ヒゲ虎時事評論7 |
転載ですが。 ( 11/04 20:13:11 ) |
沖縄タイムズが我が共産党と同じように著作権を主張するかどうか分かりませんが、恐らくそったらこといわないとして転載します。これは転載の転載です。 |
島VS不破、この因果な関係 ( 11/06 19:09:37 ) |
定例の赤旗ウオッチをしようと覗いてみたが、まさにジャーナルでしかない。しかし、党大会
の紙面がこれで良いのだろうか。宮本50年の党中央簒奪で党大会というのがいかに儀式化されているとはいえ、このたびは党の憲法とも云うべき規約の全面改訂が為されようとしている折である。おって綱領の検討に着手することも明らかにされている。でもってこの紙面は何たることだろう。党中央として新方針に付き説明せねばならない責任と党員はそれを要求する権利があるのではないのか。質疑なぞ一向に紙面にはでてこない。
森内閣の支持率が10%であろうがなかろうが、自らがするべき仕事をしておいて云うのなら私も耳を傾ける。特に、従来の方針あるいは規約の変更部分については逐条解説するというのがいわばマナーだろう。これをしないでシャンシャン大会へ持っていこうとする魂胆には、不破党中央の理論に信を置いていない姿勢が透けて見える。恐らく党周辺のみんながこの辺でごまかされている。私に言わせれば、不破の特技は3枚舌で、これが認められて宮本に引き寄せられることになった。つまり、不破の特徴は、理論が全くマヌーバーであっていかようにも望みどおりに織ることができる才にある。しかるに不破を理論家と見なす人がいる。私は笑わしてはいけないと思う。お望みなら、70年代の上田.不破らの著作を紐解いてみればよい。このことが一目瞭然自身で分かるであろう。 さて、この老醜は最後の大恥を歴史に塗ろうとしている。今や私なぞは面白いから塗らせてみたいとさえ思っている。党外の我々の関心は、これをうまく塗るのか下手に塗るのかウオッチすることにある。どっちに転んでも塗るものは大恥である。これはマニアにとっては日本シリーズよりも日米野球よりも面白い。 しかしひとつ予感がする。不破が急に弱気になるという気もする。時おりしも島元ブント書記長の追悼が行われる。果たして、島対不破はどっちが「勝った」んだろう。この二人はほぼ同期の東大細胞仲間である。スポット.ライトの島、泣かず飛ばずの不破が現役時代の二人の相関図であった。「60年安保闘争」後、島が挫折し、不破は党中央へ登りつめ30年、今最後の仕上げに取り掛かろうとしている。逸早くこういう結果になる党の変質をキャッチし「60年安保」を闘った島が、不破の総仕上げを笑うが如くこの時期に亡くなりまもなく追悼集会が持たれ様としている。因果なもんだと思う。 |
重信女史逮捕に思う。 ( 11/09 17:15:07 ) |
重信さんがマスコミに登場してきたのは私の学生時代だった。あれから40年近くなる。ふっくらした面貌も歳月を見せている。もっともこちらも同じでそのことは単に郷愁でしかないが。ただあの頃、彼女等の運動がある一定の根拠を持っていたのは事実である。有効性とは別であるが。 いわゆるパレスチナ問題は、「平和」な国日本から見ると解けない。テルアビブ空港乱射事件は、 パレスチナ人から見れば喝采だったことは疑いないと思う。他方イスラエル側からすればやられたら百倍にしてかえす作法でその後を対処したと思う。不幸にして犠牲になった市民は誰を恨んだのだろう。百倍にして返されたアラブ人は何を決意したのだろう。私には不条理として映る。しかし、歴史はこの不条理を内包しつつ廻っているようにも思える。 広島.長崎の原爆投下もそうした不条理の事件であったと思われる。やられた我々はアメリカの仕打ちを恨んでいるが、アメリカ当局者の見解は、もはや決着の着いている無益な戦争の終結を早める為の行為であったと「正義」の弁明しており、これを考証してみれば一理ある。ここでは市民の生命の価値は顧みられていない。あるいは全体の為に犠牲の強要が躊躇されていない。つまり、戦時における市民擁護論は影が薄いという不条理の中にあり、歴史の実際はそうしたものとして直視すべきではなかろうか。 戦争又は闘争における非戦闘員.民間施設に対する攻撃の加減、捕虜の待遇、宣戦布告の要領等々はお互いの嗜み事項であり、積み木崩しであろうとも合意を求めて努力されるべきとは思う。しかし、そのように取り決められた瞬間からその裏をかく作戦も展開されることになる。戦争ないし闘争とはそういう性格をもっており、これに対する道徳的規制力はか弱く、平時の取り決めは戦時色を強めるに随いいともた易く破られるのが実際である。付言すれば、パレスチナは剥き出しの力の論理が立ち現れている。この地では、もはや、やるかやられるかの論理こそが生命力を有している。これを「平和な国日本」の論理で理解するには限度があるように思われる。とはいえ、こうしたことを踏まえてなお何らかの有益な理論を生み出そうとすること、市民運動を盛 り上げることは徒労とは云えないだろう。特に我が日本は、パレスチナは遠いようで石油を通じて近い。むしろ、イスラエル、アラブ双方から生殺与奪を握られている観がある。恐らくいつまでも傍観は許されないと思われる。 人命には結びつかないが次のような問題もある。ストライキにも市民生活に直結するそれと工場内の利害関係者限定的なものと二種類ある。前者の代表例は国鉄スト等の運輸関係のストである。労資は互いに秘術を尽くすが、そのたびに市民生活に影響が出る。今まで何度この論でストが規制されたか、ではどう理解すれば、対応するのがよいのだろうという未解明な問題がある。更に、ストが許容されるのか否かに始まり、許容された場合も経済ストの範囲にとどめられるべきなのか、政治ストまで労働者の権利に含まれるのか、その加減はどこに置くのか、民間と公務員とで制限が変えられるべきか等々、こうした実践的な課題はいずれも未解明である。私が云いたいことは、よしんば結論が出なくても、運動主体のほうがこれらの理論的課題の解明に向かうべきではなかろうか。こうした理論闘争も又充分に実践的なのではなかろうか、と思うことにある。この仕事をせずのまま互いを罵倒しあうだけの百年一日の左派戦線には今日の姿が相応しいのではなかろうか、相応しくあるべくしてあるのではなかろうか。戦後50年経過してみて、左派運動はいまだ緒についたばかりのところを行き来して一歩も出ていないのではなかろうか。 日本赤軍運動の総括もこのセンテンスで為されねば、単に劇場空間を行き来した役者と観客の関係以上にはならない気もする。我々みんな年をとり、時の流れは否応無く過去の出来事を風化させる。この風化に耐ええるものが値打ちものとして、日本赤軍運動はどの位相に位置しているのだろうか。当事者の声明も聞いてみたい。 |
赤旗の重信女史逮捕報道に思う。 ( 11/10 14:21:41 ) |
赤旗報道によると、「テロ繰り返した犯罪集団 日本赤軍」との見出しで、いつもの「犯罪者」呼ばわりをしている。彼らはパレスチナ解放運動の一潮流と結びついて「左翼」の一員であるかのような装いをこらしてきましたが、社会進歩の事業とはまったく無縁の挑発者集団です、とある。日本共産党は、「日本赤軍」をはじめとするテロ組織・集団の暴力・破壊活動を日本の各政党のなかでもっとも厳しく批判するとともに、反共の目的から彼らに「泳がせ」政策をとってきた自民党政府の責任を追及してきました、とある。
これには解説が必要である。「テロ組織・集団の暴力・破壊活動を日本の各政党のなかでもっとも厳しく批判」し、世界の共産党運動にも珍しい「権力側に対してもっと取り締まれ」を要求してきたのは事実である。ちなみに、その論理は「テロ組織・集団の暴力・破壊活動」だから取締りを要求したのではない。「60年安保闘争」時にはブント系学生はスクラムだけの全く素手であったが、既にこの時にも同様の声明とピケラインを張りつづけてきた党史を持つ。それでも沈静化しなかった60年代後半の全共闘運動に対しては、宮本委員長の号令一下民青同に武装させ、警察.機動隊が出来なかった「大学自治」内のバリケード解除と正面ゲバルトにも向かわせている。とにかく「闘う運動体」が嫌いで、党内には治安維持法まがいの監視体制を敷いているのが特徴だ。その利益はどこと通じているのだろう。これを意識的にやっているのだと指摘し続けている私のこの見方は、今のところ同調者がいないが、もうそろそろはっきりするだろう。 私は、重信グループの運動にも批判したいことはあるが、一貫して共産党が取り続けている「もっと取り締まれ」対応にはもっとなじめない。今日の50代の党中堅幹部はこの時の統制規制派の連中である。いまだ闘ったことも無いし、闘っている者たちの火消しに向かった経験しか持ち合わせていない。分かりやすく云えば宮本薫陶学校の卒業生ばかりである。この連中に支えられた不破−志位党中央が今渉ろうとしている河が、新民社党以下路線である。私は、こんな連中に重信女史の悲劇を指弾させたくはない。 また、パレスチナ人民の民族的、民主的運動がこのような犯罪者集団と結びついていることは、運動そのものを傷つけるものだと、強く指摘してきました、とある。ならば、不破に問いたい。あなたたちは、このパレスチナ人民に具体的な何を支援してきたのか、明示せよ。私は、宮本−不破系列の運動で、我等が左派運動に為した功績をただの一つも見出せない。三枚舌で従順しない党員を追い出す時にのみ戦闘的で、自主的戦闘的大衆団体に対するクーデターまがいの右傾化指導ばかりしか見当たらない。見えてくるものは、最も悪質有害な各個撃破戦術による統制的脳軟化運動である。どなたか、こんな功績があるよというものがあったら教えて欲しい。 |
共産党新旧規約のパラドックスについて。 ( 11/13 00:16:22 ) |
ジャーナル赤旗で一向に解説されず、誰も騒がないので、日も迫ってきたことだしれんだいこが一文申し上げる。まもなく採用されようとしてる新規約は有名なパラドックス論理でまぶされている、ということを解析する。これは不破の性癖からして意識的にやっていると思われる。騙される者も多かろうが騙されない者も少しはいるだろう、みんなあきらめてわざわざこんなことも書かないのだろうが、一応投稿しておくことに決めた。
ところで、パラドックスとは、「分かりやすくする」必要から説明すれば、こちら立てればあちらが立たずの論理形式と云うことが出来ようか。大人しく云えば玉虫色で意味をなさず、厳し く言えば「エエカゲンニセンカイ」式論理とも云えるかも知れない。以下、これを見ていくことにする。 @.【第三条(五)】意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。 A.【第五条(四)】党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる。 B.【第五条(六)】党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる 。また、中央委員会にいたるどの指導機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる。 ここでは、批判の権利が担保されている。これをAとする。 C.【第三条地文】党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。 D.【第五条(五)】党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。 E.【第三条(二)】決定されたことは、みんなでその実行にあたる。 F.【第五条(九)】党歴や部署のいかんにかかわらず、党の規約をまもる。 ここで、「民主集中制」によって党中央の方針の「決まりに従う」ことが義務づけられ、批判の権利が形骸化させられている。これをBとする。 G.【第三条(四)】党内に派閥・分派はつくらない。< H.【第五条(二)】党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない。 I.【第五条(五)】党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。 J.【第五条(八)】党の内部問題は、党内で解決する。 ここで、分派の禁止と党内解決論理と外部への意見発表の禁止規定等により、批判の権利が単なる飾りに転化している。これをCとする。 Aを機能させようとすればB.Cの手枷足かせでどうにもならない。B.Cを機能させようとすれば、Aが邪魔になる。さて、どうすれば良いのだろうとジレンマに陥るのがパラドックスで ある。実際には心配に及ばない。何故か? それは党員が一番骨身で知っている。 もし「批判」に実効性を持たせようとするのなら、新旧規約上何せ「二人分派」という「みなし規定」もあるぐらいだから、派閥.分派禁止の項に必ず抵触することになる。という訳で、党 員は党中央に盲従する以外にはないという論理のからくりになっている。これを称して、超伝導式党中央万年安泰論理と名付けようか。しかし、これでがんじがらめになっていながら我々に甘き優しき言葉を投げかけてくる党員がいたとしたら、どのようにもてなすべきであろうか。穏和な気質の者はご苦労さんといってやりたまえ、気性激しき者はウルセェと言い返すのだろうか。 |
戸田さん有難うね。今後とものびのびと連帯! ( 11/10 20:54:43 ) |
戸田さん、このたびはご紹介有難うございます。インターネットという媒体があってメールができるとても便利だ、窓を開けていけばどこでも出入りできるという関心が突如沸き起こり、いろいろ投稿しているうち自前が欲しくなり、まだまだ先の予定がひまたさんの尻押しで公開となりました。後悔せずに航海しようと思っています。 しかし、何ですね。世紀末(新紀元というのかな)になると日本シリーズが奇しくもON対決になった偶然の必然のようなことが政治の世界でも次々起こりますね。島さんが亡くなり、重信さんが国内で逮捕され、共産党が今や明白な民社党的本質を露にする。年末まで数十日ありますが、まだまだ何かが続きそうですね。この時代のフリー語り部としてコメント続けていこうと思います。願う楽は、お互いの日々のカウンターが3000ぐらいに届くことを。戸田さんが国会に登壇して基調報告できる日がきますことを。そして私を人間国宝にしてくれますことを。そういう精進意欲でこれからも参ろうと思いますのでよろしくぅ。 |
左翼が死んでいる( 10/17 01:14:18 ) |
中東問題について知りたいが、ホームページ上での諸党派を除いてみても記述が無い。全てのところを見たわけではないが、メジャーなところにはなかった。こんなのありかと思う。左翼が状況に対してコメントつけようとしなくなったら、それは生きる屍同然だろう。理論が追いつかないのだったらそれはそれで経過だけでも伝えるべきだろう。世の中には専業の人がいるのだから、しつかり仕事をして貰いたい。 結局長い間の似非仲良しクラブ性がこういう結果を導いているのではなかろうか。それとも人のことよそのことはどうでも良いとしているのだろうか。だったら言いたい、それは左翼ではない。人の痛みをキャッチし得くなったら、昔の人が云うことには、お金と名誉と道楽とマイホームに戻るしか道が無い。人と話をする時は天候の話しをしておけば無難でよいだと。それでは生きている気がしないと思う私の方がおかしいのかなぁ。 |
共産党が死んでいる ( 10/17 13:51:19 ) |
新聞時赤旗(2000年10月16日)に、長野知事選の結果が発表されている。田中康夫氏が当選、オール与党の池田氏破る、とある。「池田氏は、引退する吉村午良知事の後継者として、日本共産党を除くすべての県議会会派の支持を受けており、田中氏の当選は、オール与党県政への批判のあらわれです。自民党などは、三千を超える各種団体の推薦をとりつけるなど、しめつけ選挙を強めていただけに、敗戦に大きな衝撃を受けています。日本共産党推薦で「明るい県政をつくる県民の会」の中野早苗氏(52)は、オール与党県政を批判し、県民生活を応援する県政実現を訴えて奮闘しましたが、及びませんでした」。開票結果は次のとおりとして各候補の得 票数を、当 田中康夫 無新 589,324、池田 典隆 無新 473,71、中野 早苗 無新 122,615、草間 重男 無新 14,770(投票率69,57%)と報道している 。 で、これだけの記事である。党の自前候補の前回知事選、最近の総選挙での得票数との比較も、論評も無い。私は、ジャーナル赤旗と皮肉っていたつもりであるが、ジャーナル性もここにはない。こうなるとより適確に「告知しんぶん赤旗」と云わねばなるまい。このことの異常性は次のことにある。選挙は、不破−志位党中央の党活動の唯一の指導生命線である。他のことは何もしていないという意味であるが、それだけ精力的に取り組んでいる党活動の表舞台である。その活動の成果と結果に対して「告知」しか為しえていないとすれば、この党は死んでいるといっても過言ではなかろう。 こうなると、早く党大会を見たい。あの満場一致を確認したい。今回は多少なりともやらせぐらいはあるかも知れないが、早く「葬式大会」を見たい。それから私は活動を始める。二度とこの連中に我々を大衆呼ばわりさせない。フワフワとモグモグの二枚舌を引っこ抜いてやる。 |
国会が死んでいる ( 10/18 23:36:23 ) |
今テレビを見ただけで詳しいことは知っていないが、斎藤参議院議長が辞任したという。議長職務のまっとうから職責をかけての背水の陣で異例のあっせん仲介したが、与野党から相手にされず憤死したようである。私は、今のところ個人的見解であるが、没理論的に政界から田中角栄氏を追放したいきさつあたりの頃から政党政治の歯車が狂ってしまったと思っている。このブレが次第に激しくなってきており、今や収拾がつかないところまで辿り着きつつある。 人材不足の与党自民党、それでも権力取りたくない社会党という構図は破れたが、替わって出てきた民主党・自由党も権力取れるだけの正攻法をしていない。審議拒否戦術と都合主義のプロパガンダ、お互いさまなのに下半身攻撃、今度は中川官房長官に対する右翼幹部との会食攻撃、どれ一つとってもくだらない。一体、中川氏であろうが誰であろうが、誰と会食し、結婚式に出ようがそれがどうしたというのだろう。森首相の若い頃の赤線遊びがどうしたというのだろう。何でそんなことが辞任になるのだろう、私には分からない。議員という職務のお仕事は議会活動が本職であることからして、議会という職場でのお仕事に汗水流して欲しい。その為に国民は税金はらっているのではなかろうか。 マスコミは、出生の頃よりゴシップを好む癖を持つ。良く売れるから書きつづけるという商業主義の為せる習慣であろうが、それならそれでインテリ面して欲しくない。社会の木鐸なぞというのならもうちっと音色の違う木鐸であって欲しい。巨大過重債務、行政改革、超長期不況、企業倒産、中近東の異常事態等々目白押しの難題こそ喫急に立ち向かわねばならないことがあるではないのか。先日はロシアの大統領プーチンを歓迎し損ねている。なぜ、もう少し正面から課題に立ち向かって行かないのだろう。敗戦より田中角栄氏追放事件の頃までは、まがりなりにも与党は与党的に、野党は野党的に丁丁発止してきたと思う。宮本君の所が口と腹の違うことをしてきていただけで、後はそこそこ本音主義で国民に課題を示しつつやってきていたように思う。もっとも裏取引は常態化させてはいたけど。私にはこの国の溶解が見える。 |
こんなのありか ( 10/19 20:35:25 ) |
告知しんぶん赤旗に逐条コメントする。題材は、「国会答弁と違う事実 中川長官の疑惑で 不破委員長 2000年10月19日」。 日本共産党の不破哲三委員長は十八日午後、記者団の質問にこたえるなかで、中川秀直内閣官房長官が右翼幹部と会食していた問題について、「(中川氏が)『面識がない』といっても、面と向かって食事している写真がある以上、その議論はなかなか通用しない」とのべ、「右翼の当事者との関係で自分が国会でのべたこととまったく違う事実が出てきたことは重い」と批判しました。 (私のコメント)中川氏も会っているのなら否定はしなければ良いのに。しかし、「面と向かって食事している写真がある」ことが問題にされているが、それがなぜいけないことなのか誰か説明してくれませんか。我が日本国憲法に右翼と会食してはいけないなんて書いてありましたかねぇ。ついでに左翼ならどうなんでしょう。これならいいのか悪いのか、憲法に書いているんかいなぁ。 右翼と同席の写真どう説明するのか 十八日発売の写真週刊誌『フォーカス』に、中川秀直官房長官が右翼団体「日本青年社」の幹部と会食していた写真が掲載され、同幹部との直接的な関係が明らかになりました。中川官房長官はこれまで、この右翼団体幹部との関係について「記憶が十分ない」「天地神明に誓ってない」と、国会で全面否定しただけに、“虚偽答弁”がきびしく問われます。 (私のコメント)こういう風に世間を狭めていって、ならば一体誰と会食するのが良くて誰となら駄目なのかはっきりさせておかないと、その裁量権持つ者のワンサイドゲームにされてしまう。確かこんなのをファシズム論理というのではないかなぁ。まぁ萌芽的ではあるけど。結局宮本−不破式共産党的思考パターンが社会の隅々まで影響を及ぼして鳩山が調子に乗っている感じがするんだな。 ことし九月二十八日の衆院予算委員会、民主党の石井一衆院議員が、九六年十月にこの右翼団体幹部から、中川氏のいわゆる愛人問題などが書かれた内容証明郵便が送られたことを追及しました。 (私のコメント)愛人問題をクローズアップさせる手法は下品と思う。まずはお仕事きちんとしているのかどうかで見ないと、これも変なことになる。下半身の行状がいいからということは決して自慢にも卑下にもならない。ああそうですかでよろしいのではないでしょうか。不破だってこの間の外遊に女性議員か誰か連れて行っていたけど、党活動上その議員でなければならない必然性があったとは思えないし。まぁこれは誰かが説明してくれたらいいわなぁ。なお、下半身の行状でもってそれを攻撃の材料に使う者の品格の方が劣性というのが私の持論だな。 また、日本青年社から中川氏にビデオテープが贈られ、同氏の議員会館事務所が礼状を送っていた問題も明るみに出ました。以下同趣旨文。 (私のコメント)不破によれば、相手が右翼なら「礼状」も駄目ということらしい。だからぁ、その基準は何なんでしょう。逆に左翼が労組への「礼状」だしても駄目になる恐れあるから、その種の活動を一切しない不破は模範的ということか。しかし、選挙に負けてビラにやられただの、都合の悪い結果にダンマリするのは許されるのか。そういうご都合主義がれんだいこは嫌なんだよ。 十八日の記者会見で中川官房長官は、右翼団体との関係を否定しましたが、問題の右翼団体幹部との会食写真で、中川氏は、乾杯のシーンでは頭を低くたれ、同幹部に深ぶかとおじぎをしています。 「何らかかわりがない」というのなら、問題の写真がどういう性格のものなのか、国民の前にはっきり説明する責任があります。これは、内閣のカナメである官房長官の資格、資質にかかわる問題として、ゆるがせにできない問題です。 (私のコメント)思うことは、「官房長官の資格、資質にかかわる問題として、ゆるがせにできない問題」といいあうことは良いことだろう。だったら、そういう公党間の批判の自由往来ありありという風にさせて、自分の党もまた批判に晒されることを甘受する作風にしておいて貰いたいんだ。自分の党内については、政党結社の自由論で干渉を許さず、対外的にも自主独立だと排外主義化させておいて、相手の党に対しては特に自民党.公明党に対しては言いたい放題なんだな。これって変なやんちゃ理屈と違うのかというのが私の考えなんだけど、皆さんどう思われますか。適当にはレスつけてよね。 |
三途の川を渡る前に一言 ( 10/20 16:01:40 ) |
「個人意見の公表は18年前から大会ごとにやってきたこと 不破委員長 マスコミの質問に答える 2000年10月19日しんぶん赤旗」の内容についてコメントする。不破が如何に確信犯的に党内民主主義を蹂躙しているか、対外的にいかに煙まき三枚舌を使っているかを暴くことにする。一体、こんな人物に30年にわたって党中央を占拠されていることこそ悲喜劇ではなかろうか。
「“民主的な議論をつくす”――民主集中制の精神にたって ―それが、党の活性化につながる、という考えですか」という記者団の質問に対して、不破は次のように答えている。「不破 私たちは、党の組織のあり方を、今度の規約の改定案でも、民主集中制と呼び、ものごとを決めるときには、“民主的な議論をつくす”ことを、その柱の一つとして強調しています。議論のつくし方はいろいろありますが、党大会とは、全党が党の方針や組織について議論する大事な機会ですから、大きな流れからいえば少数の意見で、大会には直接反映されないものでも、大会討論の一部として公表してゆく、という考えでやっていることです。活力ということでいえば、これは、そういう意味で、党の民主的な活力を制度のうえでもしっかりさせる一つの力になっている、と思います」。 これによれば、不破は、、“民主的な議論をつくす”ことを民主集中制の柱として認識していることが知られるし、それが「活力になる」ことも認識していることになる。これが最初の舌である。とすれば、現下党中央による非民主的な機関運営は確信犯的にやっていることになる。ここを厳しく認識しておかなければ話が噛み合わない。現下党運営の実態は不破の云うように一人の反対意見でも尊重されているのか、全く逆なのか、銘々が手を胸に押し当てて思案すれば分かることだ。 「自衛隊活用問題など――いろいろな意見も討論のなかで解決――自衛隊の活用の部分への反論ですとか、規約の前文を削除することについて時間をもっとかけてやってほしいという意見もありましたね」という質問に対して、次のように答えている。「まず『時間をもっとかけて』という問題ですが、大会の議案を提起してから、二カ月間、全党討論をやるという党は、日本の政党のなかでもあまりないでしょ(記者「ええ」)。マスコミの方から、長すぎる(笑い)といわれたりするぐらいですよ」。 これによれば、党中央の議案提案が二ヶ月前に為されたことは、「長すぎる(笑い)」ぐらい充分すぎる期間であると認識していることになる。これが二枚目の舌である。党史を見れば、次第にこのスパンが短くなっていることが分かる。私見は、少なくとも6ヶ月前までに明示されて、各級機関で討議を積み上げるのが良いと思われるが、このことは後で例証する。ここで確認すべきは、二枚目の舌が一枚目の舌にかぶせられる事に拠り一枚舌の機能が停止させられることになっていることである。 「なかには、公式に提案する前に議論したら、という人もいますが、こういう大事な問題については、党の中央としてよく討議して責任ある結論を出してから、全党にはかるということが、常道なんです。まだ中央で決まってもいないものを、中間的に出して様子をうかがうということは(笑い)、私たちはやらないんですよ」。 これによれば、「党の中央としてよく討議して責任ある結論を出してから、全党にはかるということが、常道」としていることが分かる。まぁこれはこれで一理あろうが、問題は反対議案の提出を認めるのか、日頃からその種の論議を許容するのかしないのかにある。不破の云う「常道」がその道を閉ざしているとしたらやはり問題であろう。つまり、「公式に提案する前に議論したら」という意見の意味をすりかえて答弁していることが分かる。 「私たちは政党として憲法問題でこういう対応をしますということにとどまらず、二十一世紀に、国民の合意のもとに、憲法完全実施にまで日本がどうすすんでゆくかという国民的な道筋を明らかにしたものですから、そこの内容をよく説明すれば、いま別の意見を出している方も、かなりの人が、討論のなかで分かってもらえるだろうと、考えています」。 これによれば、党中央の議案は「そこの内容をよく説明すれば、いま別の意見を出している方も、かなりの人が、討論のなかで分かってもらえるだろう」であり、言葉は柔らかいが、分かってもらえない場合を想定していない。反対派に対する聞く耳なぞ金輪際持っていない「柔らかな」物言いでしかない。実際には、党中央の見解がその通りでローラーされていく手法であることが広く知られている。ここが三枚目の舌である。三枚目の舌は二枚目を補足することにより一枚目の舌を窒息させる役割を担っているという関係にある。 要約これだけの文面であるが、これまで我々はこの物言いにやられてきた。がしかし、確信犯的不破の心性とそろそろ決別すべき時機を迎えているのではなかろあうか。今度の大会が解党前夜を規約的に準備するものであることは容易に分かる。続いて綱領の更なる右翼的改変で投降していくことになった結果、振り向けば誰もいなくなっている事態が想定できる。それはそうだろう、何も「民主集中制」に縛られる必要のない運動方針しか目指していない訳だから、「民主集中制」の殻を脱いで党名も変えていくことに何の違和感もないであろう。これが宮本−不破−志位路線の結末である。じっくり煮てきた本質の露呈である。 参考として、党内論議の作法につき、徳田書記長時代の前例と比較する。 1950年の【徳田執行部による新方針「50年テーゼ」提示「第十九回中央委員会総会」】の場合はどのように為されたのか。この総会の眼目は、朝鮮戦争前夜の情勢にどう対処すべきかにあった。党非合法化の危険をはらむ緊迫した情勢の中、徳田執行部は党の闘争方針の見直しに懸命となっていた。徳田書記長は、「当面する革命における日本共産党の基本的任務について」を書き上げ全党討議にかけた。これが「戦略戦術に関するテーゼ」(50年テーゼ草案又は徳田草案)と称される重要文書である。これは、書記長私案であったが、当時の党内対立状態からすれば止むを得ない面もあった。この時徳田は病魔に侵されており、最後の気力をりしぼっての草 案作成であった。この草案に対して、志賀.宮本、神山、蔵原、亀山幸三、袴田、春日庄次郎、遠坂良一等は反対を表明する。結果、中央委員会は事実上分裂した。テーゼ草案の方は審議未了として、秋に予定されている党大会まで一般討論の討議に付すことに決められた。 ここで分かることは、この当時の党運営は、反対派を前提にして党内論争がなされていたということであり、党大会前の叩き台がかように全党で討議されていたということである。草案の逐条内容の分析以前の話として、この書記長が私案として草案を起草しこれを全党討論に付すという姿勢は貴重である。このこと自体は党内民主主義の前進であったと思われる。なお、戦前では、綱領的なテーゼは全て、コミンテルン執行委員会において日本との党代表も参加した形式で作成されていた。戦後になって初めて第5回大会宣言と6回大会提出の綱領草案が党自身の力で打ち出されていたがこれらはまだ正式綱領となっていなかった。この意味から、今度のテーゼ草案は、党創立以来初めて党自らの手で作り出し、これをもとに決定的な綱領を打ちだそうとした点、その為に中央での反対意見の提出から全党の自由な討議を許そうとした点で、まさに画期的で あった。 ちなみに、現在参考になりそうな文面として、次のような記述がある。「議会闘争が悪いのではない。議会闘争のみが目的となり、それが社会民主主義的改良主義的戦術に陥る場合にわるいのである」としていた。議会の活用の意義についてエンゲルスの次の言葉「議会闘争はプロレタリアートの議会外闘争を組織するための学校であり、補助手段である」、又レーニンを引用しながら「かってボルシェヴィキ党内でも、時をかまわず大衆の動向もかまわず国会を無視しすべての議員を召還しろという戦術を主張した者に対して、レーニンはこれに反対し、国会における闘争が大衆をして敵を知らしめ、革命的戦術を理解せしめる有用性を教えている」(レーニン主義の基礎)との観点から両方向の闘争を指針させていた。 この50年テーゼについての4つの意見は次の通りであった。1.党中央徳田派=民族解放の任務とともにブルジョア民主主義革命の社会主義革命への急速な転化を主張した。トロイカ論とも云われている。2.党内反対派混成グループ=民族的解放と民主主義的任務を含む社会主義革命を主張した。志賀・宮本・蔵原・亀山・春日・遠坂らで、トロイカ論を批判。3.袴田グループ=民族解放、民主主義革命を主張し、半封建的天皇制と寄生的地主的土地所有の強力な残存を主張し、直接社会主義の綱領に反対した。4.神山グループ=最も右派的に植民地革命を主張した。こうして十人十色の意見が交差したということである。不幸にもこの時機は朝鮮動乱勃発前夜であり、GHQによる党中央のレッド.パージが指令される直前であり、党中央派は反対派を置いてきぼりにして地下に潜行していくこととなった。それだけ党内対立が特に宮本グループとの対立が非和解的であった訳である。 話を戻して。私が云いたいことは、諸見解はこれほどに分かれるのが当たり前であり、充分な論議なしに党内の闘うエネルギーは生まれない。このたびの前衛用語削除にせよ、自衛隊容認論にせよそうした論議こそが活力を生み出す源となるであろう。こうした党内論議の作風は、今はギクシャクしているが、これまでは自民党の党運営の中にこそあったように思われる。とはいえ、何も自民党から学ぶこともない。徳田書記長時代の全党討議の公明正大な姿勢こそ学び継承されるべきところのものとして史実に残されている。宮本−不破の姑息な党運営と比較してみた時に雲泥の差があろう。これを訝ることなく今日まで経過させてきている「負の遺産」を新世紀前に清算しておきたいとも思う。 |
脳軟化の見本市と学芸会 ( 10/22 14:17:25 ) |
2000年10月21日(土)「しんぶん赤旗」に第22回党大会議案の討議集が掲載されている。今回は党中央支持派のそれであるようである。約2割と伝えられている批判派の意見は掲載されていない。まもなく出るものと首を長くしておこう。
以下、掲載順に要点を批判的に整理しようと思ったがやめた。あまりにも無内容過ぎるから。しかし、この党はいつからかほどに低脳者の寄せ集めになったのだろう。サド公爵とマゾ領民の交互関係しか見えない。もしくは、梅干日の丸弁当一本槍で突撃命令させた旧日本軍の司令官と兵士の関係であろう。コミック系ののりでの絵描きと三文文士がいれば、下部党員はいかようにも納得してくれるようである。 タイトル通り、共産党は脳軟化集団と化し、学芸会運動に転換させていることが分かる。しかし、これでよくもブラウン管前にでてひとしきりしゃべりができるなぁとそのほうに感心させられる。とてもでないが、よそさまのことを悪くいえるようなしろものではない。ここに悪代官がいたとして、宮前あたりで百姓の謀議が為され、これをたち聞いたとする。笑いが止まらないとはこのことだろう。 |
Re:島氏の逝去を悼む ( 10/22 20:09:33 ) |
「人生学院」のリンク集を整備しながら「BUND」へ飛んだ。いきなり出てきたのが、「共産主義者同盟(第一次ブント)書記長島成郎氏の急逝を悼みます/荒
岱介」だった。僕はびっくらこいてしまった。戦後史の自分なりの研究をしながら、58.12.10日結成されたブントの再評価に向かわないといけないなぁ、島さんに会いたいなぁとか思っている矢先の「60年安 保闘争を指導した共産主義者同盟(第1次ブント)の書記長島成郎(しま・しげお)氏が、10月17日午前7時30分、多臓器不全のため沖縄県名護市の病院で亡くなられた。69歳だった」。 暫く氏の人となりを聞いてみよう。「19歳で日本共産党に入党した島氏は、東大入学後レッドパージ反対闘争で東大を無期停学になった。1958年、共産党を批判してブントを結成し書記長に就任。60年安保全学連を指導する。安保闘争後は沖縄に移り住み、精神科医として地域医療に努めていた」、「今年6月10日に開催された『樺美智子追悼40周年の集い』では発起人を代表してあいさつ。『40年前、私たちは組織のすべてをかけて安保改定に反対することを決意。権力をはじめ既成政党・労組などのあらゆる妨害をはねのけて国会突入闘争を闘い抜いた。過去を懐かしむよりも現在を生き、未来に立ち向かうことに心ひかれる性向をもつ私たちはあえて過去を語ることを避けてきた。だが、現在の大変動の歴史の中で、今こそ未来に向けて過去をともに語り合うべき必要を感じる』と、新たな闘いへの決意を披瀝していた。時代の新たな激動に立ち向かう40年前を彷彿させる熱いアピールに参加者は感動。新たな胎動を開始した矢先での急逝だった」とある。 うーーん、残念。今を去る40年前に今日の共産党のていたらくを予見し、その反動的本質の暴露に意を注ぐよりは、自ららが運動を具現していくことに拠り新たに前衛党を創造していこうとした鼓動が歴史に刻まれている。実際には、後のことを配慮する知恵さえ峻拒し、「60年安保闘争」を切り開いていった。残念ながらこの運動はいわば「途絶えた」。それを島−生田指導部の指導のせいにするなかれ!。あとを受け継いだ者の能力が島−生田指導部のそれに匹敵していなかったからであると私は考える。闘えば傷つく、懲らしめられる。それに持ちこたえられる度を過ぎればバトンタッチしていかねばならないのは組織の弁証法であろう。そのようにして島氏は去った。あとを継いだ者もまた懸命に時代に生き、情況を切り開こうとしてきたことは分かる。しかし、あの時代のBUNDを生み出すことが出来ぬまま今日まで経過している。 この連中に、何が原因なのか、それを反芻する度量が残っているだろうか。そうであるなら私も扉を叩きたい。でないと、島氏の死もまたむなしすぎる。唐氏全学連委員長もその昔亡くなっている。あらぬ汚名を着せられたまま、ひっそりといなくなっている。こうした人士を数え上げればきりがない。最も声高に批判した勢力が今日公然と三途の川に向かいつつある。相変わらず意見を異にする者を敵対者、似非左翼呼ばわりしつつ、恥ずかしげもなく投降路線を露にしつつ党大会を迎えようとしている。 島さん、何でこんな連中にやられねばならなかったのか、私はそれが聞きたかった。やはり、もっと闘って欲しかった。特に、ごった煮の良さを認め、意見の違いは実践の手本で示すというあなたの姿勢は史上に輝いている。いつか誰かあなたを理解する人士が増えてくることを願い、わたしの追悼文に替えさせていただきます。安らかに眠れ! 最後に島氏の肉声をもう一度聞こう。 国会デモはその後も空前の動員数を示した。全国の各大学は自然発生的 に無期限ストに突入した。6.17日社会党顧問川上丈太郎が右翼に刺され負傷。6.18日国民会議は、「岸内閣打倒.国会解散要求.安保採決不承認.不当弾圧抗議」の根こそぎ国会デモを訴えた。30万人が徹夜で国会包囲デモをした。ありとあらゆる階層の老若男女が黙然と座り込んだ。この時のことを島氏はこう記している。「1960年6.18日、日米新安保条約自然承認の時が刻一刻と近づいていたあの夜、私は国会を取り巻いた数万の学生.市民とともに首相官邸の前にいた。ジグザグ行進で官邸の周囲を走るデモ隊を前に、そしてまた動かずにただ座っている学生の間で、私は、どうすることも出来ずに、空っぽの胃から絞り出すようにヘドを刷いてずくまっていた。その時、その横で、『共産主義者同盟』の旗の近くにいた生田が、怒ったような顔つきで、腕を振り回しながら『畜生、畜生、このエネルギーが!このエネルギーが、どうにも出来ない!ブントも駄目だ!』と誰にいうでもなく、吐き出すように叫んでいた。この怒りとも自嘲ともいえぬつぶやきを口にした生田−」(「文集」)。6.19日午前零時新安保条約 が自然成立。この時4万人以上のデモ隊が国会周辺を取り囲んでいた。 「再三の逡巡の末、私はこの安保闘争に生まれだばかりのブントの力を全てぶち込んで闘うことを心に決めた」、「闘いの中で争いを昇華させ、より高次の人間解放、社会変革の道を拓くかが前衛党の試金石になる」、概要「日本共産党には、『物言えば唇寒し』の党内状況があった。生き生きとした人間の生命感情を抑圧し陰鬱な影の中に押し込んでしまう本来的属性があった」、「政治組織とはいえ、所詮いろいろな人間の寄り合いである。一人一人顔が違うように、思想も考え方もまして性格などそれぞれ百人百様である。そんな人間が一つの組織を作るのは、共同の行動でより有効に自分の考え、目的を実現する為であろう。ならば、それは自分の生命力の可能性をより以上に開花するものでなければならぬ。様々な抑圧を解放して生きた感情の発露の上に行動がなされる、そんなカラリとした明るい色調が満ち満ちているような組織。『見ざる、聞かざる、言わざる』の一枚岩とは正反対の内外に拓かれた集まり、大衆運動の情況に応じて自在に変化できるアメーバの柔軟さ。戦後社会の平和と民主主義の擬制に疑 いを持ち、同じ土俵の上で風化していった既成左翼にあきたらなかった新世代学生の共感を獲ち得た」(「戦後史の証言ブント」)。 ブント創出から敗北と崩壊の過程について、島氏は、戦後史の証言ブントの中で次のように語っている。「確かに私たちは並外れたバイタリティーで既成左翼の批判に精を出し、神話をうち砕き、行動した。また、日本現代史の大衆的政治運動を伐り開く役割をも担った」、「あの体験は、それまでの私の素質、能力の限界を超え、政治的水準を突破した行動であった。そして僅かばかりであったかも知れぬが、世界の、時代の、社会の核心に肉薄したのだという自負は今も揺るがない」、 「私はブントに集まった人々があの時のそれぞ れの行動に悔いを残したということを現在に至るも余り聞かない。これは素晴らしいことではないだろうか。そして自分の意志を最大限出し合って行動したからこそ、社会・政治の核心を衝く運動となったのだ。その限りでブントは生命力を有し、この意味で一つの思想を遺したのかも知れぬ」、 「安保闘争に於ける社共の日和見主義は、あれやこれやの戦略戦術上の次元のものではない。社会主義を掲げ、革命を叫んで大衆を扇動し続けてきたが、果たして一回でも本気に権力獲得を目指した闘いを指向したことがあるのか、権力を獲得し如何なる社会主義を日本において実現するのか、どんな新しい国家を創るのか一度でも真剣に考えたことがあるのか、という疑問である」。 |
私の見落としかも知れないが、島元ブント書記長が亡くなられたことがマスコミで取り上げられていない。もし間違っていたらどなたか記事を紹介して欲しい。私が担当記者ならデスクに掛け合って一面トップにしたいぐらいだ。どこかで囲み記事でも出たのだろうか。出ていないとすると、これはこの方面の担当者の眼が死んでいることを意味している。何も分かっていないということになる。そうかも知れない。不破の煙まき論法に笑いを誘い込まれていることからしてかなり質が落ちているというのかもともと低いのか。 |
共産党のインターネット通信画面が変わっている。あばたもえくぼの向きの者は「分かりやすくなった」とまたぞろお追従している。れんだいこはそうは見ない。一層馬鹿馬鹿しく告知型(批評さえないという意味)ジャーナルしんぶん赤旗になったと判決する。
|
たけしさん、見ておられるかなぁ。お願いがあってこれ書いています。今衛星放送でメッツとヤンキースの録画やっております。試合開始の前に国歌斉唱していました。ここで気づいたんだけど、アメリカ国歌の英文と和訳(たけしさん風のでもいいです)を教えてもらえませんか。一応知っておくべきかと、急に思ったので。たけしさんが見ていなかったら困るので、気づいた方どなたか宜しく。 そのお返しにいい話添えて起きます。今、「日本を今一度せんたくいたし申し候」(木村幸比古・祥伝社)読み始めています。そのなかで、面白いと思った次の文章。幕末にペリー艦隊が浦賀沖にやってきて国中大騒ぎになっていた時、孝明天皇の側の者が次のように報告しているようです。少し意訳しますが、(陛下、といったかどうか分かりませんが)「心配に及びません、ペリーは漢字が読めません。日本語すら知りません」という有様でしたですって。 |
>
たけしです。英文が載っているサイトは見つけましたが、たけ風意訳はもうちょっと時間くだ> さい。 |
Re:感性が死んでいる 投稿者:れんだいこ ( 10/26 00:23:41 ) |
共産党のインターネット通信画面の変調さについて、もう一つどうしても云わなければならないことがある。それは党の歴史についての記述の軽視と申し訳ない程度に書かれているその内容の無残さである。これは意識的に為されていることであり、このことをそれとして見なさないと話が噛み合わない。不破はなぜこのように党史を避けようとするのだろうか。
考えても見よう。日本共産党は戦前からの最老舗の政党である。その政党が自身の歩みを記して多くの賛同を得ようと努めることは責務でも有ろう。その党が実際に為していることは、画面一ページほどのズタズタにされた党史のプロパガンダである。おまけにご丁寧にも、著作権・日本共産党と明記して、口コミしてあげようにもいらぬお節介とばかりの権利意識を剥き出しにしている。一種の権益、多種の統制を得手としていることがわかる。 ここをおかしいと思わないような感性では、社会批判してみても覚束ない。なぜか知らぬがそういうことを云ってみたい秋のたそがれどきである。しかし、島氏の件で触れたが、何も共産党だけが感性が貧しているというのではないみたいである。いまどきの新左翼(といっても、いつまでも新左翼でもなかろうが)の感性もひどい。私は甲殻類ではないのだがアワをくっている。まぁ、いずれ近いうちに私の指摘の「先見性」が見えてくるだろうからしつこくはいわないことにする。 それはそうと、今日の党首会談は一体何なんだ。森のいまいちさは国民的に周知されているが、三野党の党首の能力がそれ以下のレベルであることを知らせることになった。こうなると、攻守所をかえて森の方から党首会談やろうと呼びかけ野党が逃げまくる構図が早くも見えてきた。森のほうが正々堂々愛嬌があり、野党のそれは姑息・卑屈・無内容・より弱脳というのが大方の受け止め方だと思う。 あぁ日本が溶解していく様が見える。一体、こんな国に誰がしたんだ。右翼は、その原因を自主防衛の気概の無さに求めているかのようである。私は、民衆側とされている社共指導部の端からの投降性の賜物と見ている。この連中がいかに狡猾姑息に戦後の大衆運動をわき道へそらしてきたかが戦後から今日までの軌跡である。特に共産党の宮本以下は連絡線は違っても野坂と同根と見ている。ここが、私と他の多くの共産党批判者との立場が違うところでも有る。宮本ー不破党中央を批判して、共産主義運動の不治の病性ないしは限界を説教してくれる人は多い。れんだいこはそうは見ない。特に日本では共産主義運動がそれとして為された歴史が未だにないのだから。やってもないものを間違っているなぞと聞かされ続けられるのは却って迷惑な話である。 宮本ー不破党中央の党指導は、そういう変調型党運動の中にあっても更に又違筋である。この違筋性をそれとして見つめておかないと議論が空回りする。このたびの党大会はその明文的確認の場となる。この明文化によっても分からない者にはつける薬がないと申しておこう。サルの四文字運動で死ぬまで掻きつづければ良いだろう。 |
Re:不破の云いたい放題にもの申す 投稿者:れんだいこ ( 10/28 13:26:59 ) |
私もええ加減に赤旗論評止めたいんだが、気になる記事が多くてどうしてもしゃしゃり出てしまう。2000年10月27日(金)「しんぶん赤旗」に「焦
点 参院非拘束式 強行 与党 世論を恐れた 野党 世論に訴えた」が掲載されている。この見出しだけで、不破党中央「党内討論を恐れた」と言い換えたくなる。記事の内容を見るに「参院につづいて衆院でもわずか十時間余の審議で強行採決し、『非拘束名簿式』導入法案を成立させました。国民の批判を恐れる与党と、議会制民主主義の大義をまもり、世論に訴えてきた野党。一カ月間の国会でのたたかいの決着は、改悪公選法のもとでたたかわれる来年夏の参院選で下されます」とある。これはそのまま現在進行中の党規約改定討議のプロセス批判に使えるのではないのか。不破の頭の中を覗いてみたいが、負けず劣らずのことをしておいて、何でこんなにしゃぁしゃぁと自民党を批判できるのだろう。
「過半数をもっている連立が、自分に有利になる改正を、参議院のようなやり方で通すのは、まるでヒトラーのナチスと同じではないか」与党の暴走には、自民党若手衆院議員からさえ、こんな声があがるほどでした、とある。同じ論理で、党中央はナチスばりの規約改定を急いでいるのではないのか。最新情報で、「さざなみ通信」支持派の「アカ狩り」、「レッド.パージ」を始めたようである。私は、不破のこうした二重性格がホント理解し難い。 次に、「制度を改悪しようという暴挙に結束してたちむかった日本共産党、民主党、自由党、社民党の野党四党の訴えは、日に日に広がりをみせました」とある。ほんとぅかいな、そうかいなとも思うが、共産党が、民主党.自由党と行動を組んでいる論拠をその前に聞かせて欲しいと思う。民主党.自由党は細川政権の流れを汲んでいるが、共産党は「新帝国主義者として自民党よりも反動」なる規定をしていたのではないのか。そういう連中と提携している今現在の論拠を明らかにすることが、その前に優先される「公党の責務」ではないのか。 ちなみに私は、現在の行動がオカシイといっているのではない。細川政権を「新帝国主義者として自民党よりも反動」としてきた規定がオカシイといっているのだ。世に尻を拭かないという言葉があるがまさに現在の行動は垂れ流しの図ではないのか。これでは、その都度まともに党中央のいうことを信じてきたものは馬鹿を見させられるではないか、ということが云いたいわけだ。「さざなみ通信編集部」は、私と丁度反対の方向からではあるが、このことにこだわりを見せている。当然といえば当然であろう。 もう一つ興味深い記事が出ている。「参院選挙制度改悪 “国民の前での議論がこわいのか”不破委員長指摘」とある。これもそのまま「党規約改悪“国民の前での議論がこわいのか”」と云いたくなる。不破氏は、「自民、公明、保守の三党は参議院段階では整々たる審議の味方みたいな顔をしてみせたが、国会が正常化したとたん、衆議院ではわずか十時間の審議で強行採決してしまうという暴挙にでた。これは、いまの政権党が国民の前での議論をいかに恐れているかを暴露したものだ」と批判し、「国会では数の力で強行できるが、国民に背を向けた反民主主義の勢力は国民のあいだでは没落せざるを得ない、そういう答えを、来年の参議院選挙でしっかり出したい」と語りました、とある。この読み替えは各自に任すとして、この御仁は、「どうしてここまでごう慢になれるのだろう」。「客観的には“死に体党中央”なんだが、委員長も書記局長も“死に体”と自覚していない。どんなピンチになってもピンチと思わない。そこが強さかもしれないね」。 私は、今回の規約改定、次に待ち受ける綱領改定を不破−志位執行部の引退興業と見ているが、置き土産というものは普通は上等なものを置いていくのが礼儀なんだが、えらい臭い最後っ屁かましてくれるようで、まぁそれもこれまでの悪業に相応しいとは思うけど、恐らく「石持て追われる」だろうなぁ。さて、党大会の実況中継を聞かせてくれる人をこれから捜さなくっちゃ。どなたかおられませんかねぇ。 |
Re:志位の云いたい放題にもの申す 投稿者:れんだいこ ( 10/30 13:52:36 ) |
私もええ加減に赤旗論評止めたいんだが、気になる記事が多くてどうしてもしゃしゃり出てしまう。「中川長官の辞任表明について 志位書記局長がコメント 2000年10月28日」を逆コメントする。
1、「中川氏の辞任は当然だ」。 (ボソボソ)当然とは思わないなぁ。 2、「辞任の直接の契機となったのは、付き合っていた女性に、覚せい剤捜査に関する情報を漏らした疑惑が、テープの公表によっていい逃れできなくなったことのようだ」。 (ボソボソ)つまり、直接のお仕事の粗相ではないということだな。 3、「これはこれとしてきわめて重大だが、同時に中川氏については、暴力団と一体ともいえる右翼団体との深いつきあいという疑惑がある。これはやみの勢力と政権中枢との癒着というきわめて深刻な問題だ」。 (ボソボソ)「暴力団」、「右翼団体」、「やみの勢力」と何気なく使っているようであるが、政党の長というのは言葉を厳密に使わないとあかんなぁ。社会小説風にはそう書いても問題少ないが、「公党の責任」としてはですねぇ、そういう煽りはしないもんなのよ。いつ「アカ」、「左翼団体」、「陰謀勢力」に書き換えられるかわかんないでしょう、だからそういう先験的論理を弄ばないのが左翼のマナーであるとして教えられてきたんだけど、志位さんは不破さんにどういう風に教わったんだい。聞かせてみてよ。 4、「さらにいえば日本青年社は、尖閣列島問題で実力行動をおこなうなど、日本政府の方針とも異なる挑発行動を繰り返してきた。そうした右翼・暴力団とつきあってきた事実はすでに明りょうである」。 (ボソボソ)だからぁ、そういう結社.集会.表現の自由は認められており、ここを認めないと憲法守れないのと違うかなぁ。「右」だからイケナイというのはいつ「左」に襲ってくるかわかったもんではないということは既に述べたでしょ。そういう下地を準備してることになるんだけど、意識的にやってんかいなぁ。 「日本政府の方針とも異なる挑発行動を繰り返してきた」がいけないのなら、反政府運動総体がいけないということになるんだけどね、違いますかぁ。志位さんよ、あなたの話はどうも危なかしくって聞いてられない。だからぁ、そういう社民運動やるんなら、共産党という名前ではやりなさんなと前々から言ってあげてる。よぉと考えてみてみ。 5、「この問題では、内閣の答弁書として『関係ない』というものを出している。内閣全体の問題であり、首相の任命責任が問われる。暴力団と深い関係にある右翼団体との関係を知った上での任命だったのか。知った上でかばってきたのではないか。首相の責任は重い。予算委員会をすぐに開いて、責任を明確にすべきだ。 (ボソボソ)それは一理ある。中川さんは政府の機関役員だからね。しかし、そういう区別ができるのなら、野坂名誉議長の失脚時に、当時の機関役員はなぜ「責任は重い。中央委員会をすぐに開いて、責任を明確」にしなかったんだい。何十年も党内反対派の追い出しと右傾化路線シフトにお手てつないで二人三脚してきていたんではないかい。人の振りなじる前に胸に手を当てよ、ということわざがあるよね、まず手本示さんとね、批判ばっかでは人が信用しない。 |
Re:もうよそのことはどうでもいいよ 投稿者:れんだいこ ( 11/02 11:43:39 ) |
ここ一年共産党をウオッチしてみて、「もうよそのことはどうでもいい、お前のとこはどうなんだ。よその悪口言うのは百年はやいわ」と云いたくなっております。この認識はナイーブなれんだいこだけのものなんでしょうか。一人しこしこかきつづけているのでわかんないが、まさか私一人の思いではないという気がする。 2000年11月1日「しんぶん赤旗」に「森内閣支持率急落続く 毎日新聞は15%」記事が出ている。それによると、世論調査の結果が、森自公保内閣の支持率が10%台と「危険水域」に突入しているということらしい。内閣「支持派」は9月調査から5ポイント減少して15%、「不支持派」は前回から4ポイント増加して58%となった。今回の結果は、1969年10月調査以降「3番目の低さ」であり、「過去の事例からすると『危険水域』に入った」と報じています、とある。テレビ朝日系の番組「ニュースステーション」が30日夜の報道でも「支持率」歴代ワースト5位の17.2%とでているようだ。 「支持率急落で“森離れ”現象」の見出しで、「森内閣の支持率が各種世論調査で急落し、政権の前途に暗雲が垂れ込めてきました。一連の問題では、自民党若手議員だけでなく、橋本派や与党の公明党にも“森離れ”現象が広がりつつあります」とある。 ところで、これが云いたいのだが、森内閣の支持率に関心を持つ我が不破−志位党中央は、自らの支持率に対しては関心もっていないのだろうか。マスコミもこういうのをやってみれば面白い。政府のみならず、各メジャー党の執行部の党内及び世論の支持率を系統的にデータ化してみたらどうだろう。 それともう一つ。不破の30年に及ぶ堂々たる長期政権はこの党以外にないのだが、その理屈はなんだったっけ。議会制民主主義、党内民主主義を作動させた結果そうなるという仕掛けをもう一度聞かせて貰いたくなった。どういう理屈をこねればもっともらしくなるのかなぁ、今日は妙に改めて聞きたくなった。どなたか教えてくだされば助かる。私は、真面目に考え出すと脳を患いそうで、自分で確かめる根気がないのよ。 |
(私論.私見)