菅が「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと 」 (幻冬舎新書)を刊行したらしい。読まない前の批評であるが、全てを官邸主導にしておいてお粗末なキリの采配をしたのではないのか。本来の任務の総務省が 全く動いていない。当時の総務相の片山善博が何食わぬ顔でテレビに出ているが腹が立つ。
2012.10月 |
(最新見直し2012.7.1日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに2012.10月のれんだいこツイッターを整理しておく。 2012.11.10日 れんだいこ拝 |
菅が「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと 」 (幻冬舎新書)を刊行したらしい。読まない前の批評であるが、全てを官邸主導にしておいてお粗末なキリの采配をしたのではないのか。本来の任務の総務省が 全く動いていない。当時の総務相の片山善博が何食わぬ顔でテレビに出ているが腹が立つ。
何度も云うが政界の第3極は小沢派である。見積もれば総勢100名になる。その他が第4極で石原、維新の動きは第5極である。それを第3極として打ち出マ スコミの狙いは執拗な小沢派バッシングの流れによる。これは偶然ではあるまい。誰が指令するのか。それを云えば陰謀論になると云うバカなことよ。
小沢の如く東の如く政治に筋を通す人士は珍しい。今、小沢新党に結集して居るのは筋派である。その他は誰に操られているのか別にして御用聞きと一時の栄耀 栄華狙いばかり。政党は違えど習性は皆な同じである。10年のスパンで見れば消えてしまう。その点、筋派は生き残り生涯現役になれる。だな。
テレビマスコミは、東幹事長のあっぱれ演説を採り上げる一社もなし。代わりにさんざん聞かせてくれるのが石原の与太話し。すっかり慣れっこになっているの で驚きはしないが恥ずかしくないのだろうか。テレビを啓発用に使えば役に立つが愚民化用に使われて久しい。いつまで我慢すれば良いのだろう。
1970年代までの公明党精神を受け継いでいるのは東幹事長と云うことになる。これにつき現下の公明党は恥じるべし。ただ一つだけ誇るべし。公明党の党中 央に反逆したこういう人士が生まれていることを。返す刀は日共だ。党中央に反逆しての政界居残りなぞ誰一人いない。筆坂の例なぞお粗末すぎよう。
東祥三幹事長について思うことは、元々は公明党の議員で、新進党結成の時に小沢どんに合流し、その解散に於いて公明党議員が大挙して自民と合流する道へ向 けて右旋回していったにも拘わらず小沢どんのところに残った稀有な政治家である。してみれば元公明党の貴重珍種と云うことになりそうである。
昨日の「東祥三幹事長の代表質問に衆院本会議場はヤジ1つ飛ばず静まり返った」云々。痛快ですね。自公民のお遊び政治上の喧騒が、本来の政治はこうあるべ きだと聞かされて耳を傾けたと云う構図だろう。これを思う時、衆参が捻じれているのではない、政治が捻じれているのだとつくづく思う。
要するに、問題意識は少しの脳と感性があればキャッチできる。その問題意識に相応しい処方箋が問われている訳で、ここがずっこけたら何にもならない。政治 評論には、この手の駄文駄言が多過ぎる。大学教授の肩書で登場しようとおんなじである。まっそういうことはみんな分かってきている頃だわな。
政治評論家の「野田首相が『明日への責任』を果たすつもりなら、まず解散して国民に信を問うべきです」なる言はウソ臭い。ひたすらの衆院解散論であり奥の 院指令にそうものである。野田がダメなのははっきりしているが、かといって控えている狼や虎に身を預けるのも芸がなかろう。みんな悩んでるんだ。
野田が、新規国債の発行できなければ本年11月末に支払いが止まる云々と云うのは本当かもだが、そう云いながら日銀のん兆円の欧州金融危機支出、先ほどの IMFに対するン兆円の支出、世界銀行に対する長期支出の誓約は何なんだ。何で国際的事情になると大判振る舞いできるんだ。訳が分からん。
次期政権は今すぐ衆院解散すれば自公政権でせう。少し間延びすればどうなるか不確定です。そういう事情で奥の院の直ちの衆院解散指令が発動されており、マ スコミがこれを受けて煽っていると見立てます。小沢政権の芽は僅かですが、これしか日本再生の道はない。歴史の振り子を動かしませう。
自公民の粗脳政治がやっていることは一事万事でお粗末すぎる。だから逐一批判してもキリがない。計画の立て方、運営の仕方、後始末の仕方、そのお粗末のそ れぞれ挙げればキリがない。二度目の政権交代、それも小沢政権の創出でないと解決せんわな。マスコミはそう説かんが、これはもう処置なし故だな。
石原の如きが愛国ぶっても、四期の都政でやってきたことを見れば唖然とさせられる以外になかろう。コマーシャルはうまくても、コマーシャルばかりと云う粗 脳口先野郎の走りではないのか。似たようなもんがうじゃうじゃ大量生産されているが、しゃらくせぇと一喝して蟄居閉門させねばならんわな。
粗脳を一掃し有能な者が上に立ち良き指導をする、そういう仕組み体制に造り替えずんば解決しない。小沢政権誕生はその元一日である。小沢どんも、そのこと を良く知っており歴史に身命を預けると宣明している。その心意気や良しとすべきだろう。そうやって世代を継いで日本を創って来たのではないのか。
現在の政治の貧困の要因は詰まるところ粗脳に原因があるんだな。政治家も官僚も、1970年代までは有能な者が登用され、80年代以降は粗脳故の御用聞き が引き上げられたんだな。そういう登用を30数年続けた結果の今のお粗末政治なんだな。こうなると審議して話せばわかると云うものでもなかろう。
前原の収支報告書には杜撰記述問題と不記載問題の両方が認められると云う。こうなると克明に記したものの年度違いで(本当に間違いかどうか分かりはしない が)あれほどバッシングされた小沢どんに比して書かなかった前原が問題にされず小沢どんを追及していたことになる。エエ加減にセェよ前原こらぁ。
ここに来て前原の収支報告書のデタラメが問題になっている。今まで何をしても免責お目こぼしの前原が叩かれ出した背景に何があるのか。政局流動の餌として 利用され始めたと云うことか。いずれにせよ、前原は攻守ところを変えて、小沢どんへの説明責任云々の口先を手前に向けねばならないだろう。
マスコミの維新+石原新党の動きを第3極と評するのが解せん。普通は第1極が民主、第2極が自公、第3極が小沢新党であり、してみれば第4極の動きだろ う。明らかに小沢新党を無視し過ぎの偏向報道だろう。それとも何かマスコミはれんだいこ説と同じように自公民を合せて第1極にしているのだろうか。
三陸巨大震災対応を前提に復興予算を組んだのに、復興に使うのに精査を厳しくして、よその修繕だとか対策に精査を甘くしてネズミがかじるに任せていると云 う実態、これを誘ったのが自民の修正案だったと暴露されて、その後報道がない。自公民よ、お前らエエ加減にせえよとげんこつするのはいつの日か。
石原慎太郎サイトを急きょ拵えて見ました。ほんのスケッチですので、今後折を見ながら肉付けしていきたいと思います。石原慎太郎論http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/hashimotoishinnokaico/ishiharashintaroron.html …
日蓮には日蓮の親鸞には親鸞の法然には法然の空海には空海の最澄には最澄の役行者には役行者のその他にはその他の味がありませう。歴史的に数百年以上も名 を残している者には皆なそれなりの理由がありませう。周りとか後世の者がどう解するかは別にして。と思うんだな。誰かパチパチ頼む。
石原の如きの中央集権打破の自己目的論は故にウソっぽい。北朝鮮、韓国、中国に毒づいてワシントンにポチ振舞いして、肝腎なところがそんな按配で中央集権 打破なんていうのはナンセンスもエエとこだろう。草葉の幕末志士が聞いたら皆なが皆なせき込むだろうに。この程度の識見をぶるのをタワケと云う。
当時の大連合は、欧米列強の植民地化に抗する為のものであり、その為に幕府が役立つなら幕府を支援し、幕府では対応能力がないとならば雄藩連合で幕府に代 わるとしていた。それが公武合体となり、生ぬるいとして最後的に幕府倒壊となった。厳然として問われていたのは日本の独立だった。と解するな。
石原が25日の辞任会見で、「薩長土肥も、関心、考え方は違っだけど、幕府を倒して新しい国家をつくるということで大連合があった。一緒にやったらいいん だ」なる発言している。浅はかな歴史観に基づくすり替えをしていることが分かる。当時の大連合は幕府を倒す為を自己目的としているのではない。
野田首相の所信表明演説が「上滑りで空疎」と評されているが、わざとそのようなデキのものにしている可能性があるんだな。近々衆院選があるとして、その前 に徹底して民主党の幻滅をイメージづけるよう奥の院との合作で芝居している可能性があるんだな。ならば、「上滑りで空疎」では批判になっとらん。
創価学会と公明党は政教分離しているんだな今では。問題は、それを批判している共産党の方が党本部と国会議員の関係で政教分離していないんだな。このロ ジックは、宗教と政教が本質的に同じと考えれば理解できる。国会議員が党本部にペコペコつうのは日共に典型だが問題ありだな。
供託金の没収は企業会計の荒利からのものではなく純利から吐き出すはず。純利なぞそう貯まるものではない。それを毎回毎回調達して捨てているのだが、そん な金がどこから出てくるのだろう。キレイ潔癖清潔の党だから都合付けているのだろうが常識的に理解できない。誰か、その会計見たことあるかなぁ。
戦後民主主義は時の体制、時の政権に対する反対活動を合法化させた。ここに戦前とは違う進歩が認められる。しかしだ、その反対党が全てが全て丸めこまれて いたら、それでも反対活動の合法化と云えるのだろうか。少なくとも戦後民主主義が機能不全に陥っていることは確かだろう。かくあると思え。
日共の経理でどうしても理解できない分からないことがある。地方選、国政選で立候補するには供託金が要る。獲得票が少なすぎると没収される。かなり没収さ れている筈だが毎回の如く全選挙区に立候補させている。この資金はどこから出てくるのだろう。経理上どう処理しているんだろう。これが分からん。
返す刀で日共のえげつなさも撃っておこ。先の鹿児島3区補選は僅差で自民候補が勝利している。日共票が国民新党候補に流れていたら勝負は分からない。推薦 の民主が、わざとへタレの岡田を送り込み、自民が石破と安倍で腰を入れていたからして勝負は見えていたが僅差だった。日共の立ち働きを疑惑せよ。
お題目唱えて福運を呼び招き、その結果が自公連合で、原発続投、増税、自衛隊の海外派兵、憲法改正を指針させるとは。日蓮教義の現代的適用がこんなことに なるとは、日蓮が草葉の陰でご立腹ではなかろうか。俺をダシに良からぬ事をすること相ならんと破門させるのではなかろうか。この不届者めがと。
それにしても、ここに来て公明の醜悪さが目に余り出したな。小渕政権の時に与党入りして以来、すっかり自民の腰巾着になり下がった。今は野党暮らしだと云 うのに自公の同床ぶりは変わらない。これは義理がたい故ではなかろう。母胎の創価学会教理の本質的な守旧性の為せるわざだろう。と思う。
禁じ手を平気で使う自公、これに従う民主。これも出来レースとちゃうか。余りに馬鹿げている。と云うか大人げない。今後はこうした出来レースが次々とお見 舞いされるだろう。問題は、そういう工作の挙げ句に衆院解散に向かうのか年を越すのか衆参同時選挙まで延びるのかにある。それは分からない。
10.29日、首相の所信表明演説が衆院で行われ、参院では野党の反対で見送られた。これは参院初の暴挙である。首相の演説が聞くに値するものであろうと なかろうと首相演説そのものを拒否するとは。自公派がかくも禁じ手を使うのは幼稚じみている。野田は野党の反対にも拘わらず行うべきであった。
政府の原発事故緊急事態継続通知が本当の事態だとすると、自公民の原発続投論は犯罪的様相を帯び始める。まさにゆでガエル連中ではなかろうかと云うことに なる。温泉気分で浸っているうちに眠くなり一丁上がりのゆでガエルができあがると云う話しである。議員はいいんだ日本がやられたらあぁ。
この情報は注意しながら追跡したい。原発続投派の粗脳には国政を任せられない。菅の時に隠蔽し続け野田もそうしてきたが、いよいよ緊急事態想定が急務と云 うことではあるまいか。もとよりそうではない、単なる形式通知だと望みたいがきな臭いにおいがする。どなたかレクチャー頼みます。
着になる情報。10.28日付け東京新聞が、政府が近々福島原発事故後の緊急事態が継続しているとして今週中にも国会に通知する方針云々。昨年末の事故収 束宣言にも拘わらず緊急事態が続いているとの発表をすることになる。ご都合主義の問題としてではなく事態が深刻と受け止めたい。
孫崎亨著「アメリカに潰された政治家たち」を注文したのだがまだ来ないもう来る頃かな。今「戦後史の正体」を読んでいる。寝床で読むので少しずつしか進ま ない。分かることは大学教授系の歴史書より中身が良いな。貴重な資料が満載されている。孫崎氏の「やむにやまれぬ 大和魂」の心境が伝わるな。
れんだいこ的には朝から晩、深夜まで小沢新党のウェブテレビを見たいんだな。ニュースあり解説ありドキュメントあり歴史考証ありがいいな。5000円まで なら会費払っても惜しくないな。もう他のテレビは見たくないんだ。NHKはまぁまぁだな。海老じょんいるが失脚されて以来ダメになったな。
原発は廃止、水力火力発電は控えめに、エコエネに全力で取り組むが今後の指針となるべきでせう。エコエネも種類が多いからね。自然の光と風と水と熱を使う のがエコだわな。科学技術がそれを可能にする時代になったのに原発痴呆症に罹っているんだな。これは相当の利権によって中毒にされた結果だな。
70年代の遅くない時期までの民主連合政権論がその後どうなったのか。20世紀の遅くない時期となり21世紀の早い時期となり、それも見通しが立たないと なると青写真不要論。党内がこれで罷り通るから不思議だな。党中央の云うことはその通りで躾しているんだろう小泉と民主党が真似て困る病気だな。
イタリアの共産党系発案のオリーブの木構想を小沢どんが持ちかけ、日本の共産党が尻ごみするなんて構図も滑稽と云うか普通的には理解不能。昔の用語では民 主連合政権と云うが、いつの間にか云わなくなったな。最近では青写真不要論が売りだな。青写真持ち出してよほど痛い経験したのだろうな。
この不誠実野郎にキレイ潔癖正義の何とかなんて耳タコで吹かれるから始末が悪い。選挙で負けたら、我が党の訴えが国民に届いていないからだとして読むにも 値しない赤旗配りに尻を叩く。党中央の責任は絶対に取らない。取るのを見たことない。捲土重来を云うが何回も云ったら滑稽だろうにポカンだな。
政党機関紙としては共産党の赤旗が最大部数だろうが、衆知の通り宮顕―不破―志位一派の御用紙にされてしまった。付き合いで取る者はいようが読む者は何人 だろう。ごく最近では小沢秘書の収賄報道を手柄話にしていたが雲行きが怪しくなっても知らん顔を通している。攻めは強いがお詫びが不誠実。
10.25日の石原都知事辞任劇は大報道、小沢どんの国民生活第一党結党記念パーティーは無視ないし小報道を目の当たりにしたばかりだが、考えようによれ ば小沢新党は自前のメディア立ち上げに向かう口実と契機を得たとも云えよう。ぜひネット新聞、ウェブテレビ、理論誌創刊に向かってほしい。
それとあれだな、角栄は機密費に手を付けなかったんだな。作られた世評と違って案外とキレイ潔癖なんだな。今頃は機密費狙いの首相―官房長官成りたがりば かりやがな。金権批判を云っている連中の方が汚いつうことは有り得る話しだろう。小沢どんの説明責任問う者が手前のそれを説明できないんだな。
れんだいこは角栄を悪者にして中曽根を名宰相とする者のオツムが信じられん。何をどう何処を調べてもどっちから見てもあべこべだろう。よしんば角栄の土木 利権は認めよう。土木工事は残ってお役に立つ。中曽根の軍事利権と原発利権はどうだ。何の役にも立たないどころか危険なお荷物ばかりではないか。
原発なければ電力が不足すると云う者は、福島原発事故以降、政府がエコエネ転換を指揮し総力で向かっていれば今頃は不足論は成り立たないはずと云うことに つき、批判論証せねばならない。自公民政治はエコエネ転換を指揮もせず、委員会つくって先延べした挙句骨抜きにして遊んでらぁ。ダメだなこりゃ。
原発がそんなに安全なら僻地ばかり狙わずに首都圏のど真ん中の霞が関辺りに造れと云う説があったが、この説は未だに有効だな。福島原発事故直前までエコエ ネにしてクリーン安全を売りにしていたな。鳩山、菅は原発輸出に力入れると吹いていたな。菅は今頃調子の良いこと云っているが責任はないのかや。
安倍と石破は、安倍の奥さんは行かんでもええ、荷物まとめて福島原発避難該当区域内の空き家に引っ越しせよ。そこから通勤セェ。放射能は健康に良いと云う 説も出ているので君らは放射能ふりかけで飯を食え。こんなに元気になりましたと胸を張ってものを云え。いいか3年だぞ。すぐ来るから辛抱セェ。
長らく自民党を応援してきた者もそろそろ気づかねばならん。先の代表選で4名が全員原発続投派だったな。れんだいこは卒倒した。この連中のオツムはどう なってんだろう。明日から最低3年、福島原発危険区域内に住まわせることにする。その間、見事に事故を終息させたら原発続投論を許すことにする。、
虎は死して皮を残し人は死して名を残すと云う諺がある。幾ら栄耀栄華を極めたとて死してスパイの名を残しては親族がやりきれんだろうに。そういう御仁は案 外平気なんだろうな。俺だけは絶対にばれんようにしてくださいよと念押しして今日も邪悪活動しているんだろう。好かんタコ人生だが大勢いるな。
この悪魔産業を持ち込んだのは例によって正力、中曽根、ナベツネラインである。この連中が日本の為に何か良き事をしたものがあるだろうか。悪事は全てこの ラインを巣窟にしている。正力は国際金融資本のスパイであったことが判明させられた。中曽根、ナベツネの正体が判明するのはいつになるのだろう。
原発についての新論はこうだ。銀行強盗は相対的に重罰化されている。麻薬覚せい剤についても徹底した取り締まりを旨としている。これに倣えば原発に手を染 めるものは被害の大きさからして極刑に付されるべきだろう。ところがこれを国策で導入したもんだから正義が上から崩れ今や最大利権に化している。
10.26日、日経・CSIS(米戦略国際問題研究所)共催のシンポジウムが帝国ホテルで開催され、・アーミテージタコ入道一門が勢揃いしている。日本か らは玄葉、前原、石破、林、北岡、薮中が顔見せしている。アーミテージ座長はスティルス作戦が嫌いなようで時にこういうお披露目をしてくれる。
中毒と云えば自公民+維新+石原ラインはこぞって原毒、増税、軍事増強、憲法改正の中毒連合ではあるまいか。この仲間内で話し合いをすれば威勢の良い方が 主導権を握る。消費税10%なんぞ甘い、20だ30だエエイめんどくさい100%だと云う風になるのが歴史の法理である。もう勝手に云え―セェ。
「政策は大事だがささいな問題である」なる発言ほど石原らしさを示すものはない。普通は「少異を捨て大同につく」と云う。石原になると「大異を捨て連合に つく」にすり変わる。石原はこういうことを平気で云う。石原が政治好きなのは構わないが次第にはっきりと政局中毒患者の症状を示しつつある。
そういう御仁を持ちあげ期待できそうだと煽るマスコミってなんなんだろう。類は類を呼ぶので辻褄はあって居るんだが纏めて歴史の屑かごに放り投げんとな。 君たちそこまでと腕を後ろに廻して締めあげんとな。そしたらすっきりすらぁ。現実は逆になるんだけど、あいつらにタタリつうものはないんかな。
石原都政の評価は要するに政治の私物化と云う事になると思う。都政やらしてみてそうなんだから仮に国をやらせてもそうなるだろう。問題は、この手の奥の院 イエスマンはどんなことをしても叩かれずやりたい放題できるんだな。そう云う意味で特権階層なんだが裏の後押し見れば何で愛国者であることかわ。
石原都政時代の乱脈経理ぶりの最たるものは何とか銀行の立ち上げと終息だったな。幾らドブに突っ込んだことだろう。金額聞けば卒倒して泡をブクブクさせる ことになろう。その癖、小沢どんが秘書寮建てたと云っては金主詮索しててんやわんやする。れんこの頭が狂っているのかマスコミが狂ってるのか。
我々が通常目にする聞かされる如きの歴史書なぞ検閲ずみの許可系のものだと思わねばならない。俗流左翼本もこの類のものである。決して騙されてはならな い。本当の事を知りたければ本当にお陰のある門をくぐらねばならない。ネットがそういう場になれば良いのだけれど、まだまだだな。これからだな。
じゃかましい、日本の事は日本が決めるわいと云う当たり前の事が云えずに揉み手で肩をなでるさする膝を抱く。そんなんが何で愛国者なんや。靖国神社詣でる のは勝手だが英霊が嫌がって迷惑しとろうが。英霊侮辱罪で訴えてくれとの声がするわ。マスコミは靖国詣でたら愛国者扱いするがエエ加減にせぇ。
今日びの愛国者に共通しているのは北朝鮮、韓国、中国、台湾に高圧的な他方でアメリカと云うその裏にある国際金融資本にペコペコな様である。この間でも何 度そういう例を見させられていることか。ア―ミテ―ジ如きのタコ入道にあごをしゃくられ次第にバタバタする恥部醜態を見させられていることか。
日本における他国との違いでよく指摘されるのは、日本は下へ行くほど賢い上へ行くほど粗脳極まる云々である。これは本当で名もないれんだいこ的大衆の方が ものを能く見ている。名もあり財もあり地位もある例えば石原の如きは、その他の誰それも然りであるが要するに身売り上手なバカたれではないのか。
そういう流行り病に感染しない偉丈夫の者は少ない。選挙すれば圧倒的に少数派であろう。ところが世の中面白い。歴代首相好評価すアンケートで角栄が常に上 位に登場する。これはどういうことか。思うに、もの云う自称インテリより云わざる大衆の方が賢く、的確に捉えているということではなかろうか。
思えば仕事が俄然でき話しも断然面白く外交が世界史的有能的に通用したのは角栄を措いていない。菅や野田は相手の目を見ずに伏せたまま話しをするが角栄の 周恩来を食い入る且つ温かい目を見よ。こうなると役者が何枚も違うと云うことになる。であるところ角栄を悪しざまに評するのが流行っている。
石原都政時代の不正につき、朝日新聞が「五輪招致書類、都が紛失 前回活動費、8事業18億円」なる見出しでスクープしている。この問題に限らず石原都政 時代の乱脈経理ぶりが次から次へと暴かれよう。口上はまま良いのだが中身がさっぱりデタラメになる。この御仁の癖として確認しておくべきだろう。
マスコミがオカシイ、社民がダメ、共産がオカシイてなことになると批判勢力が居ないことになる。要するにみんな丸めこまれている。これが現代日本政治の不 幸である。ここに俄然として孤軍奮闘、小沢どんが最後のお国奉公している。小沢どんの奉公と石原の奉公とどちらが正義なりしや。これを問え。
憲法改正、原発続投派大連合に対し、小沢どんはオリーブの木構想で対抗している。理論上は社民、共産はオリーブの木構想に近い。にも拘わらず共産は小沢ど んを根限り叩き続ける。石原都政に対して反対トーンを抑え是々非々で行くと公言した履歴を持つ。これってオカシくないか。ここに日共問題がある。
謀略側の信者が小沢どん信者に対して盲信批判する。手前の盲信ぶりを棚上げして人の盲信ぶりを批判して得意がる者に審判させられない。ボールをストライ ク、ストライクをボール判定する者に審判させたら混乱するだけの事である。その為に見立ての目利きが必要となる。これを養うには万事10年かかる。
政治評論も昔から一種の謀略戦である。虚偽の方が謀略、正義の方が評論と云うことになる。時代の渦に呑み込まれて真偽不明の場合は諸論に分かれるのは致し 方ないが謀略に対しては切り捨てねばならぬ。電波ジャックされているマスコミが謀略に加担しているからややこしいだけのことである。
石原の第三極大連合、小沢どんのオリーブの木構想が激突し始めている。どちらかがニセモノ、どちらもニセモノの判断をせねばならぬ。れんだいこ評は石原の 方がニセモノと断じる。石原はお国に最後の奉公と云っているが奥の院への最後の奉公の云い換えだろう。言葉遣いに騙されてはなりませぬぞえ。
日刊ゲンダイが連日、民主党政権のお粗末政治を手厳しく批評しているのは良いとしても、衆院解散論に誘導しているのは奥の院のシナリオに沿うものである。 或る意味で、このシナリオに沿う限りでの厳しい批判が許容されているのかもしれんと思う。そういう一沫の疑念がある。他は結構故にエールしたい。
石原の突然の都知事辞任劇は、同日の小沢新党の結党パーティーから目をそらさせる為のものであった。もう一つは、野田に対する衆院解散強要だろう。俺は都 知事辞めて衆院選をスタンバイしている、早く解散せぇと云う恫喝だろう。これは奥の院のシナリオに沿うもので色々手を使っていることになる。
石原と橋下はどちらも知事を途中で辞めたことが共通している。見かけの政策はやや違うが類は類を呼ぶ同じ穴のムジナだろう。政治パフォーマンス好きが似て いる。当人は役者気分で気持ち良いのかもしれないが公職倫理からは大きくかけ離れている。同じ事を小沢系の者がやって見よ非難ごうごうだろうに。
「石原式大日本帝国的愛国」は正しい表記ではない。大日本帝国が時の国際金融資本に掴まっていたことを思えば大日本帝国はダミーでしかない。よって「石原 式国際金融資本的愛妾」と記すべきかな。「アメリカにノ―と云える日本」を演出するだけで実際はペコペコ太郎花子だろう。この言に間違いない。
「小沢抜きの第三極が存在感を増し小沢が孤立化するのが確実な情勢」なる言が為されている。ズバリこれが奥の院の狙いであり、御用聞きマスコミがこう一斉 言論するようお尻を叩かれている。それだけのこと。実際は「小沢抜きの第三極が次第に雨漏れし始め小沢新党が勇躍奮闘し続ける情勢」となる。
クズは幾ら集めても前から寄せても後から寄せてもクズはクズ。算式で云えば、何を掛けても最後が×0なら=0になる。それだけの事。それに比べて小沢新党 はどうだ。消費税増税ノン、原発ノンを力強く打ち出している。加えるとすれば景気回復ゴ―だろう。日本再生ゴングの鐘を鳴らせ。
石原式愛国と小沢式愛国と、どちらの愛国が本物なりしや、こう問わなければならない。口だけ愛国愛民族唱えたら愛国士になれるなんて冗談ではない。物事は 精査されねばならない。こいつは本物か偽物か、これを分別するのが大人の知恵眼力である。人民の味方も同様で唱えれば良いと云うものではない。
そういう負の歴史をそろそろ止めようやもう少しまともな日本にし直そう、これが小沢新党の根底に流れる政治理念である。この当たり前の事が通らないことを 疑惑すべきである。日本人はそんなにバカではない。必要な時に必要な反作用を起こし然るべき形に復元する。そういう能力がある昔からあると思う。
どちらのリーダーが良いかは問うまでもない。問題はなぜ張りぼての方が登用されるのかである。答えは簡単。現代世界を牛耳る国際金融資本が中曽根系を擁護 し角栄系を駆逐するからである。それはなぜか。これも答えは簡単。張りぼての方が粗脳で利用し易く御用聞き請負に忠勤するからである。
今反省すべきは、角栄時代のリーダーが駆逐され、中曽根時代のリーダーが大手を振って政治を御していることである。同じリーダーでも質が違う真逆でさえあ る。角栄時代のリーダーには中味がある情がある気配りがある仕事士である。中曽根以降のリーダーは張りぼてで非情で俺が俺がの遊び人である。
現代日本政治は、ロッキード事件で角栄が葬られて以来、角栄恋しが源流となっている。小沢政治が待望されるのは角栄恋しの流れに沿っているいるからであ る。石原政治が醜悪なのは角栄葬り派の先鋒隊であり未だにこの流れで口ぱくしているからである。あれから35年、時代は角栄恋しを呼んでいる。
「石原氏80歳最後の大勝負!」とある。れんだいこが書くならば「石原氏80歳とどの詰まりのノ―テンリーチで大チョンボ!」となる。ヨイショする者はノ ―テンを見て見ぬふりをしてリーチに拍手しているだけのこと。じきに興ざめになる。興ざめにならずますます興奮度を高めるのは小沢新党である。
クズは要ら集めても前から寄せても後から寄せてもクズはクズ。算式で云えば、何を掛けても最後が×0なら=0になる。それだけの事。それに比べて小沢新党 はどうだ。消費税増税ノン、原発ノンを力強く打ち出している。加えるとすれば景気回復ゴ―だろう。日本再生ゴングの鐘を鳴らせ。
昨日の石原新党立ち上げで第3極づくりの動きが発車した。マスコミのヨイショの割には何も響かない。それもそのはず政策がアナクロ過ぎる。このご老体を使 う以外に策がない奥の院の策の貧困こそが見えてくる。自公民+みんな+維新+石原の国際金融資本飼いならし大連合表部隊を見るだけの事。
グーグルニュース、ヤフーニュースに小沢新党の結党パーティーが出てこないな。こういうことだから外資系が市場を壟断するのは良くない。早くまともなメ ディアができなければ。我々は檻の中に入れられているモルモットに過ぎない。その檻が広いうちはまだしも次第に狭まりつつある。息苦しいはずだ。
こう読むので、れんこは衆院解散を主張しない。衆参同時選挙で良いとしている。今選挙して民主党は壊滅する。それはどうでも良い。問題は自公+維新政権で 良いのかどうかにある。それはナンセンス。しかして民主党政権もナンセンス。故に小沢政権しかない。但しまだ時間が足りない。これが実相だろう。
衆院解散の背景を推測する。自公の追い詰めが成功などと思う者はおるまい。全ては奥の院の指令である。野田政権下で小沢新党が着々と布石を打ちつつあるこ とに危機感を深めており、これ以上機会を与えさせてはならないとの判断から解散となる訳である。これ以外の理由は付けたしのものでしかない。
現代日本政治のあれこれを論評すると、とてもマジメにやれない。それは自公民政治がそもそもマジメにやっていないから移るんだと思う。相手がマジメならこ ちらもマジメになる逆は逆、は良くある話しだろう。問題はふまじめな原因は何かの詮索にある。決して偶然ではなかろう仕掛けられているんだろう。
例の連中のメディアジャックがどんどん激しくなっており、見たいテレビかないとの声を巷で聞く。それも次第に激しくなっている。この辺りも小沢新党政権で 世直しして貰いたいところだ。他にも色々せねばならぬことがあるな。高速道路の無料化、あるいはそれに近い線の政策はぜひともやってもらいたい。
10.25日、「国民生活第一」が都内のホテルで結党記念パーティーを開いたとのこと。これを報ぜず、もしくは控え目に報じ、石原新党の方を大々的な ニュースにするのはテレビを見なくとも透け透けで見える。どうしてこういうことになるのか。メディアが例の連中にジャックされているからだろうが。
原子力規制員会があれこれ指針を打ち出しているらしい。所詮ろくなことになりはしない。なぜなら原子力行政推進であった者をトップ以下主たるところに据え て居るからである。委員会を幾ら作ろうと屋上屋を重ねるの意で役に立たない。分かり切った話だ。そういう意味で自公民政治はもうええ。
石原一家で、息子が福島原発を第一サティアン、親父が原発続投を唱えて意気投合するサマがおぞましい。何考えているんだか、相当に感性がずれているのは確 かだ。この一家をマスコミは提灯し続けてきた。これからどうなるかは別にして、今までの提灯だけでも十年の謹慎処分ぐらいは当たり前だろう。
石原にせよ橋本にせよ、公務員の政治活動を禁止すると締めつける他方で、手前の政治活動はフリーハンド。そのロジックを何とも思わない感性が好かん。手前 がそうやって政治活動するのなら職員も右同じだろう。公務の時間はともかくオフでもダメとする論拠と手前のそれを比較して聞かせてくれや。
石原 伸晃自民党前幹事長の動静が全く伝わらない。その中で親父の石原慎太郎が80歳でなお政局の渦中に入ろうとする。その意欲を好評価すべきか、れんだいこの ように痴呆症と見なすべきか。お国の為だと云いながら憲法改正、中国との武力衝突辞さず、原発続投云々、狂っているとしか言いようがない。
石原が後継指名した猪瀬は「死者達のロッキード事件」を著し、田中角栄邸の運転手兼私設秘書だった笠原正則の謀殺を田中側が仕掛けたと推理している御仁で ある。れんだいこは逆に推理している。れんだいこ説が正しいとすると、猪瀬なる者は一事万事で逆に読み解く専門家である。ろくなもんではない。
石原都知事辞職、衆院選出馬を表明 後継は猪瀬云々。これは政治遊びと云うより政治のチンドン屋てしかない。御年80歳と云えば隠居の身の齢であるがは しゃぎ続けている。痴呆症の一つに石原痴呆症と云う病名が加わりそうである。どこまではしゃいで塞ぐことになるのか顛末を見て見たい。
こういう見方をしないと現代政治も天皇制論も解けないのではなかろうか。さて、これから温泉に行く。二週に一度の僅かな楽しみだな。あっ余計なことを書いてしまった。
明治、大正、昭和、平成天皇の中で最も優秀だったのは大正天皇である。通説は逆に説くが、これはネオシオニズムテキストに脳が侵されているからである。大 正天皇は時の好戦勢力と対立し押し込められた。それは最大の不敬罪に値する。この不敬罪野郎野女が昭和天皇を押し立てて戦争政策に走った。
角栄政治はその昔の善政政治であった大国主の命の政治を範としている。ここに素晴しさがある。天皇制の良いところは大国主の命政治の良いところを引き継い でいるところにあり、悪いところは引き継いでいないところにある。これが天皇制論になるべきである。昭和天皇の角栄嫌いは粗脳を示している。
角栄政治の良さが分からない限りまともな政治評論ができる訳がない。角栄政治を悪しざまに説くような奴は何をやっても逆さまをする。庶民大衆の味方を装 い、正義ぶってみても、突き詰めるとちんぷんかんぷんなものでしかないことが分かる。それはなぜか。ものの見方の座標軸が狂っているからである。
ならば我々は、日本を悪くする奥の院シナリオの逆をすれば良い。話は簡単である。小沢系政治をひな壇に登らせ、願うらくは角栄―大平連合が目指していた戦 後保守ハト派の政治を蘇らせればよい。あれは日本式左派政治だったと思う。現在の共産党はニセ共産党であり、角栄政治の方が本物である。
民主党になぜそうまで下手を打たせるのか。奥の院のシナリオで既に不要の党にされているからであろう。自公+維新+民主の流れを創り出したいのだろう。こ のシナリオが対抗意識するのは小沢派の動きである。これを封じ込める為の戦略戦術が全ての基礎になっていると読むべきだろう。
田中慶秋法相の後釜に田中法相の前任の滝実云々。松原、原口とか適任者がいるのに登用しない。野田のこのオカシな人事を疑惑せよ。民主党の政治能力のお粗 末さをわざと作りだし信用毀損を上からの反革命で押し進め、最も醜悪な形で延命させ破産させるシナリオに基づく八百長芝居の気がしてならない。
今日も云い足りたので19路に向かって1局指して、後はうがいして寝よっと。明日は久しぶりの温泉だ。うれちいな。今日は何かと難問の仕事が片付いた。世の中捨てたもんではないなとつくづく思う今のところ。
ユダヤ人が賢いと云うならチェスとか囲碁とかで何で世界一にならないんだろう。ユダヤ人が賢くないとは云わない。しかし他の民族より格別に賢いとするのは 刷り込みだろう。歴史的に有用な発明も然りでユダヤ人の手によるものは少ない。ノーベル賞は連中の手の内にあるから受賞者が多いだけのこと。
日本式学問を学ばず、国際金融資本があつらえた学問を鵜呑みにすると、学んで帰ってバカになる。元々のバカが余計にバカになる。そう云う風にバカになった 自称インテリがうようよいる。こういうのはみんなご破算にして新しい本当に進んだ教育で鍛え直さねばならぬ。自律的にだけどね。道は遠しか。
日本を再生するには、長い目で見て学問の基礎を根底から築き直さなければならぬな。黒船来航以来輸入された学問にはろくなもんがない。むしろそれまでの日 本式学問の水準を尊び、その基礎の上に立って西欧物を取捨選択する学問に組み立て直さねばならない。それを学んだ政治家が良い仕事をする。
政治音痴のおばさま族をテレビの刷り込み先脳から解くのは難しい。しかし良い方法がある。れんだいこ説法を毎日聞かせる。そうしたら「あなたの説の方が何 だか本当のように思う。そもそもコメンテーターのあの人もこの人も生理的に嫌いなの私は」と云いだす。現にそうなっている者がいるがなふふふ。
戦後日本の総設計者・角栄頭脳を失ったときから日本は右カーブし始めた。この場合の右とは国際金融資本の云いなりと云う意味である。とどのつまりが現代の 日本である。レールを敷き直すところから始めないと絶対に再生できない。自公民には端から無理と云うもの。となると唯一の道は、云うまでもない。
現在の痴呆政治家は消費税と国債発行に頼りきり打ち出の小づちの如く崇めている。歴史から学べば、この二丁拳銃は国際金融資本が編み出したものである。世 界各国がこれに操られ次第に首を絞めている。これを解決するのが戦争だった。連中はそこでも儲けた。死の商人と云われる所以である。
消費税がなぜあかんのかもう一度確認しておく。消費税がない時代は所得税、法人税が頼りだった。その為に、政府当局者は景気を良くして徴収することに努力 していた。消費税ができたことで景気と関係なく徴収する術を覚えた。これが回り回って現在の政治家の痴呆顔になっている。これがあかんのや。
はつきり云っておくが今時、原発続投なんて政治家失格以外の何ものでもない。原発続投を今も唱える自公民は、極東裁判方式に倣えば安全の罪が編み出される や全員お縄頂戴だな。強力な後ろ盾頼みに漫然と原発再稼働に御用聞きしているが今度火の手が上がればタダでは済むまい。覚悟しておけ。
前原と橋下が良く似ている。手前は云いたい放題、どちかと云えば口が軽すぎる。手前が火の粉被るとどうかつする。それが罷り通るから不思議。よほど強力な 後ろ盾もっているんだろうなと思う。その後ろ盾が似たような突っ張りだったりして。それが分かったころからシュン太郎になるだろう石原みたいに。
田中法相辞任とのこと。このお粗末劇はヤラセの一種の事件ではないかと思う。原口は登用されるだろうか。されっこないわなぁ。そういうところに自公民の八 百長が見て取れる。それにしても不思議なのは前原の復活ぶりである。何があっても許され起き上り要職を占め云いたい放題である。これは何なんだ。
これが真っ当な政治感覚であり、この感覚が史上最も秀でていた時機が幕末日本だったな。あの時ほうはいと全国各地から政治的人間が出現した。これが幕末維 新の原動力であった。明治維新で次第に捻じ曲げられ、最後は大東亜戦争に誘導され散華してしまった。それでも見事に復興した。その日本が今あぁ。
で我々はどちらの時代を求めるのかが問われている。どちらの日本を愛するかと問うても良い。内政、外交、防衛、教育、人材登用、予算の使い方等々の何から 何まで異なる。ある意味でこれは生き方の問題であり思想の問題でもある。こう捉えると政治の刻々が意味深いものになる。他人事にしてはいけない。
れんだいこの見立ては、戦後日本を大きく見れば、角栄的なるものと中曽根的なるものとの抗争である。1970年代までは角栄的時代、それ以降は中曽根的時 代として今日まで至っている。この両派は大人の芸によって結ぶことはできるが馴染むことはない。発想から手法まで何から何まで異なる。
思うに日本経済が正成長を遂げていた1970年代までは政界も財界も学会もそれなりに有能な人物がいたな。今この手の者は在野にしかいない。日本が悪しく 変わったなとつくづく思う。しかしこの在野力がピークに達すれば回天が起る。故に案ずることはない。今は日増しに在野力が高まりつつあると思え。
口で愛国云いながら、そういう奴に限って売国エージェントというのはよくある話である。子供には分からない政治のパラドックスである。売国エージェントは 平素は正体を隠す。肝腎な時には仮面をかなぐり捨て本性を露わにする。右も左も然りである。良く見ておけ。几帳面な者はノートしておけ役に立つ。
前原に続いて米倉経団連会長が「首相が解散時期守ると期待する」云々。経団連はさて昔からこれほど政局に口を挟むものだったかいなと思う。奥の院シナリオ の強権命令発動前の前触れだろう。今や衆院解散呼号派を奥の院の直列雇われと思えば良い。肝腎な時に正体が現われる。今やその時。
福島原発被災民には悪いが、自公民派の御用聞き粗脳政治により生態モルモットにされている。福島原発ばかりではない。地震津波の事後対応がこれほどお粗末 な例を知らない。しかも復興と称してやっていることが為にならないことばかり、為になることはせんと云う申し合わせでもあるかのように怒れ怒れ。
枝野はその後経産省に横滑りし現在に至っている。口では原発はダメと言いながら政策的には再稼働ありきでゴマかし続けている。ろくなもんではあるまい。よ りによってそういう御仁を選んで政権中枢に据えている民主党政権の異様さを思う。裏で操る者がいないなんて思う方がどうかしていよう。
福島原発事故の調査報告書はいろいろでたが、放射能の爆発余塵くすぶる中、枝野官房長官のメルトダウンしていないだの住民に危険地帯に居続けさせ大丈夫大 丈夫のマントラ発言していた責任を咎めるものはなかったように思う。それを後押しした原発学者も胸糞が悪い。これを裁く事がなぜできないのか。
民主党のワルは仙石、前原、岡田、菅、野田、枝野。後はザコのワルばかり。野田ひきずりおろしに前原が動いた。注意して見守るべきは枝野と見る。こ奴は民 主党三代政権の中で一貫して政権中枢にいる№2である。この御仁の動き方で野田政権の死にざまが決まる。記者は執拗にマークするが良い。
国会議員のレベルが予想以上にひどいのは確認済みである。問題は衆院解散したら良くなるのかどうかである。全然変わらんか酷くなるのがオチではないか。そ んなんなら解散する必要もない。谷垣との約束がどうとか、その谷垣を引きずりおろした連中が何言うか。谷垣は残酷に使い捨てにされたな。
国会質疑をダラシないノ―ネクでやられるのはかなわん。姿かたちはどうでも良いと云う意見もあろうが、心の現れと見る見方もある。ダラシない心で原発続投 再稼働、憲法改正、自衛隊の世界中への派兵、TPP推進、赤字国債刷りまくりされたらかなわん。こらえてつかぁさいと云いたくもなろう。
野田の立ち往生が本物かヤラセかそれも分からない。そういう事情下での衆参同時選挙論だが、自公民が良く口にする政治の空白を作らな為に必要もない衆院解 散で政治お遊びするよりも、必ずやってくる参院改選に合わせての衆院解散の方が合理的ではなかろうか。石破如きは空手チョップで粉砕せよ。
れんだいこ的には奥の院ナリオ通りがシャクな為、敢えて異論を述べたい。衆院解散は税金の無駄遣いだから、いっそのこと来年の衆参同時選挙にすべし。野田 政権が酷いのは分かっているが自公政権に戻っても理屈は同じだろう。200兆円の強靭化予算を組むらしいが政治のますますの狂人化だろう。
政局は衆院解散綱引きの最中、前原が「解散は年内」と発言し得意の背面ひざ蹴りをくらわした。前原発言は奥の院シナリオを受けてのものであり、前原発言を 合図に野田がサンドバックされることになるのが必定。野田がいよいよ野田れ死にすることになるが最後の悪あがきをエールする形で見守りたい。
要するにれんだいこは自公民も維新もダメ、期待の星は小沢系と云う当たり前の評価を確認したい訳です。小沢系以外なら何でもオーケーと云う意味での政治活 動の自由なんてバカげ過ぎてる。テレビに登場するのはそういう自由の檻に入れられた口ぱくのサルだと思えば良い。こんなんばかりだけどね。
公務員に制限があるとしたら橋下及びその手下には免責つうのが理解し難い。公務の間の政治活動自粛つうのなら分かる。オフの時にモいろいろ制限しておきな がら手前らは公務の最中でもオーケーと云うのが理解し難いのです。要するにやんちゃ坊主の器用な舌なんだな。はしたないの橋舌ではなかろうかと。
橋下維新の会代表の子供っぽいところは万事にけじめがないこと。手前は云いたい放題、君たちの勘ぐりは許さんが一つ。手前は政治活動し放題、職員の政治活 動は許さんが一つ。どう正当化しているのか分からん。俺も云うからするからお前たちもどうぞなら筋が通る。逆だから通らん。罷り通るから不思議。
最近の法改正論も奥の院御用聞きの軽率なものでしかない。自衛隊を米軍配下で世界のあちこちに派兵できるよう狙いのものでしかない。いろいろ理屈をつけて いるが本筋はここにある。この口軽連中は、イラクが地理上どこにあるかも分からずのまま自衛隊派兵の旗振りしていたことでもお里が知れている。
れんだいこは現代政治の刻々をノートしている。はずのところがここ数年間は放棄している。なぜなら見るべき考察すべきものが何もないからである。あらゆる 施策が奥の院の御用聞きであり自公と民主はその忠勤争いをしているに過ぎない。何がうれしくてそんな政治をノートし得るか。と云う憤慨がある。
れんだいこ式論法で行けば、小沢生活第一党が力を付け、自公民政治で行くのか生活第一政治で行くのかで国民に判断を求める衆院解散論なら分かるということ になる。自公と民主の間にはそういう対立はない。にも拘わらず衆院解散を狙うのは粗脳政治特有の政治のお遊びでしかないということになる。
つまり自公の衆院解散論には正義がない。政権を奪い返したいだけの下心見え見えのものでしかない。衆院解散が値打ちものになる為には原発続投か脱原発か、 その他政策然りで国民の判断を問う必要がある。自公民に何の違いがある。ますます似てきているのではないのか。内ゲバ説を採る所以である。
衆院解散の論理は国民に信を問う形のものが常道である。こたびの解散論にはそれがない。野田政権はのらりくらりの原発続投派。自公は何が何でも原発続投 派。緊急課題である原発続投では同じ穴のムジナである。のらりくらりで行くのかズパリで行くのかで国民に信を問うのはナンセンスだろう。
今日はこれぐらいにしておこ。19路格闘技したくなったから。脳筋鍛えないとツオくなれない。性格が素直でないと上達が止まるな。打ち始めたらいつもの通 りのエイーヤ―ト―だ今日はじっくり打ってみたいんだがどうなることやら。でも一応は5段まで来てるんだ。小沢どんは6段で政界一、尊敬するよ。
奥の院派は政敵に対する公然たる人格破壊を仕掛ける。ロキードから小沢キードまで手口は同じである。問題は、こうも長期に仕掛けているうちに仕掛け側の人 格破壊が進んで居ることにある。自公民のアホウヅラを見よ。どいつもこいつも魂の抜けたきょとん顔ではないか。これを自業自得と云う。
要するに日本の良さが分からない連中が日本をままにしている。政治家は小沢派以外はこればかり。インテリも同じ、かしこぶるがネオシオニズムテキストを鵜 呑みにしかできないそもそも貧相脳の奴ばかり。ほんと公平に見て、肩書きなくせば単なる気難し屋でしかない。テキストが悪いからそうなる。
「国民の生活が第一の政治を実現する会」が立ちあがっている模様。それはとても良いこと。全都道府県から市町村までこのうねりが大きくなりますように。日 本を奥の院一派の思うようにはさせない日本づくりの為に手弁当でボランティアしませう。立身出世と引き換えに魂を売り原発を売る輩をはねのけて。
マスコミは日本式のものが発展したのなら瓦版の延長のものとして今日でも機能しているはず。事実はその流れは閉ざされ国際金融資本御用聞きの言論大砲とし て育成され今日に至っている。新聞であれテレビであれメジャーであればあるほどそうなっている。ここが分からない自称インテリが多過ぎる。
ドイツを訪問した小沢どん一行は世界の最新の新思潮を嗅いで帰って来る。日本政治で政治が生きているとしたら、この動きしかないな。いずれ福島原発問題が 再燃するだろうが、原発続投派引っ込めぇ小沢どんに任せろの声が急激に高まるのは必定。自公民はギブアップするだろうか悪あがきするだろうか。
衆院解散を廻る自公民党首会談の決裂は奥の院のシナリオを狂わせている。となると、どういうウルトラCを繰り出してくるだろうか。その代わりとして海外支 援金のもう一丁の上積みがあるのかないのか。それとも大ナタで衆院解散に持って行くのか、微妙だな。どうせ雇われ同志内の内ゲバでしかないが。
その後の自衛隊は中曽根式小泉式に活用されて今日に至っている。これが「日本を戦争に巻き込もうとする 」として批判されず、国連軍としてのみ派兵活動できるようにしようとした小沢式が批判されている。小沢論にも是認し難いが中曽根式小泉式は論外と云うべき だろう。こう立論せねばなるまいに。
その昔の小沢発言の自衛隊の国連軍としての派遣是論を「日本を戦争に巻き込もうとする小沢」なる立論で攻撃している者がいる。論の是非はともかく、小沢の 当時の発言の趣意は、中曽根式の自衛隊の日米軍事同盟的活用の動きに対するアンチとして打ち出されていた。中曽根式の方が重罪だろう。
10.19日、自公民3党党首会談が決裂、年内衆院解散のシナリオ狂う。これは吉か凶か。民主ダメ自公ダメ維新のびず小沢生活第一党これからと云う微妙な バランスの上で衆院解散延期となったと読む。見守りたいが、はっきりしているのは小沢政権だけが拝めていないと云うこと。拝めたら痛快だろうな。
国会が正しく機能していれば、産業電力の確保に対する非原発式供給方法について喧々諤々の議論が交わされている筈である。事故直後からスタートしておれば 今頃はもう設備が整っている筈である。民間的自助努力手法だけでは限界があろう。国の音頭が逆向き故に何も進んでいない、この愚頓に泣け。
福島原発事故後の処理は成功裏に進んでいるのだろうか。伝えられて居ないだけで深刻さを深めているとすればどうする。見て見ないふりをしている日本に対し て今はおちょくりだが、やがてお笑いになり最後には怒りに代わろう。フランス放送局に発言責任を迫って正義ぶるのは井の中の蛙の弁である。
原発利権温存政治を打倒せずんば日本の再生はない。本当はことを一刻も早く争っている。福島原発事故に遭ってもこの調子の原発利権族と何をどう話し合いす れば良いのか。一掃するに如かずだろう。平和的にか暴力的にか局面によろうが、原発スッポンは決して手前からは離れまい。断固成敗あるのみ。
小沢どんのドイツ視察の弁 「(日本はこれまで)原子力に頼っていたから、色々な意味での代替エネルギー、再生可能エネルギーの開発に努力を怠ってきただ ろうと思う。日本は本気でやれば十分にできると思う」。正しい。原発族によるエコエネ開発抑制を弾劾すればもっと正しい。
そういう軽率不見識な橋下に維新の会を立ち上げさせ、食傷された自公民の代わりを務めさせようとしている。これが奥の院のシナリオであるが、これにナベツ ネ系マスコミが期待を煽って来た訳であるが、日本人民大衆の見識は連中の期待に反してそれほど低くはない。当然の反作用が生まれていると云う事。
その不見識ぶりに卒倒させられた。仮に三里塚空港問題で云えば、いつでも軍事空港化されることを意味している。橋下は関西新空港を語ったが事は関西新空港 だけでは済まない。そういう可能性のある深刻な議題に彼は軽率に口をはさんでいる。この御仁に権力を握らせてはならない。これが結論である。
維新の会代表にして大阪市長の橋下政治見識外評価で論争が起っている。これについて、れんだいこは今は言及しない。今言及するなら、れんだいこが橋下をダ メと思った事案について明らかにする。橋下は大阪府知事時代、沖縄の普天間基地移転について大阪新空港へ受け入れの用意があると語っていた。
今や原発続投論を唱えるような政治家はそれだけで失格の烙印を押されるべき。のところが権力を握ってほしいままにしている。このツケが必ずやってくる。来 てからでは遅いから申し上げている。目利きのドイツ政治家と節穴の日本政治家。この対比が鮮やかである。早く目利き政治家が御す日本にせねば。
福島原発事故直後に於いての与謝野、石原の原発続投論。今でも自公民が産業電力を護れの見地から続投論を唱えている。真にクリーンなエコエネがないのかの 検討判断もせずに原発利権を御神体にしている。原発が現代史特級のお荷物になっていることの自覚のなさ。せめて権力を持たせてはならない。
ドイツでの小沢どんの弁「ドイツが脱原発に切り替えたのは日本の福島の事故があったから。原発事故を抱えている日本が、これを変換しきれないというのは、 ドイツから見れば非常に疑問」。他山の石を見て学んだドイツと自分のところの石なのに学べない日本と云う構図だな。この違いは何なのだろう。
ナべ恒でもう一言しておけば初当選時、公認漏れだった。幹事長は角栄。不明を詫びたが不思議なほど角栄のナべ恒評が遺されていない。小沢、羽田、橋龍、小 渕、梶山について手厳しくも温かい目線の語録があるがナべ恒に対してのものは伝わっていない。論ずるに足らずだったと云うことか。
渡部恒三最高顧問が「民主党は立ち直るので、見捨てないでください」と訴えたという伝が本当としてナべ恒の政治家資質を問いたい。「見捨てないでね」など という言辞を平気で吐くこと自体、政治家としてお粗末極まる。人は政治家の一家言一挙手一所作を見て付いていくものである。勘違い甚だしい。
その間をうろちょろして居るのが石原都知事と社民と日共と云う構図か。それにしても石原の老醜はいつまで続くのか。息子は完全沈没。それでも懲りないのは 執念と云うより病気だな。全国津々浦々の地霊が今こそ小沢どんを神輿(みこし)に乗せてお祭り騒ぎに入る。見えん先から見通ししておく。
小沢派を欠いた民主党はクズばかり。そのクズどもが見捨てないで下さいと哀願しているが後の祭り。今後の政局は自公+維新派と小沢派の真っ向勝負になる。 小沢派が勝つと当然小沢政権が誕生する。2009政権交代のような玉のすりかえはない。分かり易くなって良かった。せめてこう思わんとな。
「一票格差の憲法違反論もオカシイ」への賛同有難う。最高裁がマジにそういう判決を出すならオツムが相当弱くなった証拠である。手前の試算によれば衆参そ れぞれ百名減ずることができる。問題は都市部の議員の多さにナタを振り下ろすことになる。一票格差が広がっても、そうしなくてはならない。
誰か一人忘れちゃぁいませんか、よぉく思いだしてくだせぇ、と船べりでスシを勧めているのが森の石松。この風景に小沢どんが似てるな。とびきし強いのがお りませうが、よぉく思いだしてくだせぇと固唾をのんで聞きたがっている。その小沢どんはドイツで国際情勢の最先端の動きをキャッチしている。
民主党政権の功績は、政治家及び政党がかくも堂々露骨にウソをつくことを知らしめたことだろう。この手の詐欺にかかりにくくしたのが功績だな。その点、維 新の会はウソはつかない。但し自公民よりも酷い奥の院指令請負に精出すことを宣言している。今風の言葉で云えば半グレだな。雇われの変種である。
自公民の幹事長会談で明日の19日に3党党首会談を開催することになった模様。年内解散必死。元々衆院解散用の首相だからして奥の院のシナリオ通りであ る。かくて民主党は壊滅する。思えば鳩山と云い菅と云い野田と云いトンデモ政権だったな。悪質さは自公に劣らず否自公以上だったな。
1票の意味を人の頭数だけではなく議員の管轄区域の広さ、産業力も指標にして改訂され、その流れで議員定数が減らされるべきです。票を有権者人数だけで調 整するのはまやかしの改悪です。そもそもこういう違憲論を唱え出したのはどこの党なんだろう。今みんな乗せられているけどウソはウソだな。
1票の格差を機械的に等値にするなんてことはできないし必要もない。今後地方の過疎が進めばこの先どうなる。都会は区ごとに国会議員が生まれ地方は限りな く減少する。1票の意味は人の頭数だけではなく議員の管轄区域の広さ、産業力も指標にされるべきですよ。今風の違憲論こそ違憲でせう。
そう云われてみると変にかしこぶるのも確かに嫌だね。賢い子であたし分かんないなんて云いながら上手に相槌打つ子が賢いんだろうな。それもこれも結局は相 性と云うか相DNAみたいなもんがあるかもしれんな。れんだいこが嫌いと云う人もいれば好きと云う人もいたことを思えば。もうどうでも良いけど。
ピーマンのフリしてるだけならいいんだけど。或るママが、昔の日本の女の子がしていたもてなしが今は中国の子がしてくれている。日本の子は化粧はうまく なったが頭がピーマンで使えない、時給は一緒よつうて教えてくれたんだ。日本の子でしっとり清楚で面白い子がいたら断然支持するけどねふふふ。
あれこれ云いたいことが山ほどあるが、今日はそろそろうがいに行く。最近は町に出なくても郊外型の飲み屋ができたので交通費が助かる。ところが久しぶりに 町に出るとさすがに町は町だなと感心させられることが多い。料理の名包丁人がいるしスナックには乙姫がうじゃうじゃいる。少しピーマンだけど。
一票格差の憲法違反論もオカシイ。もう何度も指摘しているが、その論法によれば都会の議員が自然と多く成り過ぎる。一票格差は有権者数だけの問題ではな い。選挙区の面積なり産業経済指数も考慮して三身一体的に割り出されねばならない。有権者数だけで一票格差を論じることの方が憲法違反だろう。
日本における自由は、肝腎なことを話してはいけない後は自由だと云う意味での自由の檻に入れられている。そんな自由が疑われもせず通用している。その典型 が国会質疑である。もはや肝腎な本当の話なんか何一つしていない。愚民をどうたぶらかすのかの謀議の場でしかない。そんな国会要らんがな。
フランスのおちょくりは前触れであり、今後の原発後遺症、副作用についてに警告しているとも読める。日本が猛抗議するのは容易い道だ。問題は後遺症副作用 が始まったらどう対応するのだろう。これをコメントすること自体できない放送させないという圧力に蛮勇振るうのか。それは如何なものだろうか。
今現に行われた財務相の海外大判振る舞いの罪が問われず何十年も前の結婚式のスピーチ責任が問われるのもそれ。フランスのおちょくり系のコメントに国を挙 げて猛抗議するのもそれ。実被害なのに風評被害だと云いなし見ないふりするのもそれ。原発爆発で避難せねばならぬのに居続けさせるのもそれ。
余算ごと三つ目。減税公約して政権取って増税したら明らかに違反だな。あれこれ公約して基本公約反故、枝葉の公約実施して50%達成つうと気持ち悪いわ な。最近こういう気持ち悪いことが流行り過ぎている。大罪かスル―され小罪に目クジラするのもその一つ。本業評価問われずのキレイ潔癖審査もそれ。
余算ごともう一つ。「目途」を「モクト」と読むのが流行っている。「めど」と読めば文意が続く。「モクト」では続かんだろうが。「遵守」はどうか。「ソン しゅ」と読む者が多い。普通は「ジュンしゅ」と読む。憲法前文に出てくる用語である。どちらでも良いつうのが納得できん。何か坐りが悪いんだな。
余算ごと一つ。最近地方選では特に無所属出馬が流行っている。有権者には迷惑な話だ。なんで主体の党を隠すのだろう。なんで党の打ち出しを避けるんだろ う。卑怯姑息な気がしてならない。こういう戦法流行らしたのはどの党なんだろう。国会質疑の議事録末梢然り。議事録なしも酷いが抹消も酷い。
歌にせよスポーツにせよ、政治のお粗末を横目でにらみながらパフォーマンスして頑張っているところが日本の良さだろうな。「談じて嘆せず、和して同ぜず。 同じて捨てず」。こういう警句が浮かんだので披露しておく。雨の為温泉に行けず別の一日を過ごした次第。こういう一日があっても良いなうんうん。
今日久しぶりに映画館へ行った。中島みゆきの「歌姫」劇場版を見た。みゆきの歌姫ぶりを確認した。ちあきなおみの歌姫ぶりも見たいが、なおみのこういうの がないのが惜しい。それはともかく、みゆきもなおみも日本の歌姫であり大和なでしこ女王ひみこの霊能を継いでいるんだな。感慨深しだった。
野田政権の組閣を考えたのは、果たして野田だろうか。野田は組閣名簿にサインしただけなのではなかろうか。田中真紀子を入れて原口を落としたのも臭い。田 中法相、城島財務相登用も臭い。枝野、岡田留任も臭い。その他その他然り。オール御用聞きジャパンではないのか。こんなんありかよと思う。
馬鹿の語源は諸説あるが、歴史的に定着したのは馬と鹿の区別がつかない能なし野郎と云う意味ではなかろうか。庶民大衆的には許されても国庫を預かる者がそ れでは困る。ところが、よりによってそういう者を選んで財務大臣に据えているとしたら、恐ろしいと云うよりお化け屋敷だろう。日本は既に闇地。
思うに小泉が首相になる前は国債発行縛り30兆円だった。今は40兆円であり、そのうち50兆円になる。こうなると国庫収入を超える。家計収入に例えると 全額借り入れ生計である。特別予算がバンバン組まれ、持ってけ泥棒状態になっている。こんなのありかよと思うのは、れんだいこだけだろうか。
憲法改正派が憲法改正云うのは勝手だが、改正される前までは現行規定が遵守されねばならない。衆院解散論オンリーで物言いされているが、野田の切り札には 内閣総辞職もある。これを誰も云わず解散オンリーに牽引されている。出来レースとも云う。臭い芝居とも云う。観客は愛想つかしている。
政府も国会もダメ、全てが政局に流れている。その間にも巨額の国庫金が官邸主導で国会の議決によらず海外に流れている。上からの反革命、国家蹂躙と云うべ きだろう。この風潮は小泉以来のもので常態化されている。官邸主導も賞味期限切れだろうに罷り通っている。政治が明らかに遅れ過ぎている。
小沢どんの「壊され屋」ネーミングは面白い。実際は再建請負屋にして見果てぬ夢派かもしれん。興味深いことは、小泉、菅のように悪行で昇りつめた者は誰か らも相手にされないのに対して、誠真実で向かう小沢どんは生き残り続け、相変わらずの求心力があるということか。「時代が呼ぶ男」もぴたりだな。
こたびのIMFへの600億ドル(約4.7兆円)、世界銀行への3年間で1200万ドル。安住の時代の欧州金融危機への電話一本でイエスした500億ドル 以上 の拠出。この問題がなんでスル―されるんだろう。小沢どん秘書寮建設問題での大騒ぎがバカらしくなるが、朝日の口あんぐり氏よ答えて見よ。
マスコミ評論がますます智愚、愚頓化するにつれ、ネット評論の株が上がりつつある。マスコミの評論は昔から当てにならぬ食わせ物が多いが、最近は失語症に も陥りつつある。というか幼稚化している。ナベツネ後遺症、副作用と云うべきだろう。あんなもんに振りまわされてきた30年史と決別せよ。
小沢どんを「剛腕」と云うのはまだしも「壊し屋」なるネーミングは為にするレッテルである。事実は「再生屋」に近い。「壊し屋」は小泉、菅、野田及びその 系類の者に名付けられるべきだろう。こういう反対のあだ名がなぜつけられる罷り通るのか。それは、全てが奥の院筋から見立てるからに過ぎない。
輿石幹事長が解散阻止に動くのは当然の流れである。但し、野田は解散用に仕立てられた首相である。局面が煮詰まれば解散を打ち出すのは必定。民主党の自爆 解散と命名されよう。そのタイミングをどう外すのかの高度な政治能力が駆け引きされている。ここ数日の動きで決着しよう。今は見守るしかない。
「小沢 民主和解拒否 民主党輿石幹事長 小沢に協力要請の厚顔無恥(日刊ゲンダイ)」とある。衆院解散阻止に動く輿石対奥の院の解散指令が山場を迎えている。今解散すると、自公民連合+維新の会 政権ができるのは必至。これを是とするのか回避するのかの政治見識が問われている。
民主党議員の離党につき、止むにやまれん小沢系は既に党を出た。残りの小沢系は衆院解散阻止に動く。今後離党するのはなべて菅派、野田派からである。そこ には奥の院の操り糸がある。この役を誰が引き受けるのか、ここに関心がある。維新の会へ行ったのは僅か数名。操り糸功を奏せずの感あり。
鳩山であり菅であり野田であろう。これを操る者は誰か。奥の院だろう。官僚も然りで全てが悪と云うより奥の院派の官僚が悪事ばかり積み重ねている。これら を一掃し小沢政権で舵取りさせねば事は治まらない。フラストレーションがそこまで来ている。とにかく小沢政権を元一日にして始めるのが筋だろう。
野田政権下の民主党が新たなマニュフェストづくりにいそしんでいると云う。笑止千万とはこのことだろう。もはや誰が相手にするものか。寓話の狼少年の類で しかない。真に解決する道は小沢政権登壇しかない。本来なら小沢代表のまま2009衆院選突入で首相になっていたはず。誰がこれを阻止したのか。
財務相のこたびの天文学的金額のIMF、世界銀行へのそれぞれの拠出。これは政治犯罪ではないのか。野田が消費税増税を真っ先に国際公約し、これに命を懸 けるとして法案を通したが、消費税増税分を丸ごとお供えしていることになる。野田を動かす衝動は何か。奥の院シナリオ論以外に説明できまい。
自公と云い民主党政権と云い、日本の為の政治のようなふりをしながら逆の政治に蛮勇を振っている。景気回復しないように財政出動させ、その挙句財政悪化さ せ、その挙句増税を呼び込む。なぜこういう政治を行うのか。奥の院のシナリオ論を立論しない限り説明できまい。力及ばずして至らずではなかろう。
このことをなぜ断言するのか。それは高速道路無料化公約反故の経緯で明らかであるからである。専ら前原が采配したが頑として実施しなかった。なぜか。日本 経済の再生に繫がるからである。こう立論しないと不自然な経緯の説明がつくまい。この観点はあらゆる施策に適用できる。全てがその通りでないか。
復興予算の流用が問題視されているが、この問題のポイントは、日本経済の活性化に役立たない限りでの単発事業的なものに限定されているということだろう。 「政府(官僚)のデタラメぶり」だけの問題ではない。奥の院の精査があり冗費に限り許されているように見える。これは現地の復興も然りである。
暫し待つ間の小沢派の伸張が期待である。オリーブの木構想が着実に前進すれば良し。オリーブの木構想は日共のかっての民主連合政権構想と近い。今、日共は これを壊しに掛かっている。とんだところまでずり落ちたことが分かる。日共はさんざん言い訳した挙句、今頃は青写真不要論を唱えてらぁ。
衆院解散を煽る論調は正しいだろうか。むしろ奥の院の画策通りの道ではなかろうか。民主党批判、野田首相批判は当然であるが解散論と接合させるべきかどう かは別問題ではなかろうか。野田政権も酷いが待ち受けるのは安倍か石破政権である。これまた酷いんではないかな。つまり暫し待てが正しい。
輿石の鳩山派、既に離党した小沢派との連携の動きが伝えられている。問題は野田派の方にある。先の組閣で、代表選2位の力を示した原口の冷遇が異常であ る。挙党一致を上から壊しており組閣の常道からはあり得ない。野田は端から解散用リモコン首相であり選挙に怯える党側が食い止めている構図と読む。
戦後日本は、そういうウソの愛国派が跋扈保護育成され、真の日本思いの士が掣肘抑圧されるという形で経緯して来た。そろそろこの歴史を反転させても良いの ではなかろうか。野田、安住、城島と続く財務相の間に一体幾ら海外献上したのかさせられたのか。誰か小泉政権以来の総金額を教えてくれないか。
何度も申し上げているが、こういう自ら好んで売国奴化する政治家をかくも養成し国会に棲みつかせた歴史責任を問うべきだろう。これを戦後民主主義の愁嘆場 として捉え直す必要があるのではなかろうか。欠けているのは何か。石原式ウソの愛国心民族心ではなく真の日本思いの精神ではなかろうか。
単純に見て日本の海外献上金で国内のオールエコエネ化ができるんでないか。原発コストが安いから続投云々のウソが露見する。要するに原発利権に手を出せな いと云うだけのことだろうが。エコエネ化努力は民間ではそれなりにやっているが政府の腰が重すぎる。これも奥の院指令通りなんだろう。
城島財務相は拠出金額の重みが分からない。そういう人物をわざわざ財務相に据える。野田の任命責任は当然としても、その裏にある日本政治のリモコン性と云 う構造の方が問題だろう。これは自公でも民主でも変わらないことがはっきりした。但し民主の方がより酷く野田が最悪と云うことが判明しつつある。
10.12日、日本が欧州債務危機で国際通貨基金(IMF)に600億ドル(約4.7兆円)、アラブ諸国の民主化移行支援で世界銀行に3年間で1200万 ドル拠出云々。大臣引き受け時の誓約だろうが田中法相罷免騒動の裏で進む城島財務相のこの蛮行が許されるのか。どっちが酷いんだろう。
さぁ今日は弾丸つぶやきしたので、これぐらいでうがいをしに行こう。飲み屋で政治の話は禁物なので、それだけは自戒して大人になろうっと。でも芸能の話だ とか車の話だとかスポーツの話しは退屈なんだな、話しは合わすけど。スポーツ観戦パブみたいに政治議論パブはできんかいな。乱闘になるかな。
1980年代の中曽根政権と共に今日の日本の惨状がつくられたんだな。もう30年以上になる。さしもの日本も傾いてらぁ。その愁嘆場として今日の政界があ る。ろくなんが居らん。昔なら秘書どまりが幹部として居座ってらぁ。コツが分からず見立てができんもんが権力握るとろくなことになりゃぁせん。
小沢どんの秘書寮建設もどうでも良い話しなんだな。大目クジラしてもう数年間も続いているが。ほんでもってこの間の大不正事件には口をつぐむんだな。マス コミが乗せているんだけどエエ加減にセンカイのげんこつかましてやりたいやね。でもって自民も民主も同じ顔ぶれがポストのたらい回ししてらぁ。
考えてみたら贈収賄事件で数百万辺りの件について腹を立て、数千億円なり兆円になるとスル―するのとおんなじなのかもね。身近な問題で騒ぎ気の遠くなる話 しだと判断停止になるんだな。本当は数百万の数百倍数千倍の腹立ちせんと辻褄が合わんのだけどね。そういう仕掛けで本当の悪がスル―なんかいな。
憲法で云えば、憲法改正までは現行憲法遵守でないと法治主義からするとオカシイやね。憲法改正派は改正前から蹂躙しまくってらぁ。それでいて学生運動か何 かの時には法治主義を説いて説教するんだよね。どちらかに一本化してくれた方がすっきりするわな。二丁拳銃三丁拳銃で上手に使い分けするんだわ。
原発無罪なんいことがある訳がない。仮に民事賠償的にそうであっても刑事罰行政罰まで無罪なんてことをマジに云う方がオカシイやね。ならば電力会社は料金 改定も自由、何をやっても無罪ということにならぁね。そうは原理的にならないんだな。有罪のところを政治的に無罪にされているだけのこと。
民主党には半分ほど厳格に自民党には大甘でその他政党には厳格になる物差しで捜査されたり批判されたら堪らないって話しでもある。法と云うものは公正平等 に適用されんと危なくてしようがない。それと大きな罪がスル―され小さな罪が大袈裟にバッシングされるつうのも変だな。精神に変調きたすな。
そうやって責任を問うのだけれども問われない人と問われる人がいるんだな。東京地検なり特捜部の胸先次第なんだな。その検察がワシントンの御用聞きなんだ な。だから東電の責任なんてこれっぽっちも問わない問えないんだな。その腹いせでか、何かみみっちい正義で得意がっているように思えるんだな。
田中法相がその昔、暴力団幹部の結婚式に出てスピーチしていたことがそんなに問題なのかと思う訳。その暴力団と組んでこれこれこういう悪をしていたという 証拠の方が大事と思う訳。小沢どんにカンパした者の相手先責任が問われていたが、お金には相手先まで書いていないしね。それを問う時代なんだな。
れんだいこはこういうデタラメ正義が我慢ならない。そういうデタラメ正義に口角泡を飛ばして熱弁する正義ズラに我慢ならない。今更国を替えれる訳で為し何 とかしたいよこの国を。今現に行われている政府会議の議事録不在の方が重大だと思うんだけど。何か基準が違うんだな。いい物差しないかね。
小沢どんが秘書寮建設したのが咎められて、悪の権化として何年もバッシングされ続ける。収支報告書の不記載がスル―され、記載した方が記載の年度が違うと して大犯罪の如く指弾される。小泉の不記載はスル―され、鳩山はいつのまにか不問になり、菅、前原には何もない。なんだろうなこの国の正義は。
変な正義が流行っていて、れんだいこは時代についていけない。それでいて三陸巨大震災のがれき処理に途方もない金額が計上されてなお片付かないのがお目こ ぼしになる。復興資金の流用が一時騒ぎだけで済ませられる。年金基金の流用掠め取りが追跡されない。何なんだろうなこの国の正義は。
最近は、人であろうが大臣であろうが仕事の中身が問われずに入り口段階の審査が殊更やかましい。その癖、ワシントンの御用聞き問題はフリーパスと云うのだ からお話にならない。相撲取りの私生活が潔癖でも相撲が弱けりゃ話しになるまい。歌手が品行方正でも歌が下手ならどうにもなるまいに。
田中法相の辞任当然論が出ている。違うと思う。田中法相の政治家能力の咎めによる理由なら宜しい。この場合は任命責任も問われよう。目下の過去の交際咎め 論は、このところ流行りのキレイ潔癖病によるものでありナンセンス。枝野の大臣留任し続けに対する批判こそ真っ当なものであろうに。
1951年、欧州6ケ国が石炭と鉄鋼を共同管理する欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立条約に調印云々。この例で行けば、領土紛争該当区域の資源を管理 する共同体構想が生まれても良いのではなかろうか。こういう発想が本来の共産党のものであろう。固有の領土論ほど空々しいものはない。
そういう愚論を述べて得意顔する日共のお粗末さ。小沢秘書逮捕事件容疑の決め手となったゼネコンからの5千万円授受云々の赤旗スクープ然り。未だに頬かむ りしたままだが白黒つけよ。検察とのタイアップ論をマジヅラで弁ずる日共の醜悪さ。いずれも気色悪い話しばかりである。オワのオワだろう。
日共の「無主の地占有先占論」に次第に腹が立ってきた。この論法によれば、石原都知事の尖閣諸島買取の動きに対し、中国が座視していれば益々の追認に当た り、よって中国の強硬な排日騒ぎは造反有理と云うことになろう。日共式領土論はなべてデタラメであり何も解決しない愚論でしかない。
【「文系頭脳の原発批判論」その6、国際ユダヤの悪徳商法そのものとしての原発利権を弾劾せよ http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-410e.html …
刑法にあるのかどうか調べないと分からないが、政治には不作為罪というものがある。民主党政権の三陸巨大震災後の今日までの経緯はこれに当りそうである。 野田は消費税増税には命を懸けると云ったが三陸巨大震災に対してはそうは云わない。野田が内政不作、外交米奴首相の称号を与えられる日は近い。
復興予算の流用なぞ氷山の一角であり、がれき処理の高額予算化も酷い。片付ける気がそもそもない。海の者を山に移すなる復興計画も胡散臭い。どうやれば地 域に為にならず予算だけ食いつぶすことができるのか、絵にかいたような演習をしている。こういうバカげた政治を偶然に為し得るものだろうか。
この閉塞は、衆院解散のお膳立てに入っていると読む。一般に、党中央が、党の為に良からざる事を上から為すのを反革命と云うとすれば、まさに上からの反革 命だろう。わざと閉塞政治にさせ、衆院解散やむなしの世論を誘因する。野田リモコン政権が今これを忠実にやっていることになる。
小沢派の抜けた民主党が気が抜けたビールのように取り得がなくなって久しいが、やって来たのは、ひたすら政権に執着しているだけのうつむき政治である。時 に元気を出すが奥の院の指示教本通りの政策を述べる下りの時で、後は見ざる云わざるせざるの猿芝居ばかり。作られた閉塞の感ありだな。
10.11日、復興予算の不当支出問題の審議を予定していた衆院決算行政監視委員会の行政監視小委員会が審議しないまま流会。民主党委員、各省庁の答弁予 定者が出席せず。これは民主党の指示による云々。民主党の政権能力が疑われるが、奥の院指示でわざとしているんではないかいなと思う。
政治が機能していないと思っていたが、機能していないのではなく逆走ばかりしているんだな。自公政治が酷いから民主党政治になったのだが、ますます酷いと はどういうことだろう。利権批判を声高にしていたが、よってたかって利権活動しているんではないかと思える節がある。汝臣民哀れなりだな。
3.11福島原発直後の動静が漏洩されつつある。気づくのは、官邸主導で一括対応するとした官邸がろくに機能していなかったことか。何かどす黒い陰謀が渦 巻いていたのは確かなようである。結果的にそれを阻止したのが現場の決死隊サムライ50だったのではなかろうか。そう思えば辻褄が合う。
「政党のPR合戦という意味では自民党総裁選の圧勝」などと云うのは片腹痛い。合作ででそう云う風に演出したんでせうが。政権交代以来、民主党が党内を二 分する小沢系を排除し「上からの反革命」にいそしみ台無しにしている。それでも自公に戻らないのは御免と云う拮抗力もあるんでせう。
自民党が公共事業の見直しに着手したかと思うと強靭化に200兆円だと。本来の道路系公共事業に使わずほぼ無駄ガネに使おうとしている。強靭化と云うより 凶刃化又は狂人化でせう。ややこしいのは道路系公共事業にも反対と云う公共事業反対派が正義ヅラしていることだな。休み休み言うのならともかく。
自民党のオカシなところは2009衆院選で大敗したのに、その時の公約のまんまで政権奪還しようとしているところでせうね。普通ならあり得ないが奥の院の 雇われ故に御用聞きしかできないのかな。法律では裁けないので選挙で落とすしかない。但しマスコミが援交するから罷り通るんだな。
小泉政権時代、地理上のイラクの位置も分からぬ知識で、自衛隊の武装派兵を声高にしていた国会議員がいたが、福島原発事故に遭ってもなお知識のないままに 原発続投をエールしている議員がいると云うのは十分に考えられる。要するに利権時流に乗っているだけの気楽な稼業をしているということだろう。
それにしても、自民党代表選の5名が5名、堂々と原発続投をエールしていたのにはたまげたな。手前の選挙区及び界隈を原発屋敷にしてなお足らず、日本列島 全域に及ぼしたいらしい。海外にも輸出して稼ごうと云う。ほんでもって国防軍作って国を守るんだと。本気で云っているから卒倒させられる。
角栄式金権批判に対しては口角泡を飛ばす正義マンがうようよしているが、原発金権批判に対してはダンマリし、否擁護する言辞を振りまく金権批判野郎野女を 成敗してくれん。れんだいこは性格的に、そういうウソの風潮が我慢できん。中曽根、小泉が名宰相だとか聞かされると鉄の棒を捻じ曲げたくなる。
「見るべきほどのものは見つ」を不破が使い、最近よく使われいる。一言しておけば、これは密偵用語なんだがな。敵情視察して報告書に書き上げる時の感慨で あり、不破が宮顕に引き続く密偵と思えば辻褄は合う。よって密偵用語を気に入る者は感性が右同じと云うことになる。総じて日共員だな。
「原発を動かさなければ経済が成り立たないのであれば、なぜドイツは脱原発ができるのか」と問う人がいる。実にそうである。自公民、経団連が原発是論を強 く押し出すと今度はドイツが怒るぞ。憲法改正派だから国際平和協調外交をも反故にするのは当たり前と云う訳か。しかし先取りし過ぎとちゃうか。
野田が福島原発を訪れ「原発事故との闘い」をアピール云々。で、廃炉にする道筋と費用総額は幾らなのか。原発続投派は責任持って答えねばならない。新設期 には寿命40年は先の話だったが今その時期を迎えている。原発は果たして本当に安いのかエコエネなのか責任持って答えねばならない。
田中角栄政治の勝れたところは、この下部構造論がしっかりしていたところである。日本列島改造論はその青写真である。長期的施策で国家収入自然増の道を策 している。現下の政治は、この部分を赤字国債で賄い補助金、交付金、給付金、支援金のオンパレード垂れ流しである。目も当てられない。
各党の政策を見るのに日本経済をどう再生させ活力ある社会にするのかの具体的指針が弱過ぎる。これを生まずして社会保障だの軍事防衛だのばかりの必要論を 云うのは如何なもんだろうか。何事も基礎を拵えて上物ができあがると云うのに。下部構造論なしの上部構造論ばかり。これではなぁと思う。
そう云う意味で第三極争いに興味が移っている。自公民の内ゲバと並行して橋下維新か小沢生活第一かの政治ドラマが進行している。橋下維新は既にメッキがは げつつある。この間次第に小沢生活第一党が力をつけつつある。その時間を与えない為の衆解散がありやなしや。奥の院の指令次第だろう。
政局は衆院解散の綱引き渦中にある。誘う自公、拒否する民主の構図である。問題は、野田政権の煮え切らなさにある。この振り子がどちらに落ちつくのか興味 津津の一、二週間になりそうだ。我々からすれば、確かに政権の態を為していないが露骨な原発続投派の自公に戻すのも痛しかゆしと云うところか。
生活第一党の一行が10月16日~21日の日程でドイツを訪問する。「今後10年を目途に原発ゼロを目指す」という方針を掲げており、これは、ドイツの 「2022年までの原発ゼロ」と符合している。何やらゲルマン民族と大和民族の知性が共鳴しようとしている。歴史の因縁を感じさせられる。
10.5日、民主党石川県連は、石川2区の公認問題に触れ、小沢系の田中美絵子衆院議員の公認は困難との考えを示した云々。岡山県連では姫のトラ退治で名 を馳せた姫井由美子参議院議員を同様に公認から外している。手前らが落ちるのが確実なのに、そう云うもんに限って悪あがきしてらぁ。
「福島原発事故後の東電内のビデオの全面公開」なぞ当たり前だろう。数兆円の税金を投入しながら、東電に翻弄され続ける民主党政権の弱腰。それを自公も見 て見ぬふりしている。復興もままならぬ検証もままならぬ中で原発再稼働だけは粛々と進む。恐るべき原発利権族の生態である。
民主の石炭、石油に戻す脱原発政策もリモコン故に作られた政治でしかない。奥の院が民主党の信用をわざと毀損させる為にあれこれ手を尽くしていると思えば 良い。これに呼応するのが野田、枝野、前原、岡田の4人組で後ザコが数名いる。この連中で要職がたらい回しされているのは衆知の通りである。
福島原発のその後の危険性を見よ、今や直ちに脱原発か緩やかな脱原発かしか選択肢はない。自民の代表選ではこぞって原発続投派であることを公言していたが トラックを逆走しているようなもの。レースにならない。緩やかな脱原発はどうか。石炭、石油に戻す脱原発なら自民以下だろう。
10.5日、野田政権は、民主党の副代表に代表選を争った赤松元農相、鹿野前農相を起用云々。2位の原口の待遇をどうするんや。わざわざ火種を残すような 人事をなぜするのか。自公に劣らず民主も奥の院にリモコンされているのが見え見えであろう。野田を今後、リモコンなのだ首相と呼ぶことにする。
朝のニュース番組で、各社一斉のバカらしい八百長報道でしかないのを聞かされるのは日本人民大衆にとって大きな不幸である。虐待ですらある。文明の利器 が、かような形でしか機能を発揮していないのは利器の不幸でもある。事前検閲情報ばかり流されており、それしか聞けないのは情報犯罪であろう。
何度も申し上げているが、朝の出勤前のテレビニュースで、もう少しマシな番組が見られないものだろうか。既存のテレビ各社は無理で、そうなると新規のテレ ビ局立ち上げに期待するしかない。有料でも良いから誰かやってくれんだろうか。テレビが無理ならラジオでも有線でも良いのだが。急いで欲しい。
脱原発派の日本経済再生策と原発続投派のそれと比較して国民に信を問うような討論なら意味がある。同じ穴のムジナを寄せてカンナくずのような見識を聞かさ れるのは不快でしかない。相撲ではあれほど八百長とかヤラセを批判するのに政治となると八百長の塊なのがオカシイと云うか可笑しい。
前原と石破がテレビ出演して仲好しぶりが見え見えなのに論争している茶番劇。要は解散させたい自公と引き延ばしたい民主の差でしかない。原発続投派が、そ の識見で他の何を云おうともナンセンスの塊。今確かな論争は原発続投か脱原発か、これに象徴されるような議論でないと無意味。
れんだいこはそういう理由で衆院解散に反対する。しかし反対すればするほど逆の卦が出るんだな。ここ一、二週間がヤマではないかな。これを凌げば越年、凌 げなければ奥の院号令通りに解散強行だな。解散野郎野女がかなりヒステリー声上げるはず。しかと確認しておけ。奥の院丁稚ぶりが分かろう。
「居直り野田改造内閣 もう末期症状 (日刊ゲンダイ) 」とある。これを奥の院のシナリオ通りに末期症状化させていると読みたい。今、小沢どんグループが着々と布石しつつある。これを許さな い為に時間を与えない為に自公民合作で敢えて解散モードに持ち込もうとして暴力的になっていると読みたい。
誰か知らんがアメリカの庇護と中国の庇護を比較してアメリカの庇護是論を説いている。何でそんなに庇護を求めるんや。日本は庇護なしに生きていけんのか や。情況に応じて庇護も致し方ない。しかしそれと庇護なければ生きていけないとして自ら庇護を求めるのとは精神が違おう。気色悪い庇護野郎だな。
角栄が存命なら、福島原発事故を見れば脱兎の如く脱原発に転じた筈。角栄時代、オイルショックとの絡みで原発に傾斜したが、今となっては公害対策同様すぐ に手を打つ筈。その点、真紀子は鈍いな。せめて今後の検討課題ぐらいに云わんとな。目下の原発容認論はかっての小泉支援と同じ誤り。
脱米軍基地は相当難しい。要するに敗戦国の悲哀が物質化されたもんなんだな。それはそうで、戦勝国がたがはめなしに独立なぞさせるもんか。これを覆す唯一 の景気が戦後日本の経済的発展だったんだな。それが今意図的故意に逼塞させられており為す術がない。小沢政権で何とか手を付けて貰いませう。
憲法改正ムーブメントの折柄、憲法9条改正には反対だが憲法改正には賛成だと云う自称インテリがいる。先日、ホロコーストを認めないなんて野蛮人極まると 云う批判を浴び、もう少しで大立ち回りになるところだった。で、この先生、憲法読んでないみたいで素晴しさを知らないんだわ。これ困るんだな。
日本政治の現況を評すれば、トラック競技でヨ―ィどんの合図で逆走しているようなもの。オカシイと云うか可笑しいというかなんちゅうか。世界を見渡せば、 前へ向いて走っている国と背面逆走している国とに分かれるんだな。さて、そういうゲームがあったかいなと思うよったく。さかへこ野郎め。
自民の代表選の誰もが原発続投派だったことに改めて冷視したが、その点では民主の代表選の方がまだしもだったか。しかし政権取って居るのは原発続投派の野 田で、その野田が圧倒的票差で再選されたのだから結果は同じ。断固として脱原発エコエネ先進国を指針させる候補者がいたかないなかったかな。
今恐らく各国はポスト原発を見据えてのエコエネの技術開発競争に入っているはず。この成過は二、三年後に出て来る。その時、自公民政治は一体何やってたん だろうとほぞをかむ日になるだろう。まだ原発かじっていたら世界の笑い者になるはず。この程度のことは見えん先から予見できるだろう。
政界は、自公民が本質的に同床なのに、イニシアチブ廻って内ゲバしている。自民党代表選で露呈したが俺が我がの争いでしかない。なぜなら政策的に違わない のだから、そういうことでしかないだろう。反原発、憲法改正どころか憲法貫徹、経済再生第一の党が出てこないかなぁと思う。
国民の生活が第一党がドイツ脱原発視察に行くと云う。小沢どん自ら、牧義夫、森ゆうこ、松崎哲久、岡島一正他2名と云う。考えてみれば政府が調査団派遣 していても何らおかしくない。結果的に一番手となった。先見の明ある良きリーダーと頓ま天狗リーダーとの違いが鮮やかというべきだろう。
野田政治のつかみどころのなさは何なんだろう。解散を阻止しようとしているのか解散に持って行こうとしているのか、それさえ両方に取れる。原発をゼロにし ようとしているのか続投で行こうとしているのか両方に取れる。中国と友好関係を保全しようとしているのか壊そうとしているのか両方に取れる。
なぜ執拗に日共問題に拘るのか。歴史を見れば、左派が壊されると社会が容易に誘導されるからである。共産党が共産党ならぬ日共化していることによる損失は 大きい。もっとも、これに代わる左派党派がでてこないのもケシカラン。ほんでもって小沢グループ応援してんだわ。まだマシだわな。
戦後日本の善政であった国土開発総合計画に基づく公共事業を廃止させたのも日共の裏からの焚きつけが大きい。その総帥であった田中角栄を葬ったのも日共 の貢献大である。キレイ潔癖などと宣伝するが党の経理が幹部会監査にされている。元は中央委員会預かりであったのに。誰も問わない。
昨今、あらゆる政党が日共病に感染している。議論のテーブルにはつくがまともな議論をすることがない。賛成論反対論が飛び交うような議論を経て正論に辿り 着けるのに、会議が始めに結論ありきの形式にされてしまう。一枚岩、満場一致、分派禁止、民主集中制云々。どれも有害なものである。
日共的共産党は要らん。と、れんだいこは思う。マジメに耳を傾けると脳を患う。領土問題論だけではない。あらゆる論考に於いてすり替え名人でしかない。例 えばそれ、リストラが問題のテーブルで残業手当不払い問題を持ち出す。でとうとうと正義ぶる。一喝して本来の議論に入るべきだろう。
それほど云うのなら、試しにロシアへ行って全千島返還論交渉をさせて見れば良い。中国へ行って尖閣諸島日本領土論で交渉させて見れば良い。うまく説得でき るなら脱帽しよう。ほうほうのていで逃げ帰るのが目に見えている。要するに頭の要らん正議論を年がら年中唱えているだけのこと。
日共式領土論の落とし穴は、外交的に少しも役立たない領土論でしかないところにある。「日本の領有は無主の地の先占であり、国際法上正当な行為である」な る見地は所詮水掛け論に終わる。本来は棚上げ論、共同管理論しかないのに日本固有の領土論をぶちあげ正義ぶる。腐れ外道でしかない。
日共が、10.4日付け赤旗で、恥ずかしげもなく「尖閣問題座談会 流れ変える志位『提言』」なる記事を掲載している。北方領土論で右翼もたじろぐ全千島 返還論を唱えているのと同じ構図で、「尖閣諸島の日本の領有は歴史的にも国際法上も正当である」云々と述べ自画自賛している。
野田が代表選を争った原口他を徹底的に干す人事をしたのは喧嘩を売っているようなもの。何故か。党内にわざわざ火種を残して衆院解散を策している感があ る。恐らく奥の院ワシントンの差しガネだろう。ということは閣僚人選も衆院解散も奥の院ワシントンの意向次第と云うことか。ありうるな。
野田政権の内閣改造に伴う副大臣・政務官人事によれば、民主党代表選を争った原口、赤松、鹿野の3陣営の推薦人から計10人を起用、党内融和に配慮した 云々。オカシイ。自民党は2位の石破を幹事長に登用している。ならば原口はせめて大臣の資格がある。決して公正な人事ではない。
これも言っておかねばならない。「原発輸出で無限賠償責任負担を浴びる恐れ」が指摘されている。自公民政権は原発輸出で目先で稼ごうとしているが、これは 国際金融資本のワナである。東京裁判の例で分かるように事後法できっちり責任が問われるのが国際法である。危ない橋を渡らされている。
安倍が良いと云う訳ではない。だが石原、石破との相対的評価で云えば安倍の方が穏当だろう。奥の院シナリオ通り石原なり石破が当選していたとせよ、目も当 てられん話しではないか。それを逆さまに描くこの国の政治評論ほど愚の骨頂はない。粗脳モンキー政治は小泉ぐらいで勘弁してくれや。
自民党代表選に於ける安倍の勝利に対しマスコミの下種な勘ぐりが続いている。これを逆に窺えば、奥の院のシナリオは石原、その次に石破を代表の座に予定し ていたところ期待が外れたことを意味する。その延長線上で安倍批判が続いていると思うべきだろう。マスコミのこの病気を如何せんか。
野田第3次改造内閣で田中真紀子の登用是非が騒がれているが原口の代役でしかない。代表選を争った2位の原口を閣僚に入れるぐらいの度量がなくてどうす る。奥の院ワシントンの意向が働いていたのであろうがまともな人事ではない。こんな連中に政策と政局がいじられることを思うと情けない。
野田第3次改造内閣評が急所を射ていない。急所は野田、枝野、岡田、前原、仙石の5人組、加えて玄葉、細野、安住その他が又も要職を押えており、これらが 恐らく総員が永田メール事件での永田殺しの暗躍組であることにある。この連中が歴代民主党政権ににへばりついている。嫌な話だぜ。
自民党内の石原派は潰れた感がある。今頃ふてくされて居るのだろうが二乗粗脳故の自業自得だろう。石破幹事長の粗脳も次第に暴露されよう。安倍の粗脳は既 に知れてる。つまり自民のオワは覆らない民主のオワも右同じ維新も同じ。ということは小沢政治しかないだろう何度云わせるんだ。
何としてでも原発稼働を止めさせ脱兎のごとくエコエネに切り替える。軍事基地撤去はおいそれといかぬだろうが決して自衛隊を米軍配下の代理に使わせない。 これぐらいは最低限の申し合わせとなるべきだろう。現実は逆の事ばかりして居るけれども。ご用聞き自公民政治を叩きつぶそう。
オスプレイ6機が普天間に着陸強行した。れんだいこには原発再稼働強行とダブって映ずる。一体ネオシオニストどもは、日本人民大衆を猫をいたぶるかのよう にあしらっているのではないのか。既存の政治家が全く役立たない。それどころか連中の手足となって下働きするのを使命としている。
野田の閣僚人事が菅ほどの片肺ではないにしても敢えて挙党一致にしていないところをどう読むべきか。ワシントン指令そのままんまの采配と読む。そう云う意 味でワシントンベービーだな。解散は遠のいたように見えるがワシントン指令によりあり得る。ワシントンがどう出るかにかかっている。
(私論.私見)