから。それを取り上げず、海老沢会長追い落としとも取れる「女性国際戦犯法廷番組への政治圧力事件」で息巻いてみても、攻めるほうも攻められるほうも合わせてお里が知れてるというべきだろう。 2005.1.26日 れんだいこ拝 |
【「島桂次NHK会長政治圧力事件」を廻る中曽根―ナベツネ連合の阿吽の悪行考】 | ||
魚住昭氏の「渡辺恒雄 メディアと権力」に次のような秘話が記されている。中曽根が首相となって以来その在任中、NHK会長・島桂次氏は二ヶ月に一度くらいの割合で公邸に呼びつけられた。「シマゲジ風雲録 放送と権力・40年」(1995年、文芸春秋社)は次のように記している。
だが、その中曽根が手放しで誉めた報道機関が有る。言わずと知れた読売新聞だ。島・氏は、ナベツネの「中曽根内閣ができたと時の喜びようはひとしおだったようだ」と述べた上でこう書いている。
島・氏は、「NHKが政治家の介入を許す理由」として、1・最高意思決定機関である経営委員会の人事が政府与党に握られていること(人事)、2・毎年の予算が国会承認を必要とすること(予算)、3・政治介入に口実を与える組合の暴走と労使癒着体質(左からの欺瞞攻撃)などに構造的問題点があることを指摘している。 |
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ここに、露骨な「首相によるNHK会長政治圧力」が証言されている。これを問題にせずしてなして「対NHK政治圧力事件」を語りえよう。いずれ正確に記しておきたいが、れんだいこの直感として、「私も大平正芳氏や鈴木善幸氏が首相になったときは正直に嬉しかった」とあるからして、島NHK会長は戦後保守本流のハト派系列に位置し、80年代にタカ派にイニシアチブが転換したその煽りでタカ派のドン中曽根−ナベツネ連合との確執を迎えたのではなかろうか。つまり、この対立の背景には戦後史を廻るハト派とタカ派の政治ドラマの対立があり、その煽りでマスコミのハト派人脈が一掃されていった経緯が反映しているように思える。「シマゲジ追放劇」はその転回点となったのではなかろうか。しかしそれにしても、中曽根ーナベツネ連合の黒い野望が随所で見えてくる。この事件もその一コマである。 2004.3.31日 れんだいこ拝 |
【島桂次著「シマゲジ風雲録 放送と権力・40年」(文藝春秋)】 | ||||||||||
島桂次著「シマゲジ風雲録 放送と権力・40年」(文藝春秋)は、次のような構成となっている。
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【島会長の業績】 | |
島・氏は、NHK政治部で宏池会の担当となり、田中首相・大平首相と歴代の首相とパイプを作りNHK会長にまでなった。その仕事ぶりから評価する人も多かったし味方も多かった。その「島会長の業績」について、「ぶこつイーター」は次のように述べている。
島会長のこの方面での企画の功績とその後の挫折が顧みられることはない。 |
【「シマゲジおろし」考】 | |
1991(平成3年)年、「シマゲジおろし」が勃発する。以降、永田町・霞ヶ関・丸の内の権力闘争がNHK内部の権力闘争とリンクし、NHK内部の派閥抗争が外部を巻き込み、外部の闘争がNHK内部を巻き込んでいく。以下、「シマゲジおろしの経緯」を検証していく。 2.7日、東京都知事選にNHK報道局長・NHK特別主幹・磯村尚徳が立候補する。2.8日、磯村氏がが同日付けで38年間勤めたNHKを退職。この磯村氏の都知事選挙に出馬した件を巡って永田町とNHKで対立が起きる。4月、東京都知事選挙公示。小沢一郎幹事長の采配で自民党が現職の鈴木俊一を公認せず、磯村を公認。これに自民党東京都連が反発し、事実上の分裂選挙となる。結果は、鈴木が当選。小沢幹事長が辞任、後任に同じ竹下派の小渕恵三が就任。 小沢幹事長が磯村氏を都知事選挙に引っ張り出したことで自民党内で確執が生じ、その確執がNHKの島まで及ぶ。磯村を都知事選挙に引っ張り出したのは、それまで島の側近として信頼されていた海老沢と云われている。都知事選挙を巡る自民党内の確執が島会長に及び、結果、島会長は海老沢を解任する。 4月、島会長がGNN構想を発表。CNNに刺激され、欧米の放送局と提携しての24時間ニュース放送を計画。島会長は、NHKの衛星ロケットを米国ゼネラル・エレクトリック社に委託する。「シマゲジは自民党の族議員や郵政省の国産衛星をという声を握りつぶして、費用が安いという理由で外国製衛星を選んだ」。しかし、Kの衛星ロケットを国産でロケットにしなかったことが発端となり、「シマゲジおろし」が始まる。国産ミサイル派の反発が強まり、そこから火がくすぶり始める。 4.18日、米フロリダ州で打ち上げられたロケットが軌道を離れ、放送衛星の打ち上げに失敗した。これが二度目の失敗だった。 NHKの衛星衛星BS3hロケット打ち上げが立て続けに失敗したことから「シマゲジおろし」が本格化する。 反シマゲジ派の意向を受け、都知事選挙を巡るゴタゴタで責任を取らされていた海老沢が「シマゲジおろし」に動き出す。この時、「野島直樹」が活躍している。 1991(平成3).4月、逓信委員会が舞台となった。野中務・氏は著書「私は闘う」の中でこう書いている。「私は逓信委員長として『責任と出所進退を明らかにすべきだ』と迫ったことがある。私の発言が止めを刺す形で、島会長は辞任する。が、実は、この時もいきなり“辞めろ”と言ったわけではない。それ以前にNHKに対し何度か事実の確認を様々なルートでしていたのである。それにもかかわらず、平然と嘘を続けたことに対して私は怒った。ゼネラル・エレクトリックの本社で衛星の打ち上げを見ていたと国会で答弁をした島氏は、実はロス市内のホテルにいた」。 この経緯はつぎのようなものであった。島会長が、逓信委員会に呼び出され、「NHKの衛星衛星BS3hロケットの立て続けの失敗」を説明させられる。この時、委員長・野中は、ロケット打ち上げ失敗時に島会長は何をしていたのかと質疑し、島会長は、「GE(ゼネラル・エレトリック社)で打ち上げのモニターを監視していた」と答弁する。 ところが、野中委員長は、この時島会長がロサンゼルスのホテルである女性と一緒にいたとの内部情報を得ていた。内部情報の発信源は次のように推測されている。「NHK内外の反・島の連中を海老沢を玉として野島直樹がまとめ、上がってくるリーク情報を野中に流した」。野中委員長は、「島会長の国会答弁での嘘」を激しく指弾し、責任追及していった。島会長はこれが引き金となって失脚する。 7.2日、朝日新聞朝刊が社会面トップで、「NHK島会長、国会答弁に疑問」という特ダネ記事を掲載した。その内容は次の通り。
他紙も一斉に夕刊でこの記事を後追いした。数日後、「東京スポーツ」が「NHK島会長、愛人と海外出張」と書いた。これを契機に、「週刊新潮」、「週刊文春」、「週刊朝日」などの週刊誌各紙が「愛人疑惑」を書き立て始めた。こうして、「島会長の女性問題」が急浮上し始めた。これに、国会での虚偽答弁、経費流用疑惑等々が加わって報道され始めた。 7.15日、シマゲジはこうして追いつめられた、この日緊急役員会を開いて会長職を辞任することを表明した。野島直樹が海老沢に刀を持たせて、島を刺させたとのが真相だと云われている。この推測が正しいかどうかは別。 島会長は、その日の午後5時からNHKで記者会見に臨み、「このような事態を招いたことは、公共放送の重大な危機であり、責任者として誠に申し訳なく、辞任を決意した次第です」と語った。こうして、島会長は、「米国での放送衛星打ち上げ失敗時の滞在場所についての国会での虚偽答弁」の責任をとらされる形で任期中に辞任した。 「NHKに君臨していた島会長辞任ニュース」は、島会長を追い込んだ野中の豪腕振りを印象付け、「シマゲジおろし」を実現した野中は名前を売り、その後自民党幹事長の地位まで上り詰めていくことになる。 島の後任として海老沢が会長の地位を得る。世間の評論士は今になって海老沢の容権力性を指弾し悪者に仕立て上げているが、如何なものだろうか。れんだいこはむしろ、島ー海老沢のハト派ラインが継続された方を重視したい。これは観点の相違だろう。 2005年初頭、その海老沢会長も失脚せしめられる。海老沢会長の失脚時の様子は、島会長の時のそれと酷似しているように見える。れんだいこは、海老沢失脚を礼賛する観点を持ち合わさない。海老沢会長の失脚によって、ハト派ラインが最終的に瓦解されようとしていることの方を危ぶむ。 2005.2.5日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)