思うに自民、公明、民進、維新、共産、生活、社民の全議員が選挙で選ばれているのではなくムサシマシーン采配議員なんだな。ウソと思うなら過去の選挙票を点検すれば良い。これをさせないまま公正選挙論をぶつ点で全政党が共通しているんだな。70年代までの日本には考えられなかった事態であるだな。
2016. 5月 |
(最新見直し2015.3.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、2016.5月度のツイッターを整理しておく。 2015.2.1日 れんだいこ拝 |
思うに自民、公明、民進、維新、共産、生活、社民の全議員が選挙で選ばれているのではなくムサシマシーン采配議員なんだな。ウソと思うなら過去の選挙票を点検すれば良い。これをさせないまま公正選挙論をぶつ点で全政党が共通しているんだな。70年代までの日本には考えられなかった事態であるだな。
自公の度の過ぎた国際ユダ邪奴隷振りを見させられるのも反吐が出るが、そういう連中に操られて表では正義マンぶるが裏ではペコペコし続ける野党が居たとしたら、これにも反吐が出よう。しかして日本政界にはこんなんしかおらんとは情けない限り。草葉の陰で角栄派がふて腐れてる姿が目に浮かぶぜよ。
ムサシマシ-ン采配により何回選挙しても勝ち目はないのに、この問題に目を向けず、徒に政権批判を繰り返し、ならば解散するぞと脅されると、昔なら受けて立ったが今はその気概もなく、ひたすら政治のお遊び道中を行脚し続ける腐れ野党めが。もうええから帰って百姓せぇと昔から云われとるちゅうのに。
政治デタラメ極まれる。消費税10%化を延期させた安倍政権に対し野党4党が内閣不信任案を提出する云々。これはどういうことなら。民主は野田政権の頃から消費税増派だったので安倍政権を批判するのは分かる。それに共産、社民、生活党が同調するとは何考えてるんだ。筋が通らんわい。このドアホめ。
オバマは広島に来て核軍縮を説いたが原爆投下とその被害についてはダンマリした。これは今後の日本外交のお手本となったと云う意味で外交的成果と考えられる。にも拘らず相も変わらず従軍慰安婦問題千遍謝罪、原爆実験居直り構図が続くとしたら漬ける薬がないわな。要するに勝者側の理屈ばかりが通る。
パナマ脱税に財務省幹部の前事務次官、現事務次官、首相秘書官、財務官、主計局長、主税局長、主計局次長。財務省トップが売国奴の巣窟であることが露見した。他も似たり寄ったりだろう。ノーパンシャブ事件以来の大型官僚不祥事。公務員服務規程犯罪だがこういう時に限って地検が動かないのがお笑い。
TPP交渉でも分かるように更なる著作権強権化網が敷かれようとしている。ユダ邪の狙いは情報統制、規制、濡れ手に泡の金権化である。それも分からず著作権強化こそ先進文明権であるとして旗を振るウヨサヨの群れ。今となっては陸競に於ける逆駆けっこみたいなものである。哀れなるユダ邪臣民である。
5.27日、著作権訴訟で訴えられていたGoogleが「フェアユース」理論で勝訴した。Oracle(java)が90億ドル(約1兆円)にものぼる巨額の賠償請求をしていた。これで良い。問題は「フェアユース」理論が今後の規範になるのか抑えられるのかにある。これが最先端の闘いであるぞよ。
あちこちで田中角栄再評価が勃発している。石原慎太郎の「天才」が火をつけたのではなく石原も角栄ブームに便乗したとみなすべき。それには理由があり、ロッキード事件を合図に反角栄政治に向かった挙句の果てが今日の日本であり、その惨状が逆に角栄政治を照らし始めたと云うことか。歴史は動くだな。
舛添は分かろうとしていないのか分からないのか。薄汚い、セコ過ぎる政治の私物化に対して日本人の情緒が既に拒否反応している。サムライ時代の日本ならチャリンの一閃で二条河原に首が晒されている。なるほど石原はスルー何で俺がの言い分は成り立つので名は体をあらわすで巻き添えにすれば良かろう。
米軍にレイプされた過去を持つフィッシャー女史が日本政府に対し加害側の米軍に弱腰過ぎると糾弾している。これに補足しておく。レイプ犯は被害者をなぜこうも虫けら同様に扱うのだ。これが二重三重に許し難い。そういう洗脳教育されているからではないのか。イスラムでも同じことしているんだろうが。
日本発の研究がなんでこうも次から次へと国際ユダ邪に奪われるのか、日本のマスコミ、政党、官僚がこれに加担するのか、こう問わねばならない。直近では三菱自動車が日産ゴーンに拳骨食らわされ、スズキまで巻き添えされたが、この裏に何があるのかを問わない。せいぜい枡添叩きぐらいが限度のようだな
佐々木浩司なる者が、STAP細胞論文で名を馳せた元理研員の小保方氏を引き続き誹謗中傷文して悦に入っている。こういう手合いがジャーナル主流として跋扈する時代を早く終わらせたいと思う。ジャーナルするならSTAP細胞研究の先鞭をつけた日本が出遅れたはなぜなのか、こう問うのが感性だろう。
そもそも「国民怒りの声」代表の小林節が慶大名誉教授つうところが気に入らん。慶大は創立者の福沢諭吉からして国際ユダ邪の走狗であり、その母斑を今日まで色濃く持っている。そういうところで長い間、禄を食んだ者から正義派が生まれる訳がない。小林辺りが正義派ぶるのもええかげんにせぇっちゅうの
5.19日、「国民怒りの声」代表の小林節が社民、生活両党と共闘しない方針を明らかにした云々。「正体見たり枯れ尾花」だな。日本政治の回天能力は、生活と社民が合同し、これに日本の国家的民族的文化的精神的経済的自律派が連動し、売国派の国際ユダ邪勢力と対決していく以外にないちゅうのに。
何度も云うが我々のメディアを作らない限りどうにもならない。いろんな人が色々に発信しているが、云うだけでなく、我々の情報発信基地を作らない限り闘えない。ここに眼がいかない間じゅう我々は騙し続けられる。仕事でも趣味でも何でもそうだが本物のものを味わわないと滋養強壮にならないちゅうの。
都知事のイタチ屁弁明が続いているが、オリンピック誘致買収費不正、政府の度重なる海外大盤振舞い、福島原発事故お粗末対応、このような時には何で東京地検がダンマリし続けるのか。その癖、角栄、小沢、その他土着系政治家叩きとなると冤罪であろうとなかろうとしゃしゃり出てくるのか、分かるかなぁ
舛添都知事の釈明が続いているが私は都知事選の時からの不正を告発する。ムサシマシーン都知事であり有権者選出都知事でないことが判明すれば、彼の税金むしゃむしゃ食いは犯罪だろう。今は資質劣性のムサシ議員がこういうことばかりしている。それを咎められない日本政治の貧困こそが問題である。
多くの者は東京オリンピック返上に卒倒しようが、これは端から仕組まれた日本金のカツ上げである。音頭とりが電通である。黒幕は例の国際ユダ邪である。連中の退屈しのぎの錬金術として東京オリンピック招致活動が利用されただけのこと。こう見立てることにより様々な頓馬天狗ぶりが説明できるんだな。
IOCのバッハ会長が東京オリンピック返上に舵をきる発言をしている。これをどう読み取るべきか。私は、福島原発の今後のますますの泥沼化が判明しており、物理的に東京では開催できない事情があり、その口実として招致買収疑惑に言及していると見る。前者が鶏であり後者が卵である。逆ではない。
蓮實重彦氏の三島由紀夫賞受賞記者会見時のコメントに思うことは、自ら作品を投稿して受賞したものであることを前提としてだが、まともにコメントしないのなら記者会見を拒否すれば良いのに。拝見するのに答弁が気難し過ぎる。あんなものが伝染したら我が社会はますます窮屈になる。捻り過ぎだよな。
小泉はんが訪米して東日本大震災の「トモダチ作戦」に従事し被曝した米海軍の元兵士らの健康被害の訴えに耳を傾け涙を流した云々。そのこと自体は良い。問題は、日本人となると放射能ストロングマン説になって被害者少数、死亡者ゼロとなる。これを愛国弁でやるのでお話しにならない。なんでかなぁ。
東京オリンピックがご破算になった場合、だれが責任取るのだろう。そんなことはあり得ないと云う者が多いが、私にはやる気のなさのほうが目につく。何から何までケチのつきどうしなのも案外当たりなのかもしれない。聖火台のない競技場設計を審査じゅう誰も指摘しないのもお笑いを通り越していよう。
最近思うことは屋上屋を重ねる無駄な会議が多過ぎることである。そういう連中が国を取り仕切っているので下がこれを倣い、日本は一億総建前重視/内実空疎社会に突入している。どこの誰が流行らしたのか質問事項をあらかじめ提出してくださいで入り口チェック。後はろくな議論がない会議の為の会議。
「民進と共産、次期衆院選でも協力…参院選に続き」云々。この流れに賛同しようがしまいが知っておくべきことは、与党であれ野党であれ議員の当選は選挙民が決めるのではなくムサシマシーンが決めるということ。奥の院から見て忠犬愛猫は◎、逆は×。世論調査その他はそれをさもらしくする為のふりかけ
安倍政権臨終秒読みと云うけれど誰が後継するのか。石破は先の原稿読み失態事件で大ミソをつけた。国際ユダ邪が後押ししていたのは事実だが今はどうかな。石破よりは安倍の方がまだしもマシだろうの声の方が多いのではないのか。後継者が居らぬという間隙で安倍政権が続くとしか考えられないんだがな。
日仏が 「東京五輪」裏金疑惑で捜査する仏と「正当なコンサル料」弁明する日のオリンピック返上綱引き実演中。オリンピック返上となった場合、一体これまでに幾ら税金使い込んだのだろう。マスコミ評は小粒化し何十万円辺りでは息巻くが、こういう大きな金額になるとスルーする癖があるだな。
福島、関東の放射能汚染危機の只中で皇居も国会も平然と居り続けることで安心感があるといえばあるが後世、侠気であったと評されることになろう。天皇は侠気だったにせよムサシマシーン選出議員どもは単なる狂気でしかなかった。この事態を招いた元一日仕掛け人の中曽根大勲位の講釈をお聞きしたい。
民進党は共産党との協力に「舵を切った」と読売新聞が報じた云々。これをオリーブの木運動だとして手放しで喜ぶ者はおぼこい。選挙の投開票に於けるムサシマシーンを使わせないとする断固たる意思の下での共闘ならたいしたものだが、この問題に触れぬ協力云々は所詮は風見鶏系のお遊びのものでしかない
5.12日、社民党の吉田党首が民進党との合流発言云々。進むも引くも情けない限りの話しである。既に社会党を潰しているので社民党も潰そうがどうでも良いのだが、どうでも良くないのは政治感性である。口だけ鍛えて足腰鍛えぬ裏取引専門習性のなれの果てが今だろうが。ええとこ取りはないちゅうのに
「東京五輪招致で2.2億円送金」で仏が捜査、日本政府「業務委託に基づく対価」の主張云々。これは東京オリンピック辞退の伏線だろう。関係者には早くからわかっており、それ今のうちにと予算ぶんどり作戦を始動していた連中こそ実に機敏であった。但しそういうゼニ取ると運勢と運命が悪くなるだな。
舛添が私的流用認め返金する意向云々。この御仁は恥を知るとか身の潔白を証すとかの作法を知らないらしい。くだらもん弁明ばかりを続けている。この御仁が本当に選挙で当選していたのかどうか怪しいムサシ首長であることを踏まえれば、そういうもん特有の下種の極み得手勝手である様が見えてこよう。
政治家も官僚も学者も評論家も今や資質劣勢組ばかりが登用され、そういう連中は概して能力不足故に何事にもお遊びしかできない。そういう政治なり行政なり報道が続いているのが昨今の日本である。原発事故収拾不能局面での再稼動、住民帰還要請など噴飯を通り越して言葉がない。こんなんばっかなんだな
舛添問題が周囲を巻き添えにしながらマスコミの好餌になっているが舛添のマッチポンプに付き合わされるだけでしかない。この問題の本質は舛添も猪瀬も石原も本当に選挙で当選していたのか、少なくとも獲得票数はムサシマシーン采配による出鱈目ではないのかを検証することにあると云うのに。
5.12日、日産自動車と三菱自動車が資本業務提携する方向で最終調整に入った。日産が事実上、三菱自を傘下に収めることになる云々。日本自動車業界は国際ユダ邪に送り込まれたゴーンにゴーンとやられぱなしだな。三菱Gも案外と脆いもんだな。従業員にとってどうなって欲しいのかな。そこが知りたい
国際ユダ邪一味はタックスヘイブンもそう、シンガポールやマレーシアへの国籍変更もそう。東電の勝俣の如くドバイへの逃亡もそう。要するに我さえ良ければ式の口で愛国、裏で売国に精出しながらアンポンタン生活に耽っている。この連中を一網打尽にしない限り国富の生き血を吸われ続けることになる。
パナマのタックスヘイブン利用者を漏洩させたパナマ文書が公開されても我が国でカエルのツラにションベンの感がある。要するに原発事故と同様にどう受け止めて良いか分からない脳死状態下にある。評論家があれこれ云うも結局は火消し役でしかない。これのキモは国際ユダ邪一味を晒しだしたことにある。
5.6日、訪米中の石破が憲法改正の次のステップとして「日米同盟を対称的関係に移行させる」云々。「対称的関係」の中身を考えれば国際ユダ邪にすりより何でもやリます、首相にしてくださいと哀願している格好だな。先の原稿ずっこけ読みで石破オワなんだが往生際が悪いと云うか未練がましいんだな。
三陸震災の対応は無茶の極みばかりしている。海の者を山に連れ、海岸線には山より高い堤防を造る。海辺にいて海の見えない暮らしを強いてどうしようと云うのだろう。本来は的確な災害情報、避難路、避難所の確保で十分なはず。無駄銭使うな。復興予算は被災民の生活と経済活動援助に使えちゅうのに。
もう一つのアイデア賞を記す。安全性審査に合格してのことだが、さびれた温泉地の復興を兼ねて、旅館の一部貸し切り、稼動していない旅館のリフォーム等々で人員を受け入れてはどうだろう。温泉地は助かるし被災民も助かる行政も助かるの良いことづくめではなかろうか。何なら私に音頭取らしてくれ。
熊本震災被災民の車中泊で思ったのだが、これは仮説住宅の代わりになるのではなかろうか。十分にくつろげるスペースを持つワゴン車が当面の足しになるだろう。仮設住宅よりも即効性がある。広場さえあれば直ぐにも可能である。今後の被災対策として考慮すべきではなかろうか。アイデア賞奮発頼むぞ。
それにしても最近の相次ぐ不正選挙問題に対して共産党までもがダンマリし続けていることを直視せよ。18歳選挙権だの定数是正には執心するが不正選挙に関してはむしろ関心を持つ者を逆説教する。この闇を考えないと現代政治が理解できない。ここを論じないままの赤勝て白勝てに何の意味があるのだろう
5.2日、小池晃共産党書記局長が夏の参院選一人区での野党協力について冷や水発言をしている。これを「失言」とみなす向きがあるが奥の院指令に基づく確信犯的な発言だろう。まもなく民維、共産、社民の内部から共闘を崩す動きが出始めるようになる。なぜ分かるのか。我が輩の霊能透視術による。
人が前向きな何かをしようとしている時に水を差す癖の或る者はその人自身の人生を歪める。幾らパソコン上手でも諸事器用でも単にそれだけのこと。それよりも相手を喜ばせ自分の身体細胞もが喜ぶようなことをし続けておれば必ず運気がよくなる。ダメ人間はこれができない人の困りごとが蜜の味なんだな。
或る人に緊急のパソコン手直しをお願いしたらエライもったいぶる。肝腎なこの時のネグレクトは致命的だ。私を大事にしておけば良いことがあると云うのに敢えて嫌味をする。愚痴を記しているのではない。世の中で伸びる人と伸びられない人の分水嶺がこの辺りにあることを見極め、知ろうとしている。
ユニセフのテレビ広告が目につくが、それにより募金が集まったとしても過半が広告費に消えてしまうのではないのか。経理公開させねばならない。募金団体の募金額と広告費の関係を知りたい。ついでに団体の人件費、経費も知り、一体幾らの額が現地に届いているのか知りたい。誰も知らんのではないのか。
5.3日は69回目の憲法施行日。安倍、中曽根、桜井良子が改憲に意欲云々。確認すべきは改憲派は「口で愛国、裏で売国」を特徴としていることであろう。国際ユダ邪の下僕であることを隠す為に愛国ぶっているに過ぎない。改憲理由に自主憲法を唱えるが、こたびの改憲こそが自主ではないと云うお笑い。
最近の政治の無能、インチキ選挙、政治家のアホウヅラを見るたびに近代民主主義のイデーと制度そのものに違和感を感じる。あれは理想でもなんでもなく国際ユダ邪が各国の人民大衆を手なづける為の自由平等博愛と同じの単なる美辞麗句であって、本来のあるべき合議政治制度とは違うのではなかろうか。
桜島で又も大噴火があった。然るに川内原発は稼動し続けている。もう想定外は使わさない、税金補填もしない、その上で稼動し続けるド根性と云うか国際ユダ邪指令一番手として引き受けはしゃぎまくる九州電力の、鹿児島が壊れても九州が壊れても稼動命とする悪魔弁しまくり言質をとっておくべきだろう。
熊本震災の被害者もボランティアも福島原発被災民に比べれば心なしか明るい。それは明日の復興が確信できるからだろう。これを逆に云えば福島原発被災民は気の毒を通り越している。本当に住んで安心なのか移住で行くのか真剣な路線議論が必要ではないのか。原発を抱え込む悲惨さに頭が狂いそうになる。
「日本政府のやり方はナチスのまねばかり」なる批判が定式化しているが違うと思う。そもそもナチス批判そのものが戦勝国論法により歪められている。その戦勝国側が日本政治に露骨に頻りに介入しているのが現代日本政治である。とすれば「ユダ邪の御用聞き街道一直線政治」と批判するのが筋だろう。
池田-田中政治をハト派と云うのも少しオカシイんだな。正確には過渡期縄文社会主義政治と云うべきかな。要するに日本の心派なんだな。これに対抗するのが国際ユダ邪系選良政治なんだな。どちらが優秀なのかは聞くまでもない。政界奥の院の国際ユダ邪の支持棒がなければ明日にでも権力とってみせようぞ
目下の日本政治の貧困は、戦後日本の保守系主流派であった池田、(佐藤)、田中、大平、鈴木のハト派政治を駆逐したことにより始まり未だに定向進化を続けているところにあるんだな。マスコミはタカ派、国際ユダ邪の御用聞き旗振りでしかない。こう読み解けば、我々が何をどうすべきかが見えてこよう。
「角栄の金権は案外と身奇麗」に補足しておけば、角栄は財閥系からのヒモ付き政治献金に手を出すよりは自前調達を心がけた。この自前調達の仕方、調達した金の上手な使い方に対して日共はヒステリー調の金権批判をした訳だが、他方で「財閥系からのヒモ付き政治献金」派とは是々非々しているんだな。
金権角栄論のウソも指摘しておかねばならない。角栄の金権は案外と身奇麗で税金や他人の金に手をつけていない。チップをはずんではいるが励ましの為のもので買収目的ではない。カクエイにまつわる顰蹙を買うような話しは大抵が作り話しである。批判している連中の方が不破みたいに金に汚いのが多い。
角栄論の一つはロッキード事件5億円問題の真偽判定である。石原も授受「あり」としているが私は「ない」が本当の話しとしている。角栄が潰された要因も色々に批評されているが私は、ユダ邪属国日本からの脱却として国家百年の大計で毛沢東派との日中同盟に向かったのが逆鱗に触れたのが真相としている
世間では角栄ブームが到来しているらしい。問題は、角栄のどこをどう評価するのかにあろう。れんだいこは、縄文社会主義論の見地から角栄こそ真正の日本型社会主義政治のリーダーであり大国主の命政治の再来だったと逸早く評価している。巷のそれにはこの見地がないから、石原のそれも含めてくだらん。