1976.2.14日 日本経済新聞記者・高松康雄変死事件

 (最新見直し2013.10.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで「日本経済新聞記者・高松康雄変死事件」を確認しておく。

 2013.10.17日 れんだいこ拝


日本経済新聞記者・高松康雄変死事件
 高松康雄氏は日本経済新聞の記者として、ロッキード疑獄を早くより追求していた。ロッキード事件が表面化した10日後の1976(昭和51).2.14日深夜、自宅で急死。NHKニュースでコーチャンの顔が大写しにされていたのを見て暫くして「頭が痛い」と顔を押さえ、吐いたりし始めた。救急車が来たときは手遅れだった。心不全とされたがクモ膜下出血死も考えられる。

 これにつき、「太田龍の時事寸評、2006.10.1日付けbP820」の「9.11陰謀説に嘲笑と罵倒の限りを尽して葬り去ろうとするある若手超売れっ子評論家のコラム」に次のような記述があるので引用しておく。
 ケネディ米大統領暗殺事件については、単独犯とされたあのオズワルドが、まっさきに、公衆の前で射殺された事件を皮切りに、その後の二十年以上の間に、無慮百人以上の関係者が変死(暗殺、事故死、変死に近い病死など)したこと、そんなことは、日本人は、ただの一度も国賊売国奴マスコミによって、知らされたことはない。日本では田中角栄がロッキード事件で逮捕されたあと、これは米国の陰謀であるとの推理のもとに取材を開始した日本経済新聞の一記者が忽ち暗殺された。欧米その他日本以外の国では同僚の屍(しかばね)を超えて真相を追究せんとする正義のジャーナリストは続々と出て来るが、日本人ジャーナリスト、評論家などはどうなのか。
(私論.私見)
 太田氏のこの指摘が高松氏のことかどうかは分からないが、「田中角栄がロッキード事件で逮捕されたあと、これは米国の陰謀であるとの推理のもとに取材を開始した日本経済新聞の一記者が、忽ち暗殺された」ことは事実のようである。

 2006.10.2日 れんだいこ拝





(私論.私見)