善隣学生会館事件(5) |
投稿時間:02/08/27(Tue) 15:36 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:宮顕の体制内化運動について |
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たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。 > > 本願寺の体制内化と宮顕による日共の体制内化を同じ土俵で述べることはできません。 > もっと具体的にのべてください。同じものではありませんが、似たような面もあるので、比較しているのです。 > > というか、猛獣文士さんの宮顕観の意外性に驚かされております。宮顕を左派指導者の変種としてみなす観点が披瀝され続けておりますが、これが本音なのかな。同じセンテンスで?小平路線を評価しているように思え、興味深いです。 > 左派とか右派とかいう分類は、あまり重要ではないと思います。どのように興味深いのか、私も興味深いです。 猛獣文士さん皆さんちわぁ。ここに新スレッドつくってみました。その他の新スレッドのテーマの組み立てについては猛獣文士さんにお任せいたします。 本願寺の体制内化についてですが、詳しくは分かりません。一時は総本山として一向一揆を指令していたのでせうから、当然時の世俗権力なにするものぞという意気軒昂なものがあったと思います。しかし時が流れ、江戸幕藩体制が樹立された際に寺社統制政策としての「本山・末寺制度」と檀家制度に組み入れられ、以来仏教界は生命力を失ったと理解しております。これを応法化とみなすことができるように思います。 宮顕の体制内化指導ですが、性質が根本的に違っていると認識しております。その変態ぶりについては、「宮顕論」miyamotoron/miyamotoron.htm、その通史として「宮顕のはるかなる変態長征総史」miyamotoron/miyamotoron_hosoku_gaikatu.htm の中で論じているつもりです。 今日の日共のていたらくぶりをそう見ずに、ますます発展過程にあると見なすならば、れんだいこの視点は全く通用しません。大阪の人さんは宮顕―不破指導の正義を得々と語ることができる奇特なお方ですが、無惨な事態に陥っていると見なすのが普通でせう。 宮顕のどこが良くないかというと、はっきりした始発は「戦前のリンチ事件」でせうね。あれを、スパイをテロったのではなく、真性スパイ宮顕派が労農派のトップ小畑中央委員をテロった、と見なすのがれんだいこ観点です。まずここから認識の共有をしないと、どこまでいっても平行線問答になる気が致します。そういう意味では、「戦前のリンチ事件」の議論から始める必要があるように思います。 この事件は今も尾をひいていると考えるべきです。その理由一、小畑中央委員の冤罪を晴らさねばならないこと。その理由二、党内最高指導部での異様なリンチ致死事件であり、当時者は真相を明らかにすべきであること。その理由三、テロ派頭目の宮顕が、頭目でない、テロ致死ではない、蘇生に尽力した功労者である、死体遺棄には関知していないと全面否認し続けていること。これらの未総括は、日共の合法的活動の資格基盤を危くしております。致命的なアキレス腱となって喉仏に刺さっており、早かれ遅かれいずれにせよ自己切開せずんば済まされません。 とはいえ、真相は藪の中ではないかと云われる事もあり得ますので、次の問題に移ります。この場合、宮顕の個々の指導をその都度論議しても良いですし(「善隣学生会館事件」もその一つです)通史として宮顕の軌跡を確認していくこともできます。その場を上手く誤魔化しても炙り出されてくるものは、宮顕が如何に当局の狙い通りに画策しているかでせう。偶然と云うには重なりすぎております。 日本左派運動の権威である日共の最高指導者としての立場から、党内の穏和化、党員の愚民化、イエスマン化しない党員の排除、同じく党外大衆団体のそうした方向への誘導、党外の戦闘的党派、団体への徹底した迫害と敵対、ほぼこればかりに専念してきたことが浮き彫りになります。その他の例を挙げれば、政権与党内のハト派に打撃を与え、タカ派には通りいっぺんの声明で済ますという面もあります。これらを一言で云えば「大衆の子羊化運動への最大の功労者」と云えるかと思います。 これらの軌跡は、単なる体制内化運動ないし応法運動では済まされないと考えております。この説明ではまだ不十分でせうか。 |
投稿時間:02/08/27(Tue) 22:44 投稿者名:猛獣文士 タイトル:日本共産党の仁義なき戦い |
れんだいこさん、こんにちは > 宮本顕治がスパイであるという仮説ですが、私はなるべく(頼まれてないけど)弁護人の役割を果たしつつ、審理を続けていきたいと思います。よろしいでしょうか。 さて、今回は簡単にいきます。かつて「仁義なき戦い」というやくざ映画がありまして、やくざ社会でも、誠実ないいやつは早く死んでしまい、人間的に汚らしい卑劣なヤツほど後々まで生き残って幹部になったり、あるいは公営ギャンブルのボスとなって社会的にも高い地位に着いたりするというような筋でした。やくざ社会でも、対立する派閥をつぶすために、権力に売ったりするというようなこともあるという筋でした。大体、世の中、いいやつほど早く死んでしまうというのは、よくあることです。宮顕の場合も、そのようなもので、嫌なやつほど生き残るという程度の話ではないのでしょうか。これだと、スパイでなくとも成り立つ話です。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 10:06 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 日本共産党の仁義なき戦い |
猛獣文士さんちわぁ。 > 宮本顕治がスパイであるという仮説ですが、私はなるべく(頼まれてないけど)弁護人の役割を果たしつつ、審理を続けていきたいと思います。よろしいでしょうか。 そうですね。そういう構図でやっていくほうが却って良いかも知れませんね。ついでに、傍聴席からの傍聴人の発言が認められるという仕掛けがなお良いと思います。 > 宮顕の場合も、そのようなもので、嫌なやつほど生き残るという程度の話ではないのでしょうか。これだと、スパイでなくとも成り立つ話です。 そういう風に捉えるのが真相かも知れない。とにかく宮顕の権力欲性が当局に上手に利用され、互いに利用しあったという関係です。しかし、こういう場合普通スパイとみなして良い事になると思います。あるいは皮一枚の差でスパイ前かも知れません。 れんだいこも長年そのように考えてまいりました。しかし、この認識では腑に落ちないことが多いのです。逆に思い切って宮顕スパイ説に立つと不思議なほどその動きが見えてきて、すべての軌跡が繋がってくるのです。そういうところから宮顕スパイ説という仮説を立て、私なりに追跡調査し続けております。今や、猛獣文士さん的配慮を失ってしまい、確信をもって宮顕スパイ説を主張するようになりました。 しかし、この規定はまだ違和感で受け止められているようです。中には、れんだいこが売名行為で変わったことを主張している的に云われたこともあります。そうではないのです。売名の為なら、れんだいこはもっと別の動きをすることもできます。この規定には自信があるので、もっといろんなところに出張ることもできます。 そうではなくて、この認識が検討されることを期待しております。これは勘ぐりが過ぎるかも知れませんが、宮顕が先の日共大会で名誉議長職から外されましたね。その背景に、れんだいこの宮顕論、宮地さんのリンチ事件研究を検討した党中央が、こんな指摘が為された以上到底庇いきれないと判断し、事後事態に備えて手を打ったとみなすのは自惚れでせうか。 それはそうと、日共左派系のどこかの党派が、正式著作名が分かりませんが「宮顕はスパイである」本を出しているようです。その内容を知りたいのですが心当たりありませんでせうか。確か山口県委員会辺りだったかな、何かの拍子でそういう本を出版していることを知り、非常に興味を覚えております。どなたかご調査していただければ有り難いです。まずはこの辺りで前置きとしておきます。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 18:32 投稿者名:コスモポリタン タイトル:戦後の宮顕はスパイ |
私は、戦後の宮顕はスパイの可能性が極めて高いと思いますが、小畑殺害の以前からスパイだったというれんだいこさんの想定にはかなり無理があると思います。小畑殺害の時期にすでにスパイであれば、宮顕が逮捕された理由が不明ですし、また大泉が査問された理由も不明です。また袴田が戦後に除名されていることも説明できません。宮顕と袴田がスパイスループであれば決して分裂することはなかったでしょう。宮顕だけがスパイで袴田がスパイでないとすると、スパイグループが党中央を簒奪するために小畑を殺したという想定には無理があることになります。 私は、宮顕は獄中で転向して権力と取り引きしたのだと思います。宮顕が公然と転向しなかった理由は、やはり百合子でしょう。百合子は夫(宮顕)が非転向の革命家であると信じていろいろと奉仕し、宮顕は家父夫長的で説教くさい手紙を書いて自尊心を満足させていたわけです。転向して百合子から見捨てられるのは、宮顕のちっぽけな自我が許さなかったのでしょう。そこらへんを権力は見透かし、宮顕と裏取り引きを合意したのだと思います。そのことにより、権力は宮顕を(法的には不可能であったにもかかわらず)釈放し、復権させたのだと思います。その後、権力と宮顕はあうんの呼吸で代々木を支配していったのでしょう。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 22:50 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 戦後の宮顕はスパイ |
コスモポリタンさんちわぁ。 > 私は、戦後の宮顕はスパイの可能性が極めて高いと思いますが、小畑殺害の以前からスパイだったというれんだいこさんの想定にはかなり無理があると思います。小畑殺害の時期にすでにスパイであれば、宮顕が逮捕された理由が不明ですし、また大泉が査問された理由も不明です。 そう考えるのが普通ですよね。れんだいこ見解は次の通りです。では、リンチ事件以前の宮顕の活動振りはどうかと云うとこれが結構あやしいのです。入党からアジ・プロ時代の動き、党中央へ潜入して以来の動きが不明ですが、それは当人が極力消しているからです。著作集からもこの時代の動きが消されております。変な理由付けしておりますが、愛党精神からすれば考えられないことです。 そういうわけで、どうしても消せない諸事実を繋ぎ合わせることになりますが、これを見ただけで結構胡散臭いのです。概略はmiyamotoron/miyamotoron_3_2.htmに書いております。 日共内への宮顕の潜入後、その順調な滑り出しを見て「スパイM」が去っております。あたかも「スパイM」の時代が終わったかの観があります。この辺りは今後もヴェールに包まれるでせうが、充分詮索されるに値すると思います。 その宮顕が党中央に入り込む頃から、スパイ摘発名目での党内分裂化が発生し始めております。そもそも数少ない共産党員内であの当時に望まれていたのはむしろ団結であり、大衆団体への着床であった筈です。その逆の方向へ蛮勇を奮っているのが宮顕グループでした。これって宮顕の性癖で済まされることでせうか。 大泉の査問についてですが、査問情況を見ますと、刺身のツマのような位置になっており、リンチテロルの主眼が小畑にあったことが歴然としております。実際に小畑が殺され、大泉は不自然に救出されております。この経過についても、宮顕はなんとかぼかそうとして、大泉のほうから査問に入ったと法廷で何度も陳述しております。袴田、逸見調書では小畑の方から査問に入ったとしておりますが、これが事実でせう。では、宮顕はなぜそのように主張するのか。宮顕の不正陳述は、小畑致死事件の際の様子の食い違いだけではないのです。明らかに種々ウソをついております。では何のために。この疑問から論を起こさねば解けません。 宮顕逮捕の様子についても別章で考察しておりますが、非常に不自然です。「今日が最後だ」という言葉を残して次に査問を予定していた荻野に会いに行き、逮捕されております。「今日が最後だ」は意味不明なのですが、日共解体作業が基本的に終わり、後は雑魚ばかりという認識の下で当局入りしたと考えられます。獄中からの指令では袴田執行部をコントロールできる道筋ができていたのではないか、とさえ勘ぐりできます。ここでは書きませんがこの推定根拠がいくつかあります。 とはいえ、この宮顕逮捕により、当時のほぼ全ての党員が宮顕を疑うという視点を失いました。ここから「獄中十二年唯一非転向タフガイ人士」神話が始まります。 >また袴田が戦後に除名されていることも説明できません。宮顕と袴田がスパイスループであれば決して分裂することはなかったでしょう。宮顕だけがスパイで袴田がスパイでないとすると、スパイグループが党中央を簒奪するために小畑を殺したという想定には無理があることになります。 ここも重要なところですね。袴田は故意か偶然か、非常に稀な本来の党中央が放った逆スパイの可能性があります(この詮索は話が飛びますのでまたの機会に致しませう)。それはともかくとして、袴田失脚理由は当時の情況から判断すれば不思議ではありません。立花氏の論及で当時のリンチ事件の様子が明らかにされ、袴田の詳細な陳述が党内から責任を問われ、その結果宮顕ー不破グループから用済みにされたというのが実際でせう。袴田陳述は、宮顕を弁護する立場から種々述べているものの、リンチ事件の詳細を明らかにすることによってそのこと自体が宮顕の弁明のウソをも透かし彫りにさせているのです。ここが党内で追求される訳ですが、クロをシロとする無駄な努力にそもそもの無理があるのでせうに。 まことにややこしい話ですが、「宮顕だけがスパイで袴田がスパイでない」という訳ではありません。宮顕はスパイグループの表棟梁であり、袴田は常にその腰巾着でしたから、当然平気の平左のスパイ性をあちこちで見せております。裏家業専門というところでせうか。ところが、この袴田は煮ても焼いても食えないところがあり、れんだいこに云わせれば非常に貴重な資料をもまたあちこちで残してくれております。 > 私は、宮顕は獄中で転向して権力と取り引きしたのだと思います。宮顕が公然と転向しなかった理由は、やはり百合子でしょう。百合子は夫(宮顕)が非転向の革命家であると信じていろいろと奉仕し、宮顕は家父夫長的で説教くさい手紙を書いて自尊心を満足させていたわけです。転向して百合子から見捨てられるのは、宮顕のちっぽけな自我が許さなかったのでしょう。そこらへんを権力は見透かし、宮顕と裏取り引きを合意したのだと思います。そのことにより、権力は宮顕を(法的には不可能であったにもかかわらず)釈放し、復権させたのだと思います。その後、権力と宮顕はあうんの呼吸で代々木を支配していったのでしょう。 コスモポリタンさん説の方が分かり易いけれども、そういうレベルではないというのがれんだいこ史観です。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 13:13 投稿者名:猛獣文士 タイトル:擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、こんにちは さて、宮顕さんの品性について芳しくない記事をたくさん読ませていただき、スパイでなくとも彼はあまり尊敬に値する人間ではないという強い印象を感じました。願わくば、強力な反論があらわれて、その印象を幾分でも中和するようになってほしいものです。 日本共産党は、ごく最近(といっても数年前に)、長年の指導者として尊敬をあつめていた野坂参三氏をスパイとして切り捨てたばかりです。この容疑について、私は詳しく知りませんが、宮顕のスパイ容疑が特高に代表される日本の権力のスパイであるという容疑であるのに対し、野坂参三氏の容疑は、コミンテルンのスパイということになるのでしょうか。変ないいかたですね。コミンテルンに密告して、同士を殺害させたというような容疑というような記憶しています。これは、しかし宮顕のスパイ容疑とはかみ合わないものですね。戦後の日本共産党は理念なき、品性の劣った人々によって牛耳られてきたのでしょうか。 さて、前回までの対話で、どうしてもしっくりいかなかった議論としての戦後日本における民主主義の評価の食い違いがあります。私は、立場性の問題を理由にこの問題を深く掘り下げることを避けようとしました。この事情について、私の考え方をもう一度確認します。この問題は結局のところ、いかなる問題を語るにしても重要なキーポイントであり、避けて通ることができないと考え直したからです。 第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。 この点について議論する場合に、さらに詳細な検討が必要になるものと思いますが、私の基本的な観点については、賛同するかどうかは別にして、理解していただけると思います。 ここで、二種類の反論が予想されます。第一は、大阪の人さんが述べていた、国家主権の方向からの反論であり、第二は在日朝鮮人・在日中国人の人口比が少ないことを根拠にして、この例外事例が全体の性質に影響を与えないものであるとする主張です。そのそれぞれについて、わたしは誤った主張であると考えていますが、この場で私の論拠を立証することは不可能であるので、今後の議論の進行の中でそれを進めたいと考えます。 ひとつだけ確認しておきたいことは、私のこの議論は日本の社会、制度などに対する純粋な評価のための議論であり、私個人あるいは在日外国人一般の地位の向上等を要求するなんらかの運動などを指向するものではないという点です。 以上、私の問題提起ですが、これはれんだいこさんと私の間で意見の不一致がある、西欧民主主義の評価にもかかわる問題であると考えます。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 18:35 投稿者名:コスモポリタン タイトル:Re: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
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日本共産党は、ごく最近(といっても数年前に)、長年の指導者として尊敬をあつめていた野坂参三氏をスパイとして切り捨てたばかりです。この容疑について、私は詳しく知りませんが、宮顕のスパイ容疑が特高に代表される日本の権力のスパイであるという容疑であるのに対し、野坂参三氏の容疑は、コミンテルンのスパイということになるのでしょうか。変ないいかたですね。コミンテルンに密告して、同士を殺害させたというような容疑というような記憶しています。これは、しかし宮顕のスパイ容疑とはかみ合わないものですね。戦後の日本共産党は理念なき、品性の劣った人々によって牛耳られてきたのでしょうか。 野坂参三は山本懸三を「密告」することによって間接的に死においやっていたこと、またその事実を隠蔽していたことが明らかになったわけです。そのことは本人も認めたことで「容疑」ではありません。 また宮顕指導部の除名理由には、野坂が戦後も「ソ連の内通者」であったことがありますが、これは奇妙です。野坂問題以後、代々木はモスクワに調査団を派遺して資料を集め、都合のいい部分だけで『日本共産党にたいする干渉と内通の記録』上下(新日本出版社、1993年)なる本を作成しました。その中で、野坂だけでなく袴田里見とか吉田嘉清とか多くの人々が「内通者」とされていますが、この概念は宮顕独特のものと思います。そもそも日本共産党とソ連共産党は「国際共産主義運動の兄弟党」なのですから、ソ連共産党と関係を持って議論することは別にとがめられることではないはず。いわば、日本共産党東京都委員会の人間が埼玉県委員会の人間と「内通」しているといって非難されるようなものです。日本共産党の「民主集中制」ではそれすら処分の対象となるようですが、普通の用語では「内通」とはいわないでしょう。 『日本共産党にたいする干渉と内通の記録』によると、志賀義雄が1964年の党中央委員会の会議の内容をソ連側に「密告」しています。その会議では、袴田が「反ソ演説」をして雰囲気は反ソ大会であったと述べられてますが、興味深いことに「外国の同志と会う場合には党中央委員会を通すこと」が通達されたとあります。つまりそれまではそんな規則はなかったわけで、外国の「兄弟党」の同志と会うことは何ら禁止されていなかったということでしょう。この禁止例は要するに、宮顕が、党内反対派が「兄弟党」の支援を受けているのではないかと考え、それを封じるためのものであったでしょう。しかもそんな規則は公表されていないわけです。公表もされない、宮顕の一方的な規則を破ったからといって「内通者」とか非難されるのは不当でしょう。吉田嘉清などは中央委員ですらないわけで、「どうしてソ連共産党の同志と会って話してはいけないのか」と開き直ることもできたはずです。 野坂参三の場合は、そういう宮顕用語の「内通者」ではなく、もっと深い意味での「ソ連のスパイ」であったわけで、その点が解明されなければならないわけです。 > 第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。 民主主義から除外された層には、国内の被抑圧者だけでなく、国外の日帝に抑圧された幾億の民衆も含むべきでしょう。彼らも日本の政治に利害関係を持っていますが、発言権はないわけです。「大阪の人」および代々木一派によると、日帝に抑圧された幾億の民が日帝を告発しこれと闘うことは「内政干渉」なのでしょうが。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 23:42 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^2: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
コスモポリタンさんちわぁ。少し気になるので付け加えます。野坂のスパイ容疑についてですが、日共不破は、コスモポリタンさんがおっしゃるように訳の分からないコミンテルン内通性にすり替えておりますね。しかも、山本懸三他ソ連滞在党員の密告問題は早くより指摘されていたのに握りつぶしてきた。それがソ連崩壊後の機密情報漏洩により党外から動かぬ証拠を突きつけられ、弁解の余地なく野坂を斬った。これが経過だと思いますが、ならばその間党の最高指導部に鎮座させていた党の責任はどうなるのか。その間六全協以来コンビを組んできた宮顕というのはどういう節穴の革命家なんだ、これについては不破も右同じではないかという疑惑が生まれるのが普通ですよね。その直前まで「風雪物語」かなんか知らんが赤旗で連載し、その製本が党の指定文献にまでなっていたのと違いますか。 それがそうならない。民主集中制というのが臭いものに蓋をするのに按配よい理論であることが分かります。民主集中制と云えば、今度は21世紀の初頭に民主連合政府、それも民族及び国家の独立運動を目指すのであって社会主義運動なんてその先の遠い話だ、目下は資本主義の利潤分配をめぐってもうちょっと労働側に分け前増やすように議会専一運動していくのだ、なんて云う党になじょして民主集中制が居るのでせうね。云うほうにはメリットはあっても、従う方には何もないでせうにね。子羊党員に頭が下がるというより馬鹿にしたくなりますね。 > 野坂参三の場合は、そういう宮顕用語の「内通者」ではなく、もっと深い意味での「ソ連のスパイ」であったわけで、その点が解明されなければならないわけです。 これですが、野坂の胡散臭さは、「ソ共のスパイ」はもとより「中共のスパイ」であり米国特務機関とも繋がっていたことが今日では判明しております。「もっと深い意味でのスパイであり、その点が解明されなければならないわけです」よね。 ところで、宮顕と米国特務機関の関係が分からないのですが、変なことに戦後の釈放時の接点さえ消されております。当時、徳球、志賀を筆頭にほぼこれという人物は総なめで人物審査されております。止むを得なかったことだからして何も隠す必要はない。ところが、宮顕にはこの痕跡が消されているように見えます。資料があれば教えてください。 > > 第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。 > 民主主義から除外された層には、国内の被抑圧者だけでなく、国外の日帝に抑圧された幾億の民衆も含むべきでしょう。彼らも日本の政治に利害関係を持っていますが、発言権はないわけです。「大阪の人」および代々木一派によると、日帝に抑圧された幾億の民が日帝を告発しこれと闘うことは「内政干渉」なのでしょうが。 「大阪の人」はんは何をしているんかいなぁ。別に他意はないのにね。それはともかく代々木一派の内政干渉論で行けば、アメリカのアフガン、イラク攻撃なぞ典型的な内政干渉でせうに、国連へ何やら文書送って胸を張る程度で済ませられるようですね。つまり、連中にとって常に理論はご都合主義という訳ですか。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 14:06 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さんちわぁ。どこから書き始めればよいのか分からないのですが、日頃思っていることをまず書いてみようと思います。例の出入国管理令ですが、法文も読んでいないのですが、身近で思うことに外国人滞在期間のちまちました規定があるようで、我が国のお上らしいやと思っております。 一体日本へ来て滞在するのに、それが旅行であれ労働であれ週間単位で区切る必要がどこにあるのでせう。最低一年間は勝手でせうし、労働なら仮に三年間当然延長更新あり、学業ならその在学期間、卒業後の任意期間は認められてしかるべきではないでせうか。時々不法滞在とかで検挙されておりますが、聞いて見たら(仮に)旅行目的で(仮に)一ヶ月しか認められていないのに、就労しており期間も過ぎていたという理由付けが為されております。れんだいこはナンセンスと思う訳です。 こういう場合、それこそ欧米流の対処法が参考にされるべしと考えます。ドイツではイギリスではフランスではアメリカではどうなっているのかという比較検討からせめてそれに近い待遇をする必要があると思います。こういう比較法は消費税導入の時にはしっかり聞かせてくれましたが、外国人の出入国管理令については不問にされている気がします。そういう悪法状態で、係員が横暴な小権力を行使していることは充分に考えられます。大義名分のないお上権力の振り回しには、この問題に限らず閉口させられておりますが、これも象徴的ケースだと思っております。 れんだいこの読みでは、日本はもうじき逆に移民していかなければならない事態に陥ると思います。今なら外地へ行っても管理職が普通でせうが、これからは底辺労働に従事していくようになると思います。そうなれば、過ぎし日の傲慢な行政の記録が悪作用することになるでせう。 翻って、日本のあまりにも細かすぎる規定、規則の由来はどこから来ているのでせうね。役人根性と云えばそれまでですが、思想的理論的裏づけのない接木条文でどんどん梯子状態にされつつあり、どの分野でもアマチュアではちょっとやそっとでは理解しにくくされております。れんだいこから見れば、もっとすっきりさせられるはずのところをわざわざ小難しくされ続けております。 これは西欧民主主義論とは関係ありませんが、どうもこの役人性癖が外来から輸入された戦後民主主義を蚕食し、今日では不快なものにされているように思えます。こういうこともあらかじめ云っておきたくなりましたので書いてみました。 西欧民主主義をどう見るのか、日本の戦後民主主義をどう見るのか、形骸化されつつある理由をどう見るのか、我々は何と闘い打倒すべきか、どういう制度が望ましいのか等々議論が楽しみです。みんなで考えて見るスレッドにしたいと思います。ツリーの様子を見て適宜に部屋替えをお願いします。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 16:32 投稿者名:猛獣文士 タイトル:Re^2: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、ちわ 問題点を整理させてください。 終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を失ったわけです。戦前に同じように植民地を持っていたフランスのアルジェリアに対する例や、ドイツのオーストリア人に対する例を見ても、このような一方的な国籍の剥奪というやりかたではなかったようですが、詳細は後の調査にゆだねたいと思います。 国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。 このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。この非市民層の人数は、約60万人あまりで、戦後の日本の人口が7000万人ほどであったとも思われるので、人口比では1パーセント弱になると思います。この人数を多民族国家である中国の人口に照らし合わせると、どの程度の割合になるのでしょうか。1970年の古い統計ですが、中国の民族構成は、漢民族が6億1千8百万人に対し、最大の少数民族であるチワン族が778万人、以下、回族393万人、ウィグル族390万人、イ族326万人、チベット族277万人とつづいています。当時の中国の人口は7億人といわれていたので、その1パーセントは700万人となり、日本の総人口の1パーセント弱を占めていた在日朝鮮人は、人口比において中国の代表的な少数民族であるチベット族、満州族、蒙古族よりもはるかに大きな割合を占め、最大の少数民族であるチワン族に匹敵するものであったといえます。 このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。 |
投稿時間:02/08/28(Wed) 23:08 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^3: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さんちわぁ。 > 国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。 > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。 この指摘は御意です。問題は、まだしも戦後民主主義が機能していた時代の45年から70年代までなら、これらの問題を廻って戦闘的に闘うべきだったと思われます。恐らく、相当部分意見が通り分かりやすく云えば勝てたでせう。なぜそういう闘いを組織しなかったのか。戦後民主主義の理論的な読み取りに間違いがあったのではないかと惜しみます。 > このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。 この認識に異存ありません。付け加えるならば、戦時中の徴用結果の在日朝鮮人、中国人問題は戦争の後遺症であり、政府が本来歴史的に解決せねばならないことだと考えます。その後二世三世となるにつれ同化しますが、「国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由」など検討を要するでせうね。税金だけ取られて参政権ないというのでは酷でせうね。 本来政治家とか官僚は、この辺りに心を砕くのが仕事だろうと思いますが、めっきり前例踏襲主義で済ませ(つまり何も仕事していない)、利権稼ぎのポスト狙いに一目散のようです。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 06:03 投稿者名:猛獣文士 タイトル:Re^4: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、おはようございます > > 国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。 > > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。 > > この指摘は御意です。問題は、まだしも戦後民主主義が機能していた時代の45年から70年代までなら、これらの問題を廻って戦闘的に闘うべきだったと思われます。恐らく、相当部分意見が通り分かりやすく云えば勝てたでせう。なぜそういう闘いを組織しなかったのか。戦後民主主義の理論的な読み取りに間違いがあったのではないかと惜しみます。 ううん、れんだいこさんは私の文章をちゃんと読んでくれているのでしょうか。私は、戦後民主主義を評価するための重要な材料として、重要な除外例がそこにあったということをのべているのです。これは、だれそれの地位を向上させようとか、権利を得ようとか言う運動とはまったく別の、純粋な評価の問題です。 上に述べた事実により、日本の戦後民主主義には形式的な民主主義制度としても致命的な欠陥があったというのが私の指摘であり、そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです。 在日朝鮮人は、そのようにして通常の市民権を与えられなかった階層であり、その存在に戦後民主主義に致命的な欠陥を見ることができるとはいえ、戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰するなどということはできません。まったくの筋違いな反論ではありませんか。 > > このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。 > > この認識に異存ありません。付け加えるならば、戦時中の徴用結果の在日朝鮮人、中国人問題は戦争の後遺症であり、政府が本来歴史的に解決せねばならないことだと考えます。その後二世三世となるにつれ同化しますが、「国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由」など検討を要するでせうね。税金だけ取られて参政権ないというのでは酷でせうね。 この中のいくつかの権利、たとえば福祉サービスを受ける権利、公務員や弁護士になる権利などは、現在ではかなりの部分在日外国人にも認められています。しかし、これは日本政府が外圧に抗しきれずに1979年及び1982年「国際人権規約」と「難民条約」を批准した結果であるということですので、この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう。 > 本来政治家とか官僚は、この辺りに心を砕くのが仕事だろうと思いますが、めっきり前例踏襲主義で済ませ(つまり何も仕事していない)、利権稼ぎのポスト狙いに一目散のようです。 役人や官僚の資質の問題でなく、日本の民主主義の中枢部の病理であると思います。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 09:40 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^5: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さん、おはようございます > ううん、れんだいこさんは私の文章をちゃんと読んでくれているのでしょうか。私は、戦後民主主義を評価するための重要な材料として、重要な除外例がそこにあったということをのべているのです。これは、だれそれの地位を向上させようとか、権利を得ようとか言う運動とはまったく別の、純粋な評価の問題です。 「重要な除外例がそこにあったということをのべているのです」ということを踏まえているつもりですが、伝わらないのかな。敢えて言えば、戦後民主主義の特殊例あるいは影の部分という認識をしております。 > この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。 これをちゃんと読めば、戦後民主主義は、戦前の天皇制支配体制より劣っている面があるということですか。そういう認識はしておりませんので面食らいます。 > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。 日本の戦後民主主義は、「市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」として、その合理的な根拠が分かりません。そういう風には捉えていないので、負の部分に対しては個別的に闘えば良かったのにと申しましたが、言われてみれば認識が違うようですね。 >こうしたた事実により、日本の戦後民主主義には形式的な民主主義制度としても致命的な欠陥があったというのが私の指摘であり、そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです。 戦後民主主義といっても、絵に描いた餅のようなものとは考えておりませんので、そこに欠陥があったとしても、「そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです」とは考えませんね。民主主義の本質は闘い取るものであり、「欠陥は克服できないものです」というのはいただけません。 > 在日朝鮮人は、そのようにして通常の市民権を与えられなかった階層であり、その存在に戦後民主主義に致命的な欠陥を見ることができるとはいえ、戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰するなどということはできません。まったくの筋違いな反論ではありませんか。 いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。 > この中のいくつかの権利、たとえば福祉サービスを受ける権利、公務員や弁護士になる権利などは、現在ではかなりの部分在日外国人にも認められています。しかし、これは日本政府が外圧に抗しきれずに1979年及び1982年「国際人権規約」と「難民条約」を批准した結果であるということですので、この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう。 少し疑問をば。「日本政府が外圧に抗しきれずに」という表現自体変ですよね。ならば、国内的な闘争を強めればなおさら早期に可能であったということになるのではありませんか。「この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう」となるのかどうか疑問です。 > 役人や官僚の資質の問題でなく、日本の民主主義の中枢部の病理であると思います。 この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。 仮に、戦後民主主義を在日朝鮮人の面から捉えて見て、戦前と較べてどうなのか、というのは指摘されてはじめて考察されるに値すると思いました。しかし、猛獣文士さん的まとめになるのかどうか疑問があります。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 16:51 投稿者名:猛獣文士 タイトル:Re^6: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、ちわっす > 「重要な除外例がそこにあったということをのべているのです」ということを踏まえているつもりですが、伝わらないのかな。敢えて言えば、戦後民主主義の特殊例あるいは影の部分という認識をしております。 この影の部分というのは、誰かの闘いの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。 > > この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。 > > これをちゃんと読めば、戦後民主主義は、戦前の天皇制支配体制より劣っている面があるということですか。そういう認識はしておりませんので面食らいます。 これは、事実を述べただけです。戦前の日本の体制は、植民地朝鮮や被侵略国の中国から見れば、大変、悪逆なものであったと思います。そのような体制を擁護するつもりはありません。しかし、上に書いてあることは事実であり、戦前戦後の社会の比較の図式を守るために事実が抹消されてよいものではありません。この事実をどう評価するかは、別の問題です。 ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。 > > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。 > > 日本の戦後民主主義は、「市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」として、その合理的な根拠が分かりません。そういう風には捉えていないので、負の部分に対しては個別的に闘えば良かったのにと申しましたが、言われてみれば認識が違うようですね。 問題になっている部分は、「意図的に」というフレーズでしょうか。田中宏著「在日外国人」(岩波新書)によれば、在日朝鮮人に対するこのような措置は吉田茂などの戦後の日本の指導者の自由裁量の範囲で決定されたというようなことがかいてあった記憶がありますが、現在はその本が手元にありません。その状況については、もう少し詳しく調べる必要があるかも知れません。 しかし、れんだいこさんとは、多分、重要な除外例があったということは、認識上一致できるようです。しかし、当時、ほとんどの人々は、これが日本の民主主義の重要な欠陥であると考えている人は皆無に近かったのではないでしょうか。現在でも、この問題が日本の民主主義の鼎の軽重を問う決定的な問題であると気づいている人は少数派ではないでしょうか。共産党の支持者と見られる大阪の人さんも、そのような認識を露ほども持っていないようです。 あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではなとおかんがえでしょうか。 > 戦後民主主義といっても、絵に描いた餅のようなものとは考えておりませんので、そこに欠陥があったとしても、「そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです」とは考えませんね。民主主義の本質は闘い取るものであり、「欠陥は克服できないものです」というのはいただけません。 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。 仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。 > いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。 誰がどのように闘う必要があるのでしょうか。もう少し、具体的に答えてください。闘えば、解決する。これではあまりにもあいまいです。 > 少し疑問をば。「日本政府が外圧に抗しきれずに」という表現自体変ですよね。ならば、国内的な闘争を強めればなおさら早期に可能であったということになるのではありませんか。「この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう」となるのかどうか疑問です。 これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。 なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。 > この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。 何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程として、ある対象を観察し、すべての問題点はそれが実現できるまでの過渡的な未完成部分でしかないという言い方をすれば、そのようなものは評価の対象とはなりえません。 「戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面がある」というように、比較をしたわけでもありません。相手の言葉を自分なりに解釈する場合には、もう少し慎重な態度を守ってくれるよう、望みます。 > 仮に、戦後民主主義を在日朝鮮人の面から捉えて見て、戦前と較べてどうなのか、というのは指摘されてはじめて考察されるに値すると思いました。しかし、猛獣文士さん的まとめになるのかどうか疑問があります。 在日朝鮮人から見て、日本の戦後がどのようなものであったのかを検討することは意味があるかもしれません。しかし、戦前と比べる必要はあるのでしょうか。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 20:01 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^7: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さんちわぁ。話が混み入って参りました。 > この影の部分というのは、誰かの闘いのの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。 戦後は、大東亜共栄圏思想を棄てたことにより日本人国籍者のみを前提として戦後民主主義体制の枠組みを創った。こうなると却って、在日外国人には不利益な社会となった面が発生することとなった、ということでせうか。「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。 > ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。 なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。 > 問題になっている部分は、「意図的に」というフレーズでしょうか。田中宏著「在日外国人」(岩波新書)によれば、在日朝鮮人に対するこのような措置は吉田茂などの戦後の日本の指導者の自由裁量の範囲で決定されたというようなことがかいてあった記憶がありますが、現在はその本が手元にありません。その状況については、もう少し詳しく調べる必要があるかも知れません。 吉田茂を弁護するつもりではありませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。 > あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではないとおかんがえでしょうか。 ううん本質とまでは考えていないですね。難しい話ですここは。 > 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。 そう理解するよりも、不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから、周知化すればするほどそれはそうだなという事になって圧力を形成していったのではないかと思います。れんだいこが云いたいのは、戦後民主主義の価値を正確に認識していなかった故に、世の中替えれば全てが解決するとして体制変革運動一本槍へ収斂させていったのではなかろうか、という気がする訳です。これは仮説ですけど。 > 仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。 どうでせうね。今の政府では逆に臭いものに蓋で逃げ回るのではないでせうか。いずれにせよ思想的にどう理解し、理論化するのかということが問われているように思います。 > >いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。 > 誰がどのように闘う必要があるのでしょうか。もう少し、具体的に答えてください。闘えば、解決する。これではあまりにもあいまいです。 具体的に述べればきりがないように思いますので、意見をしてみます。戦後から70年代までは割合と社共が強かった。社会党の強い時代は、自民党と議席を拮抗させるほどでした。この間に、反戦平和を掲げ、戦前の侵略戦争の反省をしている党派に対して、ならば俺達の問題を解決してくれ、云うだけではあかんと強い働き掛けをすれば良かった、と思います。例えば、原爆被爆者は国の補償を求めて働きかけて何がしかの対策を引き出しております。同じようにすれば良かったのにと思う訳です。具体的にどういう困難があったのか知らないままに述べていますが、そう思う訳です。 > これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。 これはこれで異論ありません。それで良かったと思いますが、「戦後民主主義」の鼎の軽重が問われているような欠陥というようなものであったのかどうかについて、そういう風には認識してはおりませんということです。 > なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。 れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。 > > この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。 > 何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程として、ある対象を観察し、すべての問題点はそれが実現できるまでの過渡的な未完成部分でしかないという言い方をすれば、そのようなものは評価の対象とはなりえません。 なぜ猛獣文士さんがさように受け取られるのか分かりません。そうではなくて、れんだいこは格別に戦後民主主義の価値を称揚している訳です。「何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程」として見ていなくて、逆にあれほどこれほど素晴らしい戦後民主主義の価値が貶められ形骸化され、次第に戦前型秩序並に戻りつつあることを嘆いているというスタンスです。 > 「戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面がある」というように、比較をしたわけでもありません。相手の言葉を自分なりに解釈する場合には、もう少し慎重な態度を守ってくれるよう、望みます。 そういう風な主張に読めたわけですが、もう少し慎重に解読しようと思います。 > 在日朝鮮人から見て、日本の戦後がどのようなものであったのかを検討することは意味があるかもしれません。しかし、戦前と比べる必要はあるのでしょうか。 それはあります。なぜなら、それこそ「どこにも存在したことのないあるべき理念」と比較してもあまり意味がないと考えるから。やはり歴史的な経過で追うのが間違いがないと思います。もっともそれを解読するのに思想とか観点がいるとは思います。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 22:46 投稿者名:コスモポリタン タイトル:Re^8: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
> 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。 植民地支配において「有能人士の登用」を行なうのは当たり前のことです。日帝の総督府もそれなりにやっていました。そのことではなく、普通の一般大衆の権利のことを言っています。もちろん朝鮮台湾においては選挙は行なわれませんでしたが、「内地」(日本)に居住する場合はある時点から選挙権が認められていました。(実際はさまざまな制限で行使できない場合が多かった。) この当たりは面倒なので文献を当たって下さい。選挙権については次の文献が参考になります。 http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken1.html > なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。 > 吉田茂を弁護するつもりではありませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。 言うまでもなく入管抑圧体制にたいするたたかいは続けられてきましたし、その過程で権利はある程度かち取られてきました。60年代までは主に共産党、それ以後は主に社会党が議会や対行政で支援してくれました。60年代までは在日朝鮮人の祖国訪問すらできなかった(再入国許可の制限)ように聞いておりますので、その時代とは雲泥の差があるのではないでしょうか。 在日の側の問題点としては、朝鮮総聯の場合は、1955年に日本共産党から離れて朝鮮労働党の指導下で結成されたという経緯から「日本の内政への不干渉」(一国社会主義と平和共存からくるスターリン主義的原則)という制限を自己に課していたことが問題点としてあげられますが、それはこの問題とは別に論じる必要があります。 内政干渉というのは国家間の行為に関する概念であり、朝鮮総聯の行為は当然「内政干渉」にはなりえないはずですが、朝鮮と日本の国交がないため朝鮮総聯は朝鮮大使館の機能もあわせもつことになり、「朝鮮政府の代弁」と「在日の権利擁護」を分離できないことからこの問題が解決できなかったのかも知れません。朝鮮と日本の国交が正常化し、朝鮮大使館が開設されておれば、朝鮮総聯は「内政不干渉」などという原則を掲げる必要がなくなっていたでしょう。朝鮮総聯が右翼反動と一緒になって参政権に反対するという珍奇な事態は見るにしのびないものがあります。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 23:53 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^9: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
コスモポリタンさんちわぁ。なるほどこういう書き方してくれると生産的です。もっと詳しく知りたいくらいです。猛獣文士さんとは論がレールに乗らないので弱っております。恐らく書けば書くほどいらだたせることになるでせう。しかしてそれはれんだいこの責任だろうか、と思っちゃいます。自分で自分は見られないからねぇ。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 22:40 投稿者名:猛獣文士 タイトル:Re^8: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、おばんでやす > > > この影の部分というのは、誰かの闘いのの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。 > 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。 れんだいこさんの認識は甘いですね。形式的な平等などなかったと思います。何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか。 このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。 > > 戦後は、大東亜共栄圏思想を棄てたことにより日本人国籍者のみを前提として戦後民主主義体制の枠組みを創った。こうなると却って、在日外国人には不利益な社会となった面が発生することとなった、ということでせうか。 日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。 >「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。 対策を講じることができてからいってほしいことです。 > > > ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。 > > なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。 難しかったというのは、戦後民主主義に欠陥があることの反証とは思えません。 >こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。 それは、できる範囲で行っていたと思いますが、それが「日本国民」の目に入らなかったというのが現実と思います。れんだいこさんは、またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしていますが、そうでないと発言しながらなぜ、同じことを繰り返すのでしょう。 > 吉田茂を弁護するつもりでは有りませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。 これは、弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話であれば、議論はすべて終わってしまいます。 > > > あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではないとおかんがえでしょうか。 > > ううん本質とまでは考えていないですね。難しい話ですここは。 本質でないということは、社会の構成階層の一部に、参加を許されない部分があっても、民主主義の本質に変わりがないということですか。結局、れんだいこさんは、現在でも問題をそのように考えているようです。このように考えている日本人の多数派であるかぎり、この問題は解決し得ないでしょう。 > > > 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。 > > そう理解するよりも、不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから、周知化すればするほどそれはそうだなという事になって圧力を形成していったのではないかと思います。れんだいこが云いたいのは、戦後民主主義の価値を正確に認識していなかった故に、世の中替えれば全てが解決するとして体制変革運動一本槍へ収斂させていったのではなかろうか、という気がする訳です。これは仮説ですけど。 もう一度くり返しますが、なぜ、不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか。その根拠を語ってください。 > > > 仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。 > > どうでせうね。今の政府では逆に臭いものに蓋で逃げ回るのではないでせうか。いずれにせよ思想的にどう理解し、理論化するのかということが問われているように思います。 れんだいこさんがどうとらえるのかを先に聞きたいのですが、期待できないようです。 > 具体的に述べればきりがないように思いますので、意見をしてみます。戦後から70年代までは割合と社共が強かった。社会党の強い時代は、自民党と議席を拮抗させるほどでした。この間に、反戦平和を掲げ、戦前の侵略戦争の反省をしている党派に対して、ならば俺達の問題を解決してくれ、云うだけではあかんと強い働き掛けをすれば良かった、と思います。例えば、原爆被爆者は国の補償を求めて働きかけて何がしかの対策を引き出しております。同じようにすれば良かったのにと思う訳です。具体的にどういう困難があったのか知らないままに述べていますが、そう思う訳です。 よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。 > > これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。 > > これはこれで異論ありません。それで良かったと思いますが、「戦後民主主義」の鼎の軽重が問われているような欠陥というようなものであったのかどうかについて、そういう風には認識してはおりませんということです。 小役人の答弁のような言い回しですね。では、どう認識しているのでしょうか。 > > > なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。 > >れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。 そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。 > なぜ猛獣文士さんがさように受け取られるのか分かりません。そうではなくて、れんだいこは格別に戦後民主主義の価値を称揚している訳です。「何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程」として見ていなくて、逆にあれほどこれほど素晴らしい戦後民主主義の価値が貶められ形骸化され、次第に戦前型秩序並に戻りつつあることを嘆いているというスタンスです。 とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。 > それは有ります。なぜなら、それこそ「どこにも存在したことの無いあるべき理念」と比較してもあまり意味がないと考えるから。やはり歴史的な経過で追うのが間違いがナいと思います。もっともそれを解読するのに思想とか観点がいるとは思います。 日本には民主主義があり、他のアジア諸国にはそれがないという俗説があります。私はその俗説にれんだいこさんがとらわれているのでないかと感じて、そこから議論に入っています。これは私の勘違いかもしれません。勘違いでないとして、私は、日本にあるといわれている「民主主義」なるものは、擬似民主主義であるという異説を述べています。議論がこのようなものでなく、歴史の一般的な評価であれば、方向を変えなければならないかもしれません。 |
投稿時間:02/08/29(Thu) 23:37 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^9: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さんちわぁです。猛獣文士さんとの遣り取りはかなり難しいということが分かりました。この認識の上でレスつけます。 >> 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。 > れんだいこさんの認識は甘いですね。形式的な平等などなかったと思います。何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか。 「何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか」ですが、次の猛獣文士さんの文章から読み取ったのですが。 「国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」。 上記の文言からどう読み取れば、猛獣文士さんの意に叶うのですか。 > このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。 しかし、なぜ私の読み取りばかりがかように叱責されるのでせうね。一般に理解は難しいものです。猛獣文士さんは、これまでの遣り取りでれんだいこの文意を正確に読み取っておられますか。「はるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます」とは、本来お互い様ですよ。これは我々二人に限らず。違いますか。 > 日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。 申し訳ないですが、どこの文章でそういうご指摘がアりましたか。失念しております。教えてくださいますか。 > >「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。 > 対策を講じることができてからいってほしいことです。 申し訳ないですが、そういう対策が立派にできている国を教えてください。 > > > > ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。 > > > なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。 > 難しかったというのは、戦後民主主義に欠陥があることの反証とは思えません。 「戦後民主主義に欠陥がある」ことは、極力認めておると書いて参りましたが。猛獣文士さんは、鼎の軽重が問われるほどの欠陥と云われてきたのではないですか。単に欠陥という書き方ではなかったと思います。 > それは、できる範囲で行っていたと思いますが、それが「日本国民」の目に入らなかったというのが現実と思います。れんだいこさんは、またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしていますが、そうでないと発言しながらなぜ、同じことを繰り返すのでしょう。 ここも、いつもですが私の文意が伝わらず、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と云われる。結局、猛獣文士さん好みの返答でなければお気に召さないということですか。「できる範囲で行っていたと思いますが、それが日本国民の目に入らなかったというのが現実と思います」に対して、もう少しやりようもあったのではないかと申しております。これは何も、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と受け取らなくても良いのではないですか。 どうしても固執されるのなら、部落解放運動、被爆者救援運動の例を挙げている訳ですから、それ以上にかくかくしかじか取り組んでいたのに「日本国民の目に入らなかった」ということを逆に例証されれば説得力があると思います。「日本国民の目に入らないようにされた」ということはあり得ることと思いますので、そのように議論を展開されれば宜しいと思います。 > > 吉田茂を弁護するつもりではありませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。 > これは、弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話であれば、議論はすべて終わってしまいます。 ここもいつも食い違うところです。客観的な認識を先ずしてそれから対策を練るというのは普通の発想ですが、それが「弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話である」としか受け取られないのなら、それこそ「議論はすべて終わってしまいます」。 > 本質でないということは、社会の構成階層の一部に、参加を許されない部分があっても、民主主義の本質に変わりがないということですか。結局、れんだいこさんは、現在でも問題をそのように考えているようです。このように考えている日本人の多数派であるかぎり、この問題は解決し得ないでしょう。 ここは承っておきます。 > もう一度くり返しますが、なぜ、不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか。その根拠を語ってください。 なぜそういう風に受け取られるのでせうね。「不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか」とありますが、どこにそういう風に断定しておりますか。「何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか」は、猛獣文士さんがれんだいこに投げた言葉です。該当個所を示してください。もう何をどう書いても通じないことに失望しております。 > よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。 これは暴論でせう。「よく知らないけれどもそう思うなどという」のがいけないこととすれば、「よく知らない者は黙れ」ということになります。これは議論を拒否する姿勢ですよね。「最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います」は意味不明ですが、ではどういう風に云えば良いのですか。そうか黙って拝聴するのが相応しいということですか。 > 小役人の答弁のような言い回しですね。では、どう認識しているのでしょうか。 「では、どう認識しているのでしょうか」も、結構凄い表現ですよね。それなりに私の認識伝えて参りましたが、全く伝わっていないということがよく分かりました。 >なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。 >>れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。 > そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。 これは逆に云えばよく分かります。華僑の運動にはどこも問題がなかったということでせうか。具体的に、いかに優れていたのか教えてくださいますか。一般に、欠点とか誤りを晒しだして検討するのがそんなにいけないことですか。 > とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。 「私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います」なんて云われると、これまで書き上げてきたことも含めて全く議論が無駄ですね。 > 日本には民主主義があり、他のアジア諸国にはそれがないという俗説があります。私はその俗説にれんだいこさんがとらわれているのでないかと感じて、そこから議論に入っています。これは私の勘違いかもしれません。 > 勘違いでないとして、私は、日本にあるといわれている「民主主義」なるものは、擬似民主主義であるという異説を述べています。議論がこのようなものでなく、歴史の一般的な評価であれば、方向を変えなければならないかもしれません。 多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。 |
投稿時間:02/08/30(Fri) 00:49 投稿者名:猛獣文士 タイトル:Re^10: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
れんだいこさん、おつかれのようですね。たかが掲示板での議論です。気軽に暴言で行きましょう > 「国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」。 > > 上記の文言からどう読み取れば、猛獣文士さんの意に叶うのですか。 これで、戦前に形式的な平等があったと読み取ったということですか。確かに、日本の朝鮮支配、台湾支配が後100年つづいていたら、形式的な平等が実現したかもしれませんね。しかし、事実として、形式的にも不平等だったという話を聞いていますので、私はそう思っています。 > > > このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。 > > しかし、なぜ私の読み取りばかりがかように叱責されるのでせうね。一般に理解は難しいものです。猛獣文士さんは、これまでの遣り取りでれんだいこの文意を正確に読み取っておられますか。「はるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます」とは、本来お互い様ですよ。これは我々二人に限らず。違いますか。 私の理解でまちがっているところがあったら、指摘してください。 > > > 日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。 > > 申し訳ないですが、どこの文章でそういうご指摘がありましたか。失念しております。教えてくださいますか。 No664で問題をまとめて提起したのですが、それをれんだいこさんはまったく踏まえずに、運動がどうのこうのいっているのですが。 れんだいこさん、ちわ。|問題点を整理させてください。|終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国|し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。|戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。|戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を失ったわけです。 > > > >「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。 > > > > 対策を講じることができてからいってほしいことです。 > > 申し訳ないですが、そういう対策が立派に出来ている国を教えてください。 戦前に同じように植民地を持っていたフランスのアルジェリアに対する例や、ドイツのオーストリア人に対する例を見ても、このような一方的な国籍の剥奪というやりかたではなかったようですが、詳細は後の調査にゆだねたいと思います。 > ここも、いつもですが私の文意が伝わらず、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と云われる。結局、猛獣文士さん好みの返答でなければお気に召さないということですか。「できる範囲で行っていたと思いますが、それが日本国民の目に入らなかったというのが現実と思います」に対して、もう少しやりようもあったのではないかと申しております。これは何も、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と受け取らなくても良いのではないですか。 文意が伝わりませんね。被害者の側に責任を転嫁しているとしか読み取れませんが、どう読んだら、れんだいこさんのお気に召すのでしょうか。 > どうしても固執されるのなら、部落解放運動、被爆者救援運動の例を挙げている訳ですから、それ以上にかくかくしかじか取り組んでいたのに「日本国民の目に入らなかった」ということを逆に例証されれば説得力があると思います。「日本国民の目に入らないようにされた」ということは有り得ることと思いますので、そのように議論を展開されれば宜しいと思います。 運動のような形にしないと、取り組みにはならないということでしょうか。たとえば、就職差別を受けたときとか、国民年金を長年にわたって支払っていたのに、満了になったときに区役所から外国人には年金は給付できない通知され、訴訟したとか、諮問押捺を拒否したとか、具体的な不利益をこうむったときに、具体的に抗議しているわけです。 在日外国人に参政権を与えろなどという要求は、雲をつかむような話であるし、実現性も疑わしいし、法理論的にも、諸外国の例を見ても、理論的に主張するのも難しいので、そのような大上段に振りかぶった運動を行うことはできなかったのですが、それが努力不足というわけでしょうか。 もうひとつの問題は、戦後民主主義の枠組みの中で権利を要求することで、在日朝鮮人の問題が解決しうるのかどうかということです。むしろ、その枠組みを超えたところでなければ、問題の解決に到達しないというのが、私の考えです。 > ここもいつも食い違うところです。客観的な認識を先ずしてそれから対策を練るというのは普通の発想ですが、それが「弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話である」としか受け取られないのなら、それこそ「議論はすべて終わってしまいます」。 No664で問題をまとめて提起したのですが、それについて、仕方がないという議論が帰ってきたと感じています。 > > よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。 > > これは暴論でせう。「よく知らないけれどもそう思うなどという」のがいけないこととすれば、「よく知らない者は黙れ」ということになります。これは議論を拒否する姿勢ですよね。「最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います」は意味不明ですが、ではどういう風に云えば良いのですか。そうか黙って拝聴するのが相応しいということですか。 在日外国人の側の闘いが必要だなどという議論は無用だと思います。闘いたければ闘うだろうし、闘いたくなければ闘わないのではないでしょうか。れんだいこさんが自分の問題について、闘うのは結構です。あるいは。他人の問題についてでも闘うのも結構です。しかし、だれそれに闘えなどというのは余計なお世話でしょうね。 それをいうのならば、先に自分がどう闘っているかを言うべきという話になります。 > > そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。 > > これは逆に云えばよく分かります。華僑の運動にはどこも問題がなかったということでせうか。具体的に、いかに優れていたのか教えてくださいますか。一般に、欠点とか誤りを晒しだして検討するのがそんなにいけないことですか。 戦後民主主義の性質についての検討をしたかったのですが、華僑の運動の欠点を検討することになってしまったわけですか。 戦後民主主義において、在日台湾人が一方的に排除された結果について、華僑の運動のやりようによってはちがったものになりえたかどうかという点が問題になると思います。華僑の運動が大きな誤りを犯して、そのためにそのような結果を招いたのだが、ある時点で別の運動を行っていれば、別の結果があったと考えられるのならば、その運動を検討するのもいいかもしれませんが、意思決定について華僑側はまったく参与できなかったのですから、そのような決定を実施する点について、華僑側の運動は影響を与えていないと思います。その意味で、被害者側の運動をいじくりまわしても、これといった原因をみつける可能性は少ないでしょう。 > > > とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。 > > 「私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います」なんて云われると、これまで書き上げてきたことも含めて全く議論が無駄ですね。 No664で根拠を述べたつもりですが、答えをもらっていないと思います。 > 多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。 泣き言でしょうか。議論を強制しても仕方がありませんから、休養して元気になったらもう一戦ということでどうでしょうか。 |
投稿時間:02/08/30(Fri) 01:15 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^11: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) |
猛獣文士さんちわぁ。手短に参ります。 > No664で問題をまとめて提起したのですが、それをれんだいこさんはまったく踏まえずに、運動がどうのこうのいっているのですが。 > れんだいこさん、ちわ。問題点を整理させてください。終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を失ったわけです。 ここ猛獣文士さんのかなり力点があったところのようですね。どう云うわけかここのくだり失念していました。 > 在日外国人の側の闘いが必要だなどという議論は無用だと思います。闘いたければ闘うだろうし、闘いたくなければ闘わないのではないでしょうか。れんだいこさんが自分の問題について、闘うのは結構です。あるいは。他人の問題についてでも闘うのも結構です。しかし、だれそれに闘えなどというのは余計なお世話でしょうね。 ううんこれではれんだいこと議論が深まるはずがないということがあらためて分かりました。 > > 多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。 > 泣き言でしょうか。議論を強制しても仕方がありませんから、休養して元気になったらもう一戦ということでどうでしょうか。 申し訳ないですが、泣き言と捉えるのはご自由ですがほんと真意が伝わらないですね。「もう一戦」という感覚も分からない。為にする議論をしている訳ではないのです。でもいいや、跡を濁さずという名言もありますので、暫く休養とさせていただきたく存じます。貴サイトを通じて文革論まで意欲を持つに至ったこと感謝しております。言葉を添えておきます。コスモポリタンさんにも一言有難うね。 |
(私論.私見)