2009.8.8日 | ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件 |
(最新見直し2013.10.17日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件」認しておく。 2013.10.17日 れんだいこ拝 |
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】 |
2009.8.8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていたワールドフォーラム代表・佐宗邦皇氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒〜1分程で突然倒れ、翌日死去した。 |
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佐宗 邦皇(さそう くにお)・・・ 1950年(昭和25年)東京・神田生まれ。番町小学校、麹町中学校、日比谷高校、東京大学法学部卒業。1975年日本航空(株)に入社後、国際業務室、経営企画室、客室乗員部、日本航空文化事業センター出版部(出向)、JALホテルズ営業部(出向)、地球環境委員会事務局等歴任。JALの地球環境部門に入り、CO2をどう抑制したらいいのかという使命感でモンゴルにJALの森をつくろうと努力した。全日本航空労働組合本社ビル支部委員長時代には、日本航空本社移転問題(本社天王州移転)が持ち上がり、経営悪化を懸念して組合委員長として批判し、止めさせようとした異色のエピソードをもつ。2001年早期依願退職。翌年6月、環境NGO「屋上緑化普及協議会」(現NPO法人地球緑化推進機構)を設立。代表として地球規模の森林再生と緑化に努めてきた。歴史研究者の顔も持ち、テレビ東京の歴史番組に出演。雑誌『ムー』(学研)8月8日号では「蘇我王朝の復活」と題し、日本史の真相について寄稿している。日本航空在職中の1978年頃から、新自由クラブ結成に集まった政治青年達を集め、 「新自由主義研究会」を組織。1980年から「新自由主義研究会」を発展させ「ワールドフォーラム」と改称し、各界のリーダーを輩出する教育・実践の場として、代表幹事に就任。毎月各方面からその分野の第一人者を招き、国際政治経済・外交問題・環境・歴史文化・健康医療・重大事件等の真相究明などの講演会を約30年の長きに渡り開催して来た。 倒れたのは、8月8日の月例会で話している最中。救急搬送されたまま、帰らぬ人となった。2009年8月9日午前11時、脳出血のため東京都足立区の病院で逝去された。享年59歳。 【ワールドフォーラムでの活動】 2001年9月11日 アメリカで9.11事件が発生。「何かおかしいぞ」と思い、事件の真相の深層を徹底的に調べることに..。そこで、とんでもない勢力が存在する事実に気づいていく。それがイルミナティ、ロスチャイルドといった闇の世界権力の存在である、こうした連中が、金融、マスコミ、資源、食糧といったあらゆるものを支配している以上、日本はいつまでもよくならないと判断。闇の世界権力の動向を中心に、真実を表に出し、日本の未来を担うに足る真の政界、言論界再生のため、ワールドフォーラムの活動を展開。同時に、国民が体制メディアにコントロールされるのを防ぐために、今年一月、ワールドブロガー協会を立ち上げる。憂国の草奔の志士たち(気鋭、反骨の政治家、ジャーナリスト)の結集を呼びかけている。混迷の時代にまさに注目の逸材だった。 インタビュー この人と30分 佐宗
邦皇 ワールドフォーラム代表幹事
追悼・ワールド・フォーラム代表幹事佐宗邦皇 |
(私論.私見)