原子力規制委員会の委員候補5人のうち4人が原発推進派履歴を持つことが判明した云々。そもそも「規制」などとするからこうなる。「廃止」とせんかい。規 制委員会なぞ税金の無駄遣い。今必要なのはエコエネ推進委員会だろう。細野小僧の顔もみたくないな。枝野マントラ然り。ろくなんが居らん。
2012.7月 |
(最新見直し2012.7.1日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに2012.7月のれんだいこツイッターを整理しておく。 2012.11.10日 れんだいこ拝 |
原子力規制委員会の委員候補5人のうち4人が原発推進派履歴を持つことが判明した云々。そもそも「規制」などとするからこうなる。「廃止」とせんかい。規 制委員会なぞ税金の無駄遣い。今必要なのはエコエネ推進委員会だろう。細野小僧の顔もみたくないな。枝野マントラ然り。ろくなんが居らん。
マスコミが例によって小沢バッシングし続けようが日本人民大衆はそうバカではない。既にマスコミの飼主が分かり、論説委員が売文売弁していることが見透か されている。幸い今はネットがある。そのうちネット系新聞テレビも立ち上がろう。最後の悪あがきすれば良かろう。後は小沢新党の支部づくりだな。
8.1日、小沢新党「生活党」の党本部開所式が東京・永田町で行われた。新党きづなが合流宣言。国会議員約35人が出席云々。何事も最初は核の形成から始 まる。この小さな誕生が龍蛇となることができるか。それは歴史が決める。れんだいこは兵法の筋に入っていると読む。快刀乱麻で席巻すると見る。
公害で著名なものは水俣水銀中毒病である。考えてみるのに原発公害は水俣病よりもっと重過失の最たるものである。今の世相に似てどうでも良いことに目クジ ラ、大きな事件をスル―させ、そういう正義論がはびこっている。自公民政治の原発再稼働は犯罪である。単に外資の御用聞き政治であり公害である。
今日、国会が開かれていたが既に見る気も聞く気もない。自公民成立と同時に鳴り物入りの戦後民主政治は終わったのであり、勝手に好きにさらせと云う以外に ない。しかし酷いことになったな。こういうだるい質議がいつまで続くのだろう。小沢新党の時だけピンとするな。質問時間が短いので大変そうだが。
原子力規制委員会が発足する。原発機関を山ほど作っては原発稼働派が牛耳る。これを屋上屋を重ねると云う。こういう政治遊びを許す他方で小沢問題となると 目クジラする。どこまで行っても政治遊びである。そう云う風に口ぱくすれば処世術的に有利なことを知っているのだろう。それだけの事であるが。
各種情報からすると、どうやら世界は脱兎のごとく原発からの転換に向かっているらしい。ならば日本政府の原発再稼働をどう理解すべきか。恐らく、国際金融 資本は原発の最後の宴として日本を徹底利用しようとする魂胆であり、電力会社と自公民がこれを引き受けようとしているという構図だろう罰当りめ。
新聞的テレビ的な自前のあるいは友好的言論機関を作りだすことに成功すれば一気に支持を増す。逆は逆でせう。要するにそれほど言論戦を重視せねばならない と云うことである。正しいことは主張するだけでなく、それを成り立たせる為の環境まで作らねば責任果たした事にはならない。当たり前の事である。
今我々が辛うじて信任できる党は小沢新党以外にない。あるいは党ではないが国会包囲デモである。それ以外の動きは暇つぶし談義に過ぎない。問題は、小沢新 党が支持を急速に延ばす為に何をしなければならないのかにある。まずは新聞的テレビ的な自前のあるいは友好的言論機関を作りださねばならない。
共産党変調の主因は、他の誰も指摘していないが、党中央トップが宮顕と云い不破と云い国際金融資本のエージェントであることによってである。こういう連中 の長期間指導により結党趣意とは全く逆の政党に変質せしめられた。これを思えば、最近の民主党の変質なぞまだ可愛いと云うレベルの先例である。
共産党が地方議員レベルではまともなのに中央が腐っていると云うのは分かり易いがそれも昔のこと。最近では地方議員レベルでも腐っていると思った方が正確 ではなかろうか。原因は、60年も党中央にヒラメの目を強制され続けたことにある。そもそも反体制で始まった党が最も体制的と云うお笑いである。
自公民は、内治になると財源がないと云う。外治になると国際責務だと言い財源を生み出す。不思議な懐である。もう一つ、内治にカネを使う場合には敢えて国 家百年の計に役に立たない形で費消している。こんなことが偶然で有り得るだろうか。良からぬたくらみで誘導されていると窺うのが自然だろう。
自公民が国際標準だの責務だの言い始めたら、国際金融資本の要請であると言っているに等しい。これに気づけば、1980年代初頭の中曽根政治以来、何度耳 タコになるぐらい聞かされてきたことか。かの時以来の国際貢献額をリストにして一体幾らお供えしたのか確認すべきだろう。卒倒させられるだろう。
自公民政治は露骨な植民地政治であり、マスコミがこれを擁護している。これは国際金融資本が世界植民地化する際の方式である。典型的なのはインド支配であ り現地人をして支配せしめた。自公民政治も又その典型であろう。こういうことを確認する為に歴史を学ぶ必要がある。歴史の明人にならねばならぬ。
1960年代後半にべ平連運動があったが、当時は社共、新左翼それぞれの運動が隆盛でやや埋没させられた。有名人リーダーに頼らず市民運動家による手づく りの市民運動としての且つ国会包囲デモとなると椿事快挙である。どんどん膨れ上がり、日本政治の舵を握るところまで向かってほしいと思う。
「デモさらに拡大 20万人国会包囲で不満爆発」とある。この波状国会包囲デモは60年安保闘争以来である。当時、全学連ブントと労組が敢行した。社共は むしろ水差し続けた。これが史実である。市民運動でかような国会包囲デモは日本政治史上初見である。この先の展開が注目される。
これより何を学ぶべきか。「日本の心、日本精神」理論は案外、マルキシズムより革命的な回天事業理論なのではなかろうか。と云う立論の可能性がある。「日 本の心、日本精神」は何も右翼の特許ではない。戦後右翼となると真逆に位置している。これを証する為のれんだいこの旅が続く。御意の士よ列なれ。
日本の幕末維新、明治維新は「日本の心、日本精神」派によって主導された世界史上に輝く成功裡の革命、回天事業である。かく認めていたのがロシア革命の指 導者レーニンであったが、当の日本のマルキストは、その幕末維新、明治維新の価値を貶める理論に耽って誉れとした。信じ難い逆さま知見であろう。
福島原発事故に現に見舞われ、その解決策が未だに見えない中で原発再稼働なんて政治は有り得て良い訳がないのに、大勢がこれに従っている。これは集団狂気 である。日本を米軍基地と原発屋敷にするのが正義であるとするような政治に対する大鉄槌思想を生み出さなければ日本の再生はない。と思うのだが。
目下の政治状況に足らざるものは政治を司る精神、思想ではないかと。財源を意図的故意に悪化させておいて財源不足により増税を迫るなどと云うのは悪政以外 の何ものでもない。ならばこれをどう回天させるのか、その青写真、思想が必要なのではないかと。今はこれが脳死させられているのではないかと。
れんだいこの日本の心、日本精神論を訪ねる旅は山鹿素行へと辿り着きました。サイトで情報を取っておりますが、素行の原文の開示が少ないですね。そのうち書籍を取りよせサイトアップしようと思います。ご協力ください。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/nihonseishinco/yamagasokoco/top.html …
増税、国債刷りまくり派による国会質疑ほど面白うないものはない。早口と甘たるもの云い、互いの先生呼ばわりによる仲好し子供会、締まりのない居酒屋談 義、官僚原稿の棒読み等々どうでも良いわ。ところが小沢派の質疑になると急変する。とげとげしくなるヤジが鋭くなる。でもこっちの方が面白いわな。
戦前の二の舞にならない為には売国派の自公民政治を追放せねばならない。これは当たり前のことである。問題はどうやって一掃するかである。選挙が有効なら 選挙で、暴動が有効なら暴動でと云う事になる。選挙で可能の道があるのなら、これを追求せねばなるまい。選挙は現代版戦争、国盗り物語である。
自公民政治は要するに戦後日本を戦前の如くに国内を不況にして飯が食えないようにして、金主の国際金融資本の操るままに操作されるよう構造改革しようとし ている政治であり、ノ―ネク派はその露骨な手先であると認識するが良い。公共事業抑制論はその環の中の論である。増税国債はズバリのものである。
こういうことに気づいて欲しいわな。国会での森ゆうこの質問の際に、野田と安住が阿呆ヅラしてポツンといたが、こんなもんが日本政治の最高権力者となって いることにゾッとする。戦後の鳴り物入りの議会制民主主義の船着き場であるが、余りにもお粗末すぎる。他の者が据わっても同じで今やオワだな。
今れんだいこがつくづく思うのに、日本の戦後思想なんて実に底が浅すぎる。西欧思潮のあれこれを輸入しては先物被れしてきたのではないのか。そりゃぁ西欧 から学ぶべきものは学べば良かろう。しかし日本の土着思想も捨てたものではない。むしろ日本の工芸品が世界に通用するように通用するものがある。
オスプレイの安全論危険論がかまびすしいが、飛行演習区域の癖を問う論がない。発表されている飛行区域が、なぜ日本古代史の聖域でなければならぬのか。こ ういう論もあって良いと思うのに今のところないな。要するに米軍は何か企んでいるということだが、こういうところへの関心はないみたいだな。
ところで小沢新党のホームページはできたのだろうか。とにかく立ちあげて、どんどん手直ししていけばよいのに。何か時間を無駄にしているな。掲示板とかブ ログ、ツイッターを設けて、どんどん参加させなくっちゃ。嫌がらせ受けても良いではないか。どんどん手直しして進撃あるのみだろう。行け飛雄馬。
こういう政治を終わりにしようとしたのが2009政権交代であったが、鳩山、菅、野田政権の政治たるや自公と甲乙つけ難しのワシントン口ばくの競い合いで しかなかった。鳩山はややましだがオバマにトラストミーと誓約し、最後の所はいつもひよったところが鳩山らしい。菅はアホウ、野田は小泉の再来。
中曽根政治以来のここ三十年余の日本政治はワシントンの口ぱくであり、為に政治そのものに対するマジメさがない。自らの政治哲学に基づいて打ち出された政 策ではなく、ワシントン教程の口ぱくでしかないので、突っ込まれると返答に窮す。最後の切り口上は、やるっきゃないのバカの一つ覚えである。
目下の政局の沈滞は、2009政権交代以降、何としてでも小沢派に権力を握らせてはならないとする奥の院指令に基づき、鳩山、菅、野田政権となり遂に小沢 派離党まで辿り着いたものの、こうなると逆に気抜けしているところから生まれているのではなかろうか。残ったものは露骨な政治のお遊びである。
7.25日、共の穀田が衆院国土交通委員会で「防災」名目の大型公共事業を批判し云々。防災に大金をかけることへの批判ならともかく道路、新幹線事業に批 判の舌鋒を鋭くしている。ここがウソである。道路、新幹線事業は必要であるとし、防災事業の無駄遣いを指摘するべきだろう。チャラ介批判である。
僅かの兆候ではあるが何を嗅ぎ取るかが大事である。北朝鮮でディズニーのミッキーマウスが国営テレビに登場していた。これも兆候であり、北朝鮮がディズ ニーを支配する国際金融資本と親密な関係に入ったことを意味していよう。普通は軍門に下ると云う。何やら政変含みの臭いがしよう。要注意である。
つまり国会でのノ―ネクは私は遊んでおりますともの語っているに等しい。実際には、遊んでいるというよりワシントンの口ぱくをしているということ示してい よう。そういう意味で、洋装ノ―ネク御仁を見つけたら頑迷なるワシントンの口ぱく派と断じて良かろう。次第に増えるのか減るのかが今後面白い。
風体などどうでも良いと云う者が居たら、それはオカシイ。ものには型と云うものがある。これは歴史的に作られて居るもので簡単には変えられない。合理性が ある以上は護持されるべきであろう。洋装のノ―ネクは仕事中には似合わない。国会でのノ―ネクは遊んでいる印象になる。事実遊んでいるのだが。
男議員がノ―ネク派とネク派に分かれている。小泉政治来の産物であるノ―ネク派が一時より減る傾向にあることは良いことだ。先日の加藤勝信のノ―ネク、丸 首シャツ覗き姿の風体は田吾作そのものであった。これは議論以前の話である。暑気対策ならむしろ作務衣の方が似合う。どっちかにしろっつんだ。
今日の一言。オスプレイがメスプレイだろうが明らかにミスプレイ。それはそれとして飛行演習区域が気にくわない。軍事演習ではなく、明らかに日本を低空飛 行で日本古代史の聖域を再調査しようとしている。飛行機が落ちるとか落ちないとかだけの話ではない。戦勝国による裏の動きも見んとあかんわな。
野田政治は小泉政治の公然復活であり、これが本性である。ロジックが同じなのも解せよう。命をかけるの大言壮語、公約破りの居直りの弁然り。自衛隊の居る 所が安全なるキ弁を真似て、原発もオスプレイも政府が安全と云えば安全なのだ論を平然と言うことになる。なんかテキストでもあるんかいなと思う。
7.24日、東電女性社員殺害事件で、東京高裁(八木正一裁判長)は、ゴビンダ元被告の再審開始決定に対する東京高検の異議申し立てについて31日に決定 を出すことを決めた。検察側が最高裁に特別抗告しなければ再審開始が確定する云々。ここはぜひ東電女性社員殺害事件の闇を暴かねばならない。
ワシントンに超迎合すれば名宰相の評価が与えられる。その為には国富の天文学的なお供えが必要となる。これを意に介さぬのが、中曽根、小泉、野田の所以た るところ。恥と云う観念そのものがない。しかしワシントンの云うことはその通りと報道するマスコミもマスコミで似合いと云うか同罪と云うべきか。
亀井の「月刊日本」誌上発言「菅政権になると民主党は先祖返りしてしまい、自公時代の従米路線へと戻ってしまった。野田政権もまた、なりふり構わずアメリ カの要請に従っている。まるでアメリカの召使いだ」。これはまことに適格だ。要するに中曽根ホップ、小泉ステップ、野田ジャンプの狂態である。
原発事故調が各種出たが、いずれの調査書も不言及なのは小泉政治で原発安全対策そのものが故意に放棄された事、市民運動を売りにしながら登竜してきた菅が 市民の安全をそっちのけにする人物だったと云う事。この肝腎の二点をスル―して、その埋め合わせに長たらしい読むに閉口する調査書になっている。
亀井、森それぞれが転身しているのに対し、相も変わらずの愚昧な政見で政権太鼓持ちし続けているのが野中広務である。小沢どんを貶し、野田を褒め、最後の 最後まで国際金融資本の御用聞きに忠勤しようとしている。官房機密費マスコミへのバラマキスクープが唯一の功績かな。後は政治音痴の極みである。
日本の近代政治の基軸が、在地土着派と国際ネオシオニズムのイニシアチブを廻る政争であることを、小沢は的確にとらえている。亀井はそこが分からない。な るほどと思ったら小沢新党入りして最後のご奉公に向かえば良い。森は息子が食われて売国派の政治履歴を恥じ引退宣言した。鮮やかな対比だろう。
亀井静香は、小泉の郵政民営化に抗して造反して以来あく抜けして良い政治家になった。日本の自律型政治を標榜し自公民の従米政治を鋭く批判している。そこ までは良いのだが小沢新党を石原、橋下らの動きと連携させようとしている。こうなるとずっこける。どういう思惑、深読みがあるのか知らんが。
こういう観点は全ての分野にも応用できる。原発稼働問題然り。原発派がエコエネ転換させない方向に悪たくらみしている筈であり、その鉄条網をペンチで切り 取らねばならない。単に電力容量論、原発安全論だけの問題ではない。既成権益派の権益を剥がさねばならない実際には逆の事ばかりが横行している。
今や新たな媒体が生まれない不自然さをこそ疑惑するべきである。ネットは反作用媒体の一つである。しかし言論戦の重要性を考える時、新聞、テレビ、雑誌に も押し寄せねばならない。既成マスコミが政治と結託して、これをさせない方向で規制しているとしたら、その鉄条網をペンチで切断せねばならない。
テレビの新聞系列化が、新聞の同一論調化により悪しさを増した。雑誌も然りだろう。そうやってマスコミ総体がワシントンの口ぱくしかしなくなっており、そ ういう意味で日本は脳死している。しかし何事も反作用を生む。口ぱくが過ぎることにより新たな媒体が望まれる。それが登場しない方がオカシイ。
朝日、毎日、産経、日経がいつ頃から読売論調に合わせだしたのか。これを解明することの方に意味を感じる。それとも昔から目先は違えど似たような論調だっ たのだろうかそういう気もする。しかしその傾向が激しくなったのは、ここ二、三十年来だろう。その裏に何があるのか。これを問うのが学問だろう。
読売新聞が政府広報レベルではなくワシントン直系の口ぱく紙であることは既に広く知られている。民営紙であるのだからして、下手な中立公正論に惑わされ ず、そういう論調を打ち出すのはむしろ良いことだと思う。問題は、他紙が同様論調で金魚のフン化していることにある。この方が重度な問題だと思う。
してみれば、小沢派は丁度良い時期に新党を立ち上げたことになる。戦後議会制民主主義の破綻を見届けて、そのレールを敷き直すと云う進路が見える。従来の 二大政党制論、党内反対派許容論、国民生活第一論、議論を尽す政治論等々の主張が生きてくる。日本政治の新たな形が見えてきたのではなかろうか。
思うに、戦後議会制民主主義は、民主党政権下での野田政治及び野田政権下での自公民連合へと辿り着いたことにより却って機能停止したのではなかろうか。そ の自公民政治とは要するにワシントン仰せの口ぱくの競い合いでしかない。今後はオスプレイだろうがメスプレイだろうが何でもありになるだろう。
それに比べて今時の自民党の公共事業論には哲学がない。個別に目を通していないが耐震構造重点式を予想させる名前からするとそうなる。国家財政を更に悪化 させようとする悪たくらみでしかない。やるなら堂々と角栄式日本列島改造論の原点に帰ろうと呼び掛けるべきである。反目故にできないという訳か。
自民党の「国土強靱化基本法案」がさも有益そうに喧伝されつつある。主として耐震構造にカネをかけようとしているようだがナンセンスの一言で済む。角栄式 日本列島改造案は道路、港湾、空港等の社会き基盤整備を至上としている。物流が早くなれば廻り回って潤うからである。地方格差の底上げであった。
原発委員会を幾ら作っているのか知らないが、ワシントン口ぱく派はどれくらい作れば気が済むのだろうか。結局すべて原発稼働派が牛耳るので何の益にもなら ない。いっそのこと反原発派が東電、関電とサシで話した方が早い。目下の政治は、これをさせない為の時間稼ぎと妨害でしかない。こんなの要らん。
日本政治がワシントンの口ぱく派に押えられているのなら、小沢どんの云う如くいっそのことワシントンと直通で詭道話をした方が早い。つまり自公民的ワシン トンの口ぱく派は要らないと云うことである。これは戦後の統治構造がもたらした特殊な政治ハィエナであり、構造改革の折柄、不要と断ずればよい。
今後の政治は、論よりも論者がワシントンの口ぱく派か日本の土着自律派かを識別すれば良い。この方が判断が早くて済む。ワシントンの口ぱく派の言に耳を傾 けるのは良いが、その先を突っ込んで聞かねばならない。そうすれば実は深い考えは何もない、ただワシントンの仰せのままであることが知れよう。
孫氏の兵法曰く「兵は詭(き)道なり」。つまり、軍事も政治も駆け引きを常態としていると云う事を指摘している。「政治とはワシントンの口ぱくである」な どと云ったら、孫氏はそれこそ口から泡を吹いて卒倒するのではなかろうか。そういう変態政治を見慣れさせられているから驚かないだけである。
政治家は、学者や経済人の識見を聞いたうえで、その上前の策に出ねばならない。学者や経済人以下の策しかできないのなら不要である。自公民政治はもっと酷 い。ワシントンの口ぱく派でしかない。こういう連中を纏めて歴史の屑かごに捨てる知恵を持たねばならない。今が丁度その時ではなかろうか。
「シロアリがシロアリ退治隊に変装して街頭演説していた」のが野田のシロアリ退治論であったことが判明した以上誰が信用できよう。ワシントン直伝の政治コ マーシャルを口ぱくしているに過ぎない政治家を大挙輩出している政治構造こそ転換せねばならぬのに口ぱく派にやらせるなぞどだい無理な話である。
野田がワシントンに盾つくことは有り得ないが、どのレベルになれば、それはちょっとと難色を示すだろうか。これをシミレーションするのも面白い。マゾ野田 の限界値を知ることができるからである。野田と前原と比べればどちらの限界値が高いだろうか。一番は岡田の気がする。いや玄葉かな森本かな。
野田政治が小泉政治の踏襲であり復権であることは既に指摘した。その小泉政治はレイプ手法に拠っていた。これに比すると野田政治をどう形容すべきか。小泉 がサド男とすればマゾ女と云えるかも知れない。対比的であるが根は一緒の御用聞きである。こう理解すれば、このところの政治の意味手法が解ける。
原発再稼働然り。福島原発事故の収拾できぬ中での再稼働指針なぞ後世から見れば狂人政治である。今や脱兎のごとく転換せねばならぬのに再稼働に命をかけて いる。狂っているんだが狂っているものが多過ぎて異常感覚がない。日本を原発屋敷にして何が嬉しいのか。誰かが上手く乗せているのは確かだ。
問題は、野田のこの無内容決意論は何に起因するのかである。どう見ても内治知的要請からではない。つまり外国の要請によるものとなるが、外国の誰、どの機 関の要請によるものなのか、これを問わねばならない。野田派はどうも筋金入りのマインドコントロールを受けている可能性がある。尋常ではない。
7.22日、野田が母校の早稲田大で講演し、消費増税法案や原発再稼働を「批判を受けながらもやらなければならないことは貫きたい」と強調した云々。なぜ 何の為に結果どうなるの青写真的意義説明を抜きにしたやるっきゃない論を、学生運動では無内容と批判する。野田式決意は全く無内容である。
小泉の場合にはサイコパスとして説明できる。野田の場合には確たるものが見えてこない。しかしながら隠されているだけで情報開示されれば次から次へと出て くるのではなかろうか。メール事件での永田議員の政治的儀式廃人はその一例でしかないのではなかろうか。菅も前原その他も然り。いずれ暴く。
では小泉政治とは何か。それは、何でもかんでも国際金融資本命の完全御用聞きするところにある。そこにためらいもちゅうちょもない。いちずに身心預けて挺 身する。野田の命をかけるもこれの類の弁である。しかし、民族も国をもかくも売って恥じない雄々しい精神は社会学的に病理考察されねばなるまい。
野田政治に対する不審は、それが小泉政治の再来であり継承であり推進であるところに起因する。これは菅が敷き野田が増幅している。小泉後の安倍、福田、麻 生が次第に小泉政治離れしたのに対し、民主党の菅、野田が復活させたことになる。通りで小泉派がこぞって兄貴ヅラして出張り始めた筈である。
鳩山の「私は決して筋を曲げたわけではない。今の政権側の筋がどんどん曲がってしまっている」云々もオカシい。正確には「私もかなり筋を曲げたが今の政権 側のほどではない。私の筋曲げは許容範囲だが野田派のそれはオ―バ―している。私が云うのもなんだが」とでも云えば、失笑つきだが受けるだろう。
鳩山がこれまた気楽な稼業で自由な発言を楽しんでいるが、常に少しずつ論点をずらしている。野田を評して「シロアリ退治隊がシロアリになってしまった」 云々。正確には「シロアリがシロアリ退治隊に変装して街頭演説していた」と評すべきだろう。本人は受け狙いしているつもりだろうが今一である。
思えば、社会党の左右混交の政治こそが割合と正しかったんだ。社会党のいけないところは、改革と称してその良さを殺す方向にリードしたことにある。右も左 もがそういう方向にリードしたと云う馬鹿らしさがあり、この流れが今も続いている。故にどんどん先細りしている。もう直しようもないぐらいだ。
角栄と小沢どんを悪しざまに云う事で飯を食っている売文売弁屋が多い。気楽な稼業をしていることになる。しかしお天道さんはよく見ており、そういうもんに は天佑が降らない。どころか病気、事情をお見舞いしてくれる。逆に歴史の正義に生きる者には勇気と慈しみをくだされる。よくできていると思う。
小沢新党と社民党の親和性には歴史的な因果がある。即ち小沢政治の源基である角栄政治が何と社会党的であったということが判明している。個々の論証は避け るとして角栄没後の選挙票が自民党ではなく社会党に流れていたことが調査により判明している。これをどう評するべきか問われていないが興味深い。
小沢新党が社民党と一番親和的というのは興味深い。これを逆に云うと共産党は自民党と近いと云うことでもある。表見的な言葉では分からないが、ここ一番の 連動で見ればそういうことになる。社民党即ち旧社会党も随分エエ加減なのだが日共と違って幾分愛嬌がある。これが唯一、社民党の取り柄だろう。
こんなバカらしい政治をもはや許す訳には行かない。もうみんな分かっていることである。小沢新党ができたので、ようやく水路が開かれた思いである。他の諸 党、戦線、運動が液状化しているなかで素晴しい橋頭保ができたことになる。こう説かない左派もんが居たら、れんだいこがバサっと斬ってみせよう。
民主党三代政権の財源不足論の本質は、入りと出の両面から財源不足を招くようなことばかりして唱えるところにある。結局、増税と国債刷りまくりに帰着する のだが、こんな政治なら子供でもできよう。いわゆる算数レベルの政治であり頭が要らない。国際金融資本の仰せの通りを長年やり続けるとこうなる。
高速道無料化公約の帰趨は民主党三代政権の本質を最もよく現わしている。やる気がないのではなく、やらせない悪たくらみで一貫している。道路無料化は景気 振興の起爆剤になる恐れがあり日本を安く叩き買いしようとして策動している国際金融資本にとって認め難いそれだけの理由である。他に理由がない。
小沢どんが幹事長時代、ガソリン税廃止公約を反故にして暫定税率維持を要望した事に対する批判が続いている。これは違うと思う。これは高速道無料化公約を 生かす為の便法であり、財源確保して外堀を埋めたにも拘わらず高速道無料化から逃げまくった前原国交相の責任こそ重いとすべきではないのか。
【「永田議員の偽メール質議事件」の解析3、その後の経緯】 http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e8b4.html …
【「永田議員の偽メール質議事件」解析2、国会質疑までの経緯】 http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-4cc3.html …
【「永田議員の偽メール質議事件」解析1、事件解析観点をかく問う】 http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-48a4.html …
【「永田議員の偽メール質議事件」解析1、事件解析観点をかく問う】 http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-48a4.html …
こんな政治はもうよしこにして貰いたい。やること為す事が全てデタラメなんてことが許されて良いのだろうか。政府の重要会議の議事録不在も然り。もう無茶 ですな。それが常態だから慣れさせられているけど、どっかで爆発せんとウソだわな。それにしても、こんな政治家群輩出の責任も問わねばならんな。
如何にも何か変わるかの如き期待を持たせ延ばしに延ばし抜いた原子力規制委員会なるものが創設され、その委員長が田中俊一・原発業界御用学者、委員に大島 賢三・元国連大使が予定されているとのこと。全ては原発続投から始まる茶番劇に過ぎない。役立たずの新政庁造りは冗費節減に反しないのだろうか。
自公民政治とは、やること為す事が国民に失望を与え生きる元気をなくす為の政治をしているように見える。いろいろ理屈を云うが透けて見えてくるのは我々の 生活意欲を殺ぐ為の政治である。誰がこんな司令しているのだろう。偶然では説明できまい。こういう政治を生み出している根源を撃たねばなるまい。
孫氏の兵法サイトアップしました。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/syakaishisoco/toyoshiso/sonshinoheifo/heifoco.html … ほぼ納得と云うところまで日々書き換えます。お読みくださいよ。為になりますよ。読み易いと思うがなぁ。我々には知恵しかないからね蓄えなくちゃ。
小沢政権樹立せずんば政治の節操が立たぬと汗をかくのなら分かる。そんなことを云いながら、いつもきまって口とは反対の方向に暗躍しているがな。もうそう いう手法は飽いたつうのに。辞める云うたら辞めぇ。スキっとせんがな。今度ウソ云うたら舌を抜いてしまうど。云うても治るまいが、この病気は。
政権交代後、真一文字にマニュフェスト実行に向かうべきところ、のらりくらりさせ今日の真反対の岸まで辿り着くレールを引いたのは鳩山だろうが。オバマに トラストミーと誓約し、その誓約通りに今日のご立派な民主党造った責任があろうが。何をおめおめぬるい事ばかり云って未だにお騒がせしてんだ。
首相を辞める時政界引退を公言した鳩山がいつの間にか何食わぬ顔して政局にもの申している。細川見習って焼き物でもしたらどうかと思うのだがなま臭い芝居 を続けている。要するに決定的な局面ではいつも裏切るんだろうが。もういいってぱ。坊っちゃん政治につきあわされる側の身の事も考えたらどうだ。
野田は小泉を師としている。故に刺客騒動を真似たがる。が、民主党議員のオール落選が現実味を帯びている時に滑稽なことである。このずっこけぶりは何に起 因するのだろうか。民主党を徹底的に潰すと云う指令があり、これを御用聞きしているとしか思えない。これに命をかけると云う。マジ狂ってるわな。
「小沢志位会談」の中身は正確には分からない。それと云うのも、遣り取りの逐一が開示されないからである。しかし何の必要があって秘せられるのだろう。公 党間のやり取りを極力オープンにすることは民主政治の基本ではなかろうか。民主主義を護れと云う割にはやっていることが違うんではないか。
宮顕、不破、志位と繫がる日共党中央の度し難い反動ぶりを的確に確認する事が日本政治の再生の為に必要である。ということが次第にはっきりしつつあるので はないのか。日共は口先ではいろいろ言うが、いざ肝腎な時にどう立ち回るのか。正義のアリバイ運動で褒めそやすなんてことを許してはなるまい。
普通は日共方から「オリーブの木」を語り、小沢どんが腕組みすると云うのが有り得る構図だな。小沢どんが持ちかけ、日共が腕組みするつうのは狂っているん だな。「赤旗スクープ」にも拘わらず共闘を呼び掛ける小沢どん、それを拒否する日共。どちらが共産党なんだかわかりゃしねぇと云う変調さがある。
7.12日の小沢代表ら幹部の挨拶回りでの共産党との一コマ。小沢代表が、イタリア政治史上の中道左派連合「オリーブの木」運動について語ったのに対し、 日共の志位委員長は「オリーブの木は失敗した」と発言。小沢氏は「でもあのときの選挙は勝ったでしょ」と反論した云々。この遣り取り変なんだな。
小沢どんバッシングが未だに続く裏で進行中のどす黒い政治。全てがアメリカと云うか国際金融資本の御用聞き。来るべき事態での日本の安売り買い叩き政策に 向けての工作と読める。この政治の推進派がこぞって小沢どんバッシングで気脈通じている。この奇計を見破り敵陣を突破せねばならない。セェ―ノ。
もうこれぐらいでいいでせう。問題は、体制転覆、革命を呼号してきた造反魂が売りの政党内で、宮顕体制に対する完全屈服、党員が党中央に対する最も恭順な 政党ができているという皮肉さにある。ここまで完璧に仕上げた宮顕が評価されるゆえんがここにある。かく評価するのはどの陣営かであるが。終り。
気づいて見れば、日共は1955年の宮顕の党中央簒奪(さんだつ)以来、55年有余の同一系党中央を継続している不倒翁政権である。これを支えるのが満場 一致、一枚岩、党中央集権制、分派禁止、造反派に対する刺客送り込み、造反派の徹底訴追等である。今、この病気が政界を汚染し蔓延しつつある。
日共が共産党のニセモノである証拠に現在の検察正義万歳論がある。今現にこれほど検察の正義のウソが明るみになりつつある折柄に於いてである。検察が首 根っこを押さえ我々が急所を蹴りあげる的な連動を自慢している。戦前の共産党員が草葉の陰で泣いている。党員の突き上げがないところがオワである。
小沢系生活党の皆さん、日共とは共産党の名を附しているがニセモノでありニセモノ故にかような不埒な罵詈雑言し続けている党であることを知って対応するの が良い。平素正義ヅラで弁明する故にいわゆる一番タチの悪い党である。この連中を撥ね退けて生活党の大躍進こそ望まれていることを銘じてほしい。
れんだいこの見立てでは、日共とは、国際金融資本に乗っ取られた共産党の在り姿であり、不倶戴天の敵でしかない。仮にこう認識せずとも、宮顕リンチ事件の 解明の必要性については同意して貰いたい。れんだいこの見立てが真なのか非なのか、そろそろ決着つけて貰いたい。小沢どん批判なぞ百年早いわ。
日共は国会議員の数だけで云えば取るに足らない政党である。しかし、重要な政治的事件の際に、それも決まって在地土着ハト派系政治家叩きの際に急先鋒とし て立ち働き、その影響力に於いては無視できないものがある。ましてや日共式強権型党運営、規約論、組織論が他党に伝染し続けている折柄では。
仮に宮顕が同志殺人者であったとしたら、そういう人物を長期間最高指導者にして、一時期を参議院議員にして来た公党としての政治責任はどうなるのだ。真実 は分かりませんでしたではすむまい。加えて宮顕冤罪説を吹聴し続けてきたからには更なる責任があろう。不破よ志位よ答えてみぃ。エエ加減にせぇ。
当然説明責任がある。実際にロッキード事件勃発の直前まで、この問題が国会で質疑され、日共の政治責任が問われていた。ロッキード事件勃発により掻き消さ れたまま今日まで至っている。時間は経過したが説明責任が残され続けている。そういう党が他党の誰彼捉まえて説明責任を云う構図に呆れてしまう。
何度も指摘しているが、日共が他党の誰彼に政治的道義的責任を問う資格はない。そういう連中に限って人を責めるのはよくある話ではあるが。もとへ。日共の 政治的道義的責任とは、戦前の最高指導幹部同志を査問致死させた宮顕を冤罪と居直って免責し、戦後の最高指導者にし続けて来た党である。
百歩譲って、日共が刑事被告人呼ばわりし続けるなら例の「赤旗スクープ」の真偽を明らかにせねばなるまいに。公党が他党の有力幹部を虚偽の「赤旗スクー プ」を根拠に未だに批判し続けているとしたならば真正の政治的道義的責任問題である。小沢新党はそろそろ日共に公開質問状を出しても良かろう。
7.3日付けの赤旗の解説記事に、新党結成中の小沢どんに対して、「検事役指定弁護士に控訴され、いまだに刑事被告人の身分にある」と表現し批判している とのこと。ここにエセ共産党たる日共の汚い本質と役割が露呈している。れんだいこが「日共党中央問題」に警鐘を乱打している所以である。
参議院民主党の谷岡、舟山、行田、国民新党出の亀井の女性4名が新会派「みどりの風」を設立、会派は4人代表制を取り党議拘束はかけない云々。おちょくり のようにも聞こえて可笑しい。野田が命をかけるのは民主党潰しの方ではなかろうか。そう云えば小泉も自民党をぶっ潰すで登場し、半ば潰したわな。
マスコミは相変わらず小沢どんを壊し屋だと云う。中曽根小泉名宰相論の裏返しのレッテルである。しかしどうみても民主党を壊したのは鳩山、菅、野田一派だ ろう。野田は自公民連合に雪崩ようとしている。この動きを何で政権亡者とか壊し屋と云わないのだろう。これはレッテルに偽りありの逆さ変種だな。
「国民の生活が第一」が、次期衆院選の比例代表で使用する同党の略称を「生活」にすると中央選挙管理会に届け出た云々。なるほどねぇ、他のどの党の名とも 抵触せず分かり易い、云いたい事が伝わる。プロの技だな。衆院解散待ってよし受けてよしの体制が着々と整いつつある。それに比べ云々は蛇足か。
野田政治が次第に菅政権末期の如く吐き気を覚えるようになった。「決められない政治」から「決められる政治」、「どじょう政治」を歌い文句にして始まった が、決めない方が良い事ばかりを決めつつある。「どじょう」も「ょう」が抜けたら「どじ」。まさにドジ政治である。ダサいというより無茶苦茶。
7.16日、野田は、米軍のオスプレイ配備について「日本からどうしろこうしろと言う話では基本的にはない」と述べ日本側から見直しや延期は要請できない との認識を示した云々。この論法によれば米国はオールマイティでありフリーパスと云う事になる。骨の髄までの売国奴言辞であるが平気でのたまう。
民主党政権下で原発輸出政策が続いている。危ういと思う。根拠は、第二次世界大戦後の国際軍事裁判の法理である。事後法で平和に対する罪その他が編み出さ れ戦犯が裁かれた。同様に危険に対する罪が編み出され日本が途方もない賠償金を背負わされ続けることになる恐れが強い。これはワナである。
仙台での原発聴取会のやらせもどきが発覚、批判を浴びている。こういう仕掛けは小泉政治のタウンミティング以来の流れを汲んでいる。小泉名宰相論ボケして いるマスコミは小泉政治に喝采を送り続けてきた。そういう意味でタウンミティングのやらせを報道する声が押えられた。しかしもううんざりだわな。
自民党が国土強靱化の提言書を纏め、谷垣総裁が「デフレ脱却の糸口に」と述べ云々。中身が分からないが「強靱化」と聞けば凡そ見当がつく。どうせしようも ない、意図的故意に社会基盤整備に役立たせない方法に知恵を絞った、巨額の放漫財政政策だろう。いつもどれもピンボケだが何でこうなるんだろう。
選挙が早まろうが延びようが民主党は死滅する。特大お灸が待ち受けているからである。刺客を呼号するなぞお笑い以下の話でしかない。興味深い事は民主党が 社会党化したことである。共通しているのは与党ボケで国民の信を裏切ったこと。伴侶が一度扉を閉めるとどういうことになるのか。思い知るが良い。
自公民とは小泉政治の継承である。ここさえ踏まえれば野田政権が何をやろうとしているのかが透けて見えてくる。要するに小泉政治のやり残した事、新たな国 際金融資本の要請に指示書棒読みで従っているに過ぎない。小沢新党に刺客をさしむけるなどと息巻いているのも連中のやり口。どうぞご勝手に。
総選挙が早かろうが遅かろうが民主党が大お灸をすえられ当選者0となった場合、歴史家はどう記すだろうか。野田派の完全犯罪完遂されるとして激賞するのだ ろうか。それとも政界未曾有の椿事と書きなぐるのだろうか。この場合は戦犯が追及されるだろうが当選者0ではそれも意味がないか。有り得る話だ。
7.13日、野田が参院本会議で、消費税増税法案への不退転の決意を改めて表明した云々。自公民連合とは小泉政治の継承を意味しており、背後に国際金融資 本の指示があると読めば良い。狙いは日本の安売り叩き買いだろう。こういう目で見ると全てが解けるから不思議だな。陰謀論と云われようとも。
「小沢新党が支持率トップだったことが判明 FNN世論」は元ソースが捏造だったとのこと。今後はこの手のお遊びには注意せねばならんな反省ペコン。ひと こと言わせてもらえば、「小沢新党が支持率トップ」の可能性は大いにある。ひょうたんから駒の本当の話となる。と思う質なんだな私は。懲りんぞ。
マスコミの執拗なピンボケ評論も勝手ではあるが、その売文売弁の裏で高給取りしているのが許せん。せいぜい年収300万円程度のものでしかないのだから、 そのうわまえはこちらによこせ、然るべき有効利用させて貰うからと思うのだが、そういう者に限って生まれたときからのにぎにぎだろうな。
マスコミは執拗に小沢どんを「壊し屋」と命名して刷りこみしているが、どうみても名再建師のように見える。逆に名宰相と囃す小泉は自民党の壊し屋であり野 田は民主党の壊し屋であるように見える。逆に説くのも自由だが検証せねばなるまい。どちらの説が耐え得るか軍配やいかに。ネットゴングしよう。
「超速報:小沢新党 政党支持率トップ独走中」だと。痛快ですねぇ。新聞各社が申し合せたようにネガティブキャンペーンしている横からウソがばれる。コメ ンテーターがどう呂律を廻すのかお楽しみ。恐らくコメントせずに逃げまくりだな。もう何度も見てきたし飽いた話だけれど。
正当な疑問を発した者に難癖つけて正義ぶる姿勢こそ現代病ではないか。小沢新党結成に対する批判についても然りで根は一緒と見立てたい。いつも思うのだ が、見解は自由である。しかしながら相手の論拠を邪に見立てて正義ぶるのは不作法である。論には論で筋だてるのが良かろうに。流行り病とは言え。
小沢新党の挨拶表敬をしんぶん赤旗が記しネット赤旗でサイトアップしていないことにつき、これを疑問にした方を咎めるのは筋違いだろう。日共の方へ尋ねる のが良かろう。重要視していないと云う失礼な取り扱いではないかと。こう問うべきところ疑問者の方を訝るとはこれ不思議なり。脳検査を要しよう。
イタリア政局に生まれたオリーブの木運動を小沢どんが肯定的に口にし、それを否定的に受け止める日共。この鮮やかな対比。目をつむって聞けば常識的には逆 の対応になるところ、この現実。捻じれ過ぎている日本政治運動のお粗末さが分かろう。もうそんなこともどうでもよい。小沢新党でばく進しよう。
小沢新党の出航は長い間煩わされてきた社共のエセ正義ぶりを許さないであろう。そういう裏意味が伴っている。何も大仰にイデオロギーを振りかざさなくて も、今求められている正義を着実に押し進めれば良い。云うからには謂いの貫徹を求めねばならない。これが政治責任である。と云う痛烈な意味がある。
ネットのしんぶん赤旗を見る限り、小沢どんが新党結成挨拶に日共を訪れ志位委員長他と会話している筈なのに記事にしていない。小沢どんの大人の識見、これ を正々堂々と受け止めない日共党中央の姑息。鮮やかな対比が認められる。小沢どんは何も赤旗スクープのデタラメに抗議に行った訳ではなかろうに。
一体、自公民即ち小泉政治とは何者なのか。彼らの唱える国際貢献、日米運命共同体論とは何ものなのか。野田政権が目白押しにしている政策とは何ものなの か。日本政治に必要なものなのか。逆のものばかりではないのか。小沢新党によりこう問う政党が生まれた事を慶びたい。造反政党も好いもんだな。
7.10日、森ゆうこが参議院予算委員会で野田政権が既に14兆3333億円の海外援助公約をしているとして消費税増税論拠の「財政逼迫論」との辻褄を 撃った。よくぞ指摘してくれた。ついでに小泉政権のそれ、それ以降のそれを指摘すればなお良かった。消費税増税の国際公約の意味が良く分かろう。
民主党の議員総会が午後5時半から始まりだ続いているんだと。相変わらず小泉棒を振り回して公認するのしないので揉めているらしい。子供の政党で始まった ものを次第に大人の政党にするのならともかく、ガキの政党にしようと云うのだからお笑いである。好きにさらせば良かろうが口あんぐりだなったく。
野田が何故に消費税増税だけには命をかけるんだろうな。国際公約したからにしても、国内公約守れんもんが国際公約だけは守るつうのが不思議だな。国際カル トに入っているからとしか思えんな。問題はいつごろ入ったんだろうな、かなり昔からの気がする。菅にもそういう噂があったな。小泉は噂どころか。
小泉政権下の刺客は今それぞれ苦労しているだろうな。地元の刺客はともかく地縁も血縁もないのに落下傘部隊で降下し骨をうずめる真似ごとさせられている。 狂った指示に従った狂った野獣だな。その野獣が小泉を信奉し続けているとしたら狂いぱなしだなどうでも良いけど。小沢新党手本を拝見したいな。
一体、議院内閣制の民主主義の理念に照らして、党中央の方針反対者を造反首切り非公認するなんてことは越権ではなかろうか。党中央権限絶対性と云う事にな るが、軍事規律を政党規律に持ち込むもので、左翼的にはスターリニズム一歩手前と云う事になる。日共式を真似んでも良いのに真似たがる阿呆だな。
7.12日、野田は衆院予算委員会で自民党の茂木敏充政調会長の質問に答え、次期衆院選の民主党マニフェストに消費税増税方針を明記した上で賛同しない候 補者は公認しない方針を表明した云々。やっぱ野田は小泉ばりに狂っているな。刺客送りも真似るのだろうか。茂木は聞けば良いのに聞けないんだな。
小沢新党出航以来、自公民その他金魚のフン政党がすっかり色褪せたな。「国民生活が第一」に対抗するには「国民生活後回し」、「ワシントン様が命」、「増 税第一、原発稼働第一」等が考えられる。間をとって「国民生活が第二」で来るかな。それとも本音の「御身大事」かな。どうでもいいけど。
日本政治が追い求めてきた自由自主自律の政党が議会政治百余年を経てようやく確立されことを慶祝したい。当たり前のことが当たり前にならなかった負の歴史 を転換させた小沢新党の意義は高い。内部がかように結成された手本をもって始めて日本再生改造が着手されるのもむべなるかなと感慨深くする。
小沢新党に参院愛媛選挙区の友近参院議員が加わり「サムライなでしこ50」となった。まもなく絆、大地が合流し第一次陣容が確定する。いっそのこと社民党 も入れば良い。党議拘束しないのだから党内はいつでも自由自主自律が原則になる。左中右これに老中青が組み込まれる。理想の政党になるだろう。
今時の国家答弁なぞどうでも良いのだが無視するわけにもいかない。なぜな質議の型を作るからである。国会での型があらゆる分野に及ぶことになる。そういう 目で見ると、個人情報により答えられませんが急増していることに気づく。議論を詰めようとするとこの壁にぶち当たる。国会の悪い手本である。
自公政治以来、内治で何か要求すると財源がない、財源の根拠を示せと威たけたげになる。その癖、外治になると途端に予算がつき大判振る舞いする。緊急事態 にも然り、しかし必要なことに廻さず後回しできるものに冗費する。これは一体何なんだ。財源がない論者は、この現象に対する説明責任があろう。
新聞読まないテレビを見ないそういう人が増えている。しかしそれだけでは足るまい。既成の新聞テレビに代わる媒体を持たなければ。ネットはまだ弱いし一部 に限られる。新聞テレビの如く日常的に見聞きできる局を造らなければならない。ヤング諸君の知恵に期待したい。為せばなる為さねばならぬ何事も。
日本列島改造は日本の産業構造の変革を問うたものである。この根拠の上に立って日本改造へと向かわねばならない。これが角栄の唯物弁証法の論理であった。 今、全てが逆に流されており、それ故に角栄の啓示が光る。地方を元気にして首都を華にする。この戦略で日本を立て直そう。当然の謂いだろうに。
今朝の新聞社説をざっと読みした。各社申し合わせたように小沢新党への難癖批判に忙しい。何でこうなるのと評論したくもなる。もうそろそろ新聞の駄文、テ レビの駄弁の由来と根拠をジャーナルせねばなるまい。本来は読む者聞く者に生きる元気を与え賢くする役割を持つものが逆に使われている。
小沢新党参加者に共通しているのは腹と目が据わっていること。逆に云えば不参加組は目が泳いでいる。政治家に一番必要な信に於いて当選組と落選組が分かれ た気がする。後から参加組を民主党内に求めるよりも新規に募集し鍛えた方が良い気がする。その為にも自由自主自律の日本一素晴しい規約を作れ。
マスコミメディアによる印象付けを軽視してはいけない。何度も繰り返されると判断が条件反射されるようになる。国際金融資本はこの手のプロであり世論操作 を特に重視している事を知らねばならない。これに対抗する戦略を身につけないと正義がセクト化されてしまう。和製アルジャジ―ラ放送局を創ろう。
今朝の新聞テレビの小沢新党扱いと評が酷いな。トップ扱いしたくないのが見え見え、加えて難癖評ばかり。早くニコニコ動画などがテレビで見られるようにな らんかな。そしたらチャンネルパチパチせんでも済む。我が家にはパソコンがないので余計にそう思う。
そんなこんな含めて今日は清々した日になった。鳩山、菅、野田派が何をやろうと自公民結成しようができまいが、そんなのおいらに関係ねェと半身でギター弾 く格好ができらぁ。こういう日は居酒屋で二三杯飲むんが良いわな。いろんな人が居るから議論は遠慮するが、何かうれしそうだねぐらい云われそう。
小沢新党の旗揚げは民主党が重態に陥ったことになる。なぜなら小沢派こそ民主党の精鋭部隊であり、この部分が党員も含めてごそっと抜けたことになる。残っ た烏合の衆で何ができようか。街角で消費税増税に命をかけて獅子奮迅の活躍をしますなんてアナウンスする者が居たら卵ぐらいでは済むない。
いつ選挙があるかは別にして歴史家は、先の消費増税法案への民主党の賛成投票を「史上稀なる集団自殺」と記すだろう。原発再稼働指令とセットで。野田がこ れをやった訳だが、野田はほぼ間違いなくカルト教団に入っている。このことが露見次第、石もて日本を追われるだろう。その際連れ子も多いだろう。
政権政府の役目は景気を振興して国庫の自然増を期すのが一番の仕事だった。だから歴代政権は景気動向にナイ―ブだったんだな。消費税のような間接税増やし だしてから景気無策、逆に景気悪化策に興じだしたんだな。以来政治が狂ってしまったんだな。その仕掛け人が中曽根で名宰相だと。アホらしい話だ。
しかし新聞は政局をどう評論するんだろうね。消費税止むなし論煽りながら手前の新聞は非課税だとか低率税を裏交渉している。生活品に非課税だとか低所得者 に還付金だとか。結局、増税して幾ら国庫収入が増えるんだか減るんだか分りゃしねぇ。そういう増税政党煽って正義評論する奴のツラが見たいわな。
民主党居残り組は小沢派の首を切ったと勝手に思っているようだが斬られたのは手前の方だちゅうのに分からない、分かろうとしていない。もうオワなんだな。 恐らく近々のうちに劇的変化があると思う。野田は遂に野田うち廻り野田れ死にする。もうひとつ加えて野田はもはやノ―なのダ。なんまんだぶだぶ。
思えば先の衆院の消費税増税法案採決には大挙して造反する必要があったな。一部が小沢派、残りが鳩山派、その他と云う風な。なぜなら今後の民主党に何の魅 力があるかという事。今更これからはマジメにやります公約大事にしますなんて通用しない。つまり誰も民主党に入れないというのに残った事になる。
それにしても民主党と云うのはヒドい党だったな。有能議員を巧妙に押えつける役割をしていたんだな。永田議員、石井議員のような自律派の有能議員がよって たかってぼこぼこにされたんだな。鳩山、菅、野田政権の幹部たちは揃いも揃って、その時の暗躍派なんだな。裏に何があるか怖い党だよ。清々した。
新党名「国民の生活が第一」はまずまずかな。党名は非常に大事で「国民の生活が第一」は少し長いが要旨が分かる点では良いと思う。明日の新聞は恐らく朝日 みたいにインパクトを少なくする方法で伝えると思う。今はニコニコ動画もあり勝手にどうぞと皮肉りたくなります。ネットが変えつつあるんですね。
小沢党がNHK討論の第三番手に位置して口上できるかと思うとにんまりして参ります。これで時々は聞こうか見ようかと思います。それにしても腹立たしいの は与野党の下手な芝居の政治遊びです。ぜひ風穴を開けてください。すぐできること、引き続き検討することを仕分けして各々進撃してください。
小沢新党遂に出航しました。小沢派の優秀な議員がこれまで干され続けて参りました。やっと解放され自前の党運動ができるようになったことを慶祝します。下 手な規約で締めつけず信ずるところが自然に政策一致したと云う風な自由自主自律の党運営を心がけて欲しいと思います。手本を見せれば良いと思う。
永田寿康衆議院議員失脚変死の端初となったメール事件の民主党報告書をざっと読みした。http://www.dpj.or.jp/news/files/20060331165842(2).pdf … 何のことはない時は前原体制下であるが鳩山、菅、野田政権の重役が殆ど関わっているではないか。永田議員の恨めしさを思う。これでは成仏できないな。
7.10日、韓国で与党セヌリ党の朴槿恵・元党代表(60)が12月の大統領選挙に向けた同党予備選への出馬を表明した。韓国初の女性大統領を目指す。対 米追随を深める李明博政権に対する造反の動きである。日韓とも政治の自律化を求め地下共同しつつあることになる。この動きを慶祝したい。
自公民派は奥の院操る小泉政治の継承、これに抗する小沢派は反小泉と云うより日本の土着型自律政治の称揚。この二極を廻る政局に突入している。橋下、石原 なんぞは目くらまし。小沢派が勝利した時、日本政治の「風景も大きく変わる」。こう構図して明日の小沢新党結成に注目しよう。それ行けやれ行け。
この言は何も小沢派バッシング批判の為に成しているのではない。小沢派が政権取っても同じく言わせてもらう。但し、小沢政権下で造反する者には当然、過去 の言行に照らして弁明を要求する。手前が政権中枢にある時は党中央の云うことはその通りとし、逆の時は造反しっぱなしなど許されるものかは。
物事をもう少し原理的に考える能力を身につけないと危うい。ご都合主義だけで流れを決めるのは、そういうレベルで国策も決められていることと相関しており怖い。「バカも少しは休み休み云い為したまえ」と云う言を遺しておく。
よって鳩山の「造反したのであるから処分を甘んじて受ける」などと云う弁は、事態を正面から受け止めておらず、容認する点でお粗末と云うほかない。むしろ 子供段階の規約レベルから大人のそれへと転換する好機とせねばならない。ましてや倫理委員会で裁くとなると倫理が泣くぞ。と思うのだがねぇ。
日本の政党政治の規約論、組織論は未だに党内反対派、造反派の処遇に対して正しい対応能力を有していない。つまり子供段階の政治能力レベルにあると言え る。最硬なのは日共のそれであるが真似して良いものなのか。こういう問いかけなくして処分が常態化しつつあることは由々しき事態であると思う。
民主党の造反派処分が当たり前のように報道されているが、既に述べたように由々しき問題が宿されている。果たして、党と国民から選ばれた選良を党の論拠だ けで除名処分し得るのか、越権ではないかと云う理論的問題が横たわっている。これは小泉政治以降の現象であり常態として良いものだろうか。
既に述べたが、民主党が消費税増税法案造反派を処分するには倫理委員会では部署が違おう。倫理委員会は造反派を裁くところではない。処分したければ反党中 央取締委員会でも設けて審議するが良い。倫理委員会で裁く癖がつくと、世の反政府もんは国家倫理委員会で非国民にされてしまう。怖い話であろう。
小沢派が遂に立ち新党結成も致し方なかろう。同じ党内で敵を見る目のよう間柄で一緒にいる事は無理と云うもの。自公民派が如何に小泉政治の継承者であるか を分からせてくれただけでも値打ちがあった。鳩山、菅、野田の馬鹿さ加減には呆れがさめた。あそこまでエエ加減かと我が輩が女房なら三日持たん。
かといって自公もさっぱり反省と云うものがない。2009衆院選時の政策で押し切ろうとしている。負けたのは政策が行き渡らなかったからで政策は正しいん だと。どこかで聞いたセリフだな。落ち目は落ち目の論理論法を探してくつろぐと云う訳だろう。好きにすれば良かろうって。さぁてあと二日だな。
民主党には結局、鳩山菅野田三代政権派が見事に残ったな。纏めて歴史の屑かごに入れるのに按配が丁度良い。こやつらがのらりくらりと筋を曲げ20009政 権交代効果をすっかり台無しにしてしまった。あの時の選挙では自公がお灸をすえられたがこたびは民主に大やいとで決まり。この流れは変わるまい。
念の為に言っておくが個々の党員の問題ではない。党中央が邪な勢力に乗っ取られて60年になると云う問題を問題にしている。これを覆せないのだから党員に も問題があるが分派禁止論その他様々な制約で政治音痴にされているのでどうにもならない。そう云う事が分かったら赤旗スクープの意味も分かろう。
オカシナ話ではなかろうか。衆院選全選挙区立候補方式も胡散臭い。相当供託金が没収されている筈であるが毎度毎度繰り返して財政健全とはこれ如何に。外に 向かっては金権政治批判を云うが、党内の経理を一度外部委託監査してみよ。個人献金オンリーで成り立っているらしいがウソか真かすぐばれよう。
なるほど口先では正義らしきことを云う。しかしいつも肝腎な時になると話をすり替えたり闘う者に罵詈雑言浴びせ逆襲してくる。その線は国際金融資本の意向 に照らして許容し難き者を叩くと云う糸で結ばれている。民主主義を云うが党内に民主主義があるのか。党内にないものを党外に向かって護れと云う。
そもそも宮顕の戦前のリンチ事件を見よ。宮顕は査問された小畑中央委員は持病の梅毒性心臓病で死んだのであり、我々は静かに事情聴取していたなどとの弁明 で居直り続け、日共党中央は宮顕弁明をあと押しし続けている。人に政治倫理だの道徳を説くが資格があるのかよ。国会尋問も中断されたままである。
近いところで小沢バッシングの赤旗スクープ問題があるが今ではダンマリしている。前にもムネオハウス問題があるが、問題は日共の指摘の方に問題があった。 ロッキード事件の際の角栄バッシングを見よ。いつも肝腎なところで「左」から国際金融資本の筋書きに添って暗躍している。尋常ではない。
小沢新党と共産党と社民党と新党日本は大同団結しなさい論が為されている。願望は分かるが、この間、党が隆盛しているのならともかく衰退し続けているにも 拘わらず同一系執行部が約60年も続いおり、あらぬことばかりしていると云う変調さが分かっていない。いわゆる日共論になるが理解できていない。
7.2日のANNの1000人調査では小沢新党期待する13%、期待しない80%。ヤフー・ジャパンの同日調査では支持する73%(9137)、支持しな い24%(2937)、どちらともいえない3%(365)。どちらの調査に信を置くべきか。少なくともネット派の小沢支持が高い事は分かった。
自公民派とは要するに小泉派連合なんだな。恐ろしい話になるが2001年4月26日の小泉政権以来、この系が10年余続いていると云う事か。通りで政策が 似ている筈である。2009政権交代なんか単なる目くらましだったということだな。登場する役者の顔ぶれが変わっていないことも頷けよう。
日本での首相官邸包囲デモはブントが牽引した60年安保闘争以来のものである。興味深い事は、逆の場合もあるが日本で起こることは韓国に連動する。という ことは韓国でも同様のデモが始まると云うことになる。尤も最近はヤラセデモでアジアが対立するように仕掛けられ、ややこしくされている面はある。
我が輩は歴史が好きだからこういうことはちゃんとメモっている。マスコミは知ってるはずのに知らさぬに乗じて便宜に口を廻し続けている。昔なら直ちに所払 い、遠島を申しつけるところだ。ところが昨今は官房機密費貰って提灯言論しても臆することなくテレビに出てしゃべりまくる。ご立派と云うべきか。
それを思えば、田中角栄政権下で血判入りの青嵐会が結成され、ことごとく政府及び党中央の方針に盾ついている。角栄政権が除名処分したとは聞かない。ハト 派は度量を示すがタカ派が政権取ると処分しまくりが許されると云う事か。マスコミは舌がもつれず処分がヌル過ぎるなどと云う。エエ加減ニセぇよ。
れんだいこは、小泉派も野田派も日共の処分史を真似しているのではなかろうかと思っている。赤旗を読み過ぎるとそうなる。読まなくてもそうなるのは奥の院 が一緒だからではなかろうか。日共によれば、造反のみならず、党の方針に対立する見解の発表も許されない。こんなの民主主義と言えるだろうか。
民主党の造反派に対する処分規約は「倫理規則」によるものらしい。「党員が倫理規範に反する行為を行った場合、処分を行うと規定」云々。この規定で、法案 反対派の首を斬れるとしたら、「倫理」は万能包丁と云う事になる。それこそ倫理に違反していないだろうか。倫理違反は処罰派の方ではなかろうか。
首相官邸前デモに対し、仙谷は、『大したことない。大したことはない。原発は再稼動しなきゃ駄目だ!』。枝野は、『市民と議論するつもりなどない』。仙 谷、枝野を元左翼として故に批判する評論に告げておく。こんなもんが左翼だなんてちゃんちゃらオカシイわな。以降、この観点からの批判をやめよ。
関電大飯原発3号機の取水口付近に大量のクラゲが発生していると云う。この原因は何なのだろう。生物学者でないので分からないが恐らく何らかの自然の叡智 による逆襲ではないかと思われる。原発反対論の新たな根拠になりそうである。どなたかレクチャー頼む。
参院国会が始まっているが何ともシラけている。質問する側も答える側にも声に張りがない。つまりは活気がない。全てはやると言った事をやらず云わなかった 事をやるという変則から生まれている現象だと思う。幾ら口を器用に廻しても同じで公約が書き変わるものではない。シラけ国会と命名しておく。
れんだいこの小沢論は角栄に比すると随分右派的、然れどもその他大勢がもっと右派的だから相対的に小沢どんを通してしか日本が変わらない、変えられないと 云うスタンスである。小沢どんは自分の立ち位置を賢明に確認しており、日本政治史上に何がしかの有益なお役に立とうとしている。良い事ですがね。
この国ではなぜ本当の事を隠したがるのだろう。キモを隠して会議を重ねても上っ面の総括しかできまい。小沢どんは秘書寮建設を廻ってあれほど叩かれたと云 うのに叩く向きが違うがな。本当の悪が免責されどうでも良いところに正議論が声高にされる。この現象は一体何なんだ。こんな事では口も歪むわさ。
国会の事故調査委員会が「明らかな人災」との見方を示した云々。ならば、人災の論拠を示さねばならない。東電や原子力行政当局、日本政府が原子力の安全性 を吹聴し続け必要な防災措置を意図的故意に取らなかった経緯を記さねばなるまい。当然、人災仕掛け人の小泉君は国会に喚問されねばなるまい。
オウムは国際金融資本派による現代社会の支配の型を真似しようとしただけの事。オウムのマインドコントロールは批判されたが、国際金融資本派によるマスコ ミを通じたコントロールはより巧妙に深くなっている。当然反作用も生まれるが。こう分別して賢く自前の見解を持たない限り流されますえ。
角栄と小泉を共に好評価するなんてことはナンセンス。ネクタイの柄で見ればあり得ても政治論的には味噌と糞の区別ができていないようなもの。角栄のライバ ルは中曽根、小泉のライバルは小沢。政治の質が真っ向から違う。方や売国派こなた土着派と思えば良い。売国派が名宰相とされるが逆が真でせう。
欧州危機にそれン兆円、アフガンイラクその他にそれン兆円、原発にン兆円、米軍思いやりにン兆円使う事を思えば国内投資にン兆円使って何がおかしかろう。 国内で使い然る後に国外が順序だろう。問題は国内投資の使い方にある。経済活性化の為に有効利用する。逆の使い方はムダである。当たり前のこと。
田中角栄は日本列島改造論の中でこう述べている。「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や 所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する」。名言であり深い哲理である。道路づくりより都市化が始まる。粗脳は別にして分かり切った事だ。
ムダな公共事業論がまだ根強い。新幹線3区間の着工認可を槍玉に挙げている。ムダづかいとしているがナンセンス。道路、港湾、空港の適宜な社会基盤整備に 投資するのは必要なことである。耐震構造化にカネをかけたり海外支援に使うより賢明な国家百年の計である。訳の分からん事を云うやっちゃ。
自公の馬鹿さ加減は2009政権交代で一敗血にまみれたにも拘わらず政策的に何の反省もないところにある。民主内タカ派を使って念願通りの増税政策その他 にボケさせているが奥の院のシナリオ通りのものでしかない。骨の髄からの雇われでしかない事が分かる。そこのけそこのけお馬が通るで蹴散らそう。
ハト派とはいわば日本の心派である。タカ派とは国際金融資本の雇われ売国派である。売国派は手前の立身出世の為に国をも民族をも売ることを恥じぬ粗脳派で ある。幾ら集まってもろくなことになりはしない。これに比して日本の心派は意気軒高である。後はメディアを取れば良いネットが引き受ければ良い。
自公民連合が盛り上がらない云々。これは当たり前で類は類を呼ぶ落ち目派の寄り集まりに過ぎない事による。従来、自民党はハト派とタカ派の同衾による与党 であった。これにより双方の支持を集めていた。このうちハト派が追い出され今、小沢派に再興されつつある。昔からハト派の能力の方が高い。
自公民派の民主は社会党の二の舞になる現実の厳しさことが分かっていない。社会党は消費税に猛反対し躍進したにも拘わらず5%増に賛成して国民に見放され 解党を余儀なくされた。筋を違えたからである。民主党野田派も同じ道へ入っている。この先どうなるか明らかだろう。もはや最後の宴でしかない。
こういうことは皆さん分かっているけど云わないだけなんだよね。そう考えると、れんだいこの指摘が馬鹿らしくなるけど、性分が邪魔して云いたくなる質なん だ。オカシイものはオカシイと云わなければ腹が膨れるんだ。以上、今朝のガス抜き。たまってきたら又云わせて貰おうっと。
「法の等しき適用」が今日ほど崩れている時代はない。それも法の番人である「お上」の方から崩すのだから尋常ではない。これによる「手前免責そなた有責」 による「初めに結論ありき」の訴追運動が隆盛している。口が器用に回るのが不思議だ。小沢どん問題、JR有責、東電免責、捜せば五万とあろう。
まともな主張が吊るしあげられ、理不尽な事が後押しされる。このしわ寄せは青少年の身体に影響を与え変な犯罪を生むことになる。論証はできないが関係ある と思う。そういう意味で万事においてまずまず納得できる線の決着を常態化させねばならない。理想は未来の事として現実を落ちつかせねばならない。
JR西日本鉄道事故に於ける経営者責任の論理が東電原発事故には適用されない。東電が優遇保護されているということでもある。しかしながら同時期の似た例 にに於いて法がかくも恣意的になると法秩序が機能しなくなる。結局、免責で辻褄合わせしようとしているが、これもサブい話である。
こういうことは仮に理論的に獲得されて居なくとも、少しはマシな政治家なら体で即ち世間智で覚えていた筈である。いわゆる権力の弁えの問題である。ところ がこのところ、この弁えがなくなっており、信じられない狂態が罷り通っている。これをマスコミが正義の鉄拳ともてはやす。サブい話であろう。
察党中央が反対派に対し人事で加減するのは致し方ない。しかしながら個々の法案賛否の咎による除名権限まで持つべきだろうか。こんなことを認めたら王権制 と云うべきか絶対制と云うべきかいわゆる独裁であろう。少なくとも法務大臣の指揮権発動の例に似て「抜かずの法刀」であるべきではないのか。
考えてみれば国会議員は選良政治家である。党中央の意向のみならず選挙民の意向をも汲むべき立場にある。その上で政治家としての最終的判断が個々の議員に 負託されていると看做すべきではなかろうか。これが議会制民主主義の論理の筈である。いわゆる党中央権限考と云う事になり規約にすべきである。
政党に於ける党中央執行部よりする党内反対派、造反議員に対する処分権というのはどこまでが認められるべきなのだろうか。この理論が曖昧なまま常用されつ つある。それは昔からではない。小泉政権下での除名、刺客騒動以来ぶりがついているのではなかろうか。それは政治の自絞殺ではなかろうか。
菅や枝野や仙石を元左派系学生運動家なんて説く輩がいるが、こらえてくれんかな。仮にそうだとして、ろくな党派ではなかろうし、どれほど活動したのかも分 からん。政治的原点なり発想を窺うのに、とても左派ではない右派でもない。要するに身も心も頭も売タのアメリカンロビイスト御用聞きでせうが。
仙石の頭の中が腐っている。「国民の生活が第一と100回唱えようと何の政治的解決にもならない。増税反対、原発再稼働反対を旗印に訴え掛けるやり方とは 何なのか。それがある程度通用するのが日本の政治の危機だ」だと。逆行政治ばかりが罷り通っているのが政治の危機でせうが。もう要らん要らん。
角栄もの著書で知られている作家の大下英治が「小沢新党、橋下維新の会、石原新党」提携による政権展望を説いている。この御仁は角栄の何を学んだのか知ら ないがずっこける話である。石原の首相願望はサイコパス的で知られているが、何で石原の為にひと肌脱がんといけないんだ。黙れさがれおろう。
民主党野田派に知恵を授けておく。今度の公約は、「公約が破られることもありますが」と前ふりしておいて、第一が「今度は公約を破らないぞ。我々はウソつ かないぞ」。こうしておけば叩かれる心配もなかろう。「公約は膏薬なり。破られる為にある」と居直ってはならんぞ。くれぐれも申し渡しておく。
毎週金曜日が「再稼働反対首相官邸前デモ」だったんだな。ビデオ見ながら聞きながら、こんなことあんなことしています。やっぱ東京は何でも早いな。若い人 が行きたがる訳だな。思う存分満喫してください。帽子だけでも赤ヘルで行くと叱られるんだろうか。やっぱ郷に従えで大人しくすべきなんだろうな。
総選挙に突入したとして民主党がマニュフェスト掲げたらお笑いという事は既に指摘した。かといって国民に公約しない選挙つうものも有り得ない。してみれば 既にオワっているんだな。これをツケが廻って自業自得と云う。民主党三代政権の役割が見えてくる。つまりは民主党潰しの核弾頭政権だったんだな。
7.6日、安住財務相が、「このままでは10月には財源がほぼ枯渇する」云々。それにしては欧州金融危機に6兆円とはこれ如何に。原発事故対応費用もン兆 円、軍事防衛関連にン兆円とはどういうことだ。云うてることとやってることが違い過ぎよう。危機が本当なら無能の咎で辞任するのが筋だろう。
してみれば、言論は、当面の事から原理的な事まで全戦線に於いて対抗されねばならない。特に弱いのが原理的な話である。しかしこれも徐々にこなしていかね ばならない。原発問題も当面の事から原理的な事まで全てが関係している。自公民のような端から再稼働ではお話にならない。世界の趨勢に遅れる。
我々は拙い方向の結論に至るよう長年かけて洗脳されていると思うべきだ。マスコミ電波がこれを請け負っている。バカ番組の乱造、良質番組の駆逐を数十年続 けた結果の「世論」である。してみれば、これを逆駆逐する対抗世論を生み出さねばならない。もうそろそろ号砲が鳴っても良いのではなかろうか。
財政再建はそれとして公共事業はそれとして両立させる知恵を生み出すのが政治だろう二者択一にする必要はない。公共事業の福利が受けられないのは専ら料金 が高過ぎることによる。大胆に値下げして往来を増やせば却って増収になる事もある。これを按配するのが政治だろう敵視するのが政治とは思わない。
マスコミは公共事業利権については鵜の目鷹の目で叩きぬいた。軍事防衛利権、原発利権にはスル―した。これは偶然ではない意図的故意のものである。何の為 か。日本の経済成長を止める悪企みシナリオによるとしか考えられまい。高速道路無料化を何としてもさせないのも同じ理由だろう。と思うのだ。
そもそも中曽根政権の1980年代以降、自民党タカ派と共産党の合唱により公共事業敵視政策が取られてきた。自民党は軍事防衛、共産党は福祉を声にしてだ が、こうして国土総合計画事業そのものが廃止されてしまった。その間、中国韓国の公共事業は進み相対的に日本は沈んだ。もはや気づくべきだろう。
土建国家を批判する者が居るとしたら、その者のオツムがオカシイ。国土の社会基盤は道路から始まり、その他の公共事業に及ぶ。これは都市化の方程式のよう なものである。名目は福祉予算、実質は海外への大盤振る舞いが自公民路線、小沢新党は生活第一、それに役立つ公共事業の振興を云わねばならぬ。
恐らく小沢派の中にも土建国家批判が生きている。2009民主党マニュフェストの「コンクリートから人へ」の薬が聞き過ぎていることによるものと思われ る。問題は2009民主党マニュフェストのどこを修正しせざるべきかである。正しく修正するのが小沢新党、逆が自公民と云う構図であるべきだろう。
党議拘束考 http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-2781.html … 書き換えました。青嵐会の件が触れられていなかったので付け加えました。当時の自民党には党中央に対する公然たる叛旗が認められていたんだな。それを思えば問責と処分漬けの目下の政治とは何なんだろう。日共化極まれりだろう。
「造反有理」・・・党議拘束に意味はない!http://blogs.yahoo.co.jp/hary1118/37230505.html … は参考になるな。これによれば小泉が郵政選挙で造反組に対し刺客まで送り込んだことにつき、手前の過去の行状に照らしてどうなんだと詰問してみたい。要するにご都合主義ばかりの政局、処分好きと云う事になる。
鳩菅野派の民主党が公約にどういう膏薬を貼るのか。これが見ものになっていることになる。云っておくが百人が九十九人、大やいと据えようと待ち構えてい る。そう云う意味では、造反離党組の方に政治家としての先見の明がある。何だかんだと言いながら沈没船に居残った鳩山派のアホウさ加減が分かる。
ところで民主党は次の選挙でマニュフェストを掲げるのだろうか。掲げなければ民主党らしくない。掲げれば誰が信用するものか。オカシなケッタイなことにな りそうだ。公約できない政党なんてあり得るか。してみれば民主党は根本のところでオワっているんだな。鳩菅野派の政権運営の傷の深さが分かる。
こたびの小沢派の評価点は、今までは知らされないなかでの新党結成であり移行であったのに比して、こたびは小沢派が何故に新党結成に向かったのか向かわざ るを得なかったのかが国民衆知の中で行われことにある。この差は大きい。「国民生活第一」+大人の規約が要件で御意の者が続々列なる。よかよか。
小沢派の動向がマスコミ情報で矮小化されているが事実はさにあらず。着実に新党結成へ向かっている。党名の他は順調に内定し届け出を済ましつつある。全て 自由自主自律の去る者追わず来るもの拒まずの大人の風格を見せている。自公民のカスクズ派が数の力を誇るものの手持ち無沙汰の中、堂々進撃中。
それは原発再稼働にも言える。代替エネルギーに総力で取り組んでいるが今年は間に合わないので再稼働すると云うのならともかく野田政権は原発政策の続投を 掲げている。原発政策の続投とは代替エネルギー事業化の抑圧を意味している。これはまともな政治だろうか誰が指令して日本を誤誘導しているのか。
震災のがれき処理に於ける域内処理について。今、国を挙げて県外処理にエールしているが税金の無駄遣いの競い合いだろう。問題は方法である。まず分別せ よ。次に木材系は野焼き又はペレット化が良い。その他適切に。これが良いのに採用しない。政治が理解不能である。本当なら終っている筈であろうに。
消費税では孫子にツケを廻さない為にと云いながら原発では孫子にツケを廻している。どっちの話が本当なんだよと云いたくもなる。マスゴミが口を器用に廻し てヨイショし続けているが次第に呂律が回らなくなるだろう。政治家は既に口が歪んでいる。これが伝染して口歪みの日本人が増えていくのだろうか。
大飯原発3号機が9日にもフル稼働に到達する云々。トイレなきマンション説は違う。汲み取りトイレ式マンションと云うべき代物だろう。しかして汲み取り先 は地下深くだと。格納先の青森県が怒って拒否したら、どこで処理するのだろう。もう既に満杯だと云う。こうなると垂れ流し政治と云うべきか。
海図なき航海に出ている自公民政治。あるのは奥の院のシナリオばかり。これをオカシイと云えば袋叩きにされると云うのが現代政治構図だろう。ところが奥の 院シナリオがどんどん古くなりつつある。奥の院シナリオで御身安泰を図った者がバカを見て歴史の流れから振り落とされる。歴史は面白いですね。
高杉晋作が挙兵する前に隊士たちとの酒宴の席で歌った都々逸「真(まこと)があるなら今月今宵、あけて正月たれも来る~」、遺書「これよりは長州男児の腕 前お目に懸け申すべく」で知られている「功山寺の挙兵」に応じたのは遊撃隊と力士隊の84名だった。何やら意味深ですね。歴史は廻るとも云う。
野田政権は増税魔王、処分大王と化した。振り向けば求心力ゼロ。お話にならんわな。既に首が飛んでる。まもなくバッタリだろう。奥の院のシナリオ通りでは ないか。20009政権交代がかくも惨めに内部溶解させられたと云う政治遊び。そもそもきょろきょろ鳩山が創った党だから似合いかもしれんな。
一億一心火の玉が悪いとは思わない。問題は強制されるものではないし、向かう方向が間違っていると危ないわね。それに懲りて一億一心火の玉を捨てるのはど うだろう。組織と云うものはそれを目指し党中央は指導力を発揮する。但し、指導力不足を棚に挙げ反対派処分に向かうとなると狂った乱用だわな。
小沢派が抜けた民主党にはぽっかり穴があき何の魅力もなくなった。元々自由民主党と云う政党があるところへ自由党だの民主党だのの名前をつけるところが卑 しいんだな。小沢どんが自由党と云う名をつけたのは落ち度だったと思う。今度は一心党だな。余り反応がないけど良くないのかな、良いと思うがね。
皆さん、これからは日本一心党に結集して日本を立て直そう。国際金融資本の御用聞きばかり、それに反対しても優柔不断な者ばかりのご時世に対して、草の根 ネットワークで日本一心党政権樹立に向かおう。精神が歪むと何事も歪む。まずここは一心刷新で参ろう。これで日本に希望が出てきたなうん。
日本一心党は自前の理論機関誌と一般向け新聞とウェブテレビ放送局を持たねばならない。このまま既成の新聞テレビに漬けられるとますます総白痴にされてし まう。これは偶然ではなく意図的故意に操作されていると判ずるので切り返す媒体を持たねばならない。ここに目を向けない政党はダメだ。
小沢派の党名は「日本一心党」でどうだろう。今までの一新会を受け継いでいることと、ただ一つ日本の心を護ると云う意味があり、一致団結心を合わせて政権 奪取に向かおう、一心に政治を執り行うと云う意味がある。斬新だし紛らわしくないしね。これでどうだろうね。誰か小沢どんに届けて欲しい。
しごくまともな小沢派の訴えが十字砲火で逆に云われ、金権批判を浴びせていたかと思うと、新党立ち上げてもゼニがないだろうと金権不足を云われ、自公民派 は何をしても免責され、小沢派は目クジラされる。脳を患わずに新聞を読みテレビが聞ける者を却って尊敬すべきか。普通は政治音痴と云うんだがね。
安住が東日本大震災の復興予算枠の拡大を検討する意向を表明した云々。問題は、要らん方向にゼニを使い日本経済の景気回復になるような方向に使ってはなら ん、後は自由だ好きにセェ、冗費として使うんだぞと釘を刺されていることにある。これが、日本は自由な国と云う裏舞台である。一事万事と思え。
野田の処分で先の造反議員、離党議員の相関関係が分かった。正確でないところのフォロー頼みます。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/minsyutoron/ozawaseikenfunsyaco/kakusyaco.html …
さて、小沢派問題は片付いたとして自公民の好き放題政治が待ち受けている。見よ、国内公約はどうにでも変えられるが国際公約には命をかける、消費税が国際 公約で始まったことの意味が分からう。導入名目はともかくあちこちへ大判振る舞いが始まり肝っ玉安住への拍手喝采劇を見させられることになろう。
小沢どんを壊し屋と頻りに吹聴している裏で、本物の壊し屋が日本を壊しにかかっている。野田派とマスゴミは本物の壊し屋に対してはペコペコする癖があり、 やれ国債責任だの、やれ運命共同体だの、やれ国際標準化だの、やれ思いやりだのやれ自由化先進国だのと云っては打ち出の小槌を振り続けるだろう。
政党は秘密結社ではない。秘密結社なら上の意向に従わなければ処罰される。公開的な政争をするのが政党であり場が議会とか委員会である。最後は多数決で決 着させる。反対派が処分されるなどと云う規約があるとすれば規約がオカシイのであって造反派が不正と云うのではない。これはイロハであろうに。
こんなのは政治ではない。では何なんだろう説明がつかない。恐らく植民地特有のお代官政治なんだろうな。宗主国の意向を受けて反対者を次々駆逐するムチ政 治とでも考えれば良かろう。これから次々とムチがお見舞いされる。丁寧にもお前らの為を思っての愛のムチだと説教されながら欲しくねェつうのに。
政策の違いを党議拘束で締めようなどとして、にも拘らず従わなかった方に対して処分するなど会社レベルの話と政界の話を混同しているのではないか。政治に 対立はつきもので、一々処分棒振り回すなどというのは狂態以外の何ものでもない。これにエールしてそれやれやれやれ手ぬるいなどと唱和するとは。
政権与党内の政策政争で一番激烈だったのは、日中国交回復交渉過程での推進派と台湾派との軋轢だったのではなかろうか。かの時の党内対立は昨今の民主党内 の消費税論争の比ではない。学ぶべきは双方が大人ぶりを発揮していることだろう。造反派に対する処分なども聞いた事がない。それに比べると何だ。
野田派の自公民連合をどう評すべきか。公武合体でもない薩長連合でもない。史上初めての売国派与党連合である。政界の何割勢力になるのだろうか。表見的に は強そうだが中はゴタゴタのゴミクズばかり。船頭多くして船、岡に上るのならまだしも、ひらめの目遣いばかり、船仰向けに倒れるてなとこだろう。
十字架砲に晒される「小沢派サムライ50」をどう守り支援するのか、これがネット世論に要請されている。そう云う意味でマスゴミ対ネットの闘いでもある。 方やへなちょこ、こなた一騎当千のつわもの。但し今のところは多勢に無勢。しかし歴史を見れば初めはみんなそんなもの。意志あるところ道あり。
「小沢派サムライ50」新党旗揚げが間近い。「小沢どんの最後にして最強の政権取りの戦い」となる。「政権取りのゴングが鳴った」。こう読むべきである。 この意義を矮小化させて報道するのがマスゴミの役目である。真実は「小沢派サムライ50」の悲愴にして意気軒昂さの中にある。武者震いせよ。
野田派が「小沢派サムライ50」に対して除籍処分する方向で検討云々。この連中は土光臨調式「増税なき行政改革」には命をかけず「行政改革なき増税」に命 をかける手合いである。お話にならない連中だから何でもすれば良い。日本的情緒感性のものではない奥の院指令がモロ出しになり却って良かろう。
三宅雪子にもう一言。お金にキレイ潔癖の色をつけてはいけない。お金は有り難いと丁寧にいただき、大事に使わせていただくと誓わねばならない。政治の第一 歩はここから始まり積み上げられるものと心得よ。合法的にいただけるものは全て受け取り、懐化が嫌ならカンパすれば良いがな。同志に伝えよ。
三宅雪子が、取材やスタジオの謝礼や交通費を受け取らない宣言している。お金はたとえ正当なものでも誤解を受けるものは受け取らないか返金する云々。違う な。全て受け取り全て克明に収支報告書に記す範例を示して貰いたい。それが筋だな。嫌なら代わりに私が貰いたい。お金の妙な潔癖は続かないな。
今朝のテレビニュースでの小沢派離党に関する論者のコメントはまるでダメ夫ペケ子の競演だな余りにレベルが低過ぎる。わざとだから仕方ないな。中でも伊藤 惇夫は毎度ながら酷いな。テレビで早くウェブテレビが見られるようにならんかな。首相官邸前デモ即時中継のような。当局が許可しないんだろうな。
小泉政権時代の郵政造反派に対する刺客送り込みも日共のお家芸である。地区代議員の選出に当り反党中央派に刺客を送りこんだ。そう云う結果としての党大会 の満場一致である。そんなに満場一致一枚岩体制がうれしいのかや。れんだいこには却って気色悪い。大人の政治と子供の政治の違いが分かっとらん。
考えてもみよう。角栄の日中国交回復の時、見返りに台湾との国交断絶を決断させられた。自民党内の台湾派は猛反発。今でいう造反派が容認しなかった。この 時、田中政権は造反派を一人でも処分したか。歴代政権にこういう事は茶飯事であった。党内反対派を除名するのは日共式で今や蔓延し過ぎていよう。
野田派が離党した小沢派を追いかけるように処分を検討中との事バカ丸出しだな。政治の世界で離合集散、造反はつきもの。議員と云うのは国民、支持者と共に あり党は寄宿しているようなもの。政策が合えば良し異なる場合もある。それを踏まえての党中央権限だろうが不徳の致すところと弁ずる話だろうに。
「消費税と税収の関係グラフ。何度見ても消費税をアップしても税収全体は増加しない」云々。実に然りである。そういう消費税を新聞各社は煽りに煽っている が、手前らの新聞には勘弁やでぁと手を廻している。汚い言論ではなかろうか。今や何でもかんでも「手前免責、そなたは有責」論が罷り通っている。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
2009政権交代の原動力にして、政権後は冷や飯食わされ続けてきた小沢派精鋭が離党した。後に残ったのは絵に描いたような鳩山派、菅派、野田派連合軍で ある。この連中が自公と組んでほぼ自公民独裁体制が敷かれることになった。これを我が世の春と云うが、平家物語には次のように書かれている。
前にも述べたが、角栄の不幸は今時のインターネットがなかったことにある。あればマスコミの言論大砲に抗してネット機関銃で応戦できたものを。しかしこれ は時勢の問題であり角栄のせいではない。それを思えば小沢どんはもっと耐え闘うべきであろう。小沢どんが闘えば闘うほど我々も命がけとなろうぞ。
週刊ポスト2012年7月13日号が、鈴木宗男の「カラスが鳴かない日はあっても 小沢が叩かれない日はないやね」の言を掲載しているとの事。このオリジナルは角栄の弁である。健忘症でない限りロッキード―事件時の喧騒を覚えているであ ろう。かの時の方が今より酷かった。角栄はよく耐えたと思う。
鳩山政権小沢幹事長時代のガソリン税復活に対しては、それにより補修財源の裏付けができたのでいよいよ高速道路無料化が始まると受け止めた。ところが前原 国交相は逃げまくり結局は自公時代の土日祝の無料化をも廃止した。酷いもんだよ。その責任を小沢幹事長になすくるのもエエ加減にせよと言いたい。
小沢どんを壊し屋と罵詈する論調に対して一言しておく。政権交代せしめた民主党の立役者が小沢どんであり、こたびの離党は止むにやまれぬ大和魂と受け取り たい。民主党の「壊し屋」はむしろ鳩山、菅、野田と続く奥の院御用達派の方ではないのか。これはまもなくはっきりする。為にする批判は慎めよ。
小沢どんの新党立ち上げが過去のそれと決定的に違うことがある。それは何故に新党を立ち上げたのか、そのいきさつ経緯を国民が十分に知ったことである。こ の差は大きいと見る。雇われ言論マスコミは相変わらず叩き続けるのだろうが、議員のみならず支持者まで含めた小沢派がごそっと抜けた穴は大きい。
自公が嵩にかかって衆院解散総選挙を言いだし始める。民主はこれで党内亀裂を深める。野田は衆院解散反対派を造反派として処分する。なんて漫画はないよ な。歴史家は「やけくそ解散」と名付け。オリンピックも近い事だし消費税もこぎざみにせず思い切って世界一狙いの金メダル取りに行ったらどうだね。
マスコミは民主のダメ―ジを少なく報道するだろうが、内臓破裂したようなものでタダで済む訳がない。どんなみじめな民主党になるのか見物させていただく。 自公が舌なめずりして可愛がってくれるだろう。前原、岡田らは元々その狙いだから祝勝気分で乾杯しているのだろうか。タイタニックの宴だな。
小沢派は党名考えねばならんな。日本わ党、日本まほろば党、日本の心党。硬い難しい漢字でない方が良いな。そもそも民主党と云う党名がヌエだわな。自民党 が文句言わないから通っているが社会民主党があるのに民主社会党なる党名をつけたようなもんだ紛らわしい。名は体を表すから良い党名つけんとな。
小沢派がとうとう離党届とのこと遂にやりましたねぇ。これで民主には何の未練もなくなりました。カスばかりが残ったことになる。探せばちらほら居るんだろ うけどもう用はない。野田は所詮は政治能力のない愚か者だった。野田打ちまわり野田れ死にする。輿石も何の根回ししていたのかな意味が分からん。
野田政権のキーマンは輿石である。前原、岡田、仙石が悪事に動くが全て計算できる。輿石の動きはまだ分からない。社会党潰したように民主党潰しの芸を見せ るのか、小沢政権への道を敷きつめようとしているのか分からない。それも明日には決着すると云う。読売が怒ろうけど延長戦シナリオはどうだろう。
どちらが出るのか興味津津である。鳩山とか菅とかはすぐに化けの皮が剥がれ、剥がれた通りの終末を迎えた。最後になればなるほどバカ丸出しの醜態であっ た。野田が原発再稼働指令したことを思えば百発百中自公民連合に雪崩れた挙句に用済みにされるんだろうけど、ひょっとと云う事がある。魅力である。
明日「歴史その時シリーズ」が決着するとのこと。ここまでの経過で思う事は野田の妖しい魅力である。小沢派処分で自公民連合を組み衆院解散に向かえば歴史 に残る暗愚な或いはトロイの木馬首相と云う事になる。小沢政権禅譲の道を敷けばこれまた歴史に残る肝っ玉首相と云う事になる。それが読めない。
輿石秘策は、小沢派処分を党員投票で決着付けると云うものでどうだろう。もう遅いかもしれないが、これはなかなかの名案である。重複したが、今からでも遅 くない、誰か、この提案を届けて欲しい。野田派が呑まなければそれで良い。連中の政治能力、力量が分かるから。
戦争で儲け金融で儲け基幹産業を傘下に収める。この間、マスコミを上手に使う。こうして物資も精神も支配する。国債と消費税で中毒にしてコントロールす る。やり方が何も変わっていない。それでも又騙される。これは日本だけではない、どこの国もやられている現象である。そろそろ対抗せねばなるまい。
この詐欺師ペテン師どもが政権を握り、政権交代前の自公政策を実行しようとして徒党を汲んでいる。二大政党制の夢を内部から壊し一大徒党制に走り出してい る。反対派を抵抗勢力だの造反だのと罵詈雑言しつつ。戦前の大東亜戦争開戦気分も、こんな風に誘われたのではなかろうか。犯人は奥の院だろう。
2009政権交代の主力が造反扱いされ、棚からぼた餅派が政権にくらいつき、自公政策を担ぎだして自公民連合結成するなど冗談にしても酷いと思うのだが現 実がそうなっている。マスコミの支援なくしてはオカルト現象である。何度も云うがマニュフェストが実行されて後の修正ではない。詐欺である。
明日、小沢輿石会談が行われるのかどうか知らんが、どちらが民主党の正統なのか党員投票にかけて問うのが良い。時期を8月にすれば代表選に間に合う。何か 良い知恵はないかとのことだから、れんだいこが知恵を授ける。このアイデアを誰か小沢派と野田派に届けてくれないか。
(私論.私見)