2017. 9月 |
(最新見直し2015.3.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、2017.9月度のツイッターを整理しておく。 2015.2.1日 れんだいこ拝 |
政治が為になり且つ面白くなるには、与党連合と野党連合と唯我独尊党が真っ向からの勝負でぶつかり、投開票に不正選挙でなかったことが検証され、そういう試練から生まれた精鋭議員による国会バトルが条件になろう。今まではこの逆ばかりしてきているからしらけるんだな。そろそろ終りにならんか。
希望の党が選考しようとしている民進組リストのうち菅元首相、野田元首相、枝野代表代行、岡田代表は後の者を宜しくで自ら辞退しても良かろう。続いて性格の悪い元重役がカットされるのも仕方ない。リベラルだからと云う理由でやると辻褄が合わなくなる。リーダーには清濁併せ呑む度量が要るだろう。
思えば、共産、社民、生活が共闘するチャンスは幾らでもあった。自公協定のようにテーブルについて政策のすりあわせをするべきだった。ところが共産が相手するのは民主であり民進であり小沢どん派には一貫して冷ややかである。しかしながら民主民進なぞ相手にする玉ではない。要するにお遊びなんだな。
自由党の山本太郎も玉城デニーも合流すればよいのだ。ハネられればそれも勲章であろう。民進の重役連中の場合は事情が異なる。政権を潰した上に悪びれず胡坐をかいて居直っているような連中を抱えると陰険病がうつる。そういう意味で拒否するのは理にかなっている。他のもんは難しく考える必要はない。
希望の党の値打ちは、これによる真の被害者は石破政権待望組である。この騒動で恐らく最終的に石破政権の芽が潰れた。そういう意味では、安倍派と小池派の合作で石破政権を潰したことになる。この流れに戦闘的に反対しているのが社共であり日本ハンドラーズの噛ませ犬である。こういう構図もあるわな。
希望の党の値打ちが上がったのは、安倍政権が海外の大盤振る舞い、ソバ隠しに続いて仕事師内閣としての改造間もないのに衆院解散したまたもやのお遊びに対して、国民のイライラを代弁するかのように速攻の新党で対応したことにある。この流れに乗るべきでありこの新党に草鞋を脱いで何の問題があろう。
防衛政策などはどれが正しくて間違いなのかは分からん。党内にいろんな見解、議論を抱えておき、歴史の危機とか転換期に対応できるよう担保しておくのが大人の知恵だろう。小池の安保法制論がどういうものか分からんが、そんなもんに絶対棒なぞある訳がなかろうに。日本は手打ちと和合の国なんだがな。
民進議員の選考騒動について一言しておくと、人事たらいまわしで重役していた連中をオール除外すれば良いだけのことだろう。ワンボイス棒振り回すようではメンドリに過ぎん。そもそも脱原発と消費税増税見送りの二本立ての話と違うではないか。当初のこの指止まれから排除の論理への転換が不自然過ぎる
共産、社民が選挙協定するのを互いが自画自賛しているがアホラシイ。それで当選するのならめでたいが。それを云うならそもそも70年代の社共共闘の地平からいかに後退していることか。会社なら業績不振で執行部交代が免れないところ、万年安泰党中央制を良いことに高飛車な物言いしているのが好かん。
森ゆうこが、希望の党との連携について、「野党は結集してほしいという国民の切なる願いを受け止めての流れであり、安倍独裁か民主主義の希望かという選挙になりつつある」と指摘した云々。これが真っ当な見解である。残念ながら共産、社民は敵対する。一度でも連携を求めて交渉するのならともかくも。
1970年代の政治状況に比して今は左派運動がなくなったどころかリベラルでさえ排除される情けないことになっている。それでいて万年正義弁だけは聞こえてくる。それも段々数が少なくなりロートル化してきている。言葉の力が次第に弱くなっている。なのに我が党勢は伸びていると云う。こんなんありか
良いこと云う人とか政党はいつの世にも居る。問題は、良いこと云う人とか政党がそれを実現する為の政権目指して一日一歩し続けたかどうかである。良いこと云うだけでごまかしている人とか政党ばかりではないか。それは云わないよりは良い場合もあるが、却って一日一歩運動をスポイルすることもあるぞ。
脱原発と消費税増税延期だけを掲げれば良い。諸悪の根源は原発派であり消費税増税は中毒の亢進に過ぎないので却下されるべきだ。この基準によると前原自身がカットされるが致し方ない。社民、共産は近寄るべきだが理屈をつけて砂足するだろう。それはそれで良い。そこら辺りを我々がしかと見届けるから
小池代表はいつだったか脱原発と消費税増税延期の二本立てで仲間を糾合するといっていなかったっけ。いいこと云うなぁ実にその通りと思った。いつの間にやら安保法制問題が出てきてワンボイスが云われるようになっている。何が譲れないかの仕切りは脱原発と消費税増税延期だけで良いのではないかと思う
希望の党の小池代表が、「選挙で仲間として戦えるかどうかワンボイスで戦えるかどうか。そこは重要な点だ」と強調した云々。「仲間として戦えるかどうか」の仕切りは良い。「ワンボイスで戦えるかどうか」の仕切りは緩めが良かろう。ここを強く締めるのなら自民以外の諸党派となんら変わらなくなる。
「希望の党は自民の補完勢力 前原提案は重大な背信行為」。共産党議員団総会での志位委員長の弁である。我が輩が返歌しておく。「共産党は自民の補完勢力 志位発言は分裂策動」。昔、宮顕が党内のスパイ摘発運動に精励し党を壊滅させた。我が輩の見立てによれば宮顕こそがスパイであったと云うのに。
希望の党の小池代表の「改革保守論」は実は奥が深い。この論をどう極めるのか磨くのか、政治の醍醐味はここにあると思う。日本左派運動が、「原日本」を、否定的未開的後進的非文明的だとして公式的図式的に理解したまま今日に至っているが、お言葉をそっくりそのまま返しますと云うことになる。
弱い方が結束するのに統一戦線方式と共同戦線方式がある。両者は似て非なるもので、統一戦線は統制的で共同戦線は和合的である。良し悪しではある。政党共闘の場合、共同戦線方式しか考えられないのに、統一戦線方式の感覚で正義弁する者がいる。これは分裂派の常套手段であり必ず糸引きがいるだな。
最近の社民党は共産党の金魚のフンと化しているようだな。この間まで自民のフンと化して総スカンくらい解党を余儀なくされた。共産党が民主集中制を権化とするのに比して社民党は社会党時代より多様性を持つところが値打ちだった。その値打ちまで失ったらこの党こそ要らんがな。民進なろうて解党せえ。
民進のどこまでが重役かは別に論ずるとして基本的に合流を辞退し、その代わりに後のもんがすんなり合流できるように身を投げ出す。これが歴史弁証法だろう。政策の違いに目クジラするのは非力野党の万年癖であり政権与党たるや異論や派閥を抱え込む度量がいる。希望の党がどちらを取るかは自明だろう。
細野が民進党の首相経験者の菅、野田に合流辞退を促し小池代表が「総合的に考えたい」と述べ必ずしも排除しない姿勢を示した云々。違うだろう! 菅、野田が大将の器なら手前が切腹し、代わりに後の者をよろしくと命を投げ出すところだろう。細野に言わせることではないだろうが。往生際がなっとらん。
前原代表が指針させた民進党解党、希望の党への合流は、前原の歴史に残る虚心坦懐の政治バクチとなった。見栄も外聞もかなぐり捨てて、「もう一度、政権交代の大きなプラットホームをつくるため」唯一可能性のある道へ舵を切ったと云う意味である。政治遊び流行の中での久しぶりの真剣勝負決断だった。
日本政治の改良のエポックの一つは角栄政治、次が小沢政治。次が目下の希望の党かもしれない。この系の政治が政権を担えば日本は正しく発展できる。問題は、この流れに噛ませ犬として飼われている社共が敵対してくる史実である。ニセ共産党問題の重要性が分かろう。この論が無視されているけれども。
我が輩が観ずるところ希望の党はかなり多角的な球体エネルギーを発しており且つ雑食である。政党というのは本来これが一番で民主集中制なる甘言で党中央集権制を敷く方が不正なんだな。日本左派運動は長らくこの病気にかかっており、そのせいで活力不足である。ワーワー言い合うのが常態の政党こそ良い
マスコミ論調はある邪悪な勢力によってリードされているのは衆知の通りである。一斉に同じ論調音頭のドラが叩かれる時は、そういう指令が出ていると思えばよい。全政党は無論のこと右翼から左翼まで司法までもが呼応する。ロッキード事件の時の喧騒を思えば良い。この色眼鏡で政局をウォッチしよう。
「急転「自民VS希望」に動揺広がる永田町!」云々。これが実相だろう。これを「希望の党は自民の別働隊補完勢力」などとけなす者は良からぬ請負をしているに過ぎない。安倍の次は安倍か石破と相場が決まっている。このシナリオ崩しが始まっているとみなさねばならない。この流れは賢明な流れと読む。
民進はなし崩しの解党だから個々の党員の判断で政策の近い党へ向かえばよい。自民へ向かうのが自然な者も多かろう。この際、一時の政権に悪酔いした我が身を恥じて引退するのも良い。見たくない顔が相当いるわ。今後は野田聖子か小池百合子の女傑政権へ向けて大詰めする。政治が少し面白くなったかも。
9.28日、共産の民進が良くて希望の党がいけない理由は奇怪としかいいようがない。希望の党は維新、石破派の対抗馬となっており、これを潰すと政権は自公、維新、石破派の三択しかないことになる。共産の反希望の党姿勢こそ凝視せよ疑惑せよ。角栄を葬り中曽根を呼び水した悪事を続けているんだな。
希望の党の脱原発と消費税増税見送りは民進の隠れ原発、消費税増税推進よりは好ましい。よって自由党合流、続いて社民党合流は現実的である。これに理屈を言うのなら手前らの共闘戦線つくりあげておくべきだろう。多少の猫なで声ぐらいで汗かいたと云うのはおこがましい。民進との共闘なぞある訳がない
自由党の小沢共同代表が希望の党に合流する方向となった云々。これで与党1野党1の対決となると思いきや共産党が対抗するという。共産党が民進となら共闘するが希望とはしないと云う理由がわからない。政策的にはむしろ民進よりは近いはずだが。これを解けるのはれんだいこ史観による以外になかろう。
9.28日、1年あまりを残して衆院解散とあいなった。解散名と選挙名は一致するのが普通だがこたびは雲行きがオカシイ。解散名は与党式ソレ今だ。選挙名は野党式大ヤイトになる公算が大だ。与党1野党1の対決になりそうで、自民から出自した小池新党が主体であるところが情けないやら面白いやら。
落選中の議員扶助の講組織が一番上手く出来ているのが自民党なんだな。こういうところも無視されたままである。野党は正義弁は得意だが仲間内の助け合いが下手なんだな。と云うか人間的に情が薄いのではなかろうか。口では情が熱いように言うがやっていることがなっとらんのだな。だから信用されとらん
生活党は政党名を変えずに生活党で行くべきだ。そして当選しようが落選しようが各候補の選挙区投票数を正確に確認すべきだ。これをやっていれば前回よりは今回、今回よりは次回の票の積み上げが必ずある。なぜこれをしないのかが解せない。有能議員が落選の身になったままだが、これを救わんとあかん。
こういう風に書きはじめると止まらなくなるが現代政治評論氏の視点と明らかに違っている。だから次第に貝になり始めている。著作権が良い例で、仮に認めても最小限認定すべしと思うが、最大限認定に向けて正義弁を弄しているのが主流だ。お陰で、歌一つ歌うのに窮屈な思いをさせらる自由ばかりがある。
この角栄政治を見習わんといけないと思うのだが、現代政治は、それを口を極めて批判した福田派、面従腹背した中曽根派が政権を取っている。公明党内の角栄派は放逐され党中央交代している。一貫して反角栄なのが共産党で今日まで続いている。そんなこと自慢にならんと思うのに公然と自慢しているだな。
だからこの政治牢獄から抜け出して真の政党のあり方、党員のあり方を追及しなければならんと思う。この観点から見ると1970年代までの自民党が一番理想的だな。時は角栄政権、日中国交回復交渉に青嵐会が反乱し、それでも政党としては一体化していた。そのようにして活力を保持していたんだな。
民主集中制の適用が一番緩いのが自民、一番きついのが共産なんだな。で、憲法守れ、民主主義守れは一番強いのが共産、自民は憲法改正派が主流なんだな。でもこれってオカシイだな。憲法守れ、民主主義守れだったら党員の自由も守らなくてはならんのに民主集中制と云う名の党中央集中制縛りなんだな。
こたびの「希望の党」もそうだが自民党出自の新党ばかりが立ち上がっている。社民、共産からの政権散りの動きは全くない。私にはこっちの方が深刻に思える。思うに民主集中制なる理論で党員を縛ると党中央が万年執行部化するんだな。自民党系はここが緩いので新党が生まれるんだな。どっちが良いのか。
こたびの解散(選挙)名を何と形容すべきか。「忖度ソバ」、「お遊び」、「退屈まぎれ」、「暑気払い」、「放射能病」等々が考えられる。それにしても数次のムサシマン選挙で議員が劣化し既に議会制が壊れているだな。国会の不倫密通屋敷化はその現象の一つに過ぎず能力そのものが我々レベル以下だな。
森友学園の籠池夫妻逮捕のその後はどうなっているのか。マスコミの報道が封じられている。大阪中1少年少女死体遺棄事件の山田容疑者も然りであるが続報がなさすぎる。ハゲ問題、不倫問題のようなオモシロ事件については耳たこ報道するが、当然為すべき事件報道はシャットアウされるので逆さまだな。
野党戦略で一番良策は、脱原発、消費税増税反対の党派が共同戦線し候補乱立を避けることである。我こそが真の野党の本物として分断してきたのが共産党であるが、ここへ来て秋波を送り続けている。但し民進党に対してのそれであり、生活、社民に対しては机の下でキックかまし続けているのではないのか。
石破のネチネチに比べたら小池の厚化粧ぐらいは何でもない。小池派はこれまでのところ脱原発と消費税増税見送りを打ち出そうとしており高感度が増す。いっそのこと前原民進党の原発推進派、消費増税派は自民党に入党し一からのぞうきん掛けに励むのがよかろう。能もないの目立ちがりやはあかん。
9.25日夕、安倍首相が衆議院解散の意思を明らかにした。税金の無駄遣いと判じる私には何の興味もないが、小池都知事が新党「希望の党」の旗揚げを表明したことで気になることがある。それは、これまで対抗馬として騒がれてきた石破の政権の芽が最終的に潰れたことを意味しているのではなかろうか。
選挙もお祭りの一種だとすれば福島原発その後に目を向けないお祭りなんて許されるのだろうか。福島が片付かないうちの再稼動、原発増設、輸出に精出す政治なんだから何でもありで火事場泥棒ありありで権力棒握った方が勝ちという訳か。打ち出の小槌の予算の分取りの味覚えたら止められないんだろうな。
投票に行くのも忌々しいし行かないのも忌々しい。この風を読むのが私の選挙戦であり、不正選挙弾劾の声を挙げない政党には何の興味もない。せいぜい個人的な魅力で応援する人が何人いるかだろう。それにしても1970年代の政治状況に照らせば卑大なる左派戦線の後退であり、目が当てられんな。
9.21日、民進の前原代表が憲法改正を次期衆院選の政権公約に盛り込む考えを示した云々。要するに、憲法改正と云う点では共産、社民、生活の一部をのぞきオール与党なんだな。お遊び政治大好きと云う点では全政党オール与党なんだな。絶対神のムサシマシーンが猛威を振るう。どう割り振りするのか。
生活の党以外の党はみんな色褪せており何の魅力もない。表面上の対立であり裏ではみんな仲良しクラブなんだな。滑稽なことに次第に質が劣化している。福島原発事故を直視しないままに弁舌できるノータリンばかりである。だから生活の党で、負けてもあすなろで突進すれば良い。不正開票させじは当り前。
私が小沢どんに失望したのは、不正選挙の疑いありと声を上げず自派議員を見殺しにしたことである。明らかに不正に落とされているというのに。小沢どんの政治センスは比較的真っ当と見る。特に生活の党と云う党名が良かった。政策も良かったのではなかろうか。だからここを継いでこじ開ける以外にない。
この共同体の中にこそ自由があり平等があり議論があり、これを捨てて西欧一辺倒になる必要なぞどこにもない。早い話が日本語が出来過ぎの言語であり、これを大切に磨きながら生きるのが人の道かもしれない。徳川300年はこういう日本社会の特質の上に立脚していたから長持ちしたのではなかろうか。
こうしたスタンスになったときに見えてくるのは日本の縄文共同体主義なんだな。それは未開なものでもないし西欧のそれに比べて遅れているものでもない。戦争のような無理を嫌い、少しずつの思いやりで助け合い、みんなで囲炉裏端で食事し、民謡を好み、囲碁将棋も能くし、万事かなり衛生的なんだな。
私が無口になり始めたのは戦後民主主義そのものを虚構理論と疑い始めたことによる。戦後民主主義の理念や原則にもとるからダメなのではなくて、戦後民主主義の理念や原則そのものがかなりヌカ釘なもので依拠するに足らないものなのではないかと。だから本当の青い鳥を求めて旅を続けようとしているんだ
なるほど今やれば自公圧勝だろう。問題は投票率と見る。どうしても行かないといけない人を別にすればその他はオールネグレクトする。もはやムサシマシーンの出る幕さえない。こういう圧勝パターンが見える。滑稽なことは投票締め切り直後に100%当確が決まり投票率もますまずの結果となることだな。
急に解散風が吹きはじめている。私はこれを政治家とメディア合作の退屈しのぎの政治遊びと見る。この国で大事なことに限って自力で行えるものはない。どうでも良いことを面白おかしく演技する自由のみが許されている。よって1000億程度の無駄遣いなど退屈しのぎのエサ代で少しも惜しくはないんだな
命や暮らしの根源から湧いて出るようなエネルギーに満ちた政治活動が欲しいと思っているが、最近のそれはフェイク政治活動ばかりのようで、どのラインを手繰っても力が入らない。しばらく様子を見ようと思うが、14、5歳の若い世代が元気に殻を破っているように思えるので実はこれに期待しているんだ
飼育された政治論は二大政党制を目指している。大きく見れば小沢どんのそれも二大政党制の枠内のそれであるように思える。この場合、共産党、社民党は気つけ薬のような役割で生息が許されている。こういう二大政党制論は一院制論も同様に、お坊ちゃまお嬢ちゃまの退屈しのぎの政治遊びでしかないわな。
小沢どん待望論さえ古いと云うのに「小沢一郎、再び民進党救世主」論となると論の腐敗でしかない。民主党政権時代の経験を通して学んだことは政治能力的に見て民主が自民以下だったこと、次の政権交代は能力の高い政党を作り上げる以外にないとの合点である。これ以外の道は政治遊びでしかないつうのに
東電が公然と海洋放水に向かうサブドレン工事を進めており完成は今年11月頃の予定。これにより、「放射性セシウムのほかストロンチウムなども除去されたトリチウム水が大半で、海を汚すリスクは大幅に減った」。東京新聞「山川剛史、宮尾幹成」の署名記事になっているらしい。ほんまぁかいなぁ。
9.15日、石破が山尾事件に言及して「事実がないなら何も離党することはない」と正論を述べている。但しちょっと待て。北朝鮮訪問の際に接待女要求ゴリ押し事件を始めとする性問題の噂話の多過ぎるおとぼけ御仁による説明要求が白々しい。お前にだけは言ってもらいたくないという気持ちになるわな。
日本政治は政権与党の自公は無論のこと野党の諸党まで含めて不正選挙を告発しなかったこと福島を見殺しにしたことの見ざる云わざる聞かざる責任を取らされるだろう。思えば安倍であろうが石破だろうが他の誰であろうが奇妙なほどみんな馬鹿ヅラしているわな。議会制とん馬天狗主義の幕が開いているだな
北朝鮮報道が世界を席巻しているのか日本だけなのか分からないが耳たこ以上になっている。思うに、それだけの報道能力と量を福島原発その後になぜ向けないのか。その代わりのモルヒネ北朝鮮報道なんだろうが、それも次第にきかなくなる。近いうちの現実は見ざる云わざる聞かざるのベールを取るだろう。
山尾バッシングが行き過ぎと言う評論がある。私には庇う理由も貶す理由もない。一言言わせてもらうと、勝手に転んでいるんだな。言い訳が酷い。オカシイんだな。事実なら居直るかどうかだな。事実無根なら争えばよい。記事内容は認めず離党するなんてことは最悪ではないのか。政治家としてはオワだな。
中曽根の「墓場まで持っていく」発言は、国鉄民営化の裏話のこととするひねくり評論がある。しかしなぁ、国鉄民営化に墓場まで持っていくような裏話があるものか。全てオープンでよろしい。この御仁は何とかして123便事件のビックリギョウテン話から目をそらせたいようである。臭い与太評論である。
私は立花や共産党と違って田中角栄を諸悪の元凶と思わない。むしろ逆でほとんどが肯定的に理解できる。その反対は中曽根であり、ほとんどが肯定できない。日航123便事故事件に関して「墓場まで持っていく」とするのも許し難い。手前の首相時代の出来事なのに現地に慰霊に行かないのも許せん。
昔は族議員が多かったが、今では国会を高給保証の勤務先と考えている議員が多いのではないのか。よその領収証をかき集めたり架空領収証で還付を狙うなどは勤務型の特徴だろう。連中に政治の大義はないから、金もある地位もあるヒマもある者としてボディランゲージに励むようになるのも無理はないわな。
山尾の「男女の関係はありません」とした上での離党は、彼女を再起不能にさせるのではないのか。むしろ曖昧のままにさせるか、政治的交際として居直るかした方が次があるのではないのか。こういうところの進退の仕方で能力とは関係なく評価が高まったり没になったりするわな。芸人の居直り見習わんと。
山尾問題のれんだいこ見解は、山尾が過去において不倫問題追求に熱心だったかどうか如何とする。これにつき、口を尖らせていたならブーメラン刺さるべし。その種のことについては私はなんと言うかほんちゅうかとムニャムニャしていたなら許されるべし。要するに、 蓮舫するかしないかの問題である。
籠池夫妻と大阪中1少年少女殺人事件のY被告が神隠しにあっているな。私が記者だったらこういうところを取材するのだが現下のマスコミは不倫疑惑と北朝鮮とブーメランが好きらしい。追及した者に同じ容疑のブーメランが舞い戻るのは確かに面白い。前原はんは大丈夫かな。よほど平和なのかアホなのか。
籠池夫妻が神隠しにあって久しいな。元気にしているのか気になる。マスコミは不倫だとか下半身の行状だとか北朝鮮問題に明け暮れ、福島も報じない。大事なことは影響も大きいので、そういうものは避ける。どうでも良いことをとんでもないことのように云って騒ぐのがお仕事らしい。私には勤まらんな。
1985.8.12の日航機123便事件時の首相である中曽根は、手前の選挙区の群馬3区の事件だというのに、現地慰霊に何回出向いているのだろうか。1回ぐらいはあると思われるが、二度と出向いていない裏にはどういうトラウマがあるのだろうか。そんな御仁の画策による憲法改正なんて臭過ぎよう。
我々は戦前の大本営発表を笑ってきたが、その我々の時代の原発事故大本営発表を笑わない。他人のことや昔のことがよく見えるだけのことと云ってしまえばそれだけのことだが、時代が賢くなっていないことに寂しさを覚える。博士や先生がこんなに多い時はないだろうに役立っていないというか馬鹿丸出し。
福島に立ち向かわない日本政治は死んでいる。福島に背を向けた東京五輪祭りは水泡に帰す。マスコミは北朝鮮喧騒に明け暮れしているが福島には冷淡。福島で何か解決しているのかと問うと深刻になるばかりと云う返事の只中にあると云うのに。世界は奇妙な日本政治を見世物として嘲笑しているだけのこと。
9.3日、民進党の前原代表が山尾志桜里を幹事長抜てき云々。これが評価されているようであるが、我が輩の知る限り、民主党政権時の反小沢の動きにおいてことごとく追随していた凡人でしかない。党内二分勢力を挙党一致させるのならともかく主流派内のたらいまわしを永遠電導運動しているに過ぎない。
8.23日の原子力規制委員会 田中俊一委員長 定例会見「私どもは凍土遮蔽壁で地下水流入が防げるとは最初から思っていない。完成してどうなるか楽しみだ」云々は、ならば何で国費でやったんだということになり政治責任に繋がろう。不倫報道よりも数百倍優先されるべきニュースになるべきだろうに。
メイ英首相の「日本を安心させる」使命を帯びた訪日目的は、東京オリンピックのロンドン引き受け折衝だったという可能性はないのだろうか。時期的にはまことにタイムリーである。私にはそうとしか思えん。いずれ白黒がつくだろう。こういう場合、公式発表はまったく当てにならない。どう読むかである。
9.1日、民進党の藤井裕久が、前原を代表に選出した代表選後の党内の離党の動きについて「政治家として一番のカス」云々。それを云うなら、小沢どんの番頭役を捨て一時の権力の蜜に群がった挙句に逼塞している手前の履歴の方がよほどカスだろうが。カスが人のことをカス呼ばわりする癖があるだな。
日本政治は選挙票カウントマシーンを止めさせるか、二台でカウントさせるなりして不正を止めさせれば良質になる。ここに目がいかない間は風呂屋の三助のユウばかりとなる。そんな馬鹿なと云う者がいるが既にアメリカのトランプがはっきり不正選挙を告発している。日本だけマトモである訳がないつうのに
総選挙論調が勢いを増しつつある。そういう煽りの裏工作が作動しているに過ぎない。囲碁将棋に例えれば野党の方が格段にヘボい。政権担当能力ゼロが分かっていて解散風を煽るのは石破政権の呼び水でしかない。安倍もダメだが石破がもっとダメなのははっきりしている。故に目下の解散扇動には反対だ。