善隣学生会館事件(1)

[515] Re: スパイに手心大阪の人 投稿者:れんだいこ
投稿日:02/05/06(Mon) 14:08 <
URL>
 突然参加失礼します。何気なく散策しておりますと、小生の関心あるテーマで遣り取りされています。是非闖入させてください。大阪の人さん、コスモポリタンさん始めまして。さて、いきなりですが突っ込み入ります。

> しかも同志的に通知したりしているのではなくて 敵たる日本共産党が全体として敵の手に落ちている、というようなデマを振りまきながらの【指摘の中の一つがまぐれ当たり】で当たっていた、ということでありまして、この周恩来氏の指摘がたまたま当たっていたとしても、その指摘の仕方がそもそも道理節度のないものでありますれば、日本の運動に対して何らの資することもない、意味のない”忠告”であったわけです。

 これはどういう意味でせう。今日野坂がソ連あるいは米国特務機関のエージェントであったことは確認されていますでせう。問題は、日本の特高特務機関との意思疎通性ですが、これから確認されてくるでせう。この見解はそろそろ公認されても良いのではないでせうか。

 周恩来の指摘を【まぐれ当たり】とみなす見識にむしろ感服します。その野坂変調指摘が、【日本の運動に対して何らの資することもない、意味のない”忠告”であった】とみなし、それ以上を詮索しないとはかなり安逸な方ですね。史実は、既に党に君臨していた宮顕にとって、六全協以来の盟友野坂のイカガワシサが明るみに出ることは、とりも直さず自身にも疑惑が及びことであり、それが為にも周恩来の指摘のひた隠しに努めた。その結果、【意味のない忠告にされた】のではないのですか。

> 周恩来氏というのは、かようにウソも平気な卑劣漢であります。

 周恩来と宮顕を比較して、周の方を矮小姑息分子扱いするとは。例えて云えば、針小棒大のうち針のほうを大きく棒の方を針のように見なす逆転評価でせうね。どのように学べば、そういう見解が生まれるのでせう。見解は自由ですが、毛沢東−周ラインの評価を貶めれば宮顕のそれが上がるものではなく、実績と限界をそれぞれにおいて見ていくべきではないでせうか。

 もっとも滑稽なことに、れんだいこから見て、宮顕の場合評価されるべき実績が一つもないのですが、大阪の人さんかくかくしかじかがあれば教えてくださいますか。これが聞きたくてレスさせていただいた訳ですが、宮顕が入党して以来何か一つでも人民大衆の為になるものがあれば聞かせてください。おとろしいことに、れんだいこには一つも見当たらないんですよ。

[516] Re^2: スパイに手心大阪の人 投稿者:れんだいこ
投稿日:02/05/12(Sun) 11:25 <
URL>
 管理人さん皆さん突然の闖入迷惑だったのでせうか。構わずどんどんやってくださいね。そういえば、まずは管理人さんに挨拶しておくべきでした。今後とも宜しくお願いいたします。

[518] Re: はじめまして 投稿者:れんだいこ
投稿日:02/05/13(Mon) 13:03 <
URL>
 猛獣文士さんちわぁです。目を通せていませんが、結構貴重な情報がありますね。適宜使わせて欲しいのですがどうでせう。私のサイトはリンクも引用も転載もフリーにしていますが、それが一般的とは云えないようですので確認です。

> れんだいこさん、はじめまして。さざなみ通信の記事や、ホームページを拝見しています。

 有難うね。ここのサイトの関連をれんだいこ観点から云えば、中国の文革をどう見るのか、その過程での権力交代劇を的確に分析せぬばならぬなと考えております。特に林彪評価と五人組評価問題は依然未総括になっているのではないでせうか。ここができていないから、大阪の人さんのみならず宮顕―不破論理の跋扈を許すようになっていると思います。意欲はあるのですが知識が乏しいのでこれ以上はコメントできません。

> 私は、大阪の人さんの性懲りもない復活を強く望んでいます(そうでないと、議論が成立しない)。

 そうですね。れんだいこは大阪の人さん自身の論理形成経過に興味があります。宮顕―不破ラインの見解をまともに支持し得るなぞは、正常感覚では為しえないことだと考えておりますので、得心したい気分です。それにしては知識をふんだんに持っており、それでなお且つそういう見解になれるところが天然記念物的であり、しゃしゃり出てこざるを得ませんでした。こちらこそよろしくね。

[520] Re: リンク、引用等について 投稿者:れんだいこ
投稿日:02/05/13(Mon) 21:03 <
URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。

> 特にそのようなことを明記していませんが、私のサイトもリンク、引用、転載はフリーです。そのようなことは、あまり想定してもいませんでしたのですが。とにかくそうです。

 ありがとうね。れんだいこも想定していなかったのですが、結構責められており一応確認させていただきました。

> 中国の文化大革命の問題、その過程での権力交代、林彪、四人組の評価ですか。いずれも大変難しく、気の重い課題です。そのような問題意識からの分析が与えられれば、それは、もちろん、歓迎できる情報です。

 「気の重い」という言葉の行間に伝わってくるものがあります。れんだいこは軽軽しくは扱うつもりはありませんが、何やもやもやとしているのも事実です。しかし、判断できる資料が乏しく当分続きそうです。

> とにかく、大阪の人さんの性懲りもない復活を期待しています。

 れんだいこもむしろ大阪の人さんと話してみたいですね。コスモポリタンさんとの話の途中の腰を折ったかな。コスモポリタンさん申し訳ありませんが、何や呼び水お願いします。とか書いたら逆効果かいな。

[521] 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/05/16(Thu) 19:44 <URL>
 少し責任感じて新論点提供させていただきます。れんだいこも注視しているところですが、分からない。今後中国はどう変貌するのでせう。一説には、超大国になるという視点もあります。一説には、いずれ現体制は空中分解するという説もあります。仮にこの場合その後はどうなるのでせう。中国のパワーは素晴らしい。この点では異存ありませんが、今後が分からない。米中と日中の絆はどちらが強まるかとか、どなたかご教示ください。というか、推定しあいませう。

[523] Re^2: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/05/18(Sat) 01:27 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。既に酔い気と眠気がありますが、許されて。

> れんだいこさんに答える参加者も少ないので、私が貧しい知識からレスします。

 いやぁ私も知識は皆目ありませんのでどんどん教えてください。中国の経済発展のスピードは凄いらしいですね。まもなく、中国企業への就職を求めて我々の末裔が下級労働者身分で出向くことになりそうですね。これもしゃぁないね。問題は、そうなると中国の共産党独裁の支配体制がどうなるのかなんでせうね。『将来的に政治的な民主化の方向に向かうことになるのではないかと思います』ですが、やはりどっかで矛盾の飽和点に達するということはないのでせうか。

> 独裁政府が、個人独裁者のレベルで腐敗しきり、硬直し、その政府自体を放逐する形で、民主化が実現する場合と、比較的内発的に民主化が形成される場合です。中国共産党の政府が、硬直化し、どうしようもなく 腐敗し、民衆に転覆されるような形で崩壊して民主化が達成された場合(ソ連型ともいえるでしょうか?)、 中国の受けるダメージは大変大きなものになるので、私はそのような民主化の過程を望んでいません。また、そのような可能性も大きいものではないと思います。

 ある人曰く、必ず混乱が起こる。その時に乗じて昔のように列強で中国を分割統治するのだ。これほどおいしい話は無い、着々仕掛けが整いつつある、なんてことをマジに云っている人が居られました。れんだいこは、へぇぇと話をあわしておきましたが、少し気になっております。

 [少数民族問題]と [人権問題]はアキレス腱になっているようにも思います。これはれんだいこの独眼流ですが、中国も何とかしてルネサンスを経験しないと却って弱いのではないでせうか。一枚岩は強そうで弱い。アングロ・サクソンの強さは、歴史的にルネサンスを経由して国家体制に何らかの形で反映させているところにあるのではないでせうか。今現在がどういうのではなくて、歴史的に蓄積されたものとして気風があるように思います。それがないままに経済的繁栄一途で邁進しつつある中国は内実もろい面もあるのではないかと思うことがあります。この点どうなんでせうね。克服し得るのかな。

> 中国に人権の問題があることは事実であり、今後、改善の努力を必要とすると思いますが、日本にもアメリカにもイギリスにも人権の問題がないわけではないという意味の範囲内の話ではないでしょうか。

 そういう意味の範囲内ではない弱さがあるような気がします。もっとも日本もルネサンスが育たない風土のような気がします。戦後憲法は日本にルネサンス気風を培う絶好の天の配合だったと思うけど、今や細りつつある事態を超えて壊死しつつあります。中国も日本も勧告も北朝鮮も台湾も、何とかして東洋的専制政治水準から脱皮せねばならないようにも思いますが、昨日今日明日ぐらいではどうにもならないようにも思います。

[525] Re^4: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/05/19(Sun) 23:16 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。

> そうなるとしても、だいぶ先の話ですね。われわれが死んだあとでしょうか。

 案外早いかも知れないよ。

> >  ある人曰く、必ず混乱が起こる。その時に乗じて昔のように列強で中国を分割統治するのだ。これほどおいしい話は無い、着々仕掛けが整いつつある、なんてことをマジに云っている人が居られました。 れんだいこは、へぇぇと話をあわしておきましたが、少し気になっております。

> 混乱が起きて、中国が無政府状態になったり、分裂状態になることがあるかどうか。可能性がないとはいえないでしょうが。しかし、その場合でも、列強が中国を分割統治する条件が整うでしょうか。いろいろ、少ない可能性の事件が、すべてそろった場合にだけ、発生する仮説であると思います。

 海外の列強が、中国の封建割拠的なお国柄を利用するという二の舞にならない保障があれば良いのですけどね。

> ルネサンスの意味が不明確ですが、何か中国に欠けているものがありそうだというのは事実だと思います。それを中国がどのように獲得していくのか、いけないのか、しかし、このような問題の立て方では、あまりにも漠然としていて、推論しようにもなにも出てきません。

 このルネサンス観は目下論を発酵中ですので、「このような問題の立て方では、あまりにも漠然としていて、推論しようにもなにも出てきません」となるのだと思います。これは又後日文章にしたいと思います。

> 中国は、日本に比べると、非常に多様な国、社会だと思います。言語、民族、思想など。それを強力に統一して、近代国家を建設しようとしてきたのが最近までの中国の政府の共通の目的でした。したがって、中国を一枚岩とみるのは、どうでしょうか。むしろ、色、大きさ、硬さなどさまざまな性質の石が固まっている岩といったほうが正しいのではないでしょうか。

 マクロでの歴史的風土的にはそうでせうね。しかし、建国革命以来の中国は、共産党の一元化指導=一枚岩で歩んできているのではないでせうか。天安門事件、最近の気孔運動に対する弾圧、死処刑の容易さ等々から窺うのに、今ひとつ中共システムに違和感を覚えます。

> アングロ・サクソンの強さとはアメリカの強さということでしょうか。パレスチナやアフガンでのかれらの振る舞いをみていると、強くても、好きにはなれないやつらですね。

 アングロ・サクソンとは、西欧系を例えて表現しております。イスラエルもこの系譜に入れてよいのかな。「強くても、好きにはなれないやつらです」が、逆になぜ彼らが強いのかも分析してみなくてはいけないと思っております。

> 確かに中国には中国の弱さがあります。それがどのように克服されるかについて、たとえば、アメリカの例が先例として有効であるかどうかという問題になると、大きな疑問符がつくわけです。

 中国とアメリカは合衆国的な国土の広さと大国主義意識の点で、似すぎて反発しあう関係になるのかなとか思っております。日本が女房役で貴重な役割を握っていくことになれば良いとも思っておりますが、これは願望でして今後どうなるのでせうね。

> 東洋的政治水準と西洋的政治水準があって、前者は後者の初期の状態に該当するといえるかどうか。たしかに、近代のさまざまな政治思想、市民革命、マルクス主義、社会主義などを生み出し、経験してきた西欧文化は社会科学的にも先進的であるといえますが。東洋の文化にこれからがんばってもらいたいものですね。

 東洋の文化が一応の個の確立とか市民社会の創出を経験すれば良いのですけど、これがないままの国富の発展は、富める者と富めざる者の二局化を推進するだけではないかと、勝手に訝っております。もっとも、国際化時代は大衆消費社会を前提にせざるを得ないから、杞憂なのでせうかねぇ。

[526] Re^5: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/05/27(Mon) 19:59 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。もう一つお尋ねしたくなりました。李鵬さんの政治的地位は安定しているのですか。江沢民さんとの関係は良いのでせうか。暗闘しているのですか。中共現代史の気に掛かるところです。

[528] Re^7: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/05/30(Thu) 21:25 <URL>
 猛獣文士さん、こんにちは。

> どうなんでしょうか。李鵬は評判が悪く、評判がいいのは朱ようきで、江沢民は形式的には、現在、毛沢東以上に権力が集中している。

> 小生は、こんくらいの印象があるとぃどです。もっとよく知っている人、教えてください。

 どなたも教えてくれないですねぇ。れんだいこは、中国の動きについては林彪が追放され、四人組が召し取られて以降知らないから本当に教えてもらいたいのですけどね。

 李鵬については、確か周恩来の系譜だと思います。れんだいこは周恩来を高く評価するから、李鵬さんにも好意的です。が、少し干されているという気がします。でもって、指導部も諸勢力とのバランスオブパワーの上に存立しているのではないか、と思っております。

[530] Re^9: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/06/07(Fri) 20:56 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。どなたか参戦してくれないかな。

> 李鵬は「革命烈士」の孤児で、周恩来の養子になった人と聞いています。なんで評判が悪いんでしょうか。評判をつくっている人は、都市の学生やインテリでしょうか?

 李鵬支持勢力はやはり根強いのではないかと思っております。れんだいこは現政権をあまり評価しておりません。但し、何せ広いから日本的尺度では捉えられないないスケールなのかも知れません。

 れんだいこは常々林彪失脚経過を疑惑しております。但し資料がないので判断できません。もっとも今日から思えば、毛沢東―林彪派は左派過ぎるのかも知れません。れんだいこに云わせればそれでも良いのですが、有効な経済政策を持たねばなりません。この点で、左派は今に至るも処方箋持っていない気がしております。結局、イデオロギーでは食えない現実が露呈し、どんどん後退してきて今日にいたっている。仕方ない面もあるけど何か変調という気がしております。

[533] Re^11: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/06/14(Fri) 20:43 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。

>人権については、一概に否定できない批判が投げかけられています。しかし、人権について語るならば、現政権よりも、毛沢東当時の政権のほうがはるかに徹底的に、人権を認めない行為を行っていたと思います。人権について、現政権下で非常にゆっくりとではありますが、改善されており、今後も改善されていくだろうと考えています。

 ここですが、れんだいこは次のように思う。社会主義政権である以上、ブルジョア民主主義よりもより実質的な民主主義が貫徹していて欲しい。こうならない社会は資本制市民社会よりも歴史的な後退ではないでせうか。毛沢東時代と今日の江沢民時代とを比較してみて、仮に漸次良化していたしてもお粗末だと思う。文革時の政敵追放あるいは旧ブルジョア勢力としてのレッテルを貼っての一掃運動もお粗末です、と思う。当然天安門事件の対応も首肯できません。目下の簡易死刑政策も容認できません。

 その点日本は、敗戦というショックが世界に冠たる新憲法を産み出し、それが仮に押し付けのものであっても、戦後市民社会を創り出した。これはまことに有り難いと思っております。今日どんどん空洞化しつつありますが、仕方ないやね、自ら崩しているのだから。

>毛沢東はマルクスレーニン主義者であり、中国革命を世界革命の一部分であると位置づけています(たとえば新民主主義論)。しかし、かれがどこまで世界革命を信じていたのか、あるいはいつまでそれを信じていたのか、到底、私には分かりませんが、あの世に言ったときに直接聞いてみたいテーマではあります。なお、「他国に侵略されたときに国民としてその侵略に反撃できる常識の形成」については、同じような原理が日本にも当てはまるはずですが、そのことを日本人がいうのを聞くと、私はなんともいえない危うい気持ちになります。このような感覚をどのように評価し、対処すればよいのでしょうか。

 れんだいこは、史上のマルクスレーニン主義運動の背後にはれっきとした民族主義の流れがあり、その威力は民族主義の方が強いのが実相だとみなしております。この点、国際主義を純粋系で真に受けていくと祖国を失う。人類はそこまで進歩成人化していないとみなしております。毛沢東も、民族主義の基盤に立って革命を指導しているのであり、その限りでの国際主義でしかなかった、それで良いのではないでせうか。

 当然日本左派運動も同じ理屈で、民族的利益を最優先する。その限りで国際主義をも追求する。この原理は資本制権力も同じではないでせうか。問題は、社会主義権力は資本制権力とは違う内実で国際主義を生み出すべきで、より強化するという本質を持つということではないでせうか。民族主義の観点を排斥した国際主義というのは絵に描いた餅のように思います。

> 私は、現政権は毛沢東の政権を否定して成立した政権ではなく、それを継承している政権であると考えています。

 詳しくは知らないのですが、れんだいこは逆に見ております。日共内で徳球系から宮顕系へ宮廷革命が発生したように、中共でも毛沢東系からケ小平系への奪権が勃発したと見なしております。そうなる必然として、毛沢東派は新中国の経済建設に失敗したからだと見なしております。マルクス主義イデオロギーでの経済建設の成功は、今や世界史的意義がある。これに道筋を見出さない限り、マルクス主義は机上論であったと総括せざるを得ないと考えております。

 目下の歴史的経験は、マルクス主義を半分以上棺おけの中に閉じ込めつつあります。一縷の望みで、どこかに成功体験が生まれないものかは。どこをどう改変すれば可能なのか、そんな希望を一縷つないでいるのがれんだいこ史観です。

> 孫文は、中国革命の完了までの過程を「軍政期、訓政期、民政期」という言葉で表現したと聞いています(出典は三民主義ではないでしょうか。申し訳ありませんが確認できません)。私は、中国革命が民政期を経て、完了していくことを望みます。それが達成されれば、その先に歴史がまた新しい課題が与えるでしょう。

 従いまして、れんだいこ史観によればこうなります。目下の中国は国共内戦の成果を放棄し、当時の孫文―蒋介石ラインの国家像へ逆戻ししつつある。してみれば、自己否定過程に入っていると見なします。この移行を巧みに御しているのが現政権ではないでせうか。それというのもやはり経済政策の必要上で、社会主義的統制経済ではうまくいかない―どうしても停滞に陥るからだと思います。


[534] 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/07/01(Mon) 14:26 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。 善隣学生会館事件の真実をもう一度確認したく存じます。既に議論されているかとは思われますが、れんだいこなりに整理しておきたいと思っております。重複厭わずお願いできたら有り難い。中共派と日共派の言い分が違いすぎているように思います。

[536] Re^2: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/07/06(Sat) 21:15 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。
> まず、これは私見ですが、抗日戦争(日中戦争)以降の日本と中国の関係を倫理的な正当性という観点で評価した場合に、ずっと中国に正義があり、日本の中国に対する行為は不正義あるいは悪であったといえると思います。
> 毛沢東は「持久戦論」でこの事実を挙げて、弱国である中国が強国である日本に勝つことができることの根拠のひとつと分析しています。

 れんだいこの見方はいたって簡単明瞭です。日帝の大陸進出は世界史的な趨勢の中でのことであり、日本人民から見て他の選択肢があるとは思うが、他の帝国主義列強から批判される覚えはないと考えられます。但し、当然のように中国内に革命運動が発生します。こうなると、民族独立は彼らの正義であり、日帝は支配の正当性を失います。問題は、中国の革命運動が国民の支持をどれだけ集め得るかにありました。結果は、毛沢東・周恩来指導部の英邁な指導により、全国土を掌握することになりました。建国初期の中国共産党の意気揚揚さ、モラルの高さは歴史に深く刻まれていると考えております。その事例は枚挙に暇ないくらいです。

 日帝の大陸進出をどう見るかは、国家主義の観点から見る場合と、いわゆる人民主義の観点から見る場合とで当然評価に違いが生ずると考えます。人民主義からは、大陸進出なぞすべきではなかった。アジアの同胞として他の選択肢はいくつもあった。ご都合主義的な侵略は結果的に高くつくし、事実その危惧通リになってしまった。等々と判断できるように思います。

> したがって、現在の中国に対して問題のない理想郷を要求することは過酷で根拠のない要求であると思います。

 ここは同意できません。猛獣文士さんとの認識の違いですが、現在の中共指導部は、どちらが良いのかは別にして毛沢東・周恩来指導部とは反目の渓流だろうと認識しております。単純に云えば、中国が良ければそれで良い程度の国家主義者達ではなかろうか、それはそれで仕方ない面もあるのだけれども、という風に考えております。しかしいずれ、この間身に纏った共産主義と国家主義とのイデオロギー的な対立が必死になるだろうと予感しております。どちらがどうなるのか中国人民が決めることでせう。

> 日本との関係で、中国に理があったという状態は、いつまで継続していたのか、あるいは現在もその状態が続いているのかどうかですが、私の考えでは1972年の「日中国交回復」以降もその状態は継続していたのであり、現在、その状態は、非常に緩やかな進行をもって、克服されつつあるものではないかと思います。れんだいこさんはこのような私の発想をどのように批評するでしょうか。

 今や日中関係は純然たる国家関係ですよね。してみれば、正義もイーブンではないかと思います。但し、日帝の侵略という負の経過に関しては謝罪が要求され続けるでせう。しかし本来は、過去については「日中国交回復」で片付けられたはずなのだけれども、その時の『二度と不戦』という合意の精神を両国が共有する限りにおいてであり、その精神が踏みにじられるのなら、いつでも中国は抗議するということではないでせうか。

 ところがケ小平政権以降、中国の大国主義化の動きも顕著です。こうなると、正義のカードが政治主義的に使われているということになります。日本から不満が出るのも根拠ありと思います。つまりとても難しいことになっておるように思います。しかしこれが政治の現実なんでせうね。従いまして、日中双方とも非常に有能な政治家が舵取りしないと危なっかしいということだろうと思います。

 少し筆を滑らせれば、小泉的ぼんくらが対応できるようなことではありません。アメリカさんの袖をしっかり掴みながら靖国行っては面倒起こしておりますが、アメリカさんも腹の中では軽蔑しているでせう。靖国の意味も分かっていないようだからいいやと済ましてくれてる訳でせうから。


[538] Re^4: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/07/13(Sat) 22:10 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。

> 民族独立はかれらだけの正義ではなく、人類の視点から見て正義であると思います。だから、日本と中国の
> 対比関係において、中国の戦争が正義の戦争で、日本の戦争が不正義の侵略戦争であるという評価を下せる
> と思います。

 うーーんどういうか民族独立という観点は近代植民地主義との絡みで生み出されたものであると思います。とするならば、この観点からの主体が形成されないと正義そのものが見えてこないと思います。仮に大東亜共栄圏構想が真に善政であったら、抗日運動も弱々しいものになったと考えます。
>
> 1960年代後半の文化大革命で、そのモラルの高さは頂点に達したように思えます。わたしはその時期の中国の
> 意気軒昂に心酔した青春期をもっていて、今でも当時の中国を愛しています。

 建国過程と建国後当初から60年代辺りまではモラル的に高いものがあったと思っております。
>
> 国家運営の立場から見ても、日本が1930年代に侵略戦争にのめりこんでいったということは、時代感覚を欠いた
> 愚かな犯罪行為であったとする説得力のある立証が多数見られます。当時の日本の指導者の責任はあらゆる意味で
> きわめて重大に問われなければならないはずですが、どうもそうなっていないようです。

 そうですねぇ。れんだいこは、大正天皇の押し込め騒動を機に一挙的に植民地主義派が社会の上層部に巣くい始めたのではないのか、という仮説を持っております。
>
> これはどうでしょうか。毛沢東には多くの優れた人物がもつ複雑な多面性があり、単純に評価すると大きな
> 誤りを犯します。たしかに、いわゆる四人組勢力も、優秀な中国の人材を結集し、毛沢東の一面を追及していた
> と思います。しかし、?小平の最初の復活は毛沢東の生存していた時期であり、私はこれも毛沢東の一面である
> と思います。後に?小平が毛沢東を否定しなかったことは、私にとって意外でしたが、決して、単に毛沢東の
> カリスマを利用したというようなものではないと思います。

 どうでせうかねぇ。ケ小平政権が樹立される背景には、毛沢東派の建国後の経済建設での失敗があり、次第に現実主義的な実権派が国政に関与し始めていた。文革はそれに対するイデオロギー派の抵抗であり、結局林彪失脚、四人組失脚、華国鋒失脚という経過を経てケ小平率いる実権派が権力を掌握した。毛沢東の権威は役立つ方法において利用されたし今もそうだと見ております。

> 革命の元勲の世代が没していき、次の世代になるにつれ、指導者のスケールが小さくなっていくのは、普通の
> ことではないでしょうか。明治維新でも、ローマ帝国でも。あるいは、歴代の中国王朝でも。スケールの大きな
> 指導者がいる時代が、人民の幸福な時代と結びつくわけでもありません。

 それはそうだけど。

> 国家関係だからイーブンであるかどうかは決められません。しかし、イーブンな正義を双方が持てる時代が
> 幸福な時代であるとは思います。

 そうですね。というか、社会主義イデオロギーの神通力が消えて以降、体制の違いを認め合い純然たる国家関係の構築が為され始めているのではないのかと思っております。
>
> 日本の政権党の政治家は難しいですよね。いろいろ制約が多くて、身動きが取れないんじゃないでしょうか。
> 私がそんな立場にいたら、ふてくされて、腐敗と享楽に身をやつしたくなります。なぜかそういうのは、
> 許される環境だったりして。困りますね。

 中国は、用意周到に政権与党の権力の流れを見ているように思います。分かりやすい分類はタカ派とハト派でせう。タカ派の動きを警戒しております。もっとも森―小泉時代以降馬鹿にされ始めており、日本の国力の相対的低下と関係しているのかも知れません。そんな風に考えております。


[542] Re^7: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/26(Fri) 22:13
 大阪の人さん、傍観者初代さんちわぁ。どうぞ議論進めてください。れんだいこは精神的に多忙でして、気ままに議論に入りたい。議論の内容はきつくなってもご容赦を。はっきりさせないと互いに得るものがないだろうと思うからです。さいわいここまで猛獣文士さんと話を進めることができました。どうしても互いの観点の差が出て参ります。それはそれで良いだろうと思っております。そういう違いを遣り取りするほうが楽しいし、何か新案がひらめくしね。というようなことで今日はこれにて。

[548] Re^9: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 16:12
 大阪の人さん皆さんちわぁ。今日ぐらいから体が軽くなってきました。長い夏風邪というかエアコン病にかかって頭が重かったのです。猛獣文士さんとの遣り取りも結構込み入ったところに差し掛かっており、精神の集中ができなくて一服させてしまいました。そろそろ大丈夫かな。でも夕方になると熱を出す傾向があり、今日晩越してみないとなんともいえません。

 それはそうと、善隣学生会館事件については見解というかれんだいこなりの筋書きはつくっております。但し、もう少し精密にしたい、どこが対立点で、どういう経過が真相だったのか、それを我々はどう総括すべきなのか等々くっきりさせてみたいと思います。この板でそういう遣り取りされていると思いますが、丹念には読んでおりません。どこら辺りが必須学習になっているのでせう。教えていただければ目を通しておきたいと思います。

[549] 「84原水禁運動弾圧事件」について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 21:08

 善隣学生会館事件と類似した事件に「84原水禁運動弾圧事件」があります。これを参考にしながら、善隣学生会館事件をも考察してみたいと考えております。管理人さん宜しいでせうか。

 一応れんだいこの試論「原水禁運動に対するデタラメ指導について」を提供しておきます。(miyamotoron/miyamotoron_hosoku31.htm

 今日手直ししたばかりで、こちらでの遣り取りでより正確を期したいと考えております。

[550] Re^10: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 21:51
 一応、善隣学生会館事件の実際についての基本認識を書き上げました。ご意見、訂正個所、批評等お願いいたします。

 「善隣学生会館事件考」
 miyamotoron/miyamotoron_hosoku28.htm

[552] Re^2: 「84原水禁運動弾圧事件」について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 09:27
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。原水禁運動ですが、社会党系の『禁』の方がまだしもで運動の歩みを載せております。『協』の方はさっぱりです。もし出ているサイトがあれば教えてください。リンクフリーも『禁』の方で、『協』の方は小難しい。

 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。

[557] Re^12: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 11:33
 大阪の人さんちわぁ。
> 拝見しました。猛獣文士さんのあげてこられた貴重な資料、明け渡し民事訴訟の和解内容がここには反映していないのが大変惜しい所であります。また98年合意、つまり日本共産党と中国共産党との関係修復の際の項目に内政不干渉の原則に「あいいれないやりかたをとった事に」と中国側だけの総括と是正がなされております。これも押さえないといけません。

 ですね。ちかじか読み取りして取り入れようと思います。問題は、善隣学生会館事件の実際についてはそれはそれで事実を解明することだと思います。次に、「内政不干渉の原則」考ですが、これはかなり難しいというか最先端の未解明課題だと考えております。

 「内政不干渉の原則」は、普通には近代主権国家間の原則ですよね。それを国際共産主義運動の中に適用する場合、ストレートには参りません。「干渉」という言葉を用いるからややこしい訳で、「革命の輸出」まで行かなくても普通には「兄弟党の率直な意見交換ないしは影響の及ぼしあい」でせう。これはあって良いし、なくしてはならない、むしろ定期的に交流すべきだし促進すべきだと考えております。

 この辺の原則からして崩れているので、中共、日共のどちらの言い分が正しいなんてことを言い合いしても消耗するばかりです。そもそも国際左派運動内に一元指導部を持ち込んで各国共産党をイエスマン化させることも、各国共産党が自主独立路線という名目で国際的友党関係の破綻化を促進することも、どちらも変調でせう。

 やはり、どうあるべきか論を構築し、一足飛びには無理でも近づける努力はいるのではないでせうか。しかし今となってはむなしい。それと、過去の言説に頬かむりしたまま「ソ連邦崩壊して良かった論」唱えるような党中央なぞあり得て良い訳がないと思います。れんだいこが強調しておきたいことは、どうも日共指導部は単なる権力亡者というだけではなく例のない異邦人が棲みついていると認識しております。かく認識すれば良く見えるし、かく認識しなければ解けない事象が多すぎるからです。

 現下の低迷する日共運動に際して、党を愛すれば、普通の感性なら執行部は責任を感じ取るべきでせう。それがそうならない。あたかも自系列以外に党中央を渡さないという私物化を晒し続けております。こう云う手合いが世間に向けて民主主義を護れなぞというから信用されない。当たり前だろうと思います。これらの点、大阪の人さんはどのように考えておられるのですか。

[560] Re^14: 善隣学生会館事件の実際について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 16:31
> >  「内政不干渉の原則」は、普通には近代主権国家間の原則ですよね。
> ちと、違うと思います。98年合意は、「合意」でありまして、両者の合意、つまり中共も日共も【納得】して締結しているということです。この中で「(内政不干渉の)党原則にあいいれないやり方」をとった事を中国側は率直に非と認めているのです。自党の原則として五十年代から一貫して口先だけでは主張し続けていた原則を、この合意により中国共産党は口先だけのもの=絵に書いた餅から、そうではないものへと転換させたい、という意志を示したという受け止め方を当方はしています。

 98年合意の真意の解釈は未だヴェールに包まれていると受け止めております。両党が真に合意するならば、国際共産主義運動の在り方を廻って理論的総括せずには生産的でないと考えております。日中共産党の合意の背景には、一つには双方が国家規模的な日中友好という観点から得策と判断したこと、二つ目は両党とも現下指導部が国家主義的見地に立っており合意しやすかったこと、三つ目は双方の指導部が互いに党中央としての正当性を認め合う利害関係において一致したこと等々の理由に拠っていると考えます。

 従って、98年合意で、日共の従来の指導及び見解の正しさが認められたなどとは思いません。ある意味で、中共は、云っても分からない日共指導部を逆に認めて利用していくのが得策と判断しただけで、現実主義的判断をしたということではないでせうか。98年合意をどう受け止めるかは自由でせうが、日中両共産党の思惑をこそ見るべきで、日共的それ見たことか見解は我田引水でせう。

> ここを前向きに評価してやらねばコスモポリタン氏のような混迷に陥る。片方で日本への野蛮な干渉行為を働く毛派の策動を美化聖化してほめあげながら、もう片方で民族自決権に日本共産党はダメだと難じ、江沢民指導部が内政不干渉の原則を現実に踏みだしたのを評価できなくなっているわけです。中国を日本党より偉いというつもりが中国が一路ダメな党に落ちてゆくという一路衰退史観になっているのは、日本共産党憎しに凝り固まった「国際主義者」の理論的帰結の皮肉な表れでありました。

 既に猛獣文士さんとの遣り取りで明らかにしていますように、れんだいこは、現下中共の?小平―江沢民指導部の正当性を疑惑しております。どちらかというと親米ないしは国際資本勢力と親和性の強い執行部でせう。毛沢東―周恩来時代の面影はありません。が、国内の経済的発展の要望を踏まえるとき仕方なかったという現実主義から生み出されており、その限りで歴史的合理性があるとも見なしております。

> そうそう、れんだいこさんは、どちらかというと、猛獣文士さんの立場というよりも、556で上げた彼の議論の方が立場としては近いのではありませんか。静かに歴史のイフとして考えてみてください。善隣学生会館ばかりでなく66年から開始された対日干渉の中国側のムーブメント。これに同調したり(同調していれば事件は後楽では発生しなかった)、自身が加わらなかったとしても「紹介」したり「美化」したりしていたら、れんだいこさんはこれを今(仮定された過去に続く仮定の今の時制)ここぞとばかりに日本共産党の野蛮さ、暴力主義、「自主独立」のいいかげんさ、自国の国民の人権と人命を省みない非人間的なスターリニズムの証明と、もっともっと書き立ているのではありませんか。

 少し意味が通じませんが、「50年分裂」時も、文革時も実在した歴史のムーブメントであり、やるときには徹底してやってみるのも一方法です。各派が喧騒しながら運動の盛り上げに向かえばよいものを、対権力闘争では根限り右派主義で、対左派間闘争では断固鉄槌主義で行くという手法が理解できません。目の付け所が異筋であるという認識をしております。

> > それから、うちゲバの凄惨さでありますが、日中(正統)のビルに、先ごろ猛獣文士さんがコンタクトに成功したという光岡玄氏をはじめとした強盗が押し入ったという事件がありました(猛獣文士さんは現実の「反中国」強盗犯を暴力事件の証言者として信用しているのであります)。また日中青学共闘なる党派が後楽寮(34階の部分)でデモをし、これを”愛国華僑の勢力”が実力で排除したといいます(「日本と中国」紙参照)。

 その辺り取り込みして、より精緻にしたいと思います。

> 突き放した歴史のイフとしましては、もし日共が全体として中共になだれをうって共鳴し、華僑学生に合流していた場合、こうした内ゲバが発生しなかったか、というと、私はそうではなかろうと思います。つまり67年に発生しなくても、「文革」を認めても、やがては華僑学生や日本人の党派は内ゲバを繰り返す、この内ゲバの中で、仮定の選択ですが、やはり流血の自体に陥ったのではないか、その方が【革命暴力を肯定】する立場からの参入ですから、もっと徹底的に参入していた可能性がある、という事は言えないでしょうか。つまりプロレタリア文化大革命の日本への持ち込み、内政干渉への対決という路線がもっとも一部華僑対民主勢力の衝突としては規模を小さく、華僑の被害を軽減した人道に則った路線だったということです。

 後段のくだりは見事な「双葉の芽を摘む」論ですね。これは権力理論というか警察理論そのものですよ。こういう論に拠っているということは、大阪の人さんの立場もそのようなお方だろうかなと訝ります。人民運動的には、双葉の芽はどんどん伸ばして覇を競わせていけば良いのです。その切磋琢磨から本物が生まれやがて奔流になる、これが歴史弁証法だと思います。これを左派側から阻止しようとする鉈理論は邪道でせう。

[561] Re^4: 「84原水禁運動弾圧事件」について
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 16:53
 大阪の人さんちわぁ。

> これは、(元正統)[社団]日中が友好協会に比してその出自を語れないということの、何かいいわけになるのでありましょうか。

 少し意味不明です。

> > 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。

> 叙述したがらないのか、叙述するほどウェブの使い方や重要性がわかってないのか、さまざまのようです。でも原水爆禁止日本協議会のウェブって民主団体のHPの中ではトップページがずば抜けて美しい気がします。
> http://www.twics.com/~antiatom/

 原水協サイトのトップページが美しいのは分かりましたが、なぜ歩みを正確に語り継ごうとしないのでせうね。日共系の共通した手法ですが、歴史を学ばせてはいけないとでも合意しているみたいですね。そう理解しないと不自然過ぎます。それと何やら著作権を振り回すのもこの系譜です。どういう意図なんでせうね。

[569] Re: 路線は検討するに値する問題です。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/08/01(Thu) 18:56 <URL>
 大阪の人さん猛獣文士さん、ちわぁ。何だか風邪が抜けず今日はとってもつらい。それはそれとして以下レスします。

>日本党にはれんだいこさんをはじめとして、この組織から本人の気持ちとしては許せない対応をされて、生涯のテーマとして反共を掲げる人がいる(汗)事は事実です。

 これはどういう意味でせう。れんだいこは党員であったこともないので、日共に許せない対応をされたこともありません。そういうトラウマを背負って「生涯のテーマとして反共を掲げるに至った人」を想定し、れんだいこをその一員に挙げるのは安易に過ぎます。日共を批判したら反共という図式も無茶苦茶です。第一、日共こそ正真正銘の反共なのではありませんか。

 れんだいこの一貫したテーマは、現下の宮顕―不破系指導部が共産党には似つかぬ異邦人であることの解明と、そういう意味で生涯のテーマは宮顕―不破系の日共指導部からの追放又は新日共運動の創造となっております。れんだいこのこの姿勢を、「生涯のテーマとして反共を掲げる人がいる」と括るのは不適切です。これも宮顕話法の特質ですが違いませうと云いたくなります。

 大阪の人さんが、れんだいこをそのように見ておられることは分かりました。今度は、れんだいこが大阪の人さんをどう見ているかお伝えします。宮顕―不破運動の変調さを見抜くのに大して難しくありません。れんだいこに云わせれば、宮顕―不破が日本の左派運動に何か有益なことをしたという事例があれば教えて欲しい、れんだいこにはただの一つも見当らない。にも関わらず、ここにその是認者がいる。それは貴重な人士であると云えます。どういう風にしたらそういう観点に成り得るのか、興味深い訳です。従って、大阪の人さんの観点をもっと知りたいのです。

 当然のことながら、大阪の人さんのスタンスでは、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」も、小畑の持病によるポックリ死であるとされているのでせうね。蘇生に努力したのが宮顕であるからして、宮顕を刑事犯扱いするのは冤罪なんでせうね。法廷でのとうとうたる弁明もさすが宮顕という風に受け取るのでせうね。

 ある意味で諸悪の根源はこの事件にあります。宮顕の原型が全て網羅されている訳です。そういう意味で話を振りましたが、私のサイトの諸論点で、ここが違うよというのがありましたらご教示願いたいです。

 善隣学生会館事件も、新日本文学事件も、原水禁運動も、部落解放運動も、労働運動も、学生運動も、その他諸々戦闘的団体のぶち壊しに一役買っているのが宮顕―不破系指導部であり、これに云いようにやられておりますので「どっちもどっち」なのですが、そろそろどこかの党派が突き抜けてくれば面白いとか考えております。そういう意味で、長すぎましたが反面教師的役割があったのかも知れません。

[572] Re: 貴公は路線を検討するに残り時間が欠如してないか
投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/02(Fri) 08:49
 大阪の人さんちわぁ。

> 残念ながらこのHPの議題ではありません。あなたの途方もない融通無碍な反共の議論は聞いててあきれてしまいました。それから、その基礎がない、ということは私に意欲を失わせました。せめて人権というスタンスを持ってください。人権とそれから民主主義。

 これですが、『人権とそれから民主主義』に対して日共系が一定踏まえているというのは重要な指摘で、そのことは肯定しておきます。願うらくは、反代々木系がもっと実質的に『人権とそれから民主主義』を擁護して欲しかったんだけれども、どこで回路が捻じれたかあらぬ方向へ行ってしまいました。

 れんだいこの考察によれば、60年安保を領導したブント運動にはそういう素養があった。もっともそれを壊すような素養もあった。歴史は、後者の方を引き継いでいったと思っております。この間違いに気づいたのが、日本の地を離れて外から日本を考察することになった勢力で、よど号事件の赤軍派田宮氏らとアラブに向かった赤軍派重信氏らであった。両派ともトータルな総括を為しえていませんが、日本の戦後民主主義秩序と相身互いの扶助精神を高く評価するようになっております。

 今頃になって赤軍を騒ぐのであれば、赤軍のこういう内面的変化を語り合い考察すれば良いのに、肝心のところへは向かいませんね。結論。大阪の人さんが『人権とそれから民主主義』を指摘されることについては何の異存もありません。

> >当然のことながら、大阪の人さんのスタンスでは、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」も、小畑の持病によるポックリ死であるとされているのでせうね。蘇生に努力したのが宮顕であるからして、宮顕を刑事犯扱いするのは冤罪なんでせうね。法廷でのとうとうたる弁明もさすが宮顕という風に受け取るのでせうね。

> それがあなたに何の関係があるのでしょうか。

 こういう風に云われましたら話はできません。少なくとも公党のトップの行状を知るのに『それがあなたに何の関係があるのでしょうか』とはなりません。

> あまりそちらのHPは隈無く見ているわけではありません。ただし「れんだいこ」さんを「れんだいこ」さんと認識する以前に、少し「「敗北」の文学」で検索して膝を叩いて笑わせて頂きました。先日御自分のHPだとURLを書いておられて、そこを参照したついでにトップへいって、「あら!」と再開した次第。

 「「敗北」の文学」で検索して膝を叩いて笑わせて頂きました、ということですが、感心される覚えはあっても笑われるとは心外ですね。どこが可笑しかったのかもう少し説明願います。

[574] Re^6: 「84原水禁運動弾圧事件」について
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/08/02(Fri) 12:51 <URL>
 大阪の人さんちわぁ。

> http://www.jcfa-net.gr.jp/home/http://www.j-cfa.com/とを見比べてください。どちらが歴史を語らないHPでしょうか。

 どちらも、歴史を語りませんねぇ。なぜなんでせうね。『連合赤軍の資料なんかも勿論(元正統)日中の皆さんは自己の歴史として誇るなり反省するなりして叙述するべきであります』は、当然そうです。自己批判なき綴りは役に立ちません。総括できなければ、いろんな見方を提示して、鋭意検討中としておけばよいのにね。

> > 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。

> 運動をワッチして愛好する趣味の方々には御不満が多い・・・。

 『趣味の方々には御不満が多い』という言い方はいけませんね。趣味の方であろうが現役であろうがプロであろうがアマであろうが、歴史は必ず精通すべきでせう。

> >  原水協サイトのトップページが美しいのは分かりましたが、なぜ歩みを正確に語り継ごうとしないのでせうね。

> ウェブで真剣に学ぶ人もいるかも知れません。本で学ぶ人も居るかもしれません。否定はしません。個々の団体の指導者の判断でありましょう。

 しかしねぇ、インターネット上で日共の党史なんか見ますとほんの付け足しで、しかも意図的に分かりにくくズタズタにされておりますね。なぜかようにするのでせうね。偶然では説明しにくい。公明党の方がまだしも歩みを正確に伝えております。本のほうでも、かなり歴史偽造しております。というか宮顕―不破系の私家本にしておりますね。

 一例を挙げますと、戦後の党運動の歩みが、獄中から解放された徳球、志賀らの『人民に訴う』から始まるのは踏まえねばならない史実ですのに、隠蔽しております。『50年問題』で徳球系運動を否定総括しようが、こういう史実まで消してはいけません。しかし、逆に云えばそういうのを平気で為す感性というのが不自然過ぎます。まさか、『運動をワッチして愛好する趣味の方々には御不満が多い』では済まされないでせう。

[578] 「野坂―宮顕」運動の総点検をしませう。
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/08/03(Sat) 14:48 <URL>
 れんだいこは冷やかしでなしに、大阪の人さんに関心があります。れんだいこの場合、1955年の六全協で日共は「野坂―宮顕」という二頭スパイグループに乗っ取られたという見方をしております。この見立ては今のところ非常に少なく、というよりれんだいこ独特の観点となっているのかも知れません。従いまして、れんだいこ観点のほうがマイナーでございますので、大阪の人さんが自説を披瀝するのに何の引け目も要りません。

 問題は、大阪の人さんから見て、「野坂―宮顕」系列の運動でこれは日本人民運動の為に有益であったという観点を、史実に則して解き明かして貰いたいのです。既にれんだいこは述べていますが一つも見当らないのです。こんなことってあるだろうか、偶然にしてもできすぎてらぁという思いがしております。

 その点で、どんな話題でも結構ですからこの場を借りて論議し合えれば本望です。但し、一つ条件があります。「野坂―宮顕」系列が批判を強めていった相手側の非を衝くだけでは不十分です。そういう遣り取りを通じて何ほどかの有益なものを生み出したかどうかをメルクマールにしたいです。極力この観点から議論を進めたいと思います。こういう議論ができそうな人として大阪の人さんに期待しております。

 その遣り取りの中から、れんだいこサイトの中身を正確にして豊かにしたいと思っております。ご協力いただけたらありがたいです。その意義は、れんだいこの余生を、この闇路に何か有益なものを残すことに費やしたいと思うところにあります。併せてご理解をばお願い申し上げます。

[580] Re: 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/08/04(Sun) 11:37 <URL>
 大阪の人さんちわぁ。やや肩透かしのレスをいただきましたが、一応これにも私見を述べておきます。

> 元天理高校野球部監督の人が奈良のどこかの市議さんで、現指導部の下に団結する現役日本共産党議員として立派にこの人の中では信仰と両立させて元気に御活躍のようであります。こないだ天理市の市長が不祥事で任期途中に辞職という事態で市長選挙があって、その応援演説をということで、何やら火のでるような熱弁をふるっておいででありました。

 この件は興味深いことです。いわゆる宗教者が政治に関心を持ち始めどこかの党派に所属するようになる例はかなりあると思います。れんだいこに云わせれば、天理教の教義は元々人民大衆的ですので、教徒が左派政党のどこかに所属するようになることは充分考えられます。

 問題は、現実の日共指導部のひどさを認識しないままに勝手に懸想して日共党員となり、次第に戦闘力を失っていくことにあるでせう。貴重人士がいつのまにか特有の当局論理に染まり、自覚のないまま壊死していくことにあります。こう云う例を探せばかなりあると思います。

> これが革新協同、統一戦線の最低限のルールというものであります。ちなみにれんだいこさんはいかにも革新派、左翼派のような姿勢でありますが、その内実を誰か、現に自民党政治に苦しめられている層の擁護や、現実の争点での課題別の共闘のような積み上げがあるのでしょうか。私は寡聞にして一切存じ上げません。

 れんだいこが「いかにも革新派、左翼派のような姿勢である」との云い方には少しトゲがありますね。れんだいこに云わせれば、「革新協同、統一戦線の最低限のルールを構築している側は革新派、左翼派である」との認識こそ胡散臭い。「革新協同、統一戦線の最低限のルールの構築」は非常に大事であるとは思いますが、それでさえ宮顕―不破系日共の遣り方はご都合主義が極まっております。舞台裏を見れば、いかに姑息に党利党略優先で御してきたのか、それが為に人民大衆運動の活性化が押さえられてきているのかその例を挙げるのに苦労しません。

 口先だけは常に良いこと云います。例えば、ご先祖さまに感謝しよう、お父さんお母さんを大事にしよう的な誰も反対できないことを説いて廻ります。しかしやっていることを見れば、いかにそれらがお題目に過ぎないものであるかが歴然とします。一例を挙げれば、今年の原水禁運動も分裂開催ですね。一体、共同化の動きを封じたのは誰だったのですか。84年の原水協古参幹部追放事件の経過に、宮顕一派の悪質さを見て取ることはそう難しくありません。大阪の人さんはこういう史実をどう理解しておられるのですか。

> 従ってれんだいこさんを共闘の相手としてそちらの地元の共産党が認識するかどうかはわかりませんが、相手が無視したりつっけんどんだったとしてもそれはあなたが未だ何も実を上げていないからということをリアルに肝に銘じて仕切り直ししてください。あなたも戸田市議や田中元知事や中山千夏元議員や故亀田得治社会党大阪府連委員長のように革新統一の協力協同の現実の力になって頂く事を期待します。

 これからはどうなるかは分かりませんが、れんだいこは学生運動の経験から、日共のような連中とは金輪際手を組まない、ひどい目にあわされるという認識を得、社会へ出て以降は意識的に政治運動への関与を避けて参りました。従いまして、「現実の力」になるような在り方は有り得なかった訳です。

 当時のれんだいこの気分をご説明すれば、今日のような見解に二十代前半に辿り着いた訳ですが、れんだいこが若いから特殊な思い込みかも知れない。世間に揉まれながら確認してみようということでありました。しかし、その後の日共の推移を見やりながらの以来三十年を経て、逆にますます確信を持ち始めたのが二、三年前からです。目下言論活動しているところですが、歴史的に有意義と自信を持っております。

 門真市議の戸田さんが日共と共闘しているとのことですが、その裏舞台ではどうなっているのでせう。戸田市議の再選に向けての動きの中で、日共のもう一つの役割がでてくるでせう。それはれんだいこの関知するところではありませんが、要するに実質的に捉えなければ表面現象だけでは真実は見えてこないと思います。

[583] Re^2: 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検
投稿者:
れんだいこ 投稿日:02/08/04(Sun) 19:57 <URL>
 コスモポリタンさんちわぁです。何や面白うなって参りましたね。願うらくは、大阪の人さんから有益な反論のあれこれが為されんことを。何せ立場が違えば見えて来る世界が変わるということは良くあることです。そこで擦り合わせして、大過ない認識の違いであるかどうか検証しあうことが大事だと思います。

> れんだいこさんには残念ながら、都合の悪いことは話をそらすだけのこの人物と討論するのは時間の無駄であるようです。しかし今日の不破一派(日帝協賛党)の党員というものがどれほど知的にも人格的にも劣っているかということを明らかにする上で一定の意義はあるかも知れません。

 ところで、大阪の人さんて日共党員なんでせうか。そうである場合でも、いかにも現下日共の有り姿に相応しく当局筋の方のように受け止めております。

> 都合の悪いこと一覧:(以下、略)

 そうですねぇ、この一覧をもっと拾い出してリストアップすることは有益ですね。「自主独立=民族自決」論自体はまだしも(まだしもですよ)、過去の国際派としての立場の時の言説の自己批判抜きによく云うわという思いがしますね。宮顕の「出獄から復権」に纏わる経過の胡散臭さも案外知られておりませんね。逆に「獄中12年の非転向唯一人士」として本人が吹聴し、取り巻きも太鼓もちするものだから、事情を知らない者からはプロパガンダ通りにに崇められておりますね。
 
> 3)代々木は、ノルウェー共産党・デンマーク共産党・アイルランド共産党などに対して「不当な干渉」を行なっているのだから、中国共産党の「併党論」を非難する資格はない。

 ここは参考までにもう少し詳しく教えてくだされば助かります。

> また、この「大阪の人」という人物は、(中略) とまあ、産経新聞やコヴァと全く同じ思想の持ち主なのでありまして、このような人物が代々木党員であるということは、代々木の堕落の程度の激しさを物語っているのであります。つけくわえておきますと、1955年以前の日本共産党は、地域にもよりますが3割から4割は在日朝鮮人であったと思われ、反動派はこのことを「日本の国家主権を侵害する」とか言って攻撃していたのでありますが、今日の日帝協賛党がこれと全く同じことを言って自党の過去を否定しているのは歴史の皮肉であります。

 結局問題は次のことに帰着するように思います。宮顕―不破系運動は素性が素性だからして、口先と言葉では左翼用語を真似たのを使いますが、本音は常に当局側の意向に沿ったあるいは許諾内のところに誘導させようとして悪知恵を巧みに発揮しております。連中が執行部に居座ってから今日まで一貫してそうですね。最近は不破もボケつつあるようで、本音がかなり露骨に出始めました。もうブレーキが利かないのでせうね。

 従って、産経新聞的見解や右翼顔負けの主張や警察が手を出せないところへの出張や、石原都知事との是々非々や、「もっと取り締まれ」の警備強化論や、最近のなし崩しの皇室との協調路線化や、排外主義的差別主義的イデオロギーの注入や等々「本来の共産党ならあり得べからざること」を次々と平然と為してきておりますね。

> 私は戸田議員を高く評価しませんが、それはともかくとして、あなたは関生連帯労組の歴史についてご存知ですかな。関生連帯労組はそもそも運輸一般の関西地方本部であって、その指導部はすべて代々木党員だったのでありますが、代々木のあまりにもひどい右傾化路線と官僚統制に愛想をつかして党から分裂したわけです。不当労働行為を追及すると、「『統一戦線運動』の障害になる」といってそれをやめさせるような指導を当時の代々木大阪府委員会がやっているんですよ。(つまり中小企業経営者の票が逃げるから、不当労働行為を追及するなということ。)代々木は党組織を総動員して関生連帯労組を潰しにかかり、分裂組織をでっちあげました。当時を知っている人なら誰でも代々木を腹の底から嫌悪していますよ。

 労働運動においても沈静化論理のオンパレードでせうね。学生運動でもそうでした。笑い話のような話ですが、確か1958年頃に「ジグザグデモかお焼香デモか」が問われたことがあります。勿論日共は、ジグザグデモ相成らんと指導した訳ですが、この頃はゲバ棒もヘルメットもない頃です。ジグザグデモってどこがおかしいのでせう。つまり、あらゆる戦線で戦闘的に運動することを極端に嫌うというか砂をかけ水をかける指導を一貫してやってきているということが分かります。

> また、「日共現指導部の総点検」という課題は、現在の代々木が一定の政治勢力を持っている以上、極めて実践的な課題であります。一定の政治勢力を持つ「左翼」を名乗る組織があり、戦闘的運動の解体に血道をあげ、一部の党員は「終わったことをネチネチと言うな」と日帝の戦争責任を免罪し、しかもその指導部が極めて疑わしい存在であるとすれば、この党の指導部を総点検することはまさに緊急の課題です。

 同感です。

> 社会主義政党というのは、「現実の争点」にとどまることなく、労働者階級を社会主義的立場に獲得するために存在し、そのための綱領を持つはずであります。その綱領が間違っていれば、当然批判的検討にさらされるし、指導部が疑わしければ、まともな指導部に改めなくてはならないことは自明です。革命的理論なくして革命的実践はありえません。まともな指導部のない党はまともな役割を果たすことはないでしょう。それに、こんなことを言うのであれば、なんでこんな30年以上も前の事件を扱う「非実践的」な掲示板にやってくるのでしょうか。

 そうですよね。

> 歴史が教えているところによれば、代々木は常に階級闘争の妨害者であり、階級闘争の前進をかちとるためにはまず代々木排除から始めなくてはならないほどなのです。

 「代々木排除」というか、批判の徹底でせうね。そのためには我々の理論能力を高めなければなりません。しかし代々木もさるもの引っかくものです。意図的に党内とシンパ層の愚民化指導をん十年してきておりますね。最近は政府自民党も愚民化教育を強化しつつありますが、その先取りとも云える悪知恵で党内対策してきております。この損失を取り戻すのはかなり重傷事態ですが、それでも隗より始めよでれんだいこも意を決しております。

 単純に云って知は力なりですし、正しき認識なければ運動の発展も覚束ないでせう。戦後左派運動の貧困は、こうした理論面での顕著な立ち遅れが障害になっていると推理しております。もっとも、難しく云えば理論的であるという意味の理論なら足りておりますので、そうではなくもっと咀嚼して為になる知恵を生み出し、互いに分かりやすく伝え合い認識を交歓し合う作法が望まれていると思っております。




(私論.私見)