三宝会考 |
更新日/2017(平成29).10.30日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、小沢パッシングの黒幕「三宝会」について確認しておくことにする。 2010.05.17日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評733 | れんだいこ | 2010/05/22 | |
【「官房機密費問題−野中証言考その6、三宝会考その1】 日本言論界の鳩山政権叩き、特に小沢パッシングには裏がある。「日本ジャーナル界の非公然CIAモサド機関」とも云うべきネオシオニズム系報道結社「三宝会」なるものが存在するということらしい。この情報を整理して見る。 このことを最初に明らかにしたのは既に10年以上前の「週刊ポスト1997.10.31日号」で、「三宝会が竹下直系の情報機関として設立され、事務次官経験者や現職の内閣情報調査室長も加わっている」ことを報じている。このスクープを受け田中慶秋議員が「1997.10.30日の衆議院予算委員会」で質問し、「マスコミを利用した政治支配」として政府を追及している。しかし大メディアは一切報道しなかった。 (http://ameblo.jp/asuma-ken/entry-10537451926.html) 平野貞夫氏も「1997.11.19日の参議員本会議」で質問し、「三宝会は、この情報化時代に、大手の新聞社や通信社五社、全国ネットのテレビ四社、大手の出版社五社から、合わせて三十人の第一線の有名ジャーナリストをネットワークし、個人会員に新旧の内閣情報調査室長と五つの利権官庁の事務次官OBを参加させ、三十五の法人会員で構成しています。元首相を最高顧問に、事務局をイトマン事件で絵画取引を行った画廊に置いています。世話人の中には、情報操作のプロと言われている人物もいます。趣旨書には、相互に円滑な人間関係を築き上げ、職域を超えて足らざるところを補完して飛躍しようという意味のことが書かれています」と述べ、橋本首相の見識を問うている。橋本首相は、「三宝会についてお尋ねがございました。どのような見解をと言われましても、私自身メンバーでありませんし、どういう会合なのかわかりませんだけに困ってしまいますが、私は、私的な立場で各界におられる方々が広い視野での判断、また公正、客観的な考え方を得ることを目的とし、自由な意見交換をされる勉強会だと、そのように認識いたしております」と答弁している。 (http://ameblo.jp/asuma-ken/entry-10537464750.html) 平野貞夫氏は、衆議院事務局に長らく勤務し「日本政界の生き字引」的貴重人士である。その後参議院議員になり現在は政治評論家として活躍している。「小沢の知恵袋」とも称される親小沢派の希少な政治評論家である。その平野氏が「平成政治20年史」(幻冬舎、2008.11月)を著し、「三宝会」について再度言及したことにより広く知られる存在となった。 (ttp://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%94%BF%E6%B2%BB20%E5% B9%B4%E5%8F%B2-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E 5%B9%B3%E9%87%8E-%E8%B2%9E%E5%A4%AB/dp/4344981049) 金融アナリスト系政治評論家として知られる植草一秀氏も2010.2.19日付けブログ「対小沢一郎氏激烈メディア攻撃黒幕『三宝会』」以下シリーズで言及している。 (http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-30df-1.html) これらを元手に「三宝会」についてもう少し確認しておく。 「三宝会」の狙いは次のような政界流動にあったと思われる。1976年のロッキード事件で、戦後の政府自民党を領導していた田中角栄−大平正芳同盟のハト派ラインが掣肘された。鉄の軍団と云われた田中派は竹下−金丸グループの離脱により瓦解した。以降の政局は、このねじれハト派の竹下−金丸グループを利用した福田−中曽根同盟のタカ派優位で推移することになった。その節目が1980年代初頭の中曽根政権の樹立であり、以降タカ派が政府自民党を領導することになる。これを仮に「政府自民党内の宮廷革命」と命名する。この宮廷革命以降、日本政治は露骨なネオシオニズム御用聞きに向かい始める。いわば売国奴的な劣性資質の政治家に日本政治が舵取りされ始めたことになる。 東京地検特捜部は、ロッキード事件の際には超法規的な法運用までして冤罪の可能性が強いにも拘わらず「総理の犯罪」を仕立て、世界に通用した名政治家たる田中角栄を政治訴追し抜いた。その後、ロッキード事件の真の主犯たる中曽根が我が世の春を迎え始める。東京地検特捜部はうってかわって、中曽根が関わっていたダグラス・グラマン事件、原子力利権事件、その他その他の腐敗事件に対しては隠蔽に向かった。その不正の仕組みが遂に暴かれたのが1988年のリクルート事件発覚であった。 以降の政局流動で、田中角栄チルドレンの小沢−羽田グループが先祖返りし裏切り派の竹下派から離脱、のみならず自民党から離党して政権交代を仕掛けることになった。それは、「政府自民党内の宮廷革命」以降、露骨にネオシオニズム御用聞き化し始めた日本政治に対する抗議運動でもあった。1993年、日共を除く反自民勢力が結集し細川連立政権を樹立した。 但し、与党の社会党が政権を支えず、政権交代政権は羽田政権を経て崩壊する。1994年、自民党が、細川連立政権の与党の一角を占めていた社会党とさきがけを取り込み、社会党党首の村山を首相に押し立てて政権奪還に成功する。村山首相は政権発足後まもなく社会党の戦後来の反戦平和政策を転換し自民党政策に合わせる。自民党は村山政権を泳がせた後、頃合に用済みとさせ橋本政権を樹立する。以降、自民党が再度、不動の与党的地位を確立する。但し、一敗地にまみれた小沢派は捲土重来を期して政権交代を企図し政局流動する。 この頃の1996年、「竹下元首相の発意」により「三宝会」が結社される。「三宝会」は、小沢一郎を最重要警戒人物に認定し、角栄チルドレンが結集する小沢派を封じ込める狙いで結成された。「竹下元首相の発意」とあるのは例によって黒幕を隠すトリックであり、ナベツネが常に裏で糸を引いていることを踏まえれば、「中曽根−ナベツネライン」を核とするネオシオニズムエージェント網が奥の院であり、その差し金で「竹下元首相の発意」として結社されたと読むべきであろう。かくして、ネオシオニズム系言論大砲機関としての非公然組織「三宝会」が結成された。こう理解する必要があろう。 平野貞夫氏は、著書「わが友・小沢一郎」(幻冬舎)の中で、三宝会の目的を次のように記している。
要するに、戦後日本政界の真の抗争軸であるネオシオニズム派と在地土着派の政治闘争に於いて、ネオシオニズム派の非公然型ジャーナル統制機関として結社された「定期的に情報交換する談合組織」として踏まえる必要があろう。「非公然」と記すのは、秘密結社よりは公然にして、公然と云うには秘密的であると云う性格による。 2010.5.22日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評734 | れんだいこ | 2010/05/22 |
【「官房機密費問題−野中証言考その6、三宝会考その2】 「三宝会」の構成メンバ−は、かの高名な戦前共産党の理論的指導者・福本和夫の息子にして「永田町のフィクサー」として知られる福本邦雄がまとめた「三宝会・会員名簿」によって知られるところとなった。(ttp://www.rondan.co.jp/html/news/0007/000726.html) (ttp://d.hatena.ne.jp/boogierock/20100420/1271757077) 福本は、2000.6.25日の総選挙で落選した直後の6.30日、橋本内閣時の建設大臣在任中の工事の業者選定をめぐる汚職事件で3000万円の賄賂を受け取ったとして受託収賄の疑いで逮捕された中尾栄一に続いて共犯者として逮捕されている(処分保留、起訴猶予で釈放されることになる)。「三宝会・会員名簿」の公開は「2000.7.26日」のようで、この事件後に漏洩されたことになる。こうなると「三宝会・会員名簿」公開の裏には何やらきな臭い臭いが立ちこめていることになる。 それによると、最高顧問は竹下登。事務局は、東京都千代田区丸の内3-1-1、国際ビルの福本邦雄が経営する(株)フジインターナショナルアートに置かれた。会費として、法人会員は月額3万円を半年単位で年2回納入、個人会員は会合の都度1万円を限度として会費を納めている。 代表として(読み易くするため鞄凾外す)、中曽根式国鉄民営化の旗振り役としての功績で昇進した三バカトリオの東日本旅客鉄道社長の松田昌士、東海旅客鉄道社長の葛西敬之、西日本旅客鉄道社長の南谷昌二郎。日本航空社長の近藤晃、日本電気社長の関本忠弘、日産自動車社長の塙義一、千代田生命保険社長の米山令士が名を連ねている。 世話人に、フジインターナショナルアート社長・福本邦雄、読売新聞世論調査部長・高橋利行、共同通信の編集委員、現在TBSの7時台のニュース番組「THE NEWS」のキャスター・後藤謙次、日本経済新聞政治部次長・芹川洋一、朝日新聞の電子電波メディア局局長付・佐田正樹、選択出版・湯浅正巳、早稲田大学講師・内藤武宣、啓愛社エヌエムビー社長・松岡敦、日本航空常務・平野聰、エル・ビーエス社長・竹中誉が名前を連ねている。 法人会員企業名の総数は不明。但し、1999.10月現在の名簿では上記の代表、世話人の他に次のような法人が参加している(役職は入会当時、同一会社の同一役職に二名あるのは新旧の入れ替わりと思われる)。いずれも民営化推進、軍事、原子力、建設、医薬利権絡みのハゲタカファンドの御用聞きの功による出世組と考えれば良かろう。 東日本旅客鉄道常務・花崎淑夫、日本電信電話副社長・井上秀一、日本電信電話副社長・和田紀夫、東京電力総務部長・山本勝、中部電力広報部長・田村典久、中部電力常務・中野淳司、関西電力東京支社長・高本久夫、関西電力東京支社長・小橋和雄、中部ガス会長・神野信郎、日本航空常務・平野聰、全日本空輸企画室部長・浜田健一郎、都築電気社長・都築省吾、川崎電気社長・川崎暢、日本電気顧問・大森義夫、日産不動産社長・木島孝蔵。伊藤忠商事顧問・内藤正久、大成建設広報部長・中津海光夫、大成建設副社長・葉山莞児、大林組副社長・荒川利輝、鹿島建設社長・梅田貞夫、清水建設専務・三宅文男、竹中工務店社長・竹中統一、日建設計常務・橋本忠篤、パシフィックコンサルタンツインターナショナル会長・荒木民生、堀硝子社長・堀俊一、関西都市技研取締役・谷嘉寿男 、都市技研代表取締役・木原康、京都自治経済協議会事務局長・安川良子、啓愛社製作所副社長・竹内留四郎、天野製薬会長・天野源博、中外製薬総務部長・高木穆、徳洲会理事長・徳田虎雄、サントリー常務・立木正夫、ジャパンライフ会長・山口隆祥、ジャパンライフ専務・三ツ橋一男、セコム会長・飯田亮、全国朝日放送社長・伊藤邦男、 ホリプロ会長・堀威夫、マルハンコーポレイション社長・韓昌祐、千代田生命保険取締役・清水宥玄、千代田生命保険総務部長・杉田隆、帝京大学理事長・冲永荘一、帝京大学総長秘書・馬場良雄。 個人会員には、各界のメジャー企業が名を連ねている。マスコミ系として氏名不詳ながら新聞社で朝日新聞5名、毎日新聞3名、読売新聞3名、日経新聞3名、共同通信3名。テレビ局で日本テレビ2名、テレビ朝日2名。TBS1名、フジテレビ1名、出版社で文芸春秋3名、講談社2名、プレジデント1名、選択1名、朝日出版社1名等が明らかとなっている。ここに登録されているメンバーは氷山の一角であり実数はもっと多いと推定できる。 この連中がネオシオニスト特有のエージェント活動していることになる。ネオシオニズム系言論機関は、この三宝会を盾として政敵・小沢一郎を目の敵とし、小沢派をメディアの力で抹殺する為の非公然活動を続けて行くことになる。これにより「悪の小沢イメージ」が作られ、「剛腕」、「傲慢」、「コワモテ」、「わがまま」、「生意気」など政治家としてマイナスのイメージが意識的に流布され行くことになる。 その後の政局流動を経て小泉政権が誕生する。この時、「三宝会」はどう喧伝したか。今日の鳩山政権時代の鳩山党首、小沢幹事長パッシングと余りにも対照的な待望論、名宰相論を囃し立てていくことになる。明らかに構造改革の名を借りた売国政治以外の何物でもない小泉政治を提灯し、これに異を唱える政治家、評論家を次から次へと言論で葬って行った。田中真紀子、鈴木宗男を相討ちにさせ、郵政選挙では造反組を悪者に描き出し刺客にエールし続けた。 小泉政権政治の売国奴性に強く異を唱えた金融アナリスト経済学者の植草一秀氏は二度にわたって国策捜査で逮捕された。以降、植草氏は自身を罠に陥れた敵勢力を「悪徳ペンタゴン」と称して見据え、「米国の意志が強く働いている利権複合体」との不退転の闘争に向かい現在に至っている。植草事件は、検察特捜部が三宝会勢力と強く結びついていることを証左している。付言すれば、2006年の暮れ、リクルート事件をスクープした鈴木 啓一氏(朝日新聞記者、後に論説委員)は東京湾で水死体で発見されている。反三宝会系の有能なジャーナリストがこう云う風に変死させられて行く。 2006.4月、小沢一郎が民主党代表に就任した。「三宝会」は小沢に対する執拗な攻撃、失脚工作を重ね、マスコミメディアの言論大砲と東京地検特捜部の司法大砲を二輪車として政治利用する。2009年の衆院選前、小沢代表が降ろされ鳩山が後釜に据る。衆院選に大勝利した民主党が鳩山政権を誕生させる。小沢は幹事長に就任する。言論大砲と司法大砲が執拗に鳩山党首、小沢幹事長を追撃する。獅子身中の虫たる仙谷、前原、枝野、岡田などの閣僚、渡部恒三氏を始めとする反小沢勢力の民主党内のネオシオニズム勢力が呼応する。これが現段階の政界絵巻である。 してみれば、「三宝会」の小沢叩きの極反動性が見えて来よう。この反動は必ずや「三宝会」自身に跳ね返ってこよう。ここに列記された諸氏の行状が如何に揃いも揃って低劣が調査され、どちらがお縄頂戴の身になるのか歴史が明らかにしよう。首を洗って心して待て。 2010.5.22日 れんだいこ拝 |
【三宝会名簿】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三宝会は竹下登元首相の指示で96年に設立された。新開、テレビ、週刊誌、政治家、官僚、評論家が集まって、自民党にとって最大の脅威だった小沢一郎をメディアの力で抹殺する作戦が展開された。最高顧問は竹下登、世話人が高橋利行 (読売新聞世論調査部長)、後藤謙次(共同通信 編集委員)、芹川洋一(日本経済新開政治部次長)、佐田正樹(朝日新開電子電波メディア局局長付)、湯浅正巳(選択出版)(肩書きはすべて当時)。いま現在は、共同通信、ホリプロ、朝日、毎日、読売、日経、TBS、日テレ、フジ、テレ朝、講談社、文春、プレジデント、選択、朝日出版社が会員だという。この言論大砲に狙われたら抹殺される。 中曽根内閣によるバブル経済時代にCIAと結んで日本の核装備のために、原発の建設を財界とともに推進して、現在の破局の基盤作りをしていた。それに協力したのがマスコミという構図。 |
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「“永田町のフィクサー” 福本邦雄がまとめた三宝会・会員名簿」を転載しておく。
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【平野貞夫議員の「三宝会参院本会議質疑」】 | |
「平野貞夫議員の三宝会参院本会議質疑」がサイトアップされているので転載しておく。関係の下りをゴシックにしておく。
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(私論.私見)