善隣学生会館事件(4) |
投稿時間:02/08/20(Tue) 19:56 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 日本共産党批判 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 「宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。」これは、どのような資料で確認したのでしょうか。このような主義を目指していたとすれば、とても日本共産党の構成員であることはできないのではないかとも思えます。転向しないかぎり。 これですが宮顕公判記録 miyamotoron/miyamotoron_9.htm の最終となった第15回公判での陳述が一つの根拠になると考えております。宮顕は末尾で次のように述べております。 「私は我々の思想を糾弾する人々に対し、現代社会の動向から眺めて、共産主義は頭から抑圧すべきものでない事をここに極力申しておきたい」、「故に共産主義を合法的に認め、これを公論によって検討すべきものであって、徒に頭から抑えつけるべきものではないのである」。 これに対して、れんだいこは次のように書き付けております。 (疑惑)ここの文意をどう読み取るべきか。この陳述観点は宮顕のマルクス主義の位置を自ずと吐露しているように見える。少なくとも、マルクス主義者が革命に向かわざるを得ない所以のものを説き明かす姿勢ではない。むしろ、当時の天皇制治下にあっても、マルクス主義が合法的に認められ「これを公論によって検討すべきもの」という穏和主義の弁明になっているように見える。これを、法廷と云う特殊情況下での止むを得ない奴隷の言葉と読むなら仕方ない面もある。しかし、案外とこの観点が宮顕の思想的立脚点なのではなかろうか。 他にも宮顕の当時の文芸評論を仔細に見て参りたいのですが、勉強不足です。戦後の宮顕については、特に六全協以降指導部にのし上がってより今日までやっていることを見れば、「愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております」はズバリそうだと思います。 北方領土問題での全千島列島返せ論は、こういっては何ですが超過激で、過激なところがどんな右翼も顔負けというところが笑わせられます。 |
投稿時間:02/08/22(Thu) 12:48 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^3: 日本共産党批判 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 確かに、この陳述は違和感がありますね。法廷記録は、どこで入手するのでしょうか。 これですが、宮顕自身が「公判記録集」なるものを公刊しております。 > れんだいこさんの宮顕論の著作集の中に書き込むのを忘れておりました。 この「公判記録集」にも疑惑が付きまとっております。その内容批判は我がサイトで行っていますが、そもどのようにして宮顕が手に入れたかというと、当時獄中時代に手元に保管していたとか(詳細は失念しました。この辺り正確にしておこうと思います)。裁判所に保管されていたものは空襲で焼けたけども、この手元に置いていたお陰で今日日の目を見ているとか。変な話です。 立花氏の共産党研究論文のリンチ事件考に対抗して、この「公判記録集」が出版されたようです。ところが、これを読んでさえ、透けて見えてくるのはひどいリンチの模様と、如何に宮顕が居直り弁明を逞しゅうしているか、それが当局の上げ膳据え膳の中で為されているかということです。ところがいけません。日共御用派には読解力が基本的に欠けているのでせう。宮顕のプロパガンダのところをのみ読んで納得しているようです。 しかし、この「公判記録集」は宮顕にとって危険なものになっております。その後、当事者の陳述調書が公開されましたが、各被告のそれと比較してみて、如何に宮顕一人がリンチがなかったか、調書さえ取られずに済んだ不思議さ、奇妙な単独公判の様子等々が炙り出されてしまっております。ところがいけません。日共御用派には読解力が基本的に欠けているのでせう。党中央のプロパガンダのところをのみ読んで納得しているようです。 > 戦前の宮本顕治は、文芸評論のようなものしか書いていなかったのですか?戦後、共産党のボスになった後は、宮顕の個人的な著作、論文と宮本支配下の日本共産党の論文との区別が難しいと思います。もう少し、調べたいですね。 ですね。宮顕の裏で動く姑息なやり方で、軌跡がはっきりしないようにされております。 > > 北方領土問題での全千島列島返せ論は、こういっては何ですが超過激で、過激なところがどんな右翼も顔負けというところが笑わせられます。 > 日本共産党の正式な見解として、このようなことを言っているのでしょうか。まあ、政権党でないから、無責任に何でも言える。しかし、ひとつの政党として全体を見た場合、日本共産党は理論的に破産していることは事実のようです。理論が破産して、内部批判を許さない組織だけが残っているこの政党、気持ち悪いですね。 本当にそうです。しかし、反代々木系がその論破に失敗している風があります。あるいは代わる党派運動を創出し得ていない。併せて情けないことだと思います。やはりれんだいこ的観点で宮顕論を確認しないツケが自家撞着していると思わざるを得ません。 |
投稿時間:02/08/23(Fri) 11:46 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 合法的な路線、議会制民主主義の選挙制度に参加するという路線についてですが、これをれんだいこさんはどう評価するのでしょうか。立花隆の解釈によれば、マルクスレーニン主義の立場にたつかぎり、暴力革命を放棄して、選挙によって革命を成就できると主張することは容認できない「修正主義」であるということになります。立花隆が引用している文献(共産党宣言やレーニンの著書)を合わせてみれば大変説得力のある指摘ですが、立花隆はマルクスレーニン主義の立場にたっていないので、彼自身はそう考えていないことは明らかであり、またこの図式化はマルクスレーニン主義が何でも暴力革命に固執するといった偏った印象を与える断定という側面もある単純化であると思います。 立花隆の解釈は別にして次のように云えるようには思います。マルクス主義が暴力革命に歴史的正義を見てこれを称揚したのは事実だと思います。それは歴代の支配階級が常に暴力を伴って支配を貫徹している以上、それを覆すのも暴力的にならざるを得ないではないか、という観点からであったのではないでせうか。議会を活用する場合も、この観点に拠って利用するのであり、議会で議会内多数派となるのをメルクマールにそれに応じて革命に着手するなぞという理論とは無縁でせう。 但し、西欧のブルジョア民主主義の背景に近世の曙光となったルネサンス精神が脈打っていたことに対して、マルクスが冷淡であることを見据えねばならないと考えております。マルクス主義の階級闘争理論の欠格個所だと思っております。マルクス主義内「修正主義」者達は、或る意味でルネサンス精神の継承を意図していたと思うのですが、これをどう理論的に表現しえたのか、事実は西欧民主主義という概念の中で語ることにより有耶無耶にしてしまった、と考えております。 ルネサンスとは、中世的神聖秩序に対する疑惑を始発として精神の自由を求め、人が自由に生きられる社会を夢見る運動であったように思います。没階級的な意識の下での憧憬ではありましたが、この精神は貴重なものではないでせうか。通常、民主化とか民主主義精神とか云われておりますが、歴史的にはルネサンス精神として捉えるのが正確ではないかと思っております。 日共的民主化論者のヌエ性は、口では民主主義を尊ぶと云いながらも、連中が愛好する民主集中制なるものがこのルネサンス精神の反対物に転化させた上でそれへの恭順を説いていることにあります。もっとも、マルクス主義とは、開祖マルクスにまで戻ってそのようなものであったのかも知れません。 しかし、イフですが、マルクスにもう少し寿命があれば、この辺りの考察へと向かっていたと思われます。あるいは、マルクスも時代の子として西欧精神の流れにあっては当然過ぎることとしてルネサンス精神を対自化できなかったのかも知れない。ところが、マルクスらが語らなかったルネサンス精神は語らなかった故に無視され、西欧僻地でルネサンスの洗礼を受け損ねていたロシアという風土の中から生まれたレーニン主義へと継承され、やがてスターリン主義へと流れ込みます。この点では毛沢東主義も同じ土俵でせう。かくてマルクス主義は時代が下がるに連れ、ルネサンス精神を絶望的に捨ててしまった、という風に理解しております。 再び日共に戻りますが、連中がこれをどう受け止め何を創造しようとしているか。理論的にはマルクス主義の取り柄である革命理論とその精神の方を換骨奪胎させ、宿あである民主集中制理論の方をキープしようとしております。しかしてそれは、最もマルクス主義から遠い道への誘ないであるるように見えます。なぜこういうことが起るのか。それは白い心の持主であるが故に、道に間違うと辿り着くのは必然的にマルクス主義の道とは反対方向ということになるのではないでせうか。 もはや理論がどうしようもなくもつれており解きほぐせません。これを称して自縄自縛と云います。さてこうなるとどう対策を打ち出すか。この数十年やっていることは一層の党内愚民化政策であり、理論軽視どころか無視の道であり、かくてツケ刃対応の日々にまでなりました。こうなると、どこまで厚顔無恥の上塗りが見えるのか、つまらない興味しか残されておりませんね。 |
投稿時間:02/08/25(Sun) 12:31 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re: 民主主義とは何か |
コスモポリタンさんちわぁ。 > しかし本来はマルクス主義はバブーフ-ブランキの伝統から生まれた運動であり、民主主義には敵対的であったはずです。私は、マルクス主義の本来の革命性を回復するには、バブーフ-ブランキの伝統を重視する必要があると考えます。 > マルクス主義者の議論では、「ブルジョア民主主義」の「虚偽」とか「限界」が指摘されますが、むしろ民主主義自体の反動性を問題にすべきではないかと思います。 これですが、革命論的見地で「ブルジョア民主主義」に誤魔化されることなく、バブーフ-ブランキ主義的伝統を継承せよという意味は分かるつもりです。問題は、それを推し進める運動体の中の運動論、組織論における「民主主義」の考察です。「民主主義」という表現ではややこしくなるので、仮に「反対派が社会生存的に許容されるルネサンス精神の擁護」と言い換えておきます。 れんだいこが思うのに、新時代を創るには、それを創ろうとする運動体の内部に萌芽的な「社会の青写真」を生み出しておくべきだと考えます。「目的が正しければ手段は癒される」というのではなく、「手段の中に目的が萌芽的に形成されておらねばならない」と考えます。 左派運動は、この見地から各種取り組むべきであった。当然この見地が党規約団体規約に明示されるべきである、と考えております。過去の修正主義者達の中のモチーフにかようなものがあったのではないか、という仮説を持っております。だから一概に否定するのではなく、真意をどう汲み取るか苦吟すべしと考えております。 > 民主主義というのは、結局のところ支配階級への抵抗の大きさと反比例するものだと思います。先進帝国主義国ほど民主主義的で、後進国は「非民主的」であるのは、先進帝国主義国では「国民」の多数を支配階級の利益に統合することができるからです。この点から考えれば、民主主義国であればあるほど侵略的であることは何ら不思議ではないと思います。 弱肉強食世界において、強食者の方が「ブルジョア民主主義」を発達させているというのであれば、同意できます。 > さらに、「イスラエル」のような国家の民主主義には別の理由もあります。言うまでもなく「イスラエル」は民族差別(もともと住んでいたパレスチナ人の追放と帰還拒否、「イスラエル」領土外のパレスチナに住むパレスチナ人の弾圧と閉じ込め、「イスラエル」国籍を持つパレスチナ人への差別)に立脚した国家であって、「国民」のうちユダヤ人はその民族差別の恩恵を受けています。ユダヤ人の大多数は自らの特権的地位を守るために団結しています。この理由から、いわゆる「民主主義」が生じるのです。 「パレスチナ」問題においてイスラエルを道義的批判するには材料がありあまっております。新聞は中々書きませんが牛耳られているのでせう。問題は、アラブ諸国のこの問題に取り組む能力にあります。懸命な努力をしておるのでせうが、逆に分裂懐柔させられ、今日段階では同士討ちばかりさせられております。その背景には諸要因あるのでせうが、少なくとも王朝体制がうまく利用されているのだと思います。 してみれば、ここでも問題は国家統治機構の整備能力にあると云わざるを得ません。国際主義的には道義的批判で対応することしかできませんが、アラブ諸国はその間自力更生型の有能な国家及び社会建設に向かうべきです。そうはさせじとする勢力との拮抗関係の中で進めるのですから生易しいことではありませんが。 > また、より広い意味では、帝国主義的国民国家(米、日、欧州など)も、この「銃を持った白人たち」になぞらえることができます。米国や日本の民主主義は反動的なものであって打倒の対象である、という認識が大事です。 これについて異存はありませんが、歴史の教えるところ、打倒した側が以前よりひどい統治を行った事例の枚挙に事欠きません。大きく見ればソ連もその例だと見ることもできます。だから、運動する側に何が問われているのか、ここを確認しつつ取り組まない限り運動は進まないと考えております。 |
投稿時間:02/08/24(Sat) 16:18 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^3: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さん、ちわぁ。 > 問題は、マルクス主義が歴史的に革命を評価していることではなく、現実の政治勢力(政党)としての日本共産党が、合法的な政治活動に専念することの可否です。 れんだいこは、戦後日本及び戦後冷戦世界の特殊論を構築しつつあります。これによれば、戦後日本は、稀代の善政体制を生み出しましたことになります。支配階級が法治主義に則り、憲法の指し示す文民による議会内閣政治を遵守している稀な時代だと云う認識をしております。それは戦前の痛苦な反省からもたらされていると考えております。 こうなると、戦後日本の左派運動はこの現実を正確に理解し、同じ土俵で闘いを挑むべきであった。つまり、合法的な政治活動に依拠し、場合によれば専念することができた時代だと読んでおります。 > 現実に、マルクスレーニン主義のある面の解釈に忠実たらんとした(と信じます)政治勢力が、日本でも暴力による性急な革命を目指した経験を、われわれの世代は生々しい経験として見ているのであり、その結果の苦さも知っています。現在の日本の状況で、革命派が暴力的に権力をにぎるという事態はほとんど可能性がないように見えます(私の認識が根本的にぶれていないならば)。マルクスレーニン主義者であるから暴力革命を準備しろなどという要求が仮にあったとすれば、それは政治的な自殺を強要していることにもなりかねません。 急進系左派は左派足らんとして、戦後日本の特殊善政時代の特質を無視して、やたら暴力革命論にシフトしていったように思います。その結果何も生み出さなかった。下手な勉強のし過ぎであったと云えば叱られるかな。 > そこで、日本共産党が暴力革命路線を完全に放棄して、議会主義になったとします。もちろん、どのように議会主義を追求するかにもよるでしょうが、現在の日本では、とりあえず議会を通して政治的な力を行使していくしかないと考えの下でそれを選択した場合に、それ自体が非難の対象でありうるかどうかということが疑問の第一点です。 問題は、宮顕―不破系党運動の議会主義のヌエ性にあると思います。戦後直後の党運動を指導した徳球―伊藤律系も議会主義を重視し、1949年時点の衆議院選挙では35名の議員を誕生させております。この時議会主義ナンセンス論者も居りましたが、いやそうではないのだと懇々と説いております。 残念ながら、1950年朝鮮動乱の煽りの中で非合法化され、その後この系譜は封殺されることになりました。これに功あり名を挙げたのが宮顕派で、以降日共は今日までこの系譜が党中央を掌握しております。同じ議会主義でも、徳球―伊藤律系は大衆運動、労農学運動にも力入れております。あまり規制を加えませんでしたから、穏和派急進主義系その他雑多な運動が醸成されていたように思います。 系宮顕―不破系はこれをおざなりにさせ、その代わりに議会主義専一運動を進めて参りました。これを意図的にやっているから許せない、その罠を見抜かねばならないというのが、れんだいこ史観です。 > 西欧の民主主義について、私はれんだいこさんのように高く評価していません。近代・近世の歴史を通して、もっとも悪逆で残酷な暴力を行使し、人類に多大の傷を与えたのは、民主主義制度によって武装した西欧諸国であり、その状態はアメリカのアフガニスタンに対する野蛮な暴力やイスラエルのパレスチナに対する暴力という形態で現在も続行していると思います。これは以前、大阪さんとも議論したことですが、アヘン戦争などで、中国を苦しめたのは、陰鬱な帝国ではなく、革命によって議会を設立し民主主義を普及させたイギリスやフランスの軍隊であったという歴史的な事実を認識するべきだと思います。 ここは観点が違います。むしろ、民主主義制度によって武装した西欧諸国の国富的伸張が著しく、専制政治下のアジア、アフリカ、アラブ諸国が総やられしたと見ています。日本そういう意味では珍しい国であったと認識しております。西欧列強の侵略政策を道義的に批判してもせんないことだと考えております。アジア、アフリカ、アラブ諸国も又民主主義制度によって国力を増すべきであった。個人でも国家でも侮られればひどい目にあうというのは、肯定はしませんが止むを得ない面がある、人間とはそういう種族だと理解しております。 > > > ルネサンスとは、中世的神聖秩序に対する疑惑を始発として精神の自由を求め、人が自由に生きられる社会を夢見る運動であったように思います。没階級的な意識の下での憧憬ではありましたが、この精神は貴重なものではないでせうか。通常、民主化とか民主主義精神とか云われておりますが、歴史的にはルネサンス精神として捉えるのが正確ではないかと思っております。 > はっきりと応えることはできませんが、このような精神が西欧にしかなかったと考えるのは、一面的ではないでしょうか。 いやそうではない。れんだいこ理解によれば、ルネサンスとは要するに体制に反逆する精神であり、この権利を「一定」認めようとする社会的合意の形成運動であったように考えております。残念ながら、西欧以外にこれがなかった。日本の戦前もこれが乏しかった。むしろ対極的な治安維持法下社会へと突き進んでしまった、と理解しております。戦後になって稀有なルネサンス社会が一時ですが誕生していたとみなしております。 > > 日共的民主化論者のヌエ性は、口では民主主義を尊ぶと云いながらも、連中が愛好する民主集中制なるものがこのルネサンス精神の反対物に転化させた上でそれへの恭順を説いていることにあります。もっとも、マルクス主義とは、開祖マルクスにまで戻ってそのようなものであったのかも知れません。 > 日本共産党の内部的な問題もあるでしょうが、合法化を認めるかどうかは大きな問題です。非合法な革命組織と合法的な政党では組織が本質的に異なります。 れんだいこが思うのに、政党そのものが合法部と非合法部の二本立てでいくのが宜しいのではないかと。支配階級が法秩序を遵守する限りにおいては合法部が担当し、支配階級の方からこれを無視する時代になれば非合法部が対抗するのは致し方ないと考えます。戦後から今日までは、合法部が担当しても良かったのではないでせうか。合法部の特徴は機関運営民主主義であり、非合法部の場合には特殊に軍隊化規律になるのは止むを得ないと考えます。 しかし如何なる場合にも指導部の専横的独断は良くないと考えております。反対派はつきものであるとして認められるべきであり、常に喧喧諤諤の方が丁度按配が良いのだとする組織論が必要だと思っております。その上で、党中央に自主的に創意工夫的精神を持ちつつ団結すべきではなかろうかとか。日共党中央は、これと反対の無茶苦茶なことばかりしでかしており、党員がまたこれを提灯するから始末におえません。 > スパイや内通者といった存在が組織に致命的な打撃を与えることができるのは、戦前の日本共産党のような非合法の革命政党の場合です。合法政党であれば、たとえ、権力との緊張関係が非常に強いとしても、警察や当局とのアクセス経路をどこかに持たなければならなくなります。このような場合、スパイの存在の役割はかなり限定されたものになると思います。 スパイ論は又別の機会に行いたいと思います。 > もう少し様子を見てみたら変わった事もあるかもしれません。期待しないで、楽しみにしてみたらどうでしょう。 日本が溶解させられてからああだったこうだったといっても仕方ありませんから、期待できるのなら早いうちの方が良いと思います。日共についてはほぼ絶望しておりますので、れんだいこのメガネに叶うその他党派の著しい伸張が見たいです。 |
投稿時間:02/08/25(Sun) 12:05 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^5: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さん、ちわぁ。 > いろいろ挑発しても、大阪の人さんの再起は難しそうですね。 理由は分かりかねますが、いろいろお尋ねしても返事が為されない。なんなんでせうね。左派精神としては大いに問題があると考えます。要するに代々木の指定文献の枠から一歩も出られないということかな。 > ふうん。どうなんでしょう。これでいくと60年安保とか、三池とか砂川とか、何だったのかなという話にならないでしょうか。東大闘争、日大闘争、三里塚を持ち出す前に。 60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動が公然と合法的にできたことが、有り難いと考えるべきではないでせうか。仮に、中国では反政府的な天安門事件がどのような目に合わされたのかを見れば比較しやすいと考えます。60年安保では、ブントの突出運動で情況がこじ開けられ労学が連日国会を包囲しました。自衛隊の出動がギリギリのところで押さえられたことが判明しておりますが、逆に云えばそこまでは認められたということです。これは、戦前型統治ではあり得ない戦後型統治機構の特質だと思います。 > つまり、合法的な政治活動に専念しようとしたことが、宮顕の問題ではない。分かりました。問題は、その政治活動の中身である。これは、路線対立というのとはちがうのでしょうか。 路線対立であれば、れんだいこは宮顕をこうまで否定致しません。運動には万事穏健派と急進主義派、現実主義派と理念派、実践派と理論派等々の対立が付き物ですから。宮顕問題の深刻さは、当然右派系として登場してきておりますが、その心が赤くないむしろ異分子であり、当局の意を受けた内通派であることにあります。だから、左派運動の利益を考慮するのは建前で、実際には戦闘的団体、人士を潰すことを眼目とした運動を為してきた。それをよりによって、英邁な指導者として遇してきた愚昧さを反省すべきだと警鐘乱打しております。 > > 急進系左派は左派たらんとして、戦後日本の特殊善政時代の特質を無視して、やたら暴力革命論にシフトしていったように思います。その結果何も生み出さなかった。下手な勉強のし過ぎであったと云えば叱られるかな。 > 難しいところです。後知恵の結果論ともいえそうな断定に見えます。 「後知恵の結果論ともいえそうな断定」ですが、それが正しければ後知恵として確認されねばならないと思います。 > 徳球−伊藤律の系譜の運動というのはあまり世間では知られていませんね。単に私が不勉強なのでしょうか。徳田球一というと、すぐに「家父長的な」運動という言葉を思い出します。北京で客死。宮顕派の宣伝戦が効果を挙げているのでしょうか。伊藤律といえば、ゾルゲ事件、スパイ疑惑、北京からの帰国の鮮烈な印象、それになかなかしっかりした回想録の記述。 この観点は、代々木も反代々木も共有しております。ここに日本左派運動の立脚点が倒錯せしめられていると考えます。徳球−伊藤律の系譜の運動を美化する必要はありませんが、至らないながらも至ろうとした紅い心の持主達であったことは、彼らの生涯の軌跡で証明されております。その連中を悪し様に罵倒した上で成り立っている現下の左派運動が実を結ばないのは理の当然かと思われます。 > 50年問題が頭に浮かびます。これについては、中国共産党にもなにやら責任があるようです。 これは難しいテーマです。中共がソ共と阿吽の呼吸にあった時点での同志的呼びかけは、スターリン論評に従うべしと云う立場で徳球−伊藤律系党中央に打撃を与えました。しかし、非合法化された徳球−伊藤律らを多数受け入れ、その活動を支援した経過を見れば、中共のスタンスが「50年問題」騒動経過を通じて、徳球−伊藤律指導部の方に正義ありとみなしていたことが分かります。 問題は、中共建国型の武装闘争路線を示唆し、これが破綻し、為に徳球−伊藤律系執行部の破綻に繋がりました。「中国共産党の責任」とは、この経過に対して為されていると読むのが素直で、日本革命に内政干渉したこと自体を詫びたとするのは宮顕式プロパガンダによるすり替えでしかないと思います。もっとも、毛沢東―宮顕会談で、毛沢東が徳球−伊藤律系執行部の破産を悔やむようなことを述べるなどということはあり得ませんので、「内政干渉に問題があった」式にお茶を濁したことは考えられます。しかし、宮顕がプロパガンダするような意味合いではないでせう。 > 宮顕を仮想的に歴史から抹消したときに、本来どのような成果が得られたのかを推論する必要があります。あるいは、どのような成果が失われるのか。あるいは、何の影響もなかったのか。 宮顕指導に成果があった個所があれば教えてください。これを論ずるのも興味深いところです。 > > ここは観点が違います。むしろ、民主主義制度によって武装した西欧諸国の国富的伸張が著しく、専制政治下のアジア、アフリカ、アラブ諸国が総やられしたと見ています。日本そういう意味では珍しい国であったと認識しております。西欧列強の侵略政策を道義的に批判してもせんないことだと考えております。 > 道義的な批判もありますが、それ以前に歴史認識の問題です。この点についての正しい歴史認識に欠ければ、「先進国」のグローバリズムイデオロギーに対抗できないことになります。「テロ国家」などという規定も批判できなくなります。 「歴史認識の問題」で西欧列強あるいは日帝の過去を批判するのは、結局道義的批判にしかならないのではないでせうか。「先進国のグローバリズムイデオロギー」に対しても「テロ国家などという規定」に対しても、やはりそれを批判するには批判する側に力がなければできません。国家も個人にも云えることです。連中は実践しているのであり、これに対抗するには実践以外にない、道義的批判はすれば良いのですがその影響力はいつも弱いと思います。 > 民主主義で武装している侵略者に対抗する手段が民主主義であるかどうかは、選択の問題だと思います。たとえば、経済の問題に置き換えて考えて見ます。経済的に優位な位置に国が自由貿易を、後進的な国に対して「普遍的な」価値観であるとして押し付けようとする場合、これに対抗する手段として保護貿易が採用されます。 > 国内の人民の幸福という点で考えて、それ以外の考慮する要因がない場合には、独裁よりも民主主義のほうが好ましいでしょうが、迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう。 戦後世界はますますワンワールド的な方向へ歩みつつあります。この動きは不可避でそれだけに新しい時代の知恵が要求されつつあります。従って、各国の「保護貿易制の採用」は、食料という根本的な自給体制を別にすれば時限立法にすべきでせう。その限りで意味があるのだと思います。 「迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう」は、人民の側からそれを云えばお仕舞いでせう。何とかして民力、国力を増し、それが政策決定にフィードバックされるような社会作りを目指すべきで、絶対権力者を生み出すべきではありません。よしんば個人崇拝的な指導体制が生み出されても、当の本人も含めて時限立法的であることを確認しておくべきだと考えます。 長くなりましたので以下略と致します。 |
投稿時間:02/08/25(Sun) 17:16 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^7: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 中国の政治がすべてすばらしいとなどというつもりは毛頭ありませんが、やや的外れな例であると思います。当時天安門前で公然とキャンプを張って数ヶ月間、政府に民主化を要求しました。それに対し、政府の要人であった趙紫陽や胡燿邦が「学生」達の意見を直接聞いていたわけです。安保とか三池とか砂川とかを公然と戦えたことを感謝するのならば、中国の民主化要求をあれだけ公然と行えたことも感謝するべきではありませんか。 しかし、天安門と云えば建国革命以来パレードをここで行う聖地ですよね。趙紫陽や胡燿邦の背後に?小平が居り、彼は断固として迅速な弾圧措置を取った。これで思うのに、文革派の文革過程での非道な行為が論(あげつら)われておりますが、むしろ上回る非道さであったことを確認するのが普通だと思います。 この問題で肝要なことは、法律で反政府的な政治集会が認められているのかいないのか、どの程度まで認められているのかの法治主義性にあるだろうと思います。 > 国会前や、皇居前や、ホワイトハウスの前でキャンプを張って政治要求をつづけたら、警察力による排除という結果をもたらすことになるのではありませんか。 しかしこれも、次第に窮屈な方向に来ているという視点が必要なのではないでせうか。戦後直後からの警察官僚の変化という項になりますが、「民主」警察的な時代があって次第に自主独立路線で警備強化へと向かいつつあるように思えます。昔なら問題にされなかったことが、検挙理由になり出したと言う事と、万事届出許可制で事前規制のバイアスが強化されつつあるように思います。 > また、60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動は当局の掌の上で踊っていた運動だということですか。 そうではなく、当局の方もそれを容認する度量があったという風に理解しております。付言すれば「ロッキード事件」での角栄訴追運動以来滅茶苦茶になり、度量人士が排撃されつつ法的整合性が失われた社会に突入し、その傷口がますます広がりつつある。それだけ当局者が恣意的に行政化しつつあると云う風に見ております。 > 私たちは、誰の心であろうと、取り出してきて色が赤いのか白いのか黒いのかを確かめることはできません。この表現は何かの喩えではありましょうが、心が赤くないからだめだなどという言い方である人格を否定できるとすることは大変危険な方向に行く可能性を含んでいます。感情的に好きでも嫌いでも、ある人物を批判するためには事実に即した論理的な主張をするべきだとわたしは思います。れんだいこさんがそのような努力をしてきていることを否定するものではありませんが。 人の心の紅さとか白さとかは当然喩えです。分かりやすく明確にするために宮顕白色テロリスト規定をしてみました。しかしこう言い切るだけの検証をしているつもりです。のべつくまなく気に入らない者に対してこう規定している訳ではありません。宮顕の場合、こう認識する必要があるという観点を協調したい訳です。この規定が間違っておれば相応の咎めを受けても仕方ないと腹を括っております。 > > 「後知恵の結果論ともいえそうな断定」ですが、それが正しければ後知恵として確認されねばならないと思います。 > > 単に失敗したことをあざけるだけでは不足で失敗から何を学ぶかが重要でしょうが、今のところ私には答えを出せません。 当然ですが嘲るというのではなく「失敗から何を学ぶか」を前提にしております。戦後の現実から始まったのではなく、闘争の為の闘争という式で推移したことが不毛ではなかったか、と指摘したいわけです。社共のような変調指導に対しては、その機関丸ごと奪取に向かえば勝てた筈なのに、なぜそういう風に向かわなかったのかという疑念を含めております。 > 反代々木がどのように徳田球一を評価しているかは、私は知りません。あしざまに罵倒してる党派もあるでしょうが、そうでない党派も有るのではありませんか? れんだいこの知る限り、ノーコメントが大勢ですね。コメントつきの場合には、宮顕論理よりなお悪し様に云うケースが多い。というか、このテーマに対しては、あたかも代々木と反代々木に共同戦線が張られているかの如くです。 > 一応、日本共産党の指導者として数十年の間、君臨してきて、この政党を指導してきたのですから、この政党を全的に否定しないかぎり、何も成果がなかったとはいえないと思います。国会内の少数勢力として、進歩的な法案に賛成してきたのではないでしょうか。私には、この程度しか答えられません。代わって、引用をしておきたいと思います。 「進歩的な法案に賛成してきた」だけなら、さすがにそれさえ反対したら党是的に立ち行かないでせう。実際の運動の現場と理論面での功績を発見し合いませう。大阪の人さんならならこれもあるあれもあると教えてくれそうで、聞いてみたいですね。 > 一方中核派の教師や公務員|には、街頭闘争に参加して職を追われた人びとも多い。これは当人や家族の生活上の犠牲が大きかっただけで|はなく、それぞれの職場での影響力を失ってしまうという点でも、マイナスが大きかったように思う。(渡辺正雄「新左翼、なにが問題だったのか」新左翼運動40年の光と影<新泉社>より) 中国建国革命過程もそうですが、道中はいろんな路線を取るでせう。問題は、それを如何に生産的に教訓化してその経験を首尾よく生かすことができるのか、にあるのだろうと思います。極限状況なら致し方なく、そうでなければ跳ね上がり知れない。それならそれで情況論の考察へ向かうべきだと思います。運動史の中にそうした経験を持たないのが自慢になるとも思いません。 > 事実認識の問題と道義上の批判は別のことです。また、批判の影響力の大小は、ここでは考慮外です。 「歴史認識」はやはり相対的なものだと思います。近世以降の欧米列強による世界征服史は事実問題ではありますが、やられた側にも問題があるのではないのかというのがれんだいこの史観です。更に云えば、日本の明治維新活動はこれに立ち向かい成功した稀有な例であり、その新権力も又欧米列強の仲間入り方向に活路を見出していくことになりました。これも事実問題です。 これを「歴史認識」で自己批判することは必要ですが、だったらどういう政権というか政治体制を目指すのかという視点とのセットでなければ、オカシイのではないかとか思います。現下のお詫び姿勢は、肝心な展望を抜いたまま為している点で問題ありと思います。しないよりはした方が友好的に良策だという以上のものではないと思います。 > > 「迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう」は、人民の側からそれを云えばお仕舞いでせう。 > これはどういう意味でしょうか。どのような組織でも管理を全員で行うことはできません。 「少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度」が、議会とか全国委大会で検証されつつ進むという機能が担保されているのなら、その際反対派の見解発表とか活動の自由が保証されているのなら、それはそれで構わないと思います。 |
投稿時間:02/08/26(Mon) 19:01 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^9: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さん、ちわぁです。 > 聖地というのは不正確ですが、国家の行事を行う大事な場所で、日本では国会前とか皇居前とかにあたる場所でしょう。そのような場所を長期間占拠したことに対して、強制的に排除するのは、およそ政府であれば当然のことです。ただ、当時、人民解放軍は人民の軍隊だから人民には銃を向けないという通念があり、それが崩壊したことがショックだったわけです。 れんだいこが押さえたいポイントとして、文革派の非道さがプロパガンダされ続けておりますが、文革派の政敵追求としての自己批判運動の方が脇が甘くて(個々の例ではそうでない場合もあるとは思います)、反文革派の方が凄まじい。第二次天安門事件はまざまざとそれを証左していると思う訳です。人民に銃を向けない不文律を容易く放棄し「血の雨を降らせた」のはケ小平の方だったのではないのか、四人組の囚人化も然りで酷いということを確認したい訳です。 > 中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか。これでは、単なるお国自慢としか聞こえません。お国自慢を批判しても仕方がないのですが、そんなことを延々と述べられても答えようがありません。 お国自慢と受け取られるほど日本を自慢も卑下もしていないつもりです。今後のためにも先行者となったソ連社会主義や中国社会主義の欠陥を確認したいという気持ちで行っているつもりです。「中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか」と云われたれんだいこの方が面食らってしまいました。 > > そうではなく、当局の方もそれを容認する度量があったという風に理解しております。付言すれば「ロッキード事件」での角栄訴追運動以来滅茶苦茶になり、度量人士が排撃されつつ法的整合性が失われた社会に突入し、その傷口がますます広がりつつある。それだけ当局者が恣意的に行政化しつつあると云う風に見ております。 > 在日中国人という立場で見て、れんだいこさんの議論にはついていけないところがありますね。 参考までにどこがおかしいのでせうか。お聞かせ願えれば有り難いです。 > しかし、論証がどこのホームページに書いてあるというようなことでは、議論になりません。やはり、この掲示板で議論しているのですから、引用でも結構ですから、この掲示板で分かるようにその論拠を示してもらいたいものです。その大事な部分について、宮顕は心が白いなどという論法を持ち出すのは循環論法になると思います。宮顕は悪いから悪いとう言い方ですよね。 これについては、文意的にはその通りです。しかしこの指摘を生産的にする為には、そうではない宮顕はこう云う風に良き指導者であり業績を挙げているという指摘と共にした方が議論しやすいと思います。そういう意味では、たびたび教えてくださいとお願いしており、れんだいこの見解は自分のサイトで披瀝している訳ですから、それをここで繰り返すよりは反証期待の方が実践的だと思っております。 > 日本共産党左派の人々などは、徳田球一を評価しているはずです。 日本共産党左派の系譜も一度整理しておきたいと思っております。かなり分岐しておりますので、個々の党派の見解までは掴めておりません。人民戦線が徳球、渡政、市川を三賢人として評価していることは承知しております。その他の党派の見解は知りません。コメントしている該当文があれば教えてください。 「50年分裂」時の中国地方委員会、その拠点山口県委員会は、当時反徳球―伊藤律系譜の急先鋒でその限りでは宮顕派と誼を通じておりました。六全協で宮顕が指導部にのし上がり右派系指導を強めつつある折、毛沢東思想の影響を受け反宮顕・親中共派へと移行します。そういう経過がありますので、この系譜が徳球を評価するようになる為には、かなり深い理論的な総括をせねば無理でせう。 > やられたほうに問題があるかどうかというのは、関係のない話ではないでしょうか。殺されたほうに問題があるとか、強姦されたほうに問題があるとかいうのと同等の話ですが、なぜ、被害者の問題をここであげつらう必要があるのか、不明です。 > れんだいこさんは、結局のところ西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為をも正当化したいと思っているようです。私には、そのようにしか読めません。それならば、そのような相手として、議論したいと思います。 申し訳ありませんが、「西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為」を批判するのは言わずもがなという立場で立論しているつもりです。次の問題として、西欧列強はたまたこれに追随する諸国に二度と悲惨な目に合わされないためには何が必要なのか、何を為さねばならないのかそれを確認しようとしております。その意が伝わっていない気がします。しかしこうなると、みんなが賛同しそうなことしかいえなくなる気もしますね。 > なお、現在の中国は、西欧諸国の侵略を自力で駆逐することに成功した国であり、いまだ被害者の立場にあるわけではありません。 れんだいこは、それが素晴らしいと評価しております。日本の明治維新に遅れる事半世紀と四分の一ですが、中国人民は立派に建国革命に成功しました。それ故に大きな期待もかかっていたと思います。今日の情況は中国式社会主義のなだらかな進展なのか、走資派に乗っ取られて建国前に逆戻りしているのか興味あるところです。これを良い悪いではなく、歴史の事実として認識しようとしております。 > お詫びの話などしていません。西欧民主主義の評価について、れんだいこさんが高く評価するので、私が異論をのべただけです。 西欧民主主義の評価については興味あるテーマですので別にスレッド立てて頂ければ参加致します。 |
投稿時間:02/08/27(Tue) 00:38 投稿者名:れんだいこ Eメール: URL : タイトル:Re^11: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 私はとう小平と毛沢東、周恩来を対立する勢力とは見ていません。れんだいこさんは、どうしてもそこに敵対矛盾を見出して、分裂状況を望みたいのでしょうか。 ここはほんとまったく理解が違いますね。れんだいこは、とう小平路線が歴史的必然として生み出されたこと、その路線の評価が難しいことを弁えているつもりですので、軽々しく批判しようとは思いません。しかし、毛沢東ー林彪路線とは全く正反対の道へ舵を取っていると見ております。周恩来の場合はやはり両者の中間で国策を考えていたのかな、目線は高かったと評したいと思います。 そう理解するのではなくて、とう小平路線が毛沢東路線の現代的創造的適用だと云われると、さて文革騒動は何だったんだと首を傾げたくなります。ちなみに日共党中央もこの識別をしておりますね。尤もれんだいことは真反対にとう小平路線の方を支持している。従って、現在友好関係の再構築に成功したのもいわば必然でせう。れんだいこはそう見ております。 > さて、いつか、中国でも政権を選挙で選出するときがくるかもしれません。来ないかもしれません。しかし、れんだいこさんが無意識的に前提としているように見える「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という価値観を私に押し付けられても、それに従う必要はないと考えています。もしも、形式上の議会民主主義制度を具備している社会がそうでない社会よりも進んでいるというドグマを強調したいのならば、具体例などを挙げて、論証してください。 「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という観点ではないですね。日本に戦後憲法で保障された社会統治システムは、西欧のそれよりもソ連のそれよりもグッドなベリーナイスなものだったと思っております。問題は、戦後日本の再建手法とその能力を廻って右派左派が争った結果、GHQの背後権力の存在もあって残念ながら戦前の統治階級が再び権力を掌握することになった。この権力は、アメリカの言いなりになりながら他方で戦前の統治構造に戻そうとしており、戦後憲法秩序の形骸化へ踏み出すことになりました。今日まで次第にこの傾向が強められておるとみなしております。 この観点からすれば、「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」というようなことを云うつもりはもうとうないのです。付言すれば、この反動化過程に社共が素直に抵抗し、いわゆる新左翼は無感覚で経過してきた史実があるように思います。この辺り新左翼のどっかの党派が軌道修正されれば人心を掴むだろうと思います。 > しかし、民主主義とは|民主主義には無限に異なった意味があるでしょうが、それ自体はただ、住民の個々の階級のあいだには政治的 |権利の形式的不平等が存在しないということを意味するだけであります。 とマックスウェーバーが述べているような最低限の要件があると思います。 マックスウェーバーはなかなかの値打ちものにように思っておりますが、残念ながらただの一冊も読んでおりません。近々読もうとしております。それはともかく、マックスウェーバーのこの規定はいただけませんね。民主主義の大事な要件は、異端狩り、魔女狩り、反対派狩りに対する一定のブレーキをかけることに真の意味があると考えております。西欧社会の強さは、政府批判にしてもそうですが「一定」これを認めてきた「強さ」にあると思っております。もっとも、それだけ狡猾な支配システムになっていると云ったらそれだけのものですが。 それでもやはりありがたいものです。例えば、江戸幕府がこの制度を確立していたら、幕末期の有能な志士の多くが(幕府方の者も含めて)あたら惜しくも命を取られずに済んだものを。さすれば、明治維新以降の歩みも違っていたのではないのか、ひょっとして海外あるいは大陸侵略もせずに済んだのではないか、と考える訳です。 > また、戦後の日本の社会は、中国との国交が数十年もの間日本側の事情により締結されなかったことや、戦争責任に対する無責任な日本人の態度など、私の目から見ると嘔吐を感じるような、欺瞞的な社会であると思えます。そのような戦後日本の社会を「善政」であるなどと賛美するれんだいこさんの感覚には、どうしても同調できないものを感じざるを得ません。 そういう風に論を持っていかれたらまともに議論することなぞできません。どこの国でも地域でもいろんなタイプの者が居るはずです。問題は、社会の上に立っている者がどういう心根で思想で指導するのか、これに対して下からの支えがいかほど強いのか弱いのかが問われているのではないでせうか。 日本の社会階層は大きく見て、ハト派とタカ派、守旧派と革新派、規制派と開放派、金権派と清貧派(が居たとして)等々が入り混じっており、次第にタカ派、守旧派、規制派の方が強くなりつつある。この連中はその度を強めるほど「戦争責任に対する無責任な日本人の態度など、私の目から見ると嘔吐を感じる」ようなものであろうと思います。 れんだいこの云う「善政」とは、ハト派、革新派、開放派が社会の上に立っていたと思われる一時期のことを指しております。「戦後日本の社会をなべて善政である」などと粗っぽく云うつもりはありません。この観点ユニークでせう?まだ市民権得ておりませんが。 > 問題は、宮本顕治が当局の意を受けたスパイだったかどうかということです。スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅ですから、宮本顕治が指導権を掌握した段階で、日本共産党は消滅の道をたどらなければなりません。 この理解は単純過ぎます。「スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅です」というのは非現実的です。人畜無害な団体に切り替えるのが究極の仕事ではないですか。 > スパイというのは、戦前の日本共産党がスパイに侵食され、あやつられた経験から、最大の憎悪を受けて当然の存在であり、日本共産党(やそれに影響を受けた左翼組織)で相手を罵倒する場合の最上位の単語だと思います。しかし、戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており、この言葉はそれにつれて実質が失われ、憎悪の感情だけが残った言葉となっているのではないかという印象を受けます。だから、宮顕が路線対立の対象ですらなく、スパイだというような言い方は、感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないかと思われるわけです。 云おうとしていることは分かるけど、例えば「戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており」なんてことはないでせう。宮顕に対して「感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないか」と云われても、個人的に感情的なものはありません。 > どうもよく分からないのですが、西欧にはすぐれたルネサンスがあり、その他の地域にはその要素がなく、やられたほうには問題があり、西欧の行為を「道義的」に批判しても仕方がない。西欧民主主義を評価しなければならない。れんだいこさんは、これでもかこれでもかと、西欧民主主義の「普遍的な」価値をくり返してきたのですが、それが、西欧の行為を批判するのはいわずもがなということなのでしょうか。 良いところは認めようというだけのことです。 > 私も言わせてもらえば、西欧社会が人類史において高い水準の文明と科学技術を創造し、社会科学的な面においても学ぶべき部分が多いということはいわずもがなであるという立場で立論しています。それを踏まえたうえで、実際的に日本が学んだような西欧の方法は少なくとも中国の問題を解決する手段にはなりえないといっているわけです。多分、アラブでも、アフリカでもそうだと思います。 当然、学ぶこと真似ること血肉にして行うこととは別で良いと思います。 > >西欧民主主義の評価については興味あるテーマですので別にスレッド立てて頂ければ参加致します。 > 体力の要る論争になりそうですが、研究してみたいですね。 ですね。歴史家でも上滑りなのが多いからあまり役に立ちません。れんだいこも未踏の分野です。 |
投稿時間:02/08/27(Tue) 12:50 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^13: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 |
猛獣文士さんちわぁ。 > 日本国憲法の骨組みは、平和主義、主権在民(民主主義)といったところではありませんか。交戦権の放棄というのが、多くの国では採用されていませんが(これも前例がないわけではないようです)、それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません。 戦後憲法の特質は、国際協調平和、象徴天皇制主権在民、軍事放棄、地方分権、文民主義、基本的人権の尊重等々あると思います。「それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません」で云われているのは「基本的人権の諸規定」のことと思われますが、生存権、教育権、諸自由権、抵抗権の各内実において内容がしっかりしているように思います。この価値は目を洗って確認すべきことではないでせうか。 > マックスウェーバーをたくさん読んでいるわけではないのですが、たまたま「社会主義」(講談社学術文庫)にそのような一節がありました。彼が学者として大変冷徹な分析力を持っていることは、歴史的に認定されているので、彼の民主主義に対する形式的な定義は信頼できるものと考えます。 > それに対するれんだいこさんの反論はいただけません。論旨があいまいで、どのようにも解釈できるので、その上に立って民主主義を評価することも、ある社会が民主主義の要件を備えているかどうかを判断する基準にもなりえないものです。 れんだいこ見解が聞きなれないというなら分かりますが、「論旨があいまいで、どのようにも解釈でき、判断する基準にもなりえないものです」と云われると、少しムッとします。れんだいこは、民主主義の内実に権力暴力の抑制という意味合いがあり、それを踏まえない「ブルジョア民主主義=形式民主主義」論は一面的と指摘していますが、明解で多義的でなく判断基準になり得ると思います。 「権力暴力の抑制」が生み出される背景として、中世の異端狩り、魔女狩り、反対派狩り体制に抗したルネサンスの歴史があり、西欧諸国はこれを継承して各国はお国柄の政情に応じて取り入れてきた。この流れの民主主義はとても貴重で、アジアであろうがアフリカであろうがアラブであろうが学ぶべき血肉化すべきだという論旨を展開しております。 > どのような政府でも、批判をまったく受け入れないということはありません。たとえば、江戸時代の社会を研究する成果を見れば、この社会が身分制度によって硬直していた社会ではなく、それなりに柔軟な社会であったという評価を見ることができるはずです。 それは秩序内の人材登用、社会改良の面では意外にしなやかであったという考察であり、体制反対派に対しては蟻の子一匹見逃さない水も漏らさぬ統制秩序を敷いていたことまで否定するものではないでせう。尤も、学問的レベルならかなり許容されており、むしろ現下の我が日本の学問より自由であったかも知れません。一揆とか騒動とか反乱に対しては徹底的に首謀者の見せしめ処刑を断じて行いつづけて参りました。そのたびに有能な士が抹殺され、それは社会的国家的損失であったと思います。もっとも人民側も対抗し、地下戦線を形成して参りましたが、それは幕府が「それなりに柔軟な社会」づくりに配慮していたからではないでせう。 > > どこの国でも地域でもいろんなタイプの者が居るはずです。問題は、社会の上に立っている者がどういう心根で思想で指導するのか、これに対して下からの支えがいかほど強いのか弱いのかが問われているのではないでせうか。 > どのような意味でしょうか。「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しないということ」を民主主義の要件とするならば、どのような社会にもいろいろなタイプの者がいるというのは、反論にはならないのではないでしょうか。 猛獣文士さんの戦前の植民地政策を肯定する勢力の存在の指摘に対して、そういう勢力は居るでしょうが日本人全員がそういう見解に立っている訳ではない。そういう意味で、「どのような社会にもいろいろなタイプの者がいると」と述べておりますが、どこかおかしいのでせうか。 > 日本の戦後民主主義には、すくなくとも在日朝鮮人・中国人という除外例があったと申し上げております。この除外例は無視できる程度のものであるとれんだいこさんが考えるとすれば、私は立場上、これ以上の議論には進めないといっています。ご理解いただけるでしょうか。 出入国管理令その他外国人の法的待遇は、戦後のGHQ革命の対象から漏れていたのかなと思います。そういう意味で恐らく戦前型の規制が今日まで続いているのでせう。問題は、他の諸国のそれと比較してどうなのかという観点と今後どうあるべきかという視点から早急に善処していくべきだと思っております。これだってやる気があれば指針作りできると思われますが、先例踏襲主義のお役所仕事では十年一日でせう。 > 戦後の日本の政権は自由民主党などに代表される保守派によって担われてきたのではありませんか。片山内閣のようなごく穏健な社会民主主義政権でも、多分国際的な政治的な影響下で、許容できなかった。このあたりが、社会民主党などの「社会主義」政党がなんども政権を担った西欧諸国の民主主義とは異なっており、これは一般的には日本における民主主義制度の不徹底と解釈されるものと思われます。 だから、右派と左派が抗争した結果、右派が政権を取り今日まで続いており、次第に戦後民主主義が形骸化され、こたびの小泉内閣の基で風前の灯化しているとの観点を披瀝しております。「日本における民主主義制度の不徹底」というより、左派及びハト派の能力と意思不足に原因があると理解しております。 > たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。 本願寺の体制内化と宮顕による日共の体制内化を同じ土俵で述べることはできません。というか、猛獣文士さんの宮顕観の意外性に驚かされております。宮顕を左派指導者の変種としてみなす観点が披瀝され続けておりますが、これが本音なのかな。同じセンテンスでケ小平路線を評価しているように思え、興味深いです。 > 非合法政党と合法政党では、スパイの活躍できる場が違うと思いますが、この考えは誤りでしょうか。単に否定するだけでなく、もう少し詳しく論じてください。 当局からすれば、非合法政党であろうが合法政党であろうが反体制運動に目を光らせるのが仕事でせう。私が詳しく論じるも何も普通に理解できることのように思います。 > > 宮顕に対して「感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないか」と云われても、個人的に感情的なものはありません。 > 個人的に感情的なものがないというのは、ひとつの条件でしょうが、宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います。 それは、左派運動を愛するという面で感情が入ることは免れません。それ以上の特殊宮顕に対する感情はないという意味ですが、「宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います」と云われると、そんなにややこしく論ぜねばならぬことかいなと思ってしまいます。 > どうも、よいところを認めるのではなく、悪いところを指摘することを抑止しているように感じます。 これでは水掛け論ですね。 > > 当然、学ぶこと真似ること血肉にして行うこととは別で良いと思います。 > 意味不明です。 西欧民主主義を学び、血肉化してその国に相応しい適用を目指せばよい、という意味のことを述べているつもりですが、「意味不明」でせうか。中国の諸子百家時代の諸観点、ギリシャ哲学史、ドイツでのマルクス主義形成過程、ルネサンス以来の西欧民主主義の価値、明治維新等々は全人類的な財産とみなしておりますので、そうはみなさない猛獣文士さんと噛み合わないみたいですね。私も少し疲れてきたかも知れません。 |
(私論.私見)