ヒゲ虎時事評論18 |
このたびの党首討論考 投稿者:れんだいこ ( 04/05 21:34:15 )
2001年4月 5日「しんぶん赤旗」に党首討論が行われたことの記事が載っている。志位委員長が得意満面、「科学的社会主義」の指し示す舌鋒鋭くして森首相を追い詰めたものと推測しているが、いかがあいなりましたのでしょうか。
志位委員長 いま国民が政治にもっとも強く望んでいるのは、「この深刻な不景気をなんとかしてほしい」という点にあると思います。私はこの点について、うかがいます、と切り出したらしい。
私には、「この深刻な不景気」ではなく「深刻な体制危機」のように思えるが、まぁそれはいいか、先を急ごう。
志位曰く、概要「いまの日本経済の最大の問題点というのは、経済の六割を占める個人消費が冷え込みきっているというところにあり、ゼネコンに向かう公共投資、大銀行に向かう金融対策というやり方では家計がよくならないというのが明りょうになった」と述べたようである。
次に、共産党の「緊急経済提言」の説明に移り、三つの提言をしたようである。第一は、消費税の問題ですが、これは五%に値上げしたところから大不況が始まっているわけですから、三%に引き下げる。
この間一時的にかも知れないが、これ以上は上げさせないとの5%容認論を打ち出していたと思うが、今は3%切り下げ論にシフトしていることが分かる。それならそれで消費税廃止論との比較検証しているのかというと、聞いたことが無い。いつのまにか3%論になっているが、こうなったら「科学的社会主義」で行くと3%論が正しいということの説明を是非願いたいですな。
第二に、社会保障の問題ですが、医療、年金、介護、雇用保険、これで今年で三兆円、来年で一・五兆円もの負担増が計画されていますが、これを凍結して、将来の安心できる体系をつくる。
まっこれはいいんだろうけど、国庫空っぽの危機が予見されている時に、具体的にどう対応するのか、ただ反対ではなくて実践的な提言がいるとは思うワナァ。
そして第三に、雇用危機の対策に乗り出して、とくにサービス残業(ただ働き)についてはただちになくして雇用を増やすと、これをめざしていく。
これはいつも思うんだけど、我が資本家はそんなに物分りが良い人たちなんかいなぁ。「ただちになくす」というのではなく、どうやったら「ただちになくなるのか」提言するのが提言なんとちゃうかいなぁ。まっもっとも、「サービス残業問題」どころか、リストラ問題、経営危機問題の方が我々の関心の一番でして、あさっての方の「サービス残業問題」を持ち出したりするから、ピンぼけ提言になるんだろうなぁ。
従って、「家計を直接応援して景気対策をやるべきです」という「すべき・すべし論」では、何にも云っていないことになる。森さんが「大変、申し上げにくいんですが、共産党のみなさんは、そういう一部分だけをとらえて、そこだけをこうすればいい、ああすればいいということになるわけですが」と切りかえしているのは、つまりおちょくっているということだな。まっおちょくられる方も悪いワナ。
最後に、「自民党、公明党は経済失政の責任をとって、総退陣願いたい。このことを申し上げて終わりにします。(拍手)」となったらしい。
かえりみて、このたびの党首討論は全くナンセンスの極みという印象が正解。例えて云えば、子供に将来何になりたいと聞いて、答えた言葉が「私は○○、あたしは△△、僕は××になりたい、なれたらいいなっ」という程度の「提言」して、党首討論にぶつけたところ、逆にチクリとお説教聞かされたということのようですね。
さすがに品格を重んじた討論は中身は無いがおだやかだな、日本は平和だということかな。
Re:自民党の総裁選に思うこと。 投稿者:れんだいこ ( 04/06 17:57:06 )
2001年4月6日「しんぶん赤旗」は、投票は24日 自民総裁選、記事を掲載している。これにコメントつける。
自民党は五日午前、総裁選の二十四日投票を決め、総裁選の方法などについて同党国会議員の意見聴取を開始、森喜朗首相の後継選びを本格化させました。−−−各派の駆け引きが激化しています。
日程については、古賀誠幹事長が党本部で記者団にたいし、投票日を二十四日とする方針を説明。その理由について「多くの県連が予備選を予定しており、二十一、二十二日を活用することが予想される」とのべました、とある。(以下略)
いつも疑問に思うことは、自民党の総裁選出方法はなんでこう民主的なんだろう。権力とは闘い取るものだという不文律が生きており、派閥間駆け引きも面白い。ちなみに私は派閥が生まれるのは当たり前で、派閥を無くそうなんてことは空論という認識をしています。見解の違いをどう調整するのかがサル族の末裔の宿命として受け入れています。
選ばれるまでは争い、決着がつくと粛々と首相に担ぎ出していく。それさえ出来ぬ党が恥ずかしげも無く、総裁選出過程の「非民主的」部分を揶揄している。(以下略)とした部分はその下りである。歌の下手な歌手が上手な歌手の歌い方にケチ付けしている例、幕下の力士が横綱の相撲の取り方にいちゃもんつけてる例に似ている。
自民党の危機は、いつのまにか政権取りを堂々と争うという闘いが出来なくなって、ポスト利権に群がりつつあるということにあるように思われる。総与党化現象とはそういうものであろうが、それさえ出来かねているのが我等が野党各党ではないのか。その中でも最も奇妙な腐臭を放っているのが共産党で、この党の場合一度政権を握ると永世権のようである。
「民主主義」を護れという場合の「民主主義」とは一体どのようなことを指して云っているのか、互いに一度バラしてさらけ出したほうが良いのではなかろうか。私が思う「民主主義」とは、「知らしむべからず、よらしむべし」の反対のものであると思うが、「民主集中制」の本来の意味は別として、この適用がなされると反対物に転化して、「知らしむべからず、よらしむべし」に直通してくるという現象が生まれるように思われる。この辺りは内実を知れば知るほど氷嚢無しには語れなくなるから、これでおしまい。
Re:久しぶりの返歌。 投稿者:れんだいこ ( 04/07 17:20:16 )
2001年4月7日「しんぶん赤旗」は、森首相が退陣表明 政権1年 失政と腐敗に無反省のまま、なる記事を掲載している。これにコメント付ける。
森喜朗首相は六日午前の閣僚懇談会で、緊急経済対策の取りまとめを受け、「退陣する決意を固めた」とのべ、はじめて正式に退陣を表明しました、とある。
これまで森首相の二枚舌を批判してきた党中央は、不明を恥じねばならないだろう。先に事実上の退陣表明が為されていたのであり、それを「惻隠の情」で受け止め得ず、為にする批判を繰り広げてきた痴呆野党の二枚舌こそ刈ってやらねばならない。
昨年四月、小渕恵三前首相の緊急入院で後継に就任した森首相は、日本経済をどん底においやった失政、首相の資質を欠いた問題発言、相次ぐ金権腐敗事件など、自公政治のゆきづまりの末に、わずか一年余で退陣に追い込まれました、とある。
「わずか一年余で退陣に追い込まれた」ことが良いのか悪いのかは別にして、「万年執行部」に留まっていることが良いことの論拠にはなるまい。
経済対策などを“功績”としてあげる一方、自らの失政、悪政にはひとことの反省もありませんでした、とある。
そういう批判を人に向けるのは楽なんだ、誰でもいえるワナ。
首相は三月十日の自民党五役との会談で、与党内には「退陣」と受けとめられる「総裁選前倒し実施」を表明しましたが、国民と国会向けには「退陣」を否定。一カ月近く辞めるか辞めないか明確でない首相が居座るという憲政史上例のない政治空白が続いていました、とある。
まだヌケヌケと饒舌で為にする批判をするか。
最後に、志位委員長が談話で、「森首相は、本日、正式に退陣を表明した。退陣そのものはすでに周知の事実であり、遅きに失した表明である。重大なことは、森首相が退陣の表明にあたって、『緊急経済対策をとりまとめた機に』というだけで、これまで国民からきびしく批判されてきた失政や失言の数々について、一切の反省もなく、頬(ほお)かむりしたままであることである。こうした態度は到底許されるものではない。こういう首相をつくり、国民の批判を無視して延命させつづけてきた自民・公明・保守三党の責任もきびしく問われなければならない。」で締めくくっている。
私が返歌してみる。「森首相(→志位委員長)は、本日、正式に退陣を表明した。退陣そのものはすでに周知の事実であり、遅きに失した表明である。重大なことは、志位委員長が退陣の表明にあたって、『緊急経済対策をとりまとめた機に』(→『規約と綱領の改定を機に』)というだけで、これまで国民(→党員)からきびしく批判されてきた失政や失言の数々について、一切の反省もなく、頬(ほお)かむりしたままであることである。こうした態度は到底許されるものではない。こういう委員長をつくり、党員の批判を無視して延命させつづけてきた自民(→党員)・公明(→党友)・保守→支持者)三党(→三翼賛団体)の責任もきびしく問われなければならない」でどうかな。
Re:自民党総裁選雑感。 投稿者:れんだいこ ( 04/09 13:05:19 )
老いたりといえどもやはり自民党で、次期総裁のイスをめぐって候補者が次々に急速浮上しつつある。この間自民党執行部は、旧田中派内竹下派、福田派、大平派、中曽根派の4派閥野合によって政権たらいまわしをしてきた。政策は似たり寄ったりで、既成利権の擁護とび縫策で経済活力の長期低落事態をより深刻化させてきている。政権たらいまわしに対抗する勢力が現れるのか、そして健闘するのかが見ものである、とれんだいこは考える。
この成り行きによって、再々度失望感が生まれるなら、民主党・自由党フォローの風が吹くと考える。私は民主党・自由党の流れを面白がっているので、従って、この微妙な風向きに様子見しておく方が得策かも知れないので以下ダンマリ決めよう。
で、問題は、野党勢力はそれなりに首相候補を立てて、自民党総裁選でしこりをのこした側の取り込みで、あわやのりこのところまで追い込むような工作しているのかということにある。恐らく、ボケーと指をくわえて参院選参院選と選挙のことしか考えていないと思われるので、やっぱ自民党以下だよね。揺すって揺すってこそ政権代替可能性として評価が高まっていくと思うんだけど。ここがしっかりしたら、自民党内冷や飯組みが本気でツテを求めてくると思うのに、毅然とした動きがないから、アドバルーンばかりでは信じられないから動けないとか思う。
自民党4大派閥は器量が狭くなっており、この自民党冷や飯組みを引き続き干すことにしか能を見せていない。誰が言っていたのか忘れたが、「鉄板焼きで猫踊りさせる」とかいう感性で党内反対派を駆逐していた、おぞましさよ。つまり、その昔の椎名裁定なぞ夢にも思いつかない連中が鶴首会議するばかりである。こったら事態であるので、ドドドーンと楔打ち込むような策士が現れると面白いのになぁ。という訳で、暫く学芸会を見せてもらおう。
Re:「公明主義」と「科学的社会主義」の選挙分析の優劣について。 投稿者:れんだいこ ( 04/10 17:19:02 )
地方選結果(4月8日投票)記事の公明党と共産党のそれを比較してみる。
公明党は、「3町で過去最高得票」という見出しで、福島県浪江町議選につき、公明党新人の橋爪光雄氏(56)は881票を獲得し、第3位で初当選を果たした。得票数は、前回選挙に比べ211票増で過去最高得票となった。議会(定数22)の新勢力分野は公明1、共産1、無所属20(前回=公明1、共産1、社民1、無所属19)。当日有権者数は1万7,785人、投票率は73%。岡山県美作町議選につき、定数2減の中、公明党現職の浜田雅己氏(61)は過去最高の698票(第2位)を得票し、2期目を飾った。公明票は前回票に173票を上積みした。補選で2議席目を獲得していた共産は1人が落選した。定数16に対し、当選者の党派別内訳は、公明1のほか、共産1、無所属14(前回=公明1、共産1、無所属16)。当日有権者数は1万663人。投票率は84.26%。岡山県和気町議選につき、定数2減の中、公明党現職の池原弥生さん(60)は前回に101票を上乗せした、過去最高の713票を得票し、第3位で当選した。2議席だった共産は、現職1人が落選した。定数16に対し、当選者の党派別内訳は、公明1のほか、共産1、無所属14(前回=公明1、共産2、無所属15)。当日有権者数は1万404人。投票率は85.02%。岡山県御津町議選につき、公明党現職の桐山正人氏(43)は前回票に28票を上乗せした621票を得票し、第1位で当選した。共産は前回比34票の減。定数14に対し、当選者の党派別内訳は、公明1のほか、共産1、無所属12(前回=公明1、共産1、無所属12)。当日有権者数は8548人。投票率は80.24%。
共産党は、「」12町村で16氏当選 前回比3議席増」の見出しで、立候補した一市十一町四村(補選は一市、一町)の二十二氏(現十三、新八、前一)のうち十二町村の十六氏が当選しました。今週は、無投票当選した山梨県竜王町、埼玉県吉田町をふくめ、前回比、改選時比ともに三増でした。
北海道中富良野町、鳥取県羽合町(定数三減)、長野県八千穂村では、現職と新人が当選、複数議席を勝ち取りました。高知県香北町では、現職二人(一人は推薦)が当選、現有二議席を確保しました。福島県河東町(定数二減)では、新人が当選、党議員の死亡で失った党議席を回復しました。福島県浪江町、福島県湯川村、鳥取県郡家町(定数二減)、岡山県御津町、長野県豊田村では現職が当選、それぞれ現有一議席を確保しました。岡山県美作町(定数二減)では、現職二人のうち一人は当選したものの一人は落選、前回当選議席は確保しましたが、補選で一から二議席にふやした現有議席の確保はなりませんでした。岡山県和気町(定数二減)では、現職とバトンタッチした新人が当選を果たしましたが七期目を目指した現職は落選、議席を二から一に減らしました。
私がいいたいことは、公明党のほうが前回と今回の議席、投票獲得数等の変化情報についてやや詳しい。決して十分ではないが、「公明主義」の片鱗を見せている。共産党のほうがもっと粗雑で前回からの変動に対して分かりにくい。「科学的社会主義」の分析とはこのようなものなのだろうか。それと、この両党は、調子が良いときも悪いときも大本営発表にならず、事実を事実として発表し、教訓を汲み取る勇気があるのだろうか、この点どうなんだろう。
Re:市田書記局長よ、批判にも『道理』がいるのではないかいね。 投稿者:れんだいこ ( 04/12 20:51:03 )
2001年4月12日「しんぶん赤旗」は、森政権を支え、失政への反省がない 自民党総裁選で市田氏、なる見出しの記事が掲載されている。これにコメントする。
日本共産党の市田書記局長は下関市での演説のなかで自民党総裁選の問題にふれ、重要な課題が山積する国会会期中に、政権党である自民党の都合で政治空白をつくることは前代未聞だと批判。自民党の古賀幹事長が九日の市田氏との会談で、「迷惑をかける」と謝ったことも紹介しました、とある。
この記事で、赤旗は何がいいたいのだろう、「国会会期中の自民党の党首選」が「前代未」なことだと云われれば、そうかも知れないが確たることは知らないのでなんともいえない。どうせしょうもない国会論議しか為しえていないので、目くじらするほどのことでもないと思うが、「前代未聞」であれば、それだけ野党がなめられているということだろう。
「自民党の古賀幹事長が九日の市田氏との会談で、迷惑をかけると謝った」とあるが、これはどういう意味なんだろう。謝らねばならないようなことを自民党がしているということ自体を古賀幹事長が認めたということを論証しようとしているのだろうか。謝らせた共産党がエライとでもいいたくて胸を張ろうとしているのだろうか。私には、政権与党がこうまで誠実に野党に根回ししている様が窺えて、与党はエライと逆に思う。
また、総裁選に出馬がとりざたされている四人の候補が、いずれも森政権を支えた責任があるにもかかわらず、退陣に追い込まれた失政に口をつぐんでいるのが特徴だと指摘、したとある。
これも為にする批判であろう。同一政党内で後続候補(政権)が旧政権を悪し様に云うことは基本的には有り得ない。この浪花節が分からないのは共産党ぐらいなものであろう。同じ看板の下なのに、新・宮顕政権は旧・徳球政権に対して口を極めて罵ってきており、悪し様に云えば言うほど良しとしている。やれ分派がやったことで関係ないとか、その分派をやっつけてきたのが我々であって褒めて欲しいとかいうたぐいの話を平気でしてきている。自民党がそういう作法をしないからといって悪し様に云うのはよしこにして欲しい。
最後に、「国民が望んでいるのは、自民党の政治そのものを変えることだ」と強調しました、とある。
共産党中央は分かっていないのかご都合主義なのか。国民が望んでいるのは、正確にいうと、「自民党の政治そのものを変えることだ」ではなく、「自民党『的』政治そのものを変えること」であって、自民党政治を批判するだけの仲良しクラブ調、大政翼賛会的政治そのものからの訣別だろう。
しかし、面白いことに4候補にあれこれ言及してみるものの、さすがに党首選システムそのものに対して批判的なコメントが出来ていないことが笑わせられる。議会専一主義運動と「民主集中制」政党論をつつがなく説明しているその舌でもって、「党首を党員が直接選挙で選ぶ手法」が進んでいるのか遅れているのか見解を披露してみてくりや。
Re:李台湾前総統訪日を拒否する赤旗・志位コメントについて。 投稿者:れんだいこ ( 04/13 17:14:55 )
2001年4月13日「しんぶん赤旗」は、李台湾前総統訪日は賛成できない 志位委員長が指摘、なる記事を掲載している。これにコメントつける。
志位委員長は十二日の記者会見で、台湾の李登輝前総統の訪日ビザ発給問題について問われ、次のような三段論法で「賛成できない」としたようである。@・「日中関係でもっとも重要なことの一つは、日本側が『一つの中国』という立場を大原則として守り抜くことにある」、A・「『一つの中国』という立場は、国際的な大原則であり、日本側から逆流をつくってはならない」、B・「李氏は前総統という政治家、公人であり、来日を認めることには賛成できない」。
しかし、志位は自主独立路線からして少しは具合が悪いかなと思ったのだろう。以下補足して次のように述べている。李氏が、「日本での心臓の再検査」を訪日理由にあげていることについて、李氏の主治医が「李氏の健康状態に問題はなく、再検査のための訪日についてはなんの相談も受けていない」とのべた現地の報道(十日付台湾発中央通信社電)を引きながら、「主治医と相談することなく、再検査を理由とした訪日準備を進めることは一般に考えられないことであり、健康問題は訪日の理由にならないと思う」とのべました、とある。
上記の三段論法からすれば、主治医云々は蛇足であろうが、そういう玉虫色にするところが不破−志位らしい。
これにつき意見発表する。徳球−伊藤律路線式自主独立路線と宮顕−不破式自主独立路線の違いが見えて面白い。徳球−伊藤律路線をれんだいこが代弁して次のように見解を発表したい。「李登輝は前・台湾国総統であるからして現実に執政する任についていない。その李登輝の今回の来日は病気の治療のためであると聞かされている。これは人道上のことであるからして当人の希望をかなえない訳には行かない。李登輝氏には、滞日中の際、日中の平和友好に水を差さないよう節度を保たれることを期待する。今回の措置は人道的見地からの配慮であり、これによって日中関係が損なわれることはないと信ずる」。
というような見地でどうだろう。ごちゃごちゃ云われたら、内政干渉は差し控えてもらいたいを追加する。しかし、毛沢東の善政時代なら、かようなことで文句はいってこなかったはずなんだけどなぁ。
さて、宮顕−不破式自主独立路線を踏まえた志位のこのたびの見解は、せめて幹部会に諮ってのことだろうか。いくらイエスマンばかりで構成されているとはいえ、機関運営主義にしておかないと、後世になって「あれは志位の個人プレー」云々で済まされてしまう恐れがある。これでは政党のていをなしていないっちゅうのっ。
Re:日ソ領土交渉に対する赤旗論文について。 投稿者:れんだいこ ( 04/14 21:03:03 )
2001年4月14日「しんぶん赤旗」は、日ロ領土問題と平和条約交渉について 森・プーチン会談と「イルクーツク声明」は何を示したか論文を掲載している。これにコメント付ける。
日本共産党の政策委員会と国際局は云う。千島列島全体が日本の歴史的な領土である。その理由は、幕末から明治にかけての十九世紀後半にロシアと江戸幕府が公的に画定したからであるという。しかし、そんなことが通用するなら、公的に確定された文書探しで、世界の国境はてんやわんや騒動になるのではなかろうか。
法匪共産党中央は公的文書として次の事例を挙げる。一八五五年(安政元年)の「日魯(にちろ)通好条約」は、択捉島と国後島の南千島は日本領、得撫島から占守島までの北千島はロシア領とし、択捉島と得撫島のあいだの海峡を日ロ間の国境とする、樺太島については、両国間の境界を決めず、従来どおり日本人もロシア人も自由に活動できる“雑居の地”とすることに決めた。
その二十年後、一八七五年(明治八年)に「樺太・千島交換条約」が決められた。この条約によって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となった。
こういう経過で平和的な外交交渉によって千島列島が日本へ帰属したのだから、これが「日本とロシアとのあいだの歴史的な境界線となるべきことは、日ロ外交史が示す自明の結論です」と云う。
しかし、共産党中央の挙げるこの文書によってさえ、逆に境界は動いていることが証左されるではないか。ご都合主義論理を党内で振り回すのは勝手だろうが、党外、世界へ向けて発信するのはちと恥ずかしい。
当該地先住民からすれば、迷惑な大国間取引により取り決めだろうし、現在の国境策定を過去の史実から引き出すという手法そのものが変態だろう。不破式道理論がどこまで通用するのか、私にさえ通用しないものを振り回すとは痴呆の極みだわ。この不破式論によれば、日清、日露、第一次世界大戦を通じて日本は戦勝国になり領土を併合していったが、その有頂天の時に、相手国側が返せといったら道理を聞き分けて返還せねばならないことになろうが、果たして我が日本帝国は応じた経過を持っているのだろうか。世界史にそういう事例がどれほどあるというのだろう。まず、この辺りを党中央によって解析させて見たい。
この論文は長い。次に、スターリンが如何に大国主義的に領土を召し取ったかを解析して批判している。大西洋憲章(英米共同宣言)(一九四一年)、カイロ宣言(一九四三年)、ヤルタ会談(一九四五年)で、「なんらの国際的道理ももたぬのに」併合したと非難している。奇妙なことにポツダム宣言ではどう決められたのかについての言及が無い。日本はこれを降伏文書として調印したのであるから、ポツダム宣言こそが戦後国際秩序の最重要公的文書であるだろうに、黙殺しているへんちくりん。
続いて重要な公的文書は、一九五一年のサンフランシスコ平和条約であろう。この時、「日本は、この条約の領土条項で、千島列島にたいするすべての権利、権原および請求権を放棄」してまで独立を急いだが、不破によれば、「強要された不当なもの」であるので、「そこでの秘密の取り決めに日本国民が拘束される理由は、どこにもありません」と云う。
しかしこうなると、公的文書は過去にさかのぼるほど訴求力があるということになる。これが共産党中央の公的文書観のようであるが、こういうのをアナクロニズムというのか何と言うのだろう。
この後、「スターリンの大国主義的な誤りの是正」論を展開し、「日本国民の側の大義名分」をかざして対抗せよという。歴代自民党政府は、共産党とは反対に最新の公的文書に依拠して交渉しているが、それが間違いであり、弱腰だと指摘する。
続けてこうも云う。共産党は、旧ソ連の時代に、政権党であったソ連共産党と領土交渉をおこなったさい、平和条約の締結にいたる以前に、日ソ間で中間的な条約を結び、歯舞、色丹の二島をまず返還すべきだと提案し、ソ連側に迫りました(一九七九年)。
迫ったけどどうなったのかは明らかにしないまま、自民党の交渉は拙劣だと云う。「こうして、ロシア側は何らの譲歩もしないのに、日本側が施政権放棄という一方的な譲歩の言明をおこない、その言明だけが日ロ交渉の記録に既定事実として残るという、重大な事態を招いてしまった」と批判する。「このように、ロシアへの日本側の譲歩につぐ譲歩というのが、森・プーチン会談の実質だったのです」とも批判する。
いよいよ最後。では、どうすれば領土問題を解決することができるのでしょうか、と共産党の見解を発表する。何を云うのかと耳をそばだてると、最新の公式文書サンフランシスコ条約、なぜだか触れないがポツダム宣言とそれに基づく降伏文書に依拠しないことが肝心という。そして、ロシアの世論と世界の世論に訴えることこそ必要です。「十九世紀後半の平和的な領土交渉の到達点を、両国間の国境画定の出発点、基準とすることが、強く求められています」だと。
どなたかが国境問題の基本原則についてレクチャーして欲しい。私は、共産党中央の言い分が私さえ納得させない噴飯ものだといっているに過ぎない。どう解決すべきか、難しい智慧の要る交渉だと云うのみ分かる。共産党は得意の長々論文発表してはいるものの、何のことは無い、既に指摘したように「平和裏」に画定された公式文書があれば、それに依拠すべきだと云うことを手を変え品を変え言っているに過ぎない。ついでに、当時の国際事情の考察抜きにスターリンをこれでもかこれでもかと罵詈しているに過ぎない。中身は何にも無い。
Re:左派運動にルネサンスを取り戻そう。 投稿者:れんだいこ ( 04/16 14:14:35 )李登輝訪日問題は見過ごしてはならないと思うのでどなたかツリーを設けて欲しいと思う。私は詳しくは知らないが、おかしいことはおかしいと思う感性によって黙過する訳には行かない。自民党内も分裂しているようだが、森首相は最後のコケの一念で党人政治家としての意地を見せ、外務官僚に立ち向かって欲しいと思う。れんだいこの見解は既に述べておりますので、お後を甲乙丙論でどうぞ。
それにしても、不破−志位ラインの拒絶発想は何なんだろう。ヒューマニズムが捻じ曲げられてしまうこのへんちくりんを撃て! 中国に気兼ねするという政治主義論理のようだが、こう云うときこそ是々非々でいくべきだろうに。中国との友好を真に願うなら、大衆団体まで含めてせねばならぬことがいっぱいあるではないか。そういう努力をせずに、口先だけで弄ぶこの変調よ、私は気持ちが悪い。
党中央の指導は、万事目くじら立てる方向と対象が違う。この傾向は宮顕の指導以来そうなった、恐らく意図的にそうなったと私は見ている。過去の資料を追って分かることは、肝心なときに必ずといってよいぐらいに闘おうとする勢力に後ろから水を被せる常習犯だ。にも拘らず左翼の本家意識を振り回して、あちらはニセモノこちらがホンモノと云う。
今や、全分野に渡ってこの連中の洗脳から自由になること、このことが運動の再生の最初の課題ではなかろうか。
Re:大規模運動起こすというので覗いて見たら。 投稿者:れんだいこ ( 04/17 18:53:39 )
2001年4月17日「しんぶん赤旗」は、サービス残業なくす大運動を 労働者の運動と国会論戦実った 厚労省通達を力に 市田書記局長が記者会見、記事を載せている。これにコメントつける。
市田書記局長は十六日、厚生労働省がサービス残業をなくすうえで画期的な通達を出したことを紹介し、この通達を力にして、党の「緊急経済提言」で提唱した「サービス残業なしの『経営計画』をたてさせる大運動」をおこしていきたいとのべました、とある。
どれほど画期的なのかと見ると、「使用者が労働者の日々の始業・終業時刻を確認し記録する義務があることを明記」したことがそれであると云う。「労働者の自主申告制がサービス残業の温床になっている」ので、使用者に実際の労働時間の把握と記帳の義務を負わせた。この件では、不破哲三議長、志位和夫委員長をはじめ衆・参であわせて八十七回とりあげてきたことを強調しました、とある。相当熱入れているのがひしひしと伝わってきます。
「大規模に運動をおこしていきたい」と語りました、と締めくくっている。感想を述べると、えらいけったいなピンぼけ課題に「大規模に運動をおこしていきたい」ようですね。この種のことに大規模取り組み闘争するぐらいなら他にも取り組まねばならないことが目白押しでしょうに。サービス残業禁止を切実な問題にしている層って公務員のことかいなぁ、私はクラスが違うのでピンとこない。まっこれは私の個人的な思いだけかも知れんが。
この党中央のこういう姿勢はどこからくるんだろう。労働者の闘いでいの一番の関心事は生活危機でしょう、リストラでしょう、国労のような闘う主体に対する争議支援でしょう、経営危機に対する対処法でしょう、自衛隊強制研修をどうするかでしょう、税の高負担化にどう立ち向かうのかでしょう、消費税の廃止運動でしょう、その他諸々あると思うのに、よりによって選り分けてこったらことに大規模「取り組み」闘争よびかけるのでしょうね、分かんない、気持ち悪くて仕方ない。
やっぱり云いたくなって投稿します。2001年4月21日「しんぶん赤旗」は、台湾・李登Re:ルネサンス精神を見直そう。 投稿者:れんだいこ ( 05/01 19:32:22 )
輝前総統のビザ発給に関する記者座談会記事を載せている。これにコメントつける。
どうやら要約すると、共産党中央の立場は、この間ビザ発給に消極的であった外務省の意思と
通底しているようだ。政府も官僚も時に意見が違うことがある。その時、どちらに与して論を張
るのかは非常に大事と思う。れんだいこに云わせれば、共産党中央は万事守旧派と近い不思議な
見解を見せることに特徴がある。共産党中央が、外務省のもともとの見解が正しいという理由と
して挙げる論拠は次の三点のようである。
@・李氏訪日の表向きの目的は「病気治療」で、「人道問題」というのがキーワードだったが
、実際は元気でゴルフができるぐらいだ、主治医も相談も受けておらず、李氏の心臓手術をおこ
なった執刀医も「李登輝氏の心臓の問題は、本人が思っているほどひどくない」(同前)と言っ
ている。(ボソボソ。前も述べたが、担架で運ばれてくるのならいいという意味なんかいな)
A・親台湾派の「周辺のワル」の策動であり、中曽根康弘元首相、石原慎太郎東京都知事らが
李氏にビザを「発給すべきだ」と迫り、「森首相は相当、ハッパをかけられた」といわれている
。(ボソボソ。この間是々非々主義でいくといって、石原さんのすることに何でも反対とは云わ
ないと云ったばかりでないの)
B・李登輝の来日目的は、治療とは関係なく、ただそれを口実に台湾が『独立国家』であるこ
とを示して、大陸(中国)に対抗しようと思っているという政治目的にこそ真の意図がある。(
ボソボソ。そこを断定してはいけないな。どこまでを政治活動とみなそうとしているのか分から
ないけど、記者会見、支持者・友人との交流も政治活動とみなそうということなんかいな)
概要以上を論拠にして、「一つの中国」の外交原則を守れ、「人道問題」ということであいま
いにすることは許されない。真相を徹底的に究明しなければならない、としている。
果たしてそういう対応でよいのだろうか。我々はこの時期もう一つのビザ問題を抱えている。
では、これに対して共産党中央はどういう態度を取っているのか、明らかにしてみよ。二つ並べ
て考えれば、自ずとどちらが「反動派」なのか鮮明になるであろう。
【どうしてこうも日本は遠いの】私の机の正面の壁には大きな日本地図がはってあります。自
分の国であることをなんの疑いもしなかったその日本が、なぜかよそよそしく感じられる今日こ
のごろです。
私たちは昨年の10月に帰国のための一時渡航書申請手続きを開始しましたが、未だ発給され
ず朝鮮にとどまっています。次から次へ出される追加資料の請求。お役所仕事とはそういうもの
だと言う人もいます。確かに外務省のそのような体質も関係しているかもしれません。しかし、
昨年の段階で代理申請まで認めておきながら、「北朝鮮には外国人に渡航書を出す制度はないの
か」と聞いてくるその本意はなんなのでしょうか。もし、あれば「北朝鮮」にやってもらえとい
うことではないでしょうか。私たちは朝鮮民主主義人民共和国の公民ではなく、日本国の公民で
す。その公民が日本への帰国を望んでいるのに、なぜ、日本政府は責任をとろうとしないのでし
ょうか。
現在我が国で人口の4分の1の人々が旅券を取得し、年間1万数千名が旅券を無くし、その再
発給、または渡航書の発給を受けていると言います。ということは一日何十名の人が旅券または
渡航書を発給されているということです。つまり、よっぽどの理由がない限り誰にでも簡単に取
得できるものだということです。言うまでもなく私たちの子どもはれっきとした日本本国籍をも
つ日本人であり、父母の都合で朝鮮に生まれ育ったけれども、成長して日本への帰国を望んでい
るということです。私たち女性は身に覚えのない容疑で日本政府に旅券を取り上げられ朝鮮に留
まっているのであり、逮捕覚悟でも帰りたいと言っているのに、渡航書を出さないとはどういう
ことなのでしょうか。
自分の国がこんなに遠くに感じられたことは、ありません。
れんだいこに云わせれば、どちらも認めればよいのさ。李氏を人道主義の観点からビザ発給す
ることがよど号事件の家族の帰国に道を開く大いなる第一歩になるであろう。政治とはこういう
個別課題を通しての駆け引きの積み重ねであり、李氏来日も認めない、よど号家族の帰国も認め
ないという立場こそ最悪の政治主義的役割ではないのか。
塩野七生著「ルネサンスとは何であったのか」を読み進めていますが、こんな文中に出くわRe:小泉内閣の歴史的な高支持率について。 投稿者:れんだいこ ( 05/05 13:34:37 )
しました。一部駄洒落ながら引用します。ご感想よろしければお聞かせくださいよ。もっとも、
明日あさっては留守しますけども。
「人間とは、見たくないと思っているうちに実際に見えなくなり、考えたくないと思いつづけ
ていると実際に考えなくなるものなのです」。
うーん、なるほどねぇ、上手いこというねぇ、云えるわなぁ。心ここにあらずの場合も景色が
見えなくなるしね。
「その例証としては適当かどうかは分かりませんが」として、次のように云う。「一般のドイ
ツ人と強制収容所に送られて死んだユダヤ人を思い起こしてください。ドイツ人の多くは、強制
収容所が存在することは知っていた。昨日まで親しくしていた友人が突然に姿を消したのにも、
気づかなかったはずがない。ただ、そういうことは見たくないし考えたくないと思いつづけてい
るうちに、実際に見えなくなり考えなくなってしまったのです。戦争が終わったとき、ドイツ人
は一様に言った。我々は知らなかったのだ、と。これは知りたくないと思いつづけたからに過ぎ
ません」。
れんだいこは、ここを次のように言い換えて見たい。「その例証として恰好例だと思うが、日
本共産党中央問題を挙げてみたい。一般の党員と査問され除名処分を受けた元党員のことを考え
て見てください。党員の多くは、査問が存在することは知っていた。昨日まで親しくしていた友
人が突然に姿を消したのにも、気づかなかったはずがない。ただ、そういうことは見たくないし
考えたくないと思いつづけているうちに、実際に見えなくなり考えなくなってしまったのです。
宮顕−不破−志位ラインの好査問系党中央が崩壊したとき、一般党員は一様に言った。我々は知
らなかったのだ、と。これは知りたくないと思いつづけたからに過ぎません」。
うーーん、云えてるなぁ。
「ユリウス・カエサルの言葉に、次の一文があります。『人間ならば誰にでも、現実の全てが
見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない』。この一句を、人間性
の本質を突いてこれに勝る言辞は無し、といって自作の中で紹介したのは、マキャベリでした。
ユリウス・カエサルは古代のローマ人、マキャベリは、それよりは一千五百年後のルネサンス時
代のフィレンツェ人。カエサルの言を『再興』した中世人は、一人も存在しません。つまり、中
世の一千年間、カエサルのような考え方は、誰の注意も引かなかったということでしょう」。
うーーん。面白かったでしょうといったら不謹慎でしょうが、あたしにはうーーん鋭い!と思
えたもんで、ついお知らせしました。
小泉内閣の歴史的な高支持率について、れんだいこは次のように考えます。まず、小泉首相のRe:『党首の党員公選制』について。 投稿者:れんだいこ ( 05/07 21:27:13 )
パーソナリティーが約40%自力獲得している。どういう意味かというと、ここまで最近の歴代
の首相は調整型であり、この能力では何ら事態を解決し得なかったことから食傷されているとこ
ろへ、小泉首相の断固たる改革を呼びかける気風が清新なイメージを与え、これが受けたという
ことではなかろうか。建前派から本音派への交替と云う意味もあり、このところ久しく途絶えて
いる系譜の復活でもあり、期待感が大きい。
次の要素として田中真紀子を外相に登用したことが約30%底上げしている。マスコミが各紙
こぞってノーコメントしているところが可笑しい。どういう意味かというと、この間風向きが変
わり、私のサイトの貢献もあってか(というのは手前味噌が過ぎるにしても)田中角栄見直し論
が沸き起こりつつある。この流れに乗って、久しく冷や飯を食わされていた田中真紀子が乾坤一
擲の勝負をかけ、小泉急浮上ブームの呼び水となった。底流にあるのは、能力のある政治家待望
であり、恋しや角栄ブームである。これにより、真紀子女史の登用の阻害物は除去された。
橋龍はこの流れが読めず、「本籍は佐藤派」なぞと対応し、むしろ怒りを買った。マスコミの
無定見は名物ではあるが、このたびもダンマリ決めているところが、再度云うが可笑しい。私の
場合、どうしてもここに一言せねば気がすまないが、この間角栄的なるものともっとも闘ってき
たことを自慢してきた共産党、赤旗がやけに大人しいのも面白い。なるほど角栄と真紀子は違う
が、それならそれで見解をだすべきだろうに。
次に自民党の基礎票が20%あると見る。残りの10%は、このたび自民党が見せた党首選パ
フォーマンスの影響である。どういう意味かというと、各政党にあって、いくら茶番劇だとはい
え、逆にそれさえ出来ぬ他の政党のお粗末さが浮き彫りになった。党内に反対意見の表明が出来
ぬ政党、反対派の存在が許容されぬ政党、自己の政治信条と責任において執行部の争奪に向かう
意思を持たぬ政党、闘い済んで再団結できぬ政党ばかしの中で、自民党はこれらのことを平気で
為し得る大人の政党であることを見せつけた。
これに小泉氏の「解党的出直し論」がうまくマッチした。ここに10%乗せたいが既に百%に
なっているので、パフォーマンス40%に含めることにする。小泉政権はこれから先どうなるか
不明であるが、考えて見れば党のトップが「解党的で直し」なぞと叫んで受け入れられる自民党
の懐の深さ、強さこそ、剋目されねばならないのではなかろうか。
2001年5月4日「しんぶん赤旗」は、「首相公選」論を批判 志位氏、なる記事を掲載している。これにコメントつける。このたびは批判ではありません、共に考えて見ましょうというスタンスです。Re日本共産党中央批判論の一視角 。 投稿者:れんだいこ ( 06/01 12:42:26 )
志位和夫委員長は、「5・3憲法集会」のあいさつのなかで、首相公選制について言及し、概要次のように述べたようである。「『首相公選制』とは、首相と政府を国会から独立させ、執行権力を独走させる危険をつくる仕組みだ」と指摘。「いまでさえ政府は、国会を無視して、悪法の強行をほしいままにしている。このもとで首相公選制がもちこまれたら、執行権力に絶大な権限が与えられ、国権の最高機関としての国会の地位が体制的に脅かされることになる」、「いま求められていることは、小選挙区制など民意をゆがめる選挙制度を改め、政府にたいする国会の監督機能を充実させ、国会に名実ともに国権の最高機関としての役割を果たさせることだとよびかけました」と述べたとある。
「首相公選制」はいきなりステージにあがってきた観があり、恐らく国民受けの陽動政策だろうと思うが、少し目先を変えて「党首の党員公選制」ならどうだろうね。この観点から「首相公選制」論を見ると、なかなか捨て難い魅力があるのではないでしょうか。「首相公選制」問題は、その前に各政党に、「党首の党員公選制」を提示しているとれんだいこは考えます。各政党執行部には、のど仏に突きつけられたこの課題に対してどう対応するのか見解表明の責務があると考えます。各政党によって回答が違ってもそれは結構でしょうが、この課題から逃げ回ることは卑怯です。新聞マスコミもこれを問えばよいのに。
志位委員長の言をアレンジすれば次のようになります(コメント入りです)。「『党首の党員公選制』とは、党首と幹部会を中央委員会から独立させ、執行権力を独走させる危険をつくる仕組みだ」ということになりますが、そうともいえない気がします。むしろ党首は党員の直接選挙によって選ばれ且つ任期制のものですから、むしろ独走とはならないでしょう。反対に現行の方が私物化体制を招いているのではないでしょうか。
「いまでさえ幹部会は、中央委員会を無視して、悪指導の強行をほしいままにしている。このもとで)『党首の党員公選制』がもちこまれたら、執行権力に絶大な権限が与えられ、党の最高機関としての中央委員会の地位が体制的に脅かされることになる」という論理は変ですね。既に中央委員会が形骸化させられていることを認めた上で、『党首の党員公選制』がさらにそれを促進するとは思えません。何やら詭弁話法の臭いがしますね。
「いま求められていることは、現行の代議員選出システムの党員の総意をゆがめる選挙制度を改め、幹部会にたいする中央委員会の監督機能を充実させ、中央委員会に名実ともに党のの最高機関としての役割を果たさせることだ」。おぅ、なかなか良いこと言っているではありませんか。そういう問題意識は持っているんですな、志位さんは。ということは確信犯ということになりますね。
いろいろ考えてみて漸く結論が見えてきた。私が日本共産党中央に対して抱いている不審には二つのベクトルあると思うようになった。宮顕運動の変態性を疑うという面はかなり試みてきたので割愛する。もう一つの面をズバリ言うと、これはソメチネス運動であるとして批判しているということになる。何のことか分からない人にご丁寧にも解説すると、幕末期のsometimesのローマ字読み学習のことである。この時代はこれでも意味があった。洋学の必要性を感じた者達は塾に通い、西欧文明を学ぶ窓口として英語学習に切り替えた。こうして、門下生のソメチネス唱和が始まった。これ以外には情報がなかったのであるから仕方なかったと云うべきだろう。Re:小泉内閣からのメールを頂いて思う。 投稿者:れんだいこ ( 06/14 19:21:51 )
問題は次のことにある。今日の時代にsometimesをソメチネスと読めと強制学習させたら滑稽であろう。この滑稽さを押し殺してマジな顔して目配せしながら唱和させているのが、現下共産党中央の党指導である。もしそう読まなかったら、党規律違反で指弾され調査問責されることになる。党員同士が仮にサムタイムズと発音しようものなら、民主集中制違反と綱領軽視で咎めを受けることになる。
ではなぜ、ソメチネスに拘るのか。それは、過去にサムタイムズと発音するべきであると主張した連中をあの手この手で弾圧した歴史があり、ここを糊塗して今更サムタイムズ論に変更することが出来ないからであると思われる。というか、実際には折衷的にサムチメスとでも云ったので半端であるとして一刀両断されたのであるが。
この意味で、現下党中央は、党史を党史として学ばせることが出来ない。いかにソメチネスを強制してきたかが判然とさせられるから。従って、この党中央は党史をひたすら偽造し、隠蔽することになる。党史の見直しは、無辜にして純な党員づくりを完成しつつある(といっても、だんだんカゴから抜けてきているが)折柄得策ではない。ヤバイ、それは出来ない相談だ。我が身の安泰を危なくする。エエイままよ、このままで行けるところまで行こうや、明日は明日の風が吹く、これが現下党中央の行き当たりばったり指導の本質である。
滑稽なのは、それでもどうしてもサムタイムズと発音しなおさねばならない季節がやがて来る。その時に云うことにゃ、ソメチネスは敵権力の情報閉鎖的暗黒社会に原因があり、もう一つは謀略ビラにやられたのであり、元々我らはソメチネスと読むのはおかしいと思っていた、それが証拠にソメチネスとさえ読めない文盲社会の中で始まったことを思えば、いかに先進的であったことか、とでも云って煙に巻くのだろう。戦前を見よ、これは我が党の偉大なる財産である。「50年問題」は見るな、あれは分派がやったことである、という限定相続論で切り抜ける狡知も持っている。その他その他あらゆる詭弁とすり替え話法で黒を白と云い為して糊塗するのだろう
。
インターネットに表れる反共産党中央=反共産党=反共産主義を鼓吹する連中の論理は、このソメチネス運動と論理の批判であることが多い。してみれば、そのこと自体は反共でもなんでもなく当たり前の疑問というべきだろう。この疑問の氷解無しに言い合い罵詈合い逃げ回る馬鹿さ加減の痴態がまもなく満展開させられるであろう。そういう日は必ずやってくる。なぜなら、奢る平家も久しからずのうたかたであったから。というような観点はどうだろうね。
小泉内閣のメールマガジンを登録していたら早速届きました。えらい良い時代になったなぁと感無量です。政権与党=保守、野党=革新の嘘がここにはっきりと現れているような気がします。Re:少し哀しくなるこの現実。 投稿者:れんだいこ ( 06/25 21:56:36 )
考えてみれば、二十歳代に左翼の洗礼を受けて以来30年間を過ごす身ですが、次第にこの世の現在の在り様に合理性を発見し、目を洗われている日々でもあります。世の中の縁の下の力持ちの理が分かり、綿々と良い社会作りに汗を流して来ている人たちがいて今日かくあるようにも思えてきています。この重みを重みとして受け取ること、これは非常に大切なことではないかと気づかされています。
それでも私が左翼たらんとするゆえんは、今日の生産力を持ってすれば、システムの回路さえうまく仕替えればもっと合理的な社会関係がつくられるはずだと確信するからです。努力する者が報われる、貧乏人にも一旦は等しく出世機会が与えられるべきであると思うからです。最近この面が壊疽しつつあるように思われますが、まだまだ捨てたものではないとか何とかせねばとか思っています。戦後から今日までたまたま我が社会は史上未曾有の良い時代足りえていると思っています。大きく見ればそう云えると思います。
この戦前戦後の質的変化を見ないままに、我が戦後左翼は、暗黒権力史観、階級史観をご都合主義的に振り回して、口先の反対運動に終始して事足れりとすることによって、ヒラメの目の党組織をつくることによって、その結果社会的貢献から大きく立ち遅れてきたのではないかとか思う。もっとはっきり云えば無用の長物化しており、市民運動の盛り上げの方が却って有効ではないかとさえ思われます。
小泉内閣のメールマガジンで思うことは、身近な議員でも思うことは、自民党のほうが革新的で聞き分け上手で、人物的にも面白いということです。決して金力の為せる技だけではないでしょう。民主党にせよ、自由党にせよ、自民党の分派であって、このラインは当然のように権力を目指しています。ここが万年野党組とは違って支持されている所以のところではないでしょうか
。
このたびは一歩先にやられてしまいましたが、民主党も自由党も党首メールマガジンをやれば良いのにね。菅、加藤さんあたりが先鞭つけておりますので、どちらが先とか言うことなしに良いことはどんどんやれば良いと思われます。
ここから先は氷嚢無しには語れませんのではしょります。さぁて、こういう政治姿勢がうたかたではありませんように、元気印の青少年が生まれ、国家再生のプログラムに自力切開でかまびすしく向かえればよいのですけれどね。
(あたしもコメントをば)Re:行き掛かり上コメントをば。 投稿者:れんだいこ ( 07/27 19:47:23 )
各党の都議選総括を覗いて見たら、自由党だけまだコメントが無い。常々ホームページの更新が為されていないことを指摘しているが、小沢も焼きが回りすぎてらぁ。タッソも要らぬことを云うぐらいなら、何とかセンカイ。
それにしても哀しい現実がここにある。東京都議選の結果について(談話)で、社会民主党幹事長・渕上貞雄のコメントが次のように為されている。概要「わが党の候補者は、全員善戦、健闘したが議席には届かなかった」、「候補者が少なく東京都全域にアピールできなかったこと、また候補者全員が新人であり、知名度が浸透しきれなかったことなどが当選に届かなかった要因と考えられる」、「再生に全力をあげ、捲土重来を期す」等々とある。
この論調は共産党のそれに酷似している。言い訳論理と「捲土重来を期す」までそっくりさんである。共産党も元の木阿弥に戻り、合わせて社共戦線は政治戦線の片隅に追いやられてしまったことになる。この現実を本当に痛苦に受け止めている者がいるのだろうか。自業自得だから仕方ないといえばそれまでではあるが。
政党の潮流から言えば、自民党、民主党、自由党は同じ穴から生まれている。今や、公明党の存在を除けば、ほぼパーフェクトに旧自民党勢力に全社会が覆われたことになる。公明党も与党政党であるからして合わせて更にそうなる。公明正大な政見放送から文書配布から街頭演説までの選挙運動を通じてそうなったのだから誰も文句は云えない。
私が云いたいことは次のことである。社共にとって、小泉旋風にやられただの、候補者が新人だったとか、立候補が少なすぎたとか、ビラにやられたとか、「捲土重来を期す」とかのレベルでの総括で済む話ではないでしょう。おかしなことに、いわゆる保守勢力ほど目標数値責任を挙げて全力で取り組む、敗北した場合は責任を取る。そのクラスが勝ち抜いて、けじめをつけないいわゆる革新勢力が敗北しつつのうのうと言い訳を多用する。おかしくないかいということが云いたいわけだ。どこが革新だ、ったく。政策の中味だとか小泉批判の以前の問題だろう。
しかし、ほぼ誰もこのことを云わない。従ってれんだいこが云わなければならなくなる。あたしも何も好き好んで言いたいわけではない。あまりにお粗末過ぎるから黙っておれないということである。しかし、左翼には社共以外にもセクトだけなら無数にある。これらの勢力は一体何を考えているんだろうね。興味深いことに、与党派になればなるほど云いたいこと言い合って且つ求心力がある。野党派になればなるほど云いたいこと云い合えず且つ分裂力がある。これって思わず吹き出してしまうなや。
「闇太」のネーミング問題じゃなくてこういう訳で・・投稿者:ヒゲ-戸田 投稿日: 7月27日(金)18時21分52秒、を読ませていただきました。こちらが軽いノリで応答しているのに対し、戸田さんが嗅覚のような勘を働かせているのが分かりました。れんだいこ風に考えれば、なぜ「闇」というネームにしているのか根拠があるということになりますね。いくらでも明るいネームを考えられる中で「闇」を選ぶ心裡は何をメッセージしているのかなぁ。確かに「虹と緑」に「闇」は凡そ似合わない。何やら真夏の怪談風になりました。Re:闇太氏も多忙なのか現在のところ、これへの反応なし。 投稿者:れんだいこ ( 07/29 12:43:54 )
@「安藤尚美さん、田中良太さん、杵敬子さんと戸田・砂川」という選択の仕方がかな り変わっている。(もちろん変わっているから悪いというのではなく)この5人を闇太氏が選んで並べた理由、自分の思いが全く不明。
これなんかは、現場で体張っている者ゆえ分かる臭いなんでしょうね。生きていく上で、理詰めではなくこういう勘はとても大事だと思うから、戸田さんの脳髄に反映したこの疑惑は当たっているのかもな。一応読み直してそういう気持ちになりましたので、私としては暫く静観モードに入ります。というようなことでコメントをば入れときます。
闇さん、ちわぁです。読ませていただき又も複雑な心情になっています。ただ、れんだいこは、一応両読みして戸田さんに座布団進呈しましたのでそうそうは旗幟を替えれません。ということで悪しからず。
>
なお闇太は「闇」に帰ります。メールすることもお会いすることもあるでしょう。
うん、当方の認識が間違っていたら、その節は水に流して貰えるよう目一杯おごります。
(私論.私見)