2014.5月 |
(最新見直し2014.6.1日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、2014.5月度のツイッターを整理しておく。 2014.6.1日 れんだいこ拝 |
5.30日、国際通貨基金IMFが2014年の対日審査後の声明を発表し、今後の規制緩和や財政再建の推進を促し、消費税率については「最低でも15%まで段階的に引き上げる」ことを求めた云々。こんなのは内政干渉と云わないのかなぁ。指針がよければともかくもろくでもないことばかり云ってらぁ。
政治家は人より賢くて先見の明があって指導力がある人でないと意味がない。人より賢いというほどではなくて、原発再稼動で分かるように先見の明がなくて、指導力がなくてという者が政治家になって出世している。なぜこうなるのか。これは不思議ではなくて仕掛けによって選出されていることによってだな
安部の「イラク戦争は証明出来なかったイラクが悪い」発言が取りざたされている。思うに「事故被災は被害を証明出来なかった被災民が悪い」と云うロジックになるのではなかろうか。しかも何を云っても直接的でないとして却下される仕組み。要するに性質の悪い逆モーション型の詭弁論法なんだな。
福島原発事故に対しての日本政府の舌の使い分けは外国人に対しては実害賠償、日本人に対しては風評無害論なんだな。政府の生体実験政策に対して外国から告発が始まっている。日本では相変わらずの知らさず論が横行している。この政治犯罪には歴史が必ず決着つける。それにしてはのん気な国会で呆れる。
日本維新の会の石原派と橋下派が決裂、分党云々。マスコミは何の意味もない極めつけの政治遊び人の石原、橋下の動きを伝えて興じている。これも日本政治死相のひとコマである。本当の政治潮流が作り出されていないから、こういうおふざけを追うようなことになるんだな。何とかせんとな生きる甲斐がない
これは重要案件ですので質疑しませんとか、質疑しても情報公開しませんとか、そもそも議事録取りませんとかつうのが正常とされているが、こうなると質疑されているもんはカス案件ばかりということになり国会が何やらあほらしくなる。政治遊び人が己の甲羅に似せて穴を掘るのでこういうことになるんだな
国会中継していたようだが、福島原発事故対応問題から目を背けたもんばかりの相変わらずの政治漫談だったな。質問する方も答える方も漫画式に描けば鼻水垂らしてズルズルクスンクスンしながらの質疑応答だわな。声の張りもなく大儀そうなのが分かる。れんこが見るところ国会に死相が出ているな。
禁煙つうのがこんなに長引く戦いになるとは知らなかった。1ヶ月目になるけどまだ吸い魔がささやくもんね。眠いし頭を縛る輪リングのようなものが抜けない。いつまで続くのか知らんけど。いつも夕方がやばいな。ヘビー喫煙者から禁煙者になった先達はたいしたもんだなとつくづく思う。
日本は今、原発吸血鬼によって汚染されまくっており命をとられる寸前である。この手合いの為すことに何一つとしてろくなものがないのも道理である。原発吸血鬼追放から始まる体制打破こそ直近の日本回天大使命であり共同戦線化すべきと考える。これができないと日本はマジに壊死させられるぞ。これ託宣
原発に関して一言。れんだいこが今45年煩いの喫煙習慣に挑戦して1ヶ月、体内からタバコ吸血鬼を追放しつつあるように日本から原発吸血鬼を一掃せねばならない。原発吸血鬼こそ正真正銘の諸悪の根源である。かく認識して徹底的に対峙し粉砕せねば日本の明日がないと思う。爽やかな日本を取り戻そう。
今の時代の政治を名づけて目隠し政治と命名しておく。重要である故に選良による国会審議を経て議決するというのが近代政治の原則であるが重要であるという理由で目隠しにされるとはトンだ逆転の発想である。一時、情報化社会の到来云々と云われていたが間違いで情報規制社会到来と云うべきだろうな。
「白鵬が異例の優勝一夜明け会見キャンセル」。関係者が千秋楽の深夜まで説得を試みたが白鵬本人が最後まで拒否する姿勢を崩さなかったという。取材拒否の理由は不明で今後の動向が注目される云々。何かなしにはありえない。何があったんだろうな。相撲は国技で日本の姿を象るので関心を寄せたい。
福島原発事故での無被害論は広島長崎原爆での無被害論を唱えているようなもの。原爆での被害を認めるのに原発事故では無被害と云うのは何かのオカルトにでも入っているに違いない。原爆被害を認め原発事故被害を認めるのは当たり前のこと。オカルト野郎野女の政治なぞ見とうもされとうもない。
しかし世の中にはバカ者政論家が多く原発再稼動、原発輸出推進政治家が靖国神社に参っただけで愛国保守系政治家に評してしまう。無茶な評論だとは思うが通用する。本籍ダボスにして愛国演出する政治家とはみなさない。マスコミ評はみなこれ系。そういう政論家とれんだいこが幾ら話しても通じんわな。
「原発は人間の手に負えるシロモノじゃない。吉田調書の生々しい証言はそれを物語っている」とある。吉田調書のこの指摘を無視して原発再稼動、原発輸出に向かう政治家に限って好んで愛国衣装を纏う。それはそうだろう愛国ぶらなければ御身が心配。斬られるか袋叩きされてダボス本国へ送還されるからな
最近の機関の活動ぶりは名前の逆読みしなければ理解できない。その代表とも云える原子力規制委員会が「吉田調書を読んでもいないし承知もしていない」とコメントとしているとのこと。このことが事実ならコメントマンと委員会責任者は収監処刑されるに値しよう。職務怠慢と云うよりもはや犯罪だろう。
東電が福島原発の「汚染前の、汚染しているとしても基準値以下の」地下水を海に放水した云々。それにしてはニュースのタイトルが「苦渋の容認」だと。「汚染前の、汚染しているとしても基準値以下」なら「苦渋」する必要なかろうが。どっちが本当やねんと云うことになるが、結論は云うまでもなかろう。
禁煙道中22日目、今日始めてぼーとした感じがなくなりました。脳の周囲をツーンとした膜が張る感じがありますが、これも三日ぐらいで消えそう。と云うことは45年ぶりにあの頃のれんだいこに戻ったということか。これはめでたいめでたすぎる。今日はこれから温泉ソムリエとして久しぶりに進撃します
NHKが「許可なく転載することを禁じます。このページは受信料で制作しています」に違和感がある。「国民の受信料で制作」しているなら国民に対して民放よりも開かれた構造の著作権にならなければオカシイのではなかろうか。「国民の受信料で制作」と著作権強化がどう結びつくのか理解不能なんだな。
最近の石破の振舞い見てると首相気取りではないかな。既に日本は二元首相化しているのかな。ナベツネ系が後押ししているように思える。と云うことは石原系が控えていることになる。これが期待される政界大再編成のシナリオなんだろう。しかしなぁシナリオも玉も悪過ぎるので絵餅にもならんだろう。
石破曰く「*が血を流しているのに日本が血を流さなくていいのか?」。「*」がアメリカか国際ユダ屋か米英ユ軍でも良いのだが、こういう問いかけをする狂い過ぎている者を首相になぞしたら日本はどうなる。法治主義違反として石破を政治訴追すべきと考えるが狂った時代にふさわしく逆になるんだろうな
「『美味しんぼ』の鼻血表現が真実だったことが判明」とある。放射能被害にあって何ら症状が出ていないとするなら日本人放射能汚染ストロングマン説になる。そこまで云わなくても生体実験を後押しすることになる。百田はゼロ戦兵士を守る防弾ガラスの薄さを告発していたが原発では云わないみたいだな。
甘利が又もTPP会議に向かうとのこと。会議するのは勝手だが国策の重要事項に対して秘密交渉なぞ有り得て良い訳がない。オール無効で少なくとも国会審議に掛けてからのやり直ししか方法がない。ダボス派の悪だくらみをそのまま通用させるほど世界はオワではない。ダボス派お笑い劇場でしかない。
総務省発表2013年家計調査報告の2人以上世帯の平均貯蓄額は1739万円云々の詐欺性が明らかになっている。こういうのは犯罪だと思う。しかし原発犯罪なぞもっと酷い。それがスルーされているので無痛になるんだな。そういう意味で原発犯罪を正確に処罰しない限り何も進まんということになるな。
今日で禁煙19日目。断固たる決意で挑んでいるから今までの最長と云うのは当り前。問題はなぜか眠いこと。いくら寝ても眠い。これなんかは個人的な体質なのだろうか。共通性があるのだろうか。頭はまだボーとしておりブログできない。心なしか次第にしっかりしてきている感じ。悪のささやきには負けん
憲法9条の条文か解釈かは知らんが、それを変えるのに国民の命と暮らしを守るから弁ずるとは。今の時代ほど逆モーションで語られる時代を知らない。少子化対策で妻の扶養控除外すのもそれ。あれもこれも。云うことの反対を一々考えねばならない勘ぐり時代が到来しているんだな。ややこしいな。
そんなに云うほど放射能が体に良いのなら、電力会社は核の最終処理物をふりかけパックにして売ればよかろうが。原発稼働派の国会議員には毎日朝昼晩と食してもらおう。その時になって逃げまわるなんてことは許さん。名前も東電ふりかけごはんとつけておこう。鼻血が出るか出んかそのうち分かろう。
漫画「美味しんぼ」が原発事故後遺症として鼻血を挙げたところ猛反発云々。その論旨を聞けば、日本人には原発免疫でもあって放射能浴びれば浴びるほど健康になるストロングマン民族であり故に早く帰郷して村おこし町おこしせよと云うことになる。マジかよ。これを愛郷弁で言うから始末が悪い。
総務省が16日発表した2013年の家計調査報告(2人以上の世帯)によると1世帯当たりの平均貯蓄残高は前年比4.9%増の1739万円となり、増加率、金額とも02年の調査開始以来最高となった云々。数式のウソによる誤誘導であろうが、こういうウソを許してよいものだろうか。ええかげんにせぇ
れんだいこは、そういう詭弁学に優秀な成績を修められる者の優秀さが理解不能。昔からそういう論理論法に違和感なく学べる者が羨ましい。この思いは還暦過ぎた今も同じ。問題は、最近は学問ばかりでなく全てが詭弁色に染まっていることである。これについていけない者が可哀想でならない。
政治遊び人の防衛論はどんどん定向進化し続けている。既に理論的には積極的平和主義と云う名の敵国根拠地先制攻撃正義論まで辿り着いている。要するにダボス派は何をやっても許され正義になり逆は逆という便利な理論論法なのだが、この詭弁に相槌打つ者が多いからややこしいだけのこと。
安倍の昨日の説教に相槌打つ者は打てばよかろうが、天が降ってきたらどうするで頭に釜を乗させ、ものが飛んできたらどうするで胴巻きさせ、地が割れたらどうするでソリのような長靴を履かせる。聞けば一々ごもっともなんだが実際にしてみると最悪のお粗末君だったという話しを思い出させるんだな。
後に控える石破が気持ち悪いから我慢しているけど安倍の気持ち悪さも限度になりつつあるな。その集団的自衛権行使論は悪質論法のオンパレードである。敗戦以来ずっと戦勝国のアメリカ様が絶対正義の神様で、こたびもっとお供えせんとする屁理屈を述べているに過ぎん。記者程度では見破れんだろうな。
5.15日、安部首相が「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書を受け、集団的自衛権の行使に関する記者会見を行ったのをラジオで聞いた。結論は5.15事件日に報告書が提出されたのも記者会見もダボス派が仕組んだやらせつうこと。くだらん質疑も然り。嫌な時代だな。
輸血は無意味だった!塩水で十分!! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=288293 …
日本はこれまで密室政治的なものを北朝鮮政治と揶揄してきたが日本は既にその北朝鮮が卒倒するタコツボ政治に入れられているのではなかろうか。その上で原発だけではないあらゆる方面から万力攻めで日本がいたぶられている。後はどう調理するのかだけの問題となっているとれんこ風評主が発信しておく。
ミツバチが帰巣しない事情につき農薬との因果関係が疑わしいとして当該農薬の使用を禁止したのが最近の西欧の動きと聞いた。これによれば鼻血と放射能の関係が疑わしいとならば放射能規制に向かうのが筋だろう。証明されない限り大丈夫つうのは田吾作だな。こういう悪意の政治が幅を利かせ過ぎているな
風評被害論を例えれば戦況がおもわしくないとか広島長崎へ原子爆弾が投下されたなどと風評する者は風評被害煽りの国賊であると述べているのと同じ。この連中は戦況がおもわしくないとか広島長崎へ原子爆弾投下が真実だったらどう責任取るつもりなんだろう。その時の上手な口の回し方が気持ち悪いんだわ
「美味しんぼ事件」の教訓は告発側が狂信的なのか告発批判派が恐ろしいほど無知なのかにつき匕首(あいくち)を突きつけたことにある。どちらが真なりや。れんこは事故前からの告発派である。告発批判派が福島を愛しているように云いながら原発再稼動、輸出を唱えているのが許し難いと云うか理解不能。
東洋では「過ちては改むるに憚ること勿れ」と教える。国際ユダ屋はこう教える。「過ちては決して認めるなかれ」。「人の過ちには謝罪と賠償を要求し手前の過ちには言葉をうまく使いその場を逃れるべし」。どちらの知が本物なんだろうな。結論を言えば、人は手前に相応しい方の論理論法をいただくんだな
原発事故直後は枝野が「直ちに悪影響はない」と述べスルー。4年目の今は福島県が「直接的な健康被害が確認された例はない」でスルー。こういう場合、「間接的」でも良いからとして健康被害について語らせるべきだろう。福島県によればそれもないのかどうか確認したい。れんこならそう突っ込みたい。
漫画「美味しんぼ」の原発事故後遺症告発は快哉事だが、他の漫画が同様の告発をしないから目立っているだけで、それは「美味しんぼ」著者の責任ではない。事態が見え見えなのに国も県も見ぬ振りして生体実験を続ける政治の残酷非情さ。当たり前の告発が逆に悪者にされてバッシングされるとは、憤怒せよ
国民投票年齢、選挙年齢を18歳以上に引き下げる動きがあり各政党がこぞって賛成云々。実にくだらん。れんだいこは成人式をもって投票権を与える現行の仕組みになんら異存ない。昔に比べて精神年齢が幼稚になっている折に引き下げてどうするつうのだろう。そんな正義弁なぞ聞きとうないつうのに。
従軍慰安婦問題では歴史検証を重視して対応している。原発事故問題では歴史検証の地位に風評被害論が納まり、何を訴えても「三ざる」で済ます。ことがそれで済めばまだしも手遅れになったらどうするんだっちゅうのに。そこが心配。これは国事であり石原家並みに隠せば良いつうもんではないでせう。
仮に風評だったとして真偽定める前に問われているのは大騒ぎ罪と無視罪とどちらが罪なりや。この問いにれんこはこう考える。風評ではなく実害だったとした場合、大騒ぎは正であり無視こそが罪である。してみれば風評もこれに準ずるべきではなかろうか。今問題の鼻血はましてや風評以上のものであろうに
漫画「美味しんぼ」の内容に対して石原環境相が「風評被害を助長する」と批判。福島県も遺憾コメントを出した云々。思えば水俣病もイタイイタイ病も長らく原因不明の被害にされていたな。でも被害は認めていたんだな。今は違う。風評被害論なるものを編み出し被害そのものを認めていないんだな。
竹中平蔵と云う人物のトンデモぶりが明らかになれば、その竹中が執心している国家戦略特区構想なるものが眉唾以上のものであるのは自明だろう。1998年来、政権中枢に食いつき続けている国際ユダ屋エージェント吸血鬼である。既に16年にもなるのか。こう認識され始めるとお縄につくのが近いわな。
5.9日、オバマがカリフォルニアで太陽光発電等で世界のリーダーになると演説している。日本は原発、輸出もせよとのお達しの裏で手前は一足先におさらばだと。TPPもこの調子のもので国際ユダ屋にめっぽう都合の良い仕掛け。秘密交渉縛りにするところが凄いというかお笑いと云うべきか。
竹中平蔵を確認中。こういう手合いが政府中枢に居続けていること自体が異常と云うか犯罪だわな。れんだいこと同年生まれでありジェラシーではないと思うが許せん。但しこいつにも偉いところがある。堂々と国際ユダ屋の御用聞きぶりを正義で語るところである。決して愛国ぶらない。ここがユニークだな。
5月連休前からの願掛けの禁煙突入で只今11日目です。胸の苦しさがなくなりましたが頭はまだボーとしております。何せ45年間吸い続け一日三箱から四箱だもんね。タールかニコチンか知らんが脳内からジュワーとしたたり落ちてくる感じがなんとも心地良いです。今度は負けんぞと言い聞かせております
タイ憲法裁がインラック首相の憲法違反不当人事介入を認定、何と首相が失職するとの判決を下した。これはどういうことか。国際ユダ屋のタイ首相斬り捨て人事介入を意味する。日本もタイもいずこの国も同じで、連中は逆さ裁定ばかりしてバッシングする。これがれんだいこの直感である。恐らく当っている
最近やけに中曽根流の「口で愛国、裏で売国」の輩が増えているな。「口愛国」で信用させ「裏売国」まで誘導しようとする。百田の「文愛国」の面は認めよう。しかしなぁ「裏売国」までけし掛けてくれるとなると黙っておれん。「それはそれ、これはこれ」で分別せんと、人はこの仕掛けに騙されるわな。
百田が「護憲派のひとたちは大ばか者に見える」、「侵略されて抵抗しない国と侵略されたら自衛のために戦う国どちらがより戦争抑止力があるかというとリアリテイーの問題だ」と述べたとのこと。れんこには百田の方がバカに見える。ダボス派指令、諸策動に目をつむり言葉だけに酔って迎合しているから。
戦後憲法論をもう一言しておく。れんこの原日本新日本論よれば戦前の帝国憲法は新日本系、戦後日本国憲法は原日本系の手になるもの。こういう違いがある。原日本新日本論の重要さがお分かりいただけるだろうか。ちなみに改憲派の狙う憲法は国際ユダ屋系のダボス憲法だな。これこそ押し付けだろうに。
改憲派のお笑いは、手前が捕まると憲法を御盾に論陣張る癖にそういう目に遭わないうちは改憲論を威勢よく打ち上げることである。上から目線の改憲論で要するに改憲論唱える方に利益があり護憲論では干されるという時代の風を読み上手に遊泳している改憲商売人なんだな。平沢の顔見たらそう書いてらぁ。
右からの押し付け憲法論ばやりなので、れんだいこの観点からの世界に秀でた珠玉の憲法論を打ち出さねばならないとも考えている。戦後憲法の秀逸さは、護憲しながら政治経済に向かった時期の日本は奇跡の復興と成長を遂げ、改憲に向かい始めた時期の日本より逆になり今日の惨状に至っていることで分かる
今日は憲法記念日。両翼の集会が開かれた。れんだいこは護憲派であるが論拠が違う。その違いとは原日本新日本論に関係する。即ち戦後の日本国憲法はGHQ内ニューディラー派と日本の原日本派が提携して起草した世界に秀でた珠玉の憲法と仮説している。押し付け憲法論より実際に近いと思っている。
憲政史研究者・倉山満の政論が受けているらしい。ネット上のものを少し読んでみたが結論から言えばくだらんな。この式の、愛国心気取りの実はダボス派の手の内の言論つうのが流行るんだろうな。石原慎太郎のノーと云える日本論の流れのものだな。中韓朝台には傲慢、ダボス派には一転、芸踊りするんだな
生活態度とかにおいても改造に向かうべきではなかろうか。それも良いほうに向かうべきで逆はだめ。そういうトータルなもののうねりによって気づけば政治も大きく変わるということではなかろうか。なぜなら世の中はいつでも相応しくあるから