善隣学生会館事件(3) |
投稿時間:02/08/09(Fri) 23:29 投稿者名:れんだいこ タイトル:『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
やっぱり『3.2日早朝襲撃事件』について白黒つけませう。この事件を日共系はどのように説明しているのか。中共系は、日共武装部隊によるテロ事件で華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出たとしております。これに対し、日共はどう答えているのでせう。「朝7時ごろ、かれらは再び協会事務所に襲いかかり、防衛にあたっていた会員たちになぐる、ける、水をかけるの暴行をはたらく。7時20分ごろ便所に行こうとした森下常任理事に襲いかかり、全治三週間の重傷を負わせる。こうして協会事務局は完全に監禁状態になる」と報じておりますが、「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」ことは認めている上での反論なのでせうか。「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」というこの事件自体を否定しているのでせうか。 大阪の人さんはどのように見ておられるのですか。1、事件自体が捏造、2、逆に華僑学生側からの襲撃事件であり被害者である。3、華僑学生側からの襲撃に反撃した正当防衛の結果、一定の負傷者を発生させた。この3観点が考えられますが、どのようにお考えですか。猛獣分子さんコスモポリタンさんとのやり取りではどのように答えておられますか、教えていただければ有難い。やはり、こういうところの認識を正確にしておかないと、議論が生産的にならないのではないでせうか。 れんだいこがなぜ拘るのかといいますと、どうやら「善隣学生会館事件」での弁明は、「宮顕のリンチ事件」でのそれと瓜二つの気がするのです。両事件とも、いろんな見方ができるというような性格のものではなく、真実は一つなのです。それをお口を上手に回せて、クロをシロと言いくるめて居直る。あろうことか、相手側を詐欺師呼ばわりさえする。こうなると完全に狂気の言論となります。 しかし、そういう物言い常習犯が日共指導部を占拠しており、且つ数十年も占拠し続けているということになります。このことは、過去において運動上の由々しき過ちがあり自己批判した程度では免責されないという史実を持つことよりも、より深刻なことではないでせうか。左派戦線にあり得てならない白色人士が居座っており、それを崇めさせられているという構図になる訳です。ろくな指導ができないのも当たり前ということになります。そういう意味で、『3.2日早朝襲撃事件』について白黒つけることはとても大事と考えます。 さてそれからです。それでも宮顕系のプロパガンダを信じるというか鵜呑みにする大阪の人さんの感性の分析に入りたいと思います。標本として格好な人物のように思えます。 |
投稿時間:02/08/10(Sat) 13:39 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^2: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さんちわぁ。問題は、大阪の人さんが自分のくちで見解を語るだろうか、というところにあります。『善隣学生会館事件』全体ではなく、『3.2日早朝襲撃事件』という事件に限定し、判断をし易くさせて見ました。恐らく素敵な逃亡が始まるのではないかと推理しておりますが、見事この推理が外れますように。 補足すれば、『リンチ事件』でも、何やかや日共側の弁論を振り回していた者が、辻褄が合わなくなるや途端に貝になるということが珍しくありません。ルーマニア事件もそうですね。八鹿高校事件も右同じく再精査せねばなりませんね。しかしこうなると、日共指導部は一貫して弁論ペテン師の巣窟ではないかということになりますね。 話は変わりますが、真紀子が議員辞職しました。議員辞職したからといって免責しないぞと志位委員長がコメントしております。ところが、議員及び秘書手当てのピン撥ねは日共が元祖のようなもので、差額徴収もひどい。そのひどい者が平気で真紀子を論難して今後も追い詰めていくと云う。信じられますか、この厚顔狂気さを。 |
投稿時間:02/08/10(Sat) 14:39 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^4: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さんちわぁ。 > 八鹿高校事件は、興味のある事件です。 そこで今ふっと、ある街道筋に意識的に家を逆さに立てたレストランがあったことを思い出しました。家具から何から何まで逆向きにしてたそうです。れんだいこは評判だけ聞いて入らなかったのですが、最初は面白くてもやがてあきられました。 日共論理を家に例えれば、この逆さに特徴があり、よくぞまぁああいう家の中で生活できることよとあきれてしまいます。住人もよほど変わっていないと落ち着かないはずですが、よほど変わっているのでせう。もう何十年も暮らしております。 しかしよく考えたらこうなんですね。反共主義の砦としてわざわざつくった応接間であり、実態はずっぽり右翼反共主義の台所でワイガヤしているのですね。だからなんともない。時にまともに逆さ部屋に住み着いて体を悪くする者が出ますが、当たり前ですよね。その点で、大阪の人さんは理屈が分かっているからちゃんと使い分けできてるみたいです。 |
投稿時間:02/08/10(Sat) 23:58 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^5: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さん皆さんちわぁ。引き続き事件経過の資料を読み取りしているのですが、奇妙なことに『3.2日早朝襲撃事件』に関する日共系からの記述は皆無ですね。日共系は、事件不存在の捏造としているのでせうか。 宮顕のリンチ事件でも、『小畑、大泉に食事を提供したのかどうか』という質問のくだりになると、一様に口を閉ざし始めます。なぜなら、ああいえばこういう名うての詭弁プロたちも、『小畑、大泉に食事を提供したのかどうか』誰も答えていないから、答えられないのですね。傷なら、こちらが深いと云えば浅いと言い返します。しかし、食事の提供となるとイエスかノーかの二つに一つの返答しかできない。これは困るらしいです。 そのことを思い出しましたが、日共側のどの資料にも奇妙なほど『3.2日早朝襲撃事件』の記述が欠落していますね。大阪の人さんが答えられるかどうか、興味あるところへ話がやって参りました。恐らく遁走でせうかやっぱ。 |
投稿時間:02/08/11(Sun) 10:38 投稿者名:れんだいこ Eメール: URL : タイトル:Re^6: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さん皆さんちわぁ。サイトの中の共産党側の資料の「毛沢東との最後の会談」を今読みました。なかなか貴重な資料ですね。かの時の会談の様子を語っているものに目を通したいと思っております。宮顕の文はどれもご都合主義で塗り固められておりますので、信用できません。参考にとどめるぐらいが賢明だと思います。お手数ですが、中国側の論評とかこの辺りの資料を充実していただければ有難いです。 さて、それにしても『3.2日早朝襲撃事件』につき、あたかも存在しないかのようにコメントしない日共側の態度というのは問題ありですね。彼らの記述通りだとすると、それまでの流れからして断固正当防衛戦に打って出た、この過程で一定の負傷者が出たのは止むを得ないことであった、となぜ総括し声明しないのでせうね。ノーコメントは卑怯な態度です。 ふっと思うことは、これは宮顕のズル顕特有の手法なんですね。例のリンチ事件で小畑中央委員が咄嗟の逃亡過程で暴行死させられた。この時、普通なら予期せざる致死であるとして詫びれば良いのです。なぜなら小畑をスパイとしているのだから、その調査査問中に起こった不幸な事故として発表すれば、理解されるものです。 ところが、どう対応したか。まず蘇生に尽力したのが俺だと云う。死体を床下に埋めたのは、俺の指示ではなく他の者が勝手にやったから責任はないという。小畑の死亡は当人の体質的な突然死ではないかという。検視結果からすれば梅毒模様の所見が記載されていると愚弄する。死体に残されていた損傷は、押入れの中で当人が暴れて蒙った自損傷であると云う。 つまり、『3.2日早朝襲撃事件』同様に『暴行不存在』で徹底的に居直るのですね。社会党声明に対しても、宮顕が直接乗り込んで行き、堂々とクロをシロと云い抜いてクロをクロと云う社会党を逆に恫喝しています。誰にも真似できない異常な狂気が宮顕にはありますね。 しかしなんだな、その異常なる狂気の部分を宮顕の革命家らしいところとして畏敬する者が出る。ここにも約一名居りますが、世の中似た者が寄りテンション高めあうということですかな。しかし社会党もだらしないですね、その後どのように対応したのでせうか。恐らく表にて出ていない話があると思われます。何かの弱みをちらつかされて、もろもろの意味合いを込めて恫喝されたのではないでせうか。宮顕がわざわざ社会党本部に乗り込んでいるところが胡散臭い。れんだいこはそう推理します。 |
投稿時間:02/08/11(Sun) 20:29 |
猛獣文士さんご丁寧に有難うね。ぼちぼちで構いませんから為になる資料が手に入りましたらお願いします。 |
投稿時間:02/08/11(Sun) 20:26 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^9: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さんちわぁです。こうやって事実関係を丹念に立証していくことが百万言の罵倒より有効でせうね。何せこの件では、宮顕が社会党本部まで抗議に出向いていることを知りました。こうなると、公党間の関係になります。もし、宮顕の写真まで添えた居直りが噴飯ものだったとすると、これは由々しき政治的道義的責任問題が発生してしかるべきです。今日においても日共は謝罪を要するでせう。そういう意味で史実を明らかにしておく必要があります。 それにしても、当時の反日共系の方々が、こう云う風に論を詰めていかなかったお粗末さも感じます。感情が先行して糾弾に忙しかったのでせうが、論には論で反証していく作法がやはり必要ではないでせうか。れんだいこは、宮顕党運動は一事万事こう云う風に逆さ見解を強引に推し進めてくる性癖を感じております。どこかで、大衆的にこのことを確認せねばならないと考えております。 |
投稿時間:02/08/11(Sun) 22:55 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^11: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう |
猛獣文士さんちわぁ。 > しかし、現実にはそんなに簡単にはいかないようです。日本共産党のかたがたも大変プライドが高いようですが、それよりも、彼らの党史には、善隣学生会館事件における事実のごまかしのような部分がふんだんに含まれているので、善隣学生会館事件について少しだけ記述を訂正すると、そのことに端を発して党史全体を書き換えなければならないことになるようです。しかし、それを本当にやりきらなければ、日本共産党の本当の意味での発展もないのではないかなどと考えています。 > 多くの人々が日本共産党に期待して、結局、日本共産党は自らの限界を超えられずに多くの人々を裏切っているようです。これが彼らのぎりぎりの限界だとしたら、残念に思います。 本当に残念ですね。れんだいは若い頃、そういう変態性を知らされぬままこの党に人生を賭けようとしたことがあります。いろいろいきさつがあって信用するに足りないと見切り離れることになりましたが、今となっては大正解です。 この党は、より正確にいえば宮顕系日共は、嘘八百デタラメを傲慢に居直るところから始発させています。その端緒が「リンチ事件」でせう。あそこでついたクロシロ逆裁定論理が宿あのように纏いついて、次から次へとウソの上塗りをし続けております。この党が、従って善隣学生会館事件においての見直しなぞできるわけがありませんね。「少しだけ記述を訂正すると、そのことに端を発して党史全体を書き換えなければならないことになるようです」は、全くその通りでせうね。 ソ共でも中共でも、道中では過去の政策で大失敗という例は多々あるでせう。しかしそれを正面から見据え次の教訓にして、建国革命に勝利したのだと思います。それ以降も同じく失敗の繰り返しでせうが、やはり教訓化しつづけておると思います。しかし、宮顕系日共にはこういう作風はありません。全て正しく、正しいように事実さえ平気で捻じ曲げます。こう云う党には未来も何も腐敗しかないでせう。一言でいえば心根の違う最悪人士の巣窟になっているということだと思います。連中は砂をかむような味気ない生き方をしている筈ですが、でもファンがいるからねぇ、こればかりは説明できかねます。 |
投稿時間:02/08/14(Wed) 15:26 投稿者名:れんだいこ タイトル:あの文化大革命を語ろう |
皆さんちわぁ。れんだいこはまもなく文化大革命について考察し始める予定です。やはりこれを正面から論じないと今のままでは可哀そうというか、浮かばれますまい。史実考証と是非論の二視点からやってみたいです。本格的なのがない様子ですが、中国でもタブーかも知れないね。かなり難しいテーマですが請うご期待とご支援をば。 |
投稿時間:02/08/15(Thu) 22:47 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^2: あの文化大革命を語ろう |
猛獣文士さんちわぁ。 > れんだいこさんの自由闊達な発想には、感服します。しがらみがなければ、鋭い分析を振るえるのではないでしょうか。いいとおもいます。 有難うございます。練りあわせでいいものつくりませう。それはそうと大阪の人さんはお忙しいのか、ダンマリを決め込んだのか、逃亡なのか。いろいろ質問しているのですが答えてくれないですねぇ。日本人民のためにならないから答えないというところまでは判ったのですが、左派だったらそういう出し惜しみせずにやっぱオルグってくれないとね、残念ですね。 |
投稿時間:02/08/18(Sun) 09:03 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^4: あの文化大革命を語ろう |
猛獣文士さんちわぁ。 > 大阪さんは、完全に論破されて沈黙したのでしょう。 論破されたかどうか議論は入り口に達したところでが、日共の公式見解の陥穽箇所に彼が気づいたかどうか、そこが問題だろうと思います。日共のソフィスト達の盲従者でしかない己の姿を鏡に映せたかどうか、それでも得心する氏の姿は何者かそこが気がかりです。 宮顕は丁度巷では入院との噂です。新しいスレッド立てて下されば参加いたします。 > 宮本顕治氏が戦後の日本共産党を、非合法な反体制組織から、合法的な「革新」政党に変えたことをスパイと呼ぶか、修正主義と呼ぶかのキーポイントはどこにあるのでしょうか。スパイという言葉は、非常に卑劣な印象と憎悪を感じさせるものですが、単にそのような意味での呼称の変更は感情論とも受け取られかねません。 宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。しかしこの理論そのものが当局の許容する範囲のマルクス主義であり、それを主張する宮顕は偶然にそういう観点に立っていたのかどうか、解明を要するところです。 > 査問事件で無実の同士を死に至らしめたという点は(詳細は議論の多いところですが)大きな責任があるとはいえ、スパイという議論とは別の次元の話にも思えます。この辺、れんだいこさんは決定的な論拠をもっているのでしょうか。 この観点は、失礼ながら猛獣文士さんの認識が正確でないと思います。問題は次のことにあります。「査問事件は、宮顕スパイ説議論とは別の次元の話にも思えます」とありますが、別次元の話ではないと考えます。査問事件は、宮顕一派が党中央簒奪を意図して、先輩格の中央委員しかもわずか4名しか残されていないうちの2名を、スパイ容疑で拉致監禁し、査問して行った過程で発生した致死事件です。 この事件の真の狙いは、唯一の労働者畑出身の中央委員として希少であった小畑をテロルことにあったと思われます。その意味で、一緒に査問された大泉は刺身のツマのようなものです。事実、大泉へのテロルはソフトで小畑へのそれはハードです。実際に殺されたのも小畑です。 この事件は、真性スパイグループが政敵をスパイ呼ばわりしてそれを大義名分にして査問して行ったという白色テロル性にあるのではなかろうか、という観点から解明されねばならないと考えております。事は決して当時の厳しい党活動発生した止むを得なかった事件ではない、その観点はこの事件の持つ重みを平板化させると思います。 もし「止むを得なかった不幸な事件」とするなら、宮顕が通常の感性の持主であれば、そういう履歴を持った事を悔やみ党活動から遠慮するものでせう。実際には宮顕はどう動いたか、僅かばかり残されていた有能党員と戦闘的労組者にターゲットを絞って更なる査問を呼号し、指示しております。その他あり得てならない党員証の再提出取り付けに向かって行っております。以下書けばキリがありませんが、宮顕こそスパイでなければオカシイ動きを見せております。 この観点で見れば、戦後の動きもすべて変調です。戦後直後から5年間党運動を指導した徳球ー伊藤律派の運動に徹底的に逆らいます。この徳球ー伊藤律派の運動こそ本来の日共運動だったと考えられます。宮顕はその後、六全協で野坂と二人三脚することになりましたが、その野坂が多重スパイであったことが今日判明しておりますが、何十年もその野坂とタッグを組みえた宮顕とはそも何者か。通常はそう疑惑が向かうところでせう。この自然な論理の流れがなぜか遮断されてしまっております。 長くなりましたので割愛しますが、「この辺、れんだいこさんは決定的な論拠をもっているのでしょうか」とありますが、この種の人士に限って「決定的な証拠」を入手できるとは思いません。それがなければ推定できないというものではないと思います。れんだいこのこの観点に確固として立っておれば、善隣学生会館事件の際にもその他諸々の事件の際にももっと別な対応の知恵が湧いていたはずだと思っております。 そういう意味で宮顕論は避けて通れない一級課題だろうと思っております。ところがなぜか反日共系は、口では悪し様に云うがこの課題の考察に向かわない。変な話だと思っております。 |
投稿時間:02/08/05(Mon) 12:50 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^3:576 |
大阪の人さんちわぁ。短く参ります。 > > 大阪さん、れんだいこさんやコスモポリタンさんの質問には、ちゃんと答えてくれませんか。私も回答を待っているのです。 > ふふん。れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな。何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかにいうのは、性懲りがない、と言わざるを得ません。 大阪さん、上記の物言いは、猛獣さんとの間では攻めたつもりの遣り取りかも知れない。しかし、刺身のツマで利用された方の気分は良くないですよ、根拠があるのならまだしも。「れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな」と云われて、れんだいこにしてもコスポリ氏にしても穏やかでおられると思いますか。 議論の要領の性格が悪いというか、その場を上手に舌戦するためにそのたびに新たに問題を作っていく手法ですね。こういう論法に染まると次第に人格が悪くなりますよ。「【実際】の件では議論にならない、頼りにならない」と云うのであれば、少なくともその根拠を示さねばならない。れんだいことの遣り取りで、善隣会館事件の真相を廻っても、日共中央の素晴らしさ胡散臭さ論でも、何一つまともに議論されていないではないですか。ニモカカワラズ悪態つかれるのはいかがなものでせう。 事情を知らない者を上手に言い含める話法、天道説的な結論へ向けて口先を重宝に廻す。俺達が正義真実の唯一人士であると居直る。当局には軟派で恭順し猫なで声するが、逆に闘う側に対しては断固鉄槌派になる―これは宮顕・不破系の典型的な常套話法であり行動様式です。大阪の人さんが宮顕・不破系を支持するのは勝手です。しかし連中の要領までオウム写しにしなくても宜しいでせうに。 「何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかのように云う」なんて、自分が指摘されそうなことを先回りして相手に投げつけるというのも、宮顕・不破系の典型的な常套話法です。よほど病膏肓に陥っていることが分かります。議論系では議論しあって論証していく作法を大事にしないとね。 > それかられんだいこさんに(もう項を改めてレスをする気力も失せましたので失礼)一言。 「もう項を改めてレスをする気力も失せました」なんて、それは無茶ですよ。実質的な話は何もしていないし、こちらがお尋ねしていることについてもまだレスがありませんしね。で、上述のようにくさしてくださる。ご都合が宜しすぎませう。ちなみに、れんだいこの「敗北の文学」評でひざを叩いて笑った、というのはどの部分でどうおかしかったのですか、ご説明願えますか。 > 既に何かで活動している部分や、一定の議論ができる部分をツマミグイでひっぱってきて何かの「運動」を、しかも国民の苦難の軽減や、悪政の追及や、平和の運動を【抜き】に、ただひたすら「宮本路線の再検討」などを考えるというのは1)他所の運動への寄生虫のような自主性のなさ2)おしゃべりサークルでしかない3)国民の現実の苦難に思いをよせないで運動を異質なものへ変質させようとする、という性質をその根本に内在していると思います。知天にしてそれですか。あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました。あなたの歴史はそしたら「負け一辺倒」ということになりますな。 大阪の人さん、『あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました』って、今現在の状況認識ですか。日共は発展し続けていると本当に信仰しておられるのですか。ご確認いたしたく存じますので、ご説明願えますか。 |
投稿時間:02/08/06(Tue) 13:07 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re: 敗北の文学に纏わる宮顕論 |
猛獣文士さん、大阪の人さんちわぁ。確か正式の題名については「『敗北』の文学」であったと思います。『』付けの理由が特に観ぜられないので読みやすく「敗北の文学」表現で以下進めます。 れんだいこは宮顕論サイトで、芥川の自殺の要因分析での宮顕的観点を評価しました。但し気になることもあるのです。この観点にはどうも下敷きがあったのではないのか、宮顕のオリジナリなものではないのではないのかという疑問です。松山高校時代の文芸活動で同人誌が出されておりますが、その中で当時の仲間からこの観点が打ち出されているということのようです。 だがしかし、問題は次のことにあります。この観点が打ち出されているこの時の同人誌が現在散逸しているとのことです。蔵書されていた図書館でも該当部分がカッターナイフのようなもので切り取られているとか聞かされております。怪奇現象ですが、誰が何のためにという疑問を押さえる訳には参りません。決して偶然ではないでせう。 仮に、「当時の仲間からこの観点が打ち出されていた」ことが裏付けられると、「敗北の文学」の評価は格段に落ちることになります。可能性として、れんだいこが評価した宮顕の芥川論の秀逸性は、剽窃の疑いがあるということです。但し、この辺りは伝聞でして、そんなことはないちゃんと蔵書されているよということでしたら申し訳ないです。 該当の同人誌がれんだいこの目に触れられるならば、当然に「敗北の文学」の記述との比較を致します。宮顕の場合、唯一の名声である「敗北の文学」にしてそういう疑惑が付きまとっております。これに関しては、これ以上のことが分からず、どなたかにより解明されるのを期待しております。当時の該当文芸論を探し出してサイトアップしていただければこれは冥利につきます。 川端康成の自殺と芥川の自殺との比較につきましては、れんだいこはあまり関心がありません。その理由は、川端康成の自殺にあまり興味が無いからです。太宰治もそうですが、時に高名作家が自殺しております。しかし、芥川以外にはあまり関心がありませんので、内的関連まで掴もうという意欲が湧いておりません。従いましてコメントできません。 プロレタリア文学運動の文学史的成果は、あんまり芳しくない。それは世界共通とするなら、やはりイデオロギーを先行させ過ぎることに原因があるのかも知れません。1960年代の文化大革命初期に、「欧陽海の歌」という長編小説が中国で発表され、中国の文学界で「ロマンローラン」に匹敵する価値の高い作品であると評価されました、ということですが、ロマンロランの「ジャン・クリストフ」とかゲーテの「ファウスト」とかは、構図がとても気宇壮大で人生処世論に関する珠玉の言葉を連発しております。プロレタリア文学で対抗できるようなものを知りません。 「欧陽海の歌」を読んでおりませんが、「プロレタリアートの新しい文化の水準として、古い社会で生み出されていた文学作品の位置を基本的に置き換えるものであるということが望まれていたのであり、そのように評価された(あるいは要望された)」のは、そうあって欲しいあるいはそういう文学が出来て欲しいという願望がらみの評価なのではないでせうか。 ところで、宮顕は、「敗北の文学」一つの評価で、不思議なくらいにトントン拍子で党内出世街道を登りつめていきます。この過程を裏付けたいのですが、ここでも不思議なくらいに宮顕の痕跡は極力消されております。これってなんなんでせうね。 もう一つ。宮顕はプロレタリア文芸評論家としての名声をはくにして党内活動していきますが、その宮顕が指導したプロレタリア文学はどうなったか。蔵原惟人との二人三脚で手がけますが、無茶苦茶な指導で台無しにしておりますね。小林多喜二が気の毒で仕方が有りません。 それはそうと、小林多喜二の逮捕、即日拷問死にも疑問があります。多喜二の逮捕に宮顕が一役買っている可能性が考えられますね、ここは推理するしか出来ませんが。こういった諸々の意味で、宮顕論は通説を塗り替えるという意味があり、早急にもっと豊かに為されねばならないと考えております。世上にあるのは、ゼツ支持派とゼツ糾弾派の罵詈あいだけのような気がしております。そういうのはまさに趣味であり、生産的ではないと思っております。 |
投稿時間:02/08/07(Wed) 00:46 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re^3: 敗北の文学に纏わる宮顕論 |
猛獣文士さんちわぁ。れんだいこの宮顕論お読み進めていただいているようありがとうございます。かなりの分量ですので大変でせう。かくいう書いた本人が読み直しに辟易する量になっております。でも、どの章も意味ある内容ですので割愛することはできませんでした。 > ところがれんだいこさんは、宮本顕治が当初からの当局内通者であり、意識的に日本共産党の機能を停止させ、日本共産党の党機能の停止という結果をもたらしたといっています。宮本顕治は最初からマルクス主義者でなく、当局の意図にしたがって日本共産党を機能停止に追いやるためにスパイとして日本共産党で活躍し、ついに日本共産党の最高位について日本共産党をのっとったということになると、半端な仮説ではないですね。 そうですね。この仮説通りとすると、思想的に明晰な方ならばてんやわんやにならねばなりません。 > もしこれが本当だとすると、日本共産党という政党は、最初から最後までスパイばかりが活動していて、まじめに共産主義の理想を信じて参加した純真な党員もいたのだけれども、そのような人々は弾圧によって殺されたり、ひどい目にあっていき、最後に共産主義の教義を骨抜きにして体制内の人畜無害な組織に去勢され、幹部は共産党の名声を利用して、自己をまかなう領地として数十万人の支持者を支配している。支配組織の原理は悪名高き民主集中制となります。 毛沢東が、宮顕を評して修正主義だとか断じて革命家ではないと断定したことは慧眼であったと、いうことになります。 > まことに、目の前が真っ暗になるような話です。状況証拠としては、結果的にそのような経過があった気もしますので、理解はできるのですが、実証はほとんど不可能であるようにも思えるほど困難だと思います。この辺、もう少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか。実際、にわかには信じがたい話です。れんだいこさんのホームページでの宮顕論はみました。 いろいろお尋ねください。対話弁証法こそれんだいこの願うところのものです。付言すれば、善隣学生会館事件でも、日共批判の方たちがれんだいこ観点で理論武装しておけば、もっと違った有効な対応ができたと考えます。日共を批判しつつ他方でその指導者宮顕を『獄中十二年非転向唯一タフガイ人士』として認める脇の甘さが、批判運動を系統的持続的なものに為しえない要因になったと考えております。 野坂とか宮顕は調べれば調べるほど臭いです。その事実を、こういってはなんだけど皆さん知らなさ過ぎる。従って、彼らが流した今も流している害悪に無自覚過ぎる、という思いを持っております。 |
投稿時間:02/08/06(Tue) 13:37 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re: 【枝】敗北の文学についてちょっと |
大阪の人さんちわぁ。 > 「『敗北』の文学」であります。新日本の文庫で今も売られています。 これですが、「『敗北』の文学」が掲載されている書物は新日本の文庫以外にはないのでせうか。れんだいこの該当サイトのところでも記述しましたが、「つるはしを打ち下ろせ」云々のところが確かバールとか別の表現であったような気がしてなりません。どなたか「『敗北』の文学」が書き換えられていないかどうか確かめてもらえたらありがたい。一番確実なのは、改造に載った原文章です。あれを手にしてみたいと思っております。大阪の人さんなら容易に手に入るでせうか。 > それから当方がれんだいこさんのHPで「膝をたたいて笑わせてもらった」のはれんだいこさんのながたらしい「評論」の方ではなく、それへの読者の反批判であります。芥川 > 宮本 > れんだいこ > 読者(名前失念)の最後の読者さんの目のゆきとどいたれんだいこさんへの批判(諌言)がなかなか見ごたえがあって「一本とった」というのが私の膝を叩かせたのであり、まあれんだいこさんがこれをそのまま掲載しているのが氏のふところの一定の深さなのかなと思ったので一行その旨を書いたのであります。つまり単純なばかにした意味ではない、ということだけは誤解なきように。 そうですか。それならそのように書いて下さらないと、あの書き方ではれんだいこの本文に手を叩いて笑ったと誰でも読むでせう。それは構わないのですが、どこがということを聞いてみたくなるのが自然です。こたびのレスで吉野さんの投稿文に「我が意を得たり」と手を叩いて笑ったということが分かりました。 吉野さんを巻き込むのは本意ではありませんが、吉野さんはその後のれんだいこ宮顕論に対してコメントされませんでした。しかしそれは問題が残されているのです。宮顕の逮捕時の様子とか獄中闘争ぶりについて、吉野さんは「獄中12年唯一非転向タフガイ人士」としての宮顕論観点から擁護しております。れんだいこは全く怪しいとして種々意欲的に資料を提示しつつ胡散臭い論を書き上げております。本来なら、反論があって然るべきところです。 というか、さざなみ通信まで巻き込むのは本意ではありませんが、同通信管理者もれんだいこの問題提起を受けて、相互論証していく舞台を作るべきなのです。こういう重要なところを曖昧にしたまま漫然と見解を述べつづけるというのは、少し作風に問題があります。リンチ事件も含めて、れんだいこ見解が間違いなら間違いと論証せずんば議論が生産的になりません。宮顕は何と言っても、現下日共の総路線を敷いた立役者なのです。その人物が当局のスパイではないかという問題提起を無視してよい訳がありません。れんだいこは資料に基づいて論を構成しているのですから、反証するのが通常のマナーです。 皆さんそういうところを避けている風があり、れんだいこも敢えて問題にして参りませんでしたが、やはりここは避けて通れないのです。こういう点、大阪の人さんはどのようにお考えになられていますか、お聞かせ願えますか。 |
投稿時間:02/08/06(Tue) 17:02 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re: 【枝】「『敗北』の文学」剽窃の意味について |
大阪の人さんちわぁ。 > その読者さんには読者さんの理由があっただろうし、それに対して「反論があって然るべき」というのはいかがなものかと思います。当方は「一本あり」と思ったのです。この人も蛇足はしたくなかったのでしょう。 少しうろ覚えになりましたが、吉野さんは、宮顕の母が獄中見舞いに来て宮顕の顔が膨れているのを見て「可愛そうに」云ったという下りでのれんだいこ解釈に異議を唱え、れんだいこがその異議に再批判申し上げております。通常は、再々批判があるところです。議論というのはそういう風に進むものです。しかし、れんだいことの遣り取りが嫌になったから止める式の中途半端になっております。 「一本あり」についてですが、れんだいこには、審判が両手を水平に交叉させて無効としているように見えます。しかしまっ事が重大過ぎてコメントできないということも考えられますので、そっとしておいております。 > それから「『敗北』の文学」剽窃説ですが宮崎学氏がどこかで書いていますね。オリジナルは誰ですかね。たとえば剽窃であったとしたら、その悪い所もよい所も全的に否定されます。しかし悪い所は宮本氏のものに違いなかろうが良い所はオリジナル作者のもの、というような「分析」を見たことない元「『敗北』の文学」を基に議論するのは不毛であります。 もし「『敗北』の文学」における芥川論の部分が剽窃ということになりますと、宮顕のオリジナルな部分は、「野蛮な情熱で」この半端野郎につるはし(バール)を振り下ろせということ以外は見当らなくなります。こうなると「『敗北』の文学」の面相が全く変わって参ります。 もう一つ付け加えるとすれば、マルクス主義の歴史法則的な公式主義観点に過度に依拠する宮顕論が見えてまいります。当時では戦闘的にみえたかも知れませんが、今日からするとナンセンスな態度になります。つまり、良いところというのがどこにもなくなる訳ですね。剽窃説には、そういう重大な意味が込められております。 |
投稿時間:02/08/05(Mon) 13:17 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:理論活動はとても大事です |
コスモポリタンさんちわぁ。 > 狭い意味での「運動」にかかわることがなくても、社会進歩のために有用なことをなしうる人はたくさんいます。れんだいこさんのサイトもその一つです。代々木の正体を暴くことは社会進歩への大きな貢献です。代々木に騙される人が減れば減るほど、さまざまな運動に代々木がもたらす被害が小さくなるのですから。 うんよう云うてくださった。れんだいこサイトの意義は恐らく死してのち輝くでせう。なぜなら、表見左派は狭量人士の巣窟でありまして、意図的に無視してくださりますからねぇ。こう云う場合、死したら認められるものです。そして提灯記事が何本も出るでせう。過去の歴史でそういう事例になっております。人間性つうものはそうは変わらないので、抵抗せずその波間に任せております。 一言添えれば、なぜ理論が大事かというと、人間という生き物がそういう生理構造になっているからだと考えております。他の動物は本能を研ぎ澄ましておりますが、人間という種族はその方面を減退させた代わりに頭で納得し、そうした過程を経て共同行動化させることにより特倍加する力を発揮するという特質があると思っております。 今左派戦線がへたっているのは、理論が現実を捉えていない現実の要請に応えていないからだと思っております。例えば、戦後という時代の認識でも、どうも理論が違うのではないか、それは日共も社会党も新左翼もみんな捉え損ねているという仮説を持っております。現下の小泉流構造改革路線に対しても、論としてきちんと対置できないから、為すがままに進行を許しているという認識をしています。左派の運動論、組織論、現状分析、政権論、革命論、諸外国友党との関係論、経済政策論等々どれをみても、一歩踏み込めば分からないところだらけではないでせうか。 おかしなもんで、そうだから逆に難しく語り、あるいは何を言っているのか分からないような玉虫色理論が流行したり、著作権で囲いあいコミュニケーションしにくくし合っている。それらに幻惑されて、さすがは先生なんておだてあげる上下関係構図ができておるように思います。こういう虚構を撃つというのも大事な作業ではないでせうか。 |
投稿時間:02/08/07(Wed) 23:50 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re大阪の人さんの左派的資質を疑う |
大阪の人さんちわぁ。少しお付き合いを。 > などという内政干渉や革命の輸出路線を今(21世紀)になって蒸し返して日本に押し付けないで頂きたい、ということであります。 ここですが、れんだいこもくどいほど申しておりますように、宮顕の当局内通派としての正体を知れば、中共が修正主義だと規定したり、宮顕式日共理論に騙されてはいけないと警告するのは、そんなに悪いことのように思えませんがね。毛沢東は、建国後の経済建設指導に失敗したことや晩年カリスマ化したことにより評価を下げておりますが、建国過程での厳しい革命闘争を勝利的に指導した第一人者であることは疑いないでせう(道中問題がない訳ではありませんが)。 そういう革命家である毛沢東や周恩来からすれば、宮顕がとてつもなく胡散臭く、共産党の指導者としては全く異筋の人物であると警告していたのであって、それは有り得てよいことのように思いますが、このれんだいこ見解如何でせうか。 > 可能性はあらゆる方面にあると思います。全的に未来にばら色を保証をするつもりはありません。しかしプロレタリア文化大革命のような三角帽子や首看板、ジェット機式腕ねじりあげ、つば吐き、赤い本を振りかざしてあらゆる仕事に差し障り発生、忠字舞、個人崇拝、奪権などは是非とも勘弁願いたいものであり、そのために路線を見直してきたのが日本共産党の30数年ではないかと思います。 ここも勝手な理屈ですね。なるほど文化大革命での遣り過ぎと混乱が今日知らされており、そういうことまで是認する必要はありませんが、「そのために路線を見直してきたのが日本共産党の30数年ではないかと思います」というのは美化し過ぎでせう。大阪の人さんの認識によれば、その後日共は着実に党勢を伸ばし、「70年代の遅くない時期に民主連合政府の樹立」はならなかったけれども、「21世紀の早いうちに民主連合政府の樹立」はできそうだとお考えですか。不破は、資本主義の利潤の分配式をもう少し労働側に廻るよう夢見てそう働きかけるのを余生の政治活動にしたいようですが、そういう路線が素晴らしいですか。どういう返答が為されるのか面白いから聞かせてください。 > これは日本の保守層が中国を攻撃する際の手法とあなたとが合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。 れんだいこは、日本の支配層が説教するお話とあなたのお説が何から何まで合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。マジどう見ても聞いても、大阪の人さんは日共の方でもないような気が致します。通常の感性なら宮顕系の遣り口を許しがたいとするところ、そういうやり口だから宮顕系を支持するという何というか当局者の方であるような。観点がそれほどひどいという意味ですが、どういう経路によってか分かりませんが実際根っからマルクス主義を嫌悪しているのではありませんか。 |
投稿時間:02/08/08(Thu) 13:52 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^2: Re大阪の人さんの左派的資質を疑う |
大阪の人さんちわぁ。 > れんだいこさん。本格的な【実際】の議論に踏み込みもせずに、よくもいくつもここに書き込みができるものだと感心することしきりであります。 大阪の人さんが云われる『本格的な【実際】の議論』の中身はどんなことでせうか。具体的に教えてくだされば参戦いたします。曖昧に云われると云い勝ちなんですよね。 > 私はそのような狭い「おしゃべりサロン」で「名誉」を受けたくないし、左派的資質などよりも、ここの問題の本質に迫る肝心かなめの資質は1)内政不干渉の原則の承認であり、2)負傷者や犠牲者をなるべくでないように問題を対処する知恵を承認することであり、3)事実を直視する事であります。 この「おしゃべりサロン」というもの云いで相手をやり込めるのも宮顕直伝の話法ですよね。大阪の人さんがこの汚染から抜け出せるようになるのはいつの日なのでせう、楽しみにしたりご心配申し上げております。 肝心かなめな事として1)内政不干渉の原則の承認であり、とされておりますが、今はもう叶えられませんが、各国の共産党がベトナム反戦とか国際的な運動を廻って、あるいは各国の党の政策のを廻って、俎上に乗せ検証しあうことはむしろ必要なことで、『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。 国際共産主義運動に一元的あるいは二元的指導部を作る必要はありません(史実はそのようになりましたが)。が、先行して革命に勝利した国の共産党から成功事例として教訓を学ぶことは、ごく自然に必要なことではないでせうか。そういう党からアドバイスを受けることも、例えば日共の政策を検討して貰う事も決して悪いことではないでせう。そういうのを『干渉』と云う必要がどこにありませう。当然逆に、いくら先輩格の党だからといっても、日共からソ共、中共の政策とか運動の進め方に意見を具申することも認められるべきでそう。 問題は、日本革命の展望に於いて、ソ共はソ共なりに中共は中共なりに西欧の諸党もそれなりにアドバイス的見解を出したとしても、それをいかに判断し実際にどう取り組むかは最終的には党大会で日共が自主独立的に為すことであって、強制指導される必要はない。しかしこのことと、『内政不干渉』という美名で何らのコメントもさせない、というのとでは作法に雲泥の差があるでせう。 > あなたはもしかしたら先にお伝えした元天理高校野球部監督で奈良のどこかの市議をしている(たしか清水さんとか言ったかな)あの人の議論を見つけて、あるいは実際にあって、あなたの疑問をぶつけてみてはいかがでしょうか。少なくとも相手はあなたと宗教上の土台では共通であり、対話の相手として不足はなかろうと思います。 > れんだいこさんが日本共産党の熱烈ファンになるか、 どちらもピンぼけな設問です。それよりも、大阪の人さんにはいくつか質問させてもらっているのですが、なぜかお答えがいただけない。結構皆さんも興味深いところをお尋ねしているのですがねぇ、例えば直近では民主連合政府樹立の話はどうなりましたか、あれはまだ有効ですかとお尋ねしております。もったいぶらずに、私はこう考えておると自説をご開陳されれば宜しいですのに。 あっそれはそうと私のサイトの論文集に『善隣学生会館事件』をアップさせていただきました。ご確認のほどをお願い申し上げます。それともう一つ、この掲示板での遣り取りも私のサイトに収容することご了承お願い申し上げます。世のため人のため後世の為に何とぞ胸襟をお開き下さいますよう併せてお願い申し上げます。一応確認しておかないとね。 |
投稿時間:02/08/09(Fri) 13:34 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^2: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい |
コスモポリタンさんも猛獣文士さんにもちわぁ。 > > 国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠です。それぞれの国で勝手な行動が許されるのなら、第二インターのように各国の党が自主独立の立場の参戦を支持することになるでしょう。国際共産主義運動というからには、全世界的な単一組織でなければならないのです。これは1914年から1919年にかけての革命派の主張(たとえばレーニン)を見れば明らかでしょう。 > 教義の問題もあるでしょうが、実際問題として、コミンテルンなどが一元指導した場合に、そのために各国の運動が失敗したという経験があることも事実と思います。たとえば、日本共産党の50年問題。あるいは、中国革命が成功したのは、毛沢東がコミンテルンの指導にさからって農村根拠地を作り、その毛沢東の指導的な地位か確立したからだという経過もあります。 問題は、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は、事がうまく行った時のお話です。史的経験としても逆目に作用した歴史がある以上、何らかの手立てを講ずることなしに「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論をそのまま説くのは無謀ではないでせうか。 理論として理念としてはそうだが、チェック機構が必要だ、ならばどう立ち上げるのが良いのかが問われていると思います。れんだいこ理論としては、少なくとも三年に一度はテーブルを設け喧喧諤諤すればよい、すべきだ、しかし決定はその国の組織が自主的主体的に方針を打ち立てるべきだで良いのではないかと思っております。この場合当然、党内反対派も分派も複数の共産党的党派も認められ、相互に切磋琢磨すべきだと考えております。そしてみんな参加して良いのです。こういう議論のテーブルが著しく欠けているところに世界も日本も左派運動がうまくいかなかった原因があるのではないでせうか。 それを宮顕的に、例えば日本の指導部は、何を方針としてどのように運動しようと、誰からも文句つけられる筋合いはないというのは、居直りであり反動的王朝理論というべきではないでせうか。この場合もそうですが、うまくいかなかった時の安全装置がない理論です。してみれば、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は教条主義で、宮顕式内政不干渉論は極右理論とでも云うべきではないでせうか。やはり組織論の中にルネサンス精神その他諸々がいるのではないかと思っております。 |
投稿時間:02/08/11(Sun) 14:39 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re^4: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい |
コスモポリタンさんちわぁ。 > > 問題は、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は、事がうまく行った時のお話です。史的経験としても逆目に作用した歴史がある以上、何らかの手立てを講ずることなしに「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論をそのまま説くのは無謀ではないでせうか。 > コミンテルンの堕落は、ソ連が国際プロレタリアートから自主独立し、コミンテルンを世界革命の組織からソ連外交の付属物に変えたことによって起こりました。コミンテルンの存在が問題であったのではなく、むしろ逆に、コミンテルンがソ連共産党を指導できなかったことに問題があると考えられます。(イタリア共産党のボルディーガなどは、「ソ連は国際プロレタリアートの財産であるから、ソ連共産党ではなくコミンテルンがソ連政府を指導すべきだ」と正論を主張していました。) コスモポリタンさんが云おうとしていることは分かるし、理論的にはその通りかも知れません。しかし、れんだいこは、「コミンテルンがソ連政府を指導すべきだ」には当時においても現実性がないと考えます。なんとならば、ものの見方は穏和主義と急進主義、改良主義と革命主義、楽観主義と悲観主義等々に分かれるのを常とします。指導部がそのどちらかを選択せねばならないにも関わらず、実際にはどちらが良策か不明という事柄が多いのではないかと思う訳です。結局断じて行う以外にありません。 但し、その断じ方は多様にあるべきで、そういう意味ではリスク分散で、各国が各国の主体において考え実践し、その経験の交流を忌憚なくした方が良好な結果が得られるのではないでせうか。 そういう延長上に国際主義というのがあるべきで、各国の実情、人民大衆の成長を慮ることなく公式的な指導というのは却ってうまくいかないと考えます。言語で考えれば、エスペラント運動がなぜ広がらなかったかの問題と同じではないかしら。 > 革命的国際主義に立脚する政権(初期のソ連)でさえ、現実政治と世界革命の間にアツレキは避けられないでしょう。革命の国際組織が、社会主義政府の外交機関に対して優位に立っていなければ、最終的には現実政治の必要性のために国際主義が放棄されることになると思います。このために、国際組織による指導がどうしても必要です。 「国際組織による指導」ではなく、国際組織はあるべきでその組織は国際主義の観点から不断に見解の擦り合わせを行うべしというのなら同意します。 > 初期のコミンテルンにおいては、激しい議論は行なわれていました。ドイツやオランダの「極左派」は、レーニン的な共産主義運動を否定し、労働者の自主性を重視する共産主義運動を唱えました。(反議会主義、労働者の自主的組織としての評議会など) > ドイツ共産党から分裂したドイツ共産主義労働者党(KAPD)も、コミンテルンからシンパ組織として認められています。私の考えとしては、初期のコミンテルンは組織拡大をあまりに重視しすぎ(革命が切迫していたわけですから当然とも言えますが)、その結果として官僚的・日和見的指導者を大量流入させてしまったのではないでしょうか。 というか、れんだいこは、物事はカオス的ごった煮情況を良しとしてそこから出発させようとしております。レーニンは初期段階では一定これを認めておりましたが、情況の厳しさかに連れてかどうか統制主義的な専制手法を導入していくことになりました。この流れがスターリニズムに掠め取られ流し込まれていったのは周知のところです。 晩年のレーニンがどう思っていたのかあるいは悔やんでいたのか興味あるところのように思います。又別の観点でトロツキズム的指導もあります。問題は、反対派の粛清に繋がるような権力はダメだということではないでせうか。同じ理想なら、異論と党派抗争は大いに結構、これを常態とすべきだ。コミンテルンも党内も、常に不一致で抗争しつつ最終的に議案が採択され、そういう過程を通じて革命のエネルギーを高め続け、全体的に釣り合いが取れて目的を完遂しつつある、というのが望ましいとしたいと思います。 |
投稿時間:02/08/23(Fri) 09:15 投稿者名:れんだいこ タイトル:Re: 何が左派だ、バカにするな! |
大阪の人さんちわぁ。せっかく掛け合いできそうな御仁と出会えたのに、このところ久しくお顔を見せられませんね。少し寂しいだな。自覚されているのか無自覚か分かりませんが、大阪の人さんは今時珍しい「理論的に」日共党中央を擁護為される貴重なお方です。他の多くの者は長過ぎる拝跪型指導により自分の頭で考えることができなくなったみたいですが、その点大阪の人さんは偉い。自分の観点を持っており、なぜだか分かりませんが考えた結果、宮顕ー不破理論及び指導と波長が合うようです。これはかなり稀有な例だと興味を覚えております。そういう意味で、もう少し語らいしたかっただな。再登場あれかし、そして語れ。 それはそうと、丁度「暁の襲撃事件」に対する日共見解をお聞きしたところから逃亡が始まっております。これは日共が巧妙にノーコメントしている故に大阪の人さんにも答えられない箇所となっているという意味でせうか。答えられるけれども、れんだいこには答えてあげないという意味でせうか。少し気になっております。 |
投稿時間:02/08/09(Fri) 13:18 投稿者名:れんだいこ Eメール:rendaico@marino.ne.jp URL :http://www.marino.ne.jp/~rendaico タイトル:Re: 何が左派だ、バカにするな!おやおや |
大阪の人さんちわぁ。大阪の人さんの取り柄は反面教師のところにあり、そういう意味で貴重人士ですね、これマジ。 > ま、れんだいこさんが「痛くないこわくない」議論をそちらのHPでダラダラなさるのはご自由に。ただしざっと拝見しただけでも猛獣文士さんに比してもその事実経過や文献の整理に関して【デタラメと拙速】が目立ちます。クオリティが低いということ。 大阪の人さんにとって「クオリティが高い」ものにどんなものがあるのでせうか。教えてくださいますか。いつもはぐらかされてるけど、れんだいこはこうやっていつも正面から問いかけしております。 > れんだいこ氏は寺尾五郎の本は何か読んだのか。さすがに寄生虫ですなあ。 確か、親鸞ものを読んだことがあります。なかなかいいせんで親鸞像を描いていたと記憶しております。他には雑文でいくつか読んでいる程度です。 > > この「おしゃべりサロン」というもの云いで相手をやり込めるのも宮顕直伝の話法ですよね。大阪の人さんがこの汚染から抜け出せるようになるのはいつの日なのでせう、楽しみにしたりご心配申し上げております。 > 「汚染」から出たはよいが、今度は別の汚染にどっぷり染まってやはりおしゃべりサロンになるのではダメです。 この文意によると、「汚染」されているという自覚はあるという意味ですか。同じ汚染なら宮顕汚染を意識的に選ぶんだという決意風に読み取れますね。なして宮顕汚染を好まれるのですか。 > > 『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。 > 私に言われても困ってしまいますね。私はもっぱら内政不干渉で通した事を誇りに思うばかりであります。 これについてはコスモポリタンさんが適宜注釈してくれておりますが、日共式内政不干渉排斥論は、論理構造がそっくりそのまま反政府運動排斥論とも重なりますね。要するに、大阪の人さんの何が何でも「私はもっぱら内政不干渉で通した事を誇りに思うばかりであります」論調は、強いものに巻かれろ、党内は「民主集中せよ」、国民は「一億一心せよ」、最終的には誰のお陰で飯が食えているんだ式の権力理論と裏表になるのではありませんか。 > > それよりも、大阪の人さんにはいくつか質問させてもらっているのですが、なぜかお答えがいただけない。 > ここのHPで必要な範囲はもう大方述べました。あなたの必要に答えても国民のためになるかどうかはわからない。国民のためにならない可能性の方が高いね。あんなデタラメHPではね。 大阪の人さんの「国民の為になるならない」の仕切りはどこに置かれているのですか。その基準は誰が判定するのですか。国民のためとかいう建前美辞麗句を使われておりますが、実践的には極めて権力的な物言いだということがお分かりになられないのですか。宮顕の常套句ではありますがね。よく「無辜の民」とか「無辜の党員大衆」とか言い回ししますがね。 それにしても、「国民のためになるかどうかはわからない」から応える必要はない、とは、重宝なおくち回しですね。 |
(私論.私見)